紫は自分の几帳面さに感謝していた。ちゃんとその日の習う場所の題名だけでなく、しっかりと何月何日にその活動をしているか記載していたからだ。
「ほんと、我ながら真面目だわ」
自分のことはとりあえずおいといて、この時期は修学旅行のこともあってそれに関するネタが多すぎた。
「確か修学旅行も…こんな感じだったな」
木河先生は臨採中 ~ 修学旅行 Let’s Go 奈良 ~
6月初旬、紫は朝5時にはすでに新鎌ノ谷駅前にいた。今日から修学旅行なので、最初の目的地である東京駅に行くためには班全員が最寄り駅に集まって、チェックを受けてから目指すことになっている。元々集合が5時半なのに紫がすでに到着しているのは彼女が班の班長だから、というそれだけの理由であった。
「ねむ…まだ皆着てないし」
当たり前といえば当たり前だが、それでも誰もいないとなると一抹の不安しか残らない。といっても班員だと彼女一人で合って、関係者を除けばちゃんといるのだ。
「こんなに早く来たって誰もいないだろうに。カープが昨日負けたからって」
「カープ関係ないです!!しかも負けた相手、先生が応援しているベイスターズじゃないですか!」
「そうだった。いやー、今永さんナイスピッチでしたわー。エルドレッド、くるくるだったね」
「うっさい!思い出させないでください!」
木河先生が紫をからかいながら彼女の相手をしていた。つい先日、授業で横浜DeNAベイスターズのことをあれよこれよと宣伝していた木河先生に対して、若干ヘイトが溜まっていた。野球ファンは応援チームが分かれるとなかなか分かり合えないことがあるが、この先生は全チームの知識やネタをおおく知っていることもあって、そういったヘイトが少ないのだが、紫が大層なカープ愛を語ったところ、それをからかってくる節があった。もちろん先生にとってはそれもコミュニケーションの1つだが、紫にとってはそんなことわかるわけもなく、単に煽られているとしか思えなかった。
「あー、紫。おはよう」
「おっす、あれ木河先生もいるんすね」
「島根と加山到着…と。あとは篠原と村下と深澤だね。しかしお前ら、一緒にくるなんて何かあったの?」
「いやー、聞いてくださいよ先生。俺、こいつと幼馴染なんすよー。親も仲いいから一緒に送っていくって言われて、泣く泣くこんなことになるんすよ」
「はぁ?感謝してよねー。うちの親が加山に甘いおかげで楽できたんだから」
「意味わかんねーし」
そこからキャンキャンあれこれ言い始める二人。それを見てため息つく紫。紫にとっては『いつものこと』ぐらいしか思わない出来事だった。これでお互いが好きだと言って、さらにばれたくないからと紫だけにしか相談できないあたり、紫にとっては『どーでもいいこと』でしかなかった。
「へー、仲いいね」
「先生、勘弁してくださいよ!」
「ほんとです!加山が相手とか皆に何か言われちゃいます!」
そこに木河先生がまぁまぁ、となだめるように制した。何分朝早くの駅前。これ以上うるさくしてしまうと近所の迷惑にしかならない。
それから数分して篠原、深澤、村下がやってきた。それと同時にぞくぞくと他の生徒も集まってくる。
「そんじゃ、チェック始めますか。岩森、よろしく」
「はい…3年1組2班、班長の岩森です。班員全員そろったので東京駅に向かいます」
「確認しました、いってらっしゃい」
「先生も行くんすよね?」
「僕だけ置いてけぼりは嫌だなぁ」
加山の突込みに木河先生がははっと乾いた笑いをした。
東京駅で3学年全体が集まり、教員の指示によって大集団がホームへと移動し、団体専用の新幹線に乗って一路、京都へと新幹線は走る。紫は萌々香と美希をはじめとしたクラスメイトと一緒にワイワイ楽しんでいる。そこにカメラを持った木河先生がやってきた。
「先生、なにやってるんですか~?」
「皆の活動を記録するのがせんせいのやくめになっちゃったんですよ。だから、一枚プリーズ」
萌々香の声掛けで近くの人と一緒に楽しく写真をとる先生。そこに近くの席の男子が声をかけてきた。
「先生!おすすめのお土産、なにかありますか!?」
「欲しいのか買えばいいんじゃないの?」
「いやー、家族に言われたのは買いますけど…自分のがなくて」
「あー、なるほどね。じゃあアドバイスしてあげるよ」
「ほんとっすか?何がおすすめなんすか?」
「言えることはひとつ。木刀だけはやめとけよ」
木河先生の言葉に男子はみな、ポカンとした表情をしている。そして女子ははぁ?みたいな表情をしている。しかし木河先生の表情は真剣というか、無表情に近い。
「なんで、木刀?」
「いや、まじで木刀はやめとけ。2000~3000円ぐらいするくせに、その時はテンション上がるけど、その後に使い道もなく、家族にもブーブー言われ、冷静に考えた時、自分がむなしくなるから」
「それ、自分の経験上ですか?」
「黙秘だね。それは」
紫の言葉に木河先生は目をそらすように言い残し、他のクラスの写真を撮りに移動してしまった。
生徒達を載せた新幹線は早くも京都駅に着き、そのまま私鉄に乗り換えて最初の目的地である近鉄奈良駅に着いた。ここからは班行動のため、それぞれが思い思いに自分達が作成したコースに従って移動を開始している。
そんな中、紫たちの班は未だに近鉄奈良駅にいた。
「やべー!これが先生の言ってたせんとくんかぁ」
「なんか愛嬌があるような、イラっとくるような」
加山と紫が改札口近くにあったせんとくんの像を見て、なんだかんだと意見を交わしながらせんとくんをはたいている。それを他のメンバーは微笑ましく見ている。
「ねぇ、紫。遅れちゃうから早くいこうよ」
「あ、ごめん」
萌々香の声でようやくこちら側に戻ってきた紫。未だに興奮する加山を深澤と村下が引っ張り出して、目的地である東大寺に向かった。
東大寺とは中学生の奈良コースにおいて、絶対的な立場を有している。なぜならば自分達が学んだ教科書に見開き1ページ扱われている内容がそこに、公然たる事実として視界に入ってくるからだ。そうでなくてもこれだけ目立つ建物は教員たちのチェックポイントとして設定するところも多く、今回もそれに漏れずチェックポイントになっていた。
しかし、この東大寺には乗り越えなければならないものがある。人によっては厳しい道のりになることもある。
「私さ、これ以上入りたくないんだけど」
「いやいや、無理でしょ。チェック受けるのこの先だし」
「村下は平気かもしれないけど、私マジ無理」
美希がその道中でいきたくないと駄々こねだした。もちろん彼女が多少わがままなのは知っているが、ここまで拒否するのは珍しい。その理由は明白。
「確かに私も歩きたくないな。う〇こ多すぎ」
「う〇こ言うなよ。せめて鹿の糞っていえって」
そう、彼女達が敬遠しているのは鹿の糞だった。これはもはやここらへんでは当たり前かもしれないが、関東に14年程度しか住んだことのない子供たちにとっては衝撃すぎた。もちろん事前指導はあった。それでもいざ現実に見ると二の足を踏んでしまう。
「腹くくろ。うまくよけていけば踏まなくて済むかもしれないし」
「紫が混じイケメンに見えるわー」
「俺が先頭行くからいこうぜ」
加山が先に歩き出し、村下と深澤がその後ろに並ぶようにくっついていく。そしてその後ろに女子3人。
「なんか加山、かっこつけてるじゃん」
「こんな機会だからつけてるだけだよ。もう、誰にかっこつけたいんだろーね」
「萌々香、ぎすぎすしないでよ」
「してません!」
紫の声に萌々香がイラついたように返事する。紫はいきなりそんな風に言われるとは思ってなかったのでびっくりし、その様子を見て美希はにしし…と笑うようなそぶりをした。
そんな班のメンバーを見てか、それともただのきまぐれか。周りの鹿がなんとなく彼女達に近づいてきた。
「え…なんで鹿が近づいてくるの?」
「あー、ごめん。さっき買った鹿せんべいのせいだ」
深澤が何気なく持っていたせんべいを女子に見せびらかした瞬間、鹿がぞろぞろと遠慮なしに距離を詰めてきた。それに対して萌々香はひっ…と驚き、美希は完全に表情が固まっている。
「あんたねー…それ、どうにかしてよ。私達困るんだけど」
「わりーわりー」
残りが少なかったこともあってか、深澤がバキバキにつぶしてぽいっと投げた。その方向に鹿達は一斉に歩き出した。
「ほんと、習性って怖い」
「いやー、先生たちが言ってたけどまじで鹿せんべいやばいんだな」
「気を付けてよね…ほんと」
紫がそう言ってふぅ…とため息をついていると、萌々香と美希が紫を見てこわばっている反応を見せている。紫は2人がそんな反応をしているのがどうしてかわからない。
「どうしたの?何かあった?」
「紫…後ろ」
「後ろ…?」
萌々香に言われて後ろを見た。そこには紫のスカートをむしゃむしゃと噛んでいる鹿が一匹
「!!??!!??…」
紫はわけがわからない声でその場で大声を発生した。
「いやー、そいつは災難だったね」
笑いながら彼ら彼女らの報告を聞くのは、チェックポイント担当として立っていた木河先生だった。事の顛末を聞き、あれやこれやと対応してくれたのだった。
「わらいごとじゃないです!私のスカートどうするんですか!」
「それは水鏡先生に言ってね。確か違反者のために制服の予備、ホテルに届けているはずだから。さっき連絡しておいたし」
「もう…全員の先生にばれてるじゃないですか」
「僕が女子の制服もっていったらただの変態さんでしょ。まぁ、怪我がなくてよかったですよ」
「心はダメージ負いましたけど」
「起きちゃったものはしょうがないので、中の大仏見て、気分転換してきな」
木河先生が指さす先には東大寺への入り口がある。意気消沈した紫を萌々香と美希が連れ添い、その後ろに男子がひっついていく。
「そうそう、男子。ちゃんと女子をエスコートしなさいね。これ以上不幸な目、合っても仕方ないでしょ」
「まぁ、がんばります」
「今だけだよ。こんな面白と青春できるの」
木河先生の声に男子3人はそれぞれ微妙そうな顔をしながら、中へと入っていた。
もしかしたら後日、話の追加をするかもしれません。その場合にはタイトルに記載します。