ギンさんが行方不明になって半年が経った。
上弦の壱との戦いで、"炎柱"煉獄杏寿郎さんは死に、そして敵の血鬼術で、ギンさんは上弦の壱に巻き込まれる形でどこかに連れ去られてしまった。
隠や他の柱達の懸命な捜索に関わらず、ギンさんが見つかることはなかった。
死体も、ギンさんの刀も、どこにも見つからなかった。
「しのぶ。君をギンの後任の"蟲柱"に任命する。―――受けてくれるかな」
そして、半年が経ってついにギンさんの捜索は完全に打ち切られ――
「御意」
私こと、胡蝶しのぶは、正式に"蟲柱"になった。
―――ま、こんな名で良ければくれてやるよ。お前が一人前になったらな。
こんな名前、欲しくない。貴方が傍にいる、それだけで私は十分だったのに。
「しのぶ……」
「カナエ姉さん」
「大丈夫?」
「うん……」
瞼の裏で、ギンさんが見つけたと思われる"青い彼岸花"と、上弦の壱の鬼の腕から採取した血液で、『鬼を人に戻す薬』を開発している。
ギンさんが様々な薬や道具を保管していた蔵には、ギンさんの遺書が置いてあった。自分がいつでも死んでもいいようにと、私に手紙を遺していた。
そこには、この蔵を自由に使っていいということ。
青い彼岸花の発生条件。
薬を開発する時は、珠世と言う鬼を頼れと書かれていた。
「姉さんこそ、平気?」
「……そうね。時々辛いけど、落ち込んでいたらギン君に笑われちゃうから」
「姉さんを泣かせるなんて、ほんととんでもないバカ師匠よね」
「ええ。私の妹を泣かせるなんて、とんでもないギンくんよ」
私達はそう言ってくすくすと笑った。
「しのぶの髪の毛も、随分伸びたわね」
「うん」
「そうだ!久しぶりにお姉ちゃんが結ってあげるわ」
「いいの?じゃあ、お願いしようかしら。短いのに慣れていたから、手入れが大変だったから」
「ふふ、お姉ちゃんに任せなさい。……懐かしいわね。昔はこうして、しのぶの髪を手入れしてあげたわ」
「そうね」
でも、昔のままじゃ、いられないから。
私達は鬼狩りになって、戦ってきた。ギンさんがいなくなっても、私達の役目は変わらない。
「……ギンくんにも見せてあげたかったなぁ」
「何を?」
「髪が長くなったしのぶ。きっと惚れ直すわ」
「……どうかしら。あの人がそんなこと言うなんて、想像できないなぁ」
あれから、随分髪が伸びた。ギンさんが消えてから、私は髪を伸ばすようにした。
願掛けだ。
この髪を切る時は――ギンさんを見つけた時か、この戦いを終わらせた時だけだ。
時間は経っても、私達姉妹の心の傷は癒えなかった。
蝶屋敷で働いてる時。薬を調合している時。御飯を食べる時。
私達の心の隅には、いつもギンさんの影があった。どこからか、蟲煙草の匂いがした。
何気ない会話をしている時も「ここにギンさんがいたらな」って、何度も口に出してしまう。
信じたかった。ギンさんが死ぬわけないって。
好きな人や大切な人は漠然と、明日も明後日も生きている気がする。
ずっと傍にいてくれると思っている。
でも、それはただの願望でしかなくて。
「絶対だよ」と約束されたものではないのに。
どうしてそんなことを忘れてしまったのだろう。
鬼狩りとして働いている以上、誰かが死ぬのは日常茶飯事なのに。
大切な人は、私達の傍から消えていってしまう。
でも、そう思いたくなくて。死んでしまったと、信じたくなくて。いつかまた、「ただいま」と言って帰ってくるんだと、そう思い込みたくて。
夜寝ようと布団の上に横になると、いつもいつも、ギンさんのことを思い出して、私は泣いた。
私は、いつの間にこんなに弱くなってしまったんだろう。
私は蟲柱。鹿神ギンの最期の弟子。
私がしっかりしなくて、どうするのだと、私は仕事に励んだ。
ギンさんのことを、忘れてしまいたくて。動いていないと、すぐにギンさんのことを思い出して、何もできなくなってしまいそうで。
哀しくて悲しくて、足が動かなくなってしまいそうで。
私はただひたすら、走り続けることしかできなかった。
禰豆子さんが刀鍛冶の里で太陽を克服したという報せが届いたのは、ギンさんが死んで約半年と少し。
私は、鬼を人に戻す薬を完成させた。
「はぁー……!はぁー……!」
「……しのぶ」
「まだです!悲鳴嶋さん、もう一度!」
柱稽古。
柱より下の階級の者が柱を順番に巡り稽古をつけてもらえるという。基本的に柱は忙しく、"継子"以外に稽古をつけなかった。
だが、禰豆子が太陽を克服して以来、鬼の出没がぴたりと止まった。
禰豆子を巡って、これまで以上に苛烈で大きな戦いが始まる。
嵐の前の静けさをこれ幸いと、鬼殺隊は大規模な合同訓練を開始したのだ。
「しのぶ、そろそろ休め……」
悲鳴嶋の下へ訪れた胡蝶しのぶが、心身ともに疲弊しきっているのは、盲目の悲鳴嶋でもすぐに分かった。
カラスからの話によれば、既に他の柱の下で訓練を終え、そして今はカナエとそして悲鳴嶋の下で毎日のように稽古をしていると。
「まだです、悲鳴嶋さん。私はまだ、痣が出せていない……!」
―――痣。
柱や、ある一定以上の実力者が"光酒"を摂取すると、体温や心拍数が飛躍的に上がり、体のどこかに痣が浮き出る。
だが、産屋敷一族によって保管されていた書物を確認すると、戦国時代に生まれた"始まりの呼吸の剣士達"は、光酒を使わずとも痣を出していたことが発覚。
事実、刀鍛冶の里で上弦の鬼と戦闘した竈門炭治郎、甘露寺蜜璃、時透無一郎の三名は光酒を摂取していないにも関わらず、光酒を呑んだ時と同等か、それ以上の身体能力を発揮し上弦の鬼を討伐することに成功した。
今回の柱稽古の目的は、その痣を出せるようにすることが目的でもある。
「――しのぶ」
「ッ」
「寝ていないのだろう。少し休め」
ギンが死に、しのぶは変わった。それは、鬼殺隊で最も強い悲鳴嶋から見ても明らかだった。
以前よりずっと強くなった。
だが、同時に危うかった。
柱として、他の隊士の手本となるべく、以前までのギンの仕事をそれ以上にこなしている。
だが、しのぶの奥底に良くない何かが蓄積されていることを、悲鳴嶋は見抜いていた。
悲鳴嶋は未だに分からなくなる。あの日、カナエ、そしてしのぶ。この姉妹を育手に紹介し、鬼殺の剣士の道を進ませてしまったのは。
――鬼も人も蟲も、それぞれがただ、あるようにあるだけだ。
しのぶの心の捌け口が、どこにもない。
鬼への怒りも、愛した男が消えてしまった悲しみも。しのぶは溜め込んでしまっている。あの日、悲鳴嶋に燃えるような怒りや憎しみをぶつけてきた少女はもういない。
柱としての立場や責任感、ギンの教えがその心に蓋をしてしまっている。
このままでは、いつ暴発するか分からない。
産屋敷耀哉やカナエもしのぶの危うさに気付いていたようだが、どうすることもできなかった。
「大丈夫です」
そう言って気丈に笑う少女は、どこまでも痛々しかった。
「悲鳴嶋さん……アンタに感謝していいのか、分からなくなる時がある」
ギンがしのぶを継子として迎えた後――柱合会議の後、ギンは悲鳴嶋にそう言った。
悲鳴嶋行冥にとってギンは、鬼殺隊で産屋敷耀哉の次にもっとも付き合いが長い男だった。
悲鳴嶋が十九の時、そして鹿神ギンは十四の時、同じ日に柱に就任した。
強く、そして優しい男だった。
「しのぶとカナエを鬼殺隊の道に入れたのはアンタだって聞いてな」
「ああ……私は今でも思う。あの姉妹を鬼殺隊に入れるべきだったのかどうか……だが、仇を討つことを願う少女と、鬼を哀れむ少女の道を止める権利は、私にはなかったのだ」
「だとしても、報われないな」
「ああ……可哀想だ……普通の娘として、幸せを見つける道もあっただろうに」
「なまじ実力が伴っている分、下手に止める理由がないのがな……」
ギンは、しのぶの育て方に心を悩ませていた。
「なあ悲鳴嶋さん、あいつに幸せに生きて欲しいと願うのはやっぱり俺の我儘だと思うか?」
「思わない。私もあの娘達が戦いの場に赴かずに済めばと何度思ったか分からぬ。だから、私からも頼もう、ギン……しのぶを、どうか導いてやってくれ……」
「……分かったよ」
ギンはそう言って頷いた。
「幸い、医学と薬学の才能はあるんだよアイツ。だから俺は、娘がいつか刀を置いて、普通の世界で生きていけるようになった時の為に、食って生きていけるだけの力と技術を教え込む。そうすれば、姉妹と共に小さな病院を開くことぐらいできるだろうし。けれど、悲鳴嶋さん」
「どうした……?」
「もし俺が道半ばに倒れたら、あいつを頼むよ」
「しのぶ……生き急ぐな……」
「……無理です」
視線を地面に落としながら、しのぶは呻くように拒絶した。
「ギンさんがいなくなって、私が蟲柱になったの。でも、蟲柱になってやっと分かった。あの人の背中がどれだけ遠いか。私はあの人ほど強くない。だから、少しでも……」
「しのぶ。ギンの願いは、お前に幸せになってもらいたいだけだ」
「……私の幸せは、もうどこにもありません」
「何故だ」
「……私は、ギンさんを慕っていました。大切な人でした!でも、ギンさんが死んで、世界は何事もなかったように回っていく!私は、ギンさんの代わりに、たくさんの鬼を殺さなきゃいけない!それが私が、あの人の弟子としてできる最後のことだから!」
「本当にそれが最後のことなのか?」
「そうですよ!だから私はもっと強く――」
「カナエがいるだろう」
「!」
感情に任せて叫んでいたしのぶの言葉が詰まったように止まる。
「ギンはお前を苦しめる為に、"蟲柱"の名を託したのではない。ギンの願いを、履き違えてはならない。お前の役目は、死ぬことではないはずだ。お前にはまだ役目がある。それとも、カナエとした"約束"とやらは嘘だったのか?」
――私達と同じ想いを、他の人にはさせない。
「カナエに、お前を喪った悲しみを味あわせるのか?」
悲鳴嶋がそう言うと、しのぶはまるで憑き物が落ちたように目を見開いて、そこからぽろぽろと大粒の涙を零した。
「しのぶ、生き急ぐな。死に急ぐな。幸い、ここには私達以外誰もいない。涙はここで全て流して置いていけ。お前の孤独や苦しみを、私にも分けろ。私が半分、それを担いで持っていこう」
「う”ぅああ”ぁぁ……」
昔、悲鳴嶋がしのぶと出会った時は、自分の背丈の半分ほどしかなかった。
今は大きく、美しく、強く成長した。
かつてのようにしのぶの頭に、悲鳴嶋が大きな手を置いて幼子のように撫でると、しのぶはまるで今まで堪えていた物が決壊したかのように大泣きした。
「よく頑張ったな……」
行冥は、今までしのぶに言いたかったことを、やっと言えた気がした。
その日の夜、しのぶは泣き疲れたかのようにすぐに眠りに落ちた。
今までは、眠りが浅く夜中に何度も目が覚めてしまったけれど。
その日は朝まで、しのぶは眠りに落ちた。
そして戦いは、突如始まった。
無限城。上下左右が狂った、血鬼術で創られた異空間に鬼殺隊は放り込まれた。
待ち構えていたように湧き出る鬼達。そして、上弦の鬼。
異空間のあちこちに飛ばされた鬼殺隊の面々は、ある者は戦い、ある者は命を落としていく。
しのぶは、その異空間を静かに歩いていた。
―――誘われている。
ここに落とされてから、まだ一匹の鬼とも遭遇していない。鬼の根城だと言うのに、鬼が出てくる気配がまったくと言っていいほどしなかった。
「ここは――」
罠だということは分かっている。それでも進まなきゃいけない。
しのぶはそのまま、近くの扉に手を掛け、開く。
「―――森?」
ここまで歩いてきた空間は薄暗い部屋が連なるような場所だった。
だが、この部屋は陽の下にいるかのような暖かさがあった。鬼にとって太陽の光は弱点のはずなのに。
そして、屋内だったはずのこの場所は、地面は苔に覆われ、天に届くような大樹が幾重にも生えた場所だった。
「この匂い――煙草?」
草木の臭いに混じって、煙草のような煙が漂っている。
しのぶはいつでも刀を抜けるよう、柄を握りながらゆっくりと大樹の間を進んでいく。
神秘的な森だ。土と木々の匂いがする。本物だ。けれど、動物や鳥の気配は一切しない。
もしかしたら私だけ別の空間に出てしまったかと思ったけれど、やはりここは鬼が創りだした血鬼術の中だ。
いつ、鬼が飛び出してくるか分からない。
警戒しながらしのぶが進んでいくと―――そいつはいた。
「!」
いつでも動けるように、腰を低くして刀を構える。鬼の気配。
それも、とても強い。
後ろ姿しか見えない。髪は黒く、灰色の着物を身に纏っている。
そして――敵が攻め込んできているのに余裕なのか、煙草を吸っていた。
「―――え?」
その煙草の臭いは―――蟲煙草だった。
あの人がいつも吸っていた、蟲除けの煙草。間違うはずがない。私もその匂いを、ずっと嗅いでいたから。
「ん?ああ、ようやく来たのか。まったく、いつまで待たせるんだよ」
その男が振り返った時、しのぶは息を呑んだ。
なんで、あの人と同じ顔で、同じ眼差しで――私の前に立っているの。
髪は黒く、身体中に黒い痣が浮かび、腰に刀を吊り下げている。その刀も、見覚えがあった。
大切な、あの人の日輪刀。
「ギン……さん?」
見間違えるわけがない。あの人だ。私と姉さんにとって、この世で一番大切で、一番好きだった人。
一瞬、自分がどこにいるかも忘れて、しのぶの心に歓喜の心があふれ出る。
よかった、よかった!ギンさんが生きていた!
だが、その男が目を開くと――しのぶの心は絶望に塗り替えられた。
「ギン?悪いが人違いだ。俺の名は"
常闇に覆われていたはずの右目は真っ赤な眼球が埋め込まれ―――
左目は、「上弦」
右目は、「弐」
そう刻み込まれていた。
「ん?お前……誰だっけ?」
しのぶの胸の奥底から、ぱきりと何かが割れた様な音が響いた。
お気に入り数が一万越えたので、IFのエンディングを書いてみました。書き終えてから「お気に入り1万で書く話じゃねえな」と思いましたが、ギンさん鬼化ルートはずっと書いてみたかったので後悔はしていません。
改めまして、この小説を読んでくれて評価していただいた方々、お気に入り登録をしていただいた方々、そしてイラストをくれた方。本当にありがとうございます。
息抜きに書いた小説がこんなに伸びるとは思いもしませんでした。これも皆さんのおかげです。
感想や誤字報告、いつもありがとうございます。
これからも頑張って書いていくのでよろしくお願いします。