え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

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"■"と"■■"

 

 

 

 

 

 

 

 

―――なんだ、お前……その、身体中に生えた草は

 

 

 

 怒り。

 

 憎しみ。

 

 鹿神ギンは蟲柱に就任することとなったあの飛田遊郭の事件の後、我を顧みず鬼を殺すことに精を尽くすようになった。

 

 親友であった錆兎の死は、大切な人が殺される悲しみは、身を裂くような痛みを与えた。

 遊郭で出会った明里の言葉は、呪いのように縛り付け、心を曇らせた。

 

 何を憎んでいいのか分からない。何を許すべきなのかもワカラナイ。

 

 ただひたすら答えを追い求めるように、刃を振るう。

 

 鬼を殺し続ければ、この胸の孔は埋まるのかは分からない。

 

 だが今まで鬼狩りとして戦い続けてきた、鍛え続けてきた時間を否定したくなくて、戦うしか方法がなかった。鬼を殺し続けるしか、自分の価値を証明することができないから。

 

 

 

 

 

 

 ―――骸草と言う、蟲がいる。動物の死骸に寄生し、骨や肉まで分解して泥状にする蟲だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――俺は鬼も、獣も、植物も、蟲も、踏み躙りすぎた。時には人の死体も鬼狩りの為に利用した。その結果がこのザマだ。俺の死臭は、もうこびり付いて取れなくなった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼の、獣の、人の死臭がこびり付いた俺は、骸草にとって絶好の養分なのだ。

 

 

 

 けれど、呼吸法を会得し、常に蟲煙草を吸っている俺を分解することはできない。本当に、ただ纏わりついているだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――笑えるだろ、なぁ。必死に鬼を殺して殺して殺し続けて、こう言われんだよ。お前は屍だってな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 憎しみ。怒り。それは人間ならば誰もが備えている感情のひとつ。

 

 昔のことわざに、こんな言葉がある。

 

 

「虫の居所が悪い」

 

 

 ――この腸が煮えくり返るような熱は、血管の中を駆け巡る血液が灼熱のように燃え上がるような熱は、私の中に棲む蟲が見せている感情なのだろうか。

 

 ああ、でもそんなことはどうでもいい。

 

 今すぐこの鬼を殺さなければ気が済まない。この気持ち悪くて頭がガンガンする痛みは、この鬼を殺さなければ収まらない。

 

 よくも私の先生を。

 

 よくもギンさんを。

 

 よくもよくもよくも―――!

 

 

 胡蝶しのぶは、元来、憎しみを持ちやすい。

 彼女の鬼殺の本質は、煉獄杏寿郎のような"人を救う"と言う責務感でも。

 胡蝶カナエの"自分達と同じ思いをさせない"という正義感でもなく。

 

 

 彼女の根源にあるのは、鬼を滅ぼしたいという怒りに突き動かされた衝動。

 

 

 

「あああああああああ!!」

「胡蝶落ち着け!一人で飛び出すな!」

「ひっひひっ」

 

 胡蝶しのぶが毒の刃を妓夫太郎に突き刺そうと地を駆ける。文字通り目に留まらぬ速さ。小柄な体を活かし、大地に足の力を乗せ、鬼の命を腐らせ絶命に追い込もうと毒の刃を振るう。

 叫びながら刀を振るう彼女の表情は、怒りに満ち満ちており――

 

 

 そしてどこか、泣いているようだった。悲しくて哀しくて、けれどどうしようもなく、癇癪を起こしている子供のようだった。

 

 

(まずい。完全に冷静さを失っている)

 

 

 宇髄は額に嫌な汗を掻きながら、しのぶの援護に回る。速さがあるとはいえ、相手は上弦の肆。しのぶの突き出す刃を紙一重で躱し、受け流し、しのぶを殺す血の鎌を振り続けている。いくらしのぶが速さに特化した剣士とはいえ、相手は何百年も柱を退け続けた文字通りの怪物だ。しのぶの動きに慣れ始めたのか、妓夫太郎の攻撃は洗練されていくばかりだ。このまま戦い続ければどうなるかは目に見えている。

 

 

(あの蟷螂野郎も最初より反応が早くなってやがる!それにやべぇ。胡蝶と譜面が合わせられねぇ!普段の胡蝶ならともかく、今の胡蝶は周りが見えてなさすぎる!)

 

 胡蝶しのぶの蟲の呼吸は、速さを活かした突きが主体の攻撃。今はまだ攻撃を躱しきれているがいつまでそう言っていられるかは分からない。早い所状況を立て直したいのに、上弦の鬼はそれを許してくれない。畳みかけるようにこちらを押してきている。

 

(光酒を殺す毒だと?んなもん、ギンを殺す為だけの毒じゃねぇか!)

 

 宇髄は悔しさに歯噛みをしながら刀を振るう。

 自分が今無傷で、刀を振るうことができているのはギンがいたからだ。ギンが自分の代わりに盾になり、そして毒を受けた。

 

(分かっている。俺は煉獄やギンのようにはなれねぇ)

 

 光酒を飲むと、異常な身体能力を手に入れる。その副作用か、身体のどこかに痣が浮き出る。

 それが鹿神ギンが長年光酒を研究し、手に入れた研究結果だ。その研究結果があったからこそ、上弦の弐を討伐し、上弦の壱を退けることに成功した。

 だが、宇髄天元はいくら光酒を飲んでも痣は発現しなかった。

 もちろんある程度の身体能力の上昇は観られたがそれだけ。ギンや"水柱"冨岡義勇のような爆発的な身体能力も、体のどこにも痣は浮き出てこなかった。

 幼少の頃から長年、忍びとして血のにじむような訓練を受けており、その訓練の中には毒物の訓練も入っていたから、その影響もあるのかもしれない。

 ただ、分かったのはただひとつ。宇髄天元はどうやってもギンや煉獄達のように強くはなれないということ。

 

 

 

(だが、それがなんだってんだ)

 

 

 

 才能がないのは百も承知。もし自分に才能があったのなら、見捨てなければいけない命を見捨てずに済んだのだろう。父親や里のことであんなに悩むこともなかっただろうし、もし自分に忍びとしての才能があったのなら、親兄弟を捨ててここに立ってはいない。

 忍びにもなり切れず、剣士にもなり切れない。それが、宇髄天元と言う男の、才能の上限値。

 

 だが、才能がない者にも矜持がある。

 取るに足らないと笑われるかもしれないが、それでも自分の中で曲げれない矜持が。

 

 

(胸張ってド派手にお天道様の下を歩くにゃ、上弦の鬼の頸を持って帰らにゃなんねぇ)

 

 

 才能がないなら、より鍛えるだけだ。

 例え手足が千切れようとも、鬼と戦い抜く。

 

 

 ――では、それでも自分に成し遂げられないのなら。

 

 

 その時は他の誰かに託す……。

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、そうか。

 

 

(ああ、煉獄。今ならお前が地味に後輩をかばった理由が分かる気がするぜ)

 

 

 胡蝶しのぶ。元花柱胡蝶カナエの妹。そして鹿神ギンの弟子。

 

 音柱は結局、継子を一人も取らなかった。戦い方を教えたのは自分の妻たちだけ。

 

 だが仮に自分が死んでも後を託せる者がいるというのは、戦いへの迷いを拭ってくれるのだろう。あのド派手な煉獄のことだ。迷いなんか一切せずに、上弦の壱へと立ち向かい、そして後輩である竈門炭治郎を守り切ったんだ。

 

 ああ、そう気づいてしまったのなら、やるしかない。

 

 今までさんざんあんな美味くてド派手な酒を飲ませてもらったからなぁ。

 

 こんぐらいしなきゃ、音柱の名が地味に廃るってもんだ。

 

 この手のかかるじゃじゃ馬を、なんとか蝶屋敷に帰してやんねえとな。

 

 それが、俺の同僚である鹿神ギンへの唯一の手向けだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しのぶの様子がおかしくなった原因は、分かり切っている。彼の師匠である鹿神ギンが倒れたからだ。

 気持ちは分かる。もし自分の愛しい妻が倒れたら、自分だって冷静さを保っていられるか分からない。

 普段冷静な胡蝶しのぶがあそこまで取り乱すのは、初めて見る。

 だが胡蝶しのぶは、本来憎しみに染まり易い性質の持ち主だ。

 姉の胡蝶カナエの影響や、花柱代理としての責務からその性質はここしばらくの間、鳴りを潜めていた。そもそも、戦えなくなった姉の「笑っている顔の方が好き」という何気ない言葉や、師である鹿神ギンの「憎しみに囚われてはいけない」という教えを健気に守ろうとしていたからこそ、胡蝶しのぶは怒りを出さないようにあり続けている。

 胡蝶しのぶが入隊当初、憎しみや怒りに振り回されていたと知っている者は今では少ない。怒りぽかったと知っているのは、しのぶを昔から知る者や鼻や耳がいい者だけ。

 

(心の鬼――!)

 

 帯鬼の攻撃を躱しながら、炭治郎はギンの言葉を思い出していた。

 

 

 ――人は心の中に夜叉を飼う。誰にも制御できない怪物だ。

 

 

 思い出し、そして理解した。心の鬼という存在が何か。ギンが言っていた、囚われてはいけないという意味。

 今のしのぶは、まさに鬼だった。鬼気迫るとはまさにこのことか。屋根の上から横目に見えるしのぶの表情は、ここから随分距離があるのに、恐ろしく、そして冷たい。

 憎しみと怒りに染まった今のしのぶの剣筋は、乱れている。あのままだとすぐに――!

 

 

「しのぶさん!それ以上はダメだ!」

「よそ見なんて余裕じゃない!」

「ぐっ!」

 

 しのぶを止めに行こうとする炭治郎だが、それを止めるのはやはり帯鬼。堕姫だ。

 

「あっはははは!どうしたのよ、あの蟲師が倒れてから動きが鈍いわよ!!」

「一番厄介だった蟲師が死んだからなぁぁ。あとは楽勝だなぁぁ!」

 

 

「くそがああ!」

 

 

"獣の呼吸 肆ノ牙 切細裂き"

 

 

 伊之助がたまらずと言ったように呼吸の型を繰り出す。だが、帯は切っても切ってもすぐに再生してしまう。イタチごっこのような状況に、伊之助は苛立ちを隠せずにいた。

 

 

「おいやべえぞ紋逸!白髪ヤローがやられてやべえ!しのぶが死ぬ!」

 

 

 鹿神ギンの離脱、そして毒による瀕死。拮抗していた戦況が、一気に覆された。

 伊之助もそれは肌で感じているようだ。ただでさえ帯鬼に手古摺らされているのに、このまましのぶや宇髄が倒れればこちらの敗北は必至だ。

 善逸も頷きながら、戦況を確認する。

 だが胡蝶しのぶと宇髄天元の援護へ向かえる余裕はない。4人がかりでようやく抑え込めている堕姫を、誰かが一人でも援護に向かわせればこちらが負ける。

 自慢の雷の呼吸も、見切られるようになってきてしまっている。

 七ノ型を繰り出せば戦況をひっくり返せるかもしれないが、まだあの技は自分の足にひどい負担をかけてしまう。技を繰り出せば動けなくなるかもしれない。

 だが、こうなってしまえば四の五の言っている余裕もない。こうなれば七の型を!

 

「分かってる!でもやるしかない!早くこの帯鬼を倒して、しのぶさん達を援護するんだッ――!?」

「どうした、ぜんい――!?」

 

 

 堕姫の前に、飛び出す影がひとつ。

 

 

「は?」

 

 

 ドゴッ

 

 

 ――お前は特別な子だ、禰豆子。

 

 

 ――いつか俺が、炭治郎が、お前を絶対に人間に戻してやる。それまで苦しいだろうが、頑張ろう

 

 

 

 よくも。よくも。わたしの、私達の大切な人を傷つけたな。

 

 

 

 堕姫が吹き飛ば、否、蹴り飛ばされた。強靭な足から繰り出された蹴りに耐え切れず、堕姫の頸は蹴鞠のように宙を舞い、廃屋へ落ちる。

 

 

「は、何、あたしの頸が」

「ね、禰豆子?」

 

 頸を千切るように蹴り飛ばされた堕姫も、そしてそれを見ていた伊之助や炭治郎も、何が起こったのか分からないように口を惚けさせていた。

 

 

 ――人間はいつも心の中に夜叉を飼っている。誰にも制御できない鬼を心の奥に棲まわせている。

 

 

 記憶が揺さぶられる。かつて鬼舞辻無惨が、自分の家にやってきた夜のことを。自分の家族を殺された時のことを。

 

 あの時倒れていった家族の姿と、鹿神ギンの姿が、重なる。

 

「ううう"っ」

 

 ――では、鬼は。

 

 鬼の中に棲む夜叉が、激しい怒りによって顔を出した時。

 

 

「フゥ"ーッ!」 

 

 

 その憎しみと怒りは抑えられることを知らず。

 自らの敵を破滅させるまで、突き動かす。

 

 例えそれは鬼だろうと人間だろうと、例外はない。

 

 

「絶対に……殺してやる!!」

「グルルル……」

 

 

 憎しみと怒りに染まった者は。血管を沸騰させ歯を食いしばり。

 

 やがて人の形をした獣へと化す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかりしてくださいませ蟲柱様!!」

 

 一方、鹿神ギンは隠達の手によって懸命に手当てを受けていた。

 皆、鹿神ギンに助けられたことがある者達だ。

 ある者は怪我の治療で、またある者は蟲患いで。

 皆、蟲柱に助けられた者達だ。

 

 遠くから破壊音が聞こえている。鬼達が暴れまわっている。

 自分達は戦うことができない。こういう時、柱や隊士達に頼るしかない自分達の無力さには呆れてしまう。

 だが、自分の弱さを憎んで足を止めている暇はない。

 自分達に今できることを。

 

 幸い、辺りはもう瓦礫の山が多くあったから、材料には困らない。怪我人を運ぶ為の簡易的に作った担架で蟲柱を安全な場所に運んだ隠達はゆっくりと地面に下し、急いで手当を開始する。

 

 ピクッピクッ

 

「瞼が動いている……夢を見始めてる」

「夢なんかどうでもいいでしょ!はやくアンタの光酒出しなさいよ!!少しでも蟲柱様を延命させるの!!」

「分かってるっつーの!そんな大声出すんじゃねえ!」

 

 ギンが意識を失ってから、呼吸と脈が徐々に弱くなる一方だった。普通の医者が見ればもう手の施しようがないと匙を投げてしまうだろう。

 だがそれでも出来ることをしよう。この人は死なせちゃいけない。死なせたくない人だから。

 隠達は懐から少量の光酒を取り出し、ギンの口に流し込む。隠達は蟲柱から、いざと言う時の為に光酒を渡されていた。量は隠達の光酒全てを合わせても瓶1本分にも満たない少量だが、無いよりはマシだ。

 

「ん?おい、見ろよこれ」

 

 すると、手当をしていた隠の一人が首を傾げながらギンの懐から何かを取り出した。

 

 

 

 

「何……それ?盃?」

 

 

 

 ギンの懐から現れたのは、小さな盃だった。深緑の色をした、雅な盃だった。

 見たこともない代物。匠の芸術品。

 蟲柱が危篤と言う緊急事態のはずなのに、隠達は少しの間、その美しさに目を奪われた。

 まるでこの世の物ではないかのようなその盃に、芸術の知識がない隠達は、思わず息を呑む。

 

(あの戦闘の中でずっとこれを持っていた?吉原のどこかの店の骨董品……いや、蟲柱様がそんなもの、懐に隠し持つ理由がない。でも、この盃――)

 

 ちょうど、心臓を守る位置にあった。

 

(蟲柱様の傷は、全部心臓を避けるようにつけられている……この盃が守ってくれていた?)

 

 ありえない。理性はそう断言している。けれど――この盃と、目に見えない異形を相手取ると言われている蟲柱なら、あるいは。

 

「おい!手を止めんな!脈は弱いがまだ動いてる!」

「ッ!は、はい!」

 

 いや、今は考えている時間はない。隠達はすぐに思考を切り替えて手を動かし始める。

 

 

「蟲柱様!聞こえておりますか!?あなたはまだ死んではいけません!他の柱が戦っております!――花柱代理様も!だから、起きてください!あなたが必要なんです!」

 

 懸命に心臓を動かそうと肋骨の上から必死に力を送る。

 

 戻ってこい。戻ってこい。

 

 

 あなたにはまだ死んでほしくない

 

 あんたはまだ死んじゃいけない存在だ

 

 あなた様の力を貸してください 

 

 

 そう念じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――誰かの夢を見た。

 

 

 

 

 自分のような、他人のような。

 

 

 

 

 そんな誰かの、夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼舞辻無惨によって蟲師の血筋が途絶えた後。

 蟲を見ることができる者はほとんど現れなかった。

 

 とはいえ、後世にも蟲を視界にとらえることができる者はちらほらといた。

 

 

 

 しかし、蟲師と言う職がいなくなった今、異形のモノを見ることができる者は、異常者として扱われるのが常になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒトは、異常を恐れる生き物だと僕は教えられた。

 

 知識としてではなく、言葉と実感によって。

 

 僕が生まれた所は、山と田んぼしかない小さな農村だ。

 辺りは森で囲まれた、小さな世界だった。豊かな土地。いつも緑に溢れていて、生命力が溢れていた。春は桜が山のあたりにちらほら見えて、夏は田んぼがぜーんぶ緑色で、秋は美味しそうな作物がいっぱいで、冬は白い雪が積もって静かになる。

 

 

「嘘じゃないよ!本当に見えるんだってば!」

「嘘つくんじゃねーよバーカ!うそつきはなぁ、鬼に喰われちまうんだぞぉ!」

「いいえ、違うわ。その何かが見えるのはあなたが鬼だからよ」

 

 そんな僕は、村の子供達からいつもいじめられていた。

 きっかけは些細なことだったと思う。宙に浮かぶ半透明な何かのことを近所の子供に教えたら、いつの間にかこうなっていた。

 

 村の人達は、僕のことを鬼の子とか妖の子と呼ぶ。

 

 僕が住んでいた村には、根強く『鬼』の伝承が伝わっていた。人を喰らう鬼、怪しげな妖術を使う鬼がおり、悪い子供は鬼がどこからかやってきて食べられてしまうぞと、大人達は子供に半ば脅すように言って聞かせていた。

 

 そのせいかどうかは分からないけど、この村の人達は異様な物を極端に恐れる性質があった。

 

 そう、例えば僕のように宙に浮かぶ生き物を見ることができるような人間を。

 

「今日も信じてもらえなかったなぁ」

 

 僕は人の気配がない森の樹の上で、麓の村を見下ろしながら残念そうにため息を吐いた。

 あんな綺麗なモノ達を、どうしてみんな見ることができないんだろう。

 

 僕は宙に浮かぶ生き物を眺めながらほうとため息を吐く。

 

 あらかじめ言っておくけど、僕は人間だ。髪の毛も黒いし、ご飯は大好きだし。ただ変な生き物が見えるだけで、彼らは僕のことを鬼だとか(あやかし)の子だとか呼ぶ。近所の子供も、村の大人達も。

 彼らは別に何かをするわけでもなく、死んでいるわけでもなく、ただ宙を漂って僕らの上を回っている。

 細いモノ、大きいモノ、小さいモノ、丸いモノ、そうじゃないモノ。

 いろんな種類がいて、僕はそれを眺めては捕まえようとしてみたり触ってみようとしてみたりする。

 けれどそうしようとすると彼らは風に吹かれたように消えてしまう。

 でもそんな彼らのことを、幻だとは思えなかった。

 何か強い力を感じられた。触れてしまえば消えてしまいそうな彼らのことを、どうしても嫌いにはなれなかった。

 

 

 ――――おいで

 

 

 ……声が聞こえる。

 何かの声が聞こえる。

 

 何かに呼ばれる声。

 

 森の、山の、草樹の奥から。誰かの声が聞こえる。老人のようで、若い男の人のようで、子供のような声。

 

 

 僕は立ち上がって、木の枝から飛び降りた。

 

 

 ――それに近づいちゃいけない。

 

 

 生き物としての直感か、幼い僕の芯にある何かが言う。

 けれど、僕はとにかく寂しかった。誰かと一緒になりたかった。

 両親は僕が死んでから、僕はずっと独りだった。周囲の大人や子供は僕を気味悪がって近づかない。最近はもう慣れたけど、いじめられてすぐは辛くて、毎日よくここで泣いていたのを覚えている。

 

 だからだろうか。僕は導かれるように森の奥へ、声がしたほうへと走っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕の住む村の直ぐ傍にある山は、豊かな森だった。

 鹿や猪とかの獣はたくさんいるし、山を登れば山菜や木の実には困らなかった。

 親のいない僕がここまで生きてこれたのも、この山のおかげと言っても過言ではないと思う。

 僕にとってこの山は遊び場だ。

 樹から樹へと飛び移り、森の中を駆け回るのだって朝飯前だ。

 

 

 

「こっちから声がする……」

 

 

 ――こっちだよ

 

 夢中になって森を進んでいる内に、随分と深い場所に来てしまった。

 普段は自分もあまり来ない、深い森の奥。

 この辺りは一層緑が深くて、自分より何十尺も高い樹が生えている。村の人達もこの辺りは『八百万の神の通り道』と言って近寄らない場所だ。

 大樹の分厚い樹皮や土には緑の苔が生え揃い、視界の一面がすべて緑で覆われている。

 

 苔の上を歩いていくと、珍しい物を見つけた。

 

 

「足跡?」

 

 

 裸足。小さな人間の足跡。僕と足の大きさは同じぐらいだろうか。でも、どうしてこんなところに。

 不審に思いながら、僕は足跡を辿っていく。

 何かに導かれるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして僕が見つけたのは、女の子だった。

 

 

 右の脇腹に大きなひっかき傷のようなものをつけられた少女だった。

 

 

 痛みで気絶しているのか、小さく呻くだけで目を開こうともしない。

 

 獣にやられたのだろうか。熱があるのだろう。苦しそうに呻いている。

 

 

 

 だが、僕はそんな少女にある部分に目を奪われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「キミは、ヌシ様?」

 

 

 

 

 

 

 その少女は、頭に植物が生えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!」

 

 

 

 がばりと起き上がると、自分がどこか知らない建物の中で眠っていることに気づいた。

 そこは古い書物に埋もれた空間だった。

 壁も、床も。足の踏み場がないほどのその部屋は、自分が寝転がっていた布団以外はまさしく書物の海だった。

 

 

 

 

「あ、起きたんだ」

 

 

 

 

 

 声がしたほうを向くと、ヒトの子(少年)がいた。

 

 

「ごめんね、散らかってて。僕、片付けが苦手でさ。古臭い書物しかないけど、怪我が治るまでゆっくりしてって」

 

 よく見てみると、自分の身体に布が巻いてある。

 

 ()()()()()()()()()()、このヒトの子が手当したのか。

 

「いやぁ焦ったよ。ヌシ様に、しかも人間のヌシ様に遭うなんて初めてだったからさ。こんな時だけど、自分の家が本だらけでよかったって心底思ったよ。()()()()()()()()()調()()()()()()()()()んだから」

 

 

 

「!」

 

 

 

 ――いあぁ、キミが蟲師の生き残り?でも聞いていたのと違うね。身体から植物が生えてるだなんて。でも君から美味しそうな匂いがするなぁ。よし!こんな森の奥で一人寂しく生きているなんて、辛くて悲しかったでしょう!だから安心して。俺が救ってあげるからさ――

 

 

 

 

 

 そうだ。思い出した。あの鬼の目的。あの鬼は自分を狙ったんじゃない。本当の狙いは―――

 

 

 

 

 

 

「ヌシ様?」

 

 

 

 

 

 

 ―――関わるな

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジン――あれ。どうしたの、ジン。ヌシ様は?」

「あ、久しぶり!それが、消えちゃったんだ。多分、山に帰ったんだと思う」

「あら、そうなの。山のヌシ――しかも人の娘がヌシ様だなんて聞いたこともなかったから、一目会ってみたかったのだけど。文をもらってすっ飛んできたのに、もう行ってしまったのね。何か言っていた?」

「ううん、何も。でも――関わるな、って」

「――そうなの」

「でも多分大丈夫。薬も効いてたはずだし!初めて調合したけど上手くいったと思う。多分」

「多分が多いわね……」

「大丈夫だよ。ねえ、今日も聞かせてよ。村の外のお話!蟲の話!」

 

 

 

 

 

(あまね)さん」

 

 

 

 

 

「―――いいとも。また琵琶で弾き語ろう。しばらくここに厄介になるよ。またあんたの子守歌代わりになるといいねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少年は、幼いながらも大人に近い精神を持っていた。

 彼の一族は、時折、賢い子供が生まれることがあった。その子供は誰に教わるまでもなく、文字を読み書き、知識を飲み込み、頭の中で理解する。

 そういう力を持っていた。人よりも何倍も何十倍も、頭が回った。彼らは子供の頃からおもちゃの代わりに屋敷にある書物を読み解き、そして大人顔負けの知識を身に着けていくのだ。

 今となっては、彼の一族にそのような子供が生まれる理由は分からない。その子供が大きくなっても、彼らは名声や富にはとんと興味を示さず、ただ時折どこかを放浪しては、書物を書いて、また旅に出てを繰り返し、そして一生を終える。その気になれば蘭方医*1になることも難しくないであろう知識を持っていた。もし彼らの一族が書き記した書物が世に出れば、世界中の学者達が飛びついていただろう。

 とは言っても、村の人間達は彼らがそのような知識の宝を持っているとは知らない。ただ医術をかじった気味が悪い一族だという認識だった。

 だが彼ら一族が、旅には出ても"藤重山"と呼ばれる山の麓にある村の外へと移住することはなかったと言う。

 

 ただ、彼の一族に共通するのは。

 

 彼ら狩房家の人間は――"蟲"と呼ばれる何かを見ていたということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、3日がたった。

 

 

「ありゃりゃ。見事な藤の花だねぇ」

「ええ、まったく、山一面が藤の花だ。見事に狂い咲いてらぁ」

「でもおかしいねぇ。この時期に咲くなんてねぇ?」

「これも妖の仕業かねぇ……くわばらくわばら」

 

 いつからか、この村を大きく丸で囲うように藤の花が咲き乱れるようになった。

 季節でもないのに藤は絶えず咲き続けた。枯れる気配は一向にない。まるで時を止められたように、藤の花は咲き続けた。

 

 村から見ると、山の中腹一面が紫色に染まった美しい光景だ。実際、僕も藤が咲いているところへ走って調べに行ってみた(村の人達はやっぱり気味悪がって藤の花を見に行こうとはしていなかったようだ。不気味だから伐るべきだーとか言う人もいるみたいだけど)確かにこの山にはちらほらと藤の花の樹が生えていた。でもちらほらと言うだけであんなにたくさん生えてはいなかった。けれど現実的に、元々生えていた大樹はなく、いつの間に藤の花の樹に生え変わっていた。

 どう考えてもおかしい。たった3日で藤の花が生え変わるなんて。

 

 

「ヌシ様が何かしているのかな」

 

 

 そうとしか考えられない。この山を支配しているのは、村の人達ではなくヌシ様だ。

 山のヌシ様なら森の木々を藤の花に生え変えさせることぐらい朝飯前……なのだろうか。

 光脈筋にある豊かな森や山を管理する。それがヌシの役割だ。

 ヌシのことについて、僕はすべてのことを知っている訳じゃない。家にある文献に、ヌシのことが書かれていたのを読んだだけだ。だが、僕のご先祖様もヌシのことについて全てを調べることはできなかったんだろう。山の生態系をいじるほどの力があることも、ましてやそんなことをすることがあるなんて記されていなかった。

 もちろん、その気になればヌシは山の生態系を生まれ変わらせることぐらいできるのだろう。

 

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 果たして山の木々を生え変わらせるなんて、例えヌシであろうとやってもいいことなのだろうか?

 

 

「大丈夫かな、ヌシ様」

 

 

 確かに治療をしたけど、応急手当しかできなかった。ヌシの力があるとはいえ、元の身体は人間だ。まだ完璧に傷が癒えたわけがない。

 

 

「森の外には出れないけど、中を探すなら――」

 

 

 うん、そうしよう。なんだか心配だし。それに、ヌシ様と話がしたい。

 

 

 ヌシ様なら知っているかもしれない。

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 ―――ひとつ、訂正をしておくと。

 

 彼らの一族は放浪を旅していたと記していたが、少し誤りがある。

 実は例外がいた。それは彼らの一族の末裔たちだった。

 少年とその父は森の外へ出たことがない。藤重山より外の領域へ出たことがない。

 村の住民たちは当然のように森の外にある町に行商へ、あるいは移住する為に出る。だが、彼らは森の外へ出たことがない。

 少年は幾度も外へ出ようと森の外へ歩むが、歩けど歩けど外へ出ることは叶わず、することもないからと森の中に棲んでいた蟲達を観察していただけだ。

 父だけは何か知っていたようだが、いくら問いただしても「今はここにいるのが俺達の約束なんだ」と

 

 しかし、少年の父は死に、母も死に、真実を知る者はいなくなった。

 

 

 少年だけが――この緑の牢獄に閉じ込められている。

 

 

 

 

 

 

 

*1
西洋から入ってきた医学。その医学を修めた医者を当時は蘭方医と呼んだ


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