え?蟲師の世界じゃないの?   作:ガオーさん

9 / 43
蟲と華と蝶と 後

「ここがお前の部屋だ。置いてある物はすべて使っていい」

「わぁ……」

 

 ギンさんにまず案内されたのは、私の部屋だった。畳に布団が敷かれ、窓から太陽の光が入ってきてとても明るい。多分、この屋敷で一番日当たりが良い場所だとすぐに分かった。

 そして何より目につくのは、西洋の机と椅子、そして大きな本棚だ。

 机には最新の医療機器や実験道具がぎっしりと並べられており、本棚には最近翻訳されたばかりの真新しい医学書や、薬学の調合書、蟲や鬼の研究結果の記録があった。

 

「わぁ……わぁ……!」

 

 蟲屋敷に来るまでずっと不機嫌だった心が明るくなっていくのを感じた。まるで、菓子屋に連れて行かれた子供の気分だった。こんなに嬉しくてわくわくするのは久しぶりだった。

 

「とりあえず、生活に困らない家具は適当に揃えておいた。それ以外に必要な物があったら、カラスを使って隠に欲しい物を伝えておけ。金は俺が持つ」

「こんなに……いいんですか?私は頸も斬れない剣士なのに、こんな高価な設備を与えてしまって……」

「何、必要経費って奴だ。それに、お前が医学に通じているのはカナエから聞いている。遠慮することはない」

 

 ギンさんはそう言って笑った。

 純粋に嬉しかった。これだけ設備が整っていれば、()()()()も――

 

「もちろん、タダではない。名目上、仮でも俺の継子だからな。仕事はきっちりしてもらう」

 

 いけない。浮かれすぎてしまったが、私は立場上この人の継子。そして胡蝶カナエの妹だ。鬼殺の剣士として、仕事と役目はきっちり果たさなければ。

 

「そうですね。ここまでの環境を与えてもらって何もしなければ、姉さんに叱られてしまいます。それで、私はここで何をすればいいのですか?」

「まずは、蟲の研究。お前さんも蟲が見えるからな。自分の身を守るためにも、蟲についての知識を身に着けてもらう」

「はい」

「それと、鬼の研究だ。具体的な最終目的を言うと、鬼を殺す毒を作りたい」

「えっ」

 

 その時私は、人生で一番間抜けな顔をしていたと思う。だって、今ギンさんが言ったことは、私がやろうとしていたことだからだ。

 

「な、なんで」

「ん?お前も、鬼を殺す毒を作ろうと考えてたんじゃないのか?この間蝶屋敷の部屋に置いてあった薬学書を見れば、大体分かったぞ」

 

 あ、あれだけで私の目的を察したの!?なんて勘が良いのこの人……姉さんにもバレていなかったのに。

 

「先生も鬼を殺す毒を?でも先生は、柱になれるほど鬼を殺せたんですよね。一体なぜ……」

「あー……そうだな。俺が"蟲柱"と呼ばれているのは知っているだろう?」

「は、はい」

「この称号は、ただ蟲が見えるからってだけじゃない。俺が柱の中で唯一、剣士でありながら研究者だから、この称号をもらったんだ。蟲と鬼を研究する柱、それが俺。"蟲柱"鹿神ギンの役目なんだよ」

「そ、そうだったんですか……?」

 

 知らなかった。柱の人達はただただ鬼を殺すことに特化した人達だと聞いていたから。確かに、姉さんやお館様から、蟲柱は医者並の知識を持っているとは教えてもらったけど……。剣士でありながら、研究者だなんて。

 

「ふむ。そうだな、ついでに少し授業をしよう。しのぶ、鬼とはなんだ?」

「人を食う怪物」

「正解だ。少し補足すると、『鬼舞辻無惨の細胞を入れられた人間』だ」

「細胞を……?」

「一般的に隊士達の間では『傷口に鬼の血が入ると鬼になる』と言われている。が、これは少し誤りだ。人間を鬼にできるのは鬼舞辻無惨の血液だけ。ただのそこら辺の鬼の血を人間に入れても、人間は鬼化しない。稀に適合して鬼化できる人間もいるらしいが。とにかく、人間が鬼になるのは単なる鬼の血によってではなく、鬼舞辻無惨の血を入れなければ人は鬼にならない」

「し、知らなかった……。一体どうやって知ったんですか?」

「鬼について滅茶苦茶詳しい美人なお医者さんがいてな。一時期その人と一緒に鬼の研究をしていた。その時に教えてもらったんだ」

 

 鬼に詳しい美人なお医者さん?一体どんな人なのだろうか。

 

「つまり、鬼とは"鬼という病に罹った人間"と言うのが、俺の解釈だ。どんな怪我や病も治療法があるのと同じ、鬼を人に戻す特効薬を作れるかもしれない――と言うのが俺の仮説だった」

「鬼を人に!?」

 

 そんなことができれば――鬼殺隊の在り方が大きく変化する。今まで変わらなかった鬼殺隊と鬼達との戦いを変えることができる。

 

「現時点では仮説に過ぎない。実際、俺は失敗した」

「失敗しちゃったんですか……」

 

 肩を落とした私に、先生は困ったようにぽりぽりと頬を掻いた。

 

「期待させて悪かったけどな。結果だけ言えば、鬼を弱らす薬はできた。だが、鬼を人に戻すことはできなかった。やっぱり、青い彼岸花を見つけなければ現段階で鬼を人に戻す薬は作れないと俺は考えている」

「青い彼岸花……?」

 

 先生はいろいろな話をしてくれた。

 鬼舞辻が青い彼岸花と言う蟲のせいで鬼になったこと。その蟲を見つけることができれば、鬼を完全に人に戻す特効薬を作れるかもしれないということ。

 お館様からの願いで、先生は鬼を人に戻す研究を続けているのだということ。各地を旅していたのは、その蟲を見つける為だったと言うこと。

 

「いろいろな方法を試したが、できたのは鬼を弱らす毒だった。しかも、毒は不完全でちょっと弱らせる程度の物。だが、見方を変えればこれも一つの成果だ。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うこと」

「!」

 

 先生が言わんとしていることに、私は気付いた。そして、どうして私を継子として呼んだのかも。

 

「偶然にも、俺の目の前には鬼の頸を斬ることはできないが、薬学と医学に精通している鬼殺の剣士がいる。しかも蟲が見える体質だ。どうだ?やってみる気はあるか?」

 

 

 

 先生は茶化すように、笑いながらそう尋ねてきた。

 

 ――悔しいけど、私の答えをもう見抜いていたのだろう。

 

 

 

「やります。絶対にやります。鬼を殺す毒を、この手で創りだして、一匹でも多くの鬼を殺してみせます!」

 

 

 

 頸が切れない剣士と言う烙印を押され、私は絶望に押し潰されそうだった。

 鬼を殺すこともできずに、何が鬼殺隊か。一体どうすれば、私はあの誓いを果たすことができるのか分からなかった。

 けれど先生は、こんな私に目標を――希望を与えてくれた。

 

 

 ――だったら、応えてみせる。姉さんと肩を並べて戦う為に。先生の期待に、応えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからは、修行と研究の日々だった。

 蟲は異形のモノ故か、覚えることが凄まじく多かった。

 

「まず、蟲の元となる光酒の取り方を教えようと思う」

「えっと……あの光るお酒のことですか?」

「そうだ。全ての命の原点、光脈筋と言う河に流れている水だ。まず、目を閉じてみろ」

「はい……。閉じました」

「何が見える?」

「何が見えるって……目を瞑っているから、何も見えるわけがないですよ」

「いや。お前は瞼の裏を見ているんだ。その裏にもう一枚瞼がある。それを閉じてみろ」

「――できません!」

「馬鹿野郎!考えるな!感じるんだ!」

 

 瞼の裏だなんて、そんなこと言われても。

 

 

 またある日。先生が蟲患いの患者を治療するための蟲下しの調合を手伝っていた時。

 

「光酒って、どんな味がするんですか?」

「……呑んでみるか?」

「え、いいんですか!わぁ、すごい!ずっといい匂いがしてたから、実は飲んでみたかったんです!」

「一口だけだぞ――っておい!一気に飲むな―――」

 

 その日の記憶はない。けれど、絶対に思い出したくない。分かったのは、私はお酒を呑むと泣き上戸と甘えんぼうになるという先生本当にごめんなさい

 

 また、ある日の夜。鬼を殺す為の毒を投与するために、先生の任務についていった帰り。

 

「うぅ……また失敗でしたか……」

「藤の花の花弁を取り入れたが、再生速度が遅くなるだけだったな……第二十七回目の毒投与の実験、失敗。結果は鬼の再生速度を遅らせるのみ、と。また調合の配分から見直しだな」

「…………」

「焦るなしのぶ。効果は着実に出ている。藤の花と光酒を混ぜるという発想をしたのは良かった。おかげで、次は前より強力な毒が作れそうだ。気張れよ」

「…………はい!」

 

 ギンさんは、先生で、分からないことをなんでも教えてくれた。

 私には姉さんしかいなかったけど、兄がいたらこんな感じなのだろうか、と考えたりもした。

 ――この人といると安心する。視界にいつもいて常日頃目障りだったあの蟲のことも、先生といると気にならなくなる。

 

「……俺の継子に手を出すなよ。"全集中・森の呼吸"」

 

 夜、鬼に襲われかけた時も、この人は何事もなかったように鬼を殺して「大丈夫か?」と私の身を案じてくれた。

 

 

「筋肉を付けたいんだろ?食え」

「……食べれません。朝からちゃんこ鍋だなんて」

「喰わないと筋肉が付かないぞ。"炎柱"の継子なんて関取なんじゃないかってぐらいいつも喰ってるぞ」

「私はお相撲さんになりたいわけではありません!先生のバカッ!」

 

 

 時々、天然なのか頭が悪いことを言ってくるけど……。

 

 それでも先生は、私の中で最高に尊敬ができる人になっていた。もちろん、姉の次にだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――バチン。

 

「馬鹿野郎」

 

 頬を、叩かれた。一瞬、何をされたか分からなかった。頬がびりびりと、焼けたみたいに痛い。

 先生は、怒っていた。

 

 きっかけは、先生が記録していた蟲図鑑だった。

 研究の合間に読んでいた、先生が今まで研究してきた蟲達の記録。その中に、『ウロ』と呼ばれる蟲の記述があった。

 私が先生に初めて会った時に見せてくれた蟲だった。

 

 その蟲は、密閉空間に湧く蟲らしい。閉め切られた部屋、蓋が閉められた瓶に湧くそれは、密閉空間の外で生きることができず、蓋や扉を開けると虚穴と呼ばれる別の空間に逃げ込んでしまう。

 もしその空間に人間がいた場合、ウロは虚穴に逃げ込もうとして、その人間も一緒に取り込んでしまうらしい。取り込まれた者は、永久にその異空間をさまよい続けなければいけなくなる。

 私はそれを知った時、天啓が舞い降りたような気がした。

 

「先生!なんで教えてくれなかったんですか。ウロさんを使えば、鬼を異空間に閉じ込められる!聞けば虚穴に取り込まれた人は、自分のことすら分からずに永遠にそこで彷徨うらしいじゃないですか。これを使えばいいんです。ウロさんや、いろんな蟲を使って鬼を滅すれば―――」

 

 その時、先生が繰り出した手の平を、避けることができなかった。

 

 

「なんで……?」

「蟲は道具にはできない。確かに、蟲を使えば鬼殺を有利に進めることもできるだろう。だが、蟲を安易に利用し続ければその人間は正気を失う。その力に魅了され、やがて破滅する。それは、蟲師として――いや、人間としてもやっちゃいけねぇ禁忌だ」

「でも」

「古くから人は、雷や地震を天災と崇め、畏れてきた。人知の及ばぬ領域のモノを私用に使ってはいけないと分かっていたからだ。俺達ができることは精々、偶に力を借りるか、遠ざけるぐらいだ」

「でもっ!」

 

 私は納得がいかなかった。蟲には強い力がある。先生と一緒に研究して、それが分かった。蟲を使えばもっと鬼殺隊は強くなれる!私はもっと、鬼を殺せる!人を守れる!

 なのにどうしてっ!

 

「蟲を使って、もっと多くの鬼を殺せば!たくさんの人が救われるじゃない!先生は間違ってる!私はっ、もっともっと鬼を殺したいの!例え、蟲の力を使ってでも――」

「その蟲を安易に使い続けた最たる例が、鬼舞辻じゃないか。お前の考えは鬼舞辻と同じだ」

「っ」

 

 普段温和な先生からは想像もできない、強い怒り。私は睨まれ――何も言い返せなくなってしまう。

 

「蟲の力は、お前の力ではない。蟲に意思はないが、命あるモノだ。それを自分勝手に利用するなんて、無辜の民を自分の為に喰らう鬼と同じじゃないか。しのぶ、お前も鬼になりたいのか?」

 

 涙がぽろぽろ出てくる。頭がぐちゃぐちゃで、どうしてか涙が出てくる。

 鬼になんてなりたくない。でも鬼は殺したい。どんな手を使ってでも。

 でも、先生の言葉はどこまでも正しくて――私はただただ、悲しかった。

 

「人の身から離れた力を使い続けた者は、やがて怪物となる。しのぶ。お前はそっちに行くな。憎しみに囚われすぎるな。俺達が人の身でありながら鬼を狩るのは、証明するためだろう。俺達が人間であることを。自分達が強いと言うことを。自分達が不条理に負けないということを」

 

 

 だから、お前は鬼になるんじゃない。

 

 

 お前はどこまでも優しく、美しい剣士なのだから。

 

 

 

 その言葉を聞いた後―――私はただただ泣き叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、先生に謝られてしまった。「殴ってすまん」と。不器用な先生らしい謝り方だった。

「私こそ、すいません。あんなことを言ってしまって」

「いや。鬼殺の剣士であり、蟲が見える者なら誰もが考えるだろう。俺もそうだった」

「先生も?」

「ああ。俺も一時期、蟲を私的に使おうとしたことがあった。それを止めてくれたのは、俺の兄弟弟子だった」

「兄弟弟子……」

「義勇という、俺の兄弟子だ。ぶっきらぼうだけど優しい奴でな。死んだ奴の為にお前は鬼になるつもりか。錆兎がそんなことを望むと思うかってな」

「……いい兄弟子さんですね」

「いや、大ゲンカになった。剣で斬り合ってガチの殺し合いになった」

「えっ」

「今考えると、俺の方が悪いんだけどな……」

 

 若気の至りだなーと先生は笑うが、私は苦笑いしかできなかった。

 

「まあ、昨日の件でお前を叱れる資格なんてないんだけどな」

「そうなんですか?」

「俺の身体にも、いくつか蟲を寄生させている。ムグラと呼ばれる、本来山に棲んでいる蟲だ。こいつがいると、山の精神と身体を接続しやすくなる」

「……それって、山の感覚と同調する、ムグラノリの技術の応用ですよね?辛くないんですか……?」

「辛いよ。けど、もう慣れた。でも、本来この辛さは慣れていいものじゃない。しのぶ。お前は俺みたいになるな」

「…………約束できません」

「おい」

 

 

「だって私、先生の弟子ですもの。もうすぐ三ヵ月ですけど、私はまだまだ先生のお世話になるつもりですから。よろしくお願いしますね」

 

 

 私がそう言うと、先生は呆れたように「ふっ」と笑った。

 

 

「まったく、厄介な弟子を抱えちまったなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その数日後、ある少女が鬼を殺す毒を完成させる。

 頸を斬れぬ人間でも鬼殺ができる方法。これまで頸を斬ることでしか鬼を殺せなかった鬼殺隊にとって、それは全く新しい革新的な技術だった。

 

 

 新たに鬼を殺せる方法が確立され、体格が恵まれぬ者、呼吸が使えぬ者にとっての大きな希望となった。

 

 

 

 数年後、蝶の髪飾りをつけた美しい少女は、毒に濡れた刃を振るい、鬼を狩り――やがて柱になれる成果を上げた。

 だが少女は柱にはならず、"蟲柱"の継子であり続けたという。

 

 

 

 

 




 蟲師用語図鑑


"虚"


 原典『蟲師原作第四巻』虚繭取り(うろまゆとり)より

 ある地方に湧く蟲。ウロさんとも呼ばれる。
 扉が閉め切られた部屋、蓋を閉められた瓶など密閉空間で生きる蟲。密閉空間の外では生きられない為、戸を開いたりすると驚いて現世に孔をあけて逃げる。
 もし万が一、虚が湧いた部屋の中に人間がいると、逃げようとする虚に巻き込まれ、虚穴に取り込まれると言われている。
 一度虚穴に取り込まれれば、二度と現世に帰ることはできない。

 神隠しを起こす原因はこの蟲だと言われている。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。