【完結】山彦返りて豊穣の柿   作:hige2902

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Deliverance 後編

 少年と男が進む山道は、段々と勾配が大きくなってきた。足場は悪く、草木は覆い茂り、獣道を歩いているのか、人の道を歩いているのか。今は区別がつかなかった。

 所々切り立った断崖もあり、足を踏み外せば命は無いだろう。

 辺りが薄暗くなってくる頃に、切り開かれた平地に辿りついた。ぽつぽつと民家らしきものが建っており、小さいが畑のような土地もある事から山村と呼べなくも無ない。

 

「ここ、でしょうか」

 

 少年は頼りなさそうに呟き、荷物から小さなカンテラを取りだして灯した。

 

「実はお墓の場所、ぼくは知らなくて。父は森を通った山の先と言っていたのですが」

 

 どなたか知っている人を探してみましょう、と少年は小屋に近づく。

 暗がりの遠目からではわからなかったが、屋根や壁は腐り落ちて穴が開いていた。とてもではないが人が住めるような場所ではない。

 ぐるりと村を回ってみたがどこも同じような状態だった。捨てられて、いったいどれほどの時間が経ったのかもわからない。

 

 ほんの少し村の外も見てみるが、墓は、無かった。

 

 代わりに、さらに山奥へ続くと思わしき道を見つけた。

 この先はどうなっているのだろうと見上げてみるが、厚い雲が星すら隠す夜空の元ではわからない。

 

 かつて災害があったのだろう、土砂崩れの跡などで山肌が大きく露出している部分もあった。

 

 どうしよう、と呟き、男を見上げる。

 

「好きにするがいい」

「……明日の朝、山を登ってみます」

 

 為すのか、為せぬのか。問われているような気がして、そう答えた。

 

 その日は山村の中でもマシな民家で一夜を明かす事になった。

 ボロボロの壁の隙間から鈴虫の鳴き声が入り込み、カンテラの弱々しい光が漏れだす部屋の中で、少年は荷物を広げる。マッチと手拭い、丸いアルミニウムの水筒。

 それと風呂敷に包まれた曲げわっぱがあった。ヒノキの薄板を曲げて作られた楕円筒状の箱の蓋を取ると、黒々としたおはぎが二つ、入っていた。

 

「よかったら、これ」

 

 少年は生唾を飲んで、男に曲げわっぱを差し出す。男は遠い目でおはぎを見つめ、そっぽを向いて言った。

 

「俺はいらん。お前が食べるといい」

「そう、ですか。ではお言葉に甘えて」

 

 喜びを隠しきれない口調で言って、少年は黒文字楊枝でぺたりと切り分け、惜しむように少しずつ食べた。

 

「ぼく、おはぎが好物なんです」

 

 男は名を聞かれても答えないほど無口だったので、寂しさを紛らわすために少年が色々と喋った。

 

「うちは裕福とは言えなかったので、誕生日にしか食べられませんでしたけど。今日は……お墓参りだからですかね」

 

 ちょっとはにかんで、少年は続けた。

 

「お供え物かもしれませんね。半分は残しておきます」

 

 曲げわっぱの蓋を被せて、雑談で緊張の糸が切れたのか急な睡魔に襲われた。うつらうつらと舟を漕ぐが、秋の寒さに身が震えた。遠慮がちに男に尋ねる。

 

「あのう、そちらへ寄っていいですか? 少し寒くて」

「駄目だ」

「あ、すみません。つい」

 跳ね付けられた返答に少し気落ちした。

 

「立て」

「え?」

「逃げろ」

 

 ぽかんとする少年の耳に、まだ記憶に新しい忌まわしい声が聞こえた。

 

「やはり気付いていたか。相当の手練れだな」

 

 ぬう、と森で出会った鬼が民家の敷居を跨いだ。額の二本の角、顔の紋様、鋭利な歯牙がのぞいている。

 少年が抜刀しようと震える手で脇差を引っ手繰ると、男が立ち上がりながら柄を引き抜いた。

 

「行け」

 

 刀の切っ先で壁の穴を指す。

 少年は一瞬の躊躇の後、 「どうかご無事で」 と、鞘とお供え物の入った曲げわっぱだけを抱えて這い出て駆けた。

 山奥へと続く道を、真っ暗闇の中を順応しかけた目で登る。視界の端には宿場街の明かりが、傍観者のごとく遠巻きに灯っていた。

 

 鬼は別段それを咎めるでもなく好きにさせた。

 不穏な風がボロ屋を通り、男と鬼の間のカンテラの灯が揺らめく。照らされた壁が虚ろに震える。

 

「まず、聞いて欲しい」

 と、鬼が切り出した。

「わたしは見ての通りの鬼だ。矢で脳を貫かれようが、胴を断ち切られようが死ねない。きみもその類なのだろう?」

 

 男は答えなかった。長躯に長い手足という身体つきに、脇差はより短く見える。

 

「死ねない者どうしが戦う事に意味は無い。不毛だ。話し合いで解決できればそれに越した事は無い。きみはなぜあの少年を助ける」

「あの童が為すのか為せぬのか、見届けるため」

 

「それは……無理な話だ」

 鬼は広げられた荷物に目を落としてから言った。

「誰もが、鬼であるわたしですら為すべき事を為せずにいる。おのれよりも強き存在や運命には逆らえない。あの少年もまた、わたしという強き存在の前には、運命の下では墓参りは為せない」

 

 鬼の嗅覚はおはぎの残り香を嗅ぎ取った。和菓子は門外漢だったが、たぶん美味いのだろう。

 人間も美味い。煮ようが焼こうが、揚げようがお造りにしようがみな一様に美味い。どれほど手間暇をかけても、かけなくても美味い。

 とにかく美味くて、もっと喰いたいという味しかしない。

 

「それを今一度、確かめたい」

「なら、少年一人の力で試させればいい」

「俺に出会ったのも、あの童の命運よ」

「どうあっても殺し合おうと言う事か。しかし命運と言うなら、あの少年はわたしに出会わずとも死ぬ定めだった。ならばわたしが喰っても同じだ」

 

 鬼は短く嘆息し、血鬼術【次板】を発現した。右の掌が裂け、血の滴りと共に重厚な鋼の出刃包丁が生え出る。使いこまれた柄は、悲しくなるほど良く手に馴染んだ。

 

 男は右半身を軽く引き、脇差の切っ先を向けて中段に構え、左手を刀身に添える。

 

 動いたのは同時だった。

 鬼の刺突を跳躍で躱しざまに脇差を左右に二度振り、胸を斬りつけ、顔を足蹴に飛び越した。すぐさま振り返るが裂傷を気にせず鬼が駆け、出刃包丁で男の前腕を斬りつける。

 

 鬼は、しばらく男に付き合ってやる事にした。一度、縄張り争いで他の鬼と殺し合った事がある。再生までの時間差はあるものの、どちらも死なず、ただ痛いだけだ。

 それが無限に続くとなると、諦めが付いた。鬼殺に嗅ぎ付けられるのが嫌でその時は譲ったが、稀血となれば話は別だ。この山中であれば血鬼術も目立つまい。

 すぐに男が折れるだろうと鬼は思っていた。だが──

 

 鬼は息を荒くして、血だらけの男をねめつける。斬りつけ、包丁を突き立てられ、抉られようとも折れる気配がまるで感じられない。幾たびも蘇る鬼との闘いは、初めてではないのか。

 

「殺し切るつもりか」

 

 そう呟き、血が滲み続ける出刃包丁を握りしめる。このままやり合っては夜が明ける。陽の光を浴びる訳にはいかない。

 

 血鬼術【花板】

 

 鬼がそう念じると突然、男の身体の至る所から様々な包丁が内に外にと生え出た。肉を裂き、臓腑を貫き、腱を断ち、ようやく地に伏した。

 

【次板】によって生み出された包丁は、鬼の血を媒体としていた。故に鬼の血である包丁は出血し続け、【花板】によってその血が一斉に包丁となったのだ。

 地面に落ちた血からも生えるので、辺りに包丁が散乱している。

 すぐさま男の大弓を引っ掴み、へし折った。矢が数本刺さった身体のまま、稀血の匂いを頼りに少年を追う。

 

 振り返ると、遠くで赤い瞳の人影が糸人形のように起き上がっていた。

 

 だが再生速度ではわたしが勝っている。弓による追撃も心配ない。たとえ追いつかれようと、また同じように【花板】で時間を稼げばいい。

 

 ほどなく走っていると、夜目の利く鬼の眼に石垣の名残や建築の土台のようなものが見え隠れしだした。

 こんな山奥に? と首をかしげないでもないが、とにかく匂いを追う。道はとうに無く、大雨や地震によって土砂崩れ起こし、風化した山を行く。

 

 やがてぽっかりと開けた場所に出た。大きな岩影に向かって鬼が言った。

 

「もう、諦めろ、本当は薄々気付いているのだろう」

 

 鞘と曲げわっぱを抱きしめたまま、少年は答えた。

 

「そんな事無い! ぼくは、墓参りに来たんだ!」

「墓など、無い」

「そんな……そんなわけ」

 

 少年は震える声で鬼の言葉に立ち向かおうとしたが、出来ないでいた。誕生日にしか食べられないはずのおはぎの味が、まだ舌に残っていたので。

 

「仮にここに墓があったとして、たとえあの廃村にあったとしても昼中では宿場街まで戻れず、夜の森を通ることになる。なのになぜ、食料がおはぎしかない」

 

 なぜ、と、ことさら重要そうに鬼は言った。

 

「なぜ、荷物の中に線香の一本も無い」

 

 そんなわけ無い! そう叫んで岩陰から姿を現し、少年は曲げわっぱを片手に抱えたまま、鞘を構えて泣き叫んだ。

 

「きっと……忘れちゃったんだ! それか、それかお金が無くて買えなかったんだ……借金取りが家の物を、お線香も全部持ってっちゃったからだ!」

「きみは結局、何も為せない。参るべき墓すらここには無い……喋り過ぎたな」

 

 鬼は振り返ると同時に腹を深々と刺されたが、代わりに男の腕を掴んで力の限り背負い投げて地面に叩きつける。

 柔らかな地面は陥没してひび割れるほどで、背から打ち付けられた男はがぼりと吐血した。

 

「お侍さま!」

 と少年が駆け寄る。

 

 刀がなまくらでなければ、手こずっただろうなと男を見下ろす。案外、吉兆とは稀血でなくこの男なのかもしれないと考えてみる。この異様な不死を、鬼を統べる鬼舞辻さまに献上すれば評価してくださるだろう。評価され、いずれ上弦の月となったとして、だから、なんだ、なんになる。

 鬼の舌ではもう、料理など……もっと美味いもんを、作ってやりたかった。

 いや、とかぶりを振り、胸の脇差をずるりと引き抜いて少年に近づく。

 

「どのみちきみは死ぬ定めだったのだ。一家心中か、一人かの違いしかなかった。ならわたしに喰われてもいいだろう。生きたまま喰いはしない。墓参りは、これで終わりだ」

 

「違う、ぼくのご先祖さまはここで生まれて育ったんだ! 父がそう言っていた!」

「逃げ回るにしても、気を付けてくれ。ここは身を投げるにうってつけの断崖だから。こんな所に住む人間たちはいない。きみもわたしと同じく、何も為せずに終わっていく」

「ご先祖さまは()()を守る戦で死んじゃったんだ! おばあさんだけ落ちのびて、だから、だからここには……ぼくはここの」

「こんな辺鄙な場所で何を守ると言うのだ。見ろ、雲が晴れてゆく」

 

 ふと男が気付いて仰向けのまま空を見上げた。嗚呼、この秋空は、と。

 分厚い暗雲が流れゆき、まばゆい月光が山の姿を暴いた。幾度か崩れ落ちた山肌や、覆い尽くす自然。鬼の言う通り、何も無かった。戦って守るべきものなど、もはや何一つ見当たらない。

 周囲を険しい山に囲まれたこの地で、何をめぐって戦が起きたと言うのか。

 

 いや、起きたのだ。遥か昔、満月が明かしたこのすすき野原で確かに。

 

 男の指に、忘れようはずもない感覚が触れた。割れた地から、僅かに柄頭が覗いている。

 迷わず掴み、男は立ち上がった。

 

「もうよせ、墓は──」

 と、鬼は地中から刀を引きずり出した男に一瞬口を閉ざして続けた。

「──墓参りは為せなかった。きみはそれを見届けた。満足してくれ」

 

「俺にも、為すべき事がある。国は無くせど、まだ、民は生き残り、ここにいた」

 と男は大太刀を構えた。白い柄、睡蓮の鍔に両刃の黒い刀身。

 

「いまさら何を為す。急にこの少年に情が湧いたわけではないだろう」

 鬼は【次板】で出刃包丁を握る。刀を地面から掘り出したのは驚いたが、怖くはなかった。あれもまた日輪刀ではないからだ。死ぬ恐怖は無い。

 

「その命」

 

 至近距離での一撃は一瞬だった。刀が鬼の心の臓腑を貫き、包丁もまた男の胸を突いていた。

 

 かつておのれに誓った言葉を、もう一度口にする。

 

「踏みにじらせは、せぬぞ」

 

 鬼に今まで感じた事の無い虚脱感が広がった。心臓は決して再生されず、日輪刀で頚を落とされるか陽の光でしか死なぬはずの鬼の身体に、不死を許さぬ死が蔓延していった。

 鬼は不思議な安堵に包まれていた。これでようやく、人間などという煮ても焼いても変わらない美味い餌を喰わずに済む。

 鬼殺では得る事のない、恐怖の無い死。吉兆とはこの事かと満ち足りた。

 最後に力を振り絞って、少年に告げた。

 

「線香はわたしが荷から盗った」

 

 見え透いた言葉を最後に、鬼は息を引き取った。

 日輪刀や陽の光で死ぬように肉体は霧散せず、安らかな顔の遺体はそのまま残った。

 

 

 

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「倒したのですか?」

 

 少年が男を案ずるように近寄った。

 

「ああ」

「そう、ですか」

 と意気消沈して続けた。

「ぼくは、結局、何も出来なかった……」

 

「……いや。そこにおはぎを供えてやってくれぬか」

 

 男の指したのはすすき野原の断崖から、遠くまで続く峰を見渡せる場所だった。

 そのまま墓標も無い場所で手を合わせる。

 

 男はかつてこの場で、祖父を過去より黄泉帰らせた。

 亡き者の時間を過去から現し世へと移動させた分の刻は大きな反動となり、術者である男を現し世から数百年先の未来へと押し出したのだ。

 そうしてまた、戻って来た。風化し、地名すら消えた見る影もない故郷へと。

 

 黙祷が終わると少年が問いかける。

 

「ここは、この場所はどなたのお墓なのですか?」

「葦名の墓だ」

 

 男は少年に視線をやり、続けて言った。

 

「お前の先祖が葦名を守る戦で死んだのならば、葦名の墓であるここは、お前の先祖の墓に他ならん」

「じゃあ、これで父も母も浮かばれますか」

「ああ」

「ぼくはお墓参り、出来たんですね」

 

 ぽろぽろと泣き出した少年に頷いてやり、しばらくしてから思い出したように言った。

 

「おはぎを一つ、貰ってもかまわんか?」

 涙を拭い、少年はぜひと答えた。

 

 岩を背に、二人で座る。

 男がおはぎを掴んで頬張った。

 

「どうですか?」

 

 満月の夜空を見上げ、懐かしむように答えた。

 

「とてもうまい」

 

 

 

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 とある宿場街の店の主人は、たまに怪訝に思う事がある。ひどく疲れ、おびえたような人がやって来る。

 どこへ行くのかと問えば、本人にもよくわからないそうだ。

 

 そのようにして東北にある険しい山間に、ぽつりぽつりと人が訪れた。

 目の前で鬼が人を喰っているさまを見た者や、かろうじて鬼から逃げた者。鬼の存在を信じてもらえず、心に傷を負った者が、不思議と吉兆を覚えてぶらりとやって来たのだ。

 

 暗い森を抜け、丘を行き、気休め程度に整備された山道を歩くと、山村に辿りつく。

 似たような境遇の村民が、山の上で柿を育てて暮らしていた。

 水が良いのか、滋養があるともっぱらの評判でよく店に並ぶ。移住する人が増えてきた今、山葵もどうかとやってみたが、これがまた美味いらしい。東京の料亭にも出せるだろう。

 

 ただ、そこそこに人がいるものの、外界とは閉ざされがちなので、まれに鬼がやってくる。

 そんな夜は、必ず天候が乱れて雷雲が空に満ちた。

 

 鬼の前に、赤い目をした一人の男が立ち塞がる。

 人の身でありながら雷を操り、不死を断つ黒い刀を振るった。

 

 鬼が息も絶え絶えで、捨て台詞を吐く。

 

「こんな、ちんけな村、いずれ鬼に、十二、皆殺しにされる。みんな、死ぬ」

「どれほどの鬼が来ようとも」

 

 と男は刀を鬼に突き立てる。

 

「俺が、葦名を生かす」

 

 数百年前の山彦が、いま、返った。

 赤い柿の多く実る、葦名と再び呼ばれるようになったこの山間で。

 




山彦返りて豊穣の柿 完
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