絶対に諦めないと決めたヒーローが、運命を覆してヒロインを助け出す王道。
ファイアーエムブレム風花雪月に対する僕の答えです。
間に合わなかった──そんな言葉が一同の脳裏を過ぎる。
彼らは間違いなく速かった。
事態の発覚から、意思を統一、戦力の集合、編成から出撃まで。
およそこの時代にはありえない速度で動いていたのだ。
それでも、遅かった。
変わり果てた彼女の姿がその事実を示していた。
《さあ行けエーデルガルト! 獣共を駆逐し、薄汚れた大地を焼き滅ぼせ! 神の威光に冒されたこの世界に、我らアガルタの呪詛を刻み込むのだ!》
響くタレスの声は得意気であり、宿敵を踏み躙ることができる喜びに溢れている。
自身の『傑作』がもたらす未来を信じて疑わない高揚に満ちていた。
その声を受けて、彼女は動く。
「……URRRR」
真っ直ぐにこちらを向く瞳は黒く、深い闇を思わせた。
「GRRRYYYUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」
エーデルガルトの口から咆哮が迸る。
人間の叫びではない。意味のある言葉では無論ない。これを人の声だと認められる者が果たしているだろうか。
この生物とは会話することはできない、そう思わせるだけの濁りを乗せた音。
それはまさしく魔獣。人ではなくなってしまった存在だと認識させるには充分な、そんな痛ましい絶叫だった。
「こんなのって……」
「いけません! みな、構えなさい!」
「っ、来るぞ!」
言葉を失うヒルダを見て全員が身を固めてしまうと危惧したレアが叫び、一早く戦意を取り戻したクロードが喝を入れる。
広場の反対側、遠方で魔獣の体を動かすエーデルガルト。離れていても殺意を感じさせる魔力がその手に集まって光球を作る。
魔法ではない。純粋な魔力の塊はそれ自体が脅威。
その光球をおもむろに振り被ると、
「GUUOO!!」
「避けろ!」
こちらに向かってぶん投げた。反射的にディミトリが叫ぶ。
原始的な投法。だからこそ魔獣の膂力がそのまま乗る。高速で迫るその軌道は直線的で、躱すのは難しくなかった。動揺が消えないままでも咄嗟に体が動いて回避が間に合う。
一行の誰にも当たらなかった光球は通り過ぎ、背後にあった都市の建物を一撃で崩した。
轟音を立てて倒壊する建物を見やったレアはその破壊力に戦慄する。あれほどの威力を出すならリシテア並の魔力で発動する大魔法でようやく釣り合うくらいか。それをほとんど溜めのない光球一つで為してしまうとは。
永く生きた彼女の記憶にもこれほどの力を持つ魔獣は存在しない。先ほど倒せたタイタニスすらこれと比べたら大人しいものに思える。もし地上に現れればたった一体でフォドラを脅かすだろう。
タレスが自慢げに出してきただけあって、アガルタがその技術の粋を集めて生み出した存在であると分かった。
そして、軽く放ったものが躱されてしまったのを見たエーデルガルトが追撃を仕掛けてくるのは当然のこと。
「VRRR……」
背にある歪な翼が広がる。幾つもの尖った端が次々と光を帯びて、同じような光球を形作る。
その数、十以上。
長い手が光球を掴みに行くとそのまま振り被った形になり、
「RRRYYOOOOO!!」
「やば……みんな逃げろぉ!!」
両手で代わる代わる光球を掴んでは投げてくるのを見たカスパルが叫んだ。
一つだけで建物を崩す攻撃が連続で放たれた。
同じ威力。変わらない直線的な軌道。一度見たなら対応は難しくないはず。
しかし同じであっても数が増えれば話は変わる。それも一発一発が英雄の遺産の戦技に匹敵する威力という、この世界では最上位に相当する攻撃が立て続けに飛んでくるのだ。難しいどころの話ではなかった。
倒れたタイタニスを盾にしようにも、そのタイタニスの残骸ごと吹き飛ばしてくる威力は隠れてやり過ごすことも、況してや耐えることもできようはずがない。
手数を優先して狙いをつけていないのも厄介だ。地を砕き、建物を崩し、洞窟の天井にまで届いた光球は岩壁すら破壊する。攻撃そのものよりも弾けて飛ぶ瓦礫の方が多く降ってくる有り様に、広場は爆心地と成り果てた。
その凄まじい攻勢は向こうの思惑すら超えていたものだったらしい。
《なっ……と、止まれエーデルガルト! そのような指示は出しておらぬ! 狙うのはそこにいる獣なのだぞ!》
切羽詰まったタレスの声が響いた。シャンバラどころかこの地下洞窟を丸ごと崩落させかねないほどの攻撃は想定外だったようで、焦りが隠せていない。
向こうで何らかの操作をしたのか、エーデルガルトの魔獣の体表面に紫電が走り、その身を縛る力が働く。だがそれでは不足らしく、多少動きを鈍らせはしても彼女の攻撃は止まらなかった。
「VVVRYYY、GAAAAA!!!」
歯ぎしりしながらエーデルガルトは止まらない。投げつけられる光球は減らない。
一方的な爆撃はいつまでも避けられるものではない。消耗していた仲間達は動揺もあって精神的にも苦しい状況だった。
そこでベレトが前へと飛び出す。次々に向かってくる光球の群れを見据えて天帝の剣を伸ばす。
「──破天!」
紋章のオーラを纏った蛇腹剣が振り回された。ベレトの意志を乗せた無数の刃が光球を捉えると膨大なエネルギーが弾けた。
一つ、二つ、三つ、蛇腹剣が振るわれる度に爆音が轟き、閃光が視界を埋める。都度生まれる衝撃の圧力に竦みそうになる体を誰もが必死に抑えた。
いったい幾つの光球を斬り払ったか。十以上の相殺を成し遂げたところ、不意に嵐が止んだ。
変調を見逃さずベレトは鋭く声を発する。
「みんな怯むな! ディミトリ、ヒルダ、前へ! リシテア、クロード、攻撃用意! カスパルとドゥドゥーは後ろの警戒──っ?」
指示を出しながら目を逸らさなかったベレトはエーデルガルトの様子に気付いた。
と言っても、特別に思えるものが見えたわけではない。次の攻撃を察したのかというとそれも違う。
しいて言えば……目が合った。
弾いた光球の余波で生まれた土埃で隠れた視界、その微かな隙間を通して視線が絡むのを感じたのだ。
ほんの二、三秒程度の、見つめ合うとも言い難い僅かな時間。たったそれだけのことなのに……ベレトの心は妙に騒いだ。
そう、心が訴えてくるのだ。
気付け──必要な合図を見逃すなと言わんばかりに、内なる声が心に響く。
まるであの子と初めて会った夜のように、背を押す力となって。
《おのれ……こうなれば、直接屠ってしまえエーデルガルト! 神も、獣も、まとめて叩き潰してしまうのだ!》
違和感に動きを止めたベレトを置いて、状況はさらに動く。
タレスの声を聞いたエーデルガルトはその長い腕で何かを取り出した。離れた距離でも明るい光を帯びて目立つ武器を構えてみせる。
隣に並ぶタイタニスに比べれば小柄でも、先ほど見せた脅威に加えて明るい光を纏う得物が異様さを底上げして彼女の魔獣としての存在感をより大きく見せてきた。
見覚えのある斧だった。呼吸する顎を思わせる禍々しい意匠と、煌々と纏う紋章のオーラによる見た目は英雄の遺産に近い。
「あれは、あの時の……?」
遠目で見たディミトリが呟いた通り、アリアンロッドの会談で闇に蠢く者が投げ込み、咄嗟に動いたエーデルガルトが掴んで止めた斧である。
ベレトが以前ヒューベルトから聞いたあの斧はアイムールという武器。まだ組織と通じていた頃からエーデルガルトのために造られた装備だ。エーデルガルトが手にした時にのみ真価を発揮するという、文字通り彼女専用の兵装。
英雄の遺産を作り上げた組織が新しく作った、エーデルガルトのためだけの新しい英雄の遺産とも言える強大な力を秘めた斧だ。何を素材にして作ったかは不明だが、エーデルガルトにしか使いこなせないものらしい。
アガルタの本拠地であるシャンバラでこれが出てくるのは当然のこと。
それを今のエーデルガルトが装備するのは当たり前の流れ。
すなわち、魔獣と英雄の遺産による倍加した脅威と戦わなければいけないのだ。
《さあ、行けエーデルガルト! 神の威光を我らの呪詛で塗り潰し、獣共を皆──》
「VGRYYYAAA!!」
タレスが言い切る前にエーデルガルトは動き出した。耳障りな咆哮そのものが勢いとなったように手に持ったアイムールが振り切られる。
すぐ隣に立つタイタニスへ。
「……どうして?」
呆然と溢したイグナーツの一言が全員の総意だった。
視線の先には、縦に断ち割られたゴーレムの姿。下から振り切られたアイムールの一撃によって真っ二つにされて崩れようとする巨躯。
斧とは反対の手にまた光球を作ったエーデルガルトはそれを丁寧に二度繰り出し、二つにした残骸を粉々に砕いてしまう。
《な……何をして──》
「GGGYYOOOOO!!」
再びタレスの声を待たず。
上がった手のアイムールを今度は逆へ。隣に立つもう一体のタイタニスへ向けて振り下ろし、またしても一撃で真っ二つに。さらに殴りつけるように光球を叩き込んで完全に破壊してしまう。
ベレト達が苦労して倒した巨大ゴーレム、それを二体もあっさりと倒してしまったのだ。
「制御できていない?」
レアが呟いた通り、暴走としか言えない有り様だった。
エーデルガルトという人間を素体にした魔獣は、確かにタイタニスのような機械仕掛けのゴーレムと違って操るのに苦労するのかもしれない。
それでもこの状況で、それもあんなにも自信満々で出してきた虎の子にも見えたのに、ここまで制御を外れた動きをされてしまうと相対するこちらまでも混乱する。
《ぐっ……已むを得ん!》
戸惑っても戦闘は止まらない。
暴走を止めないエーデルガルトがさらに動いて二体のタイタニスを叩き壊す横で、残った四体がタレスの声に反応して行進を始めた。大股で動くゴーレムがベレト達に一気に迫ってくる。
「乱戦に持ち込むつもりか?」
「編成を分ける!」
クロードが敵の狙いを口にすると同時にベレトが叫んだ。
「ディミトリ、レア、カスパル! 俺といっしょにエーデルガルトに当たるぞ! 他のみんなはデカブツの相手を! クロード、振り分けを頼む!」
「なっ、お前、どうするつもりだ! まさか、エーデルガルトを……」
「殺すの、先生?」
咄嗟に口を突いて出そうになった言葉を止めるディミトリ。だが横からリンハルトがはっきりとした声訊ねる。
「おいリンハルト!」
「先延ばしにできる問題じゃないでしょ。今すぐ決めなきゃ」
カスパルに肩を掴まれてもリンハルトの態度は揺らがない。
「そりゃあ僕だって助けられるものなら陛下を助けたいよ。そのためにここに来たんだから。でもあの姿を見て、できると思う? 助けられたとして、その後は? 魔獣にされた彼女を飼い殺しにでもするの? 誰が、どこで、どうやって? 尊厳も何もありはしないよ……そんな残酷な未来にするくらいなら、ここで引導を渡すという選択もあると思う」
誤魔化しは許さない。どうするかこの場で決めろ。酷いとしか言いようがない現状へ向き合わせるリンハルトの言葉が一同の耳に刺さった。
エーデルガルトを殺す。それはあの魔獣と化した彼女がこの場に現れた時から全員の頭に浮かんでいた選択肢だ。
あのように変わり果てた姿になったエーデルガルトを本当に助けられるのか。助けたところで、彼女のその後がどうなるというのか。
特に五年前の課題で、人間のマイクランが英雄の遺産を使い続けたことで魔獣に変じてしまった場面を目の当たりにした
かと言って放置もするわけにはいかない。今し方見せられたあの脅威はフォドラにとって恐るべき厄災となる。今の暴走する姿でもそうだし、放っておけばアガルタによってさらに改造されて今度こそ地上を滅ぼす尖兵に成り果てるかもしれない。
今ここで対処するしかない。今すぐに彼女を討つ……殺すしかない。
そうとしか考えられない場面なのに、ベレトの声は力強いままだった。
「確かめたいことがある」
「確かめる?」
「そのために時間が欲しい。みんな!」
振り返る彼の目に曇りはない。
「俺はエーデルガルトを助けたい! あの子のために、時間を稼いでくれ!」
どう考えても絶望的な状況で、尚も希望を失わない声が響く。
絶対助けると、最初に掲げた目的をベレトは捨てていない。この期に及んで諦めていない。
現実が見えていないのか。普通ならそう叱責されて当然。
リンハルトが言った通り、誰だって助けに来た相手を殺したくなんかない。だが手を下す必要があるなら決断しなければいけないと覚悟できるのがここに来た者達だ。先日まで戦争していた間柄で、級友と殺し合う立場だったのだから。
時として非情な判断を下さなければならないこともある。それくらいベレトも理解しているはずだ。傭兵として生き、戦争にも参加した彼が分からないはずがない。
それでも──そのベレトが言うのであれば。
「まったく、いつも無茶を言いますね先生は!」
「平民の信頼に応えるのも貴族の務め、時間くらい稼いでみせようではないか!」
「さくっと済ませてねせんせー!」
生徒を誰も死なせないまま戦争を終わらせるという、ありえなかった未来へ導いてみせたベレトがまだ諦めていないのなら。
リシテアの返事を皮切りに、ローレンツとヒルダが返した言葉が彼らの意思。
無茶苦茶に思える指示でもベレトが言うなら必ず意味がある。彼の教えを受けた者は誰もがそれを知っているから。
ベレトは本気で今もエーデルガルトを助けようとしている、そのために必要な作業があるのだと全員が理解した。
「前に出る! 行くぞ!」
「おう!」
「はい!」
「よっしゃあ!」
タイタニスの近くでは戦えないと、こちらから走り出してゴーレム達の間を走り抜ける。後ろのことは残した仲間に任せてエーデルガルトへと疾走する。
ディミトリとレアとカスパルも、ベレトに続いて駆けた。
視線の先で四体目のタイタニスを砕いたエーデルガルトがこちらを向く。
瞬間、ベレトは無言で指示を出す。走りながら後ろに流す手、天帝の剣を持っていない左手の形をグーからパーへ。
「GG……GIIAAA!!」
唸って飛び出したエーデルガルトはタイタニスとは比べ物にならない速度で接近する。ゴーレムには及ばなくても人間より遥かに大きい身で瞬く間に踏み込んでくる迫力はどんな魔獣よりも恐ろしいもの。
その勢いで大上段から振り下ろすアイムールの一撃は常人では速すぎて避けられないだろう。
しかしベレトがその慧眼でエーデルガルトの攻撃のタイミングを読むことで余裕を持って出した指示により、四人それぞれが別方向に散って回避に成功した。
作戦会議で決めていたことの一つ。
ベレトが部隊を離れることがあれば、伴うメンバーには戦闘中でも声に出さずして指示を伝える簡易的な合図を設定しておく。
移動中、ベレトの剣を持たない方の手の形に意味を持たせた。
グーは追従。パーは散開。チョキは後退。
五年前の対抗戦みたいに、直前の短いミーティングでも生徒に覚えさせられたハンドサイン。
同じ単純な合図でも成長した彼らにはそれで充分だった。
床石を大きく砕く一撃を跳んで避けたベレトはエーデルガルトの腕を駆け上がり、彼女の頭部に蹴りを繰り出す。
するとエーデルガルトは首を軽く一振り。装飾ではない本物の角でベレトの蹴りを軽く弾いてしまう。
「GAU!!」
「んっ!」
顔近くのベレトへ向けて爪を立てた手を振るうエーデルガルトに、蹴りを弾かれたベレトは勢いを殺さず体を回して片手で魔獣の肩を押して小さくジャンプ。迫る爪を空中で身を捻って際どく回避した。
「エーデルガルト、こっちを見ろ!」
横合いからディミトリがアラドヴァルを構えて突進する。声を理解したのか、魔獣の形相で振り向くエーデルガルトは横殴りにアイムールを叩きつけた。
「RRR、OOOO!!」
「ぐっ……く、あぁ!」
斧と槍の真っ向勝負。重量差を思えば避けるべき衝突だろう。
それでもブレーダットの紋章を持つ者の特性として人の身に余る怪力を誇るディミトリは、他の誰にもできない正面からのぶつかり合いこそが己の本領だと心得る。
だがここでディミトリは生まれて初めて力負けというものを経験した。
全力で振るった槍ごとすくい上げるように、横から縦に向きを変化させた斧が彼の体を持ち上げて高く宙に浮かせてきたのだ。
間髪入れずエーデルガルトの逆の手の爪が振るわれて、空中で身動きが取れないところを狙われる。
(マズい──)
「ディミトリ、足!」
せめて防御をと考えた瞬間、差し込まれたベレトの声に反応する。
爪より僅かに速く伸ばされた天帝の剣の蛇腹がディミトリの足元を通る。その刀身を軽く踏むことで空中で小さなジャンプを挟むことで、危ういところでエーデルガルトの爪を避けられた。
「狙いはそれでいい! また側面から!」
「っ、了解だ!」
着地して、助かったと言うより先に指示が飛んできて、今は礼を伝えるより戦いに集中せねばと体を動かす。
エーデルガルトの翼を足場にして器用に動き回るベレトを見上げて、彼とは別方面から注意を引こうとディミトリは走り出した。
そのディミトリとは反対の方からカスパルが迫る。
「うぉりゃあああ!!」
走る勢いを上乗せした豪拳がエーデルガルトの足に叩き込まれる。カスパルの全力の攻撃は多少足を横へずらすだけに終わった。
ダメージは大したことなくても煩わしさは感じたらしく、エーデルガルトの魔獣の目が足元にいるカスパルに向けられる。
「VRR……」
「あ、やべ」
「GOOOO!!」
振り上げたアイムールが脳天目がけて落ちる。如何に防御に優れるカスパルでもただでは済まないであろう一撃。
そこへ彼の後ろへ走り寄っていたレアが背に添えた手を境に、基本戦技の入れ替えで二人の立ち位置を変える。あまりにも自然な入れ替わりに違和感はなく、代わったレアが振り下ろされるアイムールを受ける。
「ひょぅ──」
呼気に合わせて鋭く回転させた体。斧の側面に当てる肩、肘、手刀が作る円が歪な刃を捌いてその一撃の力をそっくりそのまま真下へと流す。砕かれて弾ける床石も置き去りにして、回転を止めないレアは姿勢低く独楽のようにエーデルガルトの足元へ鋭く移動。
勢いのまま魔獣の足へ掌を優しく当てると、床に足形の跡を刻む踏み込みと同時に全身を連動させる。
「──っかあ!!」
裂帛の気合いが全ての力を一点に集約させた掌打の威力を底上げする。
踏み込みの反発と身体の捻れを合わせた力を炸裂させた掌打は、遥か東にある武術の発剄という技に似ていた。体の各所で生まれる運動エネルギーを体捌きによって束ねて、気を乗せて繰り出す達人の妙技の一つ。
その威力は単純な殴打とは比較にならない衝撃となってエーデルガルトの片脚を大きく弾いた。
ガクンと巨躯がバランスを崩したタイミングを、体の上にいて感じ取ったベレトは見逃さない。
「そこ!」
翼を蹴って下向きに跳んだ彼は天帝の剣を伸ばしてエーデルガルトの首に巻きつかせる。接地の瞬間に溜めた魔力でファイアーを発動して鋭角の方向転換で後ろから迫る。
狙うのはまだ立っているもう片方の脚。
股の下を潜ると同時に猛加速で繰り出した廻し蹴りが踵の部分を強かに払い、エーデルガルトの重心を完全に崩す。
首に巻きついた蛇腹剣によって後ろへと引っ張られた巨体が倒されて、まるで演劇でされる演出みたいに派手にひっくり返らせた。
「すっげえ!」
「なんと……!」
カスパルとディミトリは思わず感嘆する。
エーデルガルトが相手とは言え、敵として戦っている魔獣がコロリとひっくり返る様は傍目からは冗談のようにも見える。
その実、この短時間の戦闘だけでも二人は感服する思いだった。相手の強大な力を巧みに捌き、的確に味方を補佐し、狙い過たず強打を届かせる。ベレトもレアも、歴戦の強者と呼ぶに相応しい戦いぶりだ。
しかし本題は戦うことではない。
天帝の剣を引いて飛び上がったベレトは倒れたエーデルガルトの上に乗る。仰向けになった彼女の上で身を屈めて顔を突き合わせる。
ひび割れた頬に手を添えて、黒く濁った瞳を覗き込んで、鼻が触れそうな間近から呼びかける。
「聞こえるかエーデルガルト!」
「……ッ!」
至近距離で目が合った。
瞳が揺れて、間違いなく目でベレトを認識している。声も聞こえている。
震える口からは先ほどまでの唸り声はなく、喉を引きつらせたような音が漏れるだけ。
それで充分。ベレトの中で確信が深まる。
「ッ、NNGUUAAA!!」
「おっと」
見た目からは想像もつかないアクロバティックな身の捻りでエーデルガルトは起き上がる。振り落とされる前に自ら跳んで下がったベレトは仲間と並ぶ。
「どうだ、確認はできたか?」
「後一手欲しい。もう一度付き合ってくれ!」
「分かった!」
ディミトリの問いにベレトが答えた瞬間、四人は再び散開する。困難でもやるべきであればやるだけと即座に割り切って。
自分の力ではダメージを与えるのは難しいと感じたカスパルは狙いを変える。
足を止める強打ではなく動きを止めない手数で相手の意識を散らす。エーデルガルトの爪の一撃を躱しながら足元に走り込み、殴り抜けという戦技で彼女の脚を攻撃してすぐに通り過ぎる。
即座に反転してもう一度。相手が振り向く前に再び足元へ飛び込んで殴り抜け、敵の視界や意識に自分の存在をちらつかせながら、付かず離れず距離を保ち続ける。
「どしたどしたぁ! 俺は止まらねえぞエーデルガルト!」
「VGGRRRYY!!」
このようなダメージを与えられなくても鬱陶しいと思わせて自分に目を引き付けさせる立ち回りはカスパルの十八番だった。
元々彼の防御力は単純な打たれ強さによるものだけではない。自軍の殿を務める際にも戦場では走り回って自分に注意を向けさせたり、それらを回避しながら派手な動きで敵の攻撃を一手に引き受けてきたのだ。
【
敵の攻撃を自分が引き受ければ、その分仲間が他のことに専念できるのだから。
真下で動き回るカスパルに目が向いたことで頭上の意識が疎かになる。その隙を狙い空高く飛び上がったベレトが急降下で迫った。
それでも魔獣の感覚なのか、直前で気付いたエーデルガルトがベレトを迎え撃つ。振り上げた爪が落下する彼に向けられる。
空中で身を捻らせたベレトは軽鎧に爪を掠らせて躱すと、その長い腕に全力で抱きついた。重力加速が存分に乗った勢いのままエーデルガルトの腕がガクンと下へ落ちる。
堪えようとする彼女だがベレトは手を緩めない。
「──サンダー!」
「GGRRY!?」
相手に当てるのではなく真上にかざした自身の足の裏へ魔法の雷を落とし、受けた衝撃で抱えた腕ごと強引に下へと動かした。堪え切れないエーデルガルトは腕をベレト諸共床に落として膝を着く。
再びバランスを崩した巨躯をまたタイミングを合わせて反対から狙う。
走り込むディミトリの背後からレアが魔力を練って構えた。
「レア様、援護を頼みます!」
「はい──アロー!」
無色の魔弾がいくつも放たれる。顔ではなく肩口に当たるそれはエーデルガルトにダメージを与えるものではなかったが、弾ける光が一瞬だけ彼女の目を眩ませた。
その隙にディミトリが身を低くして踏み込む。
狭まった視界に危険を感じたエーデルガルトは、足元へ接近するディミトリがいる辺りへ向けてアイムールを振るった。片腕でも軽々と振るわれる斧が真横から迫る。
しかし狙いもつけず無造作に繰り出された攻撃は分かりやすい。そんな中途半端な一撃を食らうほどディミトリの体捌きは拙くない。
「ぬるいぞエーデルガルト!」
軽い跳躍で回避して、槍と共に回転させる体。軽やかに舞う彼はすでに次の攻撃へ動きを繋げている。
「せぇい!!」
「GUUOO!?」
回転の勢いを乗せたアラドヴァルの穂先が魔獣の脚を強かに叩く。脛に当たるところを打ち払われたエーデルガルトはまたしても重心を崩されて、今度はうつ伏せに倒された。
ベレトとレア。二人の強者に触発されたカスパルもディミトリも自然と高いレベルに自身を順応させていく。格が違う戦闘にも恐れず身を投じ、魔獣という圧倒的に差がある存在との実戦が彼らを成長させていた。
訪れた次のチャンスをベレトは逃さない。
抱えていた腕を放すと再び顔を寄せてもう一度、同じように呼びかける。
「エーデルガルト、俺を見ろ!」
「……ッ!?」
こちらを向いたエーデルガルトの顔を間近で見つめる。
困惑、焦燥、そんな表情。
黒く染まった瞳が揺れるのを見て、やはりそうだと確信がさらに深まる。
ぎちっと歯を食いしばったエーデルガルトは床に着いた手に光を生んだ。
「ッ、UUUUGAAA!!」
球状に整える前の無形の魔力が直接床に叩き込まれる。生み出された爆風が本人を含めたその場の全員を圧した。
手の光を見た瞬間から身を翻していたベレトは爆風に乗って高く飛んだ。空いた距離が縮まる前に天帝の剣を伸ばして刀身に意思を伝える。
「──破山!」
城門前でのような巨大剣にする前、円柱の段階であえて変形を止める。剣ではなく棒のまま、体を起こしたエーデルガルトを殴り飛ばすように振り切った。
ベレトより遥かに大きな体がボールみたいに飛ばされて、広場の対岸にある壁に激突した。
瞬間、空中でベレトは空いた手をチョキの形にして示す。
後退する──指示を受け取った三人は即座に走り出し、着地したベレトを連れて仲間達のところへ移動した。
四体のタイタニスとの戦いは厳しいもので、戦況を維持するだけでも精一杯だったらしい。まだ一体も倒せていないところ、中央を抉じ開けるように切り込んで合流を果たす。
すぐにカスパルがそこに加わり、ドゥドゥーとヒルダが辛うじて支えていた前衛の厚みを増やした。
幸いなことにこちら側の被害も小さく、誰一人倒されていなかった。無理に撃破を狙うより状況を維持するための守りを優先した指揮を執ったからだ。
「よう、首尾はどうだ?」
その指揮を執っていたクロードがベレト達三人を迎える。いつもの軽い調子の声からはまだ余裕がうかがえた。
「エーデルガルトのことが分かった」
「何だ、倒す手がかりとかじゃないんだろ?」
「あの子はちゃんと自我がある」
「自我?」
「肉体が魔獣になっても中身は変わってない。人間としての意識がある」
単純な攻略法を探っていたわけではないと考えていたクロードもベレトの報告には目を瞠った。
エーデルガルトは体を魔獣にされても心は人間のままなのだという。
呼びかけへの反応やここまでの戦いぶりを見てそう判断したとベレトは語った。
満を持して登場させたタレスの声に従う様子もなく、シャンバラどころか洞窟にまで破壊の光球を飛ばし、味方のタイタニスすら叩き壊して暴れる姿は明らかに手綱を握れていない。レアが口にしたように、制御を外れている。
理性を失くしているのかというとそれも違う。先ほどの戦いの中で、エーデルガルトの手加減をベレトは感じ取った。三人もそうだが、特に密着距離で立ち回っていたベレトはもっと傷を負ってもおかしくなかった。わざとこちらを傷つけ過ぎない戦い方をしていたのだ。
そして呼びかけに反応したエーデルガルトの表情は、目の前にいるのがベレトであり、戦いながら声をかけるというこちらの行動が理解できない困惑と、何故きちんと戦ってくれないのかという焦燥がありありと浮かんでいた。
これらの事実から推察するに。
「エーデルガルトは魔獣になったふりをしている」
もう取り返しのつかない存在になったのだと知らしめるように。
討たれるべき化け物を演じるように。
滅びを
その身を魔獣へと変えられながら尚も人の心を保ち続けるのはどれほど苦痛だろうか。そして、それをも抑える強き精神力が如何にしてあのような振る舞いを決意させたのか。
「先生が判断したならそうなんだろうけどよ……じゃあどうするんだ?」
「考えはある」
幸か不幸か、前例がある。
以前、マリアンヌが持つ紋章を巡って討伐に出た森で出会った彷徨えし獣。あれは千年前に人から魔獣へと変じた英雄モーリスその人だった。
彼が魔獣になった経緯は不明だが、マリアンヌとも会話ができる程度の理性を千年も保ち続けていたのだ。
すなわち、その者の精神力が強ければ魔獣になっても自我を保てるということ。
しかし討伐を果たすと魔獣の体は溶けるように消えていき、後には英雄の遺産のブルトガングという剣が残るのみ。千年もの永い時が内側にあったモーリスの肉体を消し去ってしまっていた。
もう一つ。五年前のマイクラン。
紋章を持たない彼が破裂の槍を持ち続けることでその身は魔獣となった。暴れ狂う姿からは理性が失われており、本人の自我が消えてしまったのは明らかだった。
討伐して倒れた巨体が溶けて消えるとマイクランの死体だけが残された。意識がなくなろうと魔獣になったばかりの内側には本人の肉体が消えずに残っていたのだ。
これらのことから考えるに。
つい先日までは確かに人間で魔獣へ変えられたばかりで、しかも自我を保っていてこちらを認識できる理性も維持している、そんな今のエーデルガルトなら。
人の名残が見て取れる魔獣の体の内側にはきっと人間の彼女がいる。
ならば、包み込む魔獣の要素を
「ここから先は俺一人でやる」
「な、本気か!?」
「これは俺じゃなきゃできない……いや、違うな。俺がやらないといけないんだ」
振り返ったベレトは遠くに飛ばしたエーデルガルトを見つめた。めり込んだ壁から這い出て瓦礫を払う魔獣の姿を認識する。
魔獣になっていようが、そこにエーデルガルトがいるのならベレトがすることは変わらない。
あの子のために戦うのだ。どんな時も。何が相手だろうと。
「先生」
ディミトリに呼ばれて顔を向ける。
「……任せていいんだな?」
「ああ」
念を押す声に、強くベレトは頷きを返した。
「そうか……先生、彼女を頼む。どんな闇に覆われていても、お前なら必ず晴らしてくれると信じている。俺の闇を払ってくれたお前なら」
「ははっ、違いないな。俺の渾身の策も覆したあんたなら、この程度の窮地だって軽くひっくり返しちまうさ。エーデルガルトのことは任せたぜ、きょうだい!」
それだけ言うとディミトリもクロードも踵を返し、仲間達の戦いに向けて走った。タイタニスの固さに攻めあぐねていた戦闘も彼らが加われば変わるだろう。
「おにいさま……」
最後にレアがベレトの背に呼びかける。
困難に立ち向かうベレトを案じながらも、きっとそれを乗り越えてくれるという信頼を込めて。
「負けないでください……!」
「ああ。レアも、みんなを頼む」
「はい、御武運を!」
強く言い切ってレアも仲間達の方へ駆けていった。
ベレトも一人、エーデルガルトの方へ走り出す。
負けられない。
この世の全ての闇に襲われようとも。
尻込みしそうになる自分の臆病さにも。
ベレトは戦って勝たなければいけないのだ。
──どうして
──どうしてちゃんと戦ってくれないの
──どうして私を殺してくれないの
──せっかく敵になれたのに
──本当の意味で化け物になれたのに
「エーデルガルト!」
──
──あなたならできるでしょう?
──魔獣だって一人で倒せるあなたなら、私を殺せるでしょう?
──どうして私を呼ぶの?
──私は師を傷つけるだけだともう分かったでしょう?
──諦めてちょうだい
──私は
──もう
──死にたいのよ
「VVVRRRR……!」
唸るエーデルガルトを見上げてベレトは息を呑む。
改めて向き合う魔獣の姿は凄まじい迫力がある。こんな化け物を相手に、本当に意思の疎通が叶うのかという疑念が頭を過ぎる。
自分の中に生まれる疑い、迷い、投げ出したくなる弱気。そういった揺れる心に釣られるように心臓が強く速く脈打つ。
諦めを誘う臆病さが鎌首をもたげ、体の自由を奪いにかかる。戦闘の最中だというのに手足から力が抜けそうになる。
(これが心……)
己を縛ろうとする心の働きをかつてないほど強く感じ、抗うためにベレトは歯を食いしばった。
誰もが抱え、力の源として燃やし、時に本人さえも振り回す。
心が人にもたらす効果を実感して一つ呼吸を挟んだ。
(ふざけるな)
折れそうになる自分自身をベレトは許さない。
こんなものに。
こんな現実に。
こんな運命に。
今にも押し潰されようとしているこの子を放り出せと?
(冗談じゃない)
もうすでに一度、守るという誓いを破ってしまっている。
あの叫びを、あの涙を、ベレトは絶対に忘れない。
二度と、繰り返してはいけない。
そのために──
(──俺はここに来たんだ!)
「聞け、エーデルガルト!」
「UUUUAAAAAAAA!!!」
飛び掛かるエーデルガルトに向かって、ベレトは姿勢低く突進した。
倒れそうなほどの前傾で脇を抜けてアイムールをやり過ごす。斧の戦闘はその重量故にどうしても大振りになりがちで、動作の繋ぎ目をどうやって減らすかが肝要。だから斧の使い手は攻撃の直後こそ気を抜いてはいけない。
それは向こうも分かっている。アイムールの刃が床を砕くのとほぼ同時、生まれる衝撃を逃がすように身を捻ったエーデルガルトが逆の手の爪を振るう。こちらも動きを止めずに体ごと剣を回転させて迫る爪を流した。
そのまま長い腕に沿ってその上を転がるように接近。横に倒れた独楽みたいに近づく自分に表情を固めるのが見える。体が大きい敵との戦いは密着距離にこそ勝機を見出すものと教えたのを覚えているな。
転がって接近を果たし、回転の勢いを乗せた膝を額へ叩き込む。強打が入った実感を即座に捨てて全身のバネを使って強引に移動。直後、その位置を薙ぐように魔獣の手が通り過ぎた。一対一の戦闘では相手にダメージを悟らせない根性も大事。
そうだ。全部教えた。
授業で、指導で、実戦で、様々なことを示して教えてきた。
ベレトが教えてきたことをエーデルガルトはちゃんと覚えている。
この短い攻防だけでも分かる。やはり彼女はエーデルガルトだ。魔獣に成り果ててなどいない。ベレトが知る彼女と、守りたい大切な人と変わらないあの子のままなのだ。
ずっと目で追っていた。脳裏に描いていた。いつだって胸の中にいた。
ずっとエーデルガルトを見ていた。なのに、いつからか本当の君を見なくなっていた。
自分の頭だけで考えた理想の未来。そんなもの、他人の目からは歪に見えてしまうと知っていたはずなのに、その程度のことすら忘れて。
他ならぬ自分自身が指摘したことだというのに。教えた生徒と同じ過ちを犯してしまうなんて、情けない話だ。
そうだ。俺は情けない男だ。未熟で、至らなくて、弱い人間だ。
だから、俺はここに来たんだ。
「ごめん!」
「ッ!?」
君に謝りに来たんだ。
「何も言わなくてごめん! 一人で勝手に決めてごめん! ちゃんと相談しなくてごめん!」
いくつもの攻撃を躱しながら、その度に謝罪を伝える。回避と防御は体の反射行動に任せて、心に生まれた気持ちを全力で口にする。
「俺は、君を守りたかった! 生きていてほしかった! 幸せになってほしかったんだ! なのに俺は、一番大事な君の気持ちを考えてなかった!」
思考を挟まない反射だけで体は勝手に対応した。
戦い方も。構えも。斧の振りも。狙いも。足運びも。全てを理解しているように。
エーデルガルトのことなら何だって、ずっと思い描いていたから。
初めて会った時から、あの月明かりの下で見た時から、ずっとずっと頭の中にいたから。
「君を守りたいと言いながら、君の気持ちを裏切った! 本当に酷いことをした! だから、君に謝りたい! ごめん! 本当にごめん!」
斧を使う上手な戦い方も。
敵になった時にはどう戦うかも。
脳裏にエーデルガルトの姿を想像して、向かい合ったり、教えたり、並んだり、イメージの中にはいつだって彼女がいた。
「今も俺の気持ちは変わらない! 俺は、エーデルガルトを守りたい! これからはいっしょに、隣を歩いて、君と生きたいんだ!」
姿形が変わろうともベレトが止まることはない。
(魔獣になったくらいのことで俺が諦めると思うな!)
ベレトの心から湧き上がる意志は彼の中に生じた怯え、諦め、あらゆる弱気を駆逐して尚治まることなく声となって迸る。
エーデルガルトを呼ぶ声は止まらない。止まることはない。
「だから! 戻ってこいエーデルガルト! 俺は君を守りたい! 君を助けたい! こんなところにいる君を放っておかない! 絶対に助けるから!」
「UU……UUU、UUUUUUU……!」
「っ? エーデルガルト!」
呼びかけながら攻撃を捌き続けていると、エーデルガルトが突然後退った。
手で顔を覆って苦しそうに呻く彼女を追ってベレトは距離を詰める──瞬間、全力で横に跳ぶ。
「ッ……USOTUKIIIIIIIIII!!」
絶叫と共に振り下ろされたアイムールが床を陥没させた。
──嘘
──こんなの嘘
──嘘なのよ
──嘘に決まってる
──
──出まかせを言わない人なのは分かってる
──だから彼の言葉は全部本当のこと
──嘘なのは私の方
──こんなことあるわけない
──こんな都合のいいことが
──私に都合がよすぎることが
──師を傷つける私が
──師といっしょに生きる?
──師の隣を歩く?
──嘘だ
──そんな幸せがあるなんて嘘
──優しい師にこんな酷いことを言わせる私なんて
──生きていたらいけないのよ
──私はエーデルガルト
──このフォドラを戦火で染め上げた皇帝
──社会構造を打ち壊して世界に混乱を生んだ悪逆非道
──ディミトリが言っていたことは間違いじゃない
──未来のためと言って
──大勢の人間を殺す血塗られた道を選んだことは事実
──私は確かに今の世界を滅ぼそうとしていた
──師が止めてくれなければ本当にそうしていたのよ
──私はそういう悪人
──裁かれるべき罪人
──死ななければいけない悪なの
──そのディミトリがくれた短剣を支えにして
──助けてくれるヒューベルトにも頼って
──目的のために多くの人を使って
──未来のためと言い訳して周囲を欺いてきた
──悪行だと理解しながら突き進んで
──大好きな師まで傷つけて
──挙句の果てに命まで捨てさせて
──誰かを利用してばかりの醜い悪
──それが私
──弱くて
──醜くて
──汚くて
──そんな私が
──私は大嫌い
──だから
──嘘にしないと
──師が言ったことを全部嘘にしないと
──彼をもっと傷つけてしまう前に
──突き放して
──諦めさせて
──ねえ師
──お願い
──早く
──私を
──殺して
(嘘吐き、か……)
魔獣になったエーデルガルトから初めて出た意味のある言葉に思うところは多い。
体を変えられてもこうして意識は残っていることへの安堵。確信があったとは言え確認が取れていたわけではなかったので、受け答えができるのはやはり安心する。
ただし出てきた言葉がこちらを詰るものだったのは想像以上に胸を抉る。刺されたと錯覚しそうなくらいの痛みが生じることも、その嫌な感覚が新鮮だ。
飛び退ったベレトは足も頭も止めない。エーデルガルトとの間合いを保ちながら疾走と思考を続ける。
(当たり前だよな)
彼女からの信頼を裏切ったベレトの言うことを信じられないのは当然のことだとすぐ納得する。
発言とは何を言ったかではなく誰が言ったかが肝心だ。その人の信頼が内容を補足する。信頼がない人物の発言は、それがどんなに堅実でも疑わしさが付いてしまうものだから。
エーデルガルトの中にあったベレトへの信頼が消えている今、ベレトが何を言っても彼女に響かないのは無理ない話だ。
なのでエーデルガルトを助ける前に、まずは彼女の抱える不安を消さなくてはいけない。
もう一度ベレトを信じてもらうために。
ベレトは自分が口下手だと自覚している。
クロードのように人を誑し込む言葉巧みな弁論などできはしない。
ディミトリのように人を惹きつけるカリスマなど持っていない。
ユーリスのように人を魅了する手練手管など長けていない。
自分にできるのはただ正直に応えることだけ。
嘘吐きと罵られても、嘘のない気持ちを伝えることだけだ。
「エーデルガルト」
正面に立って足を止めたベレトは名前を呼ぶ。
彼女の名を呼ぶ時。その姿を思い浮かべる時。ベレトの心はいつも騒ぐ。始めからあった温かい気持ちも、己を怯えさせる冷たい気持ちも、どれも同じベレト自身の感情だ。
感情とは良いものもあれば悪いものもある。大切なのは受け止め方だと学んだ。
今も同じ。これから口にする言葉を考えるだけで怖気づきそうになるが、そういう弱気を払いのけるのもこの言葉だ。
エーデルガルトを想うことで生まれる気持ちなら、それが不安などの後ろ向きなものだろうと、あの子のための感情だと大切に思えるから。
だからこれを伝えることに躊躇いはない。
「俺は、君が好きだよ」
心からの言葉だと信じてもらうため。
笑顔で、はっきりと、まっすぐに目を見つめて。
偽りなんて一つもないのだと示すように。
ようやくベレトはエーデルガルトに告白できたのだった。
「………………E……?」
聞こえなかったわけではないだろう。小さな声ではなかったし、言葉に詰まったわけでもない。
ベレトの声は確実に届いた。だからこそエーデルガルトは動揺している。
思わず魔獣のふりをするのを忘れてしまうくらい混乱している。唖然とした表情を隠そうともせず、黒く濁る目を丸く揺らしてベレトを凝視して。
「…………U、SO……」
「嘘じゃない。俺はエーデルガルトが好きだ。ずっと前から君が好きなんだ」
「……SO、N、NA……KO、TO……!」
恐れるように一歩下がるエーデルガルトを追ってベレトは数歩前に出る。
顔を歪めた彼女が堪え切れないように長い腕を振り回した。
「USO! USOTUKI!」
「嘘じゃない!」
鋭い爪を流し、アイムールの刃を躱し、攻撃を巧みにいなしながら告白を続ける。
「初めて会った時から目が離せなかった。凛々しくて、気高い人間ってこういう人のことを指すんだと知った。強い姿をいつも目で追っていた!」
「SIRA、NAI!」
「いっしょにいると強さの中に弱さが見えた。自分の弱さを理解して、それを乗り越えて力に変えて進み続ける姿に憧れた!」
「IYA! YAMETE!」
「やめない! 強いところも弱いところも、どっちも見た。どっちもエーデルガルトだ。どっちのエーデルガルトも、もっと、ずっと見ていたいと思った!」
殺意を伴う攻撃にもベレトは怯まない。その場で攻撃を凌ぎつつ、隙を見つけては前へと踏み出して距離を詰めてみせる。
近づいてくるベレトにむしろエーデルガルトの方が逆に退いてしまう。相手の言葉に気圧されて足を退くという事態がこの戦況を物語る。
魔獣と人間。物理的な大きさも、持ちうる戦闘力も、優劣は明白。
どう考えてもエーデルガルトが優勢になるはず。
なのに、劣勢なのはどちらかなんて誰が見ても分かる。
完全にベレトが圧倒していた。それは単純な実力よりも精神的な勢いの差。
片や後ろ向きな思いで死にたがっている方。
片や何があろうと必ず助けると決意している方。
どれほどの力の持ち主であっても心がもたらす強さがこんなにも違えば、どちらに戦況が傾くかなど素人目にも明らかなのだから。
「強い君も、弱い君も、どっちもエーデルガルトだと俺は知っている。どっちも俺の好きな人だ。そんな君の全部を、俺は欲しいと思ったんだ!」
「UU……UU、UUUU……!」
呻くばかりのエーデルガルトは何も返せない。
──嘘よ
──また
──あの無表情な師が
──私と同じ想いを秘めていた?
──嘘
──あるわけない
──ずっと見ていた?
──目で追って
──憧れて
──欲しいと思った?
──そんなの
──私と同じ気持ちなの?
──嘘
──都合が良い
──こんなことあるわけない
──彼を疑う気持ちが湧く
──優しい言葉に流されるなと私の心が叫ぶ
──でも
──彼を信じて縋りたい
──同じ心が違うことを囁く
──どちらも私の気持ち
──私の心には強さと弱さがある
──そう
──私は知っている
──師から教わった
──私は強くて弱い
──強い皇帝の私
──弱い人間の私
──どちらも同じエーデルガルト
──二つの顔を分けることはできない
──弱くて汚い私は彼の傍に居てはいけないと思った
──彼を傷つけるだけの酷い私は離れなければいけないと
──でも
──そんな弱い私も師は欲しいの?
──強い私だけじゃなくて弱い私も……
──いや
──待って待って
──私って師の前でそんなに弱いところ見せていたかしら?
──たしかに多少は弱みを見せたりもしたけれど
──でもそれは勧誘のためというか
──えっとほら最初は何も知らなかったし
──彼に関心を抱いてもらうところから始めようと
──けど格好悪いところは見せてないと思う
──皇女の時から師には胸を張れる私を見せてきて
──いやいやいや無理無理無理ダメダメダメ
──色々やらかしてるわ
──取り乱したり泣き喚いたりだらしなかったり
──みっともないところもたくさん見せてしまってるわ
──じゃあ何?
──私の弱いところというか
──私のダメなところも師はとっくに知ってるの?
──そんなの
──もう逃げられないじゃない
──私が意地で張った壁なんか
──あっさり越えてしまう人だって知ってるもの
──師
──私の好きな人
──私が欲しい人
──あなたからも私を求めてくれるなら
──私を大丈夫にしてくれるあなたなら
──きっとわた──ッッ!?──ギッ、アァ!?──
突然、エーデルガルトの体に紫電が走る。
「UU、UUIII……!」
「エーデルガルト!?」
「VUUUUOOOOOOOO!!!」
魔獣の手だけでなく翼にも、それどころか体中から溢れるように光が生まれ、美しさではなく破滅的な危うさをベレトに感じさせた。
咄嗟に駆け寄ろうと足は踏み出し、対して手は冷静に天帝の剣を操って蛇腹の刀身を前方へ広げるように伸ばす。
刹那、エーデルガルトを中心として破壊の波動がまき散らされた。狙いもつけない単純な暴威。それでいて威力は申し分なく、先ほどの光球に匹敵する魔力があらゆる方向を襲う。
回避不可能の全方位攻撃。これまでと違って躱す体勢になっていなかったベレトはまともに浴びてしまい、真正面から受ける圧力に吹き飛ばされた。
もし天帝の剣を間に挟まなかったら全身が潰れていたかもしれない。
大きく飛ばされたベレトは何度も転がってから這うように着地する。
「エーデルガルト!」
ふらつきそうになる頭を上げて叫ぶ。また開いてしまった距離の向こうでエーデルガルトの体にはまだ紫電が走っていた。
《くだらん……実にくだらん……》
両者の間を分かつように声が墜ちる。
《獣のさえずりが何だというのか……卑しくも同じ獣にすり寄る浅ましさ、ここに極まれり……! 貴様が何をしようと炎帝は今さら揺るがぬわ》
これまでの戦況を眺めていたのだろう。どこからともなく響くタレスの声は嘲りに満ちていた。
後少しで意思が通じるかもしれないと思ったちょうどその時に邪魔してくる敵へ、否応なしに苛立ちが募る。エーデルガルトから目を逸らすことなくベレトは舌打ちした。
またか。
またお前達はこの子を引きずり込むのか。
そんなに闇を抱えたいなら好きにすればいい。関係ないこの子を巻き込むな。
惨めったらしい傷の舐め合いなんか身内で勝手にやっていろ。
弱くても強く在ろうと必死に生きる人の足を引っ張るな。
怒りが頭を熱くする。しかし同時に冷たい思考も止めない。
タレスの声はエーデルガルトが揺れそうになった時にすかさず横槍を入れたように見えた。放置すれば彼女が自分達の意図から外れると危惧したからではないか。
ベレトの目から見たのと同じように、アガルタ側の目にもエーデルガルトの動揺が見て取れたのだろう。このままではせっかく改造した魔獣に逃げられるかもしれないと慌てて手綱を引いたように思える。
つまりこの状況は向こうにとっても焦りを覚えるものだということだ。
真の意味でまだ絶望ではない。
(諦めない! 絶対に、エーデルガルトを助ける!)
決意はさらに高まり、天帝の剣のオーラが燃え上がる。希望を見出すベレトの精神の高揚は止まることを知らない。
そんなベレトの姿も、無駄な足掻きとして敵の嘲笑を誘うもの。
《賢しらに語ろうと所詮は獣よ! 貴様らこそ、何も得ることなく力尽きるのだ!》
「エーデルガルト!」
「VAAAAAAAAAA!!」
まとわりつく紫電に押されるように動くエーデルガルトは再び攻撃を始めた。
光を集めた手を床に叩きつけて破壊の波動を広範囲に散らす。地を這う波動を飛び上がって避けたベレトに横殴りのアイムールが迫る。
空中で身を捻るが、間に挟んだ天帝の剣を僅かに掠っただけの衝撃がベレトの体を容易く弾く。瓦礫と化した床で辛うじて受け身を取ったところへすぐ追撃が入る。
あえて前へ出たベレトは爪と斧をかいくぐって魔獣の足元へ飛び込む。鋭角の方向転換を繰り返しながら走り、エーデルガルトの間合いの中で相手の意識を散らす。
するとエーデルガルトは長い腕を広げて豪快に回転してみせる。狙いもつけず振り回す斧と爪が全周囲を薙ぎ払う嵐となってベレトを襲う。
攻撃には用いなかった天帝の剣を使って全力の跳躍ができたベレトは嵐を逃れられた。今まで以上に高く飛んだところへ向けてエーデルガルトは複数の光球を放つ。
空を埋めるような光の面を破るべく、ベレトは破天で光球の群れを切り裂く。爆音と閃光が空間を満たし、地下空間を揺るがせる。
先ほどまでのベレトが押していた戦闘から一転、今度はエーデルガルトが押す展開になる。
それは彼女の戻りかけた自我が紫電によって抑えつけられて、魔獣の本能が理性を消し去ってしまったからか。
ベレトはそう考えない。辛くも着地して走り出す。
叫びながら暴れるエーデルガルトに、今まさに戦っている彼女に向かって。
「負けるなエーデルガルト!」
「GUUUU!! UUOOOOOOOO!!」
「俺のことはいい! いくらでも攻撃しろ! だから、自分を見失うな!」
「VVVUUII……!」
「がんばれエーデルガルト! がんばれぇ!」
「SE、N、SE……UUUU、GGROOOOO!!」
傍にいて声をかけることで少しでも自我を繋ぎとめることができるなら、どんな危険があろうと関係ない。暴虐そのものとすら言えるエーデルガルトへ接近するベレトは心を猛らせて踏み出していく。
こうして大切な人のために進む勇気を俺はたくさんの人から学んだ。力も、技も、そして心も、今まで出会えた人達から教わった。
君もそうだろう。初めは何もない持たざる者だったという君も、優しい気持ちを受け取って、強さとは何かを知って、様々な手段を身に付けて、そうして少しずつ成長していったんだ。
そんな君に憧れた。君を見て俺は強くなれた。俺の強さは君が育てたんだ。
だから。
「俺を見ろ!」
「AA、AAGGG、UU……!」
「今の俺が、君がくれたものなんだ! エーデルガルトがいたから、今の俺がいるんだ! だから今度は、俺が君の心になるから!」
「GOOOOOOOOOOO!!」
「諦めるな! 俺も諦めないから!」
声はきっと届いている。ベレトが呼びかける度にエーデルガルトは苦しそうに顔を歪めて、暴虐に走る自分の体を恨むように咆える。
まとわりつく紫電が具体的にどう作用しているのかは不明だが、エーデルガルトの様子からして苦痛を与えて従わせていることは容易に想像できる。
敵の思い通りになんかなりたくないのに、体が勝手にベレトを襲ってしまう。止めたいのに止まらない自分の体が情けない。思わず出る声が魔獣らしい咆哮になって、それがまた敵の手駒にされた実感となり心を苛む。
戦えば戦うほどエーデルガルトの心は追い詰められていく。自我が残っているからこそ苦痛を感じてしまう。
こんなことなら意識なんてなければ──そんな捨て鉢な思考が過ぎる。
それでも彼は希望を捨てない。
「戦えぇ!!」
「GRRR……!」
エーデルガルトにも希望を捨てさせない。
「暴れていい! 攻撃していい! 俺は、大丈夫だから!」
「SEN、SE……!」
「君も大丈夫だ! 大丈夫にするために、
ここへ侵入した彼らはフォドラの精鋭による合同チームだ。
ディミトリみたいに心からエーデルガルトを案じる者や、レアみたいに心からベレトの力になろうと望む者もいれば、中にはあくまで己の利になるとして協力する者もいる。
それ自体はおかしなことではない。損得勘定で行動するのは人間として当然のことだ。そういう打算ありきの関係でも、同じ目的のためなら手を取り合えることも信頼の一種である。
だが誰もがベレトと同じくらいに心身を賭しているわけではない。というかベレトが異常なだけで同じ程度を求められはずがない。
しかし。
しかしである。
求められるまでもなく最初から、それこそベレトよりも前から尽くしてきた者がいる。あるいはベレト以上の覚悟でエーデルガルトに人生を捧げてきた者がいる。
その者はいつだって主の道を支えてきた。
いつだって彼女のために戦ってきた。
誰よりも近くで、ずっと。
《愚かな……やはりいつの世も獣の醜さは見るに耐えん……炎帝にくべられる薪となり、我らの復讐の礎となるのが世の理というもの……》
《さて、それはどうですかな》
《……む?》
タレスの声に被せるように、別の声が辺りに響いた。
次の瞬間、エーデルガルトの体を蝕む紫電がたちどころに消え去った。魔獣の身を突き動かしていた力が急になくなったせいで動きが乱れ、つんのめるように倒れて転がる。
勢いよく倒れたエーデルガルトは床の瓦礫を潰しながら滑る。その巨体の前に飛び出したベレトが全身で受け止めてそれ以上の動きを止めた。
《身を隠したままずいぶんと楽しそうですなタレス殿。まるで穴倉に引き籠る鳥獣のようで、なんとも愉快な様ですよ》
《貴様……ヒューベルトか!》
《貴殿らの下卑た感性は手の施しようがありませんが、我が主を弄ぶなどという下劣な趣味は見過ごせませんのでね。一人の人間として手を出させていただきました》
品性下劣なお前達こそ獣である、そう語る声はヒューベルトのものだ。
ベレト達と別れていた彼はシャンバラの都市機能を潰すために動いていた。その最中で、組織の技術に通じていた彼は都市機能を逆に掌握したのである。
現場に出ていないにも関わらずタレスが戦場の様子を把握できていたのは、隠れたままでもこの場を観察したり、任意で魔力を送ってエーデルガルトを操る手段があるからだ。
複雑な機能がある都市の中でそういう遠隔操作ができるのは、都市自体にそのための仕組みがあるおかげだ。タレスの魔力をエーデルガルトに届かせるという専用の機能が。
そんな目立つ仕組みをヒューベルトは見逃さない。全身全霊でエーデルガルトを支えると誓った男は主を脅かすものを許さない。
都市機能を封じる作戦の中で、タレスの魔力を送ってエーデルガルトに紫電を届かせる導線を壊し、敵が声を伝える仕組みを乗っ取って自分の声を現場に伝える。
敵の力を封じるだけでなく、相手の武器を鹵獲して活用するベレトの教えはこの時もヒューベルトの中で息づいている。
《後は任せましたよ先生。エーデルガルト様を頼みます》
「ああ、任せろ!」
響いてくるヒューベルトの声にベレトは力強く応じた。急に声が聞こえるのも、今何が起こったのかも分からないが動揺はない。こちらの声が向こうに伝わらなくても関係ない。
ヒューベルトならエーデルガルトのために何だってしてみせると信じられる。同志である彼なら言葉もなく意志を一つにできる。
《おのれ、獣風情がぁ……!》
怒れるタレスの声にはもはや反応する暇すら惜しい。
受け止めたエーデルガルトを見上げてベレトは安堵する。紫電が消えた彼女はもう暴れる様子はなく、危うい雰囲気は見て取れない。
少なくとも先ほどまでエーデルガルトを襲っていた苦痛はなくなったみたいだと安心した。
苦しそうにしていない表情を認め、彼女の頬に手を伸ばしたベレトは改めて声をかける。
「エーデルガルト、聞こえるか?」
「……セ、ン、セイ……」
大きな体を丸く縮ませながら彼女が溢した声はこれまでの魔獣を思わせるものとは違い、拙くても人間が発する言葉になっていた。
エーデルガルトがもう魔獣らしく振る舞う必要がないと判断して本心からの声を出してくれてるのか。その内心はベレトには分からないが、今までより意思の疎通が図れると見て話しかける。
「さっき言った通り、俺は君を助けたい。君を守りたい。俺はエーデルガルトが好きだから、これからもいっしょに生きていきたいから」
「……デ、モ……ワタ、シ……」
もう暴れないと見て穏やかに話すベレトと目を合わせないまま、俯いたエーデルガルトは小さく呟く。
「……セン、セイヲ、キズ、ツケテ、バカリ……ワタシハ、セン、セイト、イッショ、ニ、イテハ、イケナイ、カラ……」
(なんで?)
浮かんだ疑問を口に出さなかったのは英断だったのだろう。
耳を澄ませて聞いた言葉は懺悔と言えるもの。恐らくエーデルガルトが胸に秘めていた本心が紡いだのが今の発言だ。
しかしそれはベレトには心当たりが全くなく、困惑が先に立つ。
戸惑いのまま口を開いていたらせっかく彼女が絞り出してくれた本心をばっさり切り捨てる形になっていただろうから、ひとまず口を噤む。
さりとて思考は止めない。素早く頭を回らせて真意を探った。
ベレトが傷ついたという事例は最近だと何があるか。
ガルグ=マク襲撃の際にフレンのアプラクサスの直撃をわざと受けたこと?
デアドラ決戦でクロードへの一撃のために鎖分銅の真似をしたこと?
タルティーン平原でディミトリを止めるために単身挑んだこと?
フェルディアの決着のためにレアの前で胸を切り裂いて紋章石を取り出したこと?
たしかに傷ついたし、本当に命を落としたことも含むが、それらはどれもエーデルガルトによるものではなく、ベレトが自分の意思で決めたことで──
(いや、そういうことじゃない)
以前と同じ考えになりかけたところを省みる。
自分がどう思っていようと、それを他人がどう受け取るかは別の話なのだ。
エーデルガルトから見たベレトの行動がどんな意味を持つか。彼女の立場になって考えれば自ずと理解できる。
すなわち、ベレトが心身を犠牲にしてその命を捧げている、という姿が。
きっと彼女は自分がベレトにそうさせてしまっていると思って心苦しいのだ。
それはまるで、今のエーデルガルトがわざと魔獣らしく振る舞って自分を討ってもらおうとするのと同じように。
(そうか……俺はずっと、君にこれをしていたんだな)
戦いながらベレトは苦しくて仕方なかった。必要だから戦っていたが、エーデルガルトに剣を向けているという事実が嫌で嫌で堪らなかった。
これと同じ気持ちをずっとエーデルガルトに押し付けていたのか。なんて酷いことをしていたんだろう。どれだけ君の心を傷つけたんだろう。
守ってくれる人がいるのは嬉しいことだ。だが、命を捨ててまで守ろうとする姿がどのような事態をもたらすのか、知らなくても前例からある程度察することはできたはず。
シトリーが紋章石を移してまでベレトを守ったことで、レアは悲しんだだろうし、ジェラルトはガルグ=マクを出奔するほどの衝撃があったのだ。
誰かに命を捧げるとはそういうことなのだと理解しなければいけなかった。
避けられない道だったとしても、周囲の人達を襲う悲しみを察することはできた。それを怠ったのは間違いなくベレトの至らなさだ。本当に情けない。
だからこそ、ベレトは決めたことがある。
「目が覚めてすぐ、アロイスさんに叱られたよ」
「……?」
「貴殿のやったことは間違いだって。大切な人を悲しませてまでやってはいけないことだって。俺の行いの是非ではなく、姿勢が間違ってると叱られたんだ」
語り出すベレトの真意が分からず、エーデルガルトはおずおずと目を向けた。黒く濁った瞳は不安に揺れているが、対話ができる理性がある。
「何も反論できなかった。本当にその通りだと思ったんだ。エーデルガルトを守ることしか頭になくて、俺の行動が誰かを悲しませるなんて考えもしなかった」
「……」
「それじゃあ意味がないんだ。君がただ生きているだけじゃ足りなくて……俺は、君に笑っていてほしかったんだよ」
「……っ!」
「君が泣いてしまうのは嫌だ。そんなことになる俺の行動は絶対に間違ってる。好きな人がただ生きているだけじゃなくて、笑顔にするために何ができるかを考えないといけなかったんだ」
なかないで──燃えるフェルディアで、腕の中で息絶える寸前のベレトがエーデルガルトに告げた言葉。
あの瞬間、ベレトが求めていたのはたった一つだった。大切な、大好きな人が笑顔でいてくれればと願った。
生きて、泣いたり悩んだりしても生きて、その先にある笑顔に辿り着いてほしい。
それこそが最も強い願望。
「エーデルガルト。俺は決めたことがある。聞いてくれ」
「……セン、セイ」
「俺はたくさんの人に守られてきた。それはきっとたくさんの人が俺の未来を信じてくれたということだ。俺はその信頼に応えなきゃいけない。ただ生きるだけじゃなくて幸せになって、信じてくれた人達に胸を張れる生き方をしたい」
静かでも熱のある口調でベレトは言う。感情がないとまで揶揄された昔とは違い、確固とした意志がある声で。
「俺は、俺を守ってくれた全ての人に報いたい。ベレト=アイスナーを守ってよかったと思わせたい。そのために、俺は幸せになると決めた。その幸せの中で一番大きな存在が君なんだ」
「……ワタシ?」
「そうだよ。いいか、よく聞けエーデルガルト。俺はもう、君のために死んでやらない。生きて、生きて、生き抜いて、君を笑顔にする。君を幸せにすることで俺自身も幸せになる。そのために戦うと俺は決めた」
声は止まらない。熱は治まらない。続く言葉が届く度に二人の心は高揚していく。
「だからエーデルガルト、俺は君が欲しい。俺の一番傍にいる人は君でいてほしい。守るだけじゃない。いっしょに幸せになるのはエーデルガルトがいい」
「……セン、セ……!」
「共に生きよう。俺が君を幸せにするから、君が俺を幸せにしてくれ!」
それは、正しく心を手にしたベレトが初めて覚えたかもしれない欲望だった。
他者を助けたい、守りたいという意思の下に戦ってきた彼に初めて芽生えた、我欲と言い表せる個人的な欲の形。
しかして自覚したそれは、己のためでありながら他者のためでもあるという矛盾を押し通した、あまりにも優しい発露。
「……アア、アアア……ァアア、アアアア……アアア、ァアアアア……!」
溢れる想いを言葉にすることができず、エーデルガルトはただ泣いた。
切なる想いが満ちる声だった。
張り裂けそうな心から漏れ出る涙だった。
闇にうずくまる胸の痛みを暁に照らされる衝撃だった。
そのどれもが彼女に幸福を与えるものだった。
「……イイノ、センセイ?」
「ああ」
「……ワタシ、イキテ、イイノ?」
「ああ。生きてくれ、お願いだ」
「……イッショニ、イテ、イイノ?」
「ああ。いっしょにいよう。傍にいてくれ」
「……シアワセニ、ナッテ、イイノ?」
「ああ。俺が幸せにするよ。二人で幸せになっていこう」
一つ一つにベレトは頷きと肯定を返す。エーデルガルトの不安を全て消し去り、その心を幸福で埋め尽くしてしまおうと言わんばかりに。
そんなベレトをエーデルガルトはもう疑わない。
大丈夫だから。大丈夫じゃなくても大丈夫にしてくれると信じられるから。
「……タスけて、せんせい」
「ああ、もちろんだ」
即答したベレトは最後に頭を一撫でしてエーデルガルトから離れた。数歩分の距離を取った彼は天帝の剣を握り直す。
「……せんせい?」
「エーデルガルト、その場に自然体でいてくれ。こっちを向いたまま、できるだけ力を抜いて、足を軽く開いた状態で、じっとして」
「……なに、するの?」
「
「……うん」
普通に考えれば目を剥くような提案にもエーデルガルトは何も聞かず頷いた。
疑問がないわけではない。それでもベレトが言うのであれば、彼を信じるエーデルガルトに否定の選択肢は存在しない。
魔獣の体を脱力させ、微笑みすら浮かべて静かに立つ。
その前でベレトは深呼吸をする。
これから何をするか、彼は明確に理解している。脳裏に浮かぶ姿を視界に当てはめられるくらいはっきりと見えている。
イメージするエーデルガルトの姿を目の前に立つ魔獣の彼女に重ねて、その奥にいる本人と結び付ける。
そう、これはイメージだ。思い描いたイメージを現実にするためにベレトは力を振り絞らなくてはならない。
難しいことだろうか? いいや、確かに見えている。
不可能だろうか? いいや、可能だと知っている。
深い呼吸に合わせて精神と肉体を一つにしていく。心に生じる弱気を捻じ伏せて、己の中を決意で満たす。
心技体の完全な合一、それこそが運命を切り開く導きになると知っているから。
胸に宿る希望は荒唐無稽な夢物語ではない。
ベレトにとってこれは希望ある選択だ。視界に映る魔獣の中に見えるエーデルガルトの姿は決して幻ではないことを理解している。
五年前、ザラスの闇に呑み込まれたベレトはソティスの力を借りて、世界を分かつ闇を切り裂いて舞い戻った。
あの時は天帝の剣を振る際に壁を斬るイメージがあった。ソティスに促されるまま斬ったあの瞬間でさえできないとは思わなかった。確信を込めて斬れたのだ。
さらに五年後になった今、アリアンロッドでフェリクスと戦った時に掴んだ感覚がベレトの確信を深める。
決着をつけた最後の一撃。あの瞬間、無我夢中で剣を振ったベレトは彼の命は奪わず戦いには勝利するイメージを込めた。すると天帝の剣はイメージに応えて、肉体は斬らず精神のみを斬った。
これらのことから、天帝の剣もとい紋章のオーラには担い手のイメージを反映する力があることが分かる。その力は常識的な法則すら超える時もあるのだ。
精神の昂ぶりに応じて天帝の剣を纏うオーラが一層燃え上がる。強く大きく燃え盛り、天井知らずに溢れ出るオーラがさながら光の柱となったように立ち昇る。
すると今度はその光の柱が集束していく。縮小でも減衰でもなく、勢いは変わらないまま体積だけを凝縮、どこまでも密度を増して細く鋭く絞り込まれる。
やがて光は発生源である天帝の剣に集められた。そうして生まれたのは神聖さすら感じる輝きに彩られた光の剣。
眩く輝く光の剣を構えてベレトはエーデルガルトを見る。
この世の全ての闇から彼女を守ると誓った。
今まさに彼女は闇に襲われて苦しんでいる。
ならばその闇から救い出さなければいけない。
そのために。
(
エーデルガルトのことは見えている。
魔獣の中にいてもはっきりと認識できる。
もう二度と見失わない。
「──っ!!」
必ず助ける。その決意を無音の咆哮に乗せて、ベレトは剣を振るった。
胸。脚。胴。腕。首。脇。頭。幾度も繰り返される斬撃がエーデルガルトの体を通過する。
斬るべきもののみを斬り、斬らないと決めたものは斬らない剣が魔獣の体を切り裂いていく。
斬るべきものは魔獣である覇骸の要素。斬らないと決めたものはエーデルガルトの肉体。二つが混在する中の片方一つだけを選び、削ぎ落としていく。
ベレトの意思を現実のものにする選別の剣がエーデルガルトの体を切り刻んだ。
その剣をエーデルガルトは喜びを以て受け入れた。
師を信じる、もうその一心だけではない。
ベレトが自分のために戦っているという事実が胸を締め付けた以前とは違うから。彼が共に生きようと言ってくれたから。共に生きるために守ってくれることが嬉しいから。
何度斬っただろうか。
決まった数があるわけではない。斬るべきものを全て斬るまで続いただけ。
終わったと確信できた時、ベレトは振り切った天帝の剣から光を消した。
それを合図にしたように魔獣の体が崩れ始める。切り裂かれた外殻が割れて、内部にいた人間の肌が見えてくる。
覇骸の割れた殻より吐き出されるように落ちた一人の女をベレトは抱き留めた。
生まれたままの姿で現れたエーデルガルトは両腕を回して抱きつく。
ベレトも両腕で包み込むように抱きしめた。
「
「エーデルガルト、よかった……!」
強く抱きしめ合う。互いの存在を深く感じられるように。もう離れたくないと伝えるように。
「……ねえ、師」
「ああ」
「私を……『エル』と、呼んでくれる?」
「エル?」
「私の愛称なの……昔、両親や、仲の良かった姉妹だけがそう呼んだの……あなたにも、そう呼んでほしい」
「光栄だよ……なあ、エル」
「ええ」
「ありがとう、生きていてくれて。本当にがんばったな……!」
「私も同じ気持ちよ、師……生きていてくれて、助けてくれて、ありがとう」
一度体を離して見つめ合う。お互いに笑顔を浮かべていることが嬉しくて、こうしてまた笑みを交わせられるようになれたことが嬉しくて、再び抱きしめ合う。
やっと君に、あなたに会えた──心が一つになれたと感じられて、二人は一層強く身を寄せ合うのだった。