全集中の呼吸で「最強」を目指すのは間違っているだろうか   作:V.IIIIIV³

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早めですが第二話です。今回最後にちょっとだけ三人称視点になりますのでお気をつけて。


全集中の兆し

『……刃、刃…………』

 

 ……どこか遠くから、微かに声が聞こえる。一体誰の声だろうか……。

 

『刃、起きろって、そろそろ授業始まるぞ』

 

 ……え??お前、なんで……死んだはずじゃあ……。

 

『何寝ぼけてんだよ。さっさと行くぞ。お前はともかく俺は遅れたら即サボり扱いなんだからよ』

 

 そう言って友人は屋上の床を歩き出した。

 

(んなバカな……やっぱり夢だったってのか……?)

 

 と思っていたら、いきなり友人の下の床が喪失し、支えをなくした友人が落下する。さっきと同じように咄嗟に手を出そうとするが、なぜか体を動かすことができない。

 

『うわああああ!!』

 

 待て!待て!!待てえええええ!!!!

 

「ああああああ!!!」

 

 ようやく体が動き出し、友人の手を掴もうとするが、そこは既に学校の屋上ではなかった。

 

 見慣れない濃い霧の立ち込める雑木林、見覚えも買った覚えもない和服、自分が知るものとは異なる小さな体。

 

 これが意味することは、現実は覆らなかったということの証明。つまりは。

 

「やっぱ夢じゃなかったってことか……」

 

 いや、くよくよしていても仕方がない。まずは状況確認だ。

 

「体が小さくなってるってことは特典はちゃんと反映されてるってことだろうな。てことは全集中の呼吸が使える体になってるってことだけど……体自体に変化はないんだな」

 

 とりあえず周りを見回してみると、俺の隣に小さな小屋があった。至近距離ゆえに霧のせいで見えにくいということはない。小屋の周りを一周して形や大きさなどをキチンと把握する。すると、あることに気付いた。

 

「……これまんま鱗滝さん家じゃん」

 

 流石に鱗滝さんはいないだろうが、一応「こんにちは〜」と言ってから中に入る。まあ当然中には人っ子一人おらず、二部屋あったうちの一つは大量の食料が保管されていて、その近くに台所が配置されていた。もう一部屋は居間のようなところで、部屋の中心に囲炉裏があり、その手前に細長い木の箱が置かれていた。

 

「これってもしかして……」

 

 木の箱の蓋を外すと、その中には三つ折りに畳まれた紙と、一振りの刀があった。

 

 その中から手紙の方を取り出す。手紙は見たことのない字体、恐らくこの世界の文字なのだろうが、もらった特典のおかげで突っかかることなく読み進めることができる。

 

『拝啓 天道刃様

 

 この手紙を読んでいるということは、無事に異世界に行くことができたということでしょう。既に確認したかもしれませんが、貴方の特典はしっかりと送り届けられています。食料の方は神の加護が効いているため、生物も長持ちしますのでご安心ください。

 

貴方に言われた通りに、鍛錬用の罠なども含めて鬼滅の刃の狭霧山に限りなく近付けた仕上がりになっていますが、どうでしょうか?私からしても全集中の呼吸を使いこなすために最高の環境だと思います。……すみません。興が乗り過ぎてしまいました。

 

 この手紙と一緒に、全ての呼吸の力を最大限まで引き出せる最高品質の日輪刀も入っています。竹刀とは違って真剣はかなり扱い辛く、日本刀はかなり技術の要求されるものですが、貴方ならば必ず使いこなせることを信じています。

 

 貴方の新たな生涯に、栄光のあらんことをお祈りしています』

 

「……本当に親切な女神様だなぁ」

 

 この優しさを踏みにじらないよう、さっそく練習を始めるとしよう。いや、こっちなら修行と言った方が雰囲気に合っているだろう。

 

「あ、そうだ。俺の日輪刀は何色になるんだろう」

 

 日輪刀は、使い手によって刀身の色が変わる。別名色変わりの刀と言われる所以だ。

 

 本来なら自分に最も合った呼吸の種類によって刀の色も変わるのだが、俺は全ての呼吸に適正がある。そうなると刀の色はどうなるのだろうか。

 

 そう思って手紙を脇に置いて、両手で刀をそっと持ち上げる。やはり鉄でできているだけあって、五歳の力では持ち上げるのがきつい。そして右手で柄を、左手で鞘を持って、右手と左手を同時に逆方向に引いて白銀の刀身を露わにさせる。

 

(さて、何色になるか……)

 

 重い刀をなんとか持ち上げて数秒間待ってみるが、色が変わることはない。まさか何かの不具合でもあったのかと冷や汗が吹き出そうになるが、ん?と何か違和感を感じ、記憶の中から原作知識を掘り起こす。

 

「そうだ、ある程度の剣術ができなきゃ色は変わんないんだっけ」

 

 前世で鍛え抜いて体に染み込ませた剣道の技も、今となっては完全にリセットされて知識だけが頭にある状態。剣術ができてないと見なされてもしょうがない。

 

 若干拍子抜け感はあるが、また鍛えなおしてから握り直せばいいだけだ。

 

「さて、そろそろ修行始めるか」

 

 刀を再度鞘に戻して女神様の手紙と一緒に箱に戻して箱を閉じる。目覚めた時に履いていた初期装備の草履?っぽいのを履きなおし、小屋の外に出る。まずは山下りのために一度山の頂上まで行かなくては。

 

 そう考え、山の入り口から頂上目指して進むこと数時間……。

 

「ハアッ、ハアッ、ハアッ、や、やべえっ。ハアッ、これっ、思った5倍くらいっ、キツイッ!」

 

 まず様々な面で見通しが甘過ぎたことを実感する。元から山暮らしをしていた炭治郎ですら薄くてキツイという狭霧山の空気を舐めていた。中盤あたりから走ることもままならなくなり、頂上まで来た今では疲れ込みで止まっていても辛い。

 

 さらに、五歳という年齢を見くびっていた。つい昨日まで楽勝で走り抜けることが出来た距離でさえ簡単に息切れを起こしてしまう。歩幅も小さくなっているし、吸える酸素の量も圧倒的に違ってくる。恐らく前世での体ならばもう少し対応できていただろう。

 

 普通に登っただけでこの有様では流石に罠のあるルートを下るなんてできっこない。

 

(とりあえず体が適応できてくるまでは罠のないルートから下山して基礎体力を作るんだ)

 

 それでも今のままの動きで問題なく山下りができるようになるまで十年はかかるだろう。だから、少ない酸素で、最小限の動きで最大限の力を引き出せるようにならなければならない。

 

 何もかもが前世とは違う、全てを一から学びなおさなければならない。

 

 そう、だからこその五歳。

 

 人間は、五~十二歳の間に一番身体能力、運動能力の向上が早く、物事の修得速度が一番早い。一般的にゴールデンエイジと呼ばれる時期だ。ゴールデンエイジが始まったばかりの俺ならば、恐らく普通に山下りが出来るようになるまで二年、そこから刀の色が変わるまで一年、全集中の呼吸を習得するまでにそこからさらに二年、合計五年といったところだろう。特典の食料を使い切ってしまう前に習得できるのがベストだ。

 

 もしも俺が十八歳の体のままここに来ていたら、全集中の呼吸を覚えるだけで十、二十年はかかっていただろう。

 

 肩で息をするような動作も体を動かしすぎだ。最小限の呼吸で必要な分の空気を吸収し、同じような動作で体から空気を吐き捨てる。全てを最小限に抑えていると、肩の揺れも落ち着きを取り戻し、普段通りにまで呼吸も静まってきた。

 

「っしゃあ、行くか!」

 

 もう一度気合を入れ直し、登ってきた獣道に向かってもう一度走り出す。

 

 ここでの動きも最小限だ。無駄な動きを省け。

 

 腕を振って歩くのではなく、寧ろ自由にして体の捻りを限りなくゼロに近づけろ。足だけの力だけで走って、それも下りの重力を最大限に活かして走るんだ。

 

 ブレーキを一切かけずかかり続ける力に逆らうのではなくそのまま力に変え、さらに足で地面を蹴る力が加算される。すると、速さがどんどん増していくのと同時に、俺の中の運動エネルギーがどんどん増幅していくのを感じる。このままの勢いで直進を続ければ、登った時の数十分の一の速さで下り終われるだろう。だが、それだけで終わることがないのが狭霧山だ。

 

 そう考えていると、噂をすればなんとやらというものか、霧の中から突然一本の木が現れた。

 

「ッ!!」

 

 突然のことだったが持ち前の状況判断力でギリギリのところで躱す。だがそれによってたった今までできていた最小限の呼吸が乱れてしまった。そうすると、途端に息が苦しくなり始め、重力の変換もおぼつかなくなってきた。

 

(まずい、早く呼吸を整えろ!!)

 

 だが、一度荒くなった呼吸を走りながら瞬時に戻すのは至難の技だ。目を閉じて集中して、呼吸を整えていく。考えてみれば、これが全集中の呼吸への第一歩なのかもしれない。

 

(よし、整った!)

 

 そう思ったのも束の間。呼吸の落ち着きを取り戻した事を確認して目を開けると、またもやいきなり目の前に木がそびえ立っていた。今度の木は先程の木よりも太く、目を開けた瞬間の木との距離からして、今の俺では回避は不可能。長々と説明したがとどのつまり……。

 

 静かな山の中に、途轍もない衝撃により揺れる木の葉が擦れ合う音と、それをかき消す少年の断末魔が響き渡った。

 

「く、くっそぉ……。まだまだ修行が足りねぇ……」

 

 同じようなことを五十回以上繰り返し、全身打撲切り傷でボロボロになりつつもなんとか一度目の下山に成功した。

 

「つ、次は、基礎トレだ……」

 

 軋む体に鞭を打って、最小限の呼吸を取り戻す。とはいえ山から一気に突っ走ってきた後に息止め訓練は流石に地獄すぎるし効果も薄そうなので、先に柔軟から始めることにする。俺は前世から元々体が柔らかい方だったので、これはさほど問題ないだろう。

 

 柔軟を十分ほどで切り上げ、息止め訓練に移行する。小屋の脇にある井戸から桶に水を汲む。そしてその中に顔をつけ、苦しくなったタイミングで顔を上げる。

 

(だいたい2分くらいか……前世は五歳でこんなに息は続かなかったと思うが、さっきの呼吸法を会得したおかげか)

 

 山下りに比べたら今の二つは大分簡単な修行に思えるかもしれないが、これも山下りと同等に重要な鍛錬だ。

 

 ここまでやって、小屋の中に入る。食料庫から簡単に食べられるものを取り出し、たらふく食べた後に居間に入り、備え付けの布団を敷いて、ついでに物置の中に入っていた簡単な着物に着替える。そして念のため日輪刀を持ち、色が変わるかを確認する。予想通り色は変わらない。もう一度箱に日輪刀を戻し、就寝。

 

(明日から毎日この繰り返しだ。目標は五年以内に全集中の呼吸の会得だ)

 

 こうして、俺の異世界修行生活が始まった。

 

 俺は毎日欠かすことなくこの修行を続けた。雨の日も、風の日も、雪の降る日も。どれだけ辛いと思っても、己に鞭を打って、やめることはなかった。

 

 

 

 そうして、一年が過ぎた。

 

(……1秒後に左、ついで右、もう一度右。さらに左)

 

 この頃には、一度も木に激突せずに山を下れるようになっていた。

 

(コツが掴めてきた。俺が向かって行っていると思うからダメだったんだ。俺が立ち止まっていて木から向かってきているんだと仮定すれば、迫ってくる方向はなんとなくつかむことができる)

 

 この頃から刀の素振りと、ヒノカミ神楽の舞の練習も始めた。今の鍛錬方法は炭治郎が狭霧山でやっていたのを丸パクリしているため、習得できるのは水の呼吸だろう。だから今のうちからヒノカミ神楽の舞方も覚えておいて、水の呼吸が通用しない敵に対応できるようにしておかなければ。

 

 だがそれでも日輪刀の色は変わらなかった。

 

 

 

 二年が経った。

 

 最初の頃は下りきる事すら困難だった罠ありのルートも大分攻略がスムーズになってきた。罠なしのルートで覚えた気配察知が役に立っているようだ。

 

 だが刀を持つと、また初期どころかそれ以上に罠にかかりまくる。炭治郎が邪魔で邪魔でと言っていた気持ちを痛いほど知ることができた。

 

 また、この頃になると力もつき、前世の剣術の感もほぼ取り戻すことができた。最近では小屋近くの木を切って木炭にして、火を使った料理も作れる様になった。前世でなまじ料理をしていた成果だ。前世の俺に感謝。

 

 だがそれでも日輪刀の色は変わらなかった。

 

 

 

 三年が経った。

 

 この頃から滝行も始めた。

 

 子どもの体の発達速度は異常なものだと最近しみじみと感じている。今ではもう刀を持っていても罠にかかることはほとんどないし、気配察知の制度も日に日に向上していっている。動作の修得速度においては七~八歳の習得率が一番高いとデータが出ていたが、それでもここまで発達速度が速いとは思わなかった。この調子なら、割と早めに全集中の呼吸は修得できそうだな。

 炭治郎が切ってた岩でも探して、岩を斬る修行もしてみるかな。

 

 だがそれでも日輪刀の色は変わらなかった。

 

 

 

 そして……五年が経った。

 

 今日で俺は十歳になる。十歳といえば、前世では二分の一成人式だのをしていた頃だが、今世の俺は今日も今日とて修行を続ける。

 

(……右から短刀……左から槌……糸が張られてる、ジャンプ)

 

 今はちょうど山下りを始めたところだ。始めたばかりなのでスピードもあまり乗っておらず、罠にも十分な余裕を持って対応出来る。

 

 そして中腹辺り、この辺りになると、重力と足での加速によって通過した時周りに弱めの風が吹く程度にまでなる。

 

 俺のスピードが上がるということは、相対的に罠が迫るスピードも上がるということだ。だがそれでも足をゆるめることはなくそれどころかグングン加速していく。

 

(右右左下上左斜め左下上下右斜め右上下右上左右……)

 

 そうして一度も罠にかかることなく、山を降りきった。

 

「よし、山下り()()()()終わりっと」

 

 そこから滝で滝行をした後、手早く柔軟と千本素振りを済ませ、桶に水を組んで息止め訓練に入る。

 

「……ぷはぁっ、大体二十分くらいか」

 

 最初は二分くらいしか出来なかったものだが、ここでの生活を送っている内にかなり肺活量も増えた。もちろん十歳で息止めのギネス記録に近付いているのもかなり頭おかしいのだが、全集中の呼吸が使えるように作り替えられた体と、狭霧山の環境がこれを可能にしている。

 

 恐らく、この時点で俺の実力は、前世の俺を既に超えているだろう。

 

 息止め訓練に使った水を無駄にしないように飲み干し、小屋の中に入る。食料庫に入ると、たった一セットだけ食材がポツンと残っている。

 

「……これで貰った食料も最後か」

 

 今日からは食料を調達しなければならない。かといって狭霧山には食料になりそうな動物は住んでいないから、人里まで行って買ってこなければならない。だが如何せん金がない。どうしたものか……。

 

「炭治郎よろしく、炭でも売ってくるか」

 

 そう考えて、刀を腰に巻いたまま小屋を出る。

 

 最近は、寝る時や風呂に入る時など以外は大体刀を持って行動している。実際冒険に出た時とかは刀常備して行動するわけだし、刀の重量に普段から慣れておく必要があるからな。

 

「さて、木切るとするか」

 

 鞘から日輪刀を引き抜き、木を切り刻んでいく。その刀身が描く軌跡の色は……白銀。

 

 俺は五年以内に全集中の呼吸習得どころか、日輪刀の色を変えることすら出来なかった。

 

「……このくらいでいいか。残った炭で焼いて持っていこう」

 

 炭を使うようになってから早三年。慣れた手つきで木炭に火を起こし、量が多いので何度かに分けて切った木を蒸し焼きにしていく。

 

「よし、行くか」

 

 背中に炭を入れた籠を背負って、人里に向けて長い雑木林を進んでいく。

 

(転生してから五年、ずっと狭霧山に一人で暮らして人里なんか行ったことなかったからな……いきなり現れて「炭買ってください」なんて言っても信用されるだろうか)

 

 若干の不安が過ぎるが、そう思っていても歩いていればいずれ人里には着いてしまうわけで。

 

 そうこう考えているうちに雑木林の終わりが来て、村が見えてきた。

 

 そこは本当にRPGのようなのどかな村で、かといって昔の日本のように子供たちは労働はやらされずにキャッキャと遊び回り、そこら中にある畑や田んぼで若い男性たちが農作業をしている。

 

 そののどかさをなんとなーくボーッとして眺めていると、農作業をしていた男性の一人が俺に気付いて声をかけてきた。

 

「おーい坊主!見ねえ顔だな!どっから来た!」

 

「こんにちは!天道刃って言います!向こうの狭霧山から来たんですが、食料を買うために炭を売りに来ました!」

 

 俺の発言に男性が驚いた表情をして、手に持っていた桑を置いて俺のところに走ってきた。

 

(え、なんだなんだ何だ?俺なんか癪に障ること言った?)

 

「……坊主、おめえいくつだ」

 

「え、じゅ、十歳です」

 

「親は」

 

「えっと、いません。一人暮らしです」

 

 そう言うと少し間を置いてから、男性の目からぶわっと涙が溢れ出てきた。

 

 ここまできたら流石に分かる。この男性は、俺のことを心配してくれているんだ。

 

「おめえ……辛い人生送ってきたんだな……親に捨てられたかなんだかでひとりぼっちで山暮らしなんて……」

 

 ……少し認識に語弊があるが、まあその方が説明が楽だしいいだろう。ごめんね父さん母さん。

 

「おーいみんなー!!集まってくれー!!」

 

 男性が村に向かって叫ぶと、遊んでいた子供たちや民家の中から出てきた主婦、農作業をしていた男性たちまでみんながみんな、総勢四十人くらいが集まってきた。要件も言わなかったのにたった一声で村の絆ってすごい。

 

「紹介するよ!こいつぁ刃ってんだ!親に捨てられて十で狭霧山に一人暮らししてて、食いもん買いに炭を売りに来たんだとよ!みんな買ってってやってくれねえか!!」

 

 男性が大きな声で言うと、村民がザワザワと騒ぎ出す。その中でも主婦の方々が前に出てきて、俺に詰め寄ってきた。

 

「そんな辛い生活してきたのかい?」

「苦しかったでしょう?」

「炭十本買ったげるわ!」

「こっちは二十本!」

「ひもじい思いしなかった?これ食べて!」

「お腹すいたらいつでも来なさいよ!」

 

 主婦の皆さまに囲まれ、背中にかかる炭の重量がどんどん軽くなっていくと同時に手のひらに小銭や食べ物がどんどん積み重ねられていく。

 

「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」

 

 主婦の皆さんに何度も繰り返しお辞儀をしていると、頭の上にがっしりとした手のひらが置かれた。その手のひらの主の方を見ると、先ほどの男性が俺に向けてニカッと笑いかけている。

 

「金がなくなったり腹がへったら、いつでも村へこい!なんなら村へ住んじまうべ!」

 

「あ、あ……」

 

 五年ぶりに感じた人の温もりに、呂律が回らなくなる。涙がこぼれそうになる。

 

「み、皆さん、ありがとうござ「お、おい!!あれなんだ!!?」」

 

 後ろの方にいた男性が狭霧山とは逆方向の山を指さして大声を出している。声に釣られてその方向を向けば、山の麓辺りから何か黒……いや、焦げ茶色の物体がこちらへゆっくりと向かってくる。その圧倒的な重圧感にその場にいた全ての人間が膠着していた。その中で一人、最初にその物体に気付いた男性の叫びによって、膠着は解け、混乱と騒動が巻き起こった。

 

「く、熊だっ、ヒグマだあああああぁ!!!!」

 

 その叫びとともに、村民の全てがヒグマが来る方向とは逆方向、狭霧山の方へと逃げていった。

 だが、俺はその中でもただ一人立ち止まったままだった。

 

「何やってんだ坊主!早くお前もこっちにこい!!」

 

 ダメなんだよ、おじさん。みんなが逃げた時点でアイツはもう、俺たちを捕食対象として見てる。狭霧山の環境なら、どう考えたってアイツの独壇場だ。

 

 この危機を乗り切るためには、ここでアイツを殺す以外に方法はない。

 

「アアアアアアア!!!!!」

 

 腰から日輪刀を引き抜き、雄叫びを上げながらヒグマに向かって全力で突進する。

 

 五年前にアイツを助けて転生したのに、日輪刀の色すら変えることが出来なくて、苦しかった。誰からも、自分の刀すらも認めてくれない感じがして、悲しかった。

 

 でもここの人達は、そんな俺に安らぎをくれた。この人たちにとっての当たり前の行動が、俺に潤いを取り戻した。だから。

 

「この村は絶対に、壊させない!!」

 

 村へと続く一本道をのそのそと歩いてくるヒグマの前足に、横薙ぎの一閃を放ち、ヒグマが進んできた方の雑木林に立って場所を入れ替える。

 

 完全に断ち切れはしなかったが、それでもかなり深い傷を負わせることが出来た。これによってヒグマの注意は完全にこっちに向いたようで、村の方から意識をそらすことが出来た。

 

「絶対にお前を村には行かせない!!」

 

 ヒグマは俺に対して荒い呼吸を向けている。完全に怒っている証拠だ。ヒグマは立ち上がって、ゆうに3メートルを超える巨体を見せつける。俺を威圧しているのだろう。

 

「だからなんだって言うんだ!!」

 

 助走を付けて飛び上がり一撃をあびせようとするも、巨大な前足が襲いかかってきて、それを受け流さなければならなくなり攻撃は届かなかった。恐らく踏ん張りが聞かない空中で真正面から防御していれば、二、三発でノックアウトだろう。

 

 ならば次は足をと足を切ろうとするが、そうすると今度は死角からの攻撃が飛んでくる。

 

(攻撃を重ねる隙がない!!それにいくら前世よりも鍛えたからと言っても、十歳の腕力では足一本でさえ一発で骨ごと切り落とすことが出来ない!)

 

 前足での攻撃を防ぐのに防戦一方になっていると、立っている巨体を支えていたはずの後ろ足から蹴りの攻撃がきた。辛うじて刀の腹を盾にして防御するが、それでもかなりの距離を吹っ飛ばされ、衝撃もこれまで受け流していたものの比ではない。体がカチコチに固待ったような感じになり、全く動くことが出来ない。

 

「ガ、アァ……」

 

(この程度の攻撃に負けんな!動け!動け!!動け!!!)

 

 だが体は言うことを聞かず、ヒグマは動けない俺を食おうと近付いてくる。

 

(こんな、ところで、終わっていいわけ……)

 

「ねえだろぉがよおおおぉ!!!」

 

 何とか呼吸の落ち着きを取り戻し、ヒグマに向かって刀を構える。そして、俺に向かって来ていたヒグマが、急に足を止めて、蹲り出した。

 

「坊主!!無茶してんじゃねえ!!さっさと向こうに行け!!!」

 

 そう言っておじさんが、さっきまで農作業に使っていた桑で何度も繰り返しヒグマに刺している。

 

(……ありがとう、おじさん)

 

 でもその願いは聞けない。ここで絶対に、コイツを倒す。

 

「……スゥゥゥ」

 

(成功するかは分からない。だけど村を、みんなを救うには、やるしかない!!)

 

 その時、蹲っていたヒグマが暴れだし、雄叫びを上げておじさんの方を向いた。注意の対象が移ったという事だろう。

 

「そんな威嚇効かねえんだよ!!!坊主は死んでも守ってやる!!!」

 

 刃は体を脱力させ、最小限の動きで音もなく走り出した。

 

 後ろを向いていたヒグマは走り出す刃の姿に気付くことなく、ただ目の前の敵だけに集中している。

 

(今まで呼吸の練習も型の稽古も一度も欠かしたことは無かったが、ただ一度も発動したことは無い)

 

 そして刃はヒグマの5メートルほど手前で飛び上がった。

 

(でも、何故だろう)

 

 だが生物の危険察知能力は侮れないもので、ヒグマは男に向けていた前足を後方にいた刃に向けて薙いだ。

 

 だがしかし、平静を取り戻した刃はそれすらも察知して、ヒグマの前足を逆に足場として利用する。

 

(今は失敗する気がしない)

 

 刀を握った右手と何も持たない左手を顔の前で交差させ、刃は最小限の呼吸をやめて大きく息を吸った。

 

 前世よりも遥かに向上した肺活量は常人が一度に吸収する酸素量を数十倍を上回っていた。

 

 五年間鍛え抜いた刃といえどわずか十歳の体でこれほどの酸素を一度に吸収すれば確実に体に異変をきたすのであろうが、刃の戦闘的センス、直感は最適解を弾き出し、全ての酸素を力に変えた。

 

 その時、刃の体は全てが目の前の敵を打ち破るという一つの目的に突き動かされていた。

 

 それ即ち、全集中。

 

 瞬間、刃の日輪刀の刀身全体が、深い青色の輝きを眩く放ち始める。

 

(全集中──)

 

【水の呼吸 壱ノ型 水面斬り】

 

 転生する前からずっと焦がれ続け、修練し、初めて放った鬼殺の一閃は、吸い込まれるように首を通り抜け、一匹の獣の(かしら)を地に落とした。


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