―ヘンリー・リー・ルーカス―
「……何、何言ってるの?」
重傷を負った翼を庇いながら、響は茫然とした表情で、目の前のツギハギを見てそう言った。聞かれた当人は、両の手の平をすり合わせながら、お道化たように答えた。
「星だよ、星。今日はこと座流星群が見れるっていう話じゃないか。せっかくのロマンチックな日なんだ。愛しのダーリンと見たいってのは、そんなに変なことかい?」
その言葉を聞いて、響は何も言えなかった。あまりにも理解ができなかった。男の態度も、自分に向けられたその言葉も何もかも。理解できない、というよりも、理解してはいけない。何故か彼女はそう感じた。
響がしばらくの間黙っていることにしびれを切らしたのか、ツギハギはため息をつき、肩をすくめた。
「やれやれ、乗り気じゃないみたいね。やっぱその子が気がかりか」
ツギハギはそう言って翼を指さす。それを見た響は、翼を抱きかかえる力を強くし、ツギハギを睨みつけた。ツギハギはそれに何も言わず、ただあごに手を当てて、わざとらしくうんうんと唸っていた。それを数秒だけやると、彼はすぐに「じゃあ」と言いながら手を叩いた。
「こういうのはどう?」
そう言って、彼はどこからともなく"それ"を取り出した。
それは普遍的で、世界中にごくありふれた、しかし日本ではあまり見られないもの。
"拳銃"だった。
「ッ――!」
ハンドガンを向けられた響は、とっさに翼を庇った。ツギハギは先程と変わらずお道化た口調で、しかし淡々と彼女に告げる。
「ちょっと惜しいけど、今ここで風鳴翼は殺そう。そうすりゃ、響も気兼ねなく行けるだろ?」
その言葉を聞いて、響は唖然とし、同時に戦慄した。狂っているという言葉では表せないかもしれない。もっと根本的な部分、人格を形成するうえで不可欠な何かが、この男には欠落している。そう思わずにはいられないほど、響はツギハギに異常性を感じた。
「装者なら頭か腹に5、6発かな。手間だな、ダムダムでも持ってくればよかった」
「ふ、ふざけないで! そんな簡単に――」
「俺は大真面目さ、いつだって。ああ、別に邪魔してもいいけど、多分止めるより撃ち殺す方が早い」
響の叫びも意に介さず、ツギハギはそう言って粛々と弾を込め、銃のハンマーを降ろした。そして、翼に狙いを定め、引き金を
「ッ……わかった!」
――引こうとした寸でのところで、響がそう吠えた。今言うことを聞かなければ、翼さんが殺されてしまう。それよりは、この場は素直に従って、翼さんのことは、この一部始終を見ているはずの二課の人達に任せるべきだ。それ以外、彼女に考えられる術はなかった。
「わかった。一緒に行く、付いていくから。だから……」
響は震えた声でそう続けた。それを聞いたツギハギは、その裂けた口で笑い、銃を手元から"消した"。
「初めてのデートだぜ、ダーリン」
彼がそう言ったその瞬間、その場からツギハギの響の2人が"消えた"。最早その場所は、2人の倒れた少女と、何もない原っぱが、ただ月光に照らされているだけとなった。
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Number10.Counting stars
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数分も経たない後、広場に猛烈な速度で走ってきたことが予測できる、大きなブレーキ痕を描いた自動車が停車していた。そこから勢いよくドアを開け、一目散に翼に向かっていく弦十郎の姿が見えた。
弦十郎は翼のそばに座り込み、怪我の状態を見ると、苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「クソ、なんてことだ……医療班の到着は?」
「もう間もなくよ。大丈夫、見た感じでは、まだ十分間に合う」
「とりあえず、応急処置だけはしておくわ」そう言てきたのは、同行してきた了子だった。了子は翼に今できる最低限の医療処置を即座に施した後、辺りを見回した。もはや原型のない広場を見て、彼女はあることに気づいた。
「……ネフシュタンの鎧は取り逃がしたみたいね。もういないわ」
「了子君、彼女は一体、何者なんだ?」
「それがわかれば、苦労しないんだけどね」
了子が溜息ついでに漏らしたその言葉に、弦十郎はそれ以上何も言及しなかった。ただ彼には、それ以上に聞きたいことがあったので、そのことを聞くことにした。ただ今度は了子にではなく、二課の情報担当にだ。彼は携帯端末を取り出し、オペレータの
「俺だ、響君の場所は?」
『現在、数十km圏内を調べていますが、反応は在りません』
「何か経路を特定できるものは?」
『……ありません。何度かログを確認しましたが、移動した形跡は、まるで見当たりません』
「わかった、引き続き調査を頼む」
『了解』
それを最後に、弦十郎は通話を切る。
「……またしても、してやられたというわけか」
酷く重い口調で彼は言った。それに了子は、宥めるように答える。
「彼女のこと、心配?」
「当たり前だ、あの男に連れ去られたんだぞ」
「……多分だけど、あの子、響ちゃんには手を出さないと思うわ。今のところではあるけど」
どこか遠い目をしてそう言う了子に、弦十郎は「なぜわかる?」とだけ聞いた。それに了子は、弦十郎を見て、少しだけ微笑んで、こう言った。
「女の勘、よ」
その言葉を最後に、弦十郎と了子は、結局医療班が来るまで、一言も話すことはなかった。
◇
場所は変わり、廃墟と化した都市の中、星の明かりしか光源がないような場所に、ツギハギと響はいた。
「足元に気を付けろ。ここで死んだ怨霊があの世に引きずり込むらしいぞ」
クツクツと引き笑いをしながら、ツギハギは自分の後をついてくる響にそう言った。
「……」
それに対し、響は何も言わない。ただじっとツギハギの方を、警戒しているような表情で見ていた。
彼女は今は、シンフォギアを纏っていない。位置がばれるからとツギハギに解除するよう言われたのだ。
――守らないなら、やっぱり彼女は殺す。遠くからだって、リモコンひとつで殺すのはわけないんだ
要するにツギハギは、遠くからでも翼を殺せる仕掛けを施したということだろう。その言葉の真偽はわからないし、ともすればハッタリの可能性の方が大きいだろう。しかしそれでも、響は本当だった場合の可能性を捨てきれなかった。道具を自由に出し入れできる、"友達"と呼ぶその能力。あれを目の当たりにした以上、絶対にないとは響は言い切れなかった。
「……おいおい、なんだよしけた面しちゃってさ。やめてくれ、母親を思い出しちまう」
「……母親?」
予想外のワードが予想外の人物から出てきたためか、響はそれについて聞こうとした。
「――それって」
しかし、聞く直前に、響は目の前に、無数の光を見つけた。
夜空を覆う、大量の光の糸。
「……すごい」
目の前に広がる流星の群れを見て、響は言葉を失った。
響は、未来のことを思い出していた。一緒に流れ星を見に行こうと言った。けれど行けなかった。そんな自分が、友達との約束を破った自分が、口裂け男と一緒に、今、星を見ている。
何て滑稽なのだろう。響はそう感じずにはいられなかった。その息を呑むような流星群の美しさも、こんな状況では、"彼"がこしらえた皮肉にしか思えなかった。
「……私をここに連れてきたのは、これを見せるため?」
響はツギハギの方を見ず、ただじっと、辛そうに星を眺めながら、そう聞いた。対してツギハギは、響の方を向いて、それに答えた。
「もちろん。ああ……でも、実はそれ以外にも、君に確かめたいことがあるんだ」
そう言うと、彼は響にゆっくりと近づく。響はツギハギの方に向き直り、それをじっと見つめた。その時、響は恐怖で震えていたが、しかし目をそらすことはしなかった。それを見たツギハギは、静かに、裂けた口角を上げた。
お互いの距離があと一歩ほどのところで、彼は止まった。
「響、見た感じ君は、人助けがずいぶんと好きみたいだ」
ツギハギはそう聞く。響はそれに答えない。
「人助けに、理由はいらない。それが誰かのためになるなら、できる限りのことをやってあげたい。君はそう言うクチじゃないか?」
さらにツギハギは聞く、響は答えない。口を一文字に閉じた響を見て、ツギハギはまた、クツクツと引き笑いをして、言った。
「なら響、俺を殺してみてくれ」
「……え?」
響は自分の耳を疑った。彼は今何と言ったのか、その言葉の意味が一瞬分らなかった。そんな困惑する響をよそに、ツギハギは続けた。
「俺はこれからたくさん殺すぜ、俗に言う"罪なき善良な民"ってやつをだ。いっぱいだいっぱい殺す。大人も子供もお姉さんも。色んなバリエーションを用意しよう。煮たり焼いたり、七面鳥みたいに飾ってみるのもいいな」
まるでクリスマスの計画を話す子供のように、彼は心底楽しそうにしていた。それを見た響は、一歩後ずさった。
「何、言って……」
「許してくれない? 面白そうだと思うんだけど」
「ッ……ふ、ふざけないで! そんなこと、絶対させない!」
「じゃあ今俺を殺さなきゃ」
そう言って、彼は響に顔をグイッと近づけた。「ひっ……」響はそんな短い悲鳴をあげた。
「ほら、このナイフをあげる」
ツギハギはナイフを取り出し、それを響に渡した。響は思わず、それを受け取ってしまう。
「それで俺の喉元を一突きすれば、簡単に殺せる。もうこれ以上誰かが犠牲になることも無い。そうだろ?」
彼は挑発するように、自分の首を指でなぞる。響は動けなかった。
「あー……それとも、銃のほうがいい? あのコスプレでもいいけど……それだと俺、体が50個ぐらいに別れんじゃないかな。ハハハハ!」
まるでギャグを言うかのように、心底楽しそうに自分の殺され方を語る彼に対して、響は恐怖した。彼女は思い出してしまったのだ。今目の前にいるのが、人の命を弄ぶシリアルキラーであることを。一度恐れてしまったら、もう止まらない、恐怖は増幅し、もはや喋ることすらままならなくなってしまう。
「ほら響、どうした?」
「あ、う……」
「どうしたやれ! 殺せ!」
「あッ……」
響は恐怖に駆られ、もはや立ってるだけで精一杯だった。息を荒げ、喋ることもできない。そんな彼女に、彼は言った。いや、笑ったまま、叫んだ。
「誰かのせいじゃなく! お前の意思で! お前の判断で! お前の心のままに! 殺せ!」
その言葉聞いた響は、ただ立っていた。
「う……あ……」
ただ震え、ツギハギから目を離すこともできず、ナイフを握りしめていた。
「……ッ」
そして彼女は、思わずナイフを落としてしまった。その後も変わらず、彼を見つめたまま、カタカタと震えていた。
「……なんだよ、ノリ悪いなあ」
彼は一変して、つまらなそうなものを見る目で響を見つめた。響は変わらず、動けなかった。
彼は響から離れ、芝居がかった動きで、肩をすくめてみせた。
「まあいいさ、まだこれからだ。正直今のは期待外れだけど、確信もした。君は光るものを持ってるよ、響」
ツギハギは響の方を見ず、淡々と喋る。それはまるで、サーカスの司会者のようでもあった。
「そうだなあ、まずは……」
そう言って、彼は響を見た。
「意識を変えなきゃなあ」
ツギハギは、響を見て、酷く濁ったような笑い顔を見せた。それを見た響は、まるで子犬のように、体を震わせた。
「響。いつか、その悲しい顔を笑顔に変えて、そのナイフで俺の首を切ってみてくれ。その時の君は、きっとすごくきれいだ」
そう言って、彼はつんざくような笑い声を発し、それがひとしきり終わったと思うと、彼はいつの間にか、その場から消えていた。
「ッ……ハッ……はあ……」
瞬間、響はその場に膝から崩れ落ちた。息を整え、何とか早い鼓動を平常に戻そうと、胸を手で掴んだ。
「はあ……はあ……」
鼓動が少しずつ遅くなる。しかしそれに反比例して、彼女の中の混乱と恐怖は、強まるばかりだった。
「う、うぐ……うわああぁぁん……」
彼女は感情に耐え切れず、声をあげて泣いた。響の足元では、ツギハギが彼女に渡したナイフが、流星の光に反射して、冷たくただ光っていた。
393「星を見に行ったのか、私以外のやつと……」
やっと帰って来たぜ(ytr並感)