え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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死闘

 

 

 ――走れ、走れ、走れ。

 

 息を止めるな。足を止めるな。ギンさんと煉獄さんが上弦の壱を食い止めてくれる間に。時間を稼いでくれている間に。

 

 あの鬼は異常だ。

 ギンさん達二人が負けるとは思いたくない。信じたくない。けれど――

 

 どうしようもない不安が、心の底に淀んで沈んでいる。

 大丈夫だ、負けるわけがない。そう自分に言い聞かせても、どうしても脳裏によぎる最悪の未来。あの場所に戻った時に、二人が物言わぬ死体になっているかもしれない――そう考えると、恐くてたまらなくなる。足が竦みそうになる。

 あの黒死牟と名乗った鬼は、それほどまでに強い。今の自分では絶対に勝てないと、炭治郎は気付いていた。

 

 ――ベベン!

 

「くそ!さっきからなんだこの音は!気色悪い!」

 

 伊之助が苛立ちを隠さずに叫ぶ。俺達を追いかけるように鳴り続ける琵琶の音は、不気味に暗闇の中に響き、その度に鬼の匂いが、数が増えていく。

 

「血鬼術だ!あの音が鳴ると、鬼が現れるんだ!」

 

「ガアアアアアアアアアアアアアア!」

「人肉ぅぅぅぅうううう!」

「くっ!」

 

 走りながら首だけ後ろに向けると、何十匹もの鬼の大群が俺達を追いかけてきている。驚異的な跳躍力で背中に飛び掛かってくる鬼を避け、すぐに反撃し頸を落とした。呼び出された鬼達はそこまで強くない。だが時間をかけすぎるとすぐに鬼達が車両にたどり着いてしまう。頸を斬れたことを確認し、すぐに線路の上を走り抜ける。

 だが、斬っても斬っても鬼はいなくならない。

 何十匹もの鬼が常に後ろを追いかけてくる。隙を見せれば、数に圧されて殺されてしまうだろう。

 

「くっそ!獣の呼吸――!」

「止まるな!」

 

 あまりの鬼の数に、伊之助が足を止めて技を繰り出そうとしたが、善逸が叫びながら腕を掴み、無理やり止めた。

 

「何すんだ!」

「少しでも足を止めれば鬼達が先に車両についてしまう!鬼を相手にするのは必要最小限にするんだ!」

「でもどーすんだよ!鬼は空間を移動できんだろ!?先に移動されたらどうすんだ!少しでも数を減らすべきだろ!」

 

 琵琶の音。おそらく空間を自在に操る鬼の血鬼術なのだろう。あの音が鳴る度に、闇から鬼が現れる。どこからか鬼をここまで運んでいるのだ。

 もしその血鬼術で、既に四両目の方に移動させていたら――

 

「大丈夫だ、伊之助!」

 

 伊之助の疑問に、善逸が答える。

 

「あの琵琶の音は、俺達から離れていない場所で鳴り続けている!おそらく四両目の車両の位置や線路の向きを正確に把握できていないんだ!もし最初から斬り離した車両の位置を把握しているなら、最初からそこに鬼達を移動させているはず!けどそれができないんだ!」

 

 雷の呼吸の使い手、我妻善逸は聴覚が非常に優れている。

 極度のビビリ症である善逸は、恐怖で精神に限界が来ると気絶し、眠りに落ちてしまう。だが眠った善逸は鋭い聴覚で周りの状況や敵の位置を正確に把握し、冷静に状況を判断、分析し戦うことができるという特殊な戦い方をする隊士だった。

 

 琵琶の音は、常に追いかけてくる鬼達の後ろで鳴り続けている。そこから鬼が出てきている音がしているのだ。おそらくこの周囲一帯の鬼をこの山に集めているのだろう。だが集めているだけで、細かく鬼を出す位置を操ることはできていないようだと善逸は気付いていた。

 

「なるほど、そうか善逸!」

「お前はずっと寝てた方がいいんじゃねえか……」

 

 納得したように表情を綻ばせる炭治郎と、驚き半分、呆れ半分の伊之助が思わず唸る。

 善逸の予想は当たっていた。

 

 琵琶女、鳴女。

 

 琵琶を使用する、鬼舞辻の配下の鬼達の中でも特別な鬼だ。その鬼の力は、空間を自在に把握し、物や人を別空間に送る、もしくは自分の下へ召喚するという特殊な血鬼術だ。

 ただし任意の相手を送るには、対象の人物と位置を正確に把握する必要がある。普段なら、鬼の位置を全て把握する鬼舞辻の指示の下、血鬼術を使用するのだが、今の鳴女は鬼の正確な位置や炭治郎達の位置を把握する術を持たない。

 上弦の壱の黒死牟の指示の下、無限城から鬼をただ送り続けているだけなのである。

 

 もし、鳴女が鬼達や炭治郎の位置を正確に把握できる能力を持っていたのならば、炭治郎達はすぐに先回りされ、鬼に囲まれ殺されていただろう。

 

「とにかく、俺達は四両目の車両に辿り着くことだけを考えよう!」

 

 自分達の内の誰かが先に車両に辿り着いてくれれば、鬼に襲われる前に乗客を守ることができる。鬼に薬箱を奪われる前に車両に辿り着けば、ギンさん達を助けることができる!

 

「なら俺様に任せろ!俺様なら山だろうが線路の上だろうが、全力で走り抜けれるぜ!先に俺様が辿り着いてやる!」

 

 山で暮らし、猪に育てられた伊之助は、仲間達の間で一番脚に自信があった。猪に育てられ、山を走り込んだその健脚は、どんな険しい道でも走り続けることができるほどの持久力を持っていた。そして、蝶屋敷で全集中の呼吸・常中を取得し、ギンに鍛えこまれたことで、以前よりも速く、そして長く走ることができるようになっていた。

 

「よし伊之助、俺達が援護する!善逸、伊之助を守るんだ!」

「分かった!」

「俺様に任せろぉぉぉぉ!」

「禰豆子は伊之助についていってくれ!禰豆子なら伊之助についていける!俺達は鬼の数を減らしながら二人に追いつく!」

「むっ!」

 

 力強く頷く禰豆子は、伊之助の真横に跳ぶ。鬼の禰豆子なら、伊之助の速度についていける!

 

「行かせるかぁぁぁぁぁああああ!」

 

 醜悪な鬼達が叫びながら、先回りするように地面に着地し、複数の咆哮から自分達を殺そうと一斉に飛び掛かるが――

 

 

「邪魔だ邪魔だ邪魔だぁぁぁぁ!」

 

 

 

"獣の呼吸 捌ノ型 爆裂猛進"

 

 

 

「―――退け。禰豆子ちゃんは俺が守る」

 

 

 

"雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃・八連"

 

 

 

「伊之助、禰豆子、頼んだぞ!」

 

 

 

"水の呼吸 参ノ型 流流舞い"

 

 

 

「ぐえ」

「がっ……」

「速っ……」

 

 防御を一切せず直線に突き進む伊之助と、その後ろにくっつくように走る禰豆子の周りの鬼達を、流れるような動作で頸を落としていく炭治郎と善逸。

 

 蝶屋敷で共に鍛錬した時間は、嘘を吐かない。三人とそして禰豆子は見事な連携で線路の上を走り抜ける。

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 炭治郎の耳に、しがみ付く様に、こびり付く様に残るギンの言葉。

 

 

――薬箱の中に、"鬼を人に戻す薬"が入っている

 

――本当は禰豆子に使いたかったんだが

 

 

 ギンさんは、俺が欲しくて欲しくてたまらなかった、鬼を人に戻す手段を持っている!

 一体いつ、どうして、どうやって鬼を人に戻す術を手に入れたのかは分からない。

 

 あの鬼が言っていた青い彼岸花ってなんだ?ギンさんが言っていた鬼を人に戻す薬と関係があるのか?

 

 ギンさんが蝶屋敷を留守にしていた二週間の間に、一体何があったのか。

 

 本当はあの時、訊きたかった。その薬の使い方を。作り方を。なんとしてでも。

 頭が混乱する、禰豆子を、妹を、助けることができると考えただけで、今すぐあそこに戻ってギンさんに問い詰めに行きたくなる。

 

 でも、分かっていることがただ一つ。

 

 この戦いを乗り切れば、禰豆子を人に戻すことができる!

 その為にも、絶対にギンさんと煉獄さんを助けなきゃいけない。

 

 今こうしている間にも、あの鬼とギンさん達が戦っているはずだ。

 

「待ってろ禰豆子……兄ちゃんが、絶対守る!絶対に、俺が人間に戻してやる!」

 

 だからギンさん、煉獄さん、死なないでください。

 待っててください。

 必ず、その薬を届けに戻りますから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今宵は……なんと良い夜だ……」

 

 

 無限列車の先頭車両が停車したその場所は、異様な空気が満ちていた。

 

 一人の鬼と、二人の男が、刀を抜いて向かい合っている。

 

 先ほどまで、そこはどこにでもある静かな山の麓だった。しかし、何も知らぬ一般の人間がこの惨状を見れば、この場所で戦が起きたのか、それとも爆薬を使われたのではないかと誰もが思うに違いない。

 

 地面は抉れ、木々は抉られたように斬り倒されている。地面はひっくり返り、ここが元々どんな地形だったか分からなくなってしまうほどだ。

 更に横を見れば、無限列車の機関車と一両目の列車は横転してしまっている。乗客用の巨大な列車は巨大な刃で斬られたかのように、真ん中から真っ二つに両断されていた。中にいた、下弦の壱に協力していた人間達の姿はない。三人の戦いに巻き込まれまいと既にこの場から逃げ去っていた。それは恐らく正しい判断だ。もし彼らの位置から半径六間*1よりも内側にいたら――命はなかっただろう。

 積まれていた石炭が辺りに散乱し、機関車から漏れた火の粉が、近くに生えていた雑草に火を点け、ぼうぼうと燃え上がる。燃え上がった火は、ここにいる剣士達を紅く照らした。

 煙と熱が充満した世界。戦いの場。戦国の世から約四百年。太平の世となった大正時代では、本来ありえない光景。

 

 剣士と剣士の戦いで、ここまで土地が荒れることはない。

 

 この惨状は、全て一人の鬼と、二人の人間。この剣士達が起こしたことだった。

 

 しかし、どちらが優勢で、どちらが劣勢かは火を見るよりも明らかであった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 肩で息をする"蟲柱"鹿神ギンは血だらけだった。もちろん、相手の返り血ではなく自分の血である。お気に入りの西洋の()()()はボロボロで、もうほとんど上着としての機能を果たしていない。おまけに全身には刀による斬り傷が数え切れないほど刻まれており、服や白い髪は所々血が滲んで汚れてしまっていた。

 

「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ」

 

 そして"炎柱"煉獄杏寿郎。実力だけならギンと同等かそれ以上の実力を持つ男だが、ギンほどではないにせよ、土と血で汚れていた。そして、ギンは血まみれで派手に怪我をしているが、杏寿郎の方が重傷だった。

 肋骨と、左腕の骨に損傷。服に隠れているので分からないが、体のあちこちを打っている。肌を晒せば、痛々しく紫色に変色しているはずだった。普通の人間であれば痛みで立てないほどの激痛だが、煉獄杏寿郎は持ち前の気概で、表情にはおくびにも出さず、抑え込んでいる。

 

「素晴らしい……我が剣技を前に……これほどまで生き延びた者はそうはいない……」

 

 ギン達の周りに、鳴女が呼んだ鬼達はいない。

 

 自らの剣技を最大限に振るうこと。しのぎを削るような殺し合い。果し合い。その果てにある、剣の極地。

 

 黒死牟が望むのは、己の剣技を神に届かせること。ただそれだけである。

 

 その為に、無粋な鬼達の横やりを黒死牟は嫌った。鬼は全て炭治郎達を追いかけさせた。黒死牟は柱二人と全力で戦うことを選び、その結果がこの惨状だ。

 

「そして……未だ衰えぬ闘志……見事なり」

 

 ボロボロのギン達に対して、黒死牟は未だ傷一つも負っていない。柱二人掛かりでも、傷をつけるどころか相手の間合いに入ることすら困難を極めた。

 

 だがそれで諦める鬼殺隊の"柱"ではなかった。

 

 ギンは腰を低く構え、黒死牟に向かって踏み込んでいく。

 

 

"森の呼吸 弐ノ型 剣戟森森"

 

 

 繰り出される十連の突き。ギンの柔らかい手首と肩を最大限に撓らせた高速の攻撃。一本で仕留められぬなら、数で押せと、柄を握る力を込める。

 

 

"炎の呼吸 伍ノ型 炎虎"

 

 

 そしてギンと同じように黒死牟に肉薄する杏寿郎も、ギンとほぼ同時に技を繰り出す。黒死牟を斬るための技ではなく、ギンの攻撃を避けられぬように技を繰り出した。

 

 

「見事……だが……甘い」

 

 

 

"月の呼吸 伍ノ型 月魄災禍(げっぱくさいか)"

 

 

 避けられぬなら、周りを全て斬り払えばいいだけのこと。

 鬼の膂力と、呼吸法によって底上げした力は、柱を容易にしのぐ。更には、何百年も鍛え続けたであろう黒死牟の剣技は、達人という言葉すら賞賛に値せず、神の極地に手が届く。黒死牟が振るう刀は、一振り一振りが全て()そのものである。

 更に、黒死牟の血鬼術なのか、黒死牟の斬撃は文字通り()()()()()()。振り払われる刀の軌道に沿うように残る月光は、一つ一つが黒死牟の斬撃。

 不規則に揺れるその光を避けることは、人間ではほぼ不可能だ。

 

「ぐっ!」

「ぬぐぅ!」

 

 触れれば即断されるその光を、ギンと杏寿郎はぎりぎりの所で回避する。

 見てから動いては間に合わない。ほとんどが野生のカンのような物だった。長い間、鬼達との戦いで、仲間と励んだ稽古で培った経験に基づいた勘。

 

 全てを回避することはできなかったものの、五体満足のままギン達は跳ねるように後ろへ跳び逃げる。

 

「……行くぞ」

「ギン、後ろだっ!」

「ッ」

 

 目にも留まらぬ速さでギンの後ろに回り込んだ黒死牟は、神――いや、鬼の絶技でギンの頸を断とうと刀を滑らせる。

 

 

"月の呼吸 壱ノ型 闇月(よみづき)(よい)(みや)"

 

 

「なめんな……!」

 

 

"森の呼吸 陸ノ型 乙事主"

 

 だが咄嗟の所で技を繰り出したギンは、自分の刀で黒死牟の刃を逸らすことに成功する。

 当て処を間違えば一瞬で自分の刀を斬られる。折られるのではなく、斬られる。自分の刀より、鬼の細胞で強化された黒死牟の日輪刀の方が切れ味が鋭いからだ。

 そして、逸らされた黒死牟の刃はギンのすぐ横にあった機関車を斜めに切り裂いた。

 

 ――何トンもある鋼鉄の塊を、ケーキか豆腐を斬るみたいに……!

 

 驚愕で息を呑むギンに、瞬間、爆風が襲った。

 

 蒸気機関を積んだ機関車が、斬られたことでボイラーが爆発したのだ。

 人を一瞬で焼き焦がす熱を孕んだ爆風がギンを襲う。

 黒死牟の刀を受けるのに精いっぱいだったからか、それとも不安定な体勢で受けたからか、ギンは紙くずのように吹き飛ばされる。

 

「ギン!」

 

 吹き飛ばされた弟弟子の援護に向かうべきか、いや、そんな暇は――!

 

「心配をしている余裕が……お前にあるのか?」

「なっ!」

 

 

"月の呼吸 弐ノ型 珠華(しゅか)弄月(ろうげつ)"

 

 

 間髪入れずに繰り出される、黒死牟の剣技。

 迎え撃つように、杏寿郎は息を整え刀を振り上げた。

 

 

"炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり"

 

 

 自分を取り囲むように振り下ろされる黒死牟の斬撃を、前方の広範囲を薙ぎ払う肆の型で防ぐ。が――

 杏寿郎が刀を振り終えた瞬間を、黒死牟が刀を降ろした。

 狙うは――杏寿郎の刀。

 

 ――俺の刀を折る気か!

 

 黒死牟の狙いに気付いた杏寿郎は手首を咄嗟に捻り、黒死牟の刀を避けた。黒死牟の刀が地面にめり込んだ瞬間、まるで隕石がその場に墜ちたように地面が揺れ、土がまくれ上がる。

 

「ぐぉお!」

 

 その衝撃に耐えられず、後ろに吹き飛ばされた杏寿郎だが――

 

「杏寿郎!」

 

 爆風から立ち直ったギンが杏寿郎の背中を支えるように回り込み、吹き飛ばされた杏寿郎を掴んで地面に着地した。

 

「済まない、ギン!」

「謝らなくていい……ぐっ、ごほ……」

 

 どこか無理をしたのか、ギンはその場で血を吐いた。爆風を浴びたせいか、腕に酷い火傷を負っている。

 そんなギンを心配しながら、杏寿郎は目の前の鬼を睨みつける。

 

「……」

 

 悠然と立ち、こちらを見るその鬼はまさに最強だった。炎と蟲、二人の柱が連携して戦っているのに、まったく歯が立たない。多少攻撃が入っても、掠り傷をつけた程度だ。その傷も、すぐに回復されてしまう。

 

 

「これが上弦の壱か……!」

 

 

 強い。ただ強さだけを純粋に求め続ければ、きっとあんな姿になるのだろうと杏寿郎は思った。

 ギンから上弦の弐と戦った時の詳細を聞かされたが、想像とまったく違う。数字がひとつ違うだけで、ここまで差が出る物なのか?いや、ギンや冨岡が瀕死の重傷を負うまで戦った上弦の弐と、今目の前にいる上弦の壱を比べれば、上弦の弐は赤子同然だ。次元が違う。

 上弦の弐は、氷の血鬼術を使う鬼だと聞いていた。だが、おそらく鬼の身体能力や血鬼術に頼り切った鬼だったのだろう。この上弦の壱は、鬼として人ならざる力を得ただけでは飽き足らず、鬼になってからも鍛え続けたのだ。己の剣を。力を。ただただひたすらに。

 なるほど、多くの柱が殺されるわけだ。

 

 

「"光酒"……噂には聞いていたが……ここまで戦えるとは……なるほど……童磨はこれでやられたのだな……」

 

 ギンの左頬には、緑色の痣が、杏寿郎の額には、炎に揺らめくような赤い痣が浮き出ていた。ギンが念のために用意しておいた光酒を呑んだ影響で浮き上がった痣だ。

 

"光酒"は、光脈筋から抽出された命の源泉たる液体だ。飲めば蟲患いを起こした者や、病弱な人間の身体を活性化させる効果を持つ万能薬である。

 

 

 ギンはこれを鬼殺に使えるのではないかと研究し、様々なことに応用した。

 

 光酒の原液は最高の美酒として、そして産屋敷の身体を蝕む呪いの進行を止める治療薬として使うことができた。更に胡蝶しのぶの案により、鬼が嫌う藤の花と調合した結果、今まで頸を斬らなければ殺すことができなかった鬼を殺すことができる毒の開発に成功した。下弦程度の鬼であれば即死する猛毒である。

 百倍に薄めた光酒は、点滴用に。光酒は直接血管に打ち込まれると、細胞が安定して活性化し、治癒を促進する。あくまで治癒力を底上げするだけなので、傷がすぐに回復するわけではないが、通常よりも傷の治りが早くなる。

 十倍に薄めた光酒は、注射用に。これは主に重傷、瀕死の患者に使われる。痛み止め、そして傷の回復を図ることができるが、本人にも強い負担がかかるために多用はできない。

 

 そして――ギンと義勇が上弦の弐を討伐する際に、そして今、上弦の壱と戦う為に使用した"光酒"は十倍に濃い濃度で抽出した特別な光酒である。

 

「……命の源泉……私は見たことがないが……さぞ美しい川なのだろう……その酒を……身体能力の底上げに使うとは……」

 

 その光酒を呑むと身体が燃えるように熱くなる。心拍速度を倍以上に上げたおかげで、血の巡りがよくなるからだ。二人の身体能力は普段の倍以上になっており、反応速度や腕力、瞬発力を底上げされている。

 細胞を活性化させた影響か、体のどこかに"痣"が浮き上がる。しかし、光酒は力を得る代償に()()()()()()ため、慎重に使うようにと耀哉に厳重に命令されていた。

 

 そして、上弦の壱との戦いでギンと杏寿郎はその"光酒"を使用したのだが……結果は言わずもがな。光酒を使用し、そして柱が二人掛かりでも上弦の壱に辿り着けない。

 

「……"痣"が出るほどとは思いもしなかったが……その力……相応の代償があろう……鹿神……」

「……くっ」

 

「……触覚が……薄いのであろう……特に……舌か……」

 

 悔しそうに歯噛みするギン。そして杏寿郎は、驚きで眼を見開いた。

 弟弟子の、触覚が、舌が、鈍っている?

 そんな素振り、一度もギンは見せなかった。杏寿郎の眼には、ギンはいつも通りに見えていたからだ。

 

「……もはや、何を喰っても感じぬのではないか……?」

 

 黒死牟の言葉に、杏寿郎が思い出すのは、今日、汽車に乗っていた時のこと。

 

 

 ―――うまいうまい!この焼肉弁当は、なるほど、さすが美味いな!

 ―――もうちょっと静かに食えよ

 ―――ギンは喰わないのか!うまいぞ!

 ―――いや……俺はいい

 ―――どうした!肉はギンの大好物だろう!

 ―――……そーいう気分じゃないんだよ。眠いし

 

 

 もしや……あの時既に……?

 

 

「一度二度飲む程度じゃ副作用は出ねえよ。ちょっと味が分かりにくくなっただけだ」

 

 

 ギンが溜息を吐きながら答えた。兄弟子の前で、知られたくない秘密をばらされたことに、苛立ちを隠さずにぶっきら棒に答えた。

 

 

「まさかギン!自分で人体実験をしていたのか!」

「当たり前だろ。どんな副作用が出るかも分からねえ物を兄弟子に渡せるか」

 

 

 ギンは自分の身体を使って、光酒の実験を行っていた。飲めばどんなことが起こるのか、血管に打ち込めばどんな効果があるのか、細かく何度も試し、そうして完成させたのが十倍の濃度を持った光酒。

 

 

「俺が人体実験をしていたのを知っていたのは耀哉だけだ。かなりきつく止められたがな」

「ギン……!」

 

 なんて……馬鹿なことを……!

 弟弟子の身を挺した行動に、杏寿郎は思わず涙を流してしまう。自分達を思いやってくれたことを嬉しむべきか。それとも自分の身を案じなかったこのバカな弟弟子を叱るべきか、それとも悲しむべきか、分からなかった。

 

「光酒の大本は、光脈だ。地底奥底に流れるそれは、微小な蟲や生物達で構成されている。身体から光酒が抜けきれば問題ないが、間を置かずに多飲すると身体が蟲に寄っちまうらしい。俺は随分、"光酒"を飲み過ぎた」

「そうまでして……戦うのか……」

「覚悟の上だ。蟲を安易に利用すれば身を滅ぼす。俺の身体が蟲になっちまうのも、当然の報いだ」

 

 だが、そうでもしないと鬼達を滅ぼせない。

 

「そういうお前こそ、そこまでの剣技を持ちながら何故鬼舞辻に与した。その技、さぞ名のある剣士だったんだろう。なのに、何故鬼になった。そうまでして求めたい物はなんだ?」

「……お前には……理解できぬことだ……手に届かぬ太陽のような……神々の寵愛を受けた者を……いや」

「?」

 

 黒死牟は迷いを振り払うように首を振り――刀を、構えた。

 

「……話が過ぎた……そろそろ終いにしよう……」

 

 まずい、来る!

 

 身の毛がよだつような感覚を覚え、すぐに臨戦態勢を整える杏寿郎とギン。このまま殺されるのか……そう思った時だった。

 

 

 

 

 

「―――ギンさん!」

 

 

 

 

 ギン達の背後から現れたのは、ギンの薬箱を両手で抱えた炭治郎だった。何匹もの鬼達と戦ったのだろう。擦り傷と血で薄汚れていたが、ギン達が生きていることが分かったのかその顔は笑みが溢れていた。

 

 

 

 

「ッ!」

 

 

 

 

 最初に黒死牟の異変に気付いたのは、ギンだった。

 炭治郎が現れた瞬間――先ほどまで静かな表情だった黒死牟の表情が、憎悪の色に染まったのだ。

 

 

 

 

 

「マズイ、炭治郎逃げ―――!」

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 ―――間に合うか!?

 

 

 

 

"月の呼吸 陸ノ型 常夜孤月(とこよこげつ)無間(むけん)"

 

 

 

 

 

 

 

 黒死牟の刀が振り払われた瞬間、数えきれないほどの無数の飛ぶ斬撃が、縦横無尽に飛び交った。無差別に、そして無慈悲に斬撃は炭治郎の方へ向かっていく。まだ経験が浅い炭治郎では、いや柱ですらも避けられない不可視の剣。

 

 

 

 

 

 

 

 鬼の力で放たれた憎しみの斬撃が、辺り一帯を包み込むように斬り刻む。

 

 

 

 

 

 樹も、土も、列車も、この世全てを斬らんと放たれた斬撃は、巨大な爆風を生み出し、山を揺らした。

 

 

 

 

 

*1
約10メートル


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