相手のことを忘れる薬   作:よしだ

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登場人物は二人だけです。


相手のことを忘れる薬

 

白と静寂。それが、眼前に広がる世界を表した唯一の言語だった。

 

強張った体を無理やり起こすと、関節が鳴る音が聞こえた。それが初めての音だった。

 

どうやら床で寝ていたらしい。欠伸をする動作だけでも至る所から骨の軋む音がした。

 

―――目が覚めましたか?

 

そんなニュアンスの言葉だった。自分を心配して、かけてくれた言葉。

 

自分の体を抱きしめてくれる、愛しい、貴方の言葉だ。

 

 

 

周囲を見渡すと、重厚な金属の扉が目に入る。何者の出入りも禁ずると言わんばかりの扉が。

 

白一色の世界に唯一の鈍色。居る場所を間違えている自覚があるのか、居心地が悪そうに冷たく佇んでいた。

 

連れ去られたのか、自分の意志でここへやってきたのかは定かではない。

 

ただ、愛する貴方の表情から察するに、二人で雁首を揃えてのこのこやってきたとは思えない。

 

―――なんとか二人で脱出しよう。

 

不安げな貴方に、そんな風に大見得を切った覚えがある。

 

そんな根拠のない台詞でも、貴方は微笑んでくれた。その笑顔で、自分の心もどれほど軽くなったのかは、今では推し量ることはできない。

 

ただ、秤や物差しなんかじゃ量りきれない。そう思ったのは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『相手のことを忘れる薬飲んだら出られる部屋』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺風景な白い部屋の一角に、机があった。

 

そこにあったのは、脱出のための鍵だった―――なんて言えば、寝ている間に謎の部屋に連れてこられた不思議体験ツアーで済んだのだ。

 

当たり前の話だが、この部屋に連れてきた人間は、脱出用の鍵を用意してくれるような気の利く人間ではなかった。

 

あったのは鍵と同等の役割を果たす、薬。それと一枚のメモ用紙。

 

シワ一つない無機質な原稿用紙に書かれたゴシック体が、脱出の方法を事細かに教えてくれる。

 

簡単にまとめると、以下のたった三点だけ。これさえ理解すればケガひとつなく安全に脱出できるのだ。

 

 

・この薬を一本飲めば、相手のことをひとつ忘れる

 

・一人で十本飲めば、相手のことを完全に忘れる

 

・二人で合計十本飲めば鍵が開く

 

以上

 

 

至極簡単なルールだ。とりあえず十本飲めばいいだけ。それさえできれば鍵は開く。

 

とても簡単だ――その効能に目をつぶれば。

 

 

薬と向き合っていても、小刻みに震える貴方の姿が目に入る。嘘みたいな眉唾物の薬の効能に怯えているのだろう。

 

だから、貴方を安心させるため、あらゆる言葉と語彙を尽くして可能性を羅列した。

 

結果は、あまり芳しくなかった。

 

自分の声が震えていたのも、理由のひとつに違いない。

 

 

 

 

 

時計がないため具体的な数値を出すことはできないが、だいたい数分後、二人で脱出の手筈を整えることとなった。

 

金属の扉は調べ突くし、薬の裏面を穴が開くほど凝視した。机も一度ならず四度ほどひっくり返し、踏み残しのある床はないほど歩きまわった。

 

壁も這いずり回った。天井も二人で協力して触りつくし、今では手垢塗れだ。

 

そのあと、貴方が告げた言葉に、申し訳ない気持ちになったのを覚えている。

 

―――やっぱり、薬を飲むしかない。

 

結論はすでに導き出されていたらしい。

 

知らなかったのだ。貴方が、自分が眠りこけている間、汗を流して一通り調べてくれていたなんて。

 

床に転がされていたなんて理由で寂しい思いをした自分に、恥ずかしくなったのを覚えている。

 

 

そんな中、いつもの癖でポケットを触った。

 

何の気なしに探ると、スマートフォンを見つけた。

 

僥倖だった。こんなものは、てっきり取り上げられているものだとばかり思っていた。

 

 

 

電源は落ちているが、確実に自分のものだ。貴方とお揃いで買ったストラップがその証左だ。

 

電源を入れると、ロック画面に輝く貴方の笑顔が眩しい。

 

バッテリーは半分ほど。ないよりはマシだった。

 

電波はもちろん圏外だった。もとより助けを呼べるとは思っていなかったが、直面すると悔しさが募る。

 

アプリで遊んで時間をつぶす余裕はないが、ずっと画面を眺めていられる余裕もなさそうだった。

 

 

パスコードを入れ、ロックを解除すると、アプリケーションのほとんどは消えていた。消されていた、ともいえる。

 

ご丁寧に時計関連のアプリも消されていて、時間の把握はできない。

 

残っているアプリは、アルバムとメモ機能だけだった。

 

メモ機能はこれまでの経緯を記すために使おう。さらにアルバムが無事なのは大きい。二人の思い出には、手を付けられていないようだ。

 

 

この状況で手段がひとつでも増えるのは好ましい。さっそく共有するべきだ。

 

そんな吉報を届ける自分と対照的に、貴方が潤んだ瞳でこちらを見ていたのが印象的だった。

 

ポケットの中には、お菓子の包み紙だけが寂しげに眠っていたという報告を受け、思わず口元が綻んだ。

 

貴方が好きなお菓子。貴方に影響されて、自分も好きになったのを覚えている。

 

ここを出られたらきちんと捨てようと、預かっておくことにした。

 

 

 

 

 

 

薬を飲む。

 

その意向を先に示したのは貴方だったのを覚えている。

 

試しに一本飲んでみて、どのくらいの影響が出るかを知りたいと告げる貴方は、とても勇敢で凛々しく思えた。

 

愛しあう関係になってから初めて知ったが、貴方は繊細で臆病な反面、豪快で思い切りが良いところがある。

 

否。思い切りが良すぎるのだ。

 

貴方の危うさを懸念し、さっそく代替案をひねり出そうと視線を泳がせた途端、貴方は薬に口をつけた。

 

 

喉を鳴らす。

 

液状の薬が嚥下される。

 

記憶が―――消える。

 

 

覚悟を滲ませた瞳で、一気に飲み干した貴方を見て、思わず息を飲んだ。

 

真っ白な部屋の静寂がより深まる。時間や空気の一切合切、すべてが停止したような気分になった。

 

 

安易に忘れられてなるものか。

 

空になった薬を元に戻す貴方に、スマートフォンを片手に思い出を捲し立てた。

 

ひとつを忘れるとは、概念的なものなのか、期間的なものなのか、それとも気持ちなのか。どれが欠けても足りない。貴方であって、貴方ではなくなる。

 

積み上げてきた思い出と記憶が崩れてゆく。脳裏で崩れる音が聞こえてきた。

 

 

そんな、慌ただしく声を荒げた自分に、貴方はけろりとした表情で答えた。

 

―――好き。

 

 

悔しいことに、たった二文字で、心に安らぎが生まれた。

 

 

 

 

だが、何を忘れたのかはわからない。

 

怖い。

 

一時の安らぎは、一抹の不安でいとも簡単に塗りつぶされてしまう。

 

 

 

正直なところ、忘れたい記憶も、ないこともない。苦い経験も少なからずある。

 

ただ、そんな思い出を含めて大切な記憶なのだ。

 

尊い思い出が穢されてゆく。自分でも震えているのがわかる。

 

 

 

そんな自分の肩に手が置かれた―――もう一本、という声とともに。

 

 

思い切りの良すぎる貴方の行動に、待ったをかけた。

 

不安にさせないように行動しているのはわかる。心配りが愛おしいが、今回限りは流されるわけにはいかない。

 

せめて、お互いに約束をしよう、と、そんな言葉を伝えた覚えが、記憶の片隅にうっすらと残っている。

 

 

 

 

この無秩序な空間に、新しいルールができた。

 

内容は以下の三点だ。皮肉にも薬のメモと同じ数だった。

 

 

・飲む薬は、互いに五本ずつ

 

・一本飲むたびにアルバムを見て、忘れたことが何かを確認する

 

・お互いの名前を呼んでから薬を飲む

 

以上

 

 

これさえ守れば、きっと覚えていられるはずだ。

 

 

それを実際に試してみたが、心配は杞憂に終わった。

 

貴方が忘れていたのは、つい最近のことだった。一緒に旅行をした時のこと。その思い出の一部始終。

 

それだけ。

 

スマートフォンのアルバムを見せれば、いつの記憶が失われたかがすぐに検討がついた。

 

自分がその思い出を語ると、腑に落ちないという表情をしていたが、これまでの思い出、二人の関係から察しはついたようだった。

 

まだ、貴方の心の中に自分の面影が色濃く残っている。

 

たかが一本の薬を飲んだ程度で消えるほど、やわな関係ではなかったらしい。なんて考えると頬が緩んだ。

 

 

 

 

忘れたことも、それが何かわかればお互いに補填ができるはずだ。

 

忘れたのが思い出なら、相手が覚えていればそれでいい。

 

忘れたのが記録やプロフィールなら、見返して理解すればいい。

 

忘れたのが気持ちなら―――

 

気持ちなら……

 

 

 

振り払うように頭を振り、薬をひったくり、口をつける。

 

愛しい貴方の名前を呼びながら。

 

 

忘れるなら、この不安感だけにしてほしい。この部屋にいる記憶だけが消えれば、何も問題はないのだから。

 

喉を通っていく液体は、毒よりも遥かに苦くて不味い、不安と呪いの味がした。

 

 

 

 

 

詳細は不明だが、時間が経った。

 

スマートフォンのバッテリーは、最初と比べて半分ほどになった。減った薬の本数も同じく、半分の五本。

 

お互いに、少なからず何かを忘れている。アルバムに知らない写真があることに、少なからず恐れを覚えるようになった。

 

忘れる薬を飲んでいるのだから当然とも言えるが、大切なことを忘れてはいないだろうか。

 

貴方を思う気持ちより、少しずつ恐怖心が体を蝕んでいくような感覚があった。

 

次は自分の番。すがるように貴方の顔を見て、アルバムを一瞥してから、一気に胃の中へと流し込む。

 

その瞬間、貴方の口から小さな音が発せられた。

 

 

―――しまった、忘れていた。

 

飲む前には相手の名前を呼ぶ。そう言い出したのは、他でもない自分自身だ。

 

飲み切った直後、慌てて貴方の名前を呼ぶ。

 

不安にさせてしまっただろう。驚いた表情の貴方へ、その名前を―――

 

 

 

 

呼ぼうとした。

 

 

 

 

声が出なかった。

 

 

 

 

―――貴方の名前を忘れた。

 

そう告げたときの貴方の表情は、今まで見た中の―――覚えている中で最も―――苦痛に歪んだ顔をしていた。

 

おそらく、自分も同じような顔をしていただろう。

 

 

貴方とのお揃いが、こんなにも不幸せだったことがあっただろうか。

 

それも今では曖昧になってきた。

 

 

これ以上失いたくない。そう思うと手が震えて、まともに文章が入力できない。

 

スマートフォンが手から滑り落ち、何かが割れたような音が静寂を破った。

 

慌てて拾い上げると、ストラップにヒビが入っていた。

 

いつ、どこで買ったかはわからないが、きっと大切なものだったストラップ。

 

何が悲しいのかもわからないが、その喪失感で心が抉られるような気分になった。

 

 

 

 

 

 

 

薬の残りは二本になった。

 

時を同じくして、スマートフォンのロックを解除できないことを察した。

 

きっと、貴方にまつわるパスコードだったのだろう。設定でロック自体をなくそうにも、そのパスコードが記憶から零れ落ちてしまった。

 

貴方に聞けば教えてくれるだろうか。少し無遠慮な気がして、口には出せなかった。

 

―――ふと、その思いに疑問を覚える。そんなに他人行儀な関係だっただろうか。

 

貴方の素っ気ない表情を目にして、手に嫌な汗が滲んだ。

 

 

ともかく、スマートフォンに再度ロックがかかれば最後。一縷の希望ともいえる、アルバムを見ることはできない。

 

それに加えて、現在記しているメモ帳に、詳細を記すこともできなくなる。

 

断片的にだが、ここに来た経緯と起こった内容さえまとめていれば、何もかも忘れてしまうことはないだろう。

 

 

だが、それも終わる。ここまで自分が書き連ねてきた記録も、もうすぐ終わりを迎える。

 

バッテリーの消耗を防ぐため、事あるごとに画面を点灯させてメモ帳に書き込んでいたが、一度画面を消せばロック画面に戻ってしまう。

 

そして、そのパスコードはわからない。

 

すなわち、ここから先は起動しっぱなしで薬を飲まなければならない。画面を暗転させればもう二度と思い出に触れることすら叶わなくなる。

 

事実上の時間制限が設けられた今、鼓動が早鐘を打つように脈動しているのがわかった。

 

たった二本。それを飲むまでに、バッテリーが切れてしまうだろうか。

 

 

アルバムを見るたびに不明な箇所が増えていく。それはつまり、忘れてしまったということ。

 

最初は思い出を共有する時間も短く済んだが、今では写真ひとつひとつを細かく確認し、話し合わなければならない。

 

挙句の果てには、二人とも知らない写真が出てくる始末だ。

 

覚えていないことを否が応でも自覚させられる。貴方を苦しめるために生まれたようなルールが、貴方の心を蝕んでゆく。

 

苦痛に歪む貴方の顔を見る回数が増えた。

 

それと同時に、どうしてこれほどまでに苦しまなければならないのかも、わからなくなってきた。

 

アルバムに残った電子データ。その中に映る二人の姿、表情、距離感は、どれをとっても今の自分たちには似ても似つかなかった。

 

 

 

 

 

 

もうバッテリーは残りわずかだ。残った薬も一本。

 

たった一本を飲み終えて、アルバムで確認作業を行っただけで、こんなにもバッテリーが減った。

 

すべての写真を見返していたのだから、それもおかしな話ではない。

 

自分の記憶は定かではないのが理解できる。文章として残っている情報も、自分からすれば伝聞にしか過ぎず、やはり実際に経験したものとは違う。違いすぎた。

 

貴方とも、数えきれないほどの思い出の齟齬が出始めている。貴方を思う気持ちは必ず残っているが、それに付随してくるはずの経験と、蓄積されたはずの思い出が欠けている。

 

漠然としすぎている。誰かの言葉で愛を聞いたところで、果たしてそれが真実なのかどうかは語り手にしかわからない。そして、その語り手の存在は朧気だ。

 

自分の中に、愛を語っている騙り手がいたとしても、その真相は闇の中だ。

 

 

 

陰鬱な気分で最後の一本に手を伸ばす。

 

名前も呼ぶ。先ほど聞いたばかりで、また忘れて、再度聞いた貴方の名を口にする。口馴染みのない名前だった。

 

果たして最後に飲んだのは、薬なのか、自分の涙だったのか。

 

 

液体が喉を通るのと、音がするのはほぼ同時だった。

 

 

 

 

鍵が開いた音がした。

 

バッテリーはもうない。

 

 

なに を忘れてたか

 

ではない

 

わすれてはいけないこと

 

 

 

貴方を愛している

 

貴方を愛している

 

貴方を愛している

 

貴方を愛している

 

貴方を愛している

 

 

だから

 

 

あなたのことをわすれないで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お揃いに、半分ずつ欠けてしまった自分たちの心は、どうやら元通りにはならないようだ。

 

大切な相手だったと思う気持ちは残っていても、それを証明する記憶がない。だから、築いてきた関係は薄っぺらなものに相違ない。

 

 

ただし、気持ちも記憶も関係も、ゼロになったわけではない。また始めればいい。

 

同じことを思ったのか、貴方は微笑んでいた。

 

その表情に愛情こそ感じないが、見ていると安心できる。

 

 

金属の扉が開き、光が差し込んでいる。辛気臭いこの部屋から、ようやく解放される。

 

それを見た貴方が、隣で崩れ落ちたのを覚えている。

 

心配し、ぎこちないながらも、貴方に差し伸べようとした手を開く。

 

と、何かが零れ落ちた。

 

何の変哲もない包み紙。おそらくお菓子か何かが梱包されていたものだろう。今は何も入っていないが、しわくちゃになった紙の隙間から何かが見えた。

 

 

膝をつき、それを拾って開けてみる。

 

物言わぬ一片の紙の中には、見覚えのある名前が見えた。そのロゴは知っている。よく食べていたお菓子だ。

 

自分の記憶にないということは、貴方が持っていたものなのだろうか。

 

そんなことを考えていると、貴方は何かを思い出したように、包み紙を拾い上げてポケットにしまった。

 

得体の知れない部屋だからと言って、ゴミを放っておくのは忍びないのだろう。少しだけ興味が湧く。

 

 

ふと、貴方がこちらを見た。

 

一連の行動を見ていたのがばれた。貴方と目が合う。

 

気まずい沈黙が流れた。

 

何か話さなくては。

 

 

「好きなんです。もしかして、貴方も?」

 

 

貴方から先に話しかけてきた。意外だった。

 

話し方は、以前からそんなに丁寧で他人行儀なものだったかは定かではないが、確かにそう訊ねられた。

 

それに対する答えは、自分でも驚くほどに、はっきりと声に出せた。

 

 

 

「好きです。今も変わりなく」

 

 

それは、他でもない誰の、誰のための言葉だったのか、今の自分にはわからなかった。

 

 

 




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