え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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氷の心、花咲く心

 

 

 

 蝶屋敷、と呼ばれる屋敷がある。

 本来はその屋敷は"花柱"胡蝶カナエの私邸だ。その名の由来は、美しい蝶が飛び回っていたことから名づけられている。

 しかしその屋敷は世間で言う病院のような役割を持っており、怪我を負った隊士が連日、傷を癒しにやってくる。

 医術の知識を持っている女性隊士や隠、そして胡蝶カナエ本人が傷の手当に当たり、それでも手におえない重傷の患者は、"蟲柱"の鹿神ギン、そしてその継子であり、胡蝶カナエの妹である胡蝶しのぶが手術や看病を行うそうだ。

 そして、"花柱"胡蝶カナエの意向により、事情があって行き場を失った少女達が看護師として働きながら暮らしている。鬼に両親や兄弟など身内を殺され、暮らす場所を失った少女や子供の、所謂孤児院のような役目も持っていた。

 また、その屋敷は"蟲柱"鹿神ギンの薦めにより、光脈筋の上に建てられていた。その屋敷は豊かな森に囲まれ、おかげでここで休むと隊士達の傷も不思議と回復が早いと言う評判だ。

 故に、鬼殺隊の隊士の中には蝶屋敷を拠点にし、任務に赴く者も少なくない。

 

 人の命の最前線。任務で鬼を狩り、どんなに辛く苦しい現実と直面して心を腐らせそうになっても、この屋敷に帰ってくると、心と傷を癒してくれる。

 

 胡蝶カナエの優しさで行き渡っているこの屋敷は、鬼殺隊の支えになっている。

 

 そしてまた、蝶屋敷に新しい住人が増えることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………」

「…………………」

 

 人形のような少女だった。

 連れて来た当初はぼろぼろで薄汚れていたが、しのぶが風呂に入れて洗ってあげたらしい。

 顔立ちは美しく、カナエが誂えた着物に髪飾りはよく似合っていたが、どこか虚ろな少女だった。こちらを見ているが、俺を見ていない。この少女の瞳には、俺が映っていない。

 そんな印象を受けさせる少女だった。

 

「また拾ってきたのか」

「すみません……ついかっとなって……」

「なんで薬の材料を買いに行かせたら、子供を買ってくるんだよ」

 

 数日前、蟲下しの在庫が切れそうになっていたから、しのぶに薬代を持たせて街まで買いに行かせたのだ。

 だが、一日で帰ってこれるはずなのに、やってきたのは蝶屋敷から送られてきた鎹烏で、様子を見に来てみれば、土下座するしのぶとあらあらうふふと笑うカナエ、そして人買いに連れられていたという少女がいたのだ。

 なんでも、薬を買う為に街に行ったら偶然カナエとばったり会ってしまい、すれ違った人買いが縄で縛った少女を連れていたため、我慢できずに半ば強引に買って来てしまったとか。

 

「俺が渡した薬代はどうした?」

「すみません……この子を買うのに使ってしまって……」

「全部?」

「はい……あいだっ」

 

 でこぴんしてやった。当面、在庫をしっかり補充しておこうと結構な額を持たせたのに……この弟子はどこか抜けていると言うか、頭に血が上り易い。

 

「あらあら。いいじゃない、ギンくん。カナヲは可愛いんだから」

「名前までもう付けたのか。犬かよ」

「ええ。栗花落カナヲと名付けたわ。可愛いでしょ!」

 

 知らんがな。

 

「まったく……まあ、買っちまったからには追い出す訳にもいかんしなぁ」

 

 ……しのぶは気付いていないか。微かに少女から、蟲の気配がすることに。

 自分の足で立ち上がることができているから、核喰蟲(サネクイムシ)に魂を喰われたという訳ではないだろうが……。あれに喰われるということ自体かなり稀だが、魂を喰われた人間は動くことすらできず廃人になる。

 だが、カナヲはその症状の一歩手前の段階に来ているように見える。よほどひどい環境にいたのだろう、反応がひどく鈍い。周りに興味を示さない。反応しない。

 

「その子、言われないと何もできないんです。食事も、お手洗いも、お風呂も。しなさいと言わないとやらないんです」

「ふむ……恐らく、心の均衡を保つ為に、周りに無反応になっているんだろう。心を閉ざすことで、自分を守るようにしてしまったんだ」

「どうすればいいんですか……?」

「人の心の傷は、怪我や病のように医者には治せない。だが心を傷つけるのが人間なら、癒すのはやっぱり人なんだ。多くの子供と一緒に遊ばせてやれば、いずれ傷は癒える」

 

 俺はカナヲと目線を合わせるようにしゃがみ、頭を撫でてやった。

 カナヲは俺がやっていることの意味が分からないのか、首を傾げている。

 

「…………?」

「今は分からないだろうが、大丈夫だ。ここにお前の敵はいない。飯を食って、笑って、ここにいるこいつらと温もりを分かち合え。そうすれば、すぐにお前の周りは大切な物で溢れる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"カナヲー、御飯よー"

 

 

 

 声が、する。

 

 

 

"カナヲ、そろそろ時間よー"

 

 

 

何も感じないはずなのに、頭の中に声がする。

 

 

 

 

「カナヲ?」

「っ」

 

 目が覚めると、意識がはっきりする。目の前には、女の人が私の顔を心配そうに覗きこんでいた。

 

「どうしたの、ぼーっとして……風邪かしら?」

 

 カナヲは首を横に振った。すると、その人は安心したようにほわほわと笑った。

 

「よかったわぁ。これからご飯なのよ?さっきからカナヲがお腹を空かせているような気がしてね。すぐにご飯を作り始めたんだぁ」

 

 ぐぐぅ。

 

「あらあら。ちょうどカナヲもお腹が空いていたのね。それじゃあ行きましょう?」

「…………」

 

 私は少し悩んで、硬貨を弾いて掌の上に落とした。表が出たから、私は訊いた。

 

「どうして、私のことが分かるの?私、何も感じないのに」

「だって私、お姉ちゃんだもの。なんでも分かるわ!それにね、カナヲの声が聞こえるの。お腹が空いたーとか、眠いなーって。で、その声がする方に歩くとね、カナヲがいるの。いつの間にか私、かくれんぼ名人になっちゃったのね」

 

 私の声。

 何も感じなくなった、私の声が、この人に届いてる。

 

「さあいきましょ!今日はギンくんがいいお魚を持ってきてくれたの。今晩はご馳走よ!」

 

 この人は、いつも私の手を握ってくれる。いつも私を可愛いと言って抱き締めてくれる。

 この人の温度が、掌を通して私の中に流れ込んでくる。

 

 暖かい。

 

 寒くない。

 

 怖くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生、相談したいことが……」

「ん?どうした?」

「姉さんの所の、カナヲについて。ひょっとしたら、蟲が関わってるんじゃないかと」

「……何かあったのか?」

「はい。私や姉さんが蝶屋敷を離れている時に、声が聞こえるんです。カナヲの声が」

「カナヲの声が聞こえる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蟲屋敷に、カナエを呼び出した。相変わらず無表情なカナヲを連れて来てもらった。

 

舟少(カイロギ)……?」

「ああ。昔から、人の体内には蟲が棲んでいると言われている」

 

 

 虫の居所が悪い。

 虫が好かない。

 虫酸が走る。

 

 遥か昔から、体の中に蟲がいると人はずっと言っていた。

 

「カイロギはその一種だ」

 

 そして、虫の知らせ。

 

「人と人の間には、見えない通路が通っている。その通路を俺達蟲師は"水脈(みお)"と呼ぶ。そこは水路のような通路で、全ての人間はその水脈で繋がっており、五識を補う妖質が満たされ、流れている。水脈はすべての人間に繋がっており、遠く離れた人間と交わる。時にその水路は人の想いを運び、遠い誰かに伝える。それが虫の知らせとして起きるわけだ。カナヲ」

「……」

「偶に、身体から魂が抜けていく感覚はないか?」

「……」

 

 カナヲは硬貨をぴんと弾いて、掌の上に落とした。そこに出たのは、表。

 

「ある」

「…………」

「姉さん、やっぱり硬貨で決めるのはよくないと……」

「あ、あはは~……」

 

 俺もしのぶに同感だった。まあ、カナヲも気に入ってるようだし、悪くはないのか……?

 

「しのぶの話とカナヲの状態を見るに、カイロギはかなり浸食しているようだな」

「ギンくん、なんなの?そのカイロギって言う蟲」

「カイロギは妖質が豊かな人間に寄生する蟲だ。魂の裏側、意識の底に棲み、宿主と同調して自由に水脈を泳ぎ回る。そして宿主が望む人間に、想いを届けることができると言われている。カナエやしのぶが聞いたカナヲの声ってのは、カナヲの想いだ」

 

 ―――私の、想い?

 

「カナヲ~~~~~!」

 

 すると、感極まったのかカナエが嬉しそうにカナヲを抱き締めた。カナヲはどこか戸惑いの表情を浮かべながら、カナエに撫で続けられた。

 

「嬉しいわカナヲ!私に心を開いてくれてたのね!お姉ちゃん嬉しい!」

「つまり、その声が聞こえたしのぶにも、見方を変えれば心を開いてるってことだな」

「…………」

「嬉しそうだな、しのぶ」

「う、嬉しくなんかありませんっ!ただちょっと、びっくりしただけと言うか……!」

 

 確かに、今まで心を閉ざしていたカナヲが、しのぶとカナエに声を伝えたと言うことは心を許している証拠でもある。蟲の力とはいえ、ここでの生活はカナヲにとっていい影響を与えているのが分かる。

 

「カナヲは心を閉ざしている。本来、口から言葉として発せられるカナヲの本来の声を、カイロギが拾っちまってるのかもしれねえな。だが、声が聞こえるとなると、カナヲに寄生するカイロギはかなりの数になっているだろう。今のうちに薬で数を調整する必要がある」

 

 懐から薬を3人分取り出した。

 

「これを呑んでおけ、カナエ、カナヲ。そしてしのぶも」

「え、カナヲはともかく、私としのぶも呑まなくちゃいけないの?」

「カイロギは水脈を通して相手にも寄生する。お前の中にもカイロギがいるはずだ」

「えー……でもせっかくカナヲと心が通じたのに、呑まなきゃいけないの?」

「ああ。手遅れになる前に、呑んでおいた方がいい」

「でもそんなに重く考えなくていいと思うわ。だって、私としのぶはカナヲと心で繋がってるってことじゃない。ねー、カナヲ」

 

 ナデナデとカナヲを撫でながらやんわりと俺の薬を拒否する。こいつはまったく……。

 

「姉さん!この蟲はそんな単純なことじゃないんだってば!このまま寄生させたら、姉さんとカナヲの魂が流されて一生そのままになっちゃうかもしれないのよ!」

 

 カイロギは、確かに人を直ちに死に至らしめる様な力はない。見方を変えれば、思えば人に考えを伝えることができると言う一種の超能力だ。未来の言い方に変えればテレパシーとでもいうべきだろう。

 だがしのぶが言った通り、カイロギを無暗に使い続けると宿主の意識を乗せたまま、自由に動き回るようになる。

 

「あらら、それは怖いわ……、ギンくん、本当?」

「ああ。カイロギを使い続ければ、いずれ意識をもってかれ廃人になる。水脈に流された魂は、その身体に二度と戻れない」

「そんな……ねえギンくん、なんとかならないの?」

「姉さん、我儘言わないで。これは私達の為なんだから。このまま放っておけば、私も姉さんもカナヲも、魂を蟲に持って行かれちゃうんだから」

「じゃあ、カナヲに聞いてみましょう!」

「姉さん!」

 

 ほわほわと笑うカナエに、しのぶが怒鳴り声を上げる。こっちの心配など、まるで意に介してない。カナエのこういう所が俺は苦手だった。超絶マイペースで自分の気持ちを優先して動く。自分がやりたい、他の人にとっていいと思ったことを優先する。こっちの理屈や正しさなどを無視して。そう言った天然な所がおそらく他の男達を惹きつけてやまないのだろうが、俺は苦手。

 

「ねー、カナヲ。カナヲも、私達とずっと一緒にいた方がいいよねー?」

 

 小さい子供に尋ねるように、にっこにことカナヲの顔を覗きこむでっかい子供(カナエ)

 答えるわけないだろう、と俺は心のどこかで思っていたのかもしれない。心に傷を負って、硬貨でしか物事の良し悪しを決められない少女が――

 

「うん」

 

 ……返事をした?硬貨も使わずに……?

 

「カナヲ――――!!やっぱりカナヲは可愛いわ~~~~~!」

 

 カナエはそう言ってカナヲに飛びついた。その姿はまるで本当の妹を可愛がる姉のようだった。いや、ぺろぺろと主人をなめまわす犬に見えなくもない。

 それにしても―――

 

「今の、カイロギが俺達に伝えたんじゃないよな?カナヲが口で、自分で言ったのか?」

「は、はい……今確かに、自分の言葉で……」

「驚いたな……これも蟲の力か?心を閉ざしたカナヲの傷を癒したのか?」

 

 こんな症例、初めてだ。人間は、人の魂や心を治す術は未だ持っていない。人の心は複雑怪奇で、ガラス細工のように脆いからだ。

 だが、蟲ならあるいは―――人の心を癒すことができるとでも言うのだろうか。

 

「ね、ギンくん。この蟲はギンくんの言う通りきっと危険なモノなんだと思う。けれど、きっと今のカナヲには必要な蟲だわ。ね、その蟲を完全に殺さずに済む方法はないかしら?」

 

 ね、お願い!と上目遣いでカナエは俺の顔を見上げる。

 俺はこれが苦手だった。俺だって男だ。美人にここまでお願いされて断れるほど、俺は枯れてはいない。

 

「姉さん!距離が近いっ」

「あらあら、しのぶったら。怒った顔は可愛くないわ。それにしても、ギンくんの継子になってすっかりギンくんに懐いちゃって。お姉ちゃん、悲しいなぁ。昔はずっと私の後ろにとてとてと付いてくるような子だったのに。最近はいつもいつも、ギンくんのお話ばかり」

「懐いてなんていないってば!ただ先生として尊敬してるだけなんだからっ」

「仕方ねえなぁ」

「先生まで!姉さんに言ってやってください!」 

「ま、落ち着け。俺に懐いてるしのぶ」

「懐いてませんってばー!」

 

 どうどう、としのぶを落ち着かせる。しのぶは納得がいかなそうだが、俺は話を続けた。

 

「確かに、カナヲの心の傷が癒え、しっかりと意思疎通ができるまでカイロギを寄生させておくのは俺もいいと思う。現に、この蟲は今のカナヲにいい影響を与えているようだ」

「それじゃあ……!」

「が、調整は必要だ。この薬を使えば、一時的にカイロギが棲む妖質を枯らすことができる。そうすればカイロギも数が少なくなるだろう。本来はカイロギが全て死ぬまで妖質を枯らし続ける必要があるんだが、今のカナヲにカイロギは必要だ」

「さすがギンくん!嬉しいわぁ!」

「どぉわっ!抱き着くなぁ!」

「姉さんってば!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――冬。

 

 

 

「じゃあカナヲ。私は任務に出かけてくるからね。何かあったら、しのぶかギンくんを頼るといいわ。今日は二人に蝶屋敷でけがの治療をお願いしているからね。雪だから、風邪をひかないように暖かくして寝なさい」

「はい」

「うふふ。もう硬貨がなくても返事ができるようになったね。それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、師範」

 

 寒い日だった。空は灰色の曇り空で、そこから雪が降ってきた。

 

 あれから、一月に一度、ギンさんに頂いたお薬を飲むようにしている。とても苦いけど、私はどこかそれが嬉しい。

 師範としのぶさんと、繋がっていられることを許されたお薬。

 

 まだどうでもいいことの方がたくさん多いけど、どうでもよくない、大切なことがたくさん増えた。 

 もっともっと、たくさん、大切なことを増やしたい。

 ここにずっと、姉さん達と一緒に―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――助けて―――誰か―――鬼が―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慌ただしい足音と共に、診察室の扉が開かれた。現れたのは息を切らしたカナヲだった。

 

 

「ん?どうしたカナヲ。今診察中だぞ――」

「姉さんがっ、死んじゃう」

「―――落ち着け、どうした」

「姉さんが、隣町で、鬼に襲われてる!このままじゃ、殺されちゃうっ!ギンさん、助けてっ」

「……カナエを追い詰めるほどの鬼か。よし分かった。今すぐ行こう。案内しろ、カナヲ」

 

 

「待て」

 

 

 診察台に寝転がっていた男が起き上がる。

 

 

「俺も行く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「可哀そうに可哀そうに可哀そうに」

 

 

 ――冷たい

 

 

「頑張ったんだね、よく頑張ったよ」

 

 

 ――冷たい

 

 

「でも大丈夫」

 

 

 ――苦しい

 

 

「これからは俺の一部として、永遠に生きることになるんだから」

 

 

 ――息が白い

 

 

「ずっと一緒だ。君は救われるんだ!」

 

 

 ――指先の感覚がもうない

 

 

「だから安心して眠りなさい」

 

 

 ――助けて

 

 

 

 ――誰か助けて……!

 

 

 

 

 

 

 

 

"森の呼吸 壱ノ型 森羅万象"

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――あ……暖かい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼がカナエを掴もうとした所を、寸前で間に合った。鬼の腕を斬り飛ばし、カナエを抱きかかえ急いで離れた。

 カナエは一目で重傷だとわかるほどボロボロだった。……ひどい。低体温症になりかけている。体のあちこちも凍って、凍傷になりつつある。

 

「ギ……ん、く……」

「話すな、カナエ。肺をやられてる。喋ると辛いぞ」

 

 

「おっと。また新しい鬼狩りかな?しかもその気配、相当強い!多分柱だよね。嬉しいなぁ、二人も柱を殺せるなんて!それにしてもひどいなぁ。腕を斬り飛ばすなんて。でも残念。もう治っちゃったけどね」

「…………」

「無視するなんてひどいなぁ。その娘は俺が救わなきゃいけないんだ。早く返してもらわないと……ねっ!」

 

 

"血鬼術 冬ざれ氷柱"

 

 

 夜の空に巨大なつららが生成され、それはまるで弾丸のように意思を持って俺の方へ飛んでくる。

 しかも速い。普通の隊士だったら串刺しにされて終わりだろう。

 だが――

 

 

"水の呼吸 壱ノ型 水面斬り"

 

 

「あれれ、柱がもう一人?」

 

 

 そのつららは一瞬のうちに両断され、俺とカナエを避けるようにして地面に突き刺さった。

 

 

「遅くなった、ギン」

「遅いぞ、義勇。もっと速く走れよ」

「俺は遅くない」

 

 

 現れたのは、錆兎の羽織を取り入れた半々羽織の男。

 水の呼吸を極めた。俺の兄弟子であり、親友でもある。

 

"水柱"冨岡義勇。

 

 義勇は今日の昼頃、鬼殺の任務の帰りに蝶屋敷に寄ってきたのだ。「話がある」と相変わらずぶっきら棒に言ってきたが、普段の鉄仮面が二割増に見えるほど神妙な顔つきだったのが印象的だった。

 些細な世間話をするためにわざわざ蝶屋敷に立ち寄ったのではなく、俺に相談したいことがあったらしい。立ち話もなんだと思い、診察室に連れて聞いてみると、妹を鬼にされた兄を鱗滝さんの所に送ったとかかなりとんでもなく面倒そうな案件を聞かされた……まあそれはともかく。

 カナエにとっての幸運は、そして鬼にとっての不運は、"水柱"と"蟲柱"二人が、蝶屋敷に留まっていたことだ。義勇とは今まで一緒に修行をし、そして任務をした仲だ。連携なら柱の誰にも負けない。これほど頼りになる相棒はいない。

 

 

「――師範!」

 

 

 そして、遅れてカナヲが到着する。カナエの状態を見て短く悲鳴を上げたが、自分がやることをすぐに理解したのか、すぐに引き締まった表情になる。さすが、カナエに鍛えられているだけのことはある。

 

「カナヲ。カナエを連れて退避しろ。殿は俺達がやる」

「……はいっ」

 

 抱きかかえていたカナエを、弟子であるカナヲに預けて走らせる。カナヲが去った所をしっかりと確認して、俺は改めて鬼と向かい合った。

 

「おいおい、逃がしちゃうのかい?せっかく俺が救ける所だったのに」

「お前相手に、胡蝶カナエはもったいない。俺達で十分だ」

「あっはっは、余裕だねぇ」

 

 ―――余裕なもんか。

 

「相変わらず、気楽で羨ましい。上弦の前だと言うのに」

 

 そう。俺達の前にいる鬼は、十二鬼月だった。

 しかも、上弦だ。目に刻まれたのは上弦、そして弐という数字。鬼舞辻の配下である無数の鬼達の中で、特別に強い十二体の鬼の内の一人。そして、上から二番目の鬼。

 

 

「そう言うな。俺達が揃って、こんな鬼に負けるわけないだろう?」

「――ああ」

「相手は上弦の弐。おそらく氷の血鬼術を使う鬼だ。カナエの肺が凍らされていた。不用意に息を吸うな」

「了解した」

 

 いつでも攻撃を仕掛けられるように、『悪鬼滅殺』の文字が彫られた刀を抜き、構える。

 気を抜くとすぐに殺されそうな、圧倒的な力を持つ鬼だということは分かる。相対しているだけで手に汗が滲む。気を許すと直ぐにでも闘う気力を持って行かれそうだ。

 鼻がそこまで良くない俺や義勇でも、その鬼から圧倒的な死臭が漂っていることが分かる。たった一体の鬼が、今まで何千人という人間を喰ったのか。

 

 

「俺の名は童磨。お察しの通り、十二鬼月をやらせてもらってるよ。それで、君達の名前は何かな?せっかくだから仲良くなりたいなぁ!」

「「答える義理はない」」

「そっかぁ……残念だなぁ。でも俺、男は興味ないんだよねぇ。そうだなぁ、さっさと殺して、さっきの娘を助けにいかなきゃっ」

 

 

"血鬼術 蔓蓮華"

 

 

 氷の蔦が、触れればあっと言う間に凍らされる極寒の氷がこっちに伸びてくる。

 だが、そんな物は水柱には通じない。

 

 

「退け」

 

 

"全集中・水の呼吸 拾壱ノ型 凪"

 

 

「あれれ、俺の血鬼術が……消えた?」

 

 

"森の呼吸 参ノ型 青時雨"

 

 

 義勇が編み出した拾壱ノ型で、敵の血鬼術が消えた瞬間を見計らって、上弦の背後に回った。

 

「わぁ、すっごい速さだ!」

 

 だが、鬼の頸に走らせた刀は奴の扇で阻まれてしまう。完全に死角に入ったのに、なんで今のを防げるんだよ!

 

 

「ちっ。さすがに簡単に獲らせてくれねえか。義勇!」

「ああ」

 

 

"森の呼吸 弐ノ型 剣戟森森"

 

"水の呼吸 捌ノ型 滝壷"

 

 

 居合を防がれた俺はすぐさま、十連続の高速の突きを繰り出す。

 そして義勇は俺の攻撃を捌いている鬼の背後から、頸を獲る。

 

 

「本当にすごい!こんなに息の合った攻撃は初めてだよっ。俺も負けてられないなっ」

 

 

"血鬼術 散り蓮華"

 

 

 童磨と名乗った鬼が扇子を振るった瞬間、細かい氷の破片が爆風のように俺と義勇を襲った。

 視界を覆うほどの氷の波のせいで、呼吸で繰り出した攻撃を無理やり止められてしまう。

 

 氷の破片は俺達の皮膚を薄く切り刻む。

 頸動脈に当たらなければ問題ない。だが、傷口から漏れ出た血が、奴の血鬼術ですぐに凍ってしまう。

 

 俺達はたまらず、鬼から離れた。

 

 

「あれ。もう終わりかな?もう諦めちゃったのかな?」

 

 

 心底楽しそうに嗤う童磨。これが上弦の弐か。強い……さすが、最強の鬼の一角だ。

 

「……さすがに、二人掛かりでも厳しいか」

 

 柱二人掛かりでも頸を斬るのは難しい。今の季節が冬で、辺りに雪が積もっているのも奴の味方をしている。

 戦いが長引くとこっちが死ぬな。

 

 

「ああ、今のままでは」

「そうだな。今のままだと駄目だ。義勇、これを呑め」

 

 義勇に光酒が入った水筒を投げ渡す。念のために用意しておいてよかった。

 義勇が口をつけ、一気にそれを呑み乾したのをみて、自分も用意しておいた光酒を一気に飲み干し、その辺に投げ捨てた。

 

「あれ。その匂い……」

 

 長期戦は圧倒的不利。やるならば、一瞬で決着をつけなければならない。

 ならば、畳みかけるまで。

 俺達にできる最速の技を、全力の技を叩きこむ。

 もう二度と、何も失わない。錆兎のように死なせない。

 俺達は強い。

 絶対に、負けない。

 

 

 ――辺りは雪が積もりつつある。音を吸い取る雪は、街に静寂をもたらしていた。

 

 

 シィィィィィィィィィィィィ

 

 

 静寂の中に響き渡る、二つの呼吸音。もっと吸え。体温を高くしろ。後のことは考えるな。今こいつを殺すことだけを考えろ。

 

 

 

 

「……何、その痣」

 

 

 

 

「行くぞ、義勇」

「ああ」

「俺達は、もう二度と奪われない」

 

 

 

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"水の呼吸 漆ノ型"

 

 

"森の呼吸 伍ノ型"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ、速っ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"雫波紋突き"

 

 

"陰森凄幽"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上弦の弐と、蟲柱と水柱の戦いは、後に隊士達の間で伝説となって語り継がれていくことになる。

 

 

 

 

「カァー!カァー!上弦ノ弐、討伐!上弦ノ弐、討伐ゥ!冨岡義勇、鹿神ギンノ手ニヨッテ討伐ゥ!冨岡義勇、負傷!鹿神ギン、負傷ォー!付近ノ隊員ハ直チニ、2名ヲ救助セヨォー!カァー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさいね、ギンくん。おかげで助かったわ」

 

 三ヶ月後。カナエが意識不明の重体から目を覚ましたとの知らせを受け、俺は蝶屋敷へ訪れた。

 氷を扱う童磨の血鬼術は強力で、カナエは肺の4分の1を壊死させられた。しのぶの神業とも呼べる処置がなければ、命を落としていただろう。

 しのぶ曰く、「先生に教わった知識が無ければ姉の命を救うことができませんでした」とのこと。唯一の肉親を救うことができたしのぶは、病室で大泣きしていたそうだ。

 

「しのぶもカナヲも、泣かせちゃったわ」

「ああ。俺と義勇、しのぶとカナヲが蝶屋敷にいなかったら、間違いなくあいつに殺されてた。特に、今回の功労者はカナヲだな。あいつがカイロギでお前と繋がっていなかったら、助けることすらもできなかった。これに懲りたら、鬼に不用意に近付くんじゃないぞ」

「……友達に、なれると思ったの。親しげな笑みを浮かべてきた彼と、今度こそって……でも、すぐに危険だと分かって、その時には私の肺がやられて、手遅れだった。もうこれじゃあ、剣士として戦うのは無理ね」

 

 呼吸法は、鬼殺の基礎であり、要だ。肺をやられてしまったカナエは、今後前線で戦うことは難しい。柱も引退すると、耀哉に報告したそうだ。

 

「無理するな。最近、杏寿郎の継子が柱と同じ戦果を挙げたんだ。花柱の後釜はそいつがやることになるだろう。お前が引退しても、お前の代わりに戦ってくれる奴はすぐに出て来てくれる」

「……それでも……私は悔しいし、申し訳ないわ……あなたと義勇くんに、顔が立たない……」

 

 義勇はあの戦いで脇腹を氷で貫かれた。

 俺は足の指を何本か凍傷で落とさねばならなかった。

 だが、それほどの代価を払わなければ上弦の弐は倒せなかったし、逆に言えばそれだけの被害で上弦の弐を討伐できたのは快挙だ。耀哉も泣いて喜んでいた。

 音柱や炎柱など、他の柱の連中も俺達の戦果を讃えてくれた。普段柱の連中とうまく言葉を交わせない義勇も、褒められて戸惑っていたのが印象的だ。

 

「気にすんな、もう傷も治った……って言っても、お前は気にするだろうがな。ま、今回はお前の抜かりがでかい。今後の教訓と思って、不用意に鬼に近付くな。奴らは確かに意思を持ち、生きている。が、理から外れちまった生物だ。仲良く手を取り合うことは難しい」

 

 俺がそう言うと、カナエは視線を落とした。

 

「やっぱり、夢なのかしら。鬼と人が手を繋いで生きていく未来は――ないのかしら?」

「…………いや」

「え?」

「均衡は変わりつつある。千年続いた鬼との戦いも、終わりに近づいてきてる。お前の言う未来も、そのうちやってくるかもしれない」

「――どういうこと?」

 

 カナエは首を傾げた。

 

「今はまだ話せないが、その内俺の弟弟子が鬼殺隊に入隊する。そいつらは今を変えてくれる力を持っているんだ……」

「?」

「っと、話し過ぎちまったな。なに、すぐに分かる。それより、お前は今後どうするんだ?」

「そうね……せっかくだから、医術を学ぼうかしら。しのぶを見習ってね」

「お、じゃあ俺の弟子になるか?」

「いやでーす。なるならしのぶの弟子になりまーす」

「なんだとこの野郎」

「うふふ。冗談よ。それに、カナヲが私の代わりに花柱になりたいって言ってくれたの。私はあの子を育てながら、ここで看護師をするわ。もう戦えないけれど、私も皆を支えたい。せっかく義勇くんとギンくんに拾われた命、私も一緒に支えさせて」

 

 カナエはそう言ってほほ笑んだ。

 

 

 

「……もうすぐ、春ね」

 

 

 

 カナエが窓の外へ視線を向ける。そこには、つぼみを付けた桜が、春が来るのを今か今かと待ちわびているのが見えた。

 

 

 

 

 




 蟲師用語図鑑


"舟少"

 原典『蟲師原作第八巻』隠り江(こもりえ)より


 カイロギと呼ばれる蟲。
 人と人の間には、見えない通路で繋がっており、それを"水脈"(みお)と呼ぶ。
 水脈は水路のような物で、五識を補う妖質が流れている。
 カイロギはその妖質が流れる水脈を泳ぐ蟲であり、妖質が豊かな人間に寄生する。
 寄生すると、宿主の望む相手に自分の心の声を届けたり、遠い誰かと会話することが可能になる。
 放っておくと宿主の魂を乗せて自由に泳ぎ回る。やがてその魂を連れたまま、カイロギは宿主の肉体へ二度と戻らず、廃人同然になると言われている。

 対処するには妖質を枯らす薬を取ることが必要。

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