「デイジィ……。無茶するなよ」
アベルは冷めかけたステーキを口に含むと、不機嫌そうな顔を向けた。あたしの行動を非難しているようだった。
「何言ってるんだ。あたしがあんな連中にやられるとでも思ったのか?」
「そんなことはないけどさ……。万が一ってこともあるだろ?」
「いいや。万に一つもないね」
アベルはため息をついて、続けた。
「とにかく、何かトラブルがあったらオイラがなんとかするよ。お前が怪我でもしたら、嫌なんだ」
あたしはアベルの顔を覗き込んだ。
「なんだ、心配してるのか?」
もちろんこの程度のことに助けなんて必要はないが、アベルがあたしのことを心配しているのだと思うと笑みがこぼれた。
「じゃあ……次は頼んだぞ」
あたしは椅子の背もたれに仰け反り、頭の後ろで両手を組んだ。一瞬見つめ合った後、 露わになったあたしの脇にアベルの視線が行くのが判った。
アベルが赤面しながら、あたしの眼を見た。まだなにか文句を言いたいようだ。
「それにあんなに脚を曝け出して……。はしたないだろう」
アベルは顔を赤らめて、ステーキの皿に視線を落とした。
「あたしの脚なんて、いつも見てるじゃないか」
「そうだけどさ……。そういうことじゃないんだ。周りに人がいるじゃないか」
「なんだよ。もしかしてヤキモチ焼いてるのか?」
アベルは不貞腐れたようにそっぽを向いた。
遠くを見ている。図星なようだった。
「アベル、大丈夫だよ。あたしが堅い女だってことは、よく知ってるだろ? あたしはあんただけの物さ、今日も宿に戻ったら二人でゆっくりしよう……」
これだけ無欲な男が、あたしのこととなると、他人に肌を見られるだけでも嫌なようだ。
アベルはあたしの脇や胸元に視線を走らせると、喉を鳴らして生唾を呑み込んだ。
「あ、ああ……。すまない、変なこと言ってしまって……。早く宿に戻ろうか」
アベルは急いでステーキを口に詰め込んだ。
今夜のことに想いを巡らせると、胸が高鳴った。アベルと共にカザーブへ来てからというもの、寝る前に愛を確かめ合うのが日課になっていた。ほんの一週間前に処女を失ったばかりなので、まだ積極的に楽しむことができない。毎晩アベルの欲望に身を任せ、あくまでも受け身に回った。
でも今日は久しぶりに一緒に剣の特訓をしたから、思い出に浸りながら燃え上がるかもしれない。
不意に昔のことを思い出した。勇者として成長したアベルはもちろんだが、まだ冒険を始めたばかりの、弱いくせに勇敢だった頃も魅力的だった。
全ての料理を平らげ、席を立とうと思った時だった。
「あの……。さっきはありがとう」
テーブルの横に一人の少年が立っていた。一〇歳くらいだろうか。身体は細く小さい。あどけない顔は、頬を赤く腫らせている。そこで気づいた。
こいつは、さっき荒くれ者どもに絡まれていた少年だ。
「あんたか。いいってことさ、大丈夫だったか?」
あたしは少年の頭を撫でてやった。うかつにも、さっきは荒くれ者どもを自警団に引き渡したあと、少年を介抱してやることを忘れていた。
少年は眼を伏せ、あたしに撫でられるがままだった。
「うん……。一発殴られただけさ。店に被害は出なかったよ」
「ああ、お前はあの店の坊やだったのか。良かったな」
どこかで見たことがあると思っていたが、どうやら広場に面した道具屋の坊やだったようだ。あの店では、カザーブに滞在する間の生活用品を買った記憶がある。あの時はどうとも思わなかったが、こうして見ると結構いい面構えをしている。
不意に少年があたしの撫でる手から逃れた。
いきなり土下座していた。
意表を突かれて、あたしの声が裏返った。
「おい……。どうした?」
少年は絞り出すように喋った。
「オ、オレ……。姉ちゃんの格闘術に憧れちまった。弟子にしてくれ!」
「はぁ……?」
弟子?
そんなもの取るはずがないだろう。
突然のことで戸惑ったが、考えてみればこうやって頭を下げて指導をせがまれるのは三回目だ。
忘れもしない。最初に言ってきたのはアベルだった。自分の力を過信して単身バラモスに挑み、コテンパンにされた数日後のことだった。攫われた幼馴染を目前にしながら、絶大な実力差になすすべなく敗れた。自意識の強いアベルにとっては、女のあたしに剣の教えを乞うなど、屈辱的なことだっただろう。
「オレ、シバっていうんだ」
少年が声を大きくした。
「強くなりたいんだ……。ここのところ、世界が大変なことになってるだろ? この町にだって悪い奴らがたくさん入って来てるんだ。オレは母ちゃんと妹と三人で暮らしてるんだけど、強くならないとさっきの連中みたいな奴らから皆を守れないんだ」
このシバという名の少年は、バラモスが既に倒されたことを知らないのだろう。教えてやれば少しは安心するかもしれないが、それは黙っていようと、アベルと話し合って決めたことだった。
「ダメだ。あたしは弟子なんて取らない」
あたしに弟子入りをせがんだ二人目の男、ナジミの塔で出会ったポポタを思い出す。年齢はシバと同じくらいだろう。外見は似ていないが、同じような境遇なのかもしれない。
「どこかで見た光景だな」
アベルが茶化すように笑いながら、あたしを見つめた。
その呑気さにため息が出た。できるだけ面倒なことに巻き込まれないようにしているのに、こうやって面倒の方からあたしに向かってくるんじゃどうしようもない。
「シバ……って言ったな。もう一度言うよ。あたしは弟子は取れない。見てわかるかもしれないが、あたしたちは旅の途中なんだ。いつまでもこの町にいるわけじゃない」
「ああ、見かけない顔だからそうだと思ったよ。でも、しばらくはここにいるんだろう。だったら、せめてその間だけでもオレに稽古をつけてくれないか? 姉ちゃんみたいな強くて綺麗な人、初めて見たんだ」
そうやって馬鹿正直に言われると手助けしてやりたい気持ちにはなるが……。それでも、やっぱりダメだ。あたしはアベルと二人の時間を楽しむために旅を始めたんだから、他のことに時間を使うわけにはいかない。
あたしは立ち上がった。
「シバ……。諦めるんだ。あたしは忙しいんだ」
アベルは怪訝な顔をしていたが、腕を引っ張って帰りを促すと、しぶしぶと立ち上がった。
「ま、待ってくれ。また来るよ。せめて名前だけでも教えてくれ!」
シバはまだ両手を地面に付いている。
「おい……」
アベルが真剣な眼であたしを見つめた。
「デイジィ、だよ……」
あたしはわざと大きなため息をついた。そしてアベルの腕を掴んで宿へ向かって歩き出した。