〇月×日
今日も今日とてトレーニング。
シシガミ様に教わった「呼吸法」とやらを鍛えるべく、毎日走って走って走り込み。
100メートルはありそうな大樹を登り。枝と枝を飛び足腰と肺を鍛える。
確かこれ、フリーランって言うんだっけ。偶に足を滑らせて落ちて死にそうになることはあるが、この森の植物を食べていたおかげか、前世の時よりかなり身体が頑丈になっている。
だって高さ100メートルから落っこちても打撲で済んだんだもの。最初地面に落ちて「いったぁぁぁぁぁぁぁい死ぬぅぅぅぅぅこれ絶対全身複雑骨折……あれ、痛くない」ってなった時はドン引きでした。自分に自分でドン引きだった。
これも全部蟲の仕業なんだ。きっと全部蟲のせいなんだ(責任転嫁)
この森で暮らし始めて早4年。もうすぐ自分も10歳になる。
けれど俺は、まだこの森から出たことがない。
最近気付いたのだがどうやらこの森、蟲のせいなのかそれとも異常な大きさを誇る光脈筋のせいなのか。現世とは隔絶された結界に覆われているようだったのだ。
そりゃそうだよね。もしこの森に人が入り込めていたら、シシガミ様や森の動物たちは狩られるか、それか森の木々は資源にするために伐られていたに違いない。
この森は閉じられている。
多分、ヌシであるシシガミ様の手によって。
この森に人は入ってこない。
それと同時に、この森から出られない。緑の牢獄なのだ。
何故、俺はこの森に入ることができたんだろう。
常闇から抜け出した場所がたまたまここだったから?
でも、それならシシガミ様は何故俺を鍛え、育てようとしているのだろうか。
分からない。俺がここに生まれた意味はなんだ?
俺は蟲師として、人を助けるべく手を貸す存在になるためにここにいるんじゃないのか?
分からなかった。
シシガミ様にいくら問うても、「いずれわかる時がくる」としか、答えてくれない。
俺は必死に、頭の中に湧き出る不安を塗りつぶすように、トレーニングに励む。
△月■日
夜はもっぱら、呼吸と瞑想に励んでいた。
シシガミ様に教わった全集中の呼吸・常中は、身体に空気を取り込み、身体中の細胞を活性化させる技術「全集中の呼吸」を常に行う技だ。俺はそれを鍛える為、「2つ目の瞼」を閉じながら行っている。
「やあ、ギン。二日ぶりだね。今日も会えてうれしいよ」
「よっ、耀哉」
二つ目の瞼を閉じると、いつも耀哉がいた。
「今日も鍛錬かい?」
「一応ね」
耀哉は仏のような優しい笑みを浮かべる。まったく、同い年には見えない。自分も転生しているから精神年齢は通常の子供より上なのだが、耀哉はそれ以上に見える。
「今日はどんな話をしてくれるのかな」
彼はそう言って真っ暗な地面に座った。俺は対岸にいる耀哉に聞こえる声量で語りかける。
「今日は、海の中に棲む蟲の話だよ。そっちは何を教えてくれるんだ?」
「そうだね……昨日は歴史について語ったから、今日は数学や物の尺度について教えよう」
耀哉には、俺が記憶喪失だと言うことを伝えた。
目を覚ました時には森にいたこと、その森から出ることができないこと。
そんな俺に、耀哉は座学を教えようと申し出てくれた。森の外が大正時代だと知ったのもその時だ。
俺はその提案を一も二もなく受け入れた。その代わりに、耀哉には蟲について語って欲しいと願われた。
「なるほど。その蟲は生物を生まれる前の状態に戻してしまうんだね?」
「そう。生物が生きた時間を喰う蟲……とでもいうべきなのか。人を喰えば、生まれる前の状態に戻してしまう。その戻した状態が粒になるんだけど、その粒を人が呑みこむと、蟲に食われた人を孕むんだ」
「それが、生みなおしかい」
「そう。人が死んでも、蟲に食わせればまたこの世に戻ってこれる。そういう島があるらしいんだ」
俺は原作の蟲師の話を思い出しながら、それを耀哉に語った。時々、シシガミ様に教えてもらった蟲や、森で見つけた蟲についても語った。
耀哉はそれを戯言と笑うことはせず、真剣にそして楽しげに聴いてくれた。
どうやら耀哉も含め、現世の人達は蟲に対しての知識は深くないらしい。耀哉は俺の話をいつも興味深そうに、時々いくつか質問を挟みながら俺の語りを聞いた。
「もしかしたら、耀哉が言っていた『鬼』も、鬼になる前の状態に戻すことができるかもしれないね」
「そうだといい。今の所、鬼を人に戻すことはできていないからね。蟲の力で、そういうこともできればいいのだが」
ある時耀哉は、「鬼と言うのは知っているかい」と俺に問いかけた。シシガミ様が何回か語っていたものだ。
耀哉は座学以外にも、鬼について語った。
曰く、夜の間に闊歩せし人を食料として襲う怪物。
曰く、怪しげな妖術を使い、陽の光に当てるか、特殊な刀で頸を斬らないと殺せない。
曰く、鬼舞辻無惨という鬼の始祖が、人間に血液を与えて人を化け物に変えている。
そして俺の唯一の友人である産屋敷耀哉は、その鬼を討伐する「鬼殺隊」の当主であると。
「君は信じるかい、この話を」
「もちろん」
だって蟲がいる世界だもの。鬼くらいいたって不思議じゃない。
ひょっとしたらその鬼舞辻無惨っていうのも、鬼と言う名の蟲かもしれんし。
それに―――
「それに、耀哉は俺の友達だろ。信じるよ」
俺がそう言うと、耀哉は一瞬驚いたように目を見開いて、やがていつもより優しげに微笑んだ。
「嬉しいよ、ギン。君が私の友であることを誇りに思うよ」
耀哉はそう言ってほわほわ笑った。
それにしても、人を鬼にする蟲かぁ。そんなのいたっけかなぁ。
狩房文庫とかあれば、今すぐにでも行くんだけど……どうすればいいのやら。
×月×日
倒れていた大木を切り取り、木刀をこしらえてみた。
石斧で無理やり折った太い樹を、これまた石のナイフで何時間かかけて無理やり木刀の形にした棒っきれだ。うん、初めて作った割りには上手くできたほうじゃないかな(自画自賛)
なんで木刀を作ったのかと言うと、それは件の鬼とやらに対抗するためだ。
耀哉が言うには、「日輪刀」と言う刀で頸を斬らない限り、鬼は死なないのだとか。それまでにどんな武器で怪我を負わせようともたちどころに治ってしまうらしい。
まさしく不死身。
……ちょっと待って?
耀哉達鬼殺隊はそいつらを退治してるんだよね?どうやってるの。明らかに人間業じゃないよね。
え?ギンも修練を積めばできるようになる?はは、まっさかー。だって俺は鬼殺隊じゃなく蟲師だもの。そんな体張るような真似はできないよHAHAHA。
…え、なにその呆れた様な顔。
とは言ったものの、剣術は出来て損をすることはない。実際、蟲の中には人間を遥かに凌駕する力を持った蟲もいる。人の肉の形に擬態する蟲もいる。いざと言う時の為、身体を鍛えておいても良いだろう。
それに、蟲師として活動している最中に鬼と遭遇することもあるかもしれない。
いざと言う時の自己防衛の為に剣の技術を磨くのは悪くないと思ったのだ。
もちろん、ここで4年近くも過ごしていたおかげで腕っぷしはそこらの大人以上なのだが。
だって毎朝プライドが高い猪達に追いかけ回されるし、昼になればシシガミ様ブートキャンプでひーこら言わされるし、夕方になれば犬神達に食われそうになるし。
逆にあいつらを食べてやれればいいのだが、連中の皮膚は尋常じゃなく固い。俺が手作りしたナイフや石斧で全力で殴っても傷一つつかないのだ!俺がタンパク質を摂取できるのは一体いつになるのやら。このままじゃベジタリアンになっちゃうよ(白目
そんなわけで、魑魅魍魎ともいえる怪物(比喩ではない)達と追いかけっこしたり、戦ったり、隠れたりしている内に、自分も人外へと片足を突っ込みつつあるのである。
くっそうあいつらめ。猟銃をゲットできたら真っ先に狩って鍋にして食ってやるからなコンチクショウ。いつか覚えてろ。
そんなことを考えながら、俺は手作りの木刀で素振りを始めるのだった。
我流だけど、まあなんとかなるでしょ。前世でバガボンドを読破した俺に隙はない!
×月☆日
剣の修行つらたん。
ねえシシガミ様。蟲師に腕力とか剣術とかは必要ないと思うんだ。必要なのは知識だよ知識。
せっかく転生したんだからさ、身体を極限まで鍛えて俺TUEEEEしたいわけじゃないのさ。
ただ単純に根無し草でもいいから当てのない旅をしたいなぁって。ギンコさんみたいに豊かなこの国を旅して回りたいの。ハーレムとか作りたいわけじゃないの!
だからまじやめて、え?この樹を運べ?
いやいや無理無理これどうみても100kg以上あるってぎゃあああああああ!!
△月×日
地獄の鍛錬から数日後。
命からがらシシガミの森ブートキャンプから逃げてきた俺は、薬の調合をしていた。
調合と言っても、そこまで複雑な物じゃない。泥で作った器で蟲下しを作っているだけだ。
蟲は、目に見えない不思議な存在だ。あるかないか、生物とそうでない物の中間に位置する、不確定な存在。
だが、見えないだけで確かにそこに存在し、周囲に影響を与えるのが蟲。
その蟲は稀に、人に対して悪い影響を与えることがある。
場合によっては人を死に至らしめる蟲もいる。
けれど、蟲が悪意を持って人を殺そうとしているわけじゃない。ただそこにいるだけだ。ただそれぞれが在るように在るだけ。
善も悪もない。ただそこで、生きているだけで、悪と断ずることはできないし、仮にできてもそれは人間の都合によるものだ。
だから俺達人間は、そいつらと上手に付き合っていく術を身に着けるしかないのだ。
この蟲下しもその術のひとつ。
一説によると、人間を含めた動物達の体内には何千億もの蟲が暮らしているらしい。それは細菌と呼ばれる物かもしれない、もしくは細胞と呼ぶべき存在なのかもしれない。
人間が思考し、考え、行動できるのは蟲が人間の体内で生きているからだと言う説もある。
そんな体の中に棲む蟲達の調子を整え、そして余計な蟲を外に追い出すのが『蟲下し』。
めちゃくちゃ苦い薬だが、これを飲むだけで摩訶不思議な蟲による体調不良をなんとかできると考えれば十分だろう。
実際、原作の蟲師だって、蟲による現象を根本的に解決できたことはほとんどないのだ。実際は手も足も出せず、できることと言えば被害を最小限にする応急処置で対応することがほとんどだった。
光の河に入って目を喪った少女も、両方の目玉を取り戻すことはできなかった。
夢を現実に出してしまう刀鍛冶も最後は自分に刃を突き立てた。
蟲は曖昧な存在だ。故に、人間はそれを完全に絶つことはできない。微弱で儚い存在でも、大きな山や森の一部。
それが、蟲という存在だ。
幸いなことに、ムグラを身体に宿しているおかげで、この森に棲む蟲の特性や、蟲達が苦手とする植物などの位置も分かっている。ひょっとすれば、鬼とかいう連中にも効く薬も作ることができるかもしれない。
あとは採取して、粉末状になるまですり潰して、乾燥させればOKだ。できれば丸薬タイプのも作ってみたいが、今日の材料だとこれぐらいがげんか―――
あ、シ、シシガミ様?ど、どうしてここにっ、あ、そうかヌシだからムグラで俺の場所を突き止めたんですねさすがシシガミ様、え?今日の鍛錬はどうしたんだってHAHAHA今日はちょっとお腹があれなんでぎゃああああああああああああ!!
このあと無茶苦茶トレーニングした^q^
☆月☆日
今度こそ、今日こそ死ぬかと思った。
今日のトレーニングは実践形式だった。木刀の素振りにようやく慣れてきたのを見計らってのタイミングだった。
シシガミ様が「今日は森の住人と戦ってもらう」と言ってきたのだ。
それを聞いた俺は、密かに安堵した。そして安堵と同時に、「これは勝てる」と言う高揚と確信を得ることができたのだ。
木刀でのトレーニングを始めて数週間。呼吸法と組み合わせることで人間の限界を超えた戦い方ができることを知った俺は、呼吸による型をいくつか編み出した。
なんでも、耀哉が当主を務める鬼殺隊はこの呼吸法と剣術を組み合わせた型で鬼達と戦っているらしい。耀哉の教えにあやかって、この呼吸法を「森の呼吸」と名付けた。
この森の呼吸で、今日こそあの猪共や犬共を叩き潰してやろうと密かに決心していた。
毎日毎日殺す勢いで襲い掛かってきやがって、あの肉食獣ども。許さんぞ。今日こそリベンジの時だ!
―――そう思っていた時期が、僕にもありました。
何故ならその対戦相手が、30尺もある熊だったからだ。*1
うそやん。立ち上がったらちょっとした家より大きいやん。
こんなのと戦えって言うの?ていうかこの森の住人は人並みに知能があるから、正直勝てる気がしないんですけど――――ぎゃああああ爪!今爪掠った!!血が出てるんですけど!これ鍛錬だよね!?実戦形式のトレーニングですよね!?え?痛みを得ないと強くなれない?呼吸で止血しろ?
なんだこのスパルタ形式!シカの癖に厳しすぎるんだよもっと草食動物らしい発想をしろよシシガミ様ぁぁぁぁあああああああ今頸動脈狙ったよねクマさん!!もっと手加減してくれてもいいんだよ!?
「手加減したら鍛錬にならない」だって?なんでこの森にいる奴らは脳筋ばっかなんだちくしょおおおおおお!!
くっそが野郎ぶっころしてやらああああああ!
無事負けました、かしこ
「槇寿郎」
「はっ、お館様」
「ギンと呼ばれる白髪で緑色の眼をした片目の少年は、見つかったかな」
「恐れながらお館様、その様な少年の手掛かりは未だ掴めず……」
「それでは、300尺*2はある大樹の森については……」
「いえ……そのような森の情報もまったく」
「そうかい。すまなかったね。瑠火さんのことで大変だろうに、変な頼み事をしてしまって……」
「いえ、お館様の頼みであれば……ところで、その少年や森は、一体なんなのでございましょうか?」
「……うん。私の唯一の友だ。まだ直接会ったことはないけどね」
「……は?失礼ですが、それは一体……」
「すまない。私でも彼について言葉にするのは難しい。ひょっとしたらあれは私の夢なのかもしれない。けれど、彼はどこかにいる。いつかきっと会いに来てくれる」
そして彼は、きっと鬼殺隊に大きな力を与えてくれる。そんな気がしてならないんだよ。
■月▼日
森の熊さんに負け続けて早半年。当初はクマさんにぶっ飛ばされてばかりで生傷が絶えない毎日だったけど、呼吸のおかげでなんとか大事には至らずに済んだ。我ながら生命力がゴキブリ並で草生える。
最初は音速で振るわれていたクマさんの爪も最近ようやく避けることができるようになっている。どうしてか、最近クマさんの動きが分かるようになってきたのだ。
クマさんと戦っている最中、時折、身体中が燃えるように熱くなり、それと反比例するように頭の中が急速に冷えていくことがある。身体の温度が最高潮に達した時、どうしてか、クマさんの身体が透けて見えるのだ。血管の動き、筋肉の動き、内臓の動きが手に取るように分かり、相手の動きを先読みして動けるようになったのだ。
今日までの戦績は、0勝113敗。
そして、114戦目。
"森の呼吸 壱ノ型 森羅万象"
呼吸で貯めた酸素を、両腕に回し、一気に振り下ろす袈裟斬りの型。
今まで自分が編み出した型をクマさんには全て避けられた。
けど、この時の俺の木刀は、クマさんが避けるより先に、クマさんの顔面を捉えた。
クマさんはぐらりと揺れたかと思うと、ずずんと後ろに倒れてしまった。
俺はついに、クマさんを倒すことができた。
なんか頬っぺたに緑色の痣が浮き出ているんですけど。何これ?
これも蟲の仕業なの?わけがわからないよ。
◎月○日
なんか、シシガミ様に「もう教えることはない」って言われた。
シシガミ様はそう言うと、俺に付いて来い、と言わんばかりに森の奥へ進んでいった。
シシガミ様に付いていくと、辺りを敷き詰めるように大樹が生い茂っているこの森にしては珍しい、開けた場所に出た。
そこは辺り一面が緑色の苔で生い茂っており、広場の真ん中に大きな刀が地面に突き刺さっていた。
なにこれ。
蟲師の次はゼルダの伝説? 鞘に納まったまま地面に突き刺さった刀は、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「シシガミ様、ここは」
――刀を取れ、ギン
有無を言わせないシシガミ様の言葉に、俺は素直に刀を手に取った。
刀を鞘ごと掴んで地面から抜き取る。
ずっしりとした重み。金属でできているからか、刀は木刀より断然重かった。
「シシガミ様、これは―――」
――ここまでの鍛錬、よくぞ耐え抜いた。ギン
「―――――――――――――――」
頭の中に響く、優しげな言葉。
父が子を愛でるような、愛に溢れた言葉だった。
その言葉を聞いた瞬間、どうしてか涙が突如溢れだした。
そりゃもうぼろぼろと。止めようとしても涙は滝のようにあふれ出てくる。
なんでこんな――ああ、そっか。そういえば、シシガミ様に褒められたの、初めてなんだ。
――5年前、常闇から抜け出してきたお前は、小さな子供だった。だが、今は立派な男だ。
「……何故、シシガミ様は俺を育てたのですか」
――何十年も昔、理が私の前にやってきた。『蟲の宴』については、教えたな。
『蟲の宴』
時折蟲が―――もしくは『理』と言うべき存在が開く宴。
――それが私に語って来たのだ。
『今から32年後に、常闇から抜け出した少年がこの森にやってくる。その者は人間界に跋扈する『鬼』を滅殺することができる存在になる。彼は人間の世界のある少年と共に、鬼舞辻無惨という鬼を滅する力を秘めているのだ。お主には、この森でその少年を鍛えてもらいたい』
「理が――俺を?」
――左様。それが人間にとっても、森に生きる全ての者達にとっても正しい選択なのだと。
――お主の言う蟲師とやらになるのもよかろう。けれど私は、お主を鬼狩りにするために鍛え上げてきた。だが、お主は私にとって、いや、この森に住む全ての住人たちにとって家族同然の存在だ。
ふと周りを見渡すと、そこには今まで共に過ごしてきた動物達がいた。
毎朝追いかけてきた猪達が。俺を餌にしようとした狼達が。俺が仕掛けた罠を全て破壊する兎達が。寝心地のいい場所を教えてくれた鳥達が。毎日俺と戦った熊が、俺を見つめていた。
――鬼狩りとして戦うなら、その刀を抜くがよい。それ以外の道を選ぶなら、その刀をその場に捨てよ。私達はどちらの選択も尊重する。
………………しばらく俺は迷った。
けれど、選択するのにそう時間はかからなかった。
「鬼を滅すのが、森の為になるのですね」
そう訊くと、シシガミ様はそっと頷いた。
「なら、戦います。それが俺がここに来た意味であるなら。それが、俺がここで鍛錬した日々の意味であるなら。もしここで鬼狩りにならないと言えば――この森で過ごしたすべての時間を、否定することになる。なら俺は戦います。シシガミ様や、この森に棲む者達、そしてこの世に生きる命の為に」
――さすが、私の息子だ。
シシガミ様がそう言った瞬間、俺の足元から大量のムグラが一気に俺の身体に纏わり付く。
「なっ、これっ」
――忘れるな、ギン。私達は、いつでもお前の傍にいる。
「ま、待ってっ」
待ってくれ。こんな別れの仕方はないだろう。あまりにも急ぎ過ぎだ!
俺はまだ、ヌシ様に何もできてない。この森に何も返せてない!いつも与えてもらうばかりで、何も返せてない!
待って、待ってよ―――
「父さ――――」
ムグラが俺の顔を包み、辺りは闇に包まれた。
前に進んでいるのか、後ろに進んでいるのか、分からなかった。
ああ、懐かしい。二度と来たくはなかったのに、常闇め。
真っ暗な場所をひたすら進む。足を動かす。
一体どれだけ歩けば抜けられるのだろう。
ふと、足元が光っていることに気付く。
視線を下に向けると、そこには見慣れた光が見えた。
光酒の河―――ああ、そうか。ここは知っている
ここは二つ目の瞼の裏だ―――
瞼を開くと、そこはどこかの家屋だった。清潔に掃除された畳。視線を前に向けると縁側と庭が見え―――
そして縁側には、綺麗な着物を着た、どこか見覚えがある長髪の男の後ろ姿が見えた。
思わず息を呑む。河の対岸越しにでしか会えなかったたった一人の友が、今目の前にいる。
男は俺のことに気付いたのか、後ろを振り返り、俺と目があった。
そして一瞬だけ驚いたように目を見開き、やがて嬉しそうに微笑んだ。
「初めまして――と言うべきだね。君に会えるのを楽しみにしていたよ。私が産屋敷耀哉。改めて、君の名前を教えてくれないかな。たった一人の友よ」
「ああ、耀哉―――初めまして。俺はギン。
蟲師用語図鑑
"ヌシ"
原典『蟲師原作第二巻』やまねむる より
ヌシとは光脈筋を管理する役目を持ったモノのこと。ヌシは人間ではなく、その土地に生息する動物がヌシとなる。身体に植物を生やし、体内に多くのムグラを飼う。
ムグラを体内に寄生させることでその土地の山や森と常に一体化し、山と光脈の均衡を保ち続ける。
稀に人間がヌシの役目を持たされることがあるが、その記録はほとんど残っていない。
"ムグラ"
原典『蟲師原作第二巻』やまねむる より
山や森の地面全体に根を張る蟲。光脈筋のヌシと、山そのものを接続する神経のような役割を持った蟲。
一時的にその蟲を使えば、山の状態をすぐに感知することができる。山のどこに何の植物が生えているか、森のどこに何の生物が歩いているか、細かく感知することができる。
ギンは体内に数十体のムグラを寄生させており、森や山と神経を接続させる"ムグラノリ"という技術を使うことができる。