月の輝く夜の事。
ただ、それは其処に在った。
現代に似合わぬ、艶やかな着物。兄と揃いの市松模様の帯に、腰に差した日輪刀。おっとりとしている目元から、今はただ、涙が流れていた。
「…お兄ちゃん…!」
実に一世紀弱。焦がれ、思い、欲し、しかし二度と見えることの無かった、兄の気配。絶えず、涙が流れ出した。
少女は、竈門 禰豆子という名だった。
大正の時代に炭焼きの家の長女として産まれ、平穏な日々を齢十二、三の頃まで過ごしていた、ごくごく普通の少女であった。しかし、鬼舞辻無惨の術にて、鬼へと変わる。激動の日々だった。
捕食欲求に抗う毎日だった。兄を、何度も何度も殺しかけた。理性で理解をしていても、本能がお前は鬼だと告げていて、それはきっと今でも変わらない。
そんな少女をただ優しく、笑って受け入れてくれた人。それこそが彼女の兄、竈門炭治郎だった。
彼は、彼女が鬼から人へ成る方法を、生涯探し続けていた。しかし、彼も所詮は人間。寿命には勝てず、あっさりと彼女を置いて逝ってしまった。
あれから、何年経ったのだろうか。兄がくれた命を絶やしたくなくて、今までずっと生きてきた。山奥でひっそり、獣や、鬼を狩って過ごしてきた。
現代に鬼殺隊は無い。二度の大戦を経て、鬼殺隊は解体、その戦闘力と胆力から何度も戦場に繰り出された。地獄だったろうと思う。彼らの本領は、鬼殺。鬼を殺し、人を助けることに重きを置いていた彼らが、人種が違うとは言えど、どうして人を斬れようか。たまたま居合わせた戦場で、彼らの苦悶の表情を見た。
禰 豆子は、ずっと待っていたのだ。鬼殺の意思を持つ、かつての鬼殺隊士の新たな生を。
数年前から、かつての柱たちや、鱗滝左近次などの気配を持つ人間は、存在しているのを知っている。
やっとだ。漸く、鬼が人に悲しみをもたらす因果に、終止符が打てる。禰 豆子は腰の日輪刀を愛しそうに撫で、ゆっくりと呼吸した。
鋭く野山を駆け降りる。崖を飛び越え、木々の間をするりするりとすり抜ける。池を越える。最短最速、彼女は迅雷のように雪積もる山を疾駆する。
その姿を見守る影が、五つ。質素な着物を着た、三人の子供。病的にまでほっそりとした、しかし威厳を持った男の姿。割烹着に身を包んだ、優しげな雰囲気の女の姿。五つの影は、少し寂しそうに、少し嬉しそうに顔を見合わせ、そして風と共に消えた。
禰 豆子は風に驚き、背後を振り向いた。日の光を受けて、山の中腹で何かが輝いていた。「いってらっしゃい」と、そう告げるような暖かな光。
竈門家之墓
そう彫られた墓石は、少女の背中をじっと見つめていた。じっと、じいっ、と。その背中が見えなくなるまで。