アクセル・ワールド・アナザー 無法者のヴォカリーズ 作:クリアウォーター
最終話 星を
クエイクとボルケーノが去った後に情報を共有する意味合いも含めて、先週のアトランティスでの体験を各々話し合った、この度のアウトロー定例集会。
その日の夜、すでに来週に迫った期末テストの本日分の勉強ノルマを済ませ、自室のベッドで寝転がるゴウは、装着しているニューロリンカーを何気なく指で撫でた。
バーストリンカーとなってから一年以上経っても、ブレイン・バーストそのものについて、ゴウはほとんど分かっていないままだ。
約二十年前までは、道路や道路に隣接する建物の風景をネットで確認できたらしいが、現在ではそれらの情報は、安全保障や治安維持の関係で《ソーシャルセキュリティ・サーベイランスセンター》略称SSSCに集約されている。
そんなSSSCは住所さえも一般人には秘匿されているというのに、ブレイン・バーストプログラムはソーシャルカメラからの映像をハッキングし、地形情報を基に通常対戦フィールドや無制限中立フィールドを作り出している。
更にはつい先週に目にした、高度な人工知能を持ったAIの存在。
AI技術自体は現代の生活と密接に融合し、現代人にとって切っても切れない存在になっている。しかし、人間レベルの会話が可能なほどに高度な模擬人格を持つAIは、国際条約の厳しい規制により、一般人が見かける機会はほぼ皆無といっていい。
アトランティスのダンジョン管理AIを名乗ったテティスは、間違いなくその『高度な模擬人格を持つAI』に該当し、まるで感情があるかのような振る舞いをゴウ達に見せていた。
ソーシャルカメラをハッキングしている時点で今更ではあるが、その違法性といい、公に知られていない加速の技術といい、改めて考えるとブレイン・バーストの謎の多さに頭を捻ってしまう。
心臓から発せられる量子信号をオーバークロックさせ、脳の処理速度を千倍に加速させる。
ブレイン・バーストをコピーインストールされた日に、そんな説明をゴウは大悟から受けたが、大悟自身もあくまでそういう定説として受け止めているだけで、実際に真実かどうかの確証はないそうだ。
そもそも、加速中の人間の意識はどこに存在しているのだろうか。ゴウはふとそんなことを考えた。
加速世界で長く過ごしていると、その分だけ肉体と精神にズレが生じてしまうという。ようやく累計で一年は加速世界で過ごしたかという程度のゴウには、当然ながらその実感はまだない。
では仮に、累計で数百年を加速世界で過ごし、しかし肉体はまだ十代半ばとする。その場合、ヒトという生物の寿命を超えてしまった人間の意識、精神、あるいは魂。名前はどうあれ、『それ』は磨耗してしまわないのだろうか。意識が脳にあるのなら、加速世界で思考した分だけのエネルギーを消費して脳に負担が、もっと端的に言えば脳が老化してしまうのではないか。
もしも、この魂の磨耗を防ぐ為に、ニューロリンカーを介して量子回路で脳の一部分と接続された、ブレイン・バーストの中枢……中央サーバーなどに魂が複写され、その魂が加速世界で経験した物事を加速終了時に記憶が脳と同期されるのだとしたら……。
そこまで考えると、ぶはっ! とゴウは可笑しくなって噴き出してしまった。あまりにも発想が飛躍しすぎて、SFもいいところだ。
──下手の考え何とやらだ。最古参の大悟さんだって分からないのに、僕がそんなの分かるもんか。大体、魂って……どうしてそんなふうに考えたんだろ……。あ、魂がデュエルアバターを動かすって……いやでも、うーん……。
アウトローの面々は、このあたりの話にあまり興味を持たないので、ほとんど話題に挙がらない。憶えていたら、今度メモリーあたりに与太話として持ち出してみてもいいかもしれないとゴウが思っていると──。
「ん……?」
視界の中央に小さく、ボイスコールの着信アイコンが表示された。連絡先を確認すると、つい最近番号を登録した人物、宇美だった。何の用かと思いながら、ゴウはアイコンをタップして応じる。
「はい」
『あっ、もう夜なのにごめん。今って大丈夫?』
「はい、全然構いませんよ。どうしたんですか?」
『うん。急で悪いんだけど、明日って予定空いてる?』
「え? はい、まぁ……特に予定はありませんけど……」
『ホントに? あぁ良かった。じゃあ今から言う場所に明日来てほしいんだけど──』
素早く場所と時間を指定してきた宇美にゴウが了承すると、宇美はこれからどこかへ出かけるそうで、『じゃあ明日』とだけ言って、すぐに通話を切ってしまった。
結局用件は聞けずじまいだったが、どうせ明日になれば分かることだし、出かけている宇美にわざわざ連絡を取らなくても良いだろうと、ゴウは特に追及はしなかった。
時刻はまだ二十一時にもなっていない、さすがに寝るには早い時間。
明日は予定もできたので、億劫だが明日のテスト勉強のノルマをなるべく済ませようと、ぐっと伸びをしてベッドから降りたゴウは、教材アプリを立ち上げながら学習机の椅子を引いた。
翌日の七月七日、日曜日。多少の風はあるが、雨の心配はなさそうだ。
宇美に指定された九時三十分より少し前。指定場所の上野駅に着いたゴウは、駅構内の宇美との合流地点に向かっていた。観光地最寄りの駅は休日ということもあって、すでに人で溢れている。
合流地点に着いたものの宇美の姿は見えず、ゴウはあちこちを見渡しながら、まだ来ていないのかと考えていると、背後から声がした。
「おはよう」
「あっ、おはようござ──あー……?」
宇美の声に反応して振り返るゴウは、その格好から人違いかと一瞬錯覚しまった。
動きやすそうなスニーカーに、グレーのパーカーとデニムジーンズ。頭に被った鍔付きキャップが、宇美の特徴的な金髪の大部分を隠し、おまけに髪型はいつものポニーテールではなく、お団子にして一つに纏めていた。
ゴウが宇美と現実世界で会うのは今回でまだ四度目だが、帽子を被るだけで随分と印象が違う。一番目立つ髪が隠れているからだろうか。
「どうしたの? あぁこの格好、変?」
「い、いや、そんなことないです。ちょっと、一瞬誰かと思っちゃって……」
「なら良かった」
「良かった? それはどういう──」
「ここにずっといるのはまずい。付いてきて」
言われるままにゴウは宇美の後を追っていると、待ち合わせによく使われるであろう、上野公園改札口前の太い柱が見える位置で宇美は止まり、指で柱を指し示した。
「晶音と大悟さんがあそこに十時に待ち合わせてるの」
「……はい? えー……どうしてそれを宇美さんが知ってるんですか?」
「蓮美が教えてくれた」
どうも状況が掴めないゴウの問いに、宇美は平然と答える。
確かに先週、蓮美と初対面である宇美は外国人であるという誤解を解いた後に、連絡先を交換し合っていた。すでに名前で呼ぶほどに親しくなっているとは思わなかったが。
「前に親戚の人から、博物館の特別展示のチケットデータを兄妹揃って貰っていたらしいんだけど、昨日の夜に大悟さんが誰かを誘ってるのが聞こえたんだって。声からして、いつもと様子が違かったらしくてね。それを蓮美から聞いてカマかけてみようと思って、晶音に連絡して明日会えないかって聞いたら、物凄く不審に断られた。それで、これは十中八九デートだなって確信したの」
「蓮美さんもグルなのか……。つまり……その跡を尾けようってことですか?」
「有り体に言えばね。正直、初デートに博物館? って思いもしたけど、あの二人ならまぁそれっぽいかなって──ストップ、どこ行くの」
出歯亀の共犯なんて御免こうむるゴウはさりげなく距離を取ろうとするが、宇美にがしっと肩を掴まれてしまった。
「ちょ……離してくださいよ、嫌ですよ僕。見つかったらタダじゃ済まないじゃないですか」
「他に頼める人いないの。蓮美は用事があるって言うし、私一人だと目立つからすぐにバレちゃう。少しでも目立たなくするのに、この帽子と上着も昨日わざわざ買ったんだから。ほら、ゴウの分の帽子も」
「いや、帽子被ろうが顔見られたら一発でバレますって……」
「深く被ればそうでもないって。それにゴウって見た目の印象薄いから、人ごみに紛れればまず気付かれないし」
「帰ります」
「あっ、ウソウソ! 冗談だから。ホントに待って、今のは悪かったからぁ!」
歩くゴウを掴んだまま、尚も食い下がってずるずると引き摺られる宇美。
後が怖いというのもあるが、プライベートを侵害するというのはいかがなものか。ここは野暮な真似はすまいとゴウが思っていると──。
「ねえ、お願いゴウ」
振り返って見た宇美の表情は切羽詰った中に、どこか真摯さを帯びていた。
「何も毎回くっついていこうなんて思ってない。ただ心配なの。せっかく二人が素直になったのに、つまらないことで喧嘩別れしたらって思うと。……他の皆にも言いふらしたりしない。今回限りだから手を貸して。ね?」
この通り、と手を合わせる宇美を、ゴウがじっと見るという時間がしばし続いた後。
「……帽子、貸してもらっていいですか」
「……! ありがとう! じゃあこれ」
「今回だけですよ……ホントに」
「うん!」
仕方なく折れたゴウは、ぱあっと表情を明るくする宇美にそれ以上何も言えず、受け取った帽子を目深に被った。別に上目遣いにグッとくるものがあったのが理由ではない。
それから宇美と待つこと約十五分。
先に待ち合わせ場所に現れたのは大悟。服装はTシャツにジーパンといつもと同じだが、新品なのだろうか。何となく真新しく見える。
それから五分もしない内に晶音も到着。淡い色合いのワンピースに身を包み、小物入れの鞄を両手に、楚々とした様子で大悟と合流した。
ゴウと宇美は、傍から見れば何気なくホロウインドウを操作しているような素振りをしながら、二人を横目で観察する。この距離と人混みの喧騒では向こうも気付かないだろうが、こちらも向こうの会話は全く聞き取れないので、表情と仕草から状況を判断するしかない。
「二人共、やっぱり余裕を持って集合時間よりも早く来ましたね」
「……移動し始めた。よし、じゃあこのまま距離を保っていこう」
「はい、了解──でっ!?」
「きゃっ!?」
改札から出る二人を追おうと、ゴウが動き始めた直後。柱の陰から急に出たので、ゴウは人と鉢合わせ、ぶつかってしまった。
「痛てて……」
「あぅ……鼻打った……」
ゴウとぶつかり、小さい悲鳴を上げた声の主は、カチューシャを付けた小柄な女子で、尻餅をつきながら鼻をさすっている。
「ゴウ、大丈夫?」
「は、はい。僕よりも……」
「あぁ、だから走ったら危ないって言ったのに……」
ゴウが宇美に心配されていると、一人の男性が小走りで駆け寄ってきた。
男性──というよりも、顔立ちからして中高生だろう少年は、どうやら少女の連れのようで、少女に手を貸して起き上がらせると、ゴウに向かって軽く頭を下げる。
「連れが失礼しました。怪我はありませんか? ほら、君も」
「ごめんなさい。私が走ってたから……」
大人びた雰囲気を感じさせる、理知的な瞳をした少年に促されて、ぺこりと頭を下げる少女に、ゴウは慌ててぶんぶんと手を振る。
「い、いえいえそんな! 謝るのはこっちです。僕がいきなり飛び出したから……」
はっとして改札出口を振り返ると、大悟と晶音はすでに姿が見えなくなっていた。
「お、お互い怪我も無いことですし……、先を急いでいるので失礼します。本当にすみませんでした。宇美さん行きましょう」
二人の目的地は分かっているが、こうしてずっと謝り合っているわけにもいかない。ゴウは一度頭を下げると、宇美と一緒に大悟達を追いかけ始め、その場を後にした。
「……あの人達、知り合いなの?」
未だに鼻をさすりながら呼びかける少女の声に、少年ははっとなる。
「いや……。でもどこかで会ったような気がして……」
今さっき少女とぶつかった帽子を被った少年も、一緒にいた帽子から金髪を覗かせていた少女も、初対面の相手のはずだ。何故こうも引っかかるのか、少年にもよく分からない。
「まぁ、いいさ。向こうも僕のことを知っている様子じゃなかったし──どうしたの?」
未だにこちらをじっと見ている少女に、少年は首を傾げた。
「やっぱり先週の休み明けから、急に雰囲気変わったよね。憑き物が落ちたって言うの?」
「またそれ? この一週間に何度も聞いたよ」
このやり取りももう何回目になるかと、ややうんざりした調子で言う少年だったが、少年自身も自分の心境の変化を明確に説明できずにいた。
今年の六月最後の日だった先週の日曜日、その正午過ぎ。
少年はその日、ふと気付くと自宅から最寄りのダイブカフェの一室にいたのだが、どうして自分がそこにいたのかを思い出せなかった。直前までフルダイブをしていたような気もするが記憶はおぼろげで、それまでずっと何かに対して必死になっていたのに、それが失われてしまったかのような虚無感、虚脱感が胸の内にあった。しかも、肝心な『何か』については、どれだけ考えても思い当たる節がない。
しかし同時に、何より不思議だったのは、いつもより心が軽くなったようにも感じたこと。まるで今までずっと着込んでいた、重い鉛の鎧を脱ぎ捨てたかのような。
そんなことを思い出していると、少女が口を尖らせて反論する。
「えー、でもさ、本当に急にどういう風の吹き回しなの? こっちがいくら遊びに誘っても何かと理由つけて断ってたくせに」
「う、それを言われると弱いな……。動物園は嫌だった?」
「別に嫌じゃないよ、動物好きだし。ただ、どこに行くとか以前に、何でだろうなーって思っただけ。誘われた時は驚いて、理由聞きそびれちゃったけど」
「ん……僕ら今年、受験生だろ? 夏休みには僕、塾の夏期講習に入るから、羽を伸ばすなら今かと思ってね」
平静を装ってはいるが、自分から少女を遊びに誘うのは、少年にとってかなり高いハードルだった。
小学校高学年から今まで、ずっとクラスメイトである彼女とは学校では比較的よく話すが、一緒に出かけたことは一度としてない。先週まではどうしてか、自分にはそうすることが許されない気がしていたからなのだが、それを抜きにしたとしても、今回自分なりに勇気を振り絞って彼女に声をかけたのは──。
「羽を伸ばす、ねぇ……。ふーん、二人きりで? ふぅーん……」
からかうような笑みを浮かべる少女の視線を受け、少年は顔を逸らす。
「……何だよ」
「べっつにー? さ、そろそろ行こ」
その様子を見て楽しそうにくすくすと声に出して笑い、歩き始めようとする少女の手を、少年は反射的に掴んでいた。何故だか彼女が蝶のようにどこかへ飛んでいってしまいそうな気がして。
「え……?」
「あ……その、また人にぶつかったりしたら大変だから……」
少女は驚いて目を丸くしていたが、苦しげな言い訳をする少年の手を払うことはせずに「ん……」とだけ言って、少年の手を握り返す。
「……それで、最初に何を見たい? パンダ?」
「パンダもいいけど、最初はゾウかな。動物園に来たって感じがするから。あとシロクマでしょ、カバでしょ、それと……」
「分かった分かった。順番にね」
二人は手を繋いだまま歩き出す。人知れず存在する、もう一つの世界でかつて共に過ごしていたことは、今となっては本人達さえ知る由もない。
上野にある《国立科学博物館》は現在、《日本館》と日本館よりも後に建てられた《地球館》の二つの棟に分かれていて、地球館では基本的に、期間限定の特別展示が何かしら行われている。
展示会場はやはりというべきか、勉強的な側面が強いこともあって、小学生や幼稚園児の家族連れが多く、また観光地でもあることから、外国人の姿もちらほらと見られる。
しかし、社会科見学でもなく、休日に中高生が来ることはそうないのだろう。実際にゴウと宇美、大悟と晶音以外に、友人同士で来るような子供の姿はゼロではないものの、全体の割合としては非常に少ない。
ただ幸いだったのは、今回大悟が晶音を誘った特別展示が、宇宙の天体にまつわるものだったことだ。宇宙の歴史から始まり、宇宙での現象、星の構造や星座などが紹介されている展示会場内は全体的に薄暗く、更にAR技術を用いたプロジェクションマッピングにより、星々が散りばめられた夜空が天井部に映し出され、自然と目がそちらに向く。
これならそう気付かれはしないだろうと、安堵したゴウは大悟達に注意を向けつつも、学生料金で安いとはいえ、せっかく料金も払っているのだからと、展示にもしっかり目を向けていた。
現在いる所では、七夕の時期であることも関係しているからか、今回の展示のメインでもある、天の川についてピックアップされている。ARによって作り出された天の川は、個人毎のニューロリンカーを介して出力されているので、指での操作で自由に角度の変更や、拡大と縮小が可能。加えて星をタップすると、その星についての知られている情報が視界に表示されるという、かなり手が込んでいて、かつ大がかりな仕掛けだ。
ゴウが肉眼でまともに星空を見たのは、秋田の祖母の家に泊まり、夜空を眺めた幼少の頃までだった。東京に越してからはもちろん、神奈川に住んでいた頃も、夜は人工の明かりが眩しすぎて、現代では星というものはほとんど見えない。精々が比較的空気が澄んだ冬にぽつぽつと点在しているのを目にする程度だ。
だからこそ、
加速世界の星空は現実とリンクして配置されているだけでなく、季節毎の星座の移り変わりまで緻密に再現されている。鮮明に美しくきらめく星々は、ゴウだけでなく大悟を始めとした、初期のバーストリンカー達も一様に感じるものがあったという。アウトローで聞いた話では、七王のレギオン名に宇宙関連の単語が用いられているのも、それが理由の一つらしい。
天の川が見える地球もまた、天の川銀河と呼ばれる星の集団の一員であるというアナウンスが耳に入り、ゴウは宇宙の広大さを漠然と感じながら、映し出された雲状の光の帯が広がる満点の星空を眺めていた。
特別展示を見終えると、大悟達はそのまま通常展示まで見て回り始めたので、それを尾行するゴウ達も博物館の出口に着いたのは、もう十二時前の昼食時だった。
ゴウの隣で宇美が大きく伸びをする。
「それなりに楽しめたね。星座の形とか、どうしてそうなるのとか、よく分からないままだけど」
「まぁ、実際に線が引かれているわけじゃないですからね。僕も授業で聞いたもの以外だとあんまりピンとは……」
「だよね。まぁ、二人は楽しそうだったから良しとしましょう」
展示を見て回っていた大悟と晶音には、宇美が懸念したようなトラブルも起こらず、それどころか見ていた限りでは和やかに会話を交え、両者共に時々笑みまで見せていた。今は屋外に設置された、笹に飾る短冊へ願いごとを書いている。
そんな仲睦まじい光景を、微笑んで眺めている宇美がふいに口を開いた。
「要らない心配だったと思ってるでしょ?」
「まぁ……そうですね」
「晶音ってね、結構いいとこのお嬢さまなんだよ。友達と遊びに出かけるなんて話はほとんど聞かないし、九分九厘デートなんてしたこともなかったと思う」
「へぇー……」
あの随分と丁寧な話し方や仕草から、確かに何となく育ちが良さそうな印象はゴウも受けていた。
「あれ? じゃあ、いとこの宇美さんも……?」
「ううん。叔母さん、つまり晶音のお母さんの実家が会社経営しているからであって、うちは普通」
「あ、そうなんですか。……ところで、もし実際に二人が喧嘩になったらどうするつもりだったんですか?」
「え? ……そこはほら、偶然を装って仲裁……かな」
──なんも考えてなかったのか……。それじゃ尾行していたのもバレるし。
穴だらけのプランに呆れた表情をするゴウに、目を泳がせながら顔を背ける宇美。その仕草は、以前に実質ノープランでアトランティスに赴こうとした、晶音が見せたものとよく似ていた。やはりいとこ同士、血の繋がりを感じる。
「け、結局何も起きなかったからいいでしょ。あの様子なら多分もう大丈夫そうだし、尾行はここまでにしよ。せっかくだから、二人が離れたら私達も短冊に──わっ……!」
宇美が苦し紛れに話を逸らそうとしていると突然、ぶわっと強い風が吹いた。
ゴウは反射的に目を瞑り、腕を顔の前にかざして風を遮ると、手に何かが当たる。
「ん? 短冊……?」
土壌に分解可能な特殊ポリエステル製の短冊には、綺麗な筆跡で『細くも長かれ』と書かれていた。どういう意味なのかゴウには分からない。
「あぁ、すみません! 取っていただいてありがとうございます」
「いえいえそんな……はい、これ──あ」
「あ」
女性の声に反応し、短冊を返そうとゴウが顔を上げると、目の前にいたのは晶音だった。
目の前のゴウに気付いた晶音は短冊を受け取ったまま、目を丸くして固まっている。ここまで近付けば、申し訳程度の変装要素である帽子は役には立たない。
「よぉ、どうし……た……」
晶音が戻ってこないのでこちらに歩いてきた大悟も、晶音と対面しているゴウ、その隣にいる宇美を前にして固まり、四人の間に形容し難い微妙に気まずい空気が流れ出す。
これはあらゆる意味で終わったと感じたゴウは観念しかけたが、加速状態顔負けの速度で脳をフル回転させ、一つの案を思いついた。
「あー……こ、こんにちは、晶音さん、大悟さん。こんな所で会うなんて奇遇ですね。驚いて固まっちゃいましたよ」
ゴウの言葉を受け、大悟は一瞬だけ困惑した表情を見せたが、すぐに素知らぬ態度へと戻った。
「お、おぉ、そりゃこっちの台詞だ」
──よし……!
ゴウは内心でガッツポーズを作る。
この状況を切り抜ける妙案、それは────シラを切ること。
大悟や晶音の性格上、デートしていたなど口が裂けても明言しないだろう。ならば、こちらが下手に追求さえしなければ、向こうは怒るに怒れない。何故なら彼らと自分達は休日に偶然、ばったりと会っただけなのだから。
「僕と宇美さんは、今日はこの辺りでタッグ組んで対戦をする予定だったんですけど、駅で博物館の告知内容を見て、せっかくだから観ようかって話になったんです。ね、宇美さん」
「う、うん。そうだよ。晶音の用事ってここに来ることだったんだね。誘ってくれればよかったのに」
「そ、それは……ほら、こういった場所は貴女にはつまらないかと思ったので……」
「ほぉーなるほどね。そうかそうか」
何とも白々しい会話が続く。だが、これでこの場はどうにかやり過ごせたかとゴウが安堵していると──。
「ならここで会ったのも何かの縁。お二人さん、俺と晶音のチームとタッグ対戦といこうや」
大悟が唐突にそんなことを言い出した。
「え゛?」
「何だその声。だってお前さん達、タッグ対戦しに来たんだろ? レベルが上がってからゴウと手合わせしていなかったし、良い機会だと思う。晶音も構わないか?」
「……そうですね。タッグでの状態で宇美と対戦するのは初めてですし、面白いかもしれません」
「晶音、やっぱり怒ってない?」
「何の話かさっぱりです」
あれよあれよと、《荒法師》と《
「それじゃあ早速──と言いたいところだが……」
ひらひらと持っている短冊を揺らす大悟。
「まずはこれを飾らにゃいかん。お前さん達も書け書け。年に一度のイベントだからな。それからどこかで飯にしよう。その後でも勝負は遅くない」
笹の元へ踵を返す大悟に、晶音と宇美が続く。
そんな三人にゴウはすぐには付いていかず、その後ろ姿を眺めながら、昨晩の夕食の席でのことを思い出していた。
──『今年のお盆は、僕も秋田のおばあちゃんのお墓参りに行きたい』
御堂家では極力話題に挙がらない(ように両親がゴウに気遣っていた)ことを、ゴウ自身が口にしたことで、両親は揃って目を丸くしていた。例の事件以来、毎年のお盆の時期には、母親だけが秋田に住む親戚の家に一泊する形で帰省し、墓参りを行っていたのだ。
確かに昔のゴウのままなら、ずっと避けたままのことだったろうから、両親が驚くのは無理もない。
急にどうしたのと不思議そうに、かつ心配そうに訊ねる母親に、ゴウは明確な理由は口に出さず、心境の変化だとか何とか言ってはぐらかした。嘘ではないが、思考を一千倍に加速させるゲームアプリのおかげとは、正直に言えるはずもない。
それに、厳密にはブレイン・バーストプログラムそのものではなく、ブレイン・バーストを通して経験した様々な事柄こそが、ゴウに新しい考え方を与えてくれた。少なくとも、ゴウの主観では良い方に。
バーストリンカーとなって、およそ一年と三ヶ月。十二年間生まれ育った土地を離れ、新たに越した新天地では、想像もしていない出会いがあった。
自分の前を歩く三人を始めとした、アウトローの仲間達。時に勝ち、時に負けを繰り返す対戦相手。中には互いの譲れないものを懸けてぶつかり合った者も。
あの日の自分の選択は、きっと間違いではなかった。今回の選択もまた、自分を前に一歩進ませるものだと、ゴウは信じている。
──少しずつでも一歩、また一歩と進んでいけば良いんだ。そうすれば下を向いていた頃には見えなかった、違う景色が見えてくる。そうしていけば、きっと今よりも僕は……自分のことをちょっとだけ誇れるようになれるはずだから。
宇美が振り向いて、自分を呼びながら手招きをしている。
後ろから吹いた風に背中を押されながら、ゴウは仲間達の元へと歩いていった。
足を止め、迷い、傷付き、倒れることがあっても、立ち上がり成長していく。時には仲間の手を借りて。
これは西暦二〇四七年、VR・AR技術が発達した世界のどこにでもいる、しかし他の誰でもない、一人の少年の物語。
その断篇である。