高律の日に書こうと思っていたのにやっとひと段落ついたので記録として。一旦完結。

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れ・み・に・せ・ん・す

「高野君、私この辺りまだ詳しくなくて、」

 

この夏から年末までの限定バイトにくることになった女性は偶然にも高野さんの大学時代の知り合いだった。

結婚して関西に住んでいたのに旦那さんの転勤で東京に戻って来たということで、有期雇用のバイトに応募してきたのだ。

 

大学時代の高野さんを知っているという彼女は、仕事中は編集長と部下としてきちんと礼を持って高野さんと接するけど、オフ時間はこうやって同級生として気楽な口調で話をしたりしするという聡いところとお茶目さを両方持つ人だった。

 

「ランチの美味しいお店とか紹介してくれるとありがたいんだけど。」

 

派手ではないけど整った顔で、ニコリと嫌味なく笑う女性に高野さんも普段はギリギリと発している威圧感など少しも見せず、旧知の気安さを滲ませていた。

 

「じゃあ丁度ひと段落ついたから一緒に食いに行くか?最近近くにオープンした店が女の子たちにも評判らしい。」

「あら楽しみ。」

「小野寺、お前も行くぞ。」

「ええ?お構いなく。まだ仕事中です。」

「うるせー、お前ほっとくとすぐに飯抜くからな、とっとと仕度しろ。」

「あ!まだ上書きしてないのに!」

「クラウドなら即時保存だろ。」

「ローカルのテキストです!」

 

作業中のノートパソコンをぱたりと閉じられて、あわあわと騒いでいたら首根っこを猫のように掴まれたから体勢的に引き摺られるようになってしまい、俺の姿を見てその女性、桂川爽子さんはクスクスと笑った。

 

その落ち着いた表情に気持ちが揺れる。

 

『大学時代の高野さんってどんなでしたか?』

 

喉の際まで出てくるその言葉を何度飲み込んだだろう。だけど横澤さんが俺に投げつけてきた厳しい言葉が次々に浮かんできて怖くてその問いを発することはできない。

高野さんが荒れていた時代のこともこの人は知っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

評判のランチのお店は会社のビルのすぐ裏口すぐ前にあって、会社からの立地はそりゃめちゃ良いけどさすがに昼の時間はその他のお客さんで混んでいた。とはいっても昼時間だ。皆忙しいのは承知しているから回転も早いようで、待っている人はそれほど多くなく、互いに目で会話をしてそのまま予約表に人数と名前を書いて待合のパイプ椅子に座った。

 

ランチタイム時はいろいろと考えられているようで、待合の席にもメニューがおいてあって、先に注文を決めるようになっている。

簡単な写真付きのその冊子のページを見ながら美味しそうなメニューに『なににしようか?』などと返事が必要なのか分からないような呟きをもらした。

 

 

 

「さすがに女の人が多いですね。見知った顔もけっこういる。」

 

お客さんはママさんらしき主婦層もいるようだけど、やはりビル裏というだけあって丸川の社員も多く食事を楽しんでいた。

 

「総務の課長さん(女性)がここベタ褒めだったんだ。」

「あ、あの情報通の方。すごいですよね。スイーツから駄菓子のおすすめ店まで教えてくれます。」

「情報共有のためのグループチャットがあってメンバーに入れてもらってる。」

「なるほど…。高野さんのトレンドへのアンテナの一つはそれでしたか。」

 

口は忙しくおしゃべりに動かしながらも目は写真を追っていく。

ランチメニューにはサラダと味噌汁かスープ、それから小鉢のデザートもついてくるようで見た目もカラフルだ。女子に評判というのも頷ける。

 

「ちなみに一番のお勧めメニューは大根おろしがかかった油淋鶏800円で、比内地鶏を使っているのにランチだから千円でおつりまでくるというありがたさだ。数量限定だけどな。」

 

やっぱりランチかな?なんて思いながらもランチ以外のページも念のためめくっているとそんな風に情報通からのありがたいお告げが高野さんからもたらされた。

 

油淋鶏、おいしそうだけどエビフライも捨てがたい。盛り合わせにはアスパラや淡竹のフライもあるみたいだし…。

 

「じゃあ俺は…、フライ盛り合わせランチにします。」

「なんでだ!」

「高野さんが油淋鶏食べるなら一つもらえばいいかなって?エビフライ一つ差し上げます。」

「おまえ…。」

 

フッと高野さんが柔らかいため息をつくと、その向こうに座っていた桂川さんが

「小野寺さんと高野さんは仲がいいですね。」

とクスクスと笑って言った。

 

仲がいい…。

 

そうだよ、俺たちは少し前にやっと恋人と呼び合える関係になったんだ。

俺の中で高野さんを拒絶する理由がグンと減ったから素で話もできている。

 

 

「大学の時の高野君と横澤君を知っているから面倒見のいい高野君ってちょっと意外な気もして年取ったって感じちゃった。」

「別に年取ったから丸くなったってわけじゃねーし。」

「どうだか。あの頃は寄らば切るって感じだったから。」

「寄らば切る…?」

「文節2つ以上喋ったら損だって思っているかもって気がしたぐらいね。喋らないで視線で射殺すみたいだった。まあ、それが一部の層にメチャモテしてたんだけどね。」

 

昔の高野さんには興味があるけどこういう話はあまり聞きたくない。

 

わがままなフォロアーな俺にはネタバレ注意のタグつけてくれ…。特にブラックな部分をよけるような…。いや、全く聞きたくないわけじゃない。聞きたいけど聞きたくないって、自分の気持ちが分からない。何だかもやもやする。

 

 

 

「よけーな話してねーでさっさと食って行くぞ。混んでるし。」

 

予め頼んでいた料理は席に案内されるや否や目の間に並べられて、都合の悪い話になる前にと思ったのか、高野さんは割りばしをパリっと割りながらそう言った。

 

昔話の中止にホッとして、まだ使用していない箸でお約束のエビフライをつまんで無言のまま高野さんの漬物の手塩皿に移すと、高野さんが鶏のから揚げを二つご飯茶碗に入れてくれた。

 

さっぱりと辛い大根おろしと甘酸っぱい鶏肉は暑い季節にはぴったりで、フライセットより人気があるのは納得だった。

 

その肉をクシュと噛み締めると揚げたてのから揚げの中からはジュワンとうま味の脂が口の中いっぱいに広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽▽▽

 

「昼が揚げ物系だったからな。」

 

高野さんが夕飯に用意してくれたのは焼きナスが添えられた素麺、シラスとオクラとトマトの乗った冷ややっこ、海藻サラダ、むね肉で作った棒棒鶏、細切りの野菜やキノコの入った酢の効いたかきたま汁だった。

 

昼の事を気にしていないわけじゃないけどあえて話題にするほどでもない。ついでに蒸し返す度胸もない。

大事なことも大事じゃないことも話をしないのがデフォルトの二人だ。だから拗れるし暴走する。

 

聞きたい。聞きたくない。知りたい。知りたくない。だから互いに知らないまま地雷を踏む。

 

ア ク ジュ ン カ ン …。

 

 

「焼きナスも蒸し鶏も電子レンジで作れるってすごいですね。美味しい…。」

「本当は焦がしてコロコロって皮をむくんだろうけど、そんなに味変わんねーじゃんな。」

「魔法の機械ですね。電子レンジ。」

「ははは、おまえにかかれば何でもみんな魔法だな。」

 

食事の感想はスラスラ出てくる。本の感想も。

 

だからいつだって二人は自分たちの中身をそれに託す。好きな本。好きではなかった本。美味しい食事が楽しい時間を上書きする。

 

今のこの瞬間がこれからもずっと続いて行くことを祈っている。そのためには何が必要なのだろうか。長年身についたひねくれ気質で素直になりきれない俺だけど、せめてそれを頑張ってみようと思ってる。後悔することのないように高野さんを傷つけるようなことにならないように。

 

しかし…。

 

努力はするけどそう簡単に自分を変えられないし、土台がないからうまくできない。

結局失敗を恐れていつもの二人のまま本日に至る。

好きだと言えたことがひょっとしたら奇跡だったのかもしれない…。

 

 

 

 

「高野さんが魔法使いなんです。魔法の杖は高野さんの掌の中にあります。」

「なにそれ?」

「一人でコンビニ飯をレンチンしてもなんにも美味しくなかった。」

「…。」

「でも高野さんと食べたならレンチンのご飯も美味しいに決まってます。」

 

少しだけ頑張って切り返した俺の言葉に高野さんが戸惑うのが分かる。

高野さんはモテるしモテてたし、きっと色々と女性からアプローチもされてきたのだろうにこういうシチュエーションは俺限定で苦手なようだ。

 

「乙女か?」

「少女漫画編集ですから。」

 

照れると口が悪くなるのは相変わらずで、俺だってこんなこと言っちゃってさって、テレが廻って目を逸らさず真正面からその顔を見ることができているのが不思議なくらいだ。

その証拠に顔が熱くなってるのがわかる。

 

でも頑張って見てるから、ああ、高野さんはいつもこんな表情してたんだって分かって、今までの色々が少しづつ溶けていく。

 

恋しいより愛しい。

 

確かに感情は進化している。

 

「少女漫画脳にすっかり汚染されているんで、今日は…、」

「今日は?」

「きっと俺も甘いと思いますけど…。」

 

だから食べてもいいですよ…。

続くそんな言葉はさすがにかきたま汁と一緒にずっとすすって飲み込んだ。

 

気持ちが伝わったかな?

少しだけ俺からも『お誘い』できるようになれたかなと椀に唇を付けたままで気配を探っていると「やばい…。飯食ってる場合じゃねーな。」と高野さんがフッと乱暴に息を吐いた。

 

顔を見ればきっとそこには不似合いな照れた顔があるんだろう…。

そしてその妄想はこれからの二人を妄想させてひどく熱く感じた。

 

 

 

「だから今の編集長の高野さんを見ていると何だか変な感じよ。」

 

桂川さんが『高野さん』と呼ぶのは一応仕事の最中だからだろうけど、話の内容は極めて個人的な事だった。そして話が弾むとだんだんと『高野君』になって行く。

 

奥さんの桂川さんとまだまだ新米社員の俺が、アンケートの集計方法をレクチャーしながら一緒にさばくには話題がなさすぎるから高野さんの話になってしまうのも致し方ない。

 

というか、もちろん始めは家族のこととか趣味などのお互いの自己紹介めいた話をして、俺からはエメ編のメンバーのあたりさわりのないエピソードをご披露したり、時々何かのツボにはまってメチャ受けている桂川さんを見ると俺自身も調子に乗って多少ディープな話をしてたりして…、そのうちに話題が尽きて、聞きたくて聞きにくい大学時代の高野さんの話になったりのは必然と言えるかもしれない。

 

 

「とにかくイケメンでしょ?もう目立っててね。友人が高野君のことが好きで、そのせいでストーキングみたいな追っかけに付き合わされたり、ゼミに一緒に入ってって言われて狭き門に挑戦したのに、友人はそのうちに別の人と付き合っちゃってね。こっちはすっかり置いてけぼりになったのよ。」

 

ああ、これは横澤さんから聞いていたもてる高野さんの時のことだ。

高校の時の嵯峨先輩は物静かでかっこよかったけど派手なとりまきはいなかった。

 

高校生のモテメンの定義は顔だけじゃなくて、運動とか面白いとかもあるから嵯峨先輩は人気投票一位とかそういう目立つ感じじゃなかったと思う。

俺のように、本気の人がひっそりと想いを寄せているという感じが似合っていた

 

だから大学の時の話は少しもピンと来なくて、それが俺のせいだって横澤さんに言われても戸惑いしか湧かなかった。

そもそも俺が嵯峨先輩にそんなに影響を与える存在だったなんて、夢の夢の更にその先の妄想でさえも思ったことがなかったから。

 

 

「っでね、一緒に活動しているとそれなりに高野君のこと分かるようになってね。思ったより気配りもできるし、イケメンの横澤君とセットで見栄えもいいしね。役得だったわ。男同士っていいわよね。当時の横澤君と高野君って、何だかべたべたしてないのに分かりあってるって感じでね、女の子といるより二人でいるのがしっくりきたっていうか、女の入る隙なんてないって感じの友愛感じて憧れたものよ。」

 

桂川さんはふふふと思い出に気持ちを飛ばして薄く笑った。

俺もその時必死で笑顔を作って相槌を打った。

 

『二人でいるのがしっくりきた』って言葉に…、どんな風に笑ったかまでは分からなかったけど…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽▽▽

 

最終のゲラのチェックも済んでやっとエメラルドは校了した。

『今月号も無事に出せる…。』

という気持ちが油断だったんだと思う。

 

今回は他の月に比べて特別に遅れたわけではなくて、いつもレベルのドタバタだったはずなのに、(とは言っても、『いつも』のレベルが桁違いに激しいんだけど…、)校了を宣言する時間が夕刻を過ぎていたから、早くその他の雑事を済ませて帰りたいという気持ちが強かったような気がする。

 

作家のお尻を柔らかくも容赦なく叩き、印刷所にはお互いが死なないレベルの日程はどこかという相談に通い、夏の終わりの宴をやるぞと突然思い立ったらしい社長のために居酒屋の仮押さえをしたりで一週間程は不眠不休だった。

 

校了が午前だったら、『どうせ定時まではいなきゃならない』とゆったり構えていられたのに、みんながさっさと帰り支度を始めたから、慌てて俺も目の前のチェック済みのゲラの山を片づけるべくそのすき間に腕を突っ込んだんだ。

 

まさかそこにむき身のカッターが潜んでいるとも知らずに…。

 

 

それは身を切った痛みとは異なる感覚だった。

ゾクッとするというか、氷の爪で痕がつくぐらいに強く撫でられたような、痛みより冷たいという感触だった。

 

瞬間の『あ!』という肉体的な感覚は「ヤバイ」ことが起こったことを察知して無条件でゲラをかばった。

 

身についた感覚は素の時ほど脊髄反射を呼ぶようだ。脳みそが判断したなら「もう捨ててもいい色校」だってわかったはずなんだけど。

 

というわけで、とっさの腕の引き抜き方が悪かったみたいでカッターの刃は俺の腕を丁寧になぞった。

 

慌てて胸のあたりまで上げた手からはパタパタパタパタと赤い色が溢れて床に落ちたけど、その瞬間もまだ『痛い』は感じなかったから、彼岸花のようで綺麗だな、なんて見当違いなコト考えちゃったりしたんだよね。

 

でも察しのいい木佐さんが俺の不審な動きをすぐに見つけて「ギャー!りっちゃん!」と悲鳴を上げた。

 

あらためて自分を見ると七分のシャツの袖は真っ赤で、手の甲から腕にかけてパックリと傷が開いて見えた。

 

肉は白い。鶏肉で似たのをみたことがあるけど、ビラビラと黄色く見えるのは脂肪か?

こんなにペライ身体でも脂肪は一応ついてたんだなとか考えている場合じゃなくて、やっと遅れて来た痛みは今度こそ尋常ではなかった。

 

そのまま腕を押さえてうずくまると、パニックでチラチラと視界が揺れてひどいめまいが襲ってくる。

 

「心臓より上に上げるんだ!」とか「なにか押さえるもの!」とか周りから慌てた声と支える手が飛んできて、目の端に眉毛を釣り上げた高野さんが迫ってくるのが見えた。

その形相に『怒られる』って怯んだのだけど、怒鳴り声の代わりに高野さんのちょっと冷えた手の平が他を押しのけ俺の肩をぐっと抱えた。

 

「救急車と俺の車とどっちがいい?」

 

腕の中に収められているせいで高野さんの鼓動が激しく鳴っているのがわかる。そうしている間にも俺の腕には高野さんが着ていた薄手のパーカーがギュっと巻かれた。

 

「救急車はちょっと…、」

「わかった。立てるか?」

「大丈夫です…。」

 

冷静な部分とうろたえている部分がぐるぐるしてしまって、あまり動くこともできないでいる俺を高野さんは抱えるように支えながら、あとのことを羽鳥さんに任すと言ってエメ編から病院に向かってくれた。

 

会社の横にある駐車場までの間も高野さんは何も言わず、支えてくれている腕からも感情は見えなかった。

手の傷は心臓の鼓動と同じリズムでズキズキと痛んで辛かったけど高野さんが静かなことが気になって痛み以上に息苦しかった。

 

 

 

病院で処置をしてもらう際に、こういうことがあると労災になって、部署や会社の評価とか、手続きとか結構厄介だと知っているから、自宅で怪我をしたことにしてと言ったのだけど高野さんは頑として聞こうとはしなかった。

 

「そういうことを含めて編集長としての責任だ」とかなんとか言っていたけど、痛いやら後悔とかやらであんまりそのあたりは覚えてない。

 

医者への説明も病院の支払いや薬、次回の予約とか、とにかく何もかもみんな高野さんがやってくれた。

 

怪我したのが右手で文字も書けなかったということもあったけど、予後の後遺症は大丈夫なのかとか、日常生活はとか、質問がびっしりしすぎてお医者さんも引き気味に見えたほどだった。

(上司の方ですよね?と、説明の途中で確認された。⇒流石に恋人ですとは言えず…。)

 

 

相変わらず迷惑をかけっぱなし、されるがままで、俺は庇護を受けるだけのひな鳥のまま病院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽▽▽

 

 

「お前は何度俺の心臓を止めれば気が済むんだ。」

 

家に帰って、玄関の鍵を閉めた直後、高野さんは俺に背を向けたままそう言った。

縫うために効かせていた麻酔がさめ始めて、手の甲から腕にかけて全くの他人だった感覚が戻りつつある。

 

手首の関節の上を通っているために今はきっちりと固定をされてはいるけど、傷は一つだけだからたかがしれている。

それでも神経が多く通っている手の甲の予後を考えて、痛みが戻らなかったり指がうまく動かないことがあればすぐに来院するように言われていた。

 

高野さんの恨み言にうまく返せずに、(全くそのとおりだと思うから)黙っていると、振り向いた高野さんはストンと足元に二人分の荷物を置いて真正面から俺をガツっと抱きしめた。

薄い筋肉に覆われた二の腕は、いつもなら頼もしく感じるのに今は軽く震えていてひどく弱々しい。

 

せめて背を擦ろうと包帯で雁字搦めの腕をもちあげるとピリっと痛みが走って、その肉体的な痛みがこの人の心の痛みとシンクロする。

 

この人がずっと虚勢を張って立っていただろうことはわかっていた。基本繊細な人だ。いつだってハリボテの強がりで後悔を隠している。

 

 

「どうしたらお前を安心して放っておけるんだろう。」

「それは…。(俺がドジなだけで…。)」

「悪かったって思ってる?」

「も、もちろんです。それにきっと羽鳥さんとかみなさんが後片付けもしてくださいましたよね…。血液なんて良くないのに…。」

「やりっぱなしにするからこういうことになるんだ。なんでもかんでも一回ごとにもとに戻しておけば、お前ってさ、…。」

 

 

と、高野さんのお説教が始まるのかと身構えたのだけど、「やっぱ今はいい。」と言葉をとめた。

 

「すげー動揺してる…。ずっとカッコ悪いとこ見せてるのが恥ずかしい…。だけどお前の事だけは冷静になれない。」

 

高野さんの言葉は小さくて俺にではなく自分に言っているように感じて胸が締め付けられるように苦しい。高野さんはずっと怖がってる。俺に去られた過去を引き摺って、こんな小さいことでもまた怯えて震えて。

 

高野さんを傷つけるのはいつだって俺で、俺はと言えば、昔と変わらず迂闊で独りよがりだ。

 

『おまえが政宗を傷つけたことに変わりはねーんだよ!』と横澤さんに怒鳴られた言葉が脳内をリフレインする。

 

せめて高野さんを安心させられる俺になりたい。そして出来れば過去の嵯峨先輩も守れるような大きな自分になりたい…。

 

 

分かってるはずだったけど分かってない。そんなことがいっぱいある。

 

知りたいけど、知りたくない、だけど知らなきゃいけない。

 

そんなことが山ほどあるから…、

 

どうしたらいいのか、もうよくわからない。

 

 

 

 

 

病院から帰って来て、高野さんが食事を作ってくれるっていうから、ソファーで休んでいたから…。

 

 

あれ??ここは?見覚えのない景色だけど???寝ちゃったのか?じゃあこれは夢かな?

 

にしては…、リアルな感じだ…。

 

 

あれ?なんだっけ?

 

なんだっけ???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「高野君、今日もかっこよかった。」

「優香っていつもそればっかりだよね。」

「え~、爽子の方が変だよ。高野君のこと好きにならないなんて。」

「ふふふ、優香のこと見てる方が面白いよ。」

「変なの。」

「お互い様。」

 

どうやらここは食堂?のようで、すぐ後ろの席で聞こえてきた『高野君』にギクリとして耳が全部そっちに持ってかれた。

 

「あー高野君と結婚したい。」

「はいはい、午後の講義始まるから早く食べきってね。」

「ちぇ~。って言っても確かに時間ない。爽子はどうする。休講だったよね?」

「図書館でも行って時間潰しとく。遊んでないで終わったらすぐ来てよ。」

「オッケー、」

 

『講義』『休講』って、ここは大学か??

そして夢なのに手が痛い…。見ると包帯はぎっちり巻かれていて、目の前の食事を食べようにも右手なので自由が利かない。

 

全くどういうプロット切ってんだ?俺??夢ってさぁ案外自由になんないんだよね…。夢でも手が痛いってことは、現実をどっか引き摺ってるってことだろ?

トイレ行きたくて何度もトイレに入るけど全然すっきりしないって、例のあれなわけ?

※すっきりしちゃったら現実の俺は大変なことになってんだろうけどね(汗

 

だけど夢だって分かってる夢ってどうなんだろう…。この後俺はどうしたらいい?

 

目の前にはサンドイッチと紅茶、ああ、大学時代の俺だったらそんなものをチョイスしただろう。コーヒーをブラックでガブガブ飲むようになったのは仕事をするようになってからだ。特に最近は眠気を払う薬のように飲んでいる。

 

腹が減っているし丁度良いとばかりに、目の前のハムとキュウリのサンドイッチにかじりつくと安っぽいマーガリンの臭いが鼻についた。

高野さんはハムには和芥子とバターで、俺の好きなしゃっきりとした薄切りのキュウリをいっぱい入れてくれるんだ…、なんて、気にした事もないようなそんな食の記憶が鮮やかに浮かぶ。

 

結構愛されてるよね、俺…。

 

俺はそれに何を返せているのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽▽▽

 

メラニン皿に乗ったパサついたサンドイッチを食べきってもなお俺のこの夢は終わらないようだ。右手は相変わらず痛いので用心しながらショルダーを肩にひっかけて食器を片づけ終わると、俺はその食堂らしき場所を後にすることにした。

 

季節は、現実の俺の世界と同じように暑い。空調の効いた部屋から出ると廊下は蒸された空気の詰まったサウナのようだった。さっき予告編のように会話に出て来た『高野君』と、俺はこれから会えるんだろうか?

 

これは夢だから、もしそうならきっと俺の思い描いている高野さんがいるはずだ。

 

だけど…、たとえ夢でも傷ついて荒んだ高野さんを見たくはない。それを見た俺は傷つくだろう。だから俺を傷つける存在であって欲しくない。

 

自分自身がきちんと高野さんと対面できていないのに、たとえ夢であっても何者かに高野さんを暴いて欲しくない…。高野さんと俺の関係について、誰かに何かを言われて互いに傷つくようなことはいやだ。俺たち以外の誰かに責められたくないし擁護されたくない。

 

 

そうか…、桂川さんに聞かされる高野さんに戸惑っているのはそういうことなんだな…。高野さんの事を知りたいけど他の人の目を通った高野さんのことを聞きたくない。そういう相反する気持ちを持て余して、二人であることを選択したくせに今更知りようもないことに焦れてぐるぐるしてしまう。

 

でも過去のことに「ごめんなさい」なんて言えない。だってあの時の自分はやっぱり真剣に嵯峨先輩が好きだった。そして…、嵯峨先輩も本当に俺のことを好きでいてくれたんだろう…。

 

二人にあるのはその気持ちだけでいいのかもしれない。

 

誰に対してもうまく説明できないし、説明したくない。俺たちを断罪して裁けるのは互いじゃなければいけない。

 

いや…、たとえ高野さんにだってそれを理解して赦してほしくない。

 

若さとか、思い込みとか言い訳するなら色々とあったけど、確かにあの儚い季節に、俺たちは二人でいた。

 

ただそれだけでいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽▽▽

 

一旦外に出て鮮やか色の花を湛える夾竹桃の日陰を散策するといかにもな昇降口のある建物が目に入った。資料館とかそういう文化的なものの詰まった雰囲気がありありとして、暑さ逃れもあってそこに入ってみることにした。

 

ナチュラルフローリングの床が続く薄暗い通路を進むと予期していた通りそこには図書室があった。

 

きっとあの人はここにいるはずだ。だって、これは俺の夢なのだから。

 

 

本の分類項目を探すふりをしながら人々の姿を覗っていると案の定窓際の棚の近くにスラリとした体躯の目的の人がいる。

足を軽く交差して壁に身を預けて立つ姿にはやはり見惚れる。眼鏡をかけているせいか嵯峨先輩より少し高野さんに近い。

 

そんなに見つめたらばれると思うものの目が離せない。いつだって俺はあなたのことだけは見つけられるし弱いあなたの道しるべに俺はなるから、あなたも俺が目的地を見失ってさまよっても、いつもそこに居て。絶対に見つけるから…。

 

「あ、高野君がいる…。」

 

後ろから小さく聞こえてきたのは聞き覚えのある声だった。

ふり返ってわざわざ見なくても、それがさっき食堂で話をしていた人だと分かる…、いやこれは若い頃の桂川さんだ。

その小さいつぶやきは自分にも覚えのある甘さを含んでいた。

 

そうか…、桂川さんも高野さんが好きだったんだな…。友人が…、なんて言ってたくせに…。

本当はどこかで気づいていたのに気づかないふりをしていた自分に今さら苦笑する。

 

『昔好きでした』ってよくあるシチュエーションだよね…。でもさ、どうして『好きでした』って過去形にできるんだろう。囚われて忘れようとして、まるで影を自分から剥がそうとするぐらいに足掻いたしじたばた藻掻いたけど、結局たった一人しか好きになれない。

 

無理だった…。

 

 

人の持つ色々な気持ちを、ここにある書籍のように、分類できたら心の奥にある宝物入れに綺麗に仕舞えるんだろう。だけどたった一つ、俺の持つ恋心はいつまでも剥き身で激しく輝き続けるから、結局どこにもやれなくてヒリヒリしながら素手で抱えて歩くしかない。

 

ぼんやりとしばらくそのまま立ち姿を見つめていたけど、ここが図書室だということを思い出して懐かしい本たちもあるのかなと、折角なので見て回ることにした。

何度も何度も繰り返し読んだ好きだった本の一つのフレーズ。ドキドキしながら展開を楽しんだミステリ。

先輩が追っていたジャンル。先輩が読んでいた作家。懐かしい…。

先輩なら次はこの本を読むかもしれないと伸ばした先で触れ合った指先は、今の高野さんと同じように冷たかったかな?

 

もう一度あの日に戻れたら俺はどうしただろう…。

 

そんなの決まってる。

 

絶対にうまくなんてやれっこない(笑)

 

 

 

自分の夢の中とはいえ宇佐美先生の本がずらりと並ぶ棚は壮観で、取ろうとして腕を持ち上げるとズクリとひどく痛んだ。

そうだった、手をケガしていたんだ…、と少しだけ腕を庇うように身体をかがめ痛みに耐えていると「その本取るんですか?」と横から澄んだ声が聞こえた。

 

ハッとして顔をあげると、いつの間にそこにいたのか嵯峨先輩から移行中の若い高野さんとバチリと目があった。

 

本に夢中になると回りが見えなくなる。ついさっきまで窓際にいたくせになんでここに?って、やっぱり自分はこの人に素で突進する勇気がなかったことを思い知らされ、うろたえて声も出せずにパクパクしていると、高野さんは不思議そうに俺を見てから、いつもの感情の籠っていない表情で「溶けそう…。」とだけぽつりと呟いた…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▽▽▽

 

 

「律、そろそろ飯にするぞ」

 

いつのまにかソファーでうたた寝をしていたらしい俺は軽くコツンと頭頂部を小突かれて目を覚ました。

 

あれ?ここは???

 

夢からの覚醒は一瞬だった。どこに居るのか少し混乱をしたものの、自分が元の世界(異世界行ってないけど)に戻って来たことを理解した。

時計を見ると1時間位は寝ていたようで、夕飯時間には遅いぐらいだった。

 

 

 

「なに変な顔して…。」

この人は俺の高野さんだと、不思議そうな顔の恋人をじっと見つめるとホッとした。やっぱりずいぶん緊張した気持ちで夢をみていたんだな…。

 

 

「夢…、を見ていました。」

「それで…。」

「え?」

「『高野さん』って何度か呼ばれて、なに?って返事したんだけど寝言だった。」

「寝言で?」

「まあ、おまえが『先輩』って呼んだ時はむかついて叩いてやろうかと思ったけどけが人だから我慢した。」

「…、あんたって人は…。」

「まあ、相変わらず幸せそうだったからってのもあったんだけどな。」

「せ、先輩も高野さんも…。オナジヒトデス…。」

「随分ぎこちないけどなに?その言い方。」

「ソンナコトアリマセン。」

「おまえ、なんでいつもそうなの?」

 

急に高野さんが真顔になるから逆に戸惑う…。でも、ああ、悔しいけどこんな顔もカッコイイ…。

それから高野さんは手で口元を覆うとスッと目を逸らした。

 

「俺が好きだって…、そんな溶けそうな顔すんなよ…、」

 

高野さんが小さく「照れるわ…、」と呟いたから、夢の中の俺がどんな気持ちで高野さんを見ていたか思い出した…。

 

 

そう…、いつだって俺は溶けそうになるぐらいこの人のことが好きなのだ…。

 

 

そんな話をしながらも高野さんはダイニングテーブルに和カフェかと見まごうような色とりどりの料理を並べて行く。

手際の良さは仕事でも証明済みだけど、なんというかいくつものタスクを同時に行えるというのは本当に素晴らしい。俺なら照れたら溶けてそのまま行動はフリーズする。

今日のメニューは肉じゃがと小鰺の南蛮漬け、タタミイワシとキュウリと海藻類の酢の物、豆と根野菜の入った飛竜頭のおろし餡かけ。漬物と汁物。

 

その旨そうな匂いを嗅いだだけで夢で食べたサンドイッチは夢でしかなかったと思い知らされ、手伝う隙もないので、のろのろと椅子に座って料理を前にするけどいつもの場所に箸はなかった。

 

「箸用意します。」

「おまえ要らねーだろ。」

「それは…、」

確かに箸はうまくもてそうにない、けど、わんこのように食べるわけにもいかないし…、なんて考えていると、大きくもないテーブルに、料理が横に綺麗に並んでいた。

 

「って…、なんで今日は並んで座るんですか?」

 

一応椅子は4人分あるのだけど、お互い使う場所は決まっていて、テレビ(撮影とかのシーン)じゃないから並んで座ることなんて一度もなかったのに、今日はみっちりという効果音が鳴るのではないかというぐらい近い場所に高野さんは白飯を持って座った。

 

「は?だってお前右手つかえねーだろ?」

「え?あ、それは…、は…い…。」

「だからぁ」

 

高野さんはおもむろに肉じゃがを自分の箸で一すくいして「アーン」と言いながら俺の口元に運んできた。

 

「うそでしょ!?」

「なんで嘘なんだ?おまえの右手がやることは全部俺が代わる。」

「右手でやることって…。」

「心配ばっかりかけやがって!罰だから、拒否権ないから。」

「うそでしょ!?」

「うるせー。下の世話までしてやるから安心しろ!」

「うそでしょ!!!」

 

 

うそでしょ!?!?

 

いくら逃げても叫んでも…、この人に通用するわけはなくて…、目の前に次々に差し出される料理をまるで鳥の雛のように必死で食べた。

 

なんだ、この羞恥プレイは…。

 

だけどそうしている高野さんがすごく嬉しそうで…、罰だっていわれたけどそれはそうじゃなくて自分に対するご褒美だと思うように気持ちを切り替えた…。

 

だから…、左手で済むことまでも全部お世話されたお話は…。

またチャンスがあったらどこかで…。

 

 

 

 

 

 

 

▽エピローグ▽

 

 

「小野寺さん、大丈夫ですか?って、大丈夫ではないと思いますが…。」

 

ケガをした翌日は桂川さんのバイトの出勤日だった。

恥ずかしながらと昨日のことを軽く説明をして、細かい他の作業をさらにお願いすることになったのだけど、夢の中の桂川さんの事を考えるとちょっと複雑だった。

 

「小さい縫い傷なのですぐ治ると思いますが、少しの間おひとりでお願いできますか?」

本来はアンケートの集計や資料のファイルなどは一人にお願いするものなのだけど、それでもいきなり放り出すような形になってしまうことに罪悪感が湧かないではない。

しかし桂川さんは「それは構いませんし、やり方は分かったのでこれからは一人で大丈夫ですけど、利き手は不自由ですね。いつでも右手の代わりにお手伝いしますので言ってください。」とにこりと笑って言った。

 

 

もちろん桂川さんには他意(邪な気持ち)はないのだろうけど、『右手の代わりだ』と言いながら、昨晩の高野さんにあれこれお世話された身としては居たたまれない気持が湧く。あの人はちょっとこっちがゆるい態度に出るとすぐにそれに付け込んでくるから始末が悪い。

どうしようかと思考がぐるぐるしてる間にことは2000000メートルぐらい先に進んでしまってる。

 

はぁ…、ホントホントホントホントしっかりしろ小野寺律と自分を叱咤するけど、あとの祭りだ。

 

 

「そうそう、昨日、大学時代の夢を見たんですけど、なんと、小野寺さんが出て来たんですよ。」

「え?俺ですか?」

「そうなの、小野寺さんと高野さんが図書室で楽しそうに本について話をしてて、夢って面白いですね。そんなことありえないのに。」

 

『そんなことありえない』という何気ない桂川さんの言葉に不覚にも泣きそうになった。

 

 

それは、本当はあったかもしれないあの頃の二人だ。

 

過去を悔やんでもしょうがない…。

でもそれを悔やむのも二人だけの想い。

 

 

 

今夜は少しだけセンチになって高野さんに甘えてもいいですか?

昔の二人をひっそりと慰め合いましょう…。

 

 

おしまい。

 


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