―映画『ダークナイト』より―
「ハァ、疲れたー……」
学校が終わった夕方頃のことだ。立花響は自分の自室で仰向けになりながら、精根尽き果てたというかのような態度で、仰々しく今日一日に自分に降りかかった不幸を嘆いていた。
「入学初日からクライマックスが100連発気分だよー、私呪われてる……」
響の住む部屋には同居者がいる。小日向未来という響と同級生の少女で、黒髪に映える白いリボンが特徴的だ。未来は先程の嘆きに呆れたようなリアクションを返した。
「半分は響のドジだけど、残りはいつものおせっかいでしょ?」
「人助けと言ってよ。人助けは私の趣味なんだから」
「響の場合は度が過ぎてるの。同じクラスの子に、自分の教科書貸さないでしょ? 普通」
「私は未来に見せてもらうからいいんだよ」
そう言って笑う響に、呆れたような、しかし照れくさそうに未来は「バカ」と呟いた。しかし響の意識は、既に別のモノに向いているようで、テーブルに置いてあったティーン誌の裏表紙を見ると「おお!」と目を輝かせた。
「CD発売はもう明日だっけ? やっぱかっこいいなー翼さん」
「翼さんに憧れて、リディアンに進学したんだもんね、大したものだわ」
「影すらお目にかかれてないけどね……そりゃトップアーティストだから、簡単にお目にかかれるとは思ってないけどさ」
未来の話に、響は苦笑いでそう答えた。彼女たちの通う私立聖リディアン音楽院は、現在、日本の中でトップの知名度を誇るアーティスト"風鳴翼"が通う学校としてよく名前のあげられる学校だ。響が聖リディアンの門を叩いたのは、先程未来が言った憧れもあるが、理由はほかにもあった。
響はふと、自分の胸にある傷跡を見た。彼女は確かめたかったのだ、その傷の由来の真実を。それは風鳴翼に会えばわかるかもしれないと、彼女は直感していた。
「……そう言えば、響」
呆けている響を見て、未来はおもむろに口を開いた。
「んぇ、何?」
「さっき言ってた、助けてくれた男の子のことなんだけど……」
「ああ、ツギくんのこと」
「それよ」
「へ?」
ほんの少しばかり語気が強い未来に、響は思わず声をあげた。未来は続けた。
「その"ツギハギ"って人、少し変だと思わない?」
「変?」
「そうよ、名前だって、明らかに偽名っぽいし。気を付けたほうがいいんじゃない?」
「心配性だなー未来は。確かにちょーっと変わった男の子だったけど、未来が思ってるような人じゃないって」
「そうかな……」
響とは違い、未来は"ツギハギ"という男に懐疑的だった。話で聞いただけだから、というのもあるが、響から聞いたその男の言動に、どこか拭いきれない不気味さを感じたのだ。しかしそんな未来を安心させるように、響は言った。
「大丈夫だよ。偶然だったけど、あの子は身を挺して私を助けてくれて、文句も言わないで、"良いことをしたんだね"って私に言ってくれた。だから絶対に善い人だよ」
「……はぁ、そうね」
未来は諦めたように返事をした。こうなった彼女は本当に頑固なのだと、よく知っているからだ。
「でも、本当に気を付けてね? 男の子って恐いんだから」
「大丈夫だって。次会ったらちゃんと、御礼しなきゃ」
響はそう言うと、ふと、窓の外を見た。彼は今何をしているのだろうか、もしかしたら、あの子も同じことを考えているかもしれない。そんなことを考えて、響は少し可笑しくなった。
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Number02. If I Ever Feel Better
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今日猫を助けたあの子は、今何をしているのだろうか。ツギハギはすっかり暗くなってしまった空をバックに、辺りに広がる巨大な炎を見ながら、そんなことを思っていた。
「あの制服、確か聖リディアンのやつだったよな? また会えるかな」
彼がそうやって物思いにふけっていると、彼の頬を何かが掠めた。銃弾だった。彼の頬が切れて、血が流れだした。
「くそ……」
銃弾を撃ったのは、軍人のような装備を纏った、しかし満身創痍で斃れかけた兵士だった。ツギハギは口惜しそうな顔をする兵士の方を見て、そのまま兵士のそばまで近づき、しゃがんでできるだけ目線を合わせて言った。
「……なぁ、アンタはどう思う? 気になる女の子と会う時って、洒落た手土産のひとつでも持ってったほうがいいのかな?」
「お前……一体なんだ? なんでこんな……」
戦慄する兵士を見て、ツギハギは頭をボリボリと掻いた。そのまま彼は立ち上がって、兵士を一瞥した。
「わかった。ごめんよ、変なこと聞いて」
「……ノイズ……」
業火の音に掻き消えそうなその声が、しかし兵士の最期の言葉となった。兵士はそのままこと切れ、そして、その体はみるみるうちに炭化していった。
「しかし、もれなく全部殺せとは、真面目だねえフィーネも。なあ?」
ツギハギは気怠そうにそう呟いた。それが誰に言ったのかはわからない。何せもうここには、彼以外の生き物がいないのだから。
彼の周りにあるのは、ただただ"人の炭"とそれを燃料に燃える炎だけだった。先程のような兵士だった炭、一般人だった炭など色々ではあったが、結局、どれも区別がつかなくなってしまった。
ツギハギは目を細めながら、人を薪にしたキャンプファイアを見た。炎というのは大きくなればここまで眩しくなるのかと彼は思い、手で目を覆って、思わず下を見た。そうすると彼は足元に、煤けた中折れ帽子があるのを見つけた。恐らく逃げ遅れた一般人の物だろう。
「お、ラッキー」
ツギハギはこれ幸いと中折れ帽子を拾い、簡単に灰を払ってから、深くかぶった。正面から見れば眼から上が隠れる程度につばが長いそれは、彼の予想通り、炎の眩しさを和らげてくれた。
そんなときに、ちょうど彼の携帯が鳴った。ツギハギは着ている安物のジーンズ、狭いポケットからそれを少しだけ苦労して取り出した。
「もしもし、ああクリス? ちょうどよかった聞きたいことが――」
『んなことより撤退だ。急げ』
携帯からは、そんな否応なしな言葉が聞こえる。声の限りでは、話し相手は少女のようだった。
「……撤退? もうか」
『"装者"の風鳴翼がそっちに向かってるのを確認した。そいつとぶつかる前に帰るんだよ』
「風鳴翼って確かアーティストのだよな? 一回会ってみたいんだけど、サインとかもらえないかな?」
ツギハギはそう言うと、クリスと呼ばれた電話の相手は大声で怒りだした。
『バカかお前ッ! ふざけんのもいい加減にしろ!』
「わかったよ、わかったともさクリス。じゃあ言われた場所で合流な」
彼は面倒になったと言わんばかりに強引に話を切り上げ、通話を切った。彼はすこし残念そうに肩をすくめた。
「……そうだ」
彼は何か思いついたように、床に"炭"を使って何かを書いた。それが終わったと思うと、彼はほんの一瞬前にいた場所から、きれいさっぱりいなくなってしまった。まるでここに第三者がいたら、化かされたとでも思うくらいに、ぱっといなくなっちまったのだ。
――それから数分も経たないうちに、ヘリが一機来た。そのヘリから女性が飛び出し、ツギハギがいた場所に着地した。青い髪に青い瞳を携えた女性の名は風鳴翼という。彼女は周りを見て唇をかんだ。
『どうだ翼、生存者は?』
翼のヘッドギアの無線から、男性の声が聞こえた。
「……申し訳ありません、手遅れのようです。一課の人達は、全滅です」
『なんてことだ……敵の姿は?」
「見つかりません、気配すら……」
『そうか……了解した。一応、近辺に生存者がいないか確認してから、帰投してくれ』
「了解」
それを最後に無線を切った。そして翼は今まで耐えてたのか、歯を食いしばり、酷く怒りに満ちた声を発した。
「くっ……振ることすら出来ないで、何が剣だ……!」
彼女がそう言って下を見ると、"あること"に気が付いた。何やら大きな文字のようなものが、地面に書かれていたのだ。
「なんだ?」
何か敵の情報が残っているかもしれないと、翼はその文字を見るために、少し退いてそれを見た。すると翼は、これまた"あること"に気が付き、わなわなと震えだした。
『こういうのはステージにいかが?』
そう書かれた周辺には、人だった炭がまるでオブジェのように均等に配置され、それを彩るように、綺麗な円形に業火が燃え広がっていた。
「―――ッ!」
翼は怒りで声も出ず、ただ目を見開いてその光景を凝視した。そして彼女は決意した。決して許しはしないと。必ず己の刃で斬ってやると。
◇
「あのメッセージ、見てくれたかなあ」
観光名所の塔の上、展望台の屋根で、ツギハギはぼんやりとそんなことを言った。翼のいる場所は遠方からでも炎のせいで明るく見え、彼はそれを眺めながら、仕事仲間を待っていた。
「あいっ変わらず悪趣味だな、お前」
棘のある声が、ツギハギの後ろから聞こえた。声の方を見ると、銀色の鎧を着た少女が、ツギハギを睨んでいた。兜のせいで顔は見えないが、銀色の髪がたなびいていた。
「ようクリス、お疲れ」
「……その帽子、なんだよ?」
ツギハギの挨拶には答えず、少女はそう聞いた。すると彼は、何でもないように言った。
「炭にしたやつの中に、センスのいい奴がいたみたいでね。かっこいいだろ?」
「お前、なんでそんななんだ」
酷く震えた声で、少女は、雪音クリスは聞いた。
「なんでそんなにケロッとしてやがる、なんで大勢殺してそんなに平然としてやがる、自分のしていることがわかってんのか!」
耐え切れなくなったのだろう、クリスの声は次第に荒げ、責め立てるようなものになった。それに対してツギハギは言った。
「どっちでもいいじゃないか、わかっていようがいなかろうが、加害者が反省してようが笑ってようが、死んだ奴らからすれば……そうだな、知ったこっちゃないだろうよ」
「……けどよ、そう言う問題じゃないだろ」
ツギハギの言ったことにクリスも思うところがあったのだろう。しかしそれでもクリスは反論した。ツギハギはそれに、抑揚のない声で言った。
「……その問題は多分、クリスには理解できて、俺には理解できないもんだと思うよ。きっと、そういう類なんだ」
その言葉に、クリスはもう何も言わなくなった。兜の中にあるその表情はやるせないような、どうしようもないものを見るような、少し悲しいものだった。
「……ところでさ」
「――なんだよ?」
「気になる女の子に会う時って、洒落たプレゼントでも用意した方がいいと思う?」
ツギハギは困ったように、その裂けた口を歪ませて、そう聞いた。
いいタイトルが思いつかないんだよな毎回……