愈史郎は鬼である。珠世が鬼にした唯一無二の男である。愈史郎は珠世を愛していた。だが、彼女は愈史郎を見ない。ずっとずっと一人の男を見ていた。どれだけ尽くそうと、彼女が愈史郎を見る事はない。それでも愈史郎は珠世を愛し続ける。

これはただ一人の女性を愛し抜いた男の物語。

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急に思いついたので書きました。
単行本派の方や、今週号を読んでいない方は回れ右、もしくは後書きは見ない方が良いです。


想いは露へと消ゆ

 愈史郎は鬼だ。だが、あの残酷無比で臆病で腰抜けの鬼舞辻無惨などという輩にされた鬼とは訳が違う。

 敬愛して止まない、かの儚げで清廉でお優しくたまにドジっ娘でお美しい珠世様に手ずから鬼にされた鬼だ。

 二百年以上かけて、珠世様の鬼となったのは愈史郎ただ一人だ。これも愛が為せる御業だと愈史郎は思っている。

 愈史郎には最も忌むべきことがある。それは、大切な珠世様と過ごす時間を妨害される事だ。そして、今まさに有象無象により大切な時間は奪われていた。

 鬼殺隊。

 珠世様の命を付け狙う下賤で弱虫で根性なしの鬼舞辻無惨の滅殺を目論む組織だ。無惨は珠世様を鬼にしたので、ほんの指の爪の先の先ぐらい感謝しているが、珠世様に危害を加えるので早く滅殺して欲しい。その点については、鬼殺隊を応援してやってもよい。愈史郎もそれぐらい広い心はある。

 だが、鬼舞辻無惨を倒すために協力しよう、などと珠世様を誘うとはどういう了見か。珠世様は愈史郎と一緒に過ごすのに忙しいというのに。鬼殺隊というぐらいなので、自分たちで無惨などという鬼は殺してもらいたい。

 しかし、他ならぬ珠世様が協力を了承した。愈史郎は反対したが、『お願い、愈史郎』などと上目遣いでお願いされてしまえば、愈史郎にはどうしようもない。今日も珠世様は美しいので、頷くしかない。

 そうして、愈史郎は珠世様と一緒に鬼殺隊の本拠地である産屋敷邸に来た。

 珠世様は胡蝶しのぶとかいう小柄な女と共に、毎日研究に明け暮れていた。

 

 

「……」

「愈史郎さん、ありがとうございます」

 

 

 深夜、胡蝶しのぶにお茶を差し出すと、彼女は明るい笑顔で愈史郎に感謝した。本来なら珠世様以外に茶など出さないが、珠世様が曲がりなりにも世話になっている女性である。これぐらいの男の度量、愈史郎にはある。

 だが、愈史郎にとって、ここにいる人間は気味が悪かった。この笑顔も気持ち悪い。

 

 

「……愈史郎さんは私の事がお嫌いなんでしょうか?」

 

 

 そんな事も分からないのか、胡蝶しのぶは愈史郎に尋ねてくる。尋ねられたら、答えるしかない。

 

 

「俺と珠世様の過ごす大切な時間を奪うんだ、大嫌いに決まっているだろう」

「いえ、そういう意味ではなく、私個人がお嫌いなのかという質問です」

 

 

 素直に答えてやったら、さらに質問で返された。胡蝶しのぶとは、罵られる趣味でもあるのだろうかと愈史郎は思った。ますます、気味が悪い。

 

 

「嫌いだ」

「どうしてでしょうか?」

「貴様、死ぬ事しか考えていないだろう」

「……そう、見えますか」

「むしろ、それ以外どう見える」

 

 

 珠世様に危害を加えられるとしたら、まずはこの胡蝶しのぶが第一容疑者だ。だから、愈史郎はこの女を汲まなく観察した所、とんでもない事が分かった。

 この女、毎日藤の花の毒を摂取しているのだ。おそらく、足の爪の先まで藤の花の毒に侵されているだろう。胡蝶しのぶは、鬼に喰われるつもりだ。自身を犠牲にして、鬼舞辻無惨の直属の部下である上弦の月を討つつもりなのだろう。これで生きようとしているならば、とんだイカレである。

 

 

「この事は――」

「黙っている。そもそも、興味がない」

「ありがとうございます」

 

 

 嫌いだと言われてなお、笑顔で礼を述べる胡蝶しのぶ。愈史郎にはもう、張り付いた笑顔にしか見えなかった。

 

 

「それでお礼という訳ではありませんが」

「これから珠世様にも紅茶をお出ししないといけないんだ。早くしろ」

「……珠世さんも私と同じ気持ちかもしれません」

「っ!!」

 

 

 胡蝶しのぶの言葉に、愈史郎の目の前が真っ赤に染まる。

 

 

「そんなもの分かっている!!」

「あっ」

 

 

 叫んで、驚く胡蝶しのぶの前から立ち去る。そんなのとっくの昔から分かっていた。

 どれだけ尽くしても、どれだけ愛しても、珠世様の視界に愈史郎が入る事はなかった。

 鬼舞辻無惨。

 あいつが生きているから。珠世様が夫と子どもを殺す切っ掛けを作ったから。あいつを殺さない限り、珠世様の罪の意識は消えない。そして、あいつを殺すのは命を賭したとしても、達成するとは限らない。それでも、珠世様は鬼舞辻無惨を殺すつもりだった。生きるつもりがないと言われても仕方ない。

 だからこそ、死のうとする奴は愈史郎は嫌いだった。珠世様に生きて欲しいからこそ、珠世様のそんな所が大嫌いだった。

 しばらく駆けた愈史郎の頭が段々と冷静になる。いくら珠世様以外の女だからといって、やり過ぎたと今更ながら思った。それでも、謝る気も話す気も愈史郎はなかった。

 そのまま産屋敷邸の広い庭園へと向かう。ここの庭園は美しく、産屋敷邸で愈史郎が唯一褒められると思った場所だった。

 縁側から降りて、広い庭園を歩く。血が上った頭は、それで完全に落ち着いたが、

 

 

「愈史郎」

 

 

 自身の名を呼ぶ可憐な声に、愈史郎の頭は茹だった。

 振り返った先は珠世様だった。今日もお美しくて、愈史郎の心は天に昇った。しかし、外面はあくまで冷静に、彼女と接する。

 

 

「いかがなさいました、珠世様」

「……いえ、あなたと話したい事があって参りました」

 

 

 話したい事!? 夜に美しい庭園で二人きり……まさか、と愈史郎が歓喜に満ち溢れる。だが、ここで慌ててはならない。あくまで冷静に、そして男らしく珠世様に伺う。

 

 

「話したい事、ですか? それは一体?」

「鬼舞辻無惨との戦いについてです」

 

 

 愈史郎の歓喜は一瞬で冷めた。そうか、やっぱり鬼舞辻無惨か。この輩は一体どこまで、愈史郎と珠世様の時間を奪うのか。本当に憎い。

 それでも、愈史郎は顔に出さない。お美しい珠世様の顔を、今は少しも陰させる事は許されないのだから。

 

 

「鬼舞辻無惨との戦い、ですか? 何か決まった事でもあるのでしょうか?」

「あなたには鬼殺隊についていてもらいます」

「っ!?」

 

 

 珠世の言葉に、愈史郎は嫌な予感がした。

 

 

「産屋敷の次期当主様を始め、あなたの血鬼術で全体を援護し、戦略を練るのです」

「……それは構いませんが、珠世様はどちらへ行かれるのです?」

「鬼舞辻無惨に薬を打ち込みます」

「はっ……?」

 

 

 今度こそ、愈史郎の外面は崩れた。今の愈史郎は間抜けに口を大きく開いているであろう。

 愈史郎の様子に、珠世は悲壮に眉根を寄せるが、そんなもの何の慰めにもならない。

 

 

「打ち込むとは? 珠世様、失礼ながら貴女は一体どうするおつもりですか?」

「次の戦いで、私は必ず鬼舞辻無惨を討ちます」

「そういう事を訊いているのではありません!!」

 

 

 愈史郎は激昂した。何の相談もなしに彼女が決めた事に。そして何より、自身の願いと正反対の事を、想いを知ってなお取ろうとする事に。

 

 

「薬を打った所で鬼舞辻無惨に効く保証など、どこにもありません! 効かなかったら、どうするおつもりです!! 効かなかったら貴女は死ぬんですよ!!」

「覚悟の上です」

「俺はそんな覚悟などしていない!!」

 

 

 愈史郎の叫びにも、珠世は揺るがない。ただ申し訳なさそうに、表情を曇らせるだけだった。

 悔しかった。どれだけ尽くしても、どれだけ愛しても。珠世は愈史郎に振り返らない。愈史郎では、過去を振り切らせる事ができない。

 この時、愈史郎にはそれが決して認められなかった。胡蝶しのぶに指摘されたせいかもしれない。

 ――だからだろうか。この時、愈史郎は普段なら決して取らない行動を取った。

 

 

「ゆ、愈史郎!?」

 

 

 抗議をする珠世を無視し、愈史郎は彼女を抱きしめた。小さな体だった。こんな小さな体で、何百年も恐ろしい鬼舞辻無惨と戦っていた。そして、こんな体一つ、愈史郎は救えないのか。愈史郎の目から涙が溢れた。

 もう感情が止められなかった。

 

 

「逃げよう、珠世!」

「……ゆし、ろう……」

「鬼殺隊からも! 過去からも! 鬼舞辻無惨からも! 絶対に手の届かない、どこか遠い所へ行って! そして二人で暮らそう! ずっとずっと――!」

「……」

 

 

 涙が止まらない。想いが止まらない。

 もっと強く珠世を抱く。もう珠世は抵抗しなかった。彼女も愈史郎を抱きしめてくれた。

 だが、期待した答えは返ってこなかった。

 

 

「ごめんなさい」

「っ、何で――!」

「私は幸せになれない」

 

 

 意味が分からなかった。幸せになれない? そもそも、珠世は愈史郎といる事を望んでいなかったのか。そんな嫌な事ばかり、頭を過ぎる。

 愈史郎の嫌な考えを余所に、珠世は体を離すと、上目遣いで愈史郎を見つめた。その瞳には、確かに愈史郎が映っていた。

 

 

「あなたが悪いのではないのよ。私が、悪いの」

「じゃあ、何で……」

「私がたくさんの人を殺した事は知っているわね?」

 

 

 珠世から一度、愈史郎は聞いた事があった。鬼となり夫を殺し、子どもまで殺した。そして、自暴自棄になりたくさんの人を殺した。今もその罪悪感に悩まされている、と。愈史郎はますます珠世を敬愛した。

 

 

「それが、どういう事ですか」

「彼らの声が、どうしても聞こえるの。あなたと()()になっていると、どうして幸せになっているのかって、私を責めてくるのよ」

「今、幸せ――」

 

 

 珠世は愈史郎の頬を両の手で挟むと、そのまま引き寄せた。

 ――唇と唇が合わさる。

 一瞬だったのか、それとも数分だったのか。愈史郎が訳の分からない内に、唇は離れてしまった。

 目の前にいっぱい、珠世が現れる。上気した頬で、蕩けるような笑みを浮かべる。

 

 

「私はあなたと幸せになりたい。そのためには、過去を清算する必要があるわ」

「……」

「綺麗な私になったら、一緒になってくれる?」

「……珠世様は、すでにお綺麗です」

「ありがとう、愈史郎」

 

 

 珠世はもう一度、愈史郎に口づけをした。

 

 

「必ず生きて帰って下さい」

「ええ、約束するわ」

 

 

 今度は愈史郎から、珠世に口を寄せた。

 ――二人は夜明けが迫るまで、飽きずに顔を寄せあった。

 

 

 

 







 愈史郎は珠世の願い通りに、鬼殺隊に紛れ込んだ。
 愛する人のため。愛する人を生きて帰すため。愈史郎は全力で鬼殺隊に協力した。
 しかし、約束は叶えられる事はなかった。


 愈史郎は珠世一人を愛し抜いた。だが、愛が叶う事はなく。
 ――想いは露へと消ゆ。


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