え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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薬師


 花の町。

 

 その女が咲かす花は真の花か。

 

 嘘と欲が渦巻く場所で

 

 確かめたければ銭を出せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと吉原の花町行ってくる。なほ、きよ、すみ、留守番よろし――」

 

 ギンがそう言いながら蝶屋敷から出かけようとした瞬間、ばきり、と言うガラスが割れた嫌な音が響いた。

 

「!?」

 

 音の発生源は自分の真後ろ。振り返って見てみると、額に青筋を浮かべながら、にっこりと笑っているカナエとしのぶが立っていた。おそらく薬が入っていたであろう試験管が粉々に割られて残骸が床に落ちている。

 

 おかしいな。二人とも綺麗な笑顔なのに、後ろに般若が見えるぞ。

 

「あらあら、ねえしのぶ。聞き間違いかしらぁ。ギンくん、今、花町に行くって言ったの?」

「ええ、私もそう聞こえたわ姉さん。一体どういうことでしょうか先生。まさか、遊郭に遊びに行くつもりなのでしょうか?」

 

 朗らかに問いかける二人だが、明らかに殺意が迸り目が笑っていない。ギンを見送ろうとしていた三人娘は恐怖のあまり涙目になりながらお互いを抱き寄せている。

 

「いや、これはだな、しのぶ、カナエ。違うんだ」

 

 まるで浮気を嫁に見つけられた亭主のように慌てふためくギン。

 

「あらあら。ギンくんってば、慌てちゃってどうしたの?まるで後ろめたいことがあるみたいじゃない」

「そういえば姉さん、昨日十二鬼月にも効きそうな激痛の猛毒を創ることに成功したの。試しに使ってみたくない?姉さん」

「さすがね、しのぶ。そうね、ちょうどお仕置きが必要な人がいるから、そこにいる人に使ってみるのがいいんじゃないかしら」

「マテ、止めろ。師匠の身体で人体実験なんてするんじゃない」

 

 ――胡蝶姉妹は、鹿神ギンを慕っている。

 

 別に、鬼殺隊の隊士が遊郭に行ってはいけないという規則はない。常に命を懸ける仕事であるが故に、ある程度のそう言った息抜きも必要だろう。

 鹿神ギンは誰かと結婚している訳でもなし、遊女やそこらの女に()()()()()()()()()()()を求めることだってあるかもしれない。

 ギンはかなり大人びて見えるがまだ若き青年だ。そういう欲だってある。医術を学んでいるため、その辺りの知識はしのぶとカナエにだって理解はある。

 

 だが、だからと言って納得ができるかと言えばそれはまた別の話である。

 

 自分達が慕う男が、遊郭へ遊びに行き、そこにいるどこの馬の骨とも分からぬ女と逢瀬する――

 

 考えただけで腸が煮えくり返る。

 

「破廉恥」

「変態」

「女の敵」

「地獄に落ちろ」

 

 笑顔のままギンを静かに罵倒していく胡蝶姉妹。淡々とした女性陣の口撃はギンの精神をがりがりと削っていく。普段は心優しいしのぶとカナエの口撃は、刃物のように鋭く効果は抜群だった。

 

「違うっての!遊びに行くんじゃねーよ、薬師(くすし)の仕事に行くんだよ!」

 

 なんで俺が悪いことしに行くみたいになってるんだ、と冷静になって気付いたギンは叫ぶ。

 

「薬師の仕事、ですか?花町で?」

 

 しのぶが首を傾げる。

 

「そうだよ。お前を継子にする前までは、薬師もやっていたんだ。俺の腕前を知っていた遊女屋の旦那さんに文で呼ばれたんだよ」

 

 "蟲柱"鹿神ギン。今でこそ、蟲の知識、そして卓越した医術と薬学の知識を活用し、鬼殺隊を支える"柱"であるが、最初から医学に精通していた訳ではない。

 彼は鬼狩りとして、そして蟲師として各地を旅する傍ら、多くの医者や薬師の下へ訪れては師事を仰ぎ、知識を身に付けていったのだ。

 その頃のギンの年齢はまだ十二歳。

 最終選別に合格したばかりのギンは、もがくように、がむしゃらに、様々な医学や薬学を学んだ。漢方や地方の民間療法、西洋の医術まで。時には異国の医学書を読むために、ドイツ語を学ぶほどだった。

 もちろん、旅の身であるギンに快く医術を教えようとする医者は多くはなかった。が、鬼を狩るギンの姿を見て、力を貸した薬師や医者もまた少なくはなかった。

 

 シシガミの森で蓄えた薬草の知識、異人の医者や薬師の下で最先端の医術や薬学を学び、鬼に傷つけられた人を治療し、重い病気に犯された人を癒し、多くの経験を積んで今の"蟲柱"鹿神ギンがいる。

 多くの知識を学んだ後は、各地を回りながら多くの人に薬を処方、怪我人の手術、そして蟲患いに悩まされる人を助けていった。

 

「西の方の"飛田遊郭"で、下積みを積んでた時期があったんだよ。その時の俺の顔を覚えていた"ときと屋"の旦那さんが、薬を処方してほしいと文を寄越してきたんだ」

 

 飛田遊郭とは、大正時代に築かれた日本最大級の遊廓である。大正七年の頃には百軒、昭和の初めの頃には二百件もの妓楼が並んでいたと言われている。

 

「でも遊郭で薬って……何を処方するんですか?」

「避妊薬とか滋養強壮の薬だ。効き目が良いってんで、当時引っ張りだこだったんだぞ俺は」

「へぇ……そうだったんですか。全然、知りませんでした」

 

 しのぶがギンの継子になって、蝶屋敷で共に働くことが多くなってからもう五年以上経つ。今ではただの師弟関係ではなく、家族のような大切な相手だった。けれど、ギンが医術を学んでいた頃の話を、二人は聞いたことがなかった。

 蝶屋敷の面々はギンが各地の旅の話をするのを聞くのが好きだった。摩訶不思議な蟲達の話、その土地で暮らす多くの人達の話。どれも明るく、いつかそこに行ってみたいと誰もが思ってしまうほど、ギンの旅の話が好きだった。しかしよくよく思い出してみると、ギンが柱になる前、どのようなことをしていたのか二人はあまり知らなかった。唯一しのぶは、当時のギンが"水柱"の冨岡義勇と殺し合いの決闘をしたことは知っているが。

 

「私も知らなかったわ。どうして教えてくれなかったのギンくん」

「いろいろあったんだよ。察しろ」

「えー、ギンくんが冷たいなぁ。私悲しいなぁ」

「餓鬼だった頃のことを誰が話したがるんだよ」

「私は聞いてみたいなぁ、ギンくんの昔話。最終選別の後、"花柱"になるまでギンくんと一回も会ったことがなかったから、何してたか気になるわ」

「やめろ。上目遣いになっても話さないからな俺は」

「もー。ギンくんのいじわる」

 

 ギンはその頃、確かに遊郭で漢方や薬を処方し避妊薬などを売っていた。

 他にも、遊郭に潜む鬼を狩り、梅毒に苦しむ遊女の痛み止めの処方をし。……他にも、口に出すことも憚られるようなことも、やっていた。

 

 

 ――この、化け物!!

 

 

 脳裏に響く、誰かの怒鳴り声。涙に濡れた怨嗟の言葉は、今でも昨日の事のように思い出せてしまう。

 あんな話、しのぶやカナエ、蝶屋敷の連中に聞かせられるか。

 

「とにかく、そういうわけだから。遊びに行くとかじゃねーから。女遊びするとかじゃねえから。気になるなら付いてくるか?大人の遊び場」

「そそ、そうね!仕事なら仕方ないわね!ごめんなさいギンくん!」

 

 勘違いだったことに気付いたせいか、それとも何か別のことを想像してしまったのか、カナエは手を団扇のようにぱたぱたとしながら頬に上がった熱を冷まさせようとしている。恋愛初心者の胡蝶カナエ。二十歳を超えてもまだまだ乙女な思考が抜け切れていなかった。

 

「…………」

「なんだよ」

「……別に、なんでもないです」

 

 だがギンに対して未だに訝しげな眼をするのはしのぶだった。

 ずっと弟子として傍にいたからか、それとも女の勘か、ギンが何かを隠していることに気付いたのだ。

 

「…………なんだ、しのぶ。言いたいことが何かあるのか?」

 

 そんなしのぶの視線に、ギンの目が鋭くなる。その言葉には「訊くな」と言外に伝えようとしているようにも聞こえた。

 しのぶはその時、師との間に絶対的な溝があることを感じた。今までの優しく暖かいギンからは想像できない、冷たい言葉だった。

 

「え、え、どうしたのしのぶ、ギンくん?」

 

 鋭く、重くなる空気を敏感に感じ取ったカナエは、慌てたように二人の顔を見比べる。

しのぶは体格に恵まれない。大柄なギンと比べると大人と子供のような背丈の差がでる。

 だが、最近はなりを潜めていたがしのぶは元来、頑固で、男にも鬼にも負けないほど強固な意志があった。どれだけ「鬼の頸を断てない」「剣士になるのを諦めろ」と言われても、持ち前の根性でそれを跳ね除けた。

 

 師に、好きな人に、近づくなと睨みつけられようとも――いや、あるいは師であり、慕っている男だからこそ、はいそうですかと退く女ではなかった。

 

 だが、ギンはその視線の問い掛けに応える気はさらさらなかった。

 

 平行線。ずっと睨み合いが続くかと思っていたカナエだが――

 

「……分かりました」

 

 しのぶはすっと、諦めたように溜息を吐いた。

 

「いつか話してもらいますよ」

「考えとく」

「話すとは言ってない、とは言わせませんからね」

「……」

 

 ぎょっとしたギンは居心地が悪そうに、しのぶをちらりと見ると、しのぶはしてやったりと言わんばかりに笑みを浮かべていた。

 

「私、先生の弟子ですので。先生の手は丸わかりですよ。お仕事、気を付けて行って下さい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煉獄さんの死から、四カ月が過ぎようとしていた。

 

 俺達は毎日、煉獄さんのお父さんであり、先代の"炎柱"だった煉獄槇寿郎さんの下で鍛練をしながら、合間に入る鴉からの指令に従い、それぞれを鬼を倒しに行った。

 

 基本的に三人で行動していた俺達だけど、最近は一人で任務に当たることも多くなった。

 

 前までは一人で任務に行くときは泣き喚いていた善逸も、煉獄さんの死から何かを感じたのか、一人で行く任務の時も駄々をこねなくなった。

 

「槇寿郎さんの拳骨怖い」

 

 ……俺達を鍛えてくれている槇寿郎さんの事が怖いだけかもしれない。

 

 けれど意外なことに、俺達の中で善逸が一番柱に近い。

 先日、四十五体目の鬼を退治した善逸は、なんと「甲」の階級に昇進したのだ!無限列車の任務の時、襲い続けてきた鬼を四十体近く狩ったからか、気付かない間に一番上の甲に。

 槇寿郎さん曰く、五十体目の鬼を退治ししばらく戦闘の経験を積んでいくか、十二鬼月を倒すことができれば、すぐに柱になれるだろうと言っていた。

 

「柱になったら禰豆子ちゃん俺の所に嫁いでくれないかなぁ。柱に成ったらギンさんみたいに美人な嫁さん二人ももらえたりするのかなぁ?」

「いや、そもそもしのぶさん達はまだギンさんのお嫁さんじゃないし、そもそも禰豆子は絶対にやらないぞ善逸。諦めろ」

「なんでよお義兄様!!」

「俺はお前の兄じゃないぞ善逸」

「そんな冷たいことを言うな……何なんだよその顔!!何か言えよ!!」

 

 伊之助は以前より尚更猪突猛進に。

 

「牙を研ぐぞ、力を磨け!上弦の鬼を殺すのは俺だ!ついてこいお前ら!」

 

 前よりもっともっと強くなろうと、伊之助は槇寿郎さんの下でずっと励んでいる。

 伊之助の階級も、俺より高い乙だ。

 柱に近付いている善逸に勝とうと、鬼狩りの任務に励んでいる。

 

「あの夜、己の弱さを知り、己の強さを知り、そして俺の息子の強さを思い知っただろう。だがそれでも、諦めるな。強くなれ。あの時俺の息子が、お前を命懸けで守った意味を、俺に示せ」

 

 槇寿郎さんは、俺を睨みつけながらそう言った。

 強くならなければ許さないと、そう言っているように俺には聞こえた。

 

「炭治郎さん。杏寿郎は自分の使命を果たしました。ギンも、己の使命と約束を守るために今もなお戦っています。あなたも自分に決めた使命が、役目があるのでしょう」

 

 煉獄さんのお母さん、瑠火さんが、俺にそう語ってくれた。

 

 俺の使命、役目。

 

 ―――禰豆子を、人間に戻すこと。鬼舞辻無惨を倒して、悲しみの連鎖を断ち切ること。

 

 瑠火さんは静かに微笑んで言った。

 

「忘れてはなりません。己に課した使命を、約束を。杏寿郎が託した物を、しっかりと受け継いで」

「―――はい!」

 

 あの夜、上弦の壱との戦いで、俺は自分の弱さを思い知った。

 ギンさんと煉獄さんを追い詰めたあの戦いを、俺はずっと見ているだけしかできなかった。助けることもできなかった。

 

 自分の弱さに打ち負かされていたけれど、それでも足掻くしかない。今の自分ができる精一杯で前に進む。

 

 そしていつか、煉獄さんのような強い柱になると、俺は覚悟を決めた。

 

「骨が砕けるまで走り込みだ!付いて来いお前ら!」

「ね、ね、ねずこちゃぁ……」

「もうちょっとだ、頑張れ善逸!」

 

 多分、俺一人だったら、挫けていたと思う。けれど、一人じゃないというのは、幸せなことだ。

 

「炭治郎、大丈夫?」

 

 時々怪我をして蝶屋敷に行くと、カナヲがよく俺の手当をしてくれたり、一緒に稽古をしてくれた。

 ギンさんや、元"花柱"のカナエさんに鍛えてもらっているからか、カナヲはものすごく強い。俺によく助言をしてくれた。

 

「炭治郎が、その、あの時……『心のままに』って言ってくれたから……」

 

 カナヲはあの日以来、銅貨を使うことがほとんどなくなったらしい。

 恥ずかしそうに、でも嬉しい感情の匂いをさせるカナヲを見て、俺はとても嬉しくなった。

 

「ヒノカミ神楽?」

「そうなんだ。でも、無理に連発しようとすると、身体がすぐに動かなくなるんだ……」

 

 俺は、水の呼吸に適した身体ではないと槇寿郎さんにすぐに指摘された。

 始まりの呼吸は最強の呼吸。それ以外の呼吸は全てそこから派生した物でしかなく、悪い言い方をすれば劣化した物なのだと。

 

 身体がまだ日の呼吸に追いついていないか、炎の呼吸を身に着けるべきなのではないかと槇寿郎さんに言われたが、すぐに答えを出すことはできなかった。

 

「なら、混ぜたらいいと思う」

「混ぜる?」

「しのぶ様も、ギンさんの"森の呼吸"と、師範の"花の呼吸"を混ぜた呼吸法を使ってる、よ?」

「ヒノカミ神楽と……水の呼吸を……混ぜる……なるほど、そうか!ありがとうカナヲ!なんとか頑張ってみるよ!」

 

 俺はがっしりとカナヲの手を掴んでお礼を言う。なんでそんな簡単なことに気付かなかったんだろう。全集中の呼吸・常中の時もそうだった。

 カナヲにはいつも助けられている。俺がどうしたらいいか分からない時に、とてつもなく高い階段で足が進まない時に、一歩、進む力をくれた。

 

「だ、だい……じょうぶ……どういたしまして……」

「?」

 

 顔を真っ赤にしたカナヲから、どうしてか緊張している匂いがした。

 ギンさんと一緒にいる時のしのぶさんやカナエさんと似た様な匂いだけど……でも、嬉しそうだからいいかな!

 

 俺はこうして、槇寿郎さんと鍛練をして、時々蝶屋敷でカナヲと会って、任務で鬼を退治して日々を過ごしていた。

 

 

 そんなある日のことだった。

 

 

「放してください!私っ、この子はっ」

「うるせえな、黙っとけ」

 

 炭治郎はいつものように単独任務を終え、普段お世話になっているお礼にと、町のお菓子を買って蝶屋敷に向かっている最中だった。見慣れた蝶屋敷の玄関が見えてくると、入り口の辺りが騒がしい。急いで駆け付けて見ると、筋骨隆々の大男が、アオイさんとなほちゃんを米俵のように担いで連れ去ろうとしていた。

 

「やめてくださぁい」

「はなしてください~」

 

 きよとすみが泣いていて、カナヲが必死に止めようとその人の隊服を掴んでいる。

 

「音柱様、放して、ください」

「カナヲ!」

「カナヲさまーっ!」

 

「なんだ、地味娘。地味に引っ張るんじゃねえよ。お前は先刻(さっき)指令が来てるだろうが」

「……その二人は、蝶屋敷の、大切な、看護師です」

「この二人はギンや胡蝶姉妹の継子じゃない。許可を取る必要はない。さっさと放しな」

「…………!」

 

 見てもいられず、炭治郎はその大男に声を張り上げた。

 

「女の子に何をしているんだ!!手を放せ!!」

 

 確かこの人、柱合会議にいた人だ。ギンさんが言っていた、確か――"音柱"。

 

「ん?なんだ、ギンが面倒を見ている鬼を連れたガキか」

 

 すると、宇髄はアオイを担いだまま、不機嫌そうに炭治郎に向き直る。

 

「なんで煉獄とギンの奴は、こんな餓鬼に命を懸けたんだ」

「―――ッ」

「お前が弱いせいで、煉獄は死んだ。お前ではなく、あの場にもう一人"柱"がいれば、煉獄は死ぬことはなかったし、ギンは上弦の壱を殺すことができたはずだ。足手まといのお前がいなければな」

「ッ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、炭治郎は頭にカッと血が昇るのを感じ、気付けば駆け出して宇髄の頭に頭突きを繰り出そうとしていた。

 

 だが、宇髄は頭突きを躱し、門の上に音もなく飛び乗った。

 

「愚か者。俺は"元忍"の宇髄天元様だぞ。その界隈では派手に名を馳せた男。てめェの鼻くそみたいな頭突きを喰らうと思うか」

 

「アオイさん達を放せこの人さらいめ!」

「そーよそーよ!」

「放して」

「変態変態!」

「一体どういうつもりだ!」

 

 三人娘と炭治郎の一斉抗議が屋敷中に響く。普段物静かであまり喋らないカナヲも、宇髄の傍若無人ぶりに我慢できず声を出すほどだ。

 

「てめーらコラ!誰に口利いてんだコラ!俺は上官!柱だぞこの野郎!」

「お前を柱とは認めない!むん!」

「むんじゃねーよ!お前が認めないから何なんだよ!?」

 

 一触即発の空気。その時だった。

 

「何事ですか」

 

 すると、中庭の方から天の声が響く。全員が声の方を振り返ると、そこには厳しく宇髄を睨みつける胡蝶カナエが立っていた。

 

「胡蝶か」

「カナエ様……」

 

「ここは診療所ですよ、音柱様。ここの看護師を連れていくことがどういう意味か、お分かりですか?」

 

 肺を壊され、前線を引いたとはいえ元"花柱"。自分より圧倒的に体格が恵まれている、普通の女性なら相対しただけで萎縮するであろう宇髄に一歩も引かず、カナエは宇髄に問いかける。蝶屋敷を敵に回す気かと。

 

「俺は任務で女の隊員が要るんだ。こいつらはギンの継子でもなんでもねぇんだろ?お前の許可を取る必要はない」

「この娘達は私の、蝶屋敷で働く大切な娘達です。"蟲柱"が面倒を見る部下でもあります。彼女達を連れていくなら、まず私かしのぶに話を通すのが筋なのでは?」

「必要ない。前線を退いた元柱になんでわざわざ許可を取る必要がある」

「そもそも、なほは隊員ではありませんよ」

「なら、こいつはいらね」

 

 するとあっさりと、宇髄はなほを解放し、門の上から放り出した。

 慌てて炭治郎は落ちてきたなほを受け止める。

 

「なんてことするんだ人でなし!」

「わーん落とされましたぁぁぁ!」

 

「だが、こいつは連れて行く。許可がいるってんなら、ここで願おうか元"花柱"」

 

 その言葉に、神崎アオイは恐怖で凍りついた。

 鬼の恐怖に負け、戦うことができなくなった。

 

 戦いの場へ連れて行かれる。憎くて、そして恐ろしい鬼の下へ連れて行かれる。

 

 そう考えてしまうだけで、アオイの思考が恐怖で止まってしまう。

 

「許可できません」

「なら、無理やり連れていくしかねえか。そもそも、今のお前より俺の方が階級は上だ。前線から離れてるくせにしゃしゃり出てくるんじゃねえ」

 

 元"柱"。宇髄の言う通り、引退し既に身を引いたカナエは、鬼殺隊の隊員ですらない。

 以前ほどの権力はもうない。

 

 だが。

 

「はいそうですか、と引くとでも思いますか?」

 

 カナエの背後から怒気が溢れ出す。

 大切な蝶屋敷の住民を、ここで幸せに働いている娘達を戦場に連れて行くことは許さない。

 

「ハッ、派手に言うじゃねえか。ギンにはもったいない、いい女だ」

「…………」

「何ちょっと嬉しそうにしてやがんだテメェ」

「……こほん。とにかく、アオイを連れていくことは許せません」

「なら、ギンをここに連れてこい。俺が直接話をつける」

「ギンくんがここに来ても話は同じです。出直してきてください」

 

 カナエがばっさりと宇髄の言葉を切り捨てる。一歩も引かないその姿勢に賛同するように、炭治郎が声を上げた。

 

「そうです!人には人の事情があるんだから無神経にいろいろつつき回さないでいただきたい!アオイさんを返せ!」

 

 アオイが鬼を恐れてしまい、戦えなくなってしまったというのは周知の事実だ。そして、本人が戦えなくなってしまったことにひどく自己嫌悪感を覚えていることも。

 だがそれでも、鬼殺隊を支えたいと蝶屋敷で看護師を務めている。

 その想いを踏み躙ることは、誰であろうと許さない。

 

「そうよそうよ!アオイさんは早く放して!」

「アオイさんは大切な人なんだから!」

「ここにいてくれないとすごく困っちゃうの!必要な人なの!だから連れてかないで!」

「皆……」

 

 なほ達の言葉に、思わず涙ぐむアオイ。

 役立たずの腰抜け。戦えなくなった自分を、認めてくれる人がいる。

 そう想うと、涙が溢れて止まらない。

 

「ぬるい。ぬるいねぇ。このようなザマで地味にぐだぐだしているから、鬼殺隊は弱くなっていくんだろうな」

 

 宇髄は呆れたように溜息を吐いた。

 個々の感情や事情を優先していては、鬼を狩れない。鬼を殺せない。

 

 無限列車の戦いの時も、ギンや煉獄はあと一歩まで上弦の壱を追い込んだ。だが炭治郎を庇い、重傷を負ったせいで窮地に追い込まれた。

 俺より強いあの二人が、鬼を倒すこともできず、そして煉獄は命を落とした。

 宇髄天元にとって、それが耐えられなかった。

 犬死をしたのだ、煉獄は。何も残せずに、鬼に敗けた。

 唯一、ギンが生き残ったのは不幸中の幸いだが――

 

「なら、俺がアオイさんの代わりに行く!」

 

 炭治郎が叫ぶ。

 

「…………何言ってやがる」

「俺は本気だ!だからアオイさんを放せ!」

 

 こいつは、何の価値がある。

 ギンや杏寿郎は、こいつに一体何を見出した?

 確かに、鬼を連れ、妹を人間に戻す為に戦う覚悟は感じられる。柱合会議であれだけ啖呵を切っていたんだ。それなりに見所はあるだろう。

 

 だが、それだけであの煉獄やギンが命を懸けるのか?

 

 そう考え込んでいると――炭治郎の横に、二人の人影が現れた。蝶屋敷の柵を飛び越えて現れたのは――

 

「俺様は今帰った所だが、力が有り余っている。何があったか知らねえが、俺様も行ってやっていいぜ!」

「アアアアアアオイちゃんを放してもらおう!たとえアンタが筋肉の化け物でも俺は一歩もひひひ引かないぜ」

 

「善逸!伊之助!」

 

 確かこいつらは――無限列車で竈門炭治郎と共に戦っていた隊士か。

 黄色の頭。確かこいつはもうすぐ討伐数が五十体を超える、柱に近い甲の隊士。

 そして猪の被り物をしていたこいつもそこそこ鬼を斬っていたはずだ。

 

 ……こいつら三人は、ギンと、そして元炎柱が面倒を見ているんだよな…… 

 

 ギンはこいつらに、一体何を見出した?

 

 ならちょうどいい、確かめてみようじゃねえか。

 

 宇髄はにやりと笑う。

 

 

「あっそォ。そこまで言うなら一緒に来ていただこうかね」

 

 

 鬼の棲む、遊郭に。

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