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巴流と雷狼竜

葦名の外れ、荘厳な仏像が乱立する菩薩谷を越えた先に大きな水場がある。

そこは葦名の源の水が流れ込む溜まりであり、特に獅子猿という巨大な白猿の縄張りとして広く知られていた場所であった。

 

 

 

月明かりに照らされたその水場の真ん中に、武者が一人。

鎧を脱ぎ捨て、下袴だけを身に付けた荒武者の名は、葦名弦一郎と言った。

 

 

 

弦一郎は呼吸を整え足を少し屈め力を込める。獅子猿の寝ている間にここに来た理由はただ一つ、師である巴から伝授された「巴の雷」を極めるためである。

宙に跳ね、雷を呼び纏い、終いにそれを振るう大技。元を辿れば葦名に古くから住まうという於加美の武者の技であるというが、弦一郎は未だにその技を習得出来ずにいた。

 

巴流の独特な技の流れはなんとか掴めた、が、どうにも雷だけは未だ手中に収められぬ。何より雷を呼び寄せる方法がとんと分からないときた。

巴によれば、雷とは神の鳴る様。葦名に住まう神の怒りを引き寄せ刀に纏うことこそが真髄だと言うが、弦一郎にはまだその話が分からなかった。

だからこそ彼はここに来た。葦名の源に最も近い場所である獅子猿の水場に。

白木がぽつりぽつりと育っている澄んだ水場に、彼は正にその雷を呼びよせんとしているのだ。

 

 

 

「ハァァァァァァァァア!!」

 

 

裂孔の気合と共に飛び上がり、刀を宙に突き上げる。

 

 

「くっ....!」

 

 

しかしその刀に雷が落ちる事は無く、ただ刀を水場に振り下ろし大きな水飛沫を散らすだけの結果に終わった。何回も何回も繰り返したが、その結末はいつもこれである。

巴の雷は未だ見えてはいないという事だろう。

 

 

「何故だ...何故俺には出来ぬ...」

 

 

彼は焦っていた。

葦名から出た間者の話によれば、内府方に不穏な動きがあるという。

 

刀、鎧、火薬の準備。布、塩、兵の用意。

 

あからさまな活発化、隠す気もない戦の準

備。

 

これらが示す答えはただ一つ、この葦名に攻め入る手筈を整えているという事だろう。

故にもう呑気にはしていられぬのだ。今の葦名にはもう前ほどの力はない。

祖父である一心は病にかかり、つい先日には平田の者共が焼き討ちにあったという。

最早戦うすべがあるとするならば、異端の技に頼るしかない状況であった。

未だにその技を手に出来ぬ自分に歯噛みしながら、彼はもう一度刀を構える。幾度も幾度も、例え日がぐるりと回ろうとも辞める気は更々無かった。

 

 

 

 

不意に、何かが崖上にいる気配を感じ彼は背後の崖を見やる。

 

 

 

「........なんだ、彼奴は」

 

 

 

崖上にそれはいた。まるでこちらを値踏みするかのような眼差しを向ける、四足歩行の獣。

角や甲殻は黄色に彩られ、その眼や腕には遥か蒼穹のような深い青を携えている。

その青と黄を包み込むかのような猛々しくも清らかささえ感じさせる純白の体毛は、まるでその獣から何かが湧き出ているかのように少し浮き上がっていた。

 

 

 

かの者の字名は、雷狼竜。弦一郎は知る由も無いが真なる名を「ジンオウガ」と呼んだ。

 

 

 

堂々たる威風を纏いつつ、雷狼竜は水場へと降り立つ。

驚愕に固まった矮小なる者に自らの力と姿を見せつけるため、ゆっくりと、しかし確実に歩み寄っていった。

一歩踏みしめるたびに地が揺るぐ。また一歩踏みしめるたびに水が弾ける。

 

正に王。正に戦士。正に狩人。

 

しかし彼もまた戦士である。いや、彼はそのさらに先。「侍」と呼ばれる者であった。

身体の軸を整える。乱れた呼吸を整える。

刀を下に構え、それに手を添えるかのように構える。

背中に携えた大弓の感触をしっかりと感じながら、彼もまたその戦士の眼を見つめ返した。

 

「葦名に住まう妖の類...源の水場には凡ゆるが集まると聞いてはいたが、貴様のような者が来るとはな...」

 

『グルルルルルルル....』

 

弦一郎の呟いた言葉に、雷狼竜は不機嫌そうな唸りで返した。

ピリピリとした雰囲気が辺りに漂う。大気すらも震えているかのような緊迫した空気。またそれすらも弾き飛ばす明確な闘志が、二人の戦士から発されていた。

 

 

だが雷狼竜が踵を返した事により、その空気はたちまち霧散した。

 

 

興が乗らなかったか、或いは彼を外敵とは認めなかったか。理由こそ明らかにならないが、雷狼竜は先程と同じようなゆったりした動きで帰っていく。

それが、彼の怒りを最高潮にあげるとは知らずに。

 

 

「巫山戯るな...!」

 

 

 

風を切る音が鳴ったと思った瞬間、カツリと雷狼竜の鱗の隙間に矢が突き立った。

放ったのは最早言うまでもない、弦一郎である。

 

「俺の力が満たぬとでも言うのか...!俺など排除する敵ですらないとでも...!貴様のような獣畜生にすら認められぬというのか...!」

 

「そんなものは容認出来ぬ、許容出来ぬ!できる訳が無い!!

獣よ...俺の糧となり、葦名を生かす為の礎となれ!!」

 

再度放たれた矢を身を翻す事で難なく躱すと、雷狼竜は月に向かって雄叫びを上げた。

 

 

 

『アォォォォォォォォォン!!』

 

 

 

 

態々見逃してやったというのに挑みにくるなど何という傲慢、何という蛮勇か。

ならばその地面ごと潰し切ってみせようか。

 

 

 

 

 

まるでそう語るかのような雄叫びと共に、一人と一匹の月夜の舞踏が始まった。

 

 

 

 

 

 

「ぐぅっ.....」

 

 

戦況はどう見ても雷狼竜の有利であった。

その巨体からは想像もつかぬほどの速さで地を駆け、隙を見て剛裂な蒼爪による一撃を喰らわせる。

かと思えば刀による斬撃を宙に跳ねていとも容易く交わし、お返しと言わんばかりにしなやかな尾による痛烈な打撃を相手に見舞う。

 

時に柔、時に剛。

 

変幻自在かつ大胆不敵な雷狼竜の攻めに弦一郎は防戦一方という趣であった。

噛みつきを跳んで躱し、大上段から兜割を相手に見舞う。

しかし、角は思った以上に硬質だった。ともすれば金剛と同じかと思うほどに。

ならばと弾かれた衝撃を生かしもう一度跳ねるが空に浮かんだ所を雷狼竜は逃さずに尾で弦一郎を捉えはたき落とした。

 

強い。圧倒的な強さをあの獣は持っている。

 

ただの獣には無い、戦いに特化した知性。いや本能と言うべきか。

はたき落とされて水場を転がるが、何とか体勢を立て直して起き上がる。

硬き甲殻、鋭き爪牙。単純ながらも人には無い凡ゆる強さを乗り越えるのは常人ならば不可能に思えるだろう。

 

だがーー

 

 

「勝算はある...!」

 

 

奴は獣だ神では無い。ならば急所も存在する筈だ。

あの目、体毛の奥、尻尾の付け根。構造上の欠陥という物は生物である限り必ず存在するはずだ。

刀が通らぬ場所にあるならば、射抜き通すまでーー!

 

『オォォォォォォン!!!』

 

大気が爆発したかのような咆哮と共に雷狼竜が駆けてくる。

速い。疾風怒濤の勢いというのはこういうことだと言わんばかりの疾さである。

だがここで怯んではならない。冷静に動じずに恐怖を飲み込み弓を番え構えたまま相手を待つ。

 

繰り出された豪腕による叩きつけを、舞の一部のようにゆるりと躱す。

捉えどころのない穏やかな清流のような動きによる翻弄と、それに付随した奇想天外な動き。それこそが巴流、いや於加美の武者の戦い方である。

 

叩き斬れぬのならば流し斬ろう。射抜けぬのならば通してみせよう。

 

平安時代から受け継がれてきたその牙ならば、あの獣にすら通用する筈だ。

 

跳ね避けた場所を見計らうかのように次の豪腕の一振りが来る。まともに喰らえば肉は弾け、骨は砕かれ、鮮血が水場を染める事になるだろう。

 

だからこそ彼は前に飛んだ。

 

その豪腕が振るわれる一瞬、全ての急所が露わになることを弦一郎は見抜いていた。

だがそれは余りにも一瞬。刹那に等しいものしかない。

それでも、と彼は矢を四つ番える。弓術に長けた彼だからこそできた巴流との合わせ技。

 

ーー今ならば、それは奴を仕留める必勝必殺の一手となり得る

 

 

「オォォォォォォッ!!!」

 

 

弦が切れることすら御構い無しの極限まで力を込めた大弓による四連射。

大道芸の域にすらも達するかのようなそれは、しかし芸とは呼べぬほど殺意に満ち溢れていた。

雷狼竜の眼前で放たれたそれは見事に命中する。

 

一つはその鱗に

 

一つはその口内に

 

一つは甲殻の隙間に

 

そして最後に、その蒼き瞳に

 

雷狼竜の振り下ろした爪は空を切り、何に当たる事も無かった。

 

 

『ガァァァァァァァァァァア!!!」

 

「漸くか...痛みを感じぬ訳では無いらしい」

 

 

雷狼竜は大きく怯む。絶対たる強者として振舞っていたその獣は、今この瞬間から対等たる関係となった。

 

即ち、狩るか狩られるか

 

これは最早一方的な狩りではない。即ち、どちらが死んでもおかしくない「闘争」と呼ぶ代物と化していた。

 

ならばと、雷狼竜は彼を見やる。

強者たる自分を傷付け雄叫びを上げさせた戦士を、じっと見つめる。

弦一郎もまた、先と同じく大弓を構えて微動だにせずに雷狼竜を捉えていた。

 

だからであろう、その変化が一目で分かったのは

 

 

 

「何だ....?」

 

 

 

 

雷狼竜に光が集まる。月の光か、或いはそういった霊魂の類か。いやこれはーー

 

 

「虫...だと?」

 

 

光る虫。葦名にそういった類は蛍くらいしか見なかったが、この虫はそれとは少し違う。まるで稲妻を内包しているかのような危うさを含んでいるのが蛍との違いであった。

それが続々と、奔流のように雷狼竜に集まっていく。

そして数秒経ったのち、それは解放された。

 

 

『アォォォォォォォォォン!!!』

 

 

より一層強い咆哮を月に向かって叫ぶと同時に、辺りに雷が弾け飛んだ。

背中の甲殻は完全に解放され、蒼い光を放っている。

その腕と爪もまた蒼き筋が通り、蒼雷が迸る。

角は畳まれていたものが立ち上がり、落ち着いた雰囲気の白毛は今や怒髪天を衝く勢いで逆立っていた。

これこそが雷狼竜が雷狼竜たる所以。今迄のそれは児戯に過ぎない。これこそが王者としての真の姿であった。

 

「雷を纏うだと...貴様まさか、神なる竜の...」

 

弦一郎がそこまで口にしたところで、雷狼竜は先程よりも一層強く地を跳ねる。

地面が砕ける勢いで飛んだ雷狼竜は、全ての雷をその右手に集中させる。

先程の一撃のお返しとでも言うように、雷を限界まで迸らせた後にーーただ単純に、着地する勢いをつけて振り下ろした。

 

 

「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」

 

 

大地が張り裂け、水は蒸発し、風は千々に切れ飛ぶ。

直撃してはいないのに弦一郎の身体は宙を舞い、白木に激突してしまう。

 

強力無比。圧倒的にすぎる一撃。

 

最早アレは人に対する技ではない。それ以上の何かに対するための技としか思えなかった。

 

 

 

 

「だが俺は...為さねばならぬ...!」

 

 

 

 

それでも、と。彼は刀を杖代わりにして立ち上がる。

彼はもう葦名の跡継ぎだ。

幾度もの挫折と失敗。哀れな過去すらも最早無く、彼にあるのは最早葦名という国だけだった。

 

だからこそ、退く訳にはいかぬ。だからこそ、超えねばならぬ。

 

貴様が雷を使うと言うのならば、神の使いであると言うのならば、俺はその神すらも使いこの国を救ってみせよう。

 

 

葦名は既に斜陽にあり、故に彼には皆の期待がのしかかる。無下には出来ない、いや出来るわけがない。

 

だから。彼は決意する。

 

 

 

「貴様が神の使いならば...葦名の国に在わす竜の化身だと言うのならば...その眼に、焼き付けてみせろ」

 

 

神の使いかどうかは分からない。だが奴が雷を使いその力を誇示する様は...一つの試練のように思えてならなかった。

鞘に収めた刀を抜き放ち、大弓を背中に背負う。

そして力を抜き刀に手を添えて、かの獣を睨み付ける。今の彼に最早迷いはない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「巴の雷、見せてやろう」

 

 

 

瞬間、雷狼竜は先程と同じように地を砕きながらはね飛ぶ。

と同時に彼もまた跳躍した。

 

 

 

 

 

一に、宙を駆け

 

 

 

 

 

 

二に、刀を天に突き立てる

 

 

 

 

 

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉお!!!」

 

 

 

 

 

 

三に、神たる竜の力を乞い願い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四に、雷を刀に纏う

 

 

 

 

 

 

 

 

「これこそが......!」

 

 

 

 

 

 

五に、身を切る痛みに耐え

 

 

 

 

 

 

 

終に、それを振るう事

 

 

 

 

 

これ即ち巴流の秘伝、名をーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー巴の雷と云う!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして月下に。蒼雷と黄雷が轟いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「.....くっ、あ...ここは...」

 

弦一郎が起き上がると、あの雷狼竜は忽然と姿を消していた。

見れば自分に無数に付いていた傷も無く、矢の本数も数えて見れば撃った本数と合わない。

砕けていた地面も無く、所々で薙ぎ倒されていた白木も元通りになっていた。

 

 

「夢幻...だったという事か」

 

 

 

葦名の源に最も近い場所であるここならばそんな事もあるのだろうか。それにしては妙に感覚がハッキリしていたように感じる。

何より。この手があの雷の衝撃を覚えていた。

 

もしかしたら、見兼ねた葦名の神が試練を課したのかもしれない。

 

そう思う事にして彼は帰り支度を整える。

幾ら言伝していたとはいえ城を一日空けるのは余り宜しくないだろう。

 

 

 

暫しの手ごたえを得て、彼はまた城へと帰る。その刀はほんの僅かながら煤けていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弦一郎殿、この掛け軸は...?」

 

「あぁ、伝場に掛けておこうと思ってな。もし雷を操る獣が出た時の警句のようなものだ」

 

「確かに!雷返しは誠伝説の技ではありますが、知っている者は少ない。ここで知らしめるのも良いでしょう」

 

「うむ。後は佐瀬殿に頼むとしよう」

 

「はっ、お任せくだされ」

 

 

 

 

この掛け軸が後に自分の首を絞める事になるとは、弦一郎には思いも寄らぬことであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クソザコ巴流とか言った人。先生怒らないから手を上げなさい

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