彼女にとっての恋心は、昇華されることなく棄て去られました。
だけど、彼女はそうなることを殆ど知っていたのです。だって、彼は、何をしていようとも、基本的には彼女の方を向いていたのですから。
正直悔しい気持ちは確かにありました。だけど、自分が選ばれることがないということも知っていた彼女は、それを飯の種に出来れば、少しは面白おかしく振り返れるかなとも考えたのです。
とするならば、折角だから、自身と同じ思いをしている、するだろう人達にも取材をしてみればいいかなと、不埒な考えが浮かびました。
となれば、善は急げ。どうせなら、今最も勢いのある棋士という側面からも取材をして、掲載料を受け取れれば一石二鳥です。
「もしもし、『将棋世界』さんですか? はい、依頼じゃなくて、持ち込み記事の掲載許可ってもらえます? あぁ、取材はこれからなんですけれど」
ということで、供御飯万智による、記者鵠としての、周囲から見た九頭竜八一竜王の素顔に迫る取材のはじまりはじまり。
勿論、自分からはそのことを知らない人に自分の口からどうなったか伝えないように、細心の注意を払いながら。
第一譜:雛鶴あい女流初段
――ということで宜しくお願いします。
「はいっ、宜しくお願いしますっ!」
――別にそんな畏まらなくてもいいですよ、
「いえっ、鵠師匠にはまだまだ教わらなければいけないことがいっぱいありますし!」
――まぁ、今回は将棋のこともですが、主に師匠の九頭竜八一竜王についてお尋ねしたいのですけどね。
「ししょー? どうしてここで師匠が?」
――九頭竜竜王にはお世話にもなっていますし、帝位戦挑決を前に竜王に親しい人からインタビューして素顔を読者目線で見せようと思いまして。
「いいですよー! それで、どんなことを聞きたいですか?」
――そうですね、雛鶴さんから見て、お師匠さんはどんな方ですか?
「そ、それはですね……時折抜けてて、いつも女の人を侍らせてるのは内弟子として皆さんに挨拶しなきゃいつも師匠の傍に付いているのは私ですよとはいつも思うのですけど、それを抜きにすれば全てがかっこいい、というのはあります。何より、私は師匠が将棋指しているところに憧れて飛び込んだということもありますし、いいところは私もどんどん生かして、悪いと思うところは私なりに染められればいいなと思います。あとは、とにかく疲れている時とかは、全力で私を使って休んで欲しいですね!」
――正直ですねぇ。
「も、勿論師匠には面と向かって言わないですよ!? だけどぉ、それでも、時折私の身体で癒してあげたいなぁって思うこともあってぇ……♡」
――欲望を隠さないんですね……。将棋的には、女流名跡リーグ入りを果たして、意気込みなどありましたら。
「えっと、師匠や皆さんがやっていらっしゃるような、タイトルのリーグ戦って、私初めてに近くて、まずはわくわくしてます! マイナビでは月夜見坂さんに負けるまでは楽しんでやれていたと思いますし、今はあの時よりも強くなったという実感もあって、だから早く戦いたい、という思いでいっぱいです! 天ちゃんが空先生に挑んだ女王戦のように。私も釈迦堂先生のところまで、早く駆け上がって見せます!」
――いい心意気ですね。個人的にも雛鶴さんは応援したいところです。ところで、師匠の方も帝位戦挑決や、そこから少しすれば竜王防衛戦も始まるわけですが、何か雛鶴さん的にこれは師匠にしておきたい、ということがありましたら。
「そ、それは勿論師匠が全力で戦えるような体制を整えてあげることだと思います。疲れて帰ってきても、翌日元気に出かけられるような状態に持っていけるようにするのは内弟子の務めだと思いますし、それはしなければいけないと思います。あとは、やっぱり弟子が勝つと師匠は喜んでくださいますので、常に弟子の勝利をプレゼントする、ということも大事だと思いますね。昨年の誕生日はあれだけ喜んでくださいましたし、それを常々出来ればなと」
――成程。それにしてもここまで弟子に想われているとは、九頭竜さんには実に勿体ないですね。
「そ、そんなことないですよぉ! 寧ろ私の方が師匠の弟子でいいのかってなることもありますし、でもだったら、少なくとも私は、師匠の弟子として恥じない強さを持つべきという思いはありますし、実際にそれは強くなるべき理由の一つだと思ってもいます。あとは、天ちゃんがいるからこそ、追いつけ追い越せで、せめて天ちゃんとは同じくらいの強さでありたいです。結局、天ちゃんにはまだ一度も勝ててないですし」
――やはり、夜叉神さんにこそ勝ちたい、と思う節はありますか?
「天ちゃんは……そりゃぁ、勝ちたいです。だけど、月夜見坂先生のように、天ちゃんは勝って、私は負けた人もまだまだいます。最終的に、それら全ての人に勝てるようになりたいと思いますし、そのためには天ちゃんに勝つこともそうですし、だけどそれ以上に天ちゃんと切磋琢磨することが、一番大事じゃないかなって思います」
――現時点で、師匠や他の皆さんにこれだけは負けない、と誇れるものはありますか?
「えっと、詰将棋では師匠には既に恩返しはしてしまっているのですけど、でも実際に盤を挟んで戦ってみると勝てないことも多くて、まだまだ弱いなぁって感じることもあります。だからもっともっと将棋を指して、もっともっと強くなりたいです」
――成程、とにかく強くなることが、皆さんに対して報いることだと。
「とにかく負けないこと、負けても次に生かせるような結果を残すことが、みんなや、何より師匠への恩返しになると思うので、だから、もっともっと頑張りたいです!」
――私からは以上ですね、ありがとうございました。
「あの……そういえば師匠は、いや……でも……もしかして……」
――どうかされましたか?
「――いえ、何でもないです!」
第二譜:夜叉神天衣女流二段
――ということで宜しくお願いします。
「いや、何がお願いなのかよくわからないのだけど?」
――いやいや、数々の最年少記録を更新する夜叉神天衣女流二段も、普通の女の子ということを知らしめたくてですね。
「そんな必要はないと思うのだけど? それとその言い回し、どこかで見覚えがあるわね。確か師匠が空銀子にインタビューしてた時の文面だったような気がするのだけれど?」
――まぁそれはともかく。今回お尋ねしたいのは師匠の九頭竜八一師匠についてなのですが。
「あぁ、師匠? ほんと揃いも揃ってあの冴えない男のことが好きよね……私も人の事言えないけど」
――さて、夜叉神さんから見て、お師匠さんに何か変化とかありましたか?
「別にないと思うわよ? 私から大阪に行くのは稀だし、先日神戸に来た時もそれまでと何か変えてきたとこはないと思うし……多分」
――そうですね、夜叉神さんと会う時の九頭竜さんがいつもと別の格好しているなら私もわからないですけど――。
「あ、神戸に来る時、それも私の両親のお墓に寄らない時は基本私服ね、そういえば」
――ほうほう、それは私からすれば新鮮ですね。九頭竜さんは連盟に来られる時はいつもスーツで、私は基本そこでしかお会いしませんから。
「何、あなた妬いてるの?」
――いえいえ。あの方も肩の力を抜いて弟子と接してられているのだなぁと。
「何よ、あなた師匠をそれこそ将棋ソフトか何かとでも思ってたというわけ?」
――いやぁ、小さい時から接しさせて頂いてて、あの方程人間味溢れる人もないと思いますよ。結構無茶ぶりも聞いてくださいますし。
「ま、あの人は常に他人に顔が向いているというか、自分の事を差し置いて何かすることも多いわよね。負けた瞬間にタイトル戦への挑戦権を失う棋戦で特定の個人のために将棋指すとか、ほんとバカじゃないのって感じ」
――こうしてみると、このお弟子さんは、本当に師匠のことが大好きなんだなぁと。
「バ、ばばば、馬鹿言ってんじゃないわよ! 大体何よ! みんなして恋をしてるから強くなるだとかなんだとか! あなたはどうなのよ!」
――私も九頭竜さんのことは好きですよ。恋愛とかそういうのも込みにして。
「っ――!?」
――まぁ、そういう意味では、別に夜叉神さんが思う以上に、かもしれないですね。ご存知かもしれないですけど。
「え、えぇ。だけど選ばれるのは絶対に私だから。あの人にそれしか見えないようにするの。そこに至るまで、私は絶対に誰にも負けない。何事も、将棋も」
――シンデレラはその辺りも気高ですねぇ。
「だからその名称で呼ぶなぁ!」
――まぁあっさり恋心を吐露する辺り、私からすればまだ年相応の女の子だなぁと思いもしますが。
「――あぁ!? わ、忘れなさいよ! というか誘導してるんじゃないわよ!」
――別に夜叉神さんだけじゃないですから、今更気にする必要もないですよ。
「ふ、ふんっ! で、話はそれだけ? まだあるの?」
――少し話を戻しましょうか。最近、九頭竜さんとの絡みで、自身の将棋に変化が起きていると思うことはありますか?
「私の将棋に、お父様が常に付いていてくれる、と思えるようになったことかしら。主にいつも私が自身の研究をする際は、お父様の棋譜から取った字母による駒を使っているのだけど、その駒は、盤に指す際に、私の手を誰かが握ってくれているような気持ちに陥るんです。それはきっとお父様なのだと思うのだけれど、その駒をプレゼントしてくださったのは師匠で、だからもしかしたら、その手の幻影は師匠なのかもしれない、と思うこともあります」
――自分の手を引っ張ってくれる存在が、昔はお父さんで今は師匠、と。
「ま、まぁ……それはそうかもしれないわね? 自力以外で棋力を上げるのには師匠に付いてくのが一番早いのは間違いないし」
――ふむふむ……その手を公私共にずっと握っていて欲しいと。
「ど・う・し・て・そういう解釈になるのかしら?」
――で、夜叉神さんは清滝一門の『家族』にはなれましたか?
「それは……まだだと思います。別に、晶だとかはほっといて、師匠の内弟子か清滝師匠宅への下宿かしてしまえばいいのかもわかりません。だけど、私には守りたいと思う家族が神戸にいて、両親の墓参りを怠らずする、それを一門の繋がりよりも大事なことだと考える自分がいるのも確かです。実際、身内が常に近くにいることによる甘えが出るという自覚はありますし、それを抜きにして勝手に私が線引きしているだけというのもありますが、だからこそ、私は家族として迎えられるには、まだ程遠いなぁと思いもします」
――そこは別に気にせずともふらりと伺えば温かく出迎えてくれるとは、素人目には思いますけどね。
「迎えてくれて、その上で将棋の研究をして、甘えが出なくなって初めて、家族として迎え入れてもらおうと思います。盤上ではいつも一人なのですから、常にそれくらいに持っていけるように」
――成程……九頭竜さんがあぁ仰っていたのもよくわかります。
「何、何か師匠が私について言ってたの?」
――いえいえ、そう特別な事ではないですよ。
「そ。なら別にいいんだけど」
――しかし夜叉神さんもここまで恋心をあっさりと口にするとは、隅に於けないですねぇ。
「だ、誰のせいよ! 誘導したのはあなたでしょ!」
――まぁ正直仔細の公開はしないので杞憂で大丈夫ですけどね。
「じゃぁ初めから取材なんてしないでよバカ! というか消しなさいよ!」
第三譜:月夜見坂燎女流玉将
――ということで宜しくお願いします。
「いや万智、普通に喋ってくんねーかな? そのモードはオレの調子が狂う」
――京都弁で皮肉たっぷりに失恋のことをえぐってもいいということですか?
「いや待てそれはやめろ。だったら今のままの方がいい」
――そうですか。まぁ何はともあれ九頭竜さんについてなんですが。とはいえ月夜見坂さんはうどんすきを共に囲んで、その次が九頭竜さんの帰還でしたよね。
「まぁそうだな。クズもあの間が将棋関係なしに色々あって大変だったみたいだしなぁ。別にあれ以上変に突っつくつもりもないぜ」
――そうですね、でしたら私も把握してるところもありますが過去話でも。初めて出会ったのは小学五年生の時の小学生名人戦でしたよね?
「そうだな。準決勝で万智を負かして、これであと一勝だと思ったら、決勝であんな自由奔放な将棋見せられてよぉ。不思議と負けても悔しくなかったな、あれは」
――そこから一年経つ頃には、段々と月夜見坂さんは髪を長くし、女の子っぽい服装にもなってきていましたよね。
「おい万智コラ。そっから先はてめーのクズへの恋慕を赤裸々にバラすぞアアン?」
――やってもいいですけどこちらが記事書く際に推敲して削除しますから。
「チッ、これだから記者モードはめんでーんだ」
――まぁともかく。対局という観点からは九頭竜さんはどうですか?
「別に普通に話す分にはよ、クズとかなんだとか罵ったって許される間柄だとは思うけどよ。でも――遠い存在になっちまった、よなぁ……」
――と、いうと?
「俺は一度は奨励会に入って、そして降級してして去った。だけどあいつはすぐに飛び越えて、そして竜王になって、今の絶対的な強さだ。小学生の時はいつか公式で対局してあいつに打ち勝ちたいという想いがあって、少し前までずっとそれを目指してた。だけど、気付けばあいつの棋力は、オレじゃ絶対追いつけない位置にまで行ってしまって、気付けば俺の前から姿自体を現さなくなるんじゃないかっていう怖れは、正直ある。それは恋慕とかそういうのを抜きにしてな」
――恋心を抱いた相手が遠くに行って、戻ってこないのは怖いですよね。
「まぁとはいえ、正直さ、あいつが好きというならあいつの棋力にある程度は及ばなければ話にならないとは思ってはいたからさ。だから、そういう意味では前回の竜王戦の時点で俺には無理だ、とは正直なったよな、恋慕に関しては」
――諦めが肝心と?
「そうじゃねーよ。まぁ、でも、あれだ。そりゃさ、例えば名人の奥さんは別に高名な女流棋士というわけでもないけどさ、でも、見ててさ、クズのお相手はやっぱり棋力が高くないと駄目だって思えたし、そういう意味では銀子以上の相手はそりゃいねーよ。諦めという意味ではそりゃ祭神雷はイーカげん諦めろよとは思うけど(笑)まぁ、だから、そういう意味では、銀子ですら、いつか手の届かないとこに行っちゃうのかもな……正直そっちの方が怖いかもな。今はまだ笑い話で済ませられるけど」
――どこで差が付いたと思いますか?
「多分、明確な敗着だとかはなかったんだろうな。最初から、研究でもなんでもやり方が異なってて、クズのやり方は伸びるやり方だったってだけだ。そしてオレはそれに気付かないままそれを続けちまったってとこだろ。どことなく独りよがりだったんだろうな、その時点でオレが勝てるだなんて端からありえなかったんだ。ま、でも今後もオレはオレなりにやってみるよ。銀子はともかく、これでチビらにも勝てなくなったら本当に顔向け出来ねーからな」
――では、大体これくらいですかね、ありがとうございま――。
「おい」
――どうしました?
「折角だからオレがお前にインタビューさせろ。万智、お前がクズを好きだったのはいつから?」
――最初からですねぇ。というよりあなたもこいつ色目使ってんなとか思ってたんじゃないですか?
「まぁお前のはあからさまだったからなぁ。案の定というかなんというか。オレが気付くのが遅れたから、確証持つのが遅かったというのはあるけど」
――あの頃はまだ男の子っぽかったですもんね、彼も最初はそうだと思い込んでたようですし。
「ま、まぁオレも意識し始めたのがその頃、ってのはそりゃ認めるとこだけどさ。次。万智はクズの将棋に追いつけると思ってるのか?」
――それは無理ですね。というより、彼のその将棋に惚れ込んだし、だからこそ記者を目指そうと思ったわけですから。
「ん? その話は知らねぇなぁ。つまりどういうことだ」
――小学五年の時の小学生名人戦決勝で彼の将棋を見て、私はその奥深さに引き込まれました。その時点で、私では絶対に追いつけない、そして彼は絶対に将棋界を変革する逸材になる、そう確信しました。だからこそ、私は彼をずっと追いかけています。それは将棋としても、彼自身のことも。
「けっ、偉そうに言ってるけど、要はクズのストーカーだろ? 関東での棋戦とかまで追いかけて、ほんとやりたい放題だよなぁ?」
――月夜見坂さんが一切の便乗をしていないというのなら甘んじて受け止めますが。
「うーむ、そこを突かれると否定出来ねぇのがなぁ」
――ま、なんでしたらその辺りは九頭竜さんと一対一になった際にでも直接伺ってください。
「といっても案外そういう機会ないんだよな……なんだかんだチビと一緒ということも多いし、オレはオレでこっち来た時は万智と行動共にすることが多いしなぁ」
――まぁ私は取材抜きでデートさせてもらうという約束取り付けてるので、また彼とはその際にでも。
「あぁ!? オイこら万智お前何抜け駆けしてるんだそんなことしたら銀子もチビらも黙ってないだろアァン?」
――まぁ約束自体は女王戦の際にですからね、これは既得権益ということで。
「チッ」
第四譜:空銀子女流二冠
――ということで宜しくお願いします。
「――特に公式の取材を受ける連絡も来てないのに、何か嫌な予感がするのは気のせいかしら……?」
――いえいえ、今日は空さんのお話ではないですよ、気楽にしてもらって構いません。
「なら私もそこそこに砕けた感じで話しますね」
――さて、九頭竜さんとお付き合いを初めて如何ですか。
「ぶっ――だ、だからまだって、ていうかその話文面にして載せる気じゃないですわよね!?」
――あ、その話は女流玉将と私以外はまだ伝わってないのでお気になさらず。
「何か釈然としない……」
――まぁ九頭竜さんのことを伺いたいのは本当ですけど。最近、空さんから見て九頭竜さんの変化は?
「最近は私が三段リーグで八一のことを見るということは全然出来てませんでしたし……でも、敬語をやめようという努力はしてくれています。昔みたいに、お互い少しずれてて、それ故に対等だった時の関係に戻ろうと努力してくれているのは見て取れて」
――昔の関係というと、どんな?
「手を繋いで、片手には交通費、片手にはマグネット式の将棋盤を持って遠いとこまで道場破りをしてた幼い頃、ですね。小学生の夏休みだとかは八一とそればかりでした。今でもあの頃に戻りたいと思うことは多々ありますけど、こういう関係になれそうなら、同じようなことを、プロ棋戦だとかで二人でやれたら楽しそうだなぁって、今は思っています。八一が先にやりまくっていますから、私の追いつけ追い越せなんですけどね」
――つまり歩んでいた道は同じとわかって再び同じ道を歩み始めた、と……。
「捏造するなと言いたいけど大体その通りだから何も言えない……」
――空さんとしては、自身の将棋に何か変化が出ましたか?
「すごく出ましたね……盤が、見えるようになりました」
――見える、とは?
「八一やこわ――雛鶴先生等、起こりうる駒の動きが読める、もとい見える人、というのを、私は昔から将棋星人と呼んでいたんですが、私もその星に辿り着けたらしくて。それを生かすも殺すも今後次第なのは間違いないのですが、どうにかしてこれで八一に追いつければな、と思います」
――本当に、九頭竜さんをずっと追いかけてここまで強くなれるのは羨ましいです。
「八一が竜王を防衛した際に少しお話しした時は、本当に離されるだけ、と思っていましたけど、今は、少し追いつけたかなって。そう思えるだけでも、私にとってはこれ以上ない喜びです」
――以前した質問を、改めて、少し違う文言でしてもいいですか。
「いいですよ?」
――一度は差が付いた空さんと九頭竜さん、また差は縮められそうですか。
「諦めなければ、ですかね。私の棋力自体は伸びているという自覚が持てている。だけど、八一はそれと同じか、それよりも早くもっと先まで行ってしまっています。だから、私は何を差し置いてでも追いつけるようにやるだけです。様々な人、時には彼自身に協力を仰ぎながらも、頑張って、どうにかして。そうすればまた、同じ景色が見られるようになると思いますから」
――プロになれそうというだけでもすごいわけですから、女流のトップであっても十分同じ景色、というふうにも見えるんですけどね。
「八一は……孤独なんです。それこそ一端のプロなんかじゃ追いつけないようなところにいて、そこは名人とか月光会長とか、限られた人しか同じ景色を見ることが出来ません。そして私が目指すところはそこなんです。だから、女流トップ程度じゃ全く同じなんかじゃない。私にとってプロという土俵は、そこに至るためのスタートラインでしかないんです。だから、多分、私が見たいという思いもですし、八一を一人にしたくないという思いも、きっとあります」
――そこは『姉』としての矜持ですか?
「それは……まぁそういうことでいいです。それが一切ないと言うと嘘になりますし」
――空さんって、九頭竜さんに対してはお姉さんぶりたいこともありますけど、基本は年下の女の子として見てもらいたい欲求もありますよね。
「――否定は、それこそ出来ないですね。別に八一が年相応に年上感あるかと聞かれるとそうではない、と言い切れるんですけど、でも年下の私が年上の弟、というより年上の幼馴染に甘えたいと思うことも確かにあって、その上で姉だ弟だという括りを超越した関係になろうとなると、それこそ年相応の関係性になりたいという感は、正直あります。もうちょっと素直になれたらなぁ……」
――それにしても、お二人に子供が出来た時は騒がれそうですよね。
「こっ!? 子供なんて、流石に早すぎると思……でも子供が出来て強くなった茨姫の例もあるし……八一との子供はそりゃ欲しいし……いつならいいかな……」
――スイッチ押しちゃいましたか。
「ふ、ふん、でも好きな人との幸せな未来を想像して悪いことなんてないですよね?」
――何はともあれ、昔は体の弱かった銀子ちゃんが、今は将棋界の絶大なアイドル空女流二冠が人並みの幸せを掴めて安心しました。
「いやあなた他の人に先んじて色々知ってますわよね。先日はニヤニヤしながら迫ってきてたじゃない」
――で、九頭竜さんと一緒に映画を見たり、海へ行ったりという、二人きりで色々なことをしてみたい願望は叶えられそうですか?
「――まぁ、それは、そのうち」
第五譜:九頭竜八一竜王
――ということで宜しくお願いします。
「いや改めて言われましてもね……」
――まぁ今回は『白雪姫も娶り絶好調の九頭竜八一竜王絶賛インタビュー』というお題でやるんでいじりはしないですよ。
「いやそれ既にいじってますよね?」
――それにしても初恋が実ってよかったですねぇ。
「初恋というか、銀子ちゃん以外にはこんな気持ちを抱かないという確証というか……。弱ってる時って襲いたくなる、みたいなのは誰でもあると思いますけど、実際に弱ってた際に襲いたくなるのは銀子ちゃんだけでしたしね」
――成程九頭竜さんは不能と。
「そうとは言ってないからぁ! まぁ、でも、もしかしたらある意味そうなのかもしれないですね。誰かと一緒にやりたいことも、将棋も、――まぁその性欲も、銀子ちゃんじゃないと全ては満たせないのは確かです」
――成程それなら雛鶴さんの貞操も安心と。
「おいこらロリコンだとしても流石にやっていいことと悪いことの区別ぐらいあるぞ!?」
――でもロリコンは否定しないんですね。
「みんなして言うから訂正するのも疲れちゃったよ……」
――そして将棋界のアイドル白雪姫の貞操は九頭竜さんに喰われた後と。
「まだ喰ってない! というかあんた経緯知ってるんだから三段リーグ終わるまではそういうことないってわかるでしょ!」
――まだ、ということはご予定はあると。
「ねーよ! そりゃどこかでとは思うけど!」
――折角なんで将棋の話も聞きますか。
「折角って何!? そっちメインじゃないの!?」
――メインは『クズ竜王が将棋界のアイドル浪速の白雪姫をかっさらってった』ことに決まってるじゃないですか。
「マジでそれ!? というか弟子には言ってないですよね!?」
――取材はしましたけど言ってはないですよ。私からは勘付かれる言動もしてませんからそこから察しもしてないと思います。何かあったら当人らが自力で気付いたということで。
「ならいいけどさぁ……特にあいはほんと敏感というか、ちょっとしたことですーぐに気付くんで抜かりなくお願いしますよ……」
――雛鶴さんが敏感ということをどうしてご存じで?
「言葉の綾だよ物理的な方じゃないから! あと実際どうかは知らない!」
――で、将棋の話ですが。帝位戦挑決に向けて所感などあれば。
「辛い戦いになると思います。ただ、帝位戦に進めればもっと辛い戦いが待ってますし、そもそもまだC級1組という時点で辛くない戦いなんてないはずなんです。一戦一戦、星を落とさず戦い続ける。それだけです」
――一部だとクズ竜王とも呼ばれる九頭竜さんですが、やはり竜王以外にもタイトルは欲しいですか。
「それは山城桜花持ってる鵠さんならわかるでしょ? ただ、強くなりたい、それだけなんです。強くなった先にタイトルがある。タイトルを預かるという事は、強くなくちゃいけないということと、タイトル保持者としての振る舞いを求められるとで、本当に大変ですよ。どうやったら名人のように、複数冠、それも永世位を持てるくらいに継続できるかもわからない。きっとそれまでに大抵の人は棋力が衰えてしまいますから。それらが全て出来て、初めて本当に強くなったって言えると思うんです。別に俺が九頭竜で、もじってクズ竜王と呼ばれるのが嫌とか、そういう話じゃない。ちょっとでも気を抜けば、九頭竜八一竜王・帝位はおろか九頭竜八一前竜王になってしまうわけですから、とにかく怠れない。タイトルを持つのは辛いし重いことだけど、タイトルに拘ることをやめてしまえば、その時点で強くなることを放棄してしまうようなものですから、まぁつまり、そういうことです」
――タイトルは死ぬ気で奪取する、という認識で宜しいですか。
「それでお願いします。鵠さんだって、月夜見坂さんに山城桜花奪取されて『東京人故浅草花月にせなならんわ』と言いたくないでしょ?」
――そうですね。本当にその通りです。ところで、最近お弟子さんとはどうですか。
「まぁ鵠さんは銀子ちゃんとどうなったかということ知っちゃってるから話しますけど……ある意味今弟子が一番怖い存在ですね。天衣は俺のこと将棋を指す虫けら程度にしか思ってないはずですけど……あいは……知られたくないとはいえ、どこかで伝えなくちゃいけないけど……どうしよう……」
――こうして見ると九頭竜さんも鈍感ですよねぇ。
「いやなんでそういう話に!? 今の流れだと天衣のこと? ――いやー、でも俺が好きとか言い始めるのは幾ら何でも自意識過剰すぎると思いますがねぇ……」
――そういうところですよ。
「と、言われてもなぁ……」
――空さんとは実際のところどうです?
「銀子ちゃんは……そうだなぁ、近くにいるのに、色々な意味で気持ちが離れちゃってたから、まずはゆっくりでいいからただ傍で手を繋いであげられるように、というとこですかね。俺だってこれから帝位戦挑決ですけど、それはそれとして銀子ちゃんの三段リーグは可能な限りサポートしてあげたいし、けど一人で研究することを選んでるし、盤外で求められたら、本当に手が離せないような状況でなければ、求めに応じようと思います」
――それはJKとご休憩とかそういうことですか!?
「ちげーよそこまではまずいしそもそも封じ手中! ――まぁ、銀子ちゃんがプロになれたら、そういうことも求められるとか、あるのかなぁ……?」
――将棋的にはどうですか、空さんとも、お弟子さんとも。
「銀子ちゃんは、機会があれば練習将棋は指してますよ。そりゃあいを弟子に取って以降ペース的には落ちてますけど、それでも俺が一番練習将棋も盤上研究も目隠し将棋も一緒にやったのは銀子ちゃんで、だからまた銀子ちゃんとは積極的に色々指せればなとは思います。弟子は……変わらないか、寧ろ減るんじゃないですかね。俺からすれば、教えることがないくらいには成長してほしいし、実際もうほぼ教えること自体はもう殆どなくて、だからもう自分で飛び立つ頃合いかなとも感じる時があって」
――雛鶴さんとの内弟子解消も目前、ということでしょうか。
「それは……どうなんだろう。でも、仮に女流名跡のタイトルを釈迦堂さんから奪取出来ればそういう話になってくる可能性もあるでしょうね。勿論、あいが一人暮らしするのは流石にまだまずいですから、その際は清滝師匠の家に下宿みたいな形にはなるかとは思いますが。どちらかというと俺の方の都合で変化がある可能性もありますし、まぁそこは流動的ですよね。特段必要性が発生しない限りは現状通りでやれればとは思いますが」
――必要性となると、空さんとご結婚とかでしょうか。
「ぶほっ! ごっ! ――また伏見稲荷の狐みたいに口角あがってるねぇ!」
――さてはて、なんのことやら。
「――まぁ、実際俺も銀子ちゃんも二ヶ月以内に結婚だけなら出来る歳にはなるとはいえ、何かの間違いで子供が出来ちゃったとか、そういうことがない限りは、ですかねぇ。でもせめて早くてもあと二年以上は待たなきゃ色々な意味でまずいですし。銀子ちゃんは何か言ってました?」
――九頭竜さんとの子供は早く欲しいとは仰ってましたね。
「あいつマジで!? いやでも流石に高校卒業するまでは待った方がいいだろ……高校行った場合と行かなかった場合を比較して行くこと選択したんだから、三年はちゃんと履修しないと……。というか定期考査の点数とかどうなってんのかな……そりゃ俺よりはいいだろうけど……」
――現時点で将来的なこと考えられてるなんて、やっぱり絶好調じゃないですか。
「まぁ、そりゃ、好きな人との幸せな未来を想像して悪いことなんてないですよね?」
――それ、空さんと一言一句同じこと言ってるんですけど。
「――マジで?」
――こうして見ると本当に似た者同士ですよねぇ。
「そ、そんなに……でもまぁ、それがいいのかどうかはわからないんですけど、銀子ちゃんと仮に結婚出来たとして、どんな生活になりそうかというのは、何となくですけど割と具体的に様子が浮かぶのは、正直ありますね」
――だらしない顔してますねぇ。
「え、嘘そんなに!?」
――いつものことですよ。
「エェ……」
「――これでよしっと」
原稿をメール添付し、一仕事終えた鵠記者は、そのまま髪をほどいて、供御飯万智山城桜花への変わり身をする。
「結果的に殆ど竜王サン周辺の人の現況伺いになってしまいましたなぁ……まぁお弟子さん相手はあれ以上聞きようもなし、どすな」
伸びをして、取材の回想をする。供御飯から見て明確になったのは、現状はなるべくしてなったという事実だった。
「しかし竜王サンも銀子ちゃんも、あれはナチュラルにべた惚れやなぁ……あれは本当に一言一句同じどしたし、あれは最初から入り込む余地なんて残るわけないどすわ。あいちゃんと天ちゃんは……まぁ正直不憫ですわなぁ……あいちゃんはそれとなく気付いてそうな雰囲気どしたし……」
一人思考を巡らせていると、廊下の足音が一つ、棋士室の前で止まり、そしてガチャリと扉が開かれた。
「おーっす。万智はやること終わったのか?」
「今さっき済ませたとこやね。先日お燎にも取材した竜王サンの記事ですわ」
「あーあれか。とりあえずよー、オレに取材する時はあれ次からやめてくんね? ほんと調子狂う」
「とはいえこなたも山城桜花で取材というわけにも本来はいかんのですからなぁ、それはこちらの調子が狂うというのもおざりますし。でもお燎相手ならまぁ考えときますわ」
「しっかしよー、よく考えれば、小学五年の小学生名人戦の決勝でクズの将棋に引き込まれたってよー、つまりオレの将棋にはその時見向きもしてなかったってことだよなー。さらっとオレの将棋全否定かよ。そりゃそん時ゃオレにとっての完成形でないとはいえ、もうちっと言い方あるだろーよ」
「お燎のはあくまで定跡に沿った上どしたからね。目新しさ、の一点に絞れば竜王サンの圧勝でしたわ」
「まぁオレの横歩は何物にも勝るってなー、あの時は本気で思ってたんだけどなー。あんな自由な将棋指されちゃ対策も何も出来ねーわ」
「あの時は自分が弱いという事実を突きつけられた方がクるものありやしたからなぁ。供御飯万智、初めての挫折どした」
「でもよー、当時からクズも銀子も指しまくってて、それであのレベルだったってことだよなー。万智と出会ったのがその時で、でもそれより前からあれじゃぁ勝ち目ねーよなぁ」
「せめてこなたとお燎がもう少し早く出会っていれば何か変わったかもわかりませぬなぁ」
「かーっ、そういう意味じゃ俺が男なくらいが幸せだったのかなぁ? クズとも積極的に研究して万智とも練習将棋指して。それこそクズと銀子みてぇな関係になれたんかな」
「そしたらお燎はただの不良にしかならないでおざるやろ」
「オイこら万智てめぇ」
「まぁ、確かにそしたら『お相手』には丁度よかったかもしれんどすなぁ。ですが生憎こなたは百合モノは興味ないですが故に」
「男同士はいいってか?」
「――はてなんのことやら」
表面上は取り繕った供御飯の背中に、冷や汗が一筋滴り落ちる。『その手のものを持っている』ことを知っているのは妹弟子の綾乃だけなはずだ。
だけど、興味を無くしたかのように、月夜見坂は話題をすぐに振り替える。
「で、万智は次の恋は探せそうなのか?」
「こなたからはそれをそっくりそのままお燎にお返ししますわ」
「ま、確かに人のことは言えねーか。あいつ以上って中々大変だろーな。色々な意味で」
「せやね。こちらだって選びたいどすからなぁ」
そこまで言って、棋士室に静寂が訪れる。棋士室が静かになれば、面する廊下の音もよく聞こえるようになる。だけど今はせいぜい足音ぐらいだ。
今は特段することもないだろう。お互いにそう考えた二人は練習将棋の準備をしようとする。だけど、廊下に、何か話し声のような音が響き始めた。
「あれ、なんか声がしてきたけど――」
廊下に一つ、段々と大きくなる話し声。内容が聞こえるにしたがって、どういう状況かがありありとわかる。
「練習将棋今はやめて、とりあえずあの二人いじるか」
「せやね。絶対その方が楽しいわ」
廊下に、ネクタイを引っ張られているだろう少年の、少し情けない声が響いている。
棋士室へ、彼氏の内定が出ている弟弟子を引っ張り回そうとする少女の、どことなく幸せそうな声が近づいてくる。