新曲を模索する氷川沙夜は、練習先に選んだスタジオで少年と出会う。
同じ頃、妹、氷川日菜も不思議な出会いを果たしていて......
二人の物語は、一体どんな音を奏でるのか
ハーメルン初投稿です!
二次創作も初めてなので上手く書けているかわかりませんが、感想頂けると嬉しいです!
「大丈夫ですか? 湊さん」
放課後、いつものスタジオ。私たちRoseliaはあと一か月に迫ったライブに向けて音合わせをしていた。普段から一生懸命楽器に打ち込んでいる私たちだが、特に最近は熱が入っている。拙い部分が目立つ今井さんのベースも、少し雑になるところがある宇田川さんのドラムも、主張が小さくメリハリのなかった白金さんのキーボードも、目に見えて上達していた。
そんな私たちであったが、ちょっとしたアクシデントにみまわれてしいた。私は、顔を赤くして登場したボーカルの湊さんのおでこに触れると、こくりと頷く。
「熱いですね、風邪かもしれません。声はでますか?」
ふるふると首を横に振る湊さん。どうやら喉の風邪らしい。そういえばクラスの子が一人、声が出ないとかで音楽の授業に参加していなかった。最近はやっているみたいだ。
白金さんが、恐る恐るというようにゆっくり手を挙げた。
「これじゃあ練習、厳しそうですね。セッションはしばらく休みにして、個人練習に励んだほうがいいんじゃないでしょうか? 私、最近なかなか安定しない場所があって……」
「あこもりんりんと一緒! なんかね、この曲のテンポいつも走っちゃうんだよねー。一人で練習する時間、欲しいかも!」
「あー、まあ皆そういう部分結構あるよねー。私もさ、どうしてもできないフレーズがあってね。沙夜はどう思う? 私は別にいいけど」
今井さんの言葉に首肯を返すと、スマートフォンでスケジュールを確認する。ぎっしりとバンドに関しての用事が並んでいるのを見て、やはり私にはRoseliaしかないのだと感じた。そんな大切な居場所の、大切な人の体調がすぐれないのに、無理をさせるわけにはいかない。
「私も賛成です。確か一か月後のライブでは新曲も披露するはず。最近思いついたフレーズがあるので、私はこの期間にそれを完成させたいと思います。湊さんは無理のない範囲で構いませんから、歌詞の構想を練っていてください」
湊さんは首を横に振ると、マスクをずらし、蚊の鳴くような声を絞り出した。
「だめ、よ……。私た、ちは、頂点を……、わた、しのせいで……」
「はいはい、そんなこといわないのー。ゆきなはいつも頑張りすぎだって! きっと神様がちゃんと休めって言ってるんだよ。だから無理せず、病気の時位休みな!」
とろんとした湊さんの頭に、今井さんがポンと手を置く。その姿はまるで妹をあやす私のようで、なんとなく、遠くからいつもの私をみているような、不思議な気持ちになった。
少し前の事だ。かねてから一緒に映画を見に行く約束をしていた日と、日菜の仕事が被ってしまった。その仕事は一般人の私にはよくわからないが、どうやら日菜たちのアイドルバンド、パスパレの今後にとってかなり重要な意味をもつものらしい。マネージャーからそれを聞かされても尚、私と映画が観たいと駄々をこねる日菜の頭に私は手を置いて、こういった。
『私との時間も大事だけれど、パスパレの仲間も大事でしょう? あなたのわがままで皆が困る姿を、あなたは見たい?』
大丈夫、絶対いつか時間を作るから。そう約束してやっと、日菜のわがままはおさまった。結局まだ映画にはいけていないが、いつか絶対に二人で観に行こうと思う。彼女は近いようで、遠い存在。私はまだ彼女の事を、きっとちゃんと理解できていない。
「じゃあしばらく個人練習ということで問題ないですね。湊さんの風邪が治り次第再開ということで。今日はもう解散しますか?」
私の声に、皆が頷く。ただ一人、湊さんが申し訳なさそうに、半ば悔しそうにうつむいていた。何か声をかけようと思ったが、隣で今井さんが薄く笑みを浮かべているのをみて、やめた。
湊さんにとって、今井さんはどういう存在なのだろう。ただの幼馴染だとか、バンド仲間だとか、そういうことじゃない。今井さんと湊さんの二人には、私たちには得難い不思議な温かさがある。
私と日菜も、いつかそうなれるだろうか。
その日の帰り、私は行きつけのハンバーガーショップでポテトのLサイズを購入し、その足で個人スタジオへ向かった。綺麗に拭かれた窓ガラスが印象的な、何の変哲も無い建物。無駄に大きな自動ドアを抜けると、梅雨のじめっとした空気が一転、無機的な冷気が体を駆け巡った。
放課後ということもあって、ロビーには幾人か女子高生の姿が見える。皆背中にギターケースや大きなリュックを背負っていて、一目でバンドをやっているんだな、とわかる。少し前はあまり見かけなかったが、最近この手のガールズバンドが一気に増えた。その様子はアイドル戦国時代が訪れた様に似ていて、やがてくる大きな波を予感させる。
私たちも、負けるわけにはいかないわね……。
演奏は何も技術だけが全てではない。そのことは、あの一連の騒動で深く認識した。汗を振りまきながら必死に歌う戸山さんの顔を思い出す。彼女はまぶしかった。まだまだ拙い演奏だけれど、会場全体を照らす一番星は、間違いなく彼女だった。
あの星の鼓動を、今度は私たちが響かせてみせる。
きっと私たちの頂点もそこにあるのだろう。そのためには私たちの拙い部分を全て修正し、完璧な演奏を目指さなければならない。
日菜に、負けないためにも。
受付には誰も立っていなかった。休憩でもしているのだろうか。そう思って声をあげようとすると、慌てた様子で奥から背の低い男子高校生が飛び出した。
「す、すいません。個人ブースのご利用でしょうか?」
「はい。あの、随分慌てた様子ですが、大丈夫でしょうか?」
そう言うと、彼は「え、あ」と慌てた様子で群青色のエプロンを直す。目が少し血で滲んでいた。恐らく休憩時間に寝過ごしてしまったのだろう。
少し長めのくるんと巻いた前髪の奥から、くりっとした瞳がのぞく。肌は驚くほどに白く、むしろ不健康にさえみえる。体の線も細くて、いかにも私が苦手な雰囲気だ。エプロンに下に着ている制服の襟の校章から、近くの共学の高校の生徒だとわかる。
「だ、大丈夫です。すいません。料金は退室の際にお願いします。512号室です。どうぞ」
そういって手渡された鍵を受け取って、いまだどこかふわふわしている彼を睨みつけた。
「あなた、バイトのようだけど、ちゃんと責任をもって仕事しているのですか? 今後このようなことは無いようにしないと、あなたの為にも、お店の為にもなりません」
「す、すいません……」
彼が見るからにへこんでいるのをみて、少し悪いことをした気になる。きっと根は真面目なのだろう。最近はブラックバイトが多いと聞くし、校外模試があと一か月に迫り、勉強にも精を出さなければいけない時期でもある。それで疲れていたのかもしれない。
「いえ、これからは気を付けてくださいね」
そう薄く微笑んで、私は512号室へ向かった。
アンプリファーの調子を確かめて、弦を弾く。びぃーんと少し歪んだ音色が聴こえて、新曲の為に用意したエフェクターの黄色をじっと見つめた。
このフレーズは、日菜のことを想って考えたものだ。
今までのRoseliaの路線は外さないながらも、雨のようなしとやかさを孕むフレーズ。それを頭の中で鳴らし、指に伝え、また考える。用意した譜面やスケールは斜線や赤ペンでぐちゃぐちゃになっていて、最早元の楽譜を読むこともできない。
その混沌が、私の努力の証。
このもじゃもじゃの一つ一つが私の一部で、きっと日菜には存在しない。この前パスパレの新曲だといって見せてもらった日菜の譜面には、小節番号すら書いていなかった。もう練習が始まって三週間が経つのにだ。
それでも私の前でかき鳴らす日菜のギターは完璧で、その譜面の白さだけ、私との違いを感じてしまう。
彼女の笑顔を思い出して、ギターを鳴らす。彼女とちゃんと向き合いたい。そんな想いを込めて、次のフレーズを考える。それを指に伝えて、何かが違くて、また考えて、指を動かす。もじゃもじゃの譜面が、もっともじゃもじゃになっていく。
このもじゃもじゃの先に、きっと日菜がいる。
私はただそれを信じて、ギターを弾き続けた。
そうやってちょうど一時間が過ぎた頃、ポテトと一緒に買ったコーラがなくなってしまった。スタジオの暑い扉を開けると、むわっとした風が頬を撫でた。妙に生々しくて、思わず少しだけ顔をしかめる。
「自販機はどこだったかしら」
ポケットから小さい小銭入れを取り出し、辺りを見回す。しかし見つからない。よく見ると、一時間前にはあんなにたくさんいた客の姿が殆ど見えなくなっていることに気が付いた。タイミングの問題なのかもしれないが、先ほど感じた時代のうねりはなんだったのかと、少し肩を落とす。
「あ、あったわ」
自販機はロビーの自動ドア付近にのっそりと二つ並んで立っていた。少し値段が高いのが気になるが、それもスタジオ料金なのだろう。練習に戻ろうとしたところで、フロントに先程の男子高校生が姿を現した。新品なのだろうか、異様に綺麗な大学ノートを広げ、何やら必死に書き込んでいる。バイト中に勉強だろうか。それはあまりよろしくない気がする。
「ねえ、あなた」
そう声をかけると、その男子生徒はびくりとわかりやすく驚いた。しばらく固まっていたが、私の顔を見て、何か見せたくないものでもあるのか必死にノートを隠す。
「な、なんでしょうか」
その様子を怪しく思いながらも、なんとなくそこまで踏み込むのはマナー違反な気がした。開きかけた口を閉じると、代わりに別の言葉を乗せる。
「あなた、勉強熱心なのは結構だけれど、バイト中にはあまりよろしくないのではないですか?」
「え……、あ! いえ、その、すいません!」
少し不思議そうに顔をしかめた彼が、すぐにはっとして、言葉を重ねる。その様子を空々しく見ながら、彼にかけるべき言葉を探す。本来ただの客である彼女が彼にここまでしてあげる必要はないのだが、それでも口を挟まなければならないお節介体質を、いつだったかクラスメートに笑われたことがある。
『氷川さん、そんなに頑張らなくていいんだよ』
人は私の事を完璧主義者か何かだと勘違いしている節があるけれど、そうではない。私はただ、そうすることしかできないだけだ。不器用であることは自覚している。もっと賢い生き方があることも知っている。けれど、私はこうでしか生きられないのだ。全く、迷惑な性癖である。
「わかればいいのですが、まあ、気を付けてください。私は練習に戻ります」
そんな迷惑な性癖に嫌気がさして、少し早歩きでその場を去った。
後ろで彼が溜息を吐いたのがわかったけれど、もうなんとも思わなかった。
練習を終えて、会計を済ませようとフロントに向かう途中の通路。どこからか、優しい音色がした。この音はなんだろう、そう思って耳を澄ませると、それが電気ギターのものであることがわかった。少し珍しいエフェクターを使っているようだ。なんとなく気になって、ちょっとした背徳感を抱えながら、そっとその音色が聴こえてくる扉を覗く。私とその演奏者以外に、もう客はいないようだった。
そこでギターを弾いていたのは、なんと、あのフロントの少年だった。長い前髪から覗くくりっとした瞳が、心なしか先程よりも柔らかさを帯びている気がする。
彼がピックを構えなおした。どうやら演奏を始めるらしい。私はやはりその仄暗い背徳を抱えたままであったが、興味がそれに打ち勝った。彼の演奏を聴いてみたい。自分でも何故そう思うのかわからない。けれど、私はその瞬間、彼の動きに釘付けになっていた。
アンプリファーから音が溢れる。煽情的なメロディーだった。そして、そのメロディーはRoseliaのそれに酷似していた。しかし、何かが決定的に違う。雨のような美しさを孕み、しかし気高く、上品なメロディー。何より、それを支える彼の演奏技術……。
思わず聴き惚れた私は、彼がこちらに体を向けたことに気が付かなかった。
「何、してるんですか?」
私を見つけた彼が怯えているのを見て、ああ、やってしまったと思う。なんと言い訳すればいいのだろうか。いや、ここは正直に言ったほうがいい。
「すみません。あまりに綺麗なメロディーだったので、つい……。素敵ですね。ご自身で作曲なされたんですか?」
「え?」
彼が一瞬顔をしかめたのを見て、怒らせたのかもしれないと思ったが、違った。
「これ、あなたのメロディー、ですよね? Roseliaの、氷川沙夜さんですよね?」
今度は私が驚愕する番だった。
最近、お姉ちゃんの様子が少しおかしい。
それに気が付いたのは、私がパスパレの練習をぱぱーっと終わらせて、大好きなお姉ちゃんの待つマイホームへ帰宅した時だ。
「おねーちゃん!! ただいま!! あり? 誰も居ない?」
リビングに灯りがともっていなかった。確か今日はお姉ちゃんのroseliaの練習もなかったはずだ。いつもなら私よりも先に帰宅して自分の部屋でギターの練習をしているのに、どうしたんだろう。
かなりさげさげな感じでご飯の用意をしていると、ポケットのスマートフォンがふるえた。るんっ☆ときて、すぐに確認すると、やっぱりお姉ちゃんからのメッセージだった。
「えーと、『今日はいつもの個人スタジオで練習しているので遅くなります』。えー! お姉ちゃん寂しいよお……」
スマートフォンをソファに投げて、ぐでーんとフローリングに沈みこむ。そんなの全然るんっ☆とこない。
お惣菜のコロッケを口に頬張りながら、あの日のことを思い出す。お姉ちゃんと映画デートにいけなくなっちゃった、あの日。
駄々をこねる私を、小言を言いながらもしっかり最後まで面倒みてくれたお姉ちゃん。お姉ちゃんの華奢で真っ白な指が私の前髪をなぞるとき、なんだか体の奥側がじんじんきて、何かが心を揺さぶる。
だから、早く会いたいよ。
いつだって、そう思ってる。お姉ちゃんの肌に触れあう瞬間以外、ずっと。例え同じ屋根の部屋で寝てたって、まだ足りないんだ。
またスマートフォンが震えた。今度は彩ちゃんからだった。
『今度家族で沖縄旅行に行くんだけど、日菜ちゃんお土産何欲しい?』
沖縄旅行か。そういえば、私とお姉ちゃんが二人きりでどこかへ旅行したことなんてなかった気がする。そうだ、今年の夏休みはお姉ちゃんと二人きりで旅行に行こう。場所はどこがいいだろうか。やはり夏と言えば海だろうか。それこそ、彩ちゃんみたいに沖縄でもいい。ロケで一度だけ行ったことあるけど、すごくるんっ☆ってきた!
もう一度スマートフォンが震えて、新しいメッセージが届いた。今度は千聖ちゃんからだった。
『新曲のギターとベースの掛け合い、一緒に練習したいのだけれど、どうかしら? 暇な日があれば教えて』
『えー? レッスンの時に一緒に合わせればいいじゃん!』
『それはそうなのだけれど……、ここだけのお願い。一緒に行ってくれたら、可愛い服選んであげるわ』
そんなの自分で買えるよー、そう打とうとして、お姉ちゃんの顔を思い出す。夏休み一緒に旅行に行く時、お洒落な服が一枚あると楽しいかもしれない。千聖ちゃんの服はいつも可愛くて、見てるとるんっらららん☆って感じ。
『わかった! 私スタジオとかよくわかんないんだけど、千聖ちゃんいつもどこ行ってるの?』
『じゃあ来週の火曜日、駅前集合で。案内するわね』
可愛いウサギのスタンプでOKマークを送って、箸をとった。お姉ちゃんがいなくて寂しいけれど、今日は諦めるしかない。
私服姿で男の子と待ち合わせだなんて、何年振りだろうか。腕時計を確認して、約束の時間まであと少しあることを確認する。
女子高だというのもあるが、私の私生活に男性の数は少ない。Roseliaのファンも殆どが女性だし、スタジオの男性スタッフも名前を憶えているのは一人だけで、他の人は知らない。まあガールズバンドがにわかに盛り上がってきていることもあって、この界隈には男性スタッフよりも女性スタッフのほうが多くなってきている気がする。
駅前のベンチに腰掛けて、本を開いた。それは恋愛小説だった。今まであまり読まなかったジャンルだが、今井さんに勧められたのだ。彼女曰、恋を知ることはよい曲作りに繋がるらしい。確かに最もな意見だ。私たちは恋愛にあまりに無知だ。昨今のラブソングブームを考えれば、それはあまりよろしい事では無かった。
しかし、あまり理解できるものではない。そもそも私は恋などしたことがない。だから主人公の女子高生に共感することができないし、話の構成もよくわからない。男性だろうと女性だろうと、同じ人ではないのか。恋人というのは友達とどう違うというのか。何もセックスだけが恋愛の目的ではないだろう。ではなぜわざわざお互いを縛り合おうとするのだろうか。
「氷川、さん?」
「あ、す、すいません。少し読書に夢中になっていて……」
後ろからの声に思わずばっと立ち上がってしまう。振り向くと約束の相手、あのアルバイトの男の子が立っていた。黒のスキニーパンツと白色のシャツ、捲り上げられた袖から覗く白すぎる腕を見て、少し彼の健康状態を気にしてしまう。まあ、私もあまり褒められた食生活は送っていないが……。
「いえいえ。それで、今日の話ですけど……。スタジオが空くのが今日は午後二時からなんです。ですからそれまで、どうしましょうか」
彼の笑みの裏に緊張を感じ取って、少し無理をさせてしまったと後悔した。恐らく彼もあまり異性と関りを持たずに生きてきたのだろう。でもそれは私も同じことで、こういう時どうすればいいのかよくわからない。
「それじゃあ今からハンバーガーショップに行きませんか? 私、今日はまだ昼ご飯を食べていないんです。そこで少し、曲のことについて話しましょう」
「わ、実は僕もなんです。恥ずかしながら寝坊をしてしまいまして……。それより、ハンバーガーショップですか……?」
「? 何か問題でも」
「い、いえ! あの、駅前にはいっぱい飲食店があるのに、なんでわざわざ少し遠くにあるハンバーガーショップに行くのかなって」
そう言われてみれば、確かにそうだ。何故だろうか、食事と聞いて真っ先にポテトを想像してしまった。しかし、ポテトはそもそも昼食にはふさわしくない。お腹を満たす意味でも、栄養的な意味でも、恐ろしく不適当だ。
そういえば、いつも日菜と出かけるときは、なんの疑問も持たずにハンバーガーショップへ行っていたわね……。
やはり姉妹という関係は特別なんだなと、改めて思った。
ベーコンとビーフ、そして照り焼き。ハンバーガーにとって最も素晴らしい肉はなんなのだろうか。私はいつも迷わずビーフを選択していたが、このベーコンのカリッとした触感と、アクセント程度の塩味がたまらない。これはいつもの黄金セットを考え直さなければならないかもしれない。しかし、ベーコン。あなたはまだ甘い。
「ポテトと一緒に食べるには、あなたの塩味は邪魔なのよ……」
「氷川さん、?」
「あ、いえ。何もありません」
私たちはあのスタジオ近くのハンバーガーショップに来ていた。このお店は丸山さんたちが働いているものとは違う。他意はないはずだけれど、なんとなく今日は知り合いに会いたくなかった。
「そ、そういえば、まだあなたの名前を聞いてませんでした。お名前は……」
取り繕うように言った私の言葉に、彼は少し考える素振りを見せる。
「名前、ですか。そうですね。アイと呼んでください。本名じゃないんですけど、ギター関連は全部この名前で通してるんです」
「それには、何か理由が?」
「いえ、そんな大した理由じゃないんですよ。まあ、意地といいますか。少し気恥しいので、内緒にさせてください」
彼の困ったような笑顔で、少し申し訳なくなる。私は彼に迷惑しかかけていないのではないだろうか。
「そういえば、氷川さんはハンバーガーが好きなんですね。少し意外です」
「あ、いえ、その……。妹が好きなんです、このお店のポテト」
「そうなんですか。確かに美味しいですよね」
「はい。中はホクホク外はカリッと、芋本来のうまみが塩味によって引き立てられて……。とても美味しいです」
アイさんはくすりと笑うと、照り焼きバーガーにかぶりついた。私も照り焼きにすればよかった。もちろんベーコンも美味しいが、やはり照り焼きの方が安定感がある。丸山さん曰、照り焼きがバーガーの中で一番人気だというのも納得できるものだ。
「それで、曲のことなんですが。僕なんかが作曲のお手伝いなんてしてよろしいのでしょうか……」
ストローを軽く回すと、じゃりじゃりと氷の音がした。
「あの時はああ言ってしまいましたが、今思い返してみると、なんといいますか、少し不安な気もしています。あなたの実力が、ということではありません。私自身についてです」
あの日、アイさんのフレーズを聴いて心がざわついた。この愛おしいような、せつないようなメロディーはなんなのだろう。私が今まで知らなかった世界だった。しかし、彼に頼ることが頂点への正しい道なのだろうか。
「私、最近伸び悩んでいるんです。納得のいくフレーズも生まれず、ギターもスランプ気味で……。このままではRoseliaの皆に、いえ、ファンの方々にもご迷惑をかけてしまいます。ですから、少しでも、少しでも前に進みたくて……!」
「ま、待ってください! 僕はそんな大したもんじゃありません。氷川さんの買い被りすぎです。僕はただ、好きな曲を自分なりにアレンジするのが好きなだけで……」
「そんなことっ……! アイさんの実力は本物です。私が保証します。どうか、力になっていただけないでしょうか」
最後の絞り出すような声を聴いて、アイさんの表情が俄かに優しくなった。それは何かを思い出しているようで、彼の心だけがどこか遠くへ飛んで行ってしまったような気がした。
アイさんはポテトを数本つまみ上げると、にこりと笑った。
「氷川さんは、ギター、好きですか?」
「え?」
「いや、特に深い意味はないんです。ただ、なんといいますか。氷川さんはギター、好きですか?」
「え、ええ。もちろん」
私の返答を聞いて、彼は頷いた。
「僕も、少し前バンドをやってたんです。スリーピースバンドで、ファンの人もまあまあいました。けれど色々あってそれを解散することになって、まあ、すごく寂しかったです。僕はバンドが好きでした。ギターが好きでした。でも、バンドを解散したその瞬間、僕は、それらが嫌いになりました」
なんとなく、わかる気がした。
言葉が見つからず、思わずうつむく私を見て、アイさんが優しく微笑んだ。
「ごめんなさい、こんな暗い話をしてしまって。でも、僕はこのあと、救われたんです。あなたたちの演奏に」
「え?」
「ある日、友達に誘われて、Roseliaのライブに行ったんです。ほんとは行きたくなかったんですけど、半ば無理やりで……。そこであなたたちの演奏を聴いて、僕は、震えた」
湊さんの思いが、彼の心を震わせたんだ。そう思うと、少しだけ嬉しくなった。
「だから僕は、Roseliaのファンなんです。あなたたちの演奏は本物です。それがよくわかるから、もし僕にできることがあるなら協力したいんです。どうでしょうか」
彼の目が真剣なのに気が付いて、私は肩から力が抜けていくのがわかった。もう一度ストローでドリンクをかき回すと、氷の音がしなくなっていた。
「ぜひ、お願いします。私は、前へ進みます」
私の最愛のバンドのために。
昨日と同じ部屋を借りて、二人分のセッティングをする。アンプリファーから望み通りの音が出たのを確認して、私は静かにピックを構えた。
「まず、私が今考えているフレーズを弾いてみたいと思います。何か改善点があればおっしゃってください」
アイさんが頷いたのを見て、私は音を紡ぎ始めた。
この曲は日菜を想って作った曲だ。彼女への想いを美しい雨音に乗せて響かせる。ただ、何かが違う。その決定的な違いがわからないのが悔しい。私はそれが恥ずかしくて、アイさんの顔を見ることができなかった。
弾き終わった後、アイさんが私に拍手を送った。
「いいですね! すごく綺麗な曲だと思います。すごく、Roseliaらしいです」
そう言いながら、彼もギターを構え、音を紡ぎ始めた。それはさっきの私のフレーズのアレンジだ。今さっき聴いたばかりなのに、もうアレンジまで加えてしまうなんて。もしかしたら、いや、もしかしなくても、アイさんは天才だ。
その天才が生み出すメロディーは、とても甘い。これは前にも感じた衝撃だった。この甘さはなんなのだろう。愛おしさはなんなのだろう。聴いているだけで胸が苦しくなるような、切ない雨音。私の、日菜への想い。
弾き終わったアイさんは、すくっと私をまっすぐに見つめ、少しだけ首をかしげた。
「僕はこういうアレンジもいいんじゃないかなって思います。なんていうか、氷川さんの堅実な音運びもすごく好きなんですが、僕はもっと、遊んだ音も好きなんです」
「遊んだ音、ですか」
「はい。氷川さん、一度即興で音合わせしてみませんか?」
即興で。今まで楽譜にかじりついて練習してきた私には、すごく重みのある言葉だった。
「わ、わたしには難しいです。いきなり即興なんて……、練習したこともありませんし」
アイさんは首を振った。
「違います。僕は、練習無しの、アナタがみてみたいんです」
そう言って、もう一度ギターを弾き始めた。それは先程の私のフレーズのアレンジだった。先ほどのモノとは、別の。
「氷川さん、入って来てください。僕は、アナタの、素の音が聴いてみたい」
私は恐る恐るピックを構え、彼の音楽に耳を澄ませた。
千聖ちゃんが連れてきてくれたスタジオは、今まで私が来たことがないところだった。
「にしても千聖ちゃんも秘密の特訓なんて、るるるん☆なこと考えるよねー。私なんか燃えてきちゃってるよ!」
「そ、そうかしら。それより早く、受付を済ませちゃいましょ。日菜ちゃんも少しは変装したら?」
ちょっと鋭い千聖ちゃんの視線に、軽く首を傾げる。
「別に気付かれてもいいじゃん! それはそれでるんっ☆だよ!」
受付を済ませた私たちは、早速機材のセッティングにとりかかる。昔は全然なかったエフェクターも、新しい曲が発表される度にどんどん増えていった。まあほとんどが麻耶ちゃんチョイスなんだけど、いつも麻耶ちゃんが選んでくれる機材はすごくいい感じ。曲の場面にぴったりな音で、私の感覚が震える。
「それで新曲のBの部分なんだけど……、って、日菜ちゃん聞いてる?」
「え? なんのこと?」
「全く。お姉さんはしっかり者なのに、なんであなたは……」
「お姉ちゃんがどうかしたの?」
「いきなりすごい食いつきね……。いいえ、特に何もないわ。新曲のB面のことなんだけど、ここがいつもずれちゃうからもう少し私の音を聴いてくれない?」
「えー、だって千聖ちゃんのテンポコントロールつまんないんだもん! 私について来てよ!」
「いつもそうやって突っ走って……。わかったわ。じゃあ始めましょ。今はメトつけるわね」
カチカチカチ、千聖ちゃんがメトロノームを回す。その手つきが、その指先の白さがなんとなくお姉ちゃんを思い出しちゃって、私は少し寂しくなった。
練習終わり、千聖ちゃんがトイレにいっている間、私は自販機で買った小さなペットボトルを持ってロビーの隅に置かれた椅子に座っていた。
キャップの部分を持って容器をくるくると回しながら、お姉ちゃんのことを考えた。
最近自主練が増えたお姉ちゃん。話ではどうやら湊さんの風邪が原因らしいけど、最近のお姉ちゃんは少し楽しそうだ。お姉ちゃんの新曲、次のライブで聴けるのが楽しみだなあ。
そんなことを訥々と考えていると、前の席に知らない男の人が座った。大学生くらいだろうか、ボロボロのジャケットを羽織った姿が少し色っぽい。
男の人は胸ポケットから煙草を取り出し、火を点けようとしたところで私に気づいたみたいだった。
「あー……、タバコ、大丈夫っすか」
「え? 大丈夫!」
男の人は軽く会釈すると、ライターでタバコの先に火を点けた。ふーっと、浅く息を吹き出すと、紫煙がすうっと形を作った。
男の人は手ぶらだった。ドラマーなのだろうか。少し気になって、こつこつとテーブルを指で鳴らすとちらっと視線がこっちにむいた。くりっとした、可愛い瞳だ。
「お兄さん、担当楽器何?」
お兄さんは不思議そうに私を一瞥すると、首を横に振った。
「いや、俺はもう楽器は止めたんだ。昔ここのオーナーにお世話になってね。近くに来たからちょっと挨拶しようかなって。お嬢ちゃんは練習?」
「へーそうなんだ! 私はねー、友達と練習! バンドやってるんだよ。でもお兄さん不思議、バンドってすごくるんっ☆なのに、なんでやめちゃったの?」
お兄さんはゆっくりとジャケットの裾をまくった。手術痕が蛇のように白くて細い腕を這っていた。
「昔交通事故で腕をケガしたんだ。日常生活にはなんの支障もないらしいけど、激しい動きはしばらくダメなんだって言われた。俺ドラマーだったからさ、楽器は、バンドはもう諦めるしかないなって、そう思った」
「なんか、るんっ☆てこないね」
「お嬢ちゃんの言うるんっ☆てのはよくわからねえが、まあそうだな。ドラムは俺の光だった。だからそれを失っちまって、俺はなんにも楽しいことを思い浮かべることができなくなっちまったよ」
お兄さんは灰皿にたばこを押し付けると、浅く息を吐いた。
「だから嬢ちゃんは、今皆で音楽やれる楽しみを忘れんなよ。俺の青春は全部灰になっちまったが、嬢ちゃんは青春真っただ中じゃねえか。応援してるぜ」
「お兄さん、名前は?」
なんで名前を聞いたのかはよくわかんない。けど、聞かないとダメな気がしたんだ。この人とは、またいつか会う気がした。
お兄さんは少し悩んみながらも、にこっと笑って、親指を自分に突き立てた。
「
そう言ってお兄さんは、すっかり暗くなった自動ドアの外へ消えていった。
帰り道、千聖ちゃんと別れて、すっかり暗くなった河川敷を歩いていた。あれは確か私が小さかった時、迷子になってお姉ちゃんと二人でこの道を歩いたことがある。
私はお姉ちゃんと夜道を歩くのにワクワクしてたけど、お姉ちゃんは必死に涙をこらえていた。怖かったんだと思う。今はパスパレの皆と一緒にいるおかげで、そんな気持ちがわかるくらいには成長した。
必死に私の手を握るお姉ちゃん。不安で震えているのに、ずっとこう言ってるの。『お姉ちゃんがいるから大丈夫だよ』って。
今でもそれを思い出すと、胸がぎゅっと苦しくなる。お姉ちゃんが愛しくてたまらなくなる。心が弾むような、あの感じともまた違う。この気持ちはなんなんだろう。
鼻歌を歌いながらスキップしていると、どこからかギターの音が聴こえてきた。たたたっと音の鳴るほうへ駆けていくと、なんと、お姉ちゃんがギターを弾いていた。心がぎゅんってなって、私は思わずお姉ちゃんに飛びついた。
「お姉ちゃん!!!」
「わ、日菜!? どうしてこんなところに……」
「スタジオの帰りなの! お姉ちゃんは?」
「実は私もスタジオの帰りなの。今はここでRoseliaの新曲を作っているの。少し、聴いてみてくれないかしら? まだ途中段階なんだけど、感想が欲しくて」
私がお姉ちゃんの作曲の力になれる、そう思うと、胸が震えた。笑顔でこくこく首を縦に何度も振ると、隣の芝生に腰を下ろした。
お姉ちゃんの白くて綺麗な指がピックを構えた。次の瞬間、小型のアンプリファーから愛らしいメロディーが聴こえてきた。その音はとってもあったかくて、とっても優しくて、繊細で、雨音のようだった。
弾き終えたお姉ちゃんに、私は成大な拍手を送る。
「お姉ちゃんすごい! なんか、この曲、るんっ☆だ。すごい、なんか、うん、るんっらららんっ☆って感じ!!」
「言っていることはよくわからないけれど、そうね、ありがとう。でもまだまだなの。これじゃあ頂点にいけない」
「うーん、でも、なんていうか、私はお姉ちゃんらしくて好きなんだけど、こんなのもいいんじゃないかなって思う! ちょっとギター貸して?」
私はギターで、お姉ちゃんへのこの溢れる気持ちを伝えたかった。お姉ちゃんのフレーズをアレンジして、私の気持ちをしっかり込めて、私はギターで歌う。
ピックを弦から離すと、お姉ちゃんはすっと優しい顔になった。
「なんだか、とってもあったかいアレンジね」
あったかい。そう、あったかいんだ。私のお姉ちゃんへの気持ちは、すっごくあったかくて、すっごく尊いんだ。
私はお姉ちゃんににっこり笑ってみせると、もう一度、ピックを構えた。
「わあ、家で練習してたんですか? 今のフレーズ、すごくいいです」
アイさんはそう言って、私が書きなおした譜面をしっかりと読んでいた。
次の日、私はいつものようにスタジオでアイさんと一緒に新曲を模索していた。前日に家で日菜のアドバイスを受け、よりメロディーに温かみを込めてみたのだ。
「はい、妹の助言を受けてもう少し改良してみたんです。アイさんはどうでしょうか」
「いやあ、すごくいいと思います。とってもあったかくて、なんだか優しさを感じます。そうだ、僕も久しぶりに新曲を書いてみたんですよ。少し聴いてみてくれませんか」
アイさんの曲、想像しただけでもわかる、きっとすごい曲だ。アイさんが音で描く世界はすごく温かくて、優しくて、きっとわたしの心をそっと包み込んでくれる。
そう思っていた。しかし、彼が弾き始めた曲を聴いて、私の心にすっと痛みが走った。温かい。とってもあったかくて、優しい音。なのになぜだろう。心が痛い。でもその痛みは胸の奥でじーんと溶けて、喜びに変わっていく。お腹の奥が、あったかくなるみたいな。
「どうでしょうか。って、氷川さん?」
「え、あ、はい。すごく、いい曲だと思います……」
「どうしたんですか? なんだか目が虚ろに……。疲れてきました? 少し休憩にしましょうか」
「い、いえ……。なんだか感動しちゃって。すごくいいですね。モチーフとか、あるんですか?」
そう聞くと、アイさんはふっと優しく微笑んだ。
「実は、氷川さんがモチーフなんです」
「え、私ですか?」
「はい。氷川さんといる時間はすごく楽しくて、幸せで。こうやって曲にしてみました。ちょっと照れ臭かったですけど、なんだか、急に書きたくなっちゃって」
その照れた顔に、私の胸が奥底から飛び跳ねるような感覚をうけた。なんなんだろう、この衝撃は。あったかくて、おっきくて、鋭くて、それでいて優しい。アイさんへの想いが溢れていく。
もしかして、これが恋なのだろうか。わからない。わからないけれど、この感覚は日菜と似ていた。私の大切な妹。彼女と一緒にいる濃密で、ちょっと切ない時間は、私にこの衝撃を植え付ける。いつからだろう、いつから、私の中でアイさんは日菜のようになったのだろうか。少しも、似てなんかいないのに。
「氷川さん、今週の土曜日、暇ですか?」
彼の震える声を聴いて、私は恐る恐る頷く。彼が小さく、私にバレないように深呼吸したのがわかった。
「僕と、一緒に水族館のイルミネーションを観に行きませんか? 僕、クラゲ、好きで……。あ、氷川さんが魚とか観るの好きかわからないし、水族館なんてこどもっぽすぎるかもしれないんですけど! あ、あの、どうでしょうか。ほ、ほら! 水槽を泳ぐ魚を見たら、何かインスピレーションを受けるか、も、しれない、し?」
どんどん小さくなっていく彼の声を聴きながら、その姿を妹と重ねてしまって、思わず少し吹き出してしまった。それを見たアイさんが、胸の前で軽く手を震わせる。
「い、いや! その、え? だめ、ですか?」
「いいですよ? ただ、なんとなく、面白いなって」
「え?」
「アイさんが自分から女の子を誘えるような、かっこいい男の人だとは思っていなかったので」
「ひ、氷川さぁん!」
頬を膨らませてそう騒ぐ彼に、今度はもっと大きな笑い声を聞かせた。
次の日、千聖ちゃんと一緒にデパートへ服を買いに行った帰りに、テナントのファミレスに寄って昼食をとっていた。千聖ちゃんが慣れないドリンクバーに苦戦する姿を笑っていると、ポケットに入れたスマートフォンが震えた。
『今日水族館に行ってきたんだー! 魚綺麗!』
ピースの彩ちゃんと水族館の巨大な水槽。水族館でフラッシュを炊けないからだろう、少し写真が暗くて見えにくかったが、それによってより一層イルミネーションに照らされた魚の美しさが心にしみてくる。
いいなあ、私もお姉ちゃんと一緒に水族館とか行きたいなあ。
スケジュールを確認すると、どうやら今週の土曜日が休みのようだ。お姉ちゃんも空いてるといいけど。もしそうなら誘ってみよう。きっとるんってなるよね!
「すごーい! お姉ちゃんまたギターよくなってるんじゃない?」
夜、お姉ちゃんの部屋。お姉ちゃんのギターを聞いて、私は拍手を送った。心なしかお姉ちゃんも満足気で、それが少し珍しくて思わず笑みが漏れる。いつもはまだまだ完璧じゃないとか言って、素直に喜べないのに。
「日菜のおかげで上達できたわ。ありがとう、日菜」
「私のおかげ? そっかー、私のおかげかー! えへへへ」
お姉ちゃんが私のおかげだといってくれた。私がお姉ちゃんの力になれた。それが嬉しくて、嬉しくて。お腹の奥から幸せが溢れてくる。
じゃあ、この曲は、私とお姉ちゃんの曲だ。お姉ちゃんが今作ってるこの曲は、私とお姉ちゃんの気持ちでできた曲だから。だからこの曲は私たちの特別だ。
「じゃあお姉ちゃん。今週の土曜日、一緒に遊びに行こうよ! 私その日はお仕事もレッスンもないんだ!」
お姉ちゃんは小さく頭を下げると、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんなさい、その日は用事があるの。だから遊びにはいけません」
ちくっと、胸が痛んだ。
「そっかー、じゃあ諦めるよー」
私は、ポケットの中に入れた水族館のチケットを握りしめた。ちょっと寂しいけど、それなら仕方がない。私だって少しは成長したんだ。あの映画の一件を思い出す。そうだよ、ここで騒いだってお姉ちゃんを困らせるだけだもん! そんなの最悪!
でも、チケットもう買っちゃったしなあ。
インターネットで予約したほうが安くなるとはいえ、お姉ちゃんに聞く前にチケット買っちゃうのはあまりにも急ぎ過ぎたなって思う。
次の日、久しぶりのRoseliaの練習だった。いつも通り、私の今までやってきたことを全てぶつけた演奏。この休みを得てメンバーの演奏全てがパワーアップしていて、湊さんもより一層声を響かせていた。
休憩時間、今井さんがチューニングをしている私の隣に座った。
「いやー、沙夜すごい進化したね。なんていうか、音に勢いがあるっていうか、楽しそうっていうか。すごくいい感じ。何かあったの?」
そこで私は、アイさんのことを今井さんに話した。すると、今井さんの目が猫の様に細められた。
「へー、沙夜がねえ。沙夜は、そのアイさんのこと、どう思ってるの?」
「どうって、すごく面白い人だと思います。ギターの実力も確かですし、あの人の自由なギターには魅かれるものがものがあります」
「沙夜がそんなに手放しで人を褒めるのも珍しいよねー。やっぱり、そういうことなの?」
「そういうこと、とはなんですか?」
「や、やっぱなんもない。それじゃあ土曜日のデ……、お出かけ楽しんできなよ☆」
「え、ええ……」
「そうだ! 今日帰りに一緒にデパートで服買おうよ! ううん、プレゼントしてあげる。折角のお出かけなんだし、うんとお洒落しなきゃね!」
「今井さん、何か楽しんでいませんか?」
デパートは程よく混んでいた。人混みに少し息を切らしながら目的の洋服屋さんに着くと、今井さんが慣れた手つきで服を選び始める。私はただぼうっとそれを見ていた。
「これなんか似合うんじゃない? 沙夜いつも落ち着いた服着てるけど、こういうのも似合うと思うんだー。お、ぴったり☆ 超似あってんじゃん!」
「そ、そうですか? 少し派手過ぎる気が……」
「いいじゃんいいじゃん! たまには冒険も必要だって! あ、こんなのもいいなじゃない?」
「そ、それですか?」
「とりあえず試着へGO! だよ?」
「えぇ……」
今井さんが選んでくるものは、すごく女の子っぽいものばかり。どちらかというと地味な服を好んできていた自分とは大違いで、なんだか困惑してしまう。いつもこんな風に洋服を選んでいるのだろうか。お洒落な人はエネルギーがすさまじい。
試着室で今井さんが選んでくれた服を合わせながら、アイさんのことを考えていた。アイさんも土曜日のお出かけに、私みたいにドキドキしたりしているのだろうか。だとしたら少し嬉しいような気がする。いや、気がするだけなのだが。日菜とお出かけするときはいちいちこんなこと考えないのに……。
試着室から出てきた私を、今井さんが拍手で出迎えた。
「おー、いいねえいいねえ! すっごくいいよ。これでデートは完璧だね!」
「で、デート?」
「あー、お出かけ、お出かけね! (どう考えてもデートなんだけどなあ……。うちのメンバー、皆恋愛とか超疎いし、仕方ないか)」
レッスンを終えて一人で線路沿いを歩いていると、公園でタバコを吸っているあのお兄さんを見つけた。なんとなくうれしくなって、とととっと駆けよる。
「お兄さん! また会ったねー」
一瞬びくっと震えたお兄さんだったが、私の顔を見ると、『ああ』と息を吐いてタバコを携帯灰皿に入れた。
「ああ、いつかのお嬢ちゃんか。こんなにところで会うとは奇遇だね」
「私、お兄さんの名前覚えてるよ! 東 相馬でしょ!」
お兄さんは一瞬なんのことかわからない、というような顔をしたが、すぐに約束を思い出したようだった。
「ああー、なんか奢ってやるって言ってたな」
「そう! 今私食べたいものがあるんだー!」
「そうか、なんだい?」
私は元気に答えた。
「ポテト! 駅前にあるから買いに行こうよ!」
お兄さんと一緒に駅前のハンバーガーショップに入る。席で待っていると、お兄さんがポテトのLサイズと照り焼きバーガーをのせたトレイを机の上に置き、同じ席に座った。
「お兄さん、照り焼き好きなの?」
「ああ、弟が好きでね」
「お兄さん、弟がいるんだあ。どんな人?」
「そうだな。なんというか、全体的に小動物っぽい。目がくりっとしてて、髪の毛もわもわで、可愛いよ。最近会ってないけれど、元気にしてんのかな」
お兄さんの目がどこか遠くを見るように細められた。その仕草が寂しそうなのが不思議で、思わず口を開く。
「最近会ってないって何かあったの?」
お兄さんは答えるのを少しためらったようだが、やがてもっと優しい目つきになって、口を開いた。
「俺が大学に進学するとき、少し遠かったから大学の近くに下宿することになったんだ。そのときに、ちょっと喧嘩しちゃってな。それで弟と一緒にやってたバンドも解散しちゃって......。お互いなんとなく気まずくて、まだ会えてない。一度ちゃんと、ごめんなって言いたいんだがな」
だからこんなに、寂しそうだったんだ。
兄弟喧嘩は辛い。一番信頼してる人と疎遠になるなんて、私には耐えられない。お姉ちゃんとずっと一緒にいたいのに、その距離がどんどん遠のいていく。そのつらさを知ってるからこそ、私は、お兄さんに仲直りしてほしかった。
寂しい思いをするのは、昔の私だけで充分だ。
「お兄さん! 絶対今すぐ弟くんに謝るべきだよ! じゃないと、絶対後悔する」
「そうかもしれないけれど、あいつはもう俺の顔なんて見たくないだろし……」
「お兄ちゃんの顔を見たくない弟なんて、この世界に存在しないよ。私は、お姉ちゃん大好きだもん! それに、もう腕、治ってるんでしょ? ドラム叩けるんでしょ? 一緒にまたバンドやりなよ!」
どんなに突き放されたって、どんなに遠くにいたって、私はお姉ちゃんの隣で笑いたい。だから、きっと、弟くんも……。
「これ、あげるから弟くんと行ってきなよ」
私は、お姉ちゃんと行くはずだった水族館のペアチケットを渡した。
「い、いや、でもそんなの」
「弟くんのお兄ちゃんは、お兄ちゃんだけなんだよ!!」
「あ……」
「私は、どんなに遠くたって、どんなにつらくたって、お姉ちゃんの隣で笑っていたい! 兄弟ってそういうものじゃないの? 私は、私はお姉ちゃんが大好きなの!」
夜風が公園の並木を揺らした。
お兄さんは、黙り込んでいた。その表情から気持ちを察することは、今の私にはまだ無理だった。もっと、もっとお姉ちゃんに近づけばわかるんだろうか。私は、お姉ちゃんにはなれない。
「俺も……」
静かな声だった。
「俺も!」
静かで、心をざわつかせる、声。
「俺も弟と、もう一度バンドがしたい!!」
静かな、金曜日の夜の出来事だった。
「わあ、綺麗ですね」
思わずそう言った私に、アイさんはにっこり微笑んだ。
「ね、そうでしょ?」
週末の水族館は家族連れやカップルでいっぱいだった。回遊魚や魚とのふれあいコーナー、ドクターフィッシュのおそうじ体験等、数々の展示の中でも一際目を引くのは、やはりライトアップされたクラゲの水槽だった。
水の中で色とりどりの鮮やかな光が気泡と共に舞い踊り、クラゲの半透明を輝かせる。その神秘はさながら小宇宙のようで、私の世界がもう一つ広がった気がした。
ライトアップの度に赤や青に染まるアイさんの顔を見ながら、私はくすりと笑い、鼻歌を歌った。その鼻歌は、アイさんと一緒に作ってきた、あの曲。
それに気が付いたアイさんが、少し照れ臭そうに鼻歌で合わせてくる。二人の音が絡み合って、輪郭がゆっくりと溶けていく。私たちの壁がなくなっていく。
遊ぶように歌うアイさん、しっかりと、全力を歌う私。私たちは全然違う。違うからこそ、教えてもらえたんだ。
「アイさん」
「はい?」
「私には妹がいます。氷川日菜って、知ってますか?」
「え、あのアイドルバンドの……」
私は頷く。
「私たち、双子の姉妹なんです。でも妹は天才で、私は凡才だった。それがあまりにもまぶしくて、私は、妹とちゃんと向き合ってきませんでした」
でも、今は違う。
「私はどんなに悔しくても、日菜の姉なんです。だから、きちんと日菜と向き合わなければいけない。向き合ったら、わかったんです。日菜は、本当に、大切で愛おしい存在なんだって」
アイさんの方をみると、静かに目をつぶっていた。まるで、何かを躊躇しているみたいだった。しかし、アイさんが瞼を上げた時、そこに迷いはなかった。
「実は僕にも、兄がいます。僕の本名は、
「それで、どうしたんですか?」
「僕は悲しかったけど、仕方ないと、そう思ってました。でも、兄の絶望は僕以上だった。僕は兄に、『バンド楽しかったね』って、そう言いました。慰めるつもりでした。でも、兄の答えは予想外でした」
アイさんは、悲しみをこらえているようだった。無理に言わなくてもいいよって、そう言ってあげたほうがいいのはわかっていた。でも、聞きたかった。初めて、アイさんの核心に触れたような気がしたから。
「『俺はあんなの、少しも楽しくなかった』って、そう言いました。僕は、僕はそれが許せませんでした。今までの僕を全て否定されたような気持ちになったんです」
「それで、バンドが嫌いに……」
アイさんは、こくりと頷いた。
「兄は進学を機に家から出ていきました。喧嘩別れみたいなものです。それ以来、兄とは会っていませんでした。僕は、すごく、すごく寂しかった。今思ったら、ケガして、ドラムを奪われた兄の方が、ツライはずだったんです。僕は、もっと兄の気持ちをわかってあげないと、だめだったんです。兄と向き合わないと!」
胸が、ちくりと痛んだ。かつての私と、アイさんを重ねてしまったのだ。そしてその確執は、私よりもずっと深い。二人の心の溝は、きっと、すごく遠い。
しかし、アイさんは優しく、明るい顔に戻った。
「だけど、昨日、兄さんが家に来てくれたんです。僕に謝ってくれました。僕も謝りました。すごく、嬉しかった。今日本当は当日券を買うつもりだったんですけど、兄さんが前売り券をくれました。氷川さんとの約束のこと何も話してないのに、不思議ですよね。本当に、すごく、いい兄です」
その笑顔を見た途端、ぎゅって、胸が苦しくなった。まただ。でも、全然嫌じゃない。
「アイさんは、お兄さんが大好きなんですね」
「ええ、とても」
クラゲはゆらゆらと揺れて、私の胸をちくりと刺した。
アイさんの提案で、水族館の帰りに公園に寄った。公園のベンチに座ると、木製のフェンスの先に水平線を望むことができる。私がベンチに座って海を眺めていると、アイさんが隣に座った。
「これ、どうぞ」
アイさんの手には紅茶のペットボトルが握られていた。一言礼を言ってそれを受けとると、隣でプルタブを開ける音が聞こえた。その静かな音に一抹の寂しさを覚えて、私は紅茶に口をつけた。少し甘かった。
「昔、この公園に兄と来たことがあります」
ゆっくりと顔を向けた私に、アイさんは柔らかな笑みを見せた。
「その日も水族館の帰りでした。僕がクラゲを好きなのは、実は兄の影響なんです。兄は、ここで僕に一緒にバンドやろうって、そう誘ってくれました」
「アイさんは、お兄さんが本当に大好きなんですね」
「ええ、とても」
「この会話、先程もしましたね」
「僕も今、同じことを言おうと思っていました」
そうやって薄く頬笑むアイさんの頬に、私はそっと手を触れた。アイさんの両目が大きく開かれて、私は口元を緩めた。
「あなたはとても、私に似ています。私も妹が大好きです。けれど、しっかり向き合えなかった」
日菜の顔が何度もフラッシュバックする。笑う顔、怒った顔、泣きそうな顔、甘えた顔。彼女は私の妹なのに、何故私は彼女と素直に向き合えないのだろう。
「今でも大好きと言うと、少し悔しくなるんです。妹は私に甘えているだけなのに、時にそれが、すごく憎く思えるんです」
アイさんは静かに頷くと、優しい顔で口を開いた。
「わかりますよ。兄弟喧嘩ってそんなもんです。でも、それがつらかったりもするんだって、昨日思いました」
「アイさんは、またお兄さんとバンドしたいんですか?」
「できることなら、したいです。でもどうでしょうか、兄はもう、バンドが嫌いかもしれません」
私は、確固たる自信を持って首を横に振った。そんなわけない。もし私がアイさんだったら、絶対に、何があってもお兄さんの隣でギターを弾いていただろう。
「絶対に大丈夫です」
私の真剣な眼差しに、アイさんは少し考える素振りを見せたが、やがてゆっくりと首を縦に振った。
「氷川さんが言うなら、そうかもしれません。しかし、メンバーが......」
メンバー、そうか。いや、メンバーならいるじゃないか。私の大切な仲間たちが。
「私に、いい考えがあります」
潮風が公園の木々を揺らした。
「頂点に、狂い咲け!!」
爆発音のように燃え上がる歓声。揺れるペンライの色を横目に、私は一心不乱にギターを掻き鳴らした。
久しぶりのライブは大盛り上がり、しっかりと自己練に励んだおかげで個人個人の実力が大幅に上昇しており、演奏はより高度なステージへと移行していた。観客席には知り合いの姿も見え、日菜がパスパレのメンバーと共に青色のペンライトを振っていた。
ジャラジャジャッジャッジャーン!!
熱色スターマインを弾き終え、湊さんがマイクを口元に手繰り寄せた。
「次の曲は沙夜が作った新曲よ。今日は特別なゲストが来ているわ」
舞台袖から現れたのは、私がよく知る男の子。
「ギターのユウ! そして、ドラムのアイ!」
アイさん……、いや、ユウさんはギターを持って私の隣に立つと、にこりと笑った。私も彼に笑みを返す。
宇田川さんと変わってドラムの前に座ったのは、ユウさんのお兄さんだ。
あの公園での出来事のあと、ユウさんはアイさんをバンドに誘った。仲直りの印だった。アイさんは笑顔で、半ば泣きながら、それを快諾したという。
ユウさんのカウントで曲が始まる。私たちが互いに思いを重ね合って作った、あの曲だ。私の日菜への想いと、ユウさんのお兄さんへの想いが絡まってできた曲。
音の一つ一つをユウさんと絡ませて、それがお兄さんのドラムの上で遊ぶ。もっと遠くへ、もっと熱く。皆の演奏が徐々にヒートアップしているのがわかった。
隣でギターをかき鳴らすユウさんの顔を見て、私は、自分の想いに気が付いた。いや、本当はずっと前から気が付いていた。だけれど、この感情を伝えるのは今は少しずるい気がする。でも、私は、彼の音楽に心が震わされるんだ。
この曲は日菜との曲で、ユウさんにとってはお兄さんとの曲。でも、私たちの、誰も知らないラブソングでもあるんだ。