クロエがIS学園に入学する話です。

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経緯

 Tに外の世界へ連れ出されてから一年が経つ。クロエは有象無象の街並みを見おろした部屋で過ごすことが多くなった。

 端末に日報を入力し終えてから、服に袖を通す。小さなバックパックを背負い、ゴシック調の衣装の裾を翻しながら高速エレベーターに乗り込んで一階へ降る。東京湾沿岸にそびえ立つタワーマンションの群れ。Tが投資目的で購入した資産の一部だ。

 軽快車を駆ってなだらかな傾斜を降ってゆく。そのまま並木道を通りすぎて、昭和の雰囲気を色濃く残した家並みが姿を現す。青い屋根瓦が見えた。Tの仮住まいがあった。裏へ廻り、古い戸を開けて幅一メートルほどの細い庭の途中に軽快車を停める。ガラス戸をのぞき見たが、人の気配はない。Tは不在だった。

 玄関にまわって鍵を差し込むと、不意に名を呼ばれた。

 

「篠ノ之さん」

 

 電信柱の影から更識楯無が出てきた。Tをつけ回す組織の一味で、警察にストーカー規制法の適用を求めたら、どういうわけか却下されてしまった相手だ。

 IS学園の制服を着用している。後ろ手を組みながら人懐っこい笑みを浮かべて、近所に実家がある、と前置いた。

 

()()()の行方を知ってるかなって。この前GPSを仕掛けたんだけど、途中でばれちゃって」

 

 勝手に敷居をまたいで上がり(かまち)へ腰掛ける。座り心地がよくなく、座布団の埃を払って尻の下に敷いた。

 この仮住まいは築六〇年を超えており、前の家主が残したガラクタをそのままにしている。

 篠ノ之はTの姓である。Tとクロエは戸籍上親子の関係にある。欧州の片隅で光を求めて闇をさまよっていたクロエを保護し、養子縁組をした。姉妹ほどの年しか離れておらず、養子縁組とはすなわち結婚と同義だった。

 

()()()はいません。私も知りません」

「そっか、残念」

 

 楯無が冷蔵庫を開けた。楯無はクロエの眼中にないといった素振りを気にせず、麦茶のペットボトルを取り出して、フタをねじって開ける。口づけながら注意深く冷蔵庫の中身を観察する。一週間前にTが立ち寄った痕跡を見つけた、と聞こえるように呟く。クロエの表情の変化を期待しているといった風情でニコニコとしたが、無駄に終わった。

 

「もし帰ってきたら、私に教えてよ」

 

 小さな紙片を差し出してきた。クロエが連絡を取り合っていることは楯無も知っている。Tが頻繁に日本を離れるようになったのは、一〇年前のある出来事が原因だ。

 白騎士事件と呼ばれ、ISを世に知らしめた大事件でもあった。理論と技術を持っていたTは大金を手に入れ、両親や妹と離ればなれになった。Tがクロエを引き取ったのは寂しさがあったのかもしれない。

 クロエはTの実の家族と会ったことがない。親族を騙る輩はいくらでもいて、Tが成した財が目的である。そのせいかTは他人を遠ざけ、親友との接触をも絶った。

 

「承諾しかねます」

「そっけないのね、あなたは。私は学校に行かなきゃなんないし、毎日は来られないから、ちょっとくらい協力して」

 

 楯無は両手でクロエの手で覆い、紙片を握らせる。強情を貫くと、いつまでも居座る気がして、クロエは渋々ポケットにしまった。

 

「ありがと」

「別に」

「篠ノ之さん。あなた、年、いくつだっけ」

「今年で一六になります」

「じゃあ、高校に行かないとね」

 

 クロエは初めて目を伏せ、顔を曇らせる。

 

()()()の仕事を手伝うつもりでいます。学校なんか行かなくたって、いいえ、その時間が惜しい」

「そうかな」

 

 楯無はいつになく真剣だった。

 

「大人になったらいくらでも仕事しなきゃなんない。あなたが惜しいと思っている時間は、仕事にだけ費やしていいものじゃないと思うの。このままずっと独りでいるつもり? 今じゃなきゃ、学校には行けないのよ」

 

 真摯な口ぶりだった。楯無の家は旧家だ。昔から軍人や代議士を輩出する有力筋で、方々に顔が利く。

 

「迷惑をかけたくありません。仕事を学んで、ゆくゆくは自立して生きていきます」

 

 だが、クロエはTから与えられた生活に現実感を見いだせずにいた。外の世界(この世界)はあまりにも自由すぎる。

 

「かつてはあの人も学生だったんだから、追体験してみるのもいいんじゃない?」

 

 楯無のことは嫌いじゃない。友人と呼べる人間が周囲にいないクロエにとって、顔を知っていて時々言葉を交えるのは彼女くらいだ。

 用事を終えて外へ向かったクロエを、楯無はあわてて呼び止める。

 

「ちょっと、篠ノ之さん。本題はこれからなのよ」

「お話は充分に伺いました。私は家に帰ります。ストーカー(更識)さんも帰った方がよろしいのでは」

 

 玄関に鍵をかい、軽快車を押して道を歩く。後ろを楯無がつけてくる。仕方なく軽快車を走らせると、楯無も電信柱のそばに立てかけてあったクロスバイクに乗って横に並ぶ。

 一八段変速(クロスバイク)三段変速(軽快車)とではスピード勝負にならない。クロエは立ち漕ぎをやめ、逃げるのを諦めた。

 

「あの人にメールで許可をもらったので、それを知らせたくて。あなたのような年頃の女の子は、たいてい学校に通うものよ。学校っていうのはね、顔を広げるのに役に立つこともあるの。伝手に手を回して枠を用意したわ」

 

 楯無が力強く言ってのけた。Tが楯無と接触したのはこのためだったのか。クロエは視線を寄せた。

 

「枠?」

「そう。あなたはあの人の娘だから、普通の学校で普通の教育を受けるのは難しいと思うの。篠ノ之という姓はとても珍しいの。あの人との関係にすぐ気づくわ。だから、そういうのが珍しくない場所で学生生活を送るのよ。()()()()よ。()()()()()()

 

 学校のことをもちかけたのはどちらが先だろうか。クロエは、楯無のやりとりを察した。Tは少なくともクロエに学校に通うことを望んでいる。意思を尊重せねばならない。

 

「ばいばい」

 

 楯無が坂道の前で引き返した。

 

 

 

 

 

 

 珍しくドローン便が届いた。透明の梱包テープでぐるぐる巻きになった箱にハサミを差し入れ、中から衣類が入ったビニル袋を取り出す。差し挟まれていた封書が床に落ちる。拾って裏返すと、更識楯無、という手書きの署名があった。

 衣類のビニル袋を破る。どこかの高校の制服が三着ある。一着広げてみて首をかしげる。畳み直してから椅子の背に掛けて、底に敷きつめてあった冊子を顔の前に掲げた。

 冊子は辞書並みに分厚くて重いのでダイニングテーブルに置いた。室内はデジタルオーディオプレーヤー(DAP)から水流音で満たされている。クロエは行儀良く椅子に座って、封書の縁を破った。

 パソコンで印刷した送付状とレポート用紙が一部ずつ入っていて、レポート用紙のほうは手書きで楯無の字だと思われた。

 そこで、彼女に押しつけられた紙片のことを思い出した。学業が本業のくせにあれこれ世話を焼きたがる。画面を見つめていると、向こうから電話がかかってきた。

 

「荷物、届いた?」

「届きましたが、何か」

 

 楯無が籍を置く組織はTの追跡を止めていなかった。電話越しの相手に少しばかり警戒心を抱き、つい素っ気ない口調になった。

 

「つれないのね。四月からあなたが通う高校の制服と入学前の手引きを送ったわ。冊子、分厚いと思うけど読んでおいてね。進学校だから出遅れると後に響くわよ。あっ、心配しないで、申請すれば日本語以外でも授業を受けられるから」

「それはどうも」

 

 ひとつだけ気になることがあって質問しようと思ったが、楯無が喋るに任せた。

 

「入学にあたって受験科目のほとんどが免除になったわ。でもね、一つだけ確かめなくちゃならないことがあってね。突然だと思うけど、三日後の正午、レポート用紙に書いた場所に来てほしいの。制服を着て」

「その、制服、本当に?」

「ちゃんと三着送ったわよ。お姉さんはね、服の上から見るだけでスリーサイズを当てる特技を持ってんのよ。サイズぴったりのはず」

「それ特技と言っていい……?」

「どうみても特技じゃん」

 

 クロエの呆れた口調に、楯無がむきになってふてくされた声を出す。

 

「じゃあ、よろしく。三日後、もし道に迷ったらこの番号に電話してね。ばははーい」

 

 勝手に通話が途切れた。かけ直そうにも電波が通じない。

 クロエは携帯端末を置き、制服の袖口をつまみあげた。

 

「これを着ていけ、とストーカーさんは仰るつもりですか」

 

 

 

 

 

 

 三日後、クロエはおぼつかない足取りで指定された会場へ向かった。いつだったか楯無が着ていた制服と同種の服に、黛藍(たいらん)色のウールコートを羽織って、手袋を合わせている。

 正午まで、まだ時間がある。クロエは試験会場と書かれた看板の脇を通って建物のなかへと足を踏み入れた。

 

「この階段で合っているのかな」

 

 クロエは矢印に従い、静けさに包まれた通路を通り抜ける。窓へ首を曲げると、雪が降り出していた。

 くの字に曲がった建物の奥から光が明滅する。手書きの地図には「アリーナ」とだけ記されている場所だ。少し距離を置いたところに黒い遮光カーテンが見え、ダークスーツに身をやっした女性がクロエの手を取り、中へと誘った。

 

「服を脱いで、これに着替えて」

 

 楯無がいて、挨拶もままならぬ間に濃紺色の布きれを投げ渡す。

 いつもとは雰囲気が違っていた。文句を飲み込みながら布きれを広げる。一見した限り、スクール水着に近い。

 クロエは不安と困惑を露わにして、ウールコートを脱いだ。

 一方、楯無のほうも困惑を隠そうとしていない。

 

「篠ノ之さん。その服」

「あなたがこれを着ろ、と仰ったのですよ」

 

 制服は男ものだった。クロエの頬が桜色に紅くなる。

 

「え、そだっけ?」

「そうですよ」

 

 せわしなく出入りする職員がチラチラとクロエの男装を盗み見ている。

 

「ものすごく似合ってるよ。うん、男の子みたいね」

 

 褒められている気がしなかった。クロエは隣の更衣室に入ってカーテンで遮る。渡された服に着替え、楯無の前に立つ。

 

「女の子に戻ったね。よかった。じゃあ、君が乗る機体のところまで案内するよ」

 

 ドローン便に入っていた冊子には実技試験、とだけ書いてあった。何の実技試験か記されていなかったのだが、入学先がIS学園なのだから、おそらくISの稼働試験だと推察した。養親がISの発明者だから、その娘はIS学園に通うのが道理ということだ。たしかに養親の業績を知るにはうってつけの場所だろう。

 楯無が開けたホールの壁際で足を止め、クロエに注意をうながした。クロエは首を横向け、一瞬だけ息をとめた。

 

打鉄(うちがね)って言うの」

 

 黒ずんだ鉄灰色の外骨格だ。打鉄は倉持技研が製造した第二世代ISであり、IS学園では訓練機として制定されている。クロエは薄汚れて傷だらけの甲冑に手を触れ、指先でなぞった。そこら中に亀裂が走り、大腿部の装甲が多数の弾痕でひしゃげて凹んだまま防護皮膜と癒着している。

 支度をすませたクロエは係員の誘導に従った。

 開けた空間を見上げれば、天井から照明の強烈な光が降り注ぐ。麻酔注射で意識朦朧となった自分が、ベッドに身体を横たえたとき、同じような光の形を見た。畏れがこみ上げ、光を避けようと目を瞑る。

 

「――」

 

 目蓋を開けるのと、彼女の声が聞こえるのとはほぼ同時だった。楯無が強化外骨格をまとい、半透明の槍を携えている。

 試験官は普通大人がするものでは。

 クロエは素朴な疑問を思い浮かべる。

 楯無はどこ吹く風といった風情で悠然とたたずみ、それでいて口答えを許さぬ雰囲気を漂わせていた。

 

「篠ノ之さん。その機体に乗るのよ」

 

 外骨格(IS)をまとった楯無と、腹部と胸部が開けた打鉄を交互に見やる。楯無のISはパウダー・ブルーに彩られた半透明装甲が光の加減によって白銀に輝く。

 

「乗りなさい。篠ノ之・クロエ・クロニクル!」

 

 楯無は再びクロエの名を告げる。命令口調に近い響きだ。クロエは楯無が冗談のつもりではないと悟った。困惑顔で打鉄に近づく。

 楯無からどのようにISに乗るのか説明がなかった。聞いても彼女は教えてくれない。事前に目を通した冊子にも、どういうわけか搭乗手順に関する記述が存在しなかった。

 天井に設えた電光掲示板が数字を重ねていく。刻々と時間が過ぎるなか、クロエは目を伏せる。できない、とはすんなり口にだせなかった。ISに乗れることを示さねば楯無のお膳立てとTの意志が無駄になる。養親の商売を手伝うことが難しくなるのだ。

 

「ここで、退いてもいいのよ。私は構わないし、そうなればもうあなたの前には現れない」

 

 楯無がためらいなく言ってのけた。クロエの鼓動が早まる。楯無を追い払いたくてたまらなかったが、それはTのことを詮索するからにほかならない。クロエ自身をはっきり拒絶するとは思わなかったのだ。

 

「……やってみせます」

 

 ISコアが脳波に反応するのであれば念じることで状況を変えられるかもしれない。クロエは、ただ純粋に願った。

 全身が光に覆われる。

 光が和らいだとき、楯無が会心の笑みを浮かべた。

 

 

 

「おめでとう。全校生徒代表として、あなたの入学を祝うわ」

 

 制服に身を固めた楯無は、クロエの肩を拳で軽く小突きながら告げた。

 クロエは女子の制服を身につけていた。後からもう三着届いて、男物を含めれば合計六着だ。あとで楯無をからかってやろうと思いついたので、男子の制服を棄てずに取ってあった。

 

「ありがとうございます。スト……更識さんが生徒会会長を務めていたなんて、今日初めて知りました。事前に仰ってくれてもよかったのに」

「驚かせようと思って伏せてた。謝んないからね?」

 

 クロエがはにかむのを見て、楯無はその場で抱きしめた。その脇を、彼女と同じ髪の色をした少女が通りがかる。わずかの間足を止め、冷ややかな視線を送った。

 

「存じ上げています。それから、あの、皆さんに見られてますよ。そろそろ離れたほうがよいのでは」

「野暮だね。見せてるのよ。あなたは生徒会の庇護下にあるってことを初日から強調しておくの。そうすれば、みんなから一目置かれて安全な学園ライフが送れるってものなのよ」

「そういうものなのですか」

「そーゆーもんよ」

 

 楯無なりに気を遣っているのだろう。確かに、クロエは多様な人々のなかで集団生活を送ることが初めてだった。

 かつて施設にいたときは番号が個人を識別する唯一の手がかりだった。知能と身体能力の優劣を競い合い、優秀さこそがアイデンティティであり、優れていなければ廃棄されていった。学校は廃棄物だった自分をも許容するところなのか。自由を与えたTの手の温もりを思い、桜吹雪の舞う新しい校舎を見上げた。

 

 

 




昔書いたものです。
そのまま眠らせておくのはもったいないと思って、話がまとまっていた冒頭部だけ手直しして投稿しました。

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