ある日、森の中、くまさんに出会った。



※『小説家になろう』様にて同じものを投稿しております。

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森のくまさん

 辺境伯家の姫さまは、とても退屈していました。

 数日前から、城の外に出てはいけないと、お父様である辺境伯に申しつけられていたのです。

 けれど普段からお家の中で、御令嬢らしく振る舞うよりも、お外で駆け回って遊ぶ方が好きな姫さまは、そろそろ限界が来ていました。

 そして唐突に思いつきました。

 

「そうだわ!きのこ狩りをいたしましょう!」

 姫様は猪のように行動的な方でした。

 思いついて40秒で支度をし、お城を抜け出すと、国境付近の森に入ったのです。

 

「フフフン、フンフッフフ、フンフフフ〜♪」

 某きのこの歌的な鼻歌を歌いながら、上機嫌な姫さまは、食べられるきのこを次々と、持っているバスケットに入れていきます。

 姫さまは割と食い意地が張っているので、食べられるきのこをちゃんと知っているのです。

 

「まいたけをほうれん草と一緒に、キッシュにするのはどうかしら。

 マッシュルームはオリーブオイルで煮てアヒージョに。

 しめじはバター炒めにしましょう。

 ぬめりのあるハナイグチは、和え物に。

 ナラタケは勿論、あっさりしたスープの具よね♪」

 厨房に渡して何を作ってもらおうかと、きのこづくしメニューをうっとりと思い浮かべて、うっかり流れそうになったよだれを拭いた姫さまは、気がつくと結構森の深いところに入ってきていました、

 

「あら、いけない。

 これ以上入ったら、さすがに出られなくなりそうね。」

 薄暗くなってきた周囲にようやく気がついて、姫さまは元きた道を戻ろうとして…視界の端で、木立が動いたことに気がつきました。

 ハッとしてそちらを振り返ると…

 

「グワオォォウ!」

 なんと木々の間から巨大な熊が現れ、姫さまを見つけた途端、咆哮をあげて襲いかかってきたではありませんか。

 

「きゃああぁっ!!」

 熊の全速力は時速50キロ。

 人間が走って逃げたところで、逃げ切れるものではありません。

 姫さまは瞬間死を覚悟し、恐怖のあまり目を閉じました。

 ………が。

 

「グッ……ウウウッ!!」

 …いつまで経っても熊の牙も爪も、姫さまの身体に触れることはなく、耳元で呻き声と、ガチガチと歯を鳴らす音が聞こえるのみです。

 獣の生臭い吐息すらかかるくらい、その(あぎと)は顔の近くまで迫っている筈でしたが、姫さまは恐る恐る、閉じていた瞼を開きます。

 そこには、間違いなく大きな熊の顔がありましたが、熊は何故か、その首を左右に振っています。そして、

 

「危ない……ところだった。

 俺は、とうとう、人を食い殺す、ところだった…!」

 驚くことに、唸り声と共にその口から出てきたのは、人間の言葉だったのです。

 

「あなたは…一体……?」

「やめろ……俺に近づくな!」

 どこか苦しんでいる様子に、姫さまが思わず声をかけると、熊は素早く姫さまから距離をとって、後ろへと飛び退りました。

 そしてその大きな前足を振り回して、姫さまが歩み寄るのを制します。

 …一瞬現れたその瞳が焦げ茶色をしていたのを、姫さまは確かに見ていました。

 

「…俺は魔女の呪いを受けて、この姿に変えられた。

 その瞬間に魔女は、俺の部下に殺されたが、故に呪いを解く方法は失われた。

 今は辛うじて意識を保てているが、その時間も少しずつ短くなってきている。

 そして今、貴女の姿を見た瞬間、食い殺したい衝動が、抑え切れないほどに膨れ上がった。

 もし食ってしまっていたら、恐らくその瞬間、俺は心まで本物の獣になっていたのだろう。

 ……人の、血の味を知った、人食い熊に。」

 言いながら熊は、姫さまの姿を視界に入れぬよう、不自然なくらいその首を、あさっての方向に向けています。

 その背中が震え、声に苦痛が現れていました。

 

「……だから行け…逃げろ!頼む、逃げてくれ!!

 俺の心が、獣の本能を、理性で抑えていられるうちに。

 そして、憲兵に伝えてくれ…ここに、危険な人食い熊が現れたと。

 ……殺してくれ。

 俺が、本物の人食い熊になってしまう前に!」

 悲痛に叫ぶその声に、姫さまは胸の痛みを覚えながらも、ゆっくりとその場を離れました。

 悔しいですが、この場では姫さまには、何をしてやることもできないのです。

 そして熊と充分な距離が取れたところで、姫さまは全速力で森を駆け抜けました。

 城の前まで走ったところで、ようやく安心して門に寄りかかり、姫さまはそのままへたり込みます。

 走った事と、今直面していた生命の危機により、心臓と肺に激しい負担を覚えながら、自分はどうするべきなのかと姫さまは考えました。

 彼の言った通りにするのが正しいのでしょう。

 けど、本当にそれでいいのでしょうか。

 汗で湿った耳元の髪をかき上げて、姫さまはハッと気付きました。

 

「…イヤリングを片方落としてしまったわ。」

 気に入っていたものでしたが、生命が助かった事を考えれば、些細な事と諦めるしかありません。

 

 森の方角から、獣の咆哮のような声が聞こえた気がしました。

 

 数日前より外出禁止令を出されていたのは、森に魔獣が現れたという噂のせいでした。

 憲兵に伝えるまでもなく討伐隊が出ていたと知り、姫さまは胸に何かがつかえたような気持ちを、拭い去ることができませんでした。

 ええ、別にこっそり城を抜け出して森に行った事を、辺境伯であるお父様にこっぴどく叱られた事や、きのこ料理を食べ過ぎて胃もたれを起こした事は、この際関係ありませんとも。

 

 そうして、鬱々とした気分を抱えたまま、自分の部屋に戻った姫さまは、唐突に思いつきました。

 

「そうだ、聖女になろう。」

 猪のように行動的な姫さまは、相当大それた事を京都行こうみたいなノリで言うと、すぐさま家を飛び出して、街の外れの神殿に飛び込みました。

 

 ☆☆☆

 

 それから1年の時が流れました。

 森に住む魔獣は未だ人間を襲う事はなかったものの、獣とは思えぬ狡猾さで討伐隊の裏をかいて逃げ回っており、退治されぬまま過ぎる時の間に、森近くの民家の家畜が襲われて持ち去られたり、作物が荒らされたりという、ごく普通の害獣のような被害は出ていました。

 

(本人の意志とは関係なく、いざ殺されるという段になると、獣の本能が身を守る行動を取らせるのでしょうね…)

 今回、もしもの時の治療人員として討伐隊に加わった姫さまは、この1年でみっちりと、聖なる力の修業に励んできました。

 人を獣に変える呪いについても調べましたが、元に戻す具体的な方法はどの書物にも書かれてはおらず、せめて心安らかにとの思いから、姫さまはこの場に立っておりました。

 

「居たぞ、魔獣だっ!!」

 討伐隊の1人が叫ぶのを聞き、ハッとしてそちらに目をやると、かつて目にしたそれよりはるかに巨大な、10メートルはあろうかという熊が、森の中から現れました。

 

(え!?ひょっとして熊違い!!?)

 姫さまが戸惑っている間に、突進してくる熊に、立ち向かおうとした兵たちが次々と、呆気なく跳ね飛ばされていきます。

 爛々と燃えるような真っ赤な目には理性の光などなく、熊は立ち上がると蹴散らした人間たちを見下ろして、勝鬨のような咆哮をあげました。

 

 ……その、大きく開けた口の中に、何か小さな光るものがあるのを、姫さまは見つけました。

 正確には、歯に、何かが引っかかっているのです。

 

「あれは……もしかして、私のイヤリング…?」

 姫さまがそう無意識に呟いた瞬間、熊は不意に動きを止めました。

 そうして、ゆっくりと首を巡らせると、姫さまの姿を視界に捉えます。

 先ほどまで、赤く光を放っていた瞳は、今は単なる焦げ茶色に変わっています。

 

「やっぱり…あなたでしたのね。」

「貴女は……あの時の?」

 再び聞いたその声は、あの日より嗄れて聞こえましたが、声の響きは確かに同じものでした。

 つか、魔獣とはいえ喋る熊が、そうそういるとも思えませんが。

 

「そうか……貴女が俺を、殺しにきてくれたのか…!」

 どこか嬉しげに聞こえるその声に、姫さまの胸がつくんと痛みます。

 

「…呪いだと聞いていたので、それを解く方法を探しましたが、見つけられなかったのです。

 せめてあなたが心安らかに逝けるよう、その命が尽きる瞬間を、聖なる歌で送ろうと思い、ここに来ました。」

「そうか……ならば聞かせてくれ。

 貴女の歌を聴きながらならば、俺は獣の本能に邪魔されず、生命の終わりを受け入れられる気がする。」

 言ってる間に、熊は以前のサイズに戻ると、地面に四つ足をついて、姫様に歩み寄りました。

 というか、巨大に見えていたのはどうやら、その身に纏った魔気であったようでした。

 

「では……」

 姫さまは、聖なる歌を歌い始めました。

 この世の全てを慈しみ、その魂を鎮める歌を。

 歌い終わると同時に、その心臓を貫くつもりで、その手に小剣が握られています。

 それを知っても熊は逃げようとも、まして姫さまに襲いかかることもせずに、じっと姫さまが歌い上げるのを聞いていました。

 

 ふと、その茶色の瞳から、涙が一粒こぼれました。

 次に先ほどまで歯に引っかかっていたイヤリングが、シャリンと音を立てて地面に落ちました。

 熊は反射的に、そのイヤリングに手を伸ばし……その手が、剛毛に覆われた熊の前足ではなく、人間の手に変わっている事に気が付きました。

 

「なにっ……!?」

 驚いて立ち上がり、両手で全身に触れるのは、先ほどまでは大きな熊だったはずの、逞しい体躯の人間の青年でした。

 姫さまはあまりのことに、思わず呆然としてしまいました。

 

「…俺は隣国の王子だ。

 森に住む魔女に求婚され、それは無理だと断ったら呪いをかけられた。

 凶行が王の御前で行われた為、魔女は部下の兵士の手にかかったが、その死の間際に魔女は言った。

 この呪いは、真実の愛でしか解けない。

 ゆえに自分が死ねば、俺は一生この姿のままだと。

 …だが貴女は、そのまことの慈愛をもって、俺の呪いを解いてくれた。

 この生命、この忠誠を、全て貴女に捧げる。

 どうかこの俺の妻になってほしい。」

 熊だった青年は、そんな姫さまの手を取ると、そう言ってその指先に、誓いの口づけを落としました。




『森のくまさん』という童謡で、自分から『お嬢さん』に逃げろと言う『くまさん』の行動を、昔から疑問に思っていたので、その自分なりの解釈を形にしてみました。


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