―J・D・サリンジャー『テディ』より―
風鳴翼はここ最近、天羽奏の幻影を見るようになった。親友であり、共に戦った戦友であり、そしてもうこの世にいない人物だ。
決まって見るのは、あのライブの後のことだ。ノイズが大量に襲ってきて、奏と戦い、そして最後は奏が斃れ、灰になって、風と共にバラバラに飛び散る。そこまでのシーンが、同じ映画を何度もリピートするように、翼の脳内で流れることがしばしばあった。寝ていても起きていても同じことで、最早、囚われていると言ってもいいかもしれない。それは今も同じで、翼は脳内の"再生"が終わったのだろう。ゆっくりと瞼を開いた。
――全ては、私の弱さが引き起こしたことだ
彼女は狭く、簡素な和室で正座をして、一人でただじっと黙っていた。そして彼女は、おもむろにそばにあった刀を取り、そして引き抜くために右手を柄に添え、静かに言った。
「どこから入ってきた?」
月明りしか光源のないその場所に、影が"二つ"あった。ひとつは翼のもの。もうひとつは、翼の後ろにいる、"ある男"のもの。男は翼の質問にも答えず、ただこう言った。
「……天羽奏」
「――何故その名を!」
翼は目を見開き、彼の方に振り向いた。しかし、そこで彼女が見たものは、誰もいない。ただ月光だけが差し込む部屋だった。
「? これは……」
いや、部屋だけというのは少々語弊があっただろう。床の上に、小さな紙切れが置かれていたのだ。翼はその紙きれを慎重に掴み、そしてトラップの類がないことを確認すると、その紙切れに文字が書いてあることに気づき、それを読んでみた。
――風鳴翼様、貴方様お一人をディナーに招待いたします。貴方様と二人で、天羽奏様の思い出と、そして貴方様も知らない真実について語り明かしたいと思うのです。よろしければ明日、ぜひお越しください。
そんな文章が書いてあった下には、店の名前と住所、そして時間が記されていた。
「……奏」
翼はそれを見て、拳を握りしめた。この手紙を送ってきたのは、つまりつい先ほどこの場所にいた男は、十中八九あの口が裂けた男であろうことは、翼には容易に想像できた。声を聞いたのもそうだが、何より、このように人を愚弄するような真似をするのは、あの男しかいないと断定したからだ。
「……何のつもりか知らないが――」
彼女はその紙切れをぐしゃぐしゃに潰して、言った。
「今度は逃がさない」
翼は誰もいない部屋で、ただ月明りを真っ直ぐと見た。その肩が、わずかばかり、ほんの少しばかり震えていたことには、彼女自身気が付くことはなかった。
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Number.07 Clair de Lune
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こと座流星群が近いうちに見られるらしい、という情報は、つい先日、響が未来から聞いたものだ。これを2人で見に行こう、という約束をしたものなので、通学路を歩いている響は現在、なかなかに浮かれていた。
「何かいいことでもあったのかい?」
「うわぁ!」
そんな時に突然、後ろから声が聞こえたものなので、響はそんな素っ頓狂な声をあげてしまった。振り返って確認してみると、声の主は、マスクをつけたツギだった。
「お、おどかさないでよもー! ……でもなんか、ツギくんに会うの、久しぶりな感じするね」
「数日空いただけじゃないか」
「それでも、心配したんだよ? 何かあったんじゃないかって」
「たまたま会えなかっただけさ……。そっちはどうだい? さっきも聞いたけど、いいことあった?」
「いいこと、というか、むしろえらいこっちゃというか……」
響は言いあぐねていた。シンフォギアのことについて箝口令が出てしまった以上、何を言うこともできないのだ。それを知ってか知らずか、ツギは肩をすくめた。
「……ま、いいさ。誰でも話したくないことくらいある」
「ごめんね、本当は隠し事なんかしたくないのに」
「別に……そうだな、"隠し事"じゃなくて"内緒話"っていうワードを代わりに使うようにしてみたらどうだい? 少しはその……罪悪感って言えばいいのかな? それも薄れるだろう」
「……アハハ、何それ?」
響はその一瞬だけ、感じていた重々しい悩みも忘れ、脱力して笑った。彼の言葉には、何と言えばいいのか、的確なアドバイスをしているというわけでもないのに、それこそ彼の言った罪悪感とでも言えばいいのか。それを薄れさせて、気持ちを楽にしてくれる。そんな力があると、響は思った。
「それで? じゃあなんであんなに浮かれていたの?」
思い出したように、ツギは聞いた。
「えー、そんなに浮かれてた?」
「ああ、わかりやすいったら」
「うう、恥ずかしい……」
響は羞恥心を振り払うように、大仰に手を広げながら言った。
「実はね、未来と流れ星見に行く約束したんだ。それが楽しみで楽しみで」
「流れ星? 狙って見れるもんなのかい、あれ」
「わかってないなあ、ツギくん」
ふふん、とでも言うように彼女は腕を組み、体をそらせた。
「こと座流星群が観測されたんだよー、予想では、明日の夜、見られるんだって!」
「へえ、知らなかった」
「おっと悪いけど、ツギくんは誘えないよ? 先に未来とデートする予定なんだから」
「ああ、別に星にゃ興味ないし」
「……そこまであっさりだと、それはそれで何だかなあ」
せっかく意地悪くいったのに、その甲斐もない。とでも言いたげに、彼女は頬を膨らませた。それを見ながら、ツギは脱力しきった声で言った。
「……まあ、その流星群の後でもいいから、今度茶でも飲みに行こうよ。奢るからさ」
「お、おお……! ツギくんにナンパされた。私モテ期かも」
「元気ねえホントに……。じゃあ俺、こっちだから」
「あ、うん。またね!」
そう言って、彼らは分かれた。しかし数秒も経たないで、ツギは響の名を呼んだ。彼女が気づいて振り返るのを確認してから、こう言った。
「さっきの"内緒話"。その友達にも黙ってるわけ?」
「……イジワルだよ、ツギくん」
「……聞いてみただけさ」
そう言って彼は手をひらひらと振り、今度こそ別れを告げた。響は何故か、その背中が見えなくなるまで、立ち止まって彼を見ていた。
◇
郊外の、今やシャッター街となり果てたさらに隅の方に、そのレストランはあった。と言ってもとっくに廃業している"元レストラン"であり、そこで働いている従業員やコックなどいようはずもない。時刻はもう真夜中の12時を指しており、廃墟ということもあって、店の中は真っ暗で、それこそ幽霊屋敷のようだった。そんな中に、風鳴翼は入り込み、辺りを見渡した。
「ようこそ、お待ちしてましたよ」
翼は声のする方を見た。そこには彼女の予想通り、あの口裂け男が料理と共にテーブルに座っているのが見えた。料理と言っても、そこにあるのはピザやフライドチキンなど、どこかで買ったのであろうジャンクフードばかりではあったが。
「少し暗いな、明かりをつけよう」
そう言って彼は、どこからともなくロウソクのついた燭台を出し、それにマッチで火をつけた。火の明かりで、二人の顔が――最も一方は中折れ帽子で上半分が隠れているが――露わになった。ツギハギの裂けた口と、そして、翼の敵意に満ちた目が照らされた。
「……何の真似だ、これは」
「手紙は見たんだろう? お喋りしたいのさ、アンタと。天羽奏について」
「真実とはなんだ?」
彼女はいざという時のためにと、護身用に持ってきた刀の柄に手を添える。彼はそれを見て、わざとらしく手を広げ、怖がるジェスチャーをした。
「おい、おい、そう焦るなって。まず座ってよ」
そう言って彼は翼に向かいの席に座るよう促す。翼は敵意はそのままだが、ここまで来れば断る理由もないため、そこだけは素直に従うことにし、座った。
「飲みものいるかい? 何でもあるぜ、オレンジジュースに、コーラ、ドクターペッパー――」
「さっさと本題を話せ」
翼は苛立ったようにそう聞いた。今回の呼び出しについて、翼は二課の面々には話さずに、単身で乗り込むことにした。彼女が刀を持ってきたのも、聖遺物を使うと二課に察知されるため、代わりの武器が必要だったためだ。
これまでの経験から、口裂け男はいくら大規模な包囲をしても、ことごとく逃げ切ってしまうことを知っていた。しかし、立花響とは対峙したことから、相手が単身あるいは小数ならば、しばらくは逃げないのではないかと言う予測を立てたのだ。ある程度油断させ、隙を見せたら捕縛。単純だが、下手に対策を練るより、効果的だと翼は判断したのだ。
そして何より、彼が言う天羽奏の真実が気になってしまった。自分を誘導する罠だとは知りつつも、この得体の知れない男は、何かを知っているのではないかと、思ってしまったのだ。
「……で、なんだっけ? あの人、えーと、あも……あもん?」
「天羽奏だ!」
「ああ、そうそう。散々な死に方だったらしいな。応援してくれたオーディエンスも死んで、文字通り命がけで守った奴らも、死んだ奴らの遺族に罪を擦り付けられ、迫害され、自殺した奴までいるときたもんだ。犬死とでも言えばいいのかね、こういうの?」
「――ッ!」
翼は刀を抜き、眼にもとまらぬ速さで振り――そして、ツギハギの首の薄皮が触れる程度のところで止めた。ツギハギは動かない。無表情のまま、彼女の眼を見据えて、言った。
「……そういうもんさ、人ってのは」
「何?」
「あいつ等は普段、聖者のように振る舞い、犯罪者や悪党……まあつまり、規律っていうのを乱すやつに対しては、義憤ってので躊躇なく攻撃する。しかしだ、その攻撃の対象が失われれば、どうなると思う?」
ツギハギは、迫っている刀の峰に手を添え、自分の首に刃をそっとあてた。
「新しい悪党をつくり出す。何だっていいんだ。電車で老人に席を譲らなかったでもいい。性差別的なことをちょっと言ったやつでもいい。まあ要は、その……群衆のモラルって言えばいいのか、それを味方につけて、あいつ等は聖者ぶりたがるのさ」
「何が言いたいんだ!」
「全員殺しちまえば良かったのさ」
ツギハギの声のトーンが落ちる。するとその瞬間、ツギハギは翼の刃を自分の首に押し込んだ。ツギハギは笑った。
「な!?」
翼は驚いた声をあげてしまう。血は吹き出しこそしないものの、とめどなくそれは切れた場所から赤黒く流れていた。
「観客なんざ全員見捨てて、逃げちまえば良かったのさ。そうすりゃ、天羽奏は生きていた」
「そんな……ことは……」
「それだけじゃない。あんな迫害も起きなかったろう」
彼がそう言った途端、翼は言いかけていた言葉を止めた。彼は続ける。
「あそこで全員が死んでれば、全員が死を悔やまれ、嘆かれ、誰も責められはしなかっただろう。いや、矛先がアンタらになるのかな……どっちにしろ、観客に迫害はなかったろうよ」
「……結果論だ」
「そうとも、しかし真実だ。それをさらに突き詰めるなら、響が天羽奏の"コスプレ"をすることも無かったわけだ。あんな風に、戦場に出ることも無かった」
「ではどうしろというのだ! どうしようもないだろう!」
翼はついに怒りに耐え切れず、怒鳴った。するとツギハギは、心底面白いものでも見るような、そんな眼を彼女に向けて言った。
「アンタが望む通りにやればいいのさ」
「……私、の?」
翼は目を見開き、その言葉を聞いた。
「ああ、二課のためでも、死んだ天羽奏のためでもなく、自分が望む通りのことをすればいい」
ツギハギは刀を放し、置いてあったチキンを一口頬張ってから、話を続けた。
「アンタは響をどうしたい? あの親友の聖遺物を奪い、生半可に遊び感覚で力を振り回す彼女を、どうしたい?」
翼は息が苦しくなった。考えてはいけないことが、次々と脳裏に浮かんでしまう。それでも、彼の言葉を止めることができない。彼女は、ついぞ彼に何も言い返すことはなかった。
「……まあ、そんなに焦る話でもないさ、ゆっくり考えなよ」
そう言った途端、彼はその場から、きれいさっぱりいなくなった。その場所には、ジャンクフードと、それを照らす燭台と、そして、俯き、微動だにしない翼が、最初からそうであったかのように、置かれてあった。
フライドチキンだけは何が何でも持って帰るツギハギ