え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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大正こそこそ小噺 其ノ肆

 

 

「それで……例の物はどうだ、鹿神」

 

 蝶屋敷の蔵。窓が一つもない暗い倉庫の中で、二人の男が向かい合っていた。

 その倉庫は、鹿神ギンがこれまで採取してきた遺物、実験道具、医学書、薬草、蟲の調査結果をまとめた巻物、鬼や人体の研究日誌、そして光酒などが厳重に保管して置いてある。蝶屋敷の心臓部であり、そしてこれまで蟲師として活動してきた九年間の集大成でもある。

 中にはギンが捕獲した蟲や、蟲の気を帯びた骨董品など、危険なモノも収蔵している。この蔵の中に入ることを許されるのは、ギンの一番弟子であるしのぶだけである。ギンと特別に仲がいい胡蝶カナエや、彼を慕うアオイもこの中に入ることだけは禁じられている。

 

 しかし、ギンの許しがあれば、特別にこの蔵の中に入ることが許される。窓がひとつも付いていないのは、陽の光に当たると薬効を失う薬が多く保管されているからだ。

 

 そんな陽の光が一遍も差さない暗闇の中、弱々しい蝋燭の灯りが、怪しくこの蔵の主である鹿神ギンの横顔を照らした。

 

「……ああ、ばっちりだ」

 

 にやりと悪い笑みを浮かべるギン。その答えに満足したのか、相手の男も静かにほくそ笑む。

 

「ほう……詳しく聞かせてもらおうか」

 

 ギンと話している男は、"蛇柱"伊黒小芭内であった。鏃丸と名付けられた白蛇を首に這わせ、ギンと比べるとやや小柄な男だ。

 

「くく……まあ慌てなさんな」

 

 伊黒の眼が怪しく光る。

 

「慌てるなだと?俺がこの日をどれだけ待ち望んだと思っている。お前が上弦の壱に負け"常闇"とやらに囚われたせいで、俺は三ヵ月も待たされることになったんだ。時間は有限。この責任、どうやって取るつもりだ」

「カリカリしなさんな。なんだかんだ、俺の事心配して見舞いに来てくれたじゃねーか。お前は相変わらず、ひねくれているというかなんというか」

「俺はひねくれてない。というよりお前のことなど心配してなどいない。俺は甘露寺に付き添って来ただけだ。勘違いするな。そもそも先日の事、俺は忘れてないからな」

「相変わらずネチネチした奴……」

 

 ギンが常闇から抜け出し、蝶屋敷に保護されたと言う報せは、鬼殺隊全体にすぐに知らされた。

 そのすぐ翌日に、真っ先に見舞いに駆け付けたのは意外なことに伊黒と、そして大泣きした甘露寺蜜璃だった。

 

「うわああああギンさんギンさん!!よかった生きてた!生きてたよぉぉぉ!煉獄さん!ギンさん生きてたよ!よかったよぉぉぉ!びぇぇぇぇぇ!!」

 

 自分の師であった煉獄杏寿郎が死に、そして自分を鬼殺隊に導いたギンが行方知れずと聞いた甘露寺は、悲しみに心をいっぱいにさせていた。その様子をずっと見ていた伊黒もまた、ギンの事を人知れず案じていた。本人は決して認めないだろうが、なんだかんだで伊黒もまた、煉獄の死に心を痛めていたのだ。

 情に篤い甘露寺はギンの報せを聞き、すぐに伊黒を連れて蝶屋敷に訪れた。

 ギンの顔を見た瞬間、感極まって大泣きしながら抱き着いてしまうほどである。

 

「鹿神……」

「先生……?」

「ギンくん……?」

「甘露寺、止めろ。死ぬから」

「えぇ!?やめてよギンさん!せっかく生きて帰って来れたんだからぁ~~~~~!!」

 

 やべぇ、俺殺されるかも。

 

 甘露寺を一途に想う"蛇柱"は、殺気を迸らせながら見舞い品の果実を素手で握り潰し。

 同じくギンを想う胡蝶姉妹も、額に青筋を浮かべながらギンを睨みつけ。

 ちょうど点滴を刺していた為、甘露寺の抱擁から逃れることができず、冷や汗を掻きながら死を覚悟したギンだった。

 その後、ご機嫌になった甘露寺はギンの快復祝いに、柱を全員集めて蝶屋敷で宴会をすることを提案。それに便乗したしのぶとカナエは、ギンに宴の費用を全て払わせることを無理やり了承させた。

 何故、快復を祝われる本人が会計を持たなければいけないのかギンは不服だったが、有無を言わさない胡蝶姉妹に首を振ることはできず、その条件を無理やり呑まされたのだった。

 

「ま、例のブツは安くさせてもらうよ」

「フン。それでいい。とっとと寄越せ」

 

 伊黒は懐から銭が入った小袋を投げ渡し、ギンはそれを掴んで中身を確認する。

 

「代金は確かに。それじゃ、こいつをどうぞ」

 

 ギンはにやりと笑いながら、伊黒にそれを渡した。

 それは小さな瓢箪だった。少し揺らすと、水が跳ねる音が響く。中に入っているのは、ギンが調合した薬湯だ。

 

「おお……これが。本物なんだろうな?」

「ああ。効果は実証済みだ」

 

 普段あまり笑わない伊黒が悪い笑みを浮かべる。昔からの念願を叶えるための、計画の要とも言える物を手に入れた、悪役の表情だった。

 まるで悪代官と越後屋のようにぐふふふと笑う二人。

 

「人魚のツメを煎じた()()()――上手く使えよ、伊黒」

「当たり前だ、鹿神」

 

 "蛇柱"伊黒小芭内は、"恋柱"甘露寺蜜璃に惚れている。そりゃもう、べた惚れである。

 甘露寺本人は伊黒の好意にちっとも気付いていないが、周りから見ればそれはもうバレバレだった。

 

「……売っといてアレなんだが、普通に告白すりゃいいんじゃねえの?どう見ても甘露寺、お前のこと気に入ってるし、絶対成功するだろ」

 

 甘露寺蜜璃が鬼殺隊に入隊したのは、自分の伴侶を見つける為である。「鬼殺隊には強い男がたくさんいる」と言うギンの言葉をそのまま受け取った甘露寺は勢いのまま鬼殺隊に入隊したのである。

 

「やかましい、鹿神。もし告白して振られたらどうする。お前のその言葉をそのまま受け取って勢いで告白した結果、振られてしまったらどう責任取ると言うんだ。末代まで呪うぞ」

「呪うな」

 

 目を血走らせながらギンを睨みつけネチネチと文句を言う伊黒。彼は恋に関しては臆病だった。

 

「それを言うならお前はどうなんだ鹿神。胡蝶カナエと胡蝶しのぶ。あれは両方ともお前を慕っている。お前の方こそ男として責任を持って選ぶべきなんじゃないか?自分から動かず傍観者のフリをする臆病者じゃないか?」

「……悪かった伊黒」

「分かればいい、鹿神」

 

「「はぁ」」と重い溜息を吐く二人。これが鬼が相手ならばどれだけ楽だろうか。刀を振るって殺せばいいだけの鬼と違い、鬼殺隊の柱である女性たちはある意味鬼達より強敵だ。

 

 鬼相手なら怖い物知らずの鬼殺隊の柱だが、色恋にはめっぽう弱い。

 嫁を三人も持つ"音柱"の宇髄天元が二人を見れば笑いながらこう言うだろう。

 

『同じ穴の狢』と。

 

「……頑張ろうか、伊黒」

「ああ。お前もな、鹿神」

 

 "蛇柱"と"蟲柱"。一見、接点が無さそうな二人だが、実は意外と仲が良かったりする。

 同じ悩みを持つ(異性関係に苦しむ)男同士として。

 

 

 ちなみに、伊黒はその惚れ薬を使うことは結局なかったと言う。いざ使おうと甘露寺を定食屋に呼び出したはいいものの、甘露寺が幸せそうに大量の飯を食べている姿を見ている内に、惚れ薬を使う気はすっかり失せてしまったとか。

 

 

 

 ―――その後、惚れ薬についてどこから聞き出したのか。

 

「言い値を払うって、言ってるだろうが!!!」

 

 土下座でギンに頼み込む我妻善逸の姿が見られたと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――(胡蝶カナエ)には、想い人がいる。

 

「はぁ……」

 

 きっかけは二年ほど前。いや、おそらくはそれよりずっと前から、私はその人のことが気になっていたのかもしれない。

 はっきりとその人への好意を自覚したのは、上弦の鬼――童磨と名乗る、十二鬼月の鬼との戦いの後だった。

 

 雪が降る寒い冬の夜だった。

 

 その鬼は、頭から血を被ったような鬼だった。

 にこにこと屈託なく笑い、穏やかに喋る。まるで自分は善人だと言わんばかりの、冷たい笑みを浮かべる鬼だった。

 鬼殺隊に入隊してたくさんの鬼を見てきたけど、あれほどまで冷たい仮面のような笑みを浮かべる鬼に出会ったのは初めてだった。

 

 私はその鬼と戦い、そして敗けた。

 

 氷の血鬼術を使うその鬼の術を吸いこんでしまい、肺に傷を負ってしまったのだ。

 

 呼吸法を使えなくなった私はすぐに追い詰められ、冬の夜ということもあって身体も動かなくなり、そして鬼に喰われる一歩手前まで追い込められた。

 

 そして、その窮地を救ってくれた命の恩人こそ、妹の師であり、私の同期でもある"蟲柱"鹿神ギンだった。

 

 ギンくんは、昔から強かった。

 

 初めて会ったのは、最終選別の時。

 白い髪に翠の片目。そして森と同じ色をした深緑の刀を振るい、鬼を斬る。

 遠くから見かけただけだったけど、その目立つ風貌は、その力強い剣技は、私の脳裏に焼き付けるには十分だった。

 

 再会は、私が"花柱"に就任した時。あの時は息を呑むほど驚いたっけ。まさか自分より先に柱に就任していたとは思わなかった。

 けれど、ギンくんは私の事を知らなかった。

 

「おう。お前さんが新しい柱か。噂に違わず、随分な美人だな」

 

 一方的に私だけがギンくんを知っていて、ギンくんは私が同期ということすら知らなかった。

 少しむかっとした私は、「初めまして」と返した。だって、何故か悔しかったんですもの。

 

 その後ギンくんは私の教育係として、柱の仕事を教えてもらった。

 頸を斬れず、他人には見えない蟲が見えてしまうしのぶを継子として引き受け、柱として戦えるまで鍛え上げた。

 

 そして――上弦の弐を、兄弟子である義勇君と一緒に倒してしまった男の子。

 

 ギンくんと義勇君が、どうやってあの鬼を退治したのかは分からない。

 朦朧とした意識の中で覚えているのは、ギンくんに抱きかかえられた時の腕の温もりだけ。

 

 病室で目を覚ました時、一番最初に視界に映ったのは、ギンくんの顔だった。

 

「ん。起きたか。あんまり寝てるなよ、カナエ」

 

 そんな風に笑った顔を見た時――ああ、この人と一緒にいたいなぁって。思ってしまったんだ。

 

「姉さん?」

「っ、あ、な、何かしらしのぶ?」

 

 妹のしのぶに声をかけられ、意識は現実に引き戻される。

 

「姉さんこそどうしたのよ。ずっとぼぉっとして」

 

 いけない、治療に使うための薬を調合していたのに、いつの間にか物思いに耽ってしまった。

 

「ちょ、ちょっと考え事しちゃってね」

 

 好きな人のことを思い浮かべていた――なんて風には言えなかった。

 

「大丈夫?疲れているんじゃ……」

「大丈夫よ!しのぶ、何でもないから!」

「それって何かある人の常套句じゃない」

 

 ぎくり、と図星を突かれ、胸にしのぶの言葉が突き刺さる。

 

「だ、大丈夫だから!ほら!薬調合し終わったから!はやくギンくんの所へ持ってって!」

 

 しのぶは勘が鋭い。私はお世辞にも嘘を吐くのが得意ではなく、ごまかすように調合した薬をしのぶに持たせ、調合部屋から追い出した。

 

「ど、どうしたのよ姉さん!もう」

 

 納得いかなそうにしのぶは困惑の表情を浮かべたが、「何かあったら言ってね」と私に言い残し、気を取り直したようにギンくんの方へ向かって行く。

 その足取りは、どこか軽いように見えたのは、多分見間違いじゃない。

 

「……しのぶ、やっぱりあなたは……」

 

 私には、想い人がいる。そして、恋敵がいる。

 

 そしてその恋敵は、私の妹だった。

 

「……どうしたらいいのかしら」

 

 私にとってギンくんが命の恩人と言うべきなら、しのぶにとってギンくんは自らを導いてくれた人。人生の師だ。

 異形の蟲を見ることができてしまい、苦しんでいたしのぶにそれと付き合う道を教え、生まれつきの体格のせいで鬼を殺せず、戦えなかったしのぶに『毒』と言う手段と、戦う術を教えた師。

 

 そんな彼にただの師としてではなく、恋という感情が芽生えてしまうのは、当たり前だったのかもしれない。

 

 上弦の壱と戦い、常闇に囚われ、ギンくんが姿を消してしまった時。

 

 正直、ギンくんを必死に探しているしのぶの姿は、見ていられなかった。

 

 ギンくんの書庫で常闇について調べ上げ、ギンくんの仕事を引き継ぎながら、寝る間も惜しんで山々を探し回るしのぶはどんどん憔悴して行って――

 

 でも、絶対諦めないという眼をしていた。

 その時、しのぶのその想いの強さに、私は気おくれしてしまったのかもしれない。

 

 

 ――負けたくない。

 

 

 分かりやすい話、私は嫉妬してしまったのだ。実の妹に。

 「先生」とギンくんに慕うしのぶに。蟲が見える二人の世界は、あまりにも遠く。私だけ、二人とは違う世界で生きてしまっている。

 もし私にも、蟲が見えたら、ギンくんは私を助けてくれたのかな。ギンくんは、私を弟子にしてくれたのかな?

 

 

 ――なんで、私には蟲が見えないんだろう。

 

 ギンくんにいろいろと蟲のことや薬のことを訊くしのぶが羨ましい。

 ギンくんと一緒に、蟲師として働くしのぶが羨ましい。

 

 ――なんで、私だけ、違うのだろう。

 

 柱として、剣士として肩を並べて戦うことも、私にはもうできない。

 

 私は蝶屋敷で、二人が任務で戦って、帰ってくることを待つことしかできない。

 

 もし肺が壊されてなければ、私もギンくんと一緒に戦うことができたのに。

 

 蟲も見えない。剣を握ることもできない。

 

 けれどしのぶは、蟲が見えて、ギンくんと一緒に戦える。

 

 

 

 ―――羨ましい。

 

 

 

「カナエ様?どうしたんですか?」

「え?」

 

 ふと気付くと、アオイが心配そうに私の顔を覗きこんでいた。いけない、また考え込んで意識が消えかけてしまっていた。もう私の中にカイロギはいない。先日、カナヲは薬を飲み、自身に寄生するカイロギを全て絶った。もう私の意識を運ぶ蟲は中にいないのに、いつまでもぼぉっとしてしまっていてはダメだと自戒する。

 

「ご、ごめんなさい。少しぼおっとしちゃって……」

「ギンさんのこと、考えていたんですか?」

 

 はっきりと言うアオイの言葉が、私の胸に突き刺さった。

 

「な、なんでっ」

「だってカナエ様、最近ずっと心ここにあらずじゃないですか。私も蝶屋敷でずっと務めさせていただいてるんですから、それぐらいのこと、すぐに分かりますよ」

 

 まったくもう、と少し呆れた風にアオイは言った。

 ……自分より年下の子に見透かされるなんて。

 思わず羞恥で顔が熱くなってしまう。

 

「しのぶ様もカナエ様も、カナヲも拗らせすぎです!少女ですか乙女ですか!見ててこっちはもうずっとヤキモキするんですよ!いい大人なんですから、しっかりしてください!」

「うぐっ」

 

 両親を殺されてすぐに鬼殺隊に入り、青春時代を鍛練と、鬼狩りに精を出していた私達は、恋をまともにしたことがない。

 アオイの言葉はどこまでも正論で、ぐぅの音も出なかった。

 私もしのぶも、鬼狩りとして生涯を賭けると決めていたから、誰かと夫婦になるだなんて考えたこともなかったし。正直に言うとお手上げ状態だった。

 しかも、私達姉妹の想い人は同じ人。初恋がこんな修羅場だなんて、自分達には難易度が高すぎる。

 

「まあ、私も恋なんてしたことないので、カナエ様のことは何も言えないですが。私の意見を率直に言わせてもらうなら、"お似合いだから早くくっついて"と言った所でしょうか」

「そ、そんなお似合いだなんて……」

「……皮肉のつもりだったんですが」

 

 ギンくんとお似合い。そう言われてしまうと、皮肉だと分かっていても頬が緩んでしまう。

 

「私が見る限り、ギンさんもしのぶ様とカナエ様を、憎からず想っていると思うんですが。何故想いを打ち明けないのですか?」

「…………」

 

 アオイの質問に、私はすぐに答えることができなかった。

 

「今は、ギンさんもしのぶ様も出かけているので、誰かが聞いている心配はありません。この話は誰にも話さないので、正直におっしゃってみてください」

「……どうして?」

「私は、最終選別で合格しましたが、鬼に立ち向かえなかった腰抜けです。ですが、こんな私をカナエ様は『必要だ』と言ってここで働かせてくださいました。私個人としての意見ですが、しのぶ様にも感謝していますが、どちらかと言えば私はカナエ様に幸せになって欲しいと思っているのです」

 

 それは、いけないことでしょうか?

 

 アオイは、真っ直ぐ私の目を見て、そう語った。

 

「……私は、蟲が見えない」

 

 私はぽつりぽつりと、アオイに語った。

 しのぶに嫉妬してしまっていること。

 蟲を見ることができない上に、剣を握れなくなってしまった。

 けれどしのぶはその両方があって、私よりずっとギンくんの近くにいることを、嫉妬してしまっていると。

 

 少し言葉に出してしまうと、心の中に溜まっていたそれがぼろぼろと口から出て来てしまう。

 

「それに何より、ギンくんと一緒にいるしのぶはあまりにも幸せそうで――私は何も見なかった振りをして、身を引くべきなんじゃないかと思ってしまうの」

「……はぁ」

 

 真剣に話したのに、アオイは呆れたような、何言ってるんだこいつと言わんばかりにじとっとこちらを見ていた。

 

「もう!私は真剣に話しているんだからっ!」

 

 思わず涙目になってしまう。まったくもう!

 

「すいません、思ったより重病だったみたいで。呆れてしまいました」

「ひどい!これでも本当に悩んでいるんだから!私はしのぶみたいにギンくんの傍に立てない、一緒に戦えないのに――」

「なら、ギンさんは蟲が見える見えないで、人を区別する方ですか?」

「ッ」

「私はしない方だと思います。絶対に」

 

 アオイの断言するような口調に、思わず私の言葉は喉につっかえてしまう。

 

「確かに、ギンさんにとってしのぶ様はたった一人の弟子です。蟲が見えると言う同じ世界を共有できる人かもしれません。けれど、私もずっとここで働かせてもらって、ギンさんにいろいろとお世話になっていますから、少しはギンさんのことを知っています。ギンさんは、剣を握れないから、戦えないから、蟲が見えないから。そんな理由で誰かを差別する人ではありません。絶対に」

 

 ――アオイは、家族を鬼に殺され、鬼殺隊に入隊した少女だった。

 鬼への復讐。よくある動機だ。

 しかし藤襲山での最終選別で鬼と対峙し――心を折られてしまった。

 

 運よく生き残って合格したものの――恐怖に負け、鬼と戦うことはできなかった。

 

 腰抜け。

 

 情けなさと後悔と罪悪感でいっぱいだった時に、アオイはカナエと出会い、そしてギンと出会った。

 

「ギンさんは私にこう言いました。『剣が握れないからって、何もできない訳じゃないだろう。逃げたんじゃなく、戦う場所が変わるだけだ。この蝶屋敷は病院。病院は命の最前線だ。お前の手は、もっと別の使い道がある。それを探せ』と」

 

 ギンくんらしい激励だと、私は思った。

 心が折れて戦えなくなったアオイにとって、鬼殺隊の"柱"のその言葉はどれほど救いになったか分からない。

 

「自信を持ってください、カナエ様。カナエ様も、しのぶ様に負けていません。勝負はこれからです!私はカナエ様を応援していますからね!」

 

 アオイはそう言ってにっこり笑った。

 ――ここに最初に来た頃は、自分の弱さに打ちのめされ、悲しみに顔を曇らせた子だったのに。

 いつの間に、こんなに立派になっていたのね。

 

「ありがとう、アオイ。私も頑張るわ」

 

 私は、そうお礼を言った。

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたた……」

 

 目を覚ますと、私は山の中に倒れていた。

 空はもう陽が暮れて真っ暗だった。どうして私はここに……。

 

「そっか……私、薬草を取りに山に……」

 

 ここは蝶屋敷が所有する裏山だ。自然が豊かで、薬草や山菜が自生している山だった。

 昨日雨が降っていた影響か、地面が濡れていて、思わず足を滑らせてしまい、頭を打って気絶していたらしい。

 

 花柱として戦っていた頃にはなかった失敗。

 前線から退いて二年以上経つが、どうやら私も随分鈍ってしまっていたらしい。

 

「……っ」

 

 立ち上がろうと足を動かそうとすると、右の足首の辺りに激痛が走る。どうやら挫いてしまったようだ。

 無理をすれば動けなくもないが、この状態で山を下りれば怪我は悪化する。呼吸法を使えば痛みを消して歩けたかもしれないけど、昔のように走ることは今の私にはできない。しかも今は陽が落ちて辺りは暗い。灯りも持ってきていない今の状態では、また足を滑らせて今度は崖から落ちてしまうかもしれない。

 

 ここは大人しく、待つのが得策だろうか。

 カラスも置いて来てしまったし、見つかるのは明日になるかもしれない。

 

「……はぁ」

 

 戦えない分、少しでもギンくんの力になろうと、薬草を採りに来たのは失敗だったかもしれない。こんなドジを踏んでしまうだなんて、情けなかった。

 

「やっぱり私はダメだなぁ……」

 

 辺りが暗いせいか、気分がどんどん沈んでいく。今の時間だと、そろそろしのぶとギンくんは帰ってきた頃だろうか。

 それとも、まだ一緒に任務に出かけているのだろうか?

 

 ―――イヤだなぁ。

 

 胸の奥がずきりと痛む。嫌な考えが頭を過る。

 もししのぶとギンくんが恋仲になってしまったらと考えると、胸が張り裂けそうになる。

 

 もちろん、しのぶのことは大事だ。

 普通の女の子のように、誰かと結婚して、おばあちゃんになるまで幸せに生きて欲しいと願っていた。

 

 その願いは多分、叶えられようとしている。

 

 けれど、そこに私の居場所はない。

 

「……」

 

 涙がじわりと滲んでくる。心細い。寂しい。

 夜の森に恐怖は湧かないけど、梟の声が、私を独りなんだと言っているようで。

 

 こんなに辛くて、身が焦がれるように苦しいのに、それでも好きな人を想ってしまう。

 

「……ギンくん」

 

 思わず、静かにその人の名を呼んでしまう。返事が返ってくるわけでもないのに―――

 

「呼んだか?」

「きゃああああああああああ!?」

 

 心臓が飛び跳ねそうになる。口から心臓が出たかと思った。

 後ろを振り返ると、自分が一番会いたかったギンくんが、不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。

 

「ぎ、ぎぎぎ、ギンくん!?どうしてここに!?」

「どうしてって、アオイに頼まれたからだよ。お前が薬草採りに行ってまだ帰ってこないから、探しに行ってくれって」

「じゃ、じゃあなんでここにいるって……」

「ムグラに聞いたんだよ。足挫いてて戻ってくるのが難しそうだったから、迎えに来た」

 

 ムグラ。

 そうだ、確かギンくんは自分の身体に蟲を寄生させていると言っていた。確か、山の神経のような蟲なんだっけ。上手く使えば、山のどこに何が生えているか、どこにどんな動物が過ごしているか、正確に把握できると言う羅針盤のような蟲。

 

「立てそうか?」

「……ゴメン、ギンくん。ちょっと歩けそうになくて……骨は折れてなさそうなんだけど」

「ふむ。なら、方法は一つしかなさそうだな」

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんね、ギンくん。私、すっかり鈍っちゃったみたい」

「気にすんな」

 

 ギンくんは、私をおんぶしてくれた。動けない私を運ぶにはこれが効率的なんだろうけど、いい年して異性に、しかも好きな人におんぶをされるのは、恥ずかしかった。

 

 ……ギンくんの背中、暖かい。

 白い髪の毛が、私の目の前にある。……こんなに広い背中で、あの時私を守ってくれたんだ。

 

「悪いな。煙草臭いだろうが、我慢してくれ」

「……ううん、平気」

 

 蟲煙草の匂いが、少し鼻を突く。でも、どうしてか嫌いじゃない匂いだった。

 

「それより、私重くない?」

「余裕だ。お前、しっかり飯食ってるのか?」

 

 軽すぎるぞ、と言いながら、ギンくんは軽快に山の道を下って行く。

 

「暗いのに平気なの?」

「俺の眼は夜目が利くからな。それに、この山は俺の庭みたいなもんだ。楽勝だよ」

「……すごいなぁ」

 

 また、私は助けられている。私はいつも、助けられてばっかりだ。

 ……悔しいなぁ。

 

「私、いつもギンくんに助けられてばっかりで……ごめんね」

「こういう時はお互い様だろ」

「ううん、助けられてばっかりだよ」

「?」

 

「あの冬の夜の時も、しのぶの事も、そして今日も。私はいつも、助けられてばっかり」

 

 鬼を倒そう。一体でも多く。二人で。私達と同じ想いを、他の人にはさせない。

 あの時の誓いは、もう果たせない。

 

 私はもう助ける人ではなく、助けられる人になってしまったのだと、思い知らされてしまう。自分の無力さを。

 

 せめて、剣士としてもう一度戦えるなら。今度は私があなたを助けに行くのに。

 

 上弦の壱と戦い、傷つき、そして姿を消した。あなたはきっと私がどれだけ心配したか、分からないでしょう?

 あの時ほど、もう一度戦いたいと思ったことはなかった。

 あの時ほど、私にも蟲が見えたらと思ったことはなかった。

 

 もしできたら――私は真っ先に、あなたを助けに行くのに。

 

「ごめんね、ギンくん」

「…………カナエ」

 

 罪悪感でいっぱいになっている私の名前を、ギンくんは小さく呼んだ。

 

「なに?ギンくん」

「鬼舞辻無惨を倒したら、どうしたい?」

「え?」

 

 鬼舞辻無惨を、倒したら?

 

「青い彼岸花を見つけて、"鬼を人に戻す薬"を創っている。完成すれば、ずっと続いてきたこの長い戦いも終わる。そうしたらお前は、どうしたい?」

 

 ―――戦いが、終わったら?

 

 考えたこともなかった。だって、そんな夢みたいな話――

 

「夢を持てカナエ。炭治郎と禰豆子のおかげで、鬼と仲良くなるって言う夢は叶ったんだ。次の夢を考えておけ。すぐに叶うようにしてやるから」

「――――」

 

 この戦いを終わらせるって――言ってくれてるの?ギンくん。

 

「剣を持たなくていい。戦わなくていい時がきっと来る。俺達(鬼殺隊)の役目が終わる時が、必ず来る。何年かかるか分からないが、俺がそこに連れてってやる。だから今のうちに、考えておけよ」

 

 ――戦いが終わった後も、ずっと俺達の人生は続いていくんだから。

 

 ……この人は、本当にずるい。

 どうして私の心をそっと撫でるような優しい言葉をくれるんだろう。

 

 期待、してもいいのかな。

 戦わなくてもいい場所に、連れてってくれるのかな。

 私がいてもいい場所に、連れてってくれるのかな?

 

 私はそっと額をギンくんの肩に押し付け、願うように言った。

 

「私……ギンくんと旅がしたい」

「旅?」

「うん」

 

 鬼殺隊に入隊して、いろいろな場所を回った。たくさんの人に出会った。でも、どこに行っても鬼ばかりで、戦ってばかりだった。たくさんの人の死ばかり、見つめていた。

 もう、人が鬼を殺す所を見るのも、鬼が人を殺す所を見るのも、たくさんだった。

 

 鬼も、人も、争わない道はないだろうか。もう決して、分かり合う道は、手を取り合う道はないのだろうか。

 

 肺を壊され、剣士として戦うことはできなくなって、蝶屋敷で看護師として働くようになってからも、その考えは変わらなかった。

 

 けど、もし鬼殺隊が二度と戦わなくてもいい未来があるなら、私は――

 

「ギンくんが蟲師として、たくさんの人を助ける所を見たいなぁ。ギンくんが、いろんな場所に旅をして、その場所の話を聞くのが、私好きだったの。だから……」

「……」

「……なんてね。私に蟲は見えない。冗談―――」

「いいぞ」

 

 私は言葉を失った。

 

「それまで、俺が生きていたらな。連れてってやるよ。国のあちこちを。それか、海を越えた場所にでも。柱として戦ったおかげで、旅費はたんまりあるからな。船に乗って、いろんな場所を見に行こう」

 

 生きてたらだけどな、とギンくんは笑った。

 私は、思わず泣きそうになった。軽く答えるギンくんは、やっぱりいつもの口調で――でも、どうしてか、絶対に叶えてくれると言う安心感があった。

 

「大丈夫、ギンくんは死なないよ……」

 

 泣いちゃ駄目。ギンくんに今の顔を見られたくない。顔が真っ赤になってしまっている自分の顔を。

 歩けなくてよかった。おんぶしてもらえてよかった。泣きそうで、でも嬉しくて笑ってしまっている滅茶苦茶な顔を、見られずに済んだから。

 

「さて、どうなるかね。また上弦の壱にやられるかもしれんし」

「もうっ。そういうこと言わないのっ。それに大丈夫!ギンくんは死なないから」

「無茶苦茶言ってるな」

「大丈夫だよ」

 

 

 ――ずっと一緒にいたい。

 

 

 そう言うことはできなかった。これは私の我儘だから。

 

 

 

 

 でも、心の中でそう願うことは――いいよね、ギンくん。

 

 

 

 


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