これは、胡蝶しのぶに恋をした一人の転生者の話。
 これは、どこにでも居る一人の弱き隊士で終わった男の話。
 名もなき鬼滅の刃の話。

 恋愛企画リンドウ杯の参加作品です。

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 恋愛企画リンドウ杯の参加作品です。
 気が向いたら他の方の作品もよろしくお願いします!


自滅の刃

10/1

 

 日記をつけようと思う。

 俺は凡人だった。

 前世でも今世でも凡人だった。

 前世ではコンビニのサラダチキン食って剣道やってサラダチキン貪って剣道の大会に出る、そんくらいしか自己アピールできるとこがない凡人。好きなパンはもちもちパンだった。

 今世だと、鬼に親を殺されて鬼殺隊に入ったが、階級・丁で止まってる。

 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の中の丁。

 三年経っても丁。

 悲しい。

 鬼を殺す鬼狩りの鬼殺隊―――強い奴も入れば弱い奴もいる、分かってはいたんだが。

 

 なんか上がれない奴はいつまで経っても上がれないのが鬼殺隊の常識らしい。

 早い奴は鬼滅隊に入って一年以内に柱か階級・甲が見えてくるとか、才能あれば鬼をガンガン倒すから階級さっさと上がるとか、雑魚は階級上る前に死ぬとか。

 そんな話ばっか聞く。

 つらい。

 階級上がんねえよ本当に。

 そんな凡人の俺だから、色んなことを忘れる。

 だから、書き留めておこう。

 時間が経てば忘れてしまいそうなこの記憶の内容を。

 

 俺が前世で、この世界のことを、漫画として見ていたことを。

 その知識を。

 忘れないように。

 何もできない俺が、せめて何かを成せるように。

 

 お母さ

 

 

 

 

 

10/2

 

 胡蝶しのぶさんに日記が見つかりそうになった。

 あっぶねあっぶね。

 そういやここの施設は業務の関係上あの人が何度も来るんだった。

 気を付けないと。見られたら俺の選択肢が減る。

 ここに書いたこの文章を、一日一度読み返し、心に刻むこと。自戒!

 

 さて。

 俺がこの世界に転生した時、『鬼滅の刃』はまだ完結していなかった。

 竈門炭治郎達の物語。

 悲しいことも辛いことも沢山あるが、それだけではないお話。

 その結末を俺は見ていない。

 

 だけど、信じてる。

 

 最後は鬼舞辻無惨を倒し、優しい者が勝ったはずだ。俺はそう信じてる。

 

 正しさってやつはよくわからない。

 日曜朝のヒーローが言ってること丸パクリするなら、俺でもまあ言えるけどね。

 でもここは鬼滅だ。

 正義の味方が勝つとは限らない。

 人は守られずに簡単に死ぬ。

 そして、悪役が倒されないままずっと笑ってる。

 ここは日曜朝の世界じゃないんだな、これは。

 

 だから俺は『正義は勝つ』とは思わない。

 でも『優しい奴』が最後に必ず勝つと、信じてる。

 

 鬼舞辻無惨もかわいそうな奴かもしれない。

 生きるためには他人を殺すしかなかった。

 他人を食うしかなかった。

 それしか生きられないなら、その殺人は罪なんだろうか?

 たとえば、自分が生きるために友達を殺して食料を奪ったアフリカの子供は、生きるために他人を殺した重罪人として扱っていいのか? って話。

 

 うん、分からん。

 分からんが。

 俺は個人的には『かわいそう』で終わらせておくべきだと思ったな。

 

 かわいそうな何かがあっても今罪を重ねてるなら、倒すべきだ。

 そういうとこが一貫してたから俺は鬼滅の刃が好きだった。

 優しい人が哀れな敵に同情しつつも、迷いなく刀を振ってぶった切る。

 ちゃんと悪に殺されてる罪なき人々を見てる。

 悪に同情しないでちゃんと殺すから、一般人がしっかり守られてんだよなあ。

 あの優しさと強さに痺れたもんよ。

 柱の人達のサイン欲しいけど我慢しなきゃいかん。

 

 だから無惨ぶっ殺すのはしゃーないとこあるよね。

 鬼殺隊は悪くない。

 元人間でも殺人罪とは思わん。

 鬼はガンガンぶっ殺していこう!

 

 分かってる。

 分かってるんだが。

 分かってるんだけどな。

 重々承知してるはずなんだが。

 

 ダメだ。

 情けない。

 人の形をしたものを斬るのが、なんか嫌だ。

 ……俺は、鬼を殺すことと、人を殺すことを区分できてない。

 俺はただの人殺しなんじゃ

 

 殺せないわけじゃない。

 鬼も結構狩ってきた。

 でも慣れない。

 肉の感触に。

 刀の感触に。

 人の断末魔と同じ鬼の断末魔に。

 失われる命に慣れない。

 鬼が死ぬ時も、人が鬼に殺される時も。

 全然、慣れる気がしない。

 

 

 

 

 

10/6

 

 今日、仲間が死んだ。

 昨日も仲間は死んでる。

 明日も仲間は死ぬだろう。

 

 今日はちょっと、日記を書く余裕がない。

 明日あるかも分からない。

 とにかく。死にたい気持ちを一度落ち着けて。

 

 どんな形でもいいから、書き残しておこう。

 色んなことを忘れる前に。

 この感情が薄れる前に。

 絶対に忘れないように、書き残さないといけない。

 

 俺が鬼の命乞いに殺すのを躊躇ったから、仲間が死んだ。

 

 

 

 

 

10/11

 

 一人の人間として戦おう。俺は頭が良くないけど、それは正しいことだって信じてる。

 

 何が正解か俺は知らない。

 何をすればいいのかも知らない。

 誰も教えてくれない。

 学校ではそんなこと誰も教えてくれなかった。

 俺には答えが分からないし、そもそも問題も分からない。

 問題も知らないまま答えなくちゃならないのがこの状況だ。

 

 だからせめて、優しく居よう。

 それだけは間違いじゃないと思う。

 『鬼滅の刃』は、優しい奴が最後に笑って終われるはずだ。

 笑うのは死んだ後になるかもしれないけどな。

 せめてそこは、信じたい。

 

 やってしまったことを忘れないように。

 死んでしまった人を忘れないように。

 殺した鬼を忘れないように。

 忘れないでいよう。

 守るために。

 生かすために。

 間違えないで、生きていくために。

 

 力が欲しい。

 

 

 

 

 

10/12

 

 テンションが上がった昨日の俺の日記キモくない?

 普通にキモい。

 キモすぎる。

 とりあえず日記には後日、ちゃんとしたものを書くとして、概要をまとめておこう。

 

 10/6に鬼の襲撃あり。

 狙われたのは山間の農村。

 昔はこういう村が突然消えてもそんな話題にならなかったとか聞いた覚えがある。

 まあ大正となりゃ頻発はしないだろうけど、歴史に残ってない村消滅くらいはあるかも。

 防衛に動いたのが俺達、鬼殺隊20名。

 俺は下級隊士を連れて……俺のせいで、全員死んだ。

 

 言い訳のしようもないくらいの判断ミスだった。

 絶対に忘れちゃならない。

 

 そんな俺をあの人は……胡蝶しのぶさんは、慰めてくれた。

 励ましてくれた。

 姉と比べるとキツい性格の妹とか言われる人だけど、親しい人なら皆分かる。

 面倒見が良くて、周りをよく見てて、他人の痛みを見逃さない。

 あの人は、優しい人だ。

 

 いけね。

 好きになりそうだ。

 顔もすごくいいけどスタイルも本当に優しい笑顔のいい子だ、胡蝶さん。

 

 こんなにチョロかっただろうか、俺は。

 なんというか虫だな。虫。

 光に集う虫。

 日に群がる、日の様に輝けない虫。

 

 胡蝶さんが原作で輝いてたことは覚えてる。

 もう原作の内容は日記にメモしてた内容しか確認できないくらい、昔の記憶もぼんやりしてきてるけど、前世でも好ましく思ってたことは覚えてる。

 そうだ。

 輝いてたんだ。

 誰も彼も、鬼滅の刃って作品の中で、その一つの世界の中で、輝いてた。

 だから皆大好きだったんだ。

 

 俺はあの時鬼滅の刃読んで受けた感動を、勉強頑張るとか部活頑張るとか、そういうのにしか活かせられなかったけど、今はもう少しできることがある。

 この手の中には刃がある。

 俺が頑張れば人を救える一本の刀が。

 漫画読んだ時に胡蝶さん達の生き様に受けた感動があって、頑張ったんだから。

 直接顔を合わせて胡蝶さんに救われて、その優しさに覚えた感動があるから、俺はもっと、もっと、もっと、頑張りたい。

 

 頑張ろうぜ、俺。

 

 励まされて、慰められて、でもずっと落ち込んでるのは失礼だと思う。

 せめて、もらった善意くらいは返そう。

 返すために頑張ろう。

 立ち上がろう。

 胡蝶さんがほんの少しでいいから、「あの時彼を助けてよかった」と思えるように。

 そう思ってくれたら、俺は嬉しい。

 

 戦おう。鬼を殺すことに嫌な気持ちを覚えるのはなくならない。それでもちゃんと戦おう。

 

 辛いことがあっても、頑張って立ち上がった奴らこそが、鬼を倒して鬼舞辻無惨を倒す物語……鬼滅の刃は、そんな話だったと思う。

 俺が好きなキャラ達は、作品の中でそう生きてたと思う。

 もう記憶は曖昧になってきてるけど、だけど、好きだった気持ちは覚えてる。

 その記憶は間違いないはずだ。

 だって俺の目に映るあの人達は、本当に懸命で、本当に輝いてるから。

 

 俺はあの人達の生き様に、恋するように憧れるんだ。

 そうなれないとは分かってるけど、そうなりたいって思うから。

 

 

 

 

 

10/20

 

 原作知識は開示しないようにしよう。

 悩んだが、これが一番な気がする。

 

 原作の鬼滅の刃知識。

 これはとても強いと思う。

 鬼の数の総数と、鬼滅の刃本編に登場した鬼の数の問題で、割合的に見ると90%以上の鬼の詳細とか分かんねえんだけど……上弦の能力が分かってんのはデカい。

 こいつの開示は無駄にはならない、と思う。

 

 だけど。

 だけどだ。

 正解ってのが俺には分からない。

 

 原作の知識ってやつをこの数年活かそうともしてみた。

 だけど、全部空回り。全部空振り。

 俺の浅知恵は全部ダメダメで、人が死ぬばかり。

 最近は、原作で死んでた人を助けたら、その代わりに原作で名もない人々だった、けど今は俺の大事な仲間で友達である人達が、代わりに死ぬんじゃないか? って思えてきた。

 

 だってそうだろ。

 原作の知識を使って死人を0にするなら、強くなきゃ無理だ。

 鬼は誰狙ったって死人出せんだから。

 煉獄さんはすげえや。

 原作読んだ時に覚えた感動はまだ忘れてない。

 あの人は全員守りきったんだ。

 俺は全然守れてない。

 自分の手で色々やればやるほど、前世で見た人達の凄さと素晴らしさを実感する気がする。

 

 力が欲しい。

 人が死ぬたびにそう思っている。

 思う度に、日記に書いておく。この気持ちを絶やさないために。

 

 原作知識は開示しない。

 何が正解か俺にはさっぱり分からん。

 何かやらなきゃいけねえ、って気持ちもあるし。

 何かやったら裏目に出る、って気持ちもある。

 原作知識と俺なりに向き合って、俺なりの答えを出した。

 

 一つは、『原作は奇跡のような噛み合い方をして勝ってきた』ということ。

 もう一つは『未知は人間の味方をした』ということだ。

 

 原作は凄い綱渡りだったと思う。

 たとえば鍛冶屋の街(正式名称忘れてるぅー)とか、分身クソゲーの半天狗と攻撃が当たったら即魚化の壺(正式な名前忘れた)が逆の所に現れてたら負けてた。

 確かそうだったはずだ。

 読んでた時そういう感想を抱いて感心してたし俺。

 人を救いに救って、そういうとこにズレが出たら?

 奇跡の勝利を掴んだ原作からかけ離れて、妥当な敗北になってしまったら?

 

 俺は責任取れない。

 雑魚だから。

 俺の存在のせいで何かがズレた時、俺はそのズレを修正できない。

 下弦にもタイマンなら勝率0だろうっていう確信がある。

 原作の流れを変えて良いのは……強い奴だけだ。多分。

 自分のやったことの責任も取れない奴が無責任に何かをすべきじゃない。

 それがとりあえず俺が出した答えの一つ。

 

 未知。

 よく知らん、ということ。

 そして知らないからナメてるってこともここに含まれる。

 

 上弦の鬼は100年以上顔ぶれが変わってないとかかんとか。

 んでもって上弦の鬼の奥の手は誰も知らない。

 いや俺は知ってるけど。

 上弦の鬼の能力に対して断片的な情報から推論残してる人はいる。

 いや、それだけじゃねえ。

 鬼の生態。

 鬼の弱点。

 鬼の殺し方。

 そういうものを見つけてきたのは、数え切れないほどの先人達。

 死んでも何かを残した人達が、鬼という未知を既知に変えてくれた。

 だから今の時代の人間は鬼をちゃんと狩れてるわけだ。

 そういう人達を見てると俺も何かを残したいと思うけど、まあ、うん。

 

 対し、鬼は人間に対して未知なところが結構ある。

 人間を舐め腐ってるし。

 人間は鬼ほど長生きできないのと、鬼殺隊は若くして戦死する人が多いせいで、鬼から見れば信じられない速度で鬼殺隊の隊士達は入れ替わる。

 上弦の鬼は100年入れ替わってないが、鬼殺隊の中核メンバーは早けりゃ数年、遅くても20年でほとんど入れ替わってる。

 鬼と戦い、弱ければ死ぬ。

 若くなくなったら死ぬ。

 上弦とエンカウントしたら死ぬ。

 人を守るために連戦したら疲労で死ぬ。

 俺達鬼殺隊はヤバいくらいの勢いで死んで、だけど後続や新人が居るからいくらでも補充されていって、新しい戦術を使う奴が俺達を殺した鬼を殺して仇を取ってくれる。

 そういう仕組だな。

 

 だから、鬼は大体の場合、鬼殺隊のメンバーに対して未知だ。

 鬼に殺された奴が遺言とか残してくれてたら理想だ。

 その遺言をヒントに、俺達の意思を継いでくれた奴が、初見殺しの技で鬼を殺してくれる。

 柱になるような化け物ともなりゃ、そういうのがなくても鬼にとっちゃ未知の強さで、十二鬼月でもなきゃ瞬殺だ。

 こわっ。

 

 鬼滅の刃原作で、未知は人間の味方をしてた。

 と思う。

 人間は強い鬼の未知を戦いの中で既知にしていって、鬼の能力を丸裸にして、どうしようもない状況まで追い詰めて首を切っていた。

 強い鬼は最後の詰めの部分で、人間側の奥の手とか、新しい技とか、信じられないほど強い未知の爆発力だとか、そういうのに予想をひっくり返されて殺されてた。

 未知は人間の味方をしてたはずだ。

 だから鬼滅の刃で強い鬼が人間に倒される時、人間はいつも驚いてねえし、鬼の側はいつも驚いてる。……驚いてた。

 俺の記憶にはそう残ってたから多分そうだ。

 

 俺が未来を知ってるとか、そういうことを明かして、その情報が広く流れたらどうなる?

 その情報がまかり間違って、鬼に流れたらどうなる?

 俺は善逸のクズ兄とかを知ってる。

 鬼殺隊だって人間だ。

 聖人で在れなんて言えねえ。

 死にたくなければ情報を流すのもしょうがないと思う。

 人間として当然だ。俺はそれを責められない。だけど。

 情報が流れることだけは看過できない。

 

 まだ鬼殺隊に来てもない時透無一郎を今の内に殺そうってなったら?

 まだ柱になってない冨岡さんや胡蝶さんを殺そうってなったら?

 いずれ最高の戦力として奮闘する現役柱の不死川君を今の内に潰しておけってなったら?

 鬼はそれができる。

 彼らがどこかに戦いに出れば、その姿は鬼の目に留まる。

 そうしたら無惨が上弦を差し向けるだけで終わってしまう。

 原作で奇跡を掴んだ凄い奴らは、成長前に殺されて、何もかも終わってしまう。

 

 『未来を知らない』という前提は、鬼よりも人間に味方する……それが俺のもう一つの答え。

 だから原作知識は口外しない。

 俺はこれを墓まで持っていく。

 頑張るしかない。

 俺が頑張るしかない。

 原作という道筋を外れないように。

 俺とかいう異物が転生してしまったことで生まれたズレを直していく。

 頼れる人はいない。

 こいつは俺が抱えるべき秘密だから。

 誰にも話さないまま、一人で戦っていくしかない。

 

 でも、願ったんだ。

 死んでほしくないって。

 原作では名前のなかった人達。

 背景で死んでいく鬼殺隊士。

 皆と知り合った。

 皆と話した。

 生きてたって死んでたって原作の流れには関係ない、原作のネームドキャラとは根本的に違う人達。だけど、俺にとってはもうモブじゃない。

 原作っていう奇跡の道筋から離れない程度になら……皆の命を救いたいって、思ったんだ。

 

 今の所は原作通り。

 多分。

 神様じゃないから俺の見えてる範囲で判断するしかないんだなこれが。

 この路線を守りたい。

 

 あー。

 文章にすると分かる。

 俺は滅茶苦茶に迷っている。

 

 俺は皆の勝利を信じてるけど、そんだけだ。

 俺が途中まで読んでた鬼滅の刃最終回が、無惨をぶっ殺したハッピーエンドだと信じてるだけなんだ。

 死人が出ないとは信じてない。

 多分沢山死ぬ。

 それが嫌だ。

 本当は、全部明かしたい。

 俺が溜め込んでるもの全部聞いて欲しい。

 皆で解決策を考えたい。

 原作で死んでた人が皆生き残って大勝利みたいな結末があるならそこに行きたい。

 

 だけど、どれが正解なんて誰も教えてくれないから。俺が、一人で選ぶしかない。

 

 結果論でしか語れねえだろうけど、もし間違えてたら……俺は、どう謝ればいいんだろう?

 あんまり考えたくはない。

 怖い。

 誰にも話せない。

 怖い。

 俺が原作を変えなかったせいで死んだ人は、俺が殺したようなもんなんだろうか。

 俺が原作を変えようとして死んだ人は、俺が殺したことになるんだろうか。

 怖い。

 何を選べば良いのか分からない。

 誰か俺を見つけてくれ。

 誰か俺に教えてくれ。

 俺はどうすればいいんだ?

 刃を握って、才能も何もない身で毎日鍛錬して、一般人と仲間を守るために必死に戦って、でもそれだけじゃダメなんじゃないのか?

 俺に他にできることはないのか?

 俺はできることを全部やってないんじゃないのか?

 誰かどうか教えてくれ、どうか、頼む、本当に。

 

 俺は誰にも死んでほしくない。

 物腰柔らかな姉と違ってぶっきらぼうな振る舞いをしてる胡蝶さんも、一緒に怪我人の手当てとかしてた時にぽろっとそう言っていた。

 思い出すだけで胸の奥が暖かくなる。

 同じ想いが優しいあの子の中にもあった。

 それだけで、俺も少しだけ優しい人間になれた気がする。

 ウジウジ悩んでないで戦おう、って気持ちになれる。

 

 はい。

 俺はあんなに年下の子に恋はしません。

 俺はあんなに年下の子に恋はしません。

 俺はあんなに年下の子に恋はしません。

 ふう。

 文章に書くと落ち着くなコレ。

 気の迷いを捨てるために定期的にやろうか?

 いや効果あるか分からないな。

 

 天元君にだけは悟られないようにしよう。

 あいつはこういうのいじるの大好きだからな……

 絶対「おいおいおい、恋をすることで救われてる乙女か?」とか言い始めるわ。

 

 

 

 

 

12/20

 

 落ち着けるために今日の日記は長めにしよう。

 毎日書いてるけど今日はちょっと長めに書こう。

 うーん落ち着いてないな俺。

 冨岡義勇と会いました。

 俺が原作で一番好きな男キャラ。義勇さんめっちゃかっこいいよね。

 

 なので義勇さん呼びしたら、なんかものっそく不器用に絡まれた。

 年上だから??? 冨岡さん、それはなんですかね。

 敬語使われたのは本当になんで?

 

 冨岡義勇より俺が年上ってことにピンとこねえ!

 おかしいな。

 どうなってんだこれ。

 『冨岡さん』ってナチュラルに呼んだら、呼び捨てでいいって言われて年上扱いされた?

 なんだろうこの。

 感覚がおかしくなってますね?

 俺の中では冨岡さんだったというか、前世は年上の人だったのになにこの、何?

 冨岡さんを冨岡君と呼んでる俺と、俺に対してさん付け敬語で話してる冨岡さんに、違和感っつーかエラーが起きてる。

 そうじゃないでしょ。

 冨岡さんはさあ……俺のこと呼び捨てにして、敬語なんかも使わないしぶっきらぼうに接するけど、それは冨岡さんが不器用だからで俺を見下してるわけじゃない、みたいな。

 そういうのじゃない普通?

 

 敬語の冨岡さんに違和感がある。

 あれ?

 冨岡さん鱗滝さんへの手紙で敬語使ってたっけ?

 いやどうだっけ。どうでもいいことだからメモしてないな。

 冨岡さんに年上に敬語使う礼儀正しいキャラのイメージがない。

 まさかあれか。

 これが解釈違いって奴か。

 

 原作読んで持ってたイメージを無残に崩壊させるとか、現実の冨岡さんは腐女子が書いた二次創作の冨岡さんみたいなことするんだな。

 厄介なオタクには気をつけろよ。

 

 

 

 

 

1/9

 

 本日昇格して俺の階級は乙。

 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の乙。

 同期の中では一番階級が上になった。

 俺が強いとかそういうのじゃない。

 俺が才能あったとかそういうのじゃない。

 今月、俺の同期の最後の一人が死んだ。そんだけの話だ。

 

 今週で最前線で戦い続けて四年目。

 柱の戦術と技術を取り入れる方針はあんま間違ってなかったらしい。

 最近はちょっとずつマシになってきた。

 これで下弦とか殺せるくらいになれたら、上弦相手に時間稼げるくらいになれたら、そうしたら俺も誰も死ななくていい道を

 欲張らず、落ち着いて、堅実に。

 皆自分が死ぬことは覚悟してる。それが鬼殺隊だ。

 鬼舞辻無惨を殺すために、無謀なことをせず積み上げていこう。

 

 今日も胡蝶さんは可愛かった。

 会話できるだけでなんだか嬉しい。

 ……これ日記に書くことかあ?

 

 

 

 追記:胡蝶姉妹や冨岡君や天元君……色んな人に祝われた。めっちゃ嬉しい。とっても嬉しい。なんか涙が出た。

 

 

 

 俺は、間違ってるんじゃないのか?

 

 

 

 

 

1/22

 

 一回整理しよう。

 最近ちょっと情勢の理解が足りない。

 もうちょっと人間サイドと鬼サイドへの理解深めておかないとどっかで失態しそうだ。

 ただでさえ俺は鬼エンカウントで交通事故みたいに死ぬ雑魚なんだからさあ。

 

 今日は飲み会だった。

 俺あんま酒飲めないんですけど~?

 毎回言ってんのにな。

 柱が主催する飲み会は基本的に断れない。

 何故か?

 柱は偉いからです。

 くそっ。

 柱と一般隊士の距離を近付けつつ、上下関係をしっかり刻み込むのだ。

 そして俺はそこそこ古参枠に入ってるので、俺が柱の誘いを断らない姿を見せることで、後輩達に示しをつけるのだ。なんか本当に最低だなこの仕組み。

 流石鬼滅の刃本編と半分くらいメンツが違う柱世代だ。ノリが違うぜ。

 俺厳密には不死川君と同門の風の呼吸一派だが他の流派にも借りが多いので、どんなに嫌でも逆らえないの笑えるぞこれ。

 

 でも最近胡蝶さんとか不死川君とか冨岡君とか普通に誘う人いるからな……飲み会にあの子ら来たら俺が逃してあげないと……鬼滅の刃本編の一つ前の世代の柱達が飲みニュケーション大好きとか原作に書いてなかったぞ!

 書いてなかったよな?

 書いてなかったと思う。

 あ、ファンブック買ってなかった! 前世で死ぬ前に買おうと思ってたのに! 今買い損ねたまま死んだこと思い出した! あっ! どうしようもないのに悔しい! もしかしてあそこに先代柱の情報とかあったのか!? あああああ! 悔しい! どうしようもないことなのに悔しい! この感情を書き散らしてやる! ちくしょう!

 

 

 

 

 

2/25

 

 甲に昇格した。

 超嬉しい。

 甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の甲。

 ただこれ強さの評価じゃないっぽいな。

 こんな早く昇格する理由に心当たりがない。

 となると。

 お館様あたりがなんかした気がする。

 

 箔付けってのが一番ありそうだ。

 最近お館様は育手の不足に悩んでたからな。

 一般人を鬼殺隊見習いまで育て上げ、入隊試験突破を成させるのが育手の仕事。

 俺を鬼殺隊の象徴である柱にするとあまりにも柱の格が下がってしまうので無理だが、甲まで上げてから引退させれば、箔付けの終わった育手として使うことができる。

 箔付けは大事だ。

 原作でも善逸の兄弟子のクズ(名前が書けない)も元柱の育手っていうネームバリューに心惹かれてた感じだったし。

 お館様は俺に箔付けしてから引退させて、俺を育手に配置し、近年ひっそり懸念されてる育手の絶対数不足を補うつもりか?

 多分そうだろうな。

 

 ああ、でも。

 新人が死ににくくなるならいいな。

 新入りは本当に死にやすい。ごめんなさいごめんな俺が守れなかったことも多い。

 新人を鍛えてから戦場に出す育手の充実は鬼殺隊にとって本当に重要なことであると言える。

 この予想が正しかったら。

 俺はその仕事に戦力を尽くそう。

 無駄に前線に出て原作からかけ離れた流れを作っちまう必要もない。

 鬼殺隊では人を育てることと、人を守ること、それはほとんどイコールであるはずだ。

 

 力が欲しい。

 はっきり言えばよかったのに。前線に居たらお前は死ぬぞ、弱いから、って。

 気遣うなよ。

 もっと。

 もっと皆の隣で戦いたかった。せめてこの手で、仲間と人を守りたかった。

 

 

 

 追記:仲間に祝われるのって、何度されても嬉しい。本当にそう思う。もう昇格で祝われることはないだろうけど、とても嬉しかったことは書き残しておこう。絶対に忘れないように。

 

 

 

 

 

3/14

 

 悲鳴嶼さんと不死川君と飯に行った。

 初めて行く飯屋だったがくっそ美味かったので日記に記録しておくことにする。

 

 しかし悲鳴嶼さんは強いな。

 なんでこの人こんなに強いの?

 死ぬ気配がない……現実で共闘してるとマジでそう思う。

 二人も俺の昇格に思うとこがあったらしい。

 二人の意見も聞いたが、育手にしたいんじゃないかという見解は三人一緒のようだった。

 ああ、やっぱそうなるんだなって、納得なんてどこか穏やかに納得している自分がいた。

 

 悲鳴嶼さんが嬉しいことを言ってくれた。

 いつも我々は共に戦ってる、って。

 戦う場所が違うだけだ、って。

 現役で最強の呼び声高い彼にそう言われるだけで、とても誇らしい。

 俺は彼らと肩を並べて戦ってきて。

 これからは遠く離れるけど、それでも共に戦うんだ。

 俺達は仲間。

 俺が沢山の隠し事をしてても。

 死ぬと分かってる鬼殺隊士を見捨てるに等しい裏切りをしてても。

 俺達は仲間。

 仲間なんだ。

 だから俺は、ハッピーエンドを願いながら、最悪なことをし続ける。

 これは本当に正しい選択なのか?

 

 俺が育手になるようお館様に打診されるのは……夏あたりだろうか。

 あと数ヶ月。

 何事もなけりゃいいんだけどな。

 

 いつものように不死川君におはぎをあげた。

 俺のお手製のおはぎは今月とうとう「次のステージの美味さ」に辿り着いたんだよなあ……とか思ってたらいつもの反応が返って来なかった。

 いやいつものお礼は返って来たんだが。

 余計な一言がくっついてた。

 胡蝶さんに作ってやってくださいとか言ってきた。

 は? おい、誰に何を吹き込まれた?

 なんでそこで胡蝶さんの名前が出てくるんだ、お?

 まあ胡蝶さんともお別れだな。寂しいし辛いまあしゃーない。

 しょうがない。

 しょうがないんだ。

 しょうがないことがこの世には多い。

 

 力があれば何か変わったかもしれないが。まあ無いんだししょうがないよな。

 

 

 

 

 

3/28

 

 片目失くしちゃったよ。

 うーん日記書き辛い。習慣になってるけどやめようかな。

 

 まさか俺が、柱になる前の煉獄君を助けるなんて。

 あれ。

 前世だと煉獄さんって呼んでたっけか。

 まあいいや。

 

 こんなところで煉獄君が死ぬようなピンチになるわけがない。

 煉獄君は生き残る。

 そして希望を、未来を繋ぐんだ。

 だから今回の最悪の巡り合わせと不運のピンチは、多分俺のせいだ。

 俺は生まれてきちゃいけな

 自業自得ってレベルじゃないな。うん。

 自分のせいでピンチになった煉獄君を自分で守って目ン玉と頭蓋骨の表面抉られて失明?

 ギャグみたいだぁ。

 

 まあ事後対処と止血が上手く行ったから数日後には任務に復帰できるだろう。

 呼吸での止血etcを覚えた呼吸の剣士は再生も速いんだ。化け物みたいだな。

 しかし物理的耐久力は上がらないから簡単に事故死みたいに死ぬ。

 俺も、煉獄君もだ。

 俺達は人間だ。一瞬のうっかりで、誰だって死ぬ。そういうもん。

 

 俺が助けた煉獄君とか、手当てしてくれた胡蝶さん(妹)が暗い顔してたのが申し訳ない。

 そんなたいそうなことじゃないんだが。

 俺は死にたくないけど死んでないし。

 ちゃんと原作に繋がる可能性を残せた。

 まだいける。まだ大丈夫だ。

 何よりあれだ。

 俺より年下だしな、煉獄君も胡蝶さんも。

 守ってやりたいって思うのは当然じゃないか。

 たとえばここから猗窩座に煉獄君が殺されないようにするとして、そこから鬼舞辻まで殺すルートを想定してみよう。まず

 

 未来を繋げる君達を守れたら俺は嬉しく感じるんだ、と言った。

 伝わっただろうか。

 伝わっていたら嬉しい。

 煉獄君は大丈夫そうだった。

 煉獄君の表情から暗さが消えて、燃える炎のような輝きが戻ってた。

 ああ。あれでいい。あれがかっこいいんだ、煉獄杏寿郎は。

 心配なのは胡蝶さんの方だった。

 いつものちょっとぶしつけな感じが全然してないというか、しおらしいというか。

 そうだ、それで。

 

 なんであの子は泣きそうな顔で「どうか、ご自愛ください」って言ったのか。

 なんで俺の手を握ったあの子の手は、あんなに暖かかったのか。

 俺は、正しく分かってない気がする。

 ちゃんと考えておかないと。

 

 俺は信じてる。

 信じてるから立っていられる。

 きっと……最後の最後には、皆笑って終われるはずだって。

 

 自分で選んだ選択くらいは、最後まで貫かないと。

 

 

 

 

 

4/2

 

 

 ああ。

 今、思い出した。

 あの場面、漫画で見た奴だ。

 日記を沢山書く気が起きない。

 

 信じられないくらい寒い春だ。

 

 暖かさが全然無い。そんな気がする。

 

 なんでだ。

 

 なんでカナエさんは死んだ? なんで誰も守れなかった?

 

 なんで俺は、カナエさんを命懸けで助けようとしたんだ?

 

 

 

 

 

4/9

 

 俺は多分、人が死ぬのが怖いだけだ。

 

 自分の選択の結果、自分の大切な人が死ぬのが怖いだけだ。

 

 自分の死も仲間の死も飲み込んで、死体を踏み越えて戦っていける鬼殺隊の皆とは違う。

 

 俺は姉を守れなかったことを胡蝶さんに謝るべきじゃなかった。

 

 俺は何もかも間違えてる。

 

 鬼を殺すことも、未だに嫌だと思っている。未だに。鬼殺隊のくせに。鬼が人に見える。

 

 俺は、最低だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胡蝶しのぶの姉、胡蝶カナエの戦死から二週間が経とうとしていた。

 胡蝶カナエを守れなかったある隊士と、胡蝶しのぶが二週間ぶりに同じ任務に参加する。

 それは、鬼殺隊が千載一遇の好機を掴めるかもしれない任務であった。

 偶然、鬼殺隊士が鬼舞辻無惨が人を鬼にしているのを発見。

 鬼舞辻無惨がどんな姿をしてたかまでは直接確認できなかった、が。

 素早い情報伝達によって、偶然近場で任務にあたっていた柱数人が投入。

 甲・乙・丙などの上位クラスは怪我人も含めて総動員。

 『無惨を包囲網で囲んで殺せるチャンス』に、後先考えない戦力投入が行われる。

 

 かくして。

 柱と、柱になれるレベルの人間と、それに次ぐ力量の人間が投入された戦いで。

 『彼』は、胡蝶しのぶを庇い、鬼舞辻無惨の手刀に貫かれていた。

 

 『彼』に突き落とされたしのぶが、山の急斜面を転がり落ちていく。

 全集中・常中ができる人間はこの程度で怪我などしない。

 上手く着地していくだろう。

 そして、鬼舞辻は咄嗟に突き落とされたしのぶに気付かないし、しのぶは鬼舞辻をひと目見ることもないまま安全圏まで転がり落ちていく。『彼』の目論見通りに。

 鬼舞辻無惨と胡蝶しのぶを会わせない。

 それが、彼が最後に果たした、彼の最後の意地。

 

 ずっと昔。

 『彼』が、生まれる前に読んでいた本があった。

 その本に夢中になった。

 ただの漫画だけど、人生が変わるくらいの影響を受けた。

 好きなキャラがいた。

 好きな女の子がいた。

 『生まれる前から好き』だった。

 沢山のキャラがいて、その多くが輝いていて、『彼』はそれに魅せられた。

 

 太陽に魅せられた月のように。

 炎に魅せられて死んでいく虫のように。

 惹かれるままに死んでいく虫のように。

 虫が光に心惹かれるような恋をした男が、一人居た。

 

「無駄な足掻きだな。

 女一人生かして何になる?

 私を倒せるとでも思ったのか?

 仲間を助ければそんな結果に繋がると?

 残念だったな。お前と同じようなことをした者は多く居る。

 過去に私はそういう者を何人も見てきた。

 だが、私を倒せた者は一人もいない。

 私は今も生きている。

 お前が生かしたあの女も、どこかで無価値に鬼に食われて死ぬだろう」

 

 『彼』が鍛えた武技も、何の意味もなかった。

 何の価値もなかった。

 積み重ねた武技は鬼舞辻無惨に全く通じず、虫けらのように蹴散らされ、今『彼』の腹を鬼舞辻無惨の手刀が貫いている。

 鬼舞辻無惨と『彼』の力関係は、人間と虫けらくらいにはあった。

 

「お前のように弱いくせに戦場に出たがる人間は大変だな?」

 

 声も出せない男の口から、穴の空いた風船のような音が漏れる。

 

 無惨はいたぶるように、その手足をもぎ取っていった。

 まず刀を持つ左腕。

 次に不死川におはぎを作ってやっていた右腕。

 仲間と共に歩いた左足。

 悩みながらも選択し、前に踏み出した右足。

 一本一本、もてあそぶようにもぎ取っていく。

 

「お前は弱い。

 だがそれは人間が弱いからだ。

 鬼は強い。人間などとは比べ物にならん。お前も鬼になれば強くなる」

 

 そして、遊びに遊んだ、瀕死の彼の肉体に―――鬼舞辻無惨は、己の血を注ぎ込む。

 

 まず、理性が消えた。

 次に、記憶が消えた。

 最後に心が消えた。

 肉体は鬼へと変じ、正気を失った元鬼殺隊士の肉体が、無惨の指示するままに動き始める。

 

 人を殺せ。

 人を喰らえ。

 鬼殺隊士を殺せ。

 流れ込んで来る鬼舞辻無惨の意思に、その肉体は抗えない。

 

「奴らは目障りだ。その身を捨て石として、奴らの手の内を探ってこい」

 

 諸悪の根源・鬼舞辻無惨。

 

 彼にとって他人の命など、炎に群がる羽虫程度の重みしかなかった。

 

 

 

 

 

 胡蝶しのぶが斜面を転がり落ちる自分の体を止め、斜面を駆け上がり、

 「早く助けないと」

 「早く謝らないと」

 「姉さんを守れなかったことを責めたことを謝らないと」

 と心の中で叫びながら彼を助けるべく疾走し、彼を見つけた、そこで見たものは。

 

 彼を襲っていた鬼(鬼舞辻無惨)はもういなくて。

 鬼になった『彼』がいて。

 彼が食い散らかした農村の子供達の手足と血肉が、無残に転がっている光景だった。

 

「―――」

 

 しのぶはすぐに刀を抜けなかった。

 彼が人を食っている。

 子供を食べている。

 細い手足を口に入れて、むしゃむしゃと咀嚼している。

 首の無い子供の胴体に犬のように口をつけ、内臓をガツガツ食っている。

 涙に濡れた子供の頭をバリボリ噛み砕いている。

 

 それは、胡蝶しのぶが憎み嫌う鬼そのもので―――憎しみや嫌悪とは正反対の感情を抱いていた彼であることは、間違いなくて。

 しのぶは、歯を食いしばった。

 

 彼は光に惹かれる、虫のような恋をした。

 

 光に惹かれれば。

 渦中の人間たちに惹かれれば。

 原作という地獄の最前線に踏み込み、命を救いたいだなんて思ってしまえば。

 虫は燃え尽きるしかないと……そんな当たり前のことすら気付かずに。

 

「……私は。私、は……」

 

 胡蝶しのぶは間違えた。

 姉の死に傷付き落ち込み、周りに正しく頼ることができなくなり、心の整理もつけられないまま鬼を殺す任務についた。

 視野は狭くなり、鬼殺隊が計算して構築していた包囲網の中で一人だけ突出してしまい、そのカバーに『彼』が入っていた。

 本来隙がなかったはずの包囲網。

 柱数人、準柱クラスも投入できるだけ投入した包囲網。

 最悪の事態に転がっても、朝が来るまで無惨をそこに縫い止めておくための包囲網。

 そこに明確な隙間ができたことに、鬼舞辻無惨が悠々包囲網を突破できたことに、理由がないわけがない。

 

 胡蝶しのぶは間違えた。

 

 彼は鬼になり。

 子供は大勢死に。

 彼は尊厳を陵辱され、鬼として人を食べさせられて。

 鬼はまんまと逃げおおせた。

 結果論で言えば、鬼殺隊は今日この日、鬼舞辻無惨がどんな姿をしていたかという情報を持ち帰ることすらできなかった

 

 鬼になった『彼』がしのぶを見る。

 いつもあった優しさ、慈しみ、仲間を大切にする暖かな気持ちが瞳に浮かんでいない。

 浮かんでいるのは、胡蝶しのぶという人間に対する食欲のみ。

 それが悲しくて。

 苦しくて。

 辛くて。

 流れそうになった涙を、胡蝶しのぶは必死にこらえる。

 

「ごめんなさい」

 

 鬼になった男は跳んだ。

 鬼になって速くなって。

 鬼になって強くなった。

 鬼から人を守れるくらいの強さがそこにあった。

 一般隊士では反応すらできないその突撃を、蝶が舞うような動きでかわし、花のような美しい動きで刺すしのぶ。

 しのぶの細剣一突きは鬼の体を痺れさせる毒を流し込み、一瞬で鬼の体の自由を奪った。

 

 ―――どうしようもないくらいに、隔絶した実力差。何も成せない雑魚の現実。

 

 しのぶの手がそこで止まる。

 今日のしのぶの手持ちから合成できる毒は二種類。

 一瞬で最大限に苦しんで死ぬ毒と、苦しまず10分ほどで死ぬ毒である。

 前者は効率よく鬼と戦いつつ鬼を苦しんで死なせるために持ってきたもの。

 後者は前者を作る素材から作れる、しのぶが使う気のなかった毒である。

 鬼はすぐ死ね、苦しんで死ね、という気持ちが反映された手持ち毒であると言える。

 

 鬼への憎しみがあった。

 子供を食い殺す鬼は苦しんで死なないと償いにならない、というのが彼女の考え。

 けれど、しのぶは前者の毒を抜けなかった。

 彼に対して使えなかった。

 どうしても、どうしても、使えなかった。

 前者の毒を使おうと思うと、頭の中に人間だった頃の『彼』の笑顔がチラつく。

 

 しのぶは諦めて、後者の毒を刀に走らせようとして。

 

「胡蝶!」

 

 風柱・不死川の声を遠くに聞き―――前者の毒を、即座に彼に打ち込んだ。

 

 打ち込んだ瞬間、後悔があった。

 なんてことを、としのぶは思った。

 

 苦しむ彼の表情を見た。

 それを見るだけで、しのぶは泣きそうになった。

 

 見たくないものを一秒でも早く視界から消すように、しのぶは更に毒を打った。

 自分を殺すように、彼を殺した。

 大切に想っていた友を侮辱する(もの)を、尊敬していた友の生き方を侮蔑するものを、一秒でも早く消そうとするかのように、彼を殺した。

 

 胡蝶しのぶから、彼へと向けられる想いがあった。

 尊敬があった。

 信頼があった。

 好意があった。

 謝意があった。

 理解があった。

 その上で彼という鬼を殺した。

 その想いごと、大切な人をその手で殺した。

 

 不死川の声に『鬼になった彼の姿を見て悲しむのは、私だけでいい』と心の中で叫びながら。

 

 憎しみではなく、好意で殺した。

 

「おい……こいつは一体、どういうことだ?」

 

 戸惑う不死川の声が聞こえる。

 この状況で、『彼』もこの場に居ないのだから、その感想も当然だろう。

 しのぶは不死川の顔を見ることができなかった。

 深呼吸。

 深呼吸。

 二度の深呼吸で落ち着いて――落ち着いたつもりになって――しのぶは振り返る。

 

「これから説明します。……少し、時間をください」

 

 不死川がしのぶの表情を見て、目を見開く。

 

「……胡蝶?」

 

 何かを察したような不死川の表情が変わる。

 

 ここに鏡はない。

 

 胡蝶しのぶは、今の自分の顔がどうなっているのか、まるで分かっていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲しむ者は多かった。

 怒る者も多かった。

 憎む者も多かった。

 この日、鬼殺隊が鬼舞辻無惨を殺さんとする理由が、また一つ増えた。

 柱ほど強い人ではなかった。

 人を守れる強い人ではなかった。

 ただ、誰よりも周りを大切にしていて、周りに大切にされている人だった。

 それだけの人だった。

 だから、悲しみの涙が多く流れ落ちる。

 

 けれど、皆前を向く。

 人が死ぬのはいつものことだから。

 大切な人が死んでも、膝は折らない。歩みは止めない。進み続ける。走り続ける。

 いつか、鬼舞辻無惨の元に辿り着き、正しく報いを与えるその日まで。

 今日奪われた大切な人の重みを、あの男に理解させるその日まで。

 彼らは走り続ける。

 

 生者は死者が残したものを継承していく。

 『彼』も、胡蝶しのぶもまた、先人から継承し、後世に何かを残していく一人。

 しのぶは教え子のカナヲを連れて、『彼』の遺品整理に志願した。

 そうして、彼が残したものを一つ一つ仕分けていく。

 

 新人の子のためのお手製冬用上着があった。

 頑張っている年下のためにお菓子を作ってやろうというレシピがいくつも見つかった。

 死んでいった人達の名前と、その人達のいいところを書き残した手記があった。

 一つ一つが暖かな想いに満ちていて、一つ一つが涙を誘うものだった。

 

「師範、日記がありました」

 

「日記?」

 

「あの人が残した日記みたいです」

 

「そう……あの人が」

 

 胡蝶しのぶは、何気なく彼の日記を開く。

 

 そうして。

 

 何かが終わり。

 

 何かが始まった。

 

 

 

 

 

 これは、胡蝶しのぶに恋をした一人の転生者の話。

 これは、どこにでも居る一人の弱き隊士で終わった男の話。

 名もなき鬼滅の刃の話。

 

 

 




 読んでいただき、ありがとうございました。


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