やわらかなあの微笑みと、自分へ向けた熱烈なほどの殺気に身をこがして、しかし男は愛に沈黙する
美しいあの人が、いつか幸せを手に入れるために、己の狂気を口にしない
二つの「人格」に疲弊した青年と狂気に美を見出す男の物語

ピクシブにも投稿されています(2019/3)
続きを非常にゆっくり執筆中

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愛執に狂う

 あるなんてことも無い休みの日。

 

 時折ステージやネストで一緒になるアサシンの青年レンの……オフの日にばったり出くわしただけのこと。

 

 一目見て、どうにも正面から歩いてくる青年に既視感があり、誰だろうと頭をひねって、そして合点がいって手をぽんと叩く。

 

 セントヘイブンを中心に活動している彼が休みの日に街の中を歩いていることくらい当たり前のことなのだけど、あの変わった服装に短刀を帯びた姿しか見た事がなかったものだからあの姿以外をしないものだと勝手に思い込んでいたゆえの盲点。

 

 アサシンの青年……レンは、ごくごく普通のタートルネックに長ズボンといった格好で、いつもの様に覆面すらしていなかった。

 

 今、顔を晒しているように、別に顔を隠すことを目的として付けているわけではないらしく、これまでにも何度か彼の素顔を拝んだことはあるけれど、こんなにも……そう、言うならば、棘がなくて穏やかで、本当に普通の青年らしい面構えだったろうか。

 

 もっと張りつめていて、刺々しく、誰もがお近付きになりたくないか、人を嫌っていて、影がある……そんな近寄りがたくも整った顔立ちだった覚えがあるのに。

 

 平素、鉄臭い血の匂いを纏うアサシンは、今は香ばしいパンの香りをさせている。発生源は首級よりもよほど大事に抱えた紙袋だろう。腕から下げた買い物袋からはみずみずしい野菜が顔を覗かせている。

 

 まさしく買い物帰り。昼飯の健全な調達に出くわしたのだ。共にダンジョンやネストに挑む時にほとんど噛まずに飲み込むような携帯食糧のようなものではなく、戦いを知らずに生きている人間のような、眩しくも温かい食事を取るための。

 

 今まで私の知っていたアサシンレンのイメージとは真逆だった。

 

「あっ。こんにちは。ジュード、奇遇だね?」

 

 警戒心の欠けらも無いような顔をした非武装の青年はこう、朗らかに挨拶してきた。頭の上からつま先まで警戒心やら闘争やらは見当たらない。手には食料品の詰まった袋、足元にはペットらしきハウンド、顔には穏やかな微笑みである。

 

 レンは、普段の「和装」や肩を出した身軽そうな服装とは打って変わって袖の長い少し寸法の大きい服を着ているからなのか、鍛えた体つきすら覆い隠され、適当に長い髪を結い、穏やかにふわりと笑えば……我らが守るべき平凡な民草にしか見えなかった。

 

 常に衛兵がびくびくしながら何かやらかしやしないか警戒する冒険者レンと、誰が結びつけられるのか。たまたま合点がいかなければ私も気づなかったかもしれない。

 

「そうですね。レンさんも今日は冒険者はお休みですか?」

「あぁ、うん。朝からのんびりしているよ」

 

 口調までこんなにのびやかだ。

 

 どう考えても別人としかいいようのないような、穏やかでやわらかな物腰に圧倒される。

 

 なにせ。この丁寧な青年は。普段、つまり戦いに赴く時だって、味方には丁寧な口調ではあるものの。

 

 敵を目前にすると気を違えたように高らかに笑い、斬撃を繰り出しながら狂ったように敵を煽り、狂気にとりつかれれているとしかいいようがないのだ。それでもなんとか味方には害がないので今まで何度か共に戦っても問題は無い、と一応されていたわけだが。

 

 要注意人物として、間違っても仕事以外では会いたくないと内心パーティメンバーに思われているような人物なのだ。

 

「どうかしたか?」

「失礼ながら、随分といつもと印象が違うと思いまして……レンさんでも、休みの日まで気を張ったりしませんよね」

「ははは。見ての通り、休みの日は平和を満喫してるから」

 

 平和を満喫とはどの口が言っているのか。しかし、皮肉で言っている様子はない。本心から穏やかな日常を愛しているようにさえ見える。

 

 その身のこなしも、話し方も、もはや別人と言ってもいい。だが、仕事の時でも見え隠れする正体不明の人の好さが表れていて、本人であると結論付けさせる。

 

 狂いながら敵を切り裂き、そして血に濡れたその手を、彼は困った人の頼みごとを断り切れずに差し伸べるのだ。いびつで、歪んだあり方のアサシン。そこから歪みをすっかり消し去って、穏やかさだけ残せばこうなるのか。

 

「あぁそうだ」

 

 彼は続けて今日の天気の話をするようになんとこともない口ぶりで、とんでもない提案をしてきた。

 

「今から昼食なんだけど。良かったら一緒にどう?」

 

 彼は正直、危険人物一歩手前である。冷や汗が首筋の後ろを伝う。今はこうしてオフらしく大人しく穏やかな様子だが、何かのスイッチが入って戦闘の時のような狂気的で残酷な一面が露出したらどうなるだろう? そして昼食というからにはその場所は助けを求められない密室であるかもしれない。まさかピクニックに洒落こむアサシンではあるまい。

 

 いや……今のレンなら、そうではないとは言い切れないのだけども。藤のバスケットを片手にし、ピクニックと太陽、涼やかな花の香りが似合いそうな好青年である。

 

 たびたびパーティを共にしているのだから、ここで断って気まずくなるのは避けたいところである。そして、断ったということで豹変されても困る。こんなに、見たこともないほど朗らかなのだ、この機会に彼と親睦を深めてあの豹変の原因を調べるのも……ありだと、思う。

 

 仕事の後はみな疲れ切り、特に親しい者以外とはねぎらい以上の会話はせずに解散するのだから、彼のことはあまり知らないのだ。それは向こうも、だろうけど。

 

「いいのですか?」

「……一人で食べるのは気楽だけど、寂しいからね」

 

 レンは寂しげに微笑んだ。

 

 同じ聖職者であり、冒険者であるエダンから話を聞いたことがある。彼にはもともと女性の仲間がいたのだと。彼女を最近見かけないということは……良く見積もっても別れた、そしてこの表情からすれば、亡くなったのかもしれない。

 

 それが彼の豹変の原因なら。いっそ哀れで。

 

 私は、少しこの時彼に絆されたのだ。

 

 どこか魔性の魅力を纏う彼に。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「ハムサンドと卵サンド、どっちが好き?」

「……ハムサンドで……」

「はいよー」

 

 外でピクニックということはなかったが、彼の家でサンドイッチを振る舞われるとは。予想は当たらずしも遠からず、彼は飾りっけのない清潔なエプロンまでして、楽しそうに具材を切り分け、パンにうきうきとバターを塗っていた。

 

 長い袖はまくり上げられ、その下にひっそりと付けていた仕込み武器……さすがにアサシンらしく、街中で全くの非武装ではなかったらしい……もすっかり取り去って。

 

 裏通りにほど近い、少し治安の悪い立地。とはいえそれなりの大きさの家。曰く持ち家ではなく借家らしい。しかしながら集合住宅ではなく一軒家である。彼の稼ぎの正確なものはわからないが、さすがに……不相応である。その日暮らしの冒険者なのだ、流浪の聖職者である己と同じパーティに属しているということは。

 

 そして自分はどう言い繕っても貧乏聖職者、ボロアパートか安宿に寝泊まりする一介のクレリックである。稼ぎの差が生まれる余地があるとするならば、彼の職業を全うしているとしか思えない。それはそう、つまり、暗殺である。

 

 だがこれでも調べたのだ。パーティを同じくする彼の素性を少しでも知るために。危険な人格、間違いない戦いっぷり、闇の仕事において潔白な履歴。それがすべてで、それのみだった。いくら本人の人格に難があっても、暗殺は魔物専門であるということを確信していたのだったが。

 

 と、不遜なことが顔に出ていたのか、彼は無邪気に教えてくれた。ここは事故物件だから家賃が安いのだと。

 

「ここの前の住民がさ」

 

 さて、彼はそれでも狂ったアサシンだ。今は穏やかに見えても、楽しそうに何を言うのやら。自殺か? 他殺か? どうせそんな事件の現場だったのだろう。彼は……まあ、今の様子ではそうは見えないが、あまりそういうことを気にする性質には見えないのだから。

 

「食事前には……血生臭い話はやめましょうよ」

「血生臭くないさ。龍の使徒だっただけ。あれだろう、龍の使徒って言ったらまぁ知らない人はすごく恐ろしく感じるわけ。しかも正体がバレてるってことは、向こうでも消されてるんじゃないかな?

報復でさ、何かの間違いでこの家にこられたら困るって事で安かったんだけど……来ないから家賃あげられそうになったんだよね」

 

 手際よく、そして美しく作り上げられるサンドイッチと裏腹に話の内容は……なんとも言い難い。

 

 龍の使徒……忌むべき者たち。しかし、脅威でもあるはずなのだ。それをこともなげに。

 

「わざとじゃないんだけど、仕事のあとに大家さんに会ったんだよ」

「……?」

「アサシンの仕事着が返り血でぼたぼただったんだ、ははは。おかげで家賃据え置き……笑わないでよ? わざとじゃなかったんだ、ホントだって」

 

 いや、笑ったのではなく、出されたお茶を噴いてしまっただけなのだ。

 

 戦闘においては実に狂気的なレン。当然のように返り血に濡れ、暗殺者というよりは猟奇的殺人犯というべき姿になって帰っていくのはまれな事ではなく。

 

 あんな姿を一般人が見ればそりゃあもう、家賃の据え置きくらいするだろう。

 

 完全に脅しをかけた形になっていることは本人も理解しているのか、声色には困惑と、申し訳なさが混じっていた。悪意は本当になかったのだ。

 

「普段は川にでも飛び込んで、マシにしてから帰るんだけどね? クタクタだったからね? ジュードもそういう日あるでしょ」

「ありますけど……」

「あっ……違った意味で血生臭い話になったのはごめんよ。ご飯にしよう」

 

 並べられたサンドイッチは店で売っているもののように綺麗で、おいしそうだった。これを作ったのがレンでなく、トリアナさんであれば、もしくはエダンであれば、なにも心配することはなかったのだが。……アンジェリカさんよりは、少なくとも外見からしていいのは違いないけれど。

 

「……いただきます」

 

 大丈夫なはずだ、目の前で彼は仕込み武器を外し、今は私の背後のベッドの上に転がっている。普段見かける武器もベッドの横に置いてあるし、何より無作為に並べられている……ように見えるサンドイッチをレンさんは先に口をつけた。

 

「……!」

「やっぱりお昼はサンドイッチだなあ……」

 

 のんびりした口調で目を細めるレンと驚愕に目を見開く私は対照的だった。

 

 本当にあの狂人が作ったのか? ……失礼なことを考えてしまったが。見た目の通りの味だったのだ。正直、見た目は良くともとんでもない味付けでないか疑ったし、劇物が含まれているならばどうにかしてこの場を辞さなくてはならないとも考えていた。

 

 ……杞憂だった。普通に、いや、普通以上においしい。

 

 美味しそうにサンドイッチを頬張る彼の顔にも吸い寄せられる。こんなに穏やかな顔をして笑うのか、と。普段の真っ青な顔色と、対照的な狂気的な笑みばかり印象的である意味とてもショックを受けたのだ。

 

 それは人を惹きつける、柔らかな表情だった。

 

「おいしいです!」

「ほんと? よかった。僕のサンドイッチ、自分でしか食べたことしかなかったから他の人がどういうのかちょっと不安だったんだ」

「それはもったいない……!」

 

 そうかな、と微笑んだ彼。

 

 彼のことを知ろうともせずに避けていたことに罪悪感が募る。他の仲間たちにもどうか彼を必要以上に避けないでおくように言うべきだろうか。……言ったとしても、誰も信じないか、あるいは私が脅されただけだと考えられかねない……のを、否定できない。

 

 否定出来ないのなら。否定出来ないように、私と同じように彼の普段の顔を見れば良いのでは?

 

 幸せそうに、その色白の頬を少し染めてサンドイッチを頬張るレンを見るとどうにも胸の内があたたかくなる。大切な仲間であるのだとようやっと私は認めたのだ。

 

 レンは、私を昼食に誘ったようにとうに認めていてくれたのに。不誠実な私に、こうも真摯に。

 

 それに報いねばならない。胃袋を掴まれ、食後のコーヒーまで頂いてしまいながら私は密かに誓った。まず、彼は一人でいることを少なからず寂しそうにしていたのだ。

 

 それを除こう。……とはいえ、誰が話を信じるのか。少々不安のであるので、レンには悪いが最初は私しかいない。そもそも、彼の狂気的な面は偽りでもなんでもないのだから難しいだろう。

 

 私を通して、他の人にも接する機会が増えればこの穏やかな彼のことを理解するようになるだろう。そうすれば、きっと。彼は一人ではなくなるのだ。

 

 柔らかな笑み、狂った笑い顔。両方がチラついて、頭の中がぼうっとした。どちらも彼で、そして、どうにも魅力的に思えたのだ。

 

「ジュード。今日はありがとう」

「いいえ! お礼を言うのはご馳走してもらった私の方ですよ! 本当に美味しくて、温かな食事でした。このお礼はしますので」

「そんなに、気を遣わなくても。いいんだよ、僕は……まぁ、僕がみんなの立場なら近寄ったりしないタイプの人間だからさ。これからも仕事ではそれなりに仲良くしてくれると嬉しいよ」

「それはもちろん」

「うん」

 

 彼はわかっていた。己がどのように見られているのかを。

 

 その寂しげな微笑みに、私は、ついに囚われたのだ。

 

 丹精に誰かが作り上げたような美貌と、尋常ならざる狂気、そして平素の穏やかな人格。それらを持ち合わせるレンは、一人であるべきではないのだと思ったのだ。

 

 聖職者の端くれである私は、考えてはいない。こうも穏やかな青年の、あの鮮烈な狂気に惹かれたなどとは。そう心の中も偽って。

 

 

 

 

 

 

 

 彼の豹変のトリガーはどこにあるのか。度々パーティを組み、よくよく観察していればだんだん分かってきた。それは戦いであり、それ以外の時はあの休日と同じように穏やかなのだ。

 

「レンさん」

「なに」

「顔に血が付いてます。お怪我はありませんか?」

「……君ねえ、今までそんなこと、気にしてくれたこと無かったじゃないか」

「ふふ」

「そんなにあれ、気に入ったの? ありがとう、怪我はないさ。全部返り血だよ」

 

 戦闘直後、まさに頭からバケツで血を浴びたように真っ赤に濡れる彼に話かけにいったことで、ほかの仲間達からのいぶかしみの視線が背中に突き刺さった。そしてそれは、思いのほか普通に返答するレンに対しての驚愕に変わる。

 

「そんなに濡れて服の洗濯、大変じゃないんです?」

「大変だよ、そりゃあもう。だから黒を着てるんだ」

「そんな理由なんですか」

「これが重大な理由だよ。多少変色してもわからないからね。まったくもう、少しは手加減をしてくれたら……いや、なんでもない」

 

 彼は言葉を濁すと、うっとおしそうに髪の毛をしとどに濡らす血を振り払うような仕草をして私から距離を取った。それを引き止めるように腕を掴むと、あからさまに嫌そうな声で「うわ」と言われた。

 

 ちょっと傷つくが、その頃には硬直していた仲間たちも動くようになっていた。

 

「ジュードさん、どういう風の吹き回しなんですか?」

「ジュード、行きましょうよ」

「レンさんともたまには親睦を深めるべきだと思いまして、そんなに急かないでくださいよ」

「僕と親睦? やめといた方がいいよ、いやほんと、やめといたほうがいいって」

 

 本人は遠慮するものの、そういうわけにもいかない。今日はこの後特に予定がないのだし、レンさんの都合さえ良ければ親睦の絶好のチャンスなのだ。

 

「本人もこう言って……え?」

「レンさんって……こんなふうに喋るんですか?」

「ねぇ、なんだかみんな酷くない?」

 

 血でびしょ濡れの青年は嫌そうな顔のまま私の手を無理やり引き剥がした。

 

「ジュード、ほら、手を見てよ。僕なんかに触るからせっかくのグローブが血塗れで、白い服にもちょっと赤がついちゃったじゃないか。これ、洗うの面倒でしょう、だから下がったのに、もう!」

 

 レンはぷりぷり怒りながら懐からハンカチを掴み出した。だが、掴んだ手がそもそも血まみれであるので、そのハンカチを差し出されてもどうしようもないのだが。本人もすぐに気づき、悲しそうな顔をした。

 

「ごめんね……」

 

 その愁傷な態度は仲間たちには意外だったらしい。

 

「今のは自分から触れたジュードさんの責任だと思いますよ」

「気にしなくていいのよ」

 

 なんて、口々にレンを気遣う。元々気のいい人たちなので、「本当に」関わり合いにならない方がいい危険人物でないならばごく普通に仲間として接しようとする程度にはお人好しなことは理解していた。

 

「……?」

 

 レンの顔は覆面によって半分も隠れているが、困惑に満ちていた。

 

「あのう……」

 

 そしておずおずと言ってのけた。

 

「さっきまで高笑いして魔物を切り刻んでいた相手なんだよ? 皆さんだけで食事にでも行った方がどう考えても懸命なんだけど」

 

 ほーら、頭から食いちぎるかも! と、脅すようなことは言っているが、全く何故か怖くはないのだ。人柄がにじみ出ている、というか。やはり、「豹変」がないならば好ましい人物なのだ。

 

 じりじりと面白そうな人物へ近寄っていく仲間たちを止めず、どうなるのかを見つめていると、レンは縋るような目でこちらを見てきた。

 

 ……まあ、どうもこうもなく、何もしないのだが。にっこり笑うと、レンの目がひくっと揺れた。

 

 味方の服が汚れることを恐れているらしい彼の悲鳴を聞きながら、どこへ食事へ行くべきか楽しく検討することにした。

 

 そもそも、戦いに赴いているのだから、レンほどではないにしても全員何かしらの汚れはあるのだ。血や土埃にまみれ、とても清潔だとは到底言い難い。ならば、そこまで気を遣ってくれずともいいのに。そんなところも、ああ、人がいい、というべきか。

 

 突如、走って逃げたレンが血を落とすために小川に飛び込んだのを慌てて追いかけることになりながら、なんとなくこれからの日々が楽しくなるような希望が生まれ、私は微笑んだ。

 

 彼と少し親しくなってから、心が随分揺さぶられる。

 

 

 

 

 

 

 

「君たちが変わってるのはよくわかった」

「レンさんには言われたくないです」

「まったくだよ。どういう神経してたら僕と仲良くしたいと思うんだよ? 頭おかしいよね? 魔物を笑いながら切り刻むやつなんて。絶対関わりたくないよね? 血でびしょ濡れの、刃物を持った人間なんて、」

 

 彼の言う血でびしょ濡れだった服は着換えられ、もう見ても普通の民草にしか見えない格好になったレン、それぞれ着替えてオフの服装になったパーティメンバー。つるんで街へ繰り出せば、何の集団なのかわかったものではなくなる。私の首から下げられたロザリオも、レンの袖の下の仕込み武器も、大して目立つものでもないのだ。

 

 ソーサレスのミシカとエルフのミリィもただの服を着ているならば、町へ溶け込む。様々なところから、人間以外の種族も集うセントヘイブンではお偉方はともかく、細かいことを気にするような神経質なものは少ない。それに、私たちがいるような表通りから少し離れたところでは特に。

 

「こうしていると全然、普通の男。ちょっぴり刺激が欲しいくらい」

「あのねぇ、聞いてた?」

「私はこういうレンさんのこと、好ましいと思いますよ?」

「うぅ、挟まれた」

 

 そこは男としては喜ぶところなのではなかろうか。すっかり面倒ごとに巻き込まれた、という風情で頭を抱えるレンの背中をポンポンと叩いてやる。……叩いてから、仮にも暗殺者であるレンの背中で妖しい動きをしたのはまずいのでは、とも思ったのだが、拍子抜けするほどなんともなかった。

 

 戦いの中でなければやはり「豹変」はしないのだろうと確信を深める。今のレンは穏やかな好青年でしかないのだ。

 

「じゃ、いつもの店に行きましょう」

「賛成!」

「行きましょ!」

 

 レンはおずおずと仲間たちが突き出したこぶしに握りこぶしを並べた。

 

「ジュード、こういうところにもいくんだね」

「意外、という顔ですね? 見ての通り私は貧乏聖職者ですからね。気持ちよく腹が満たされて、それなりに安全に眠ることができ、静かに祈り、悪しき魔物を討伐できるなら特にこだわりはないのですよ」

「そんなものなんだね、クレリックって。僕の知る人は……なんだか、もっと、高尚だ」

「ああ、エダンさんのことなら、私たちから見ても結構高嶺の人ですからね?」

「そうなんだ」

 

 なんでエダンのことがわかったの? と無邪気に聞いてくるレンから仲間みんなしてさりげなく目をそらす。パーティを組んで一戦、どうみても危ない人物だと思った私たちはこっそりと冒険者を聞きまわり、レンの知り合いを探したのだ。

 

 そして見つけたのはエダンとアンジェリカ、そしてトリアナだった。探せば他にもいたのだろうが、彼らは口をそろえて悪い人間ではないとだけ言っていたのでとりあえずそのまま、ということになったのだ。

 

 ……思うに、彼らはレンと戦いを共にしたことは……あったのだろうか? あるような口ぶりだったのだが。彼らのような、次代の英雄と呼ばれる冒険者にとっては動揺するようなことではなかったのかもしれない。

 

 待てよ? どうしてレンさんを知っていたのがあの人たちなんだ? 実はすごい人だとか、そんなことは……別の意味ではすごい人であることは間違いないのだけど。

 

 レンさんもまた、その次代の英雄と数えられていることを私たちは知らなかった。そうだからこそ、危険人物と言っていいアサシンが冒険者として動くことに衛兵が何一つ咎めず、王城の近くで怪しげな暗器を持つ彼が通りがかっても型通りの敬礼のみであったのだが。

 

 それを知るのは随分あとになる。

 

「なるべく野菜がいいなあ、あるかな?」

「なによ若い男のわりに貧弱ね、がっつり肉いきましょうよ」

「さっきまでアレだよ? あんな肉塊を製造してたのに……僕にはとても……」

「……」

「みんなは平気なんだね。僕より強くてなにより」

「平気なんじゃなくて、平気になったのよ!」

「ごめん、ごめん! そうだよね! 僕と戦ってたらそうだよね! 本当にごめんね!」

 

 己のことについて謝ってはいるがどこか他人事のようだ。これはどういうことだろう。

 

 仲間同士で目くばせする。どうにか彼の秘密を探ろうと。好奇心がうずき、なんとか口を割らせたくなった。もちろん、暴走しない程度に。

 

 大衆食堂に君臨する「あの」レンとか見たくもない。最悪の場合死人が出る。一応、彼は武器を持っているのだから細心の注意でいこう。

 

「いらっしゃーい!」

「今日は四人よ、席をお願い」

「あいよー!」

 

 大将の威勢のいい声に出迎えられ、扉をくぐった。

 

 行きつけの店なのでレン以外は店員とも顔見知りである。ぐいぐいとミシカに手を引かれ、背中は私に押され、隣にミリィが固めている様子を見た看板娘がころころと笑う。

 

 当のレンの顔はこわばっていたが。

 

「あらみなさん、新しい仲間の人ですか?」

「新しいという程でもないですけどね、遅ばせながら親睦を深めに」

「まぁまぁ。くつろいでいってくださいね」

「お気遣いなく……」

 

 戸惑いがちのレンの愛想笑いに看板娘は頬を染めた。思うに、女性受けのいい顔をレンはしている。それを自覚しているかどうかは定かではないが。

 

 なんとなく面白くない。ここにも若い男はいるではないか、と。こんな調子だからいつまでも私は貧乏聖職者なのだろうが。

 

 男の目から見ても、女受けするのは確かにレンのようにすらりと背が高く、しなやかに鍛えていて、その癖女神に計算されたかのように甘いマスクを持っている……それなのに謙虚な男がモテるのは自明である。

 

 威張ったところがないのが良いのだろうな。私だって顔は悪くないと思うのだが、そういう態度がいけ好かないとかそういう……面倒なことである。

 

 しかし、それでもレンに人が寄り付かないのはもちろん高笑いしながら血飛沫をあげつつ魔物の喉笛を刃で切り裂き、息を吸うように心臓を抉るダイナミックなアサシンだからなのだが。いろいろと勿体ない。

 

 何も無ければさぞモテただろうに。いや、何かあってもモテている訳だが。

 

「とりあえずパーっと食べましょ、そうしましょ」

「そうですよ、ミシカの言う通りです。お腹いっぱいになってから考えましょう。私のテレジアもそう言っています」

「君のテレジア、安くないか?」

「ちょっと安いですよ」

「安いのか……」

 

 苦笑いしたレンはメニュー表を眺めた。真剣な顔をして選んでいるのでそっとしておくことにして、別のメニュー表で私たちも選ぶ。レンはあぁ言っていたが話しているうちに平気になるかもしれないので肉料理を多めに。

 

 冒険者は体が資本であるのだから。

 

 次々と私たちが注文を済ませたころになってもレンはまだうんうん唸っていた。目をうろりと動かし、字を目で追いながら、どこか定まらないように。案外優柔不断なのだろうか。魔物を殺す時は近い奴から切り裂く即断即決必殺アサシンであるのに。

 

「結構迷うのね」

「恥ずかしながら……えーっと、今日のおすすめとかで」

「メニュー表関係ないじゃない。そんなの書いてた?」

「迷っちゃって……」

 

 思いのほか疲れているのか、レンはどこか力なく笑う。あれだけ戦闘で大暴れしていれば当然かもしれない。レンはメニューを置くと、出された水をぐいっと煽った。

 

 もしかしたら、字が読めないのかもしれない。……依頼を受けているのだからそんなことはないと思うが、メニュー表の砕けた字体とギルドのの掲示板の活版印刷では趣が違う。

 

 まぁ、ちょっと考えすぎか。

 

「エールはどうします?」

「酔っ払ったアサシンと食卓を共にしようとする判断は間違ってるよね?」

「そういえばそうですね」

「……僕が気にしてたのが嘘みたいだよ、ねぇ、カイトさん。君たち、懐が広いなんてものじゃない」

 

 行儀悪く頬杖をつきかけたレンは慌てて腕を下ろした。そんなアサシンらしからぬ動作にミリィが吹き出し、ミシカは手を叩いて笑う。そんな二人を少し赤い顔で軽く睨んだレンはしみじみしていた。

 

 そのうち料理が運ばれてきて、それぞれ果実酒……ではなく、果汁を手に。

 

「乾杯!」

 

 眩しげに目を細めたレンは、すぐに遠慮しがちの笑顔になった。

 

 

 

 

 

 狂った笑い声が戦場をこだまする。鋭く細めた目が、魔物を射抜き、的確に殺していきながら。

 

「ハハハ!」

 

 ドス黒い血しぶきが飛ぶ。茶色の頭の青年の髪がぐっしょりと濡れて黒に近くなっていく。まったくそれに構うことなくレンは素早く次の標的を見つけた。私たちが攻撃するよりもずっとはやく、そいつの首元を切り裂き、その結果、当然のことながら鮮血を浴びる。

 

 パーティの中で一等賞を決めるなら間違いなくレンである。

 

 あぁ、あの整ったかんばせに、汚らわしい魔物の血がふりかかっている。……彼の容姿が良いからか、実に狂気的だが、それでも決して醜くはないのだ。むしろ、人によっては抗えぬ邪道の美として映るかもしれない。

 

 白い肌が下劣な赤に彩られ、よくよく見れば青白く透けるように顔色の悪いレンの瞳が涙ぐんでいるかのように揺れているのを理解する。狂気的な笑みに彩られた顔が、戦闘の終了と共に一気に理性を取り戻し、さらに顔色を青くして生唾を飲み込む様子もまた、決して不快な表情というよりも、むしろ、彼らしさ、なのだ。

 

 私はすっかり二面性を持つ彼に囚われて、気づけば目で追っていた。平凡に平和を愛する大人しい青年の姿も、戦闘を心から楽しんで狂う破綻者も、両方、見ていたかった。すっかり心を奪われたのだ。

 

 彼は魔性だった。あの狂気的な面ではなく、ただ、私にとって、魔性の存在だった。いとも容易く心にするっと入り込んで、二度と、出ていかない。あの声が、あの瞳が、これまで何も感じなかった危険人物寸前な青年が、あんなにも「欲しく」なるなんて。

 

 だけども、平常時は穏やかな青年であるレンにとっては幸いなことに、手に入れるのには彼の中にあるであろう「失われた女の仲間」の存在が大きかったし、同性でもあったし、またレンが静かに一人で暮らすことに幸せを感じる性質に見えたのでそれを邪魔したくもなかった。

 

 ただ、自然にそこにある血に濡れることを疎み、好む狂人を好きになったのだ。ただ眺めているだけで。少し人よりそばに居るだけで。それだけで満足だった。満足している、と思い込むことにしていた。

 

 ほら、残党を見つけた彼はまた、狂気に身を焦がす。狂気に笑う彼のなんて魅力的なことか。狂気に堕ちる自分をこうも嫌悪する彼の、なんて魅惑的なことか。

 

「苦しめ! もがけ! ハハハハハ! 抵抗してみろ、どうした? その程度か? 奈落の業火をとくと味わえ、ハハハ!」

「あー、今日もレン、絶好調ね」

「絶好調ですねぇ」

「思うにあの返り血は不本意じゃないんでしょうね、そう思いませんか?」

「確かに、あんなに近接で力いっぱい斬りまくってたらまぁ、浴びるわね」

「どう見ても悪鬼かなにかにしか見えませんけど、とっても頼もしいですねぇ」

 

 恐れるそぶりも見せずに魔物の懐に飛び込み、危険な場所で相手が動く前に切り裂く。相手の激昂を煽るかのように言葉を吐きかけ、しかし挑発によっての反撃を受ける前に敵は沈黙する。心底狂っているとしか言いようもない笑い声、らんらんと光る色素の薄い目。

 

 あぁ、なんて綺麗だ。

 

 最後の魔物の息の根を止めたレンは死体を荒々しく蹴飛ばした。あぁ物足りない、もっと戦わせろと言わんばかりに舌打ちまでして。

 

 そして、ふとまばたきするとレンは穏やかさと理性を取り戻したかのように、そう、まったく別の人格になるのだ。

 

 レンは二重人格。なるほど、そう考えれば全て納得なのだ。穏やかなのも、戦いを好むのも、一つのからだのなかに二つ人格があるならばそういうことなのだろう。

 

「あ……」

 

 戦いの後、レンは決まって怯えたように自分の手を見る。血に濡れた手を、武器を見やり、頭を振る。そして、周りに私たちがいることに気づくと正常心を取り戻して、かすかに浮かんだ表情を消す。

 

 その顔を、私は「人を嫌っているような」と称したのだ。人を嫌っているのではなく、ただただ己に怯えているだけなのだろうと思い直した。

 

「レンさん、お疲れさまでした」

「……ジュード、近寄ると汚れますよ」

「近接の私にとって汚れなんて今更ですからね?」

「僕ほどじゃない」

「そりゃあまぁ、あなたは言うならば近接中の近接ですからね」

 

 レンの目は静かだった。怯えはしても、疎みはしても、とうにその「豹変」に慣れているようだった。私たちにその狂気が向くことがないのを知っているのか、その程度は制御できるのか、真意はわからないけれど。ただただ、相手を思いやるその心が美しかった。

 

 欲しくて、欲しくて、私は欲望を抑えきれずに笑みを浮かべた。レンには人好きのする微笑みに見えていると自信があった。

 

「今日はこれから依頼はありますか? ないなら、またみんなで……」

「悪いけど」

 

 レンは私の言葉を遮った。覆面が邪魔で顔が半分も隠れているのでその感情を詳細に読むことはできない。目は暗く、疲れ切っていて、そして拒絶しているのだが、それが本心かどうかまではわからない。

 

「あんまり馴れ合いは好きじゃないし、するべきじゃない。この前誘ったとき、乗ってくれたのは嬉しかった。君たちが誘ってくれた時も、嬉しかった。だけど、普段からつるむつもりは無い」

 

 血でびしょ濡れの美しい人は、張り付く髪を鬱陶しそうに払った。

 

 するべきじゃない、か。ちょっと性急になりすぎたか。

 

 普段は穏やかで平和主義的な彼は、自分がアサシンであることや、戦闘時に狂気的なことに引け目があるのかもしれない。そういうところも好ましいのだけど。いや、単に、一人で過ごすほうが楽というタイプなのかも知らないけれど。

 

 私もそうだ。だけど、それ以上に、レンをもっと知りたくて。だけど引こう。そのうち何かいい方法が見つかるはず。

 

「そうですか。では、気分が乗った時にでも」

「……」

「ジュード、あんたね、ぐいぐい行き過ぎなのよ。悪かったわね、レン。さ、パーっと遊びに行きましょうよ」

「本日は節度を厳格に保つべきではないと私のテレジアが囁いている気がします」

「ほら、真面目で有名なエルフもこうよ」

「ミリィは少しブレてると思いますけどね……」

 

 レンはさっさと私たちに背を向け、投げつけて攻撃したため、そこらに落ちていた小さな仕込み武器を全部拾ってしまうと、魔物の死体を見下ろした。冒険者ギルドにはなにか証拠品を提示しなくてはならない。それを見繕っているんだろう。

 

 今日の報告はレンがやることになっているから口を出すことでもないのだけど、穏やかな中身のレンが武器を握っているのが珍しくてこっそりと見ていた。

 

 さくりと、軽快に刃物は光る。そこに躊躇はない。

 

 中型のミノタウロスの足の指を骨ごと切断したレンは適当にそれを見分すると、布に包み、無表情にザックに入れて背負った。そして私の視線に気づくと、少しまなざしを強くする。

 

「なに、見世物じゃないんだけど」

 

 相変わらず、透けるように顔色が悪い。どことなく、手が震えていた。あの休みの日の朗らかさが幻だったように。だけど、今にもこちらに噛みつきそうだと思ったから、そしてそれが不本意だろうと分かったから、私は踏み込むのをやめた。

 

「なんでもありません。大変失礼しました……」

「そう」

 

 冷たい声を残して、今度こそレンは静かに去っていった。気まずいような、冷たい空気の中、無言でいると遠くから魔物の悲鳴が聞こえた。

 

 それは同時に、レンの心の悲鳴に聞こえたのは、私が彼に魅入られたからだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願いよ、アサシンでしょ」

「だからお断りだよ、リスクが高い依頼より今の仕事の方が安定しているから」

「つまんないの」

「結構」

 

 冒険者ギルドの建物の中でどことなく物騒な会話が聞こえてきたので顔をあげると、レンと知らない女がいた。どうやらアサシンらしい依頼を断ったようだが……レンはいかにも不機嫌そうに、掲示板の依頼書を一枚ひっぺがした。

 

 そして、笑顔を貼り付けたようににこやかなギルドの人間に私を指さされ、あからさまに嫌そうな顔をした。

 

「……またあなたか、ジュード」

「奇遇ですね?」

「謀ってないか?」

「まさか。傾向が似ているだけでしょう」

 

 もちろん、彼の受けてきたこれまでの依頼を調べ、今出ている中で受けそうな依頼を受けて待っているだけなのだが。レンはどうにかならないのかと期待するようにいかにも嫌そうな顔をしたが、諦めて私の隣の椅子にどかっと腰を下ろした。彼にとっては否定材料がなかったらしい。

 

 「私と組む」のが嫌だというよりも、特定個人と仲良くしているように見えるのを苦手としている……そんな風に見受けられるレンにとってはそりゃあもう嫌だろうな。だけど、私はねちっこいのだ。

 

 私は狂気的に笑っているレンも、平穏の中目を細めるレンも、嫌がるレンもみんな好きなのだ。倒錯的だが、事実である。そうとは考えもしないレンは私を密やかに喜ばせている訳だが、もちろん教えたりはしない。

 

「ミシカとミリィは?」

「私たちはいつも一緒という訳ではありません」

「僕と君は最近いつも一緒だけど?」

「気が合いますね」

「気に食わないよ」

 

 レンは足を行儀悪く組みかけ、すぐに下ろした。穏やかなレンは律儀である。

 

「最近ご機嫌が悪いようですが」

「……」

 

 分かっているなら聞くなと言わんばかりの鋭い目線だけ寄越された。しかし彼の性根は温厚で、それ以上の何かはないのだ。

 

「……何かしらの答えがないと食い下がるんだろ」

 

 食い下がりはしないが、このままの関係は続けるつもりでいることはばれているのだろう。

 

「パーティメンバーだから知っておくべきかな、ちょっと嫌なこと……腑に落ちないような、納得ができないような、まあ、悪いことがあってね」

「悪いこと……」

「イラついた気持ちを抑えきれずにうっかりカイトさんに斬りかかる可能性だってある。僕に関わらない方がいい」

 

 いつも通り、顔色が悪い。悪くなかったのはあの休みの日、だけだった。手がかすかに震えているのがわかった。彼に何があったのか、それはわからないけれども。

 

 彼は常に何かに悩まされているのか。

 

「……それとね、もうすぐ僕は、セントヘイブンを経つことになってる。短い間の付き合いだったけど、まあ、世話をかけたと思う。だから急にいなくならないように挨拶だけはしに行くから。詳しいことは仕事だから話せないけど」

「それはエダンさんやアンジェリカさんがセントヘイブンを経つことと関係しているのでしょうね」

「さぁ」

「……いえ、仕事に関して無闇なことはお話出来ないでしょう。聞きませんよ、もちろん」

 

 レンは私の言葉に少しだけ微笑んだ。

 

「君は良い奴だ。仲良くなれて、よかったと思ってる。ちょっと馴れ馴れしいけど、それも普通なら美点なんだろう。ありがとう」

「そんな、今生の別れみたいなこと言わないでくださいよ」

「今生の別れだとは思ってないけどね。一時的にでも戻ってきたら顔を出すさ」

「……はい」

 

 不吉なような、温かいような。そんな言葉だけ残して彼はいつもの様に無口になった。愛想はなく、人を遠ざけるような目をして。彼を知ってからは、己に怯えているとわかる顔をして。

 

 どうしてか、今日の狂気に身を焦がすレンはどこか大人しく、いつもの通り派手に血を浴びていたが笑い声をあげることもなく。

 

 透き通るような青白い顔色のまま、思い詰めたように、レンはそこにいた。

 

 刃を鋭く振るい、的確に魔の命を刈り取りながら、病人のような顔色で思い詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、それから数日後。まだレンからの挨拶はなかったが、だんだんと寒くなってきた日だった。あいも変わらず私は貧乏聖職者なので古ぼけたコートを荷物の中から引っ張り出し、なんとか埃をはたいてそれなりに見えるようにする。

 

 一応破れはないし、ありきたりなかたちだし、まぁこれで何とかなるだろう。この冬も。さすがに防具になると命に関わるのでここまで古くなれば新調もするが、普段着にかける金はこれからもなさそうだ。

 

 街ゆく人々はめいめい厚着をして、足早に過ぎ去っていく。

 

 と、角を曲がろうとすると、ふと見覚えのあるポニーテールの、真新しい黒コートの青年と、元気に薄着な少年が目に飛び込んできて、私はそっと踏み出すのをやめた。

 

 真新しいコート、その持ち主には強い既視感があった。

 

「よう、レン。準備はどうだ?」

「まぁ、進んできたよ。知り合いにセントヘイブンを離れるって話もできたし、あんまり心残りはないかな」

「心残りって……不吉なこと言うなよな!」

「僕はシアンよりもよっぽど暗い性格みたいでね」

「? そうか、レンがそれでいいならいいけどよ」

「うん、これでいいんだ」

 

 二人の声を聞いて、私は咄嗟に隠れた。そう目立つ格好をしていなかったのが幸いだった。

 

 レンの話し相手は……たしか、シアン。エダン、アンジェリカ、トリアナと並ぶ次代の英雄と囁かれる冒険者の一人。歳若いウォーリアー、だがその腕前はベテランウォーリアーでもなかなかねじ伏せられるものでは無いと言う。

 

 やはりか、ほかのアサシンはそうそう目にしないのでレンの強さについてはよく実感出来ていなかったが、彼とたった二人で四人で挑むステージに行っても危なげなく帰ってこられるところから察するべきだったが、彼とて次代の英雄と囁かれる中の一人なのだ。

 

「あー、まぁ、なんだ。オレにこまかいことはわからねぇけど。すげぇ顔色悪いよ。いつも悪いけどさ。大丈夫か?」

「いつも悪いだろ。ならいつも通りだよ。ありがとう」

「……そもそもなんでいつも悪いんだよ。ちゃんと飯食ってるか? それじゃあ死にに行ってるみたいだ」

「食べてるよ。そろそろ吹っ切れるから、大丈夫さ。君たちに迷惑はかけないし、僕は死ぬ気は無いからね。帰ってくる約束をしている相手が一人じゃないんだ。アイオナも、ルビナートも、ジュードも、僕の死を望んじゃいないことくらいわかってる。ちょっと掃除に忙しいだけなのさ」

 

 レンは自分に言い聞かせるように言った。

 

 シアンさんは暫く黙っていたが、心配そうな声をさらに続けた。

 

「それは分かったけどよ……やっぱり顔色悪いぜ。医者にでもかかった方がいいんじゃないか?」

「医者? 僕が?」

 

 心底心外だと言わんばかりの口調だった。医者が嫌いなのだろうか。

 

「……まぁ、無理はしないでくれよ」

 

 シアンさんが立ち去って、そのまま立ち尽くすレンはぼそりと忌々しそうに、こう言い捨てた。

 

「イリュージョンめ……いらない置き土産を……」

 

 イリュージョン。置き土産。意味のわからないふたつの単語。しかしおそらくは私が聞いてはいけなかった言葉。幸いにも、私がいる方向とは逆の方向に歩き出したレンに気づかれることは無かったが、風に攫われて翻る彼のコートから、ふわりと血の匂いが鼻についた。

 

 休みの日のレンから、きつい血の匂いがした。

 

 真新しいコートの意味を、私は理解した気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 街中で次々と龍の使徒の死体、いや、死骸と言うべきか。が、見つかるらしい。龍の使徒はたとえ人間でも討伐依頼の出される、つまり指名手配を通り越して「魔物扱い」なのでこんな扱いでも仕方ないだろう。

 

 その犯人は不明だが、殺している相手が揃いも揃って動かぬ証拠である龍の使徒の装束をまとい、その上大抵はもともと怪しい人物であり、犯行現場には決まって「不和の手先に鉄槌を」だとか「紅の王はもう死んだ」だのと、怪文書めいた、龍の使徒たちへの嘲りの言葉が残されているのでもはや詳しい現場検証などすることもないのだ。

 

 紅の王、つまり征服王フェザーだった邪悪なる龍の使徒の親玉はもう亡い。お偉方は躍起になって残党狩りを推奨しているのだから、そんな杜撰なお目こぼしも当然だった。むしろ、どうして名乗りを上げて報奨金を得ようとしないのか民衆の中では疑問だった。

 

 偽物の名乗りは相次ぐが、他人の手柄を得ようとする小心者の彼らが、血が爆発したかのような、凄惨としか言葉が出ない現場を見た瞬間にある者は凍りつき、ある者は胃の中のものを戻し、ある者は自分ではないことを主張し始めるのだから、偽物が生まれる日はなさそうなのが面白いところだが。

 

 かく言う私は、龍の使徒といえば依頼の最中に出くわして一人、いや一体討伐したことがある。それなりに手こずり、五体満足であったことに女神に感謝したのは記憶に新しい。

 

 奴らは人間といえば人間だろうが、魔物といえば魔物である。下手なゴブリンよりもよほど邪悪で、よほど害悪なのだから罪悪感などあるはずもない。

 

 しかし、冒険者の中には魔物と同列、もしくはそれ以下だと分かっていてもどうしても抵抗があるという者もいる。気持ちはわからないでもないが、そういう感性の人間はそれなりにいて、それ故に「王都の掃除屋」は名乗り出ないのではないか、と囁かれている。

 

 王政府は「王都の掃除屋」の犯行現場をもし見かけたとしても、その功績を省みて見逃す、もしくは功績を讃えるのではないか、とも。私は名乗りを上げない、つまり名声を求めていない「掃除屋」は功績を求めると思わないので見逃すだろうと思うが。

 

 事実、安い金で雇われ、一時的に王政府の犬として動く私はいまこの瞬間にも見逃そうとしている。というか、むしろ、手伝ってもいいくらいだった。

 

 なぜなら、「掃除」は……「掃除屋」の正体であるレンが顔色が悪い原因そのものだったのだから。狂気的な人格と相対するように穏やかなレンは戦闘後に肉を受けつけないほど繊細な人間である。

 

 そんな彼が人間の形をした魔物を始末したら……そりゃあ、慢性的に体調が悪いってものだろう。分かっていたらもう少し彼の身辺に気を遣ったのだけど、そうしていたらもっともっとレンに警戒されてこの場を抑えることは出来なかったかもしれない。

 

 レンはアサシンらしく素早く私に気づくと、顔を見もせずに刃を向けた。そして体の回転を利用しながら私の首筋を的確に狙って切り裂こうとし、一応盾を構えた私の顔を見ると刃を下ろした。

 

 青白い肌に、汚れた使徒どもの血が鮮烈に彩る。薄い色の瞳が悲痛に揺れ、恐ろしく整ったその顔立ちを引き立たせる。

 

「……なんだ、ジュードか」

 

 ため息混じりの安堵の声。

 

「ええ、ご存知ジュードです。ご安心ください、不真面目な聖職者なので、上に密告する気はありませんよ」

「正確には別に犯罪行為ではないから別に焦っちゃいないさ。好きにすればいい。ただ僕は目立ちたくないだけ」

「そうでしょうね。貴方ならそういうでしょう。……しかし、レンさん、顔色が悪いですよ、とても」

「だろうね」

 

 そんなレンが足蹴にしているのは紅く汚らわしい衣装を纏った男の死骸。首は鋭利な刃物で一撃に切り裂かれ、心臓にさらに一撃が加えられているのか血飛沫が円を描いて床を汚していた。

 

 どれもこれも穏やかなレンの行いには見えない。恐らくは、狂気的なレンが行ったのだろう。本人の意に沿わぬまま。

 

 よくよく見れば、真っ赤な沼には真っ赤な衣装を纏ったもう一人の死体が沈んでいた。二人の魔物を始末しただけだというのに、優しく甘いレンは二人の人間を殺したと自分を一人で責めていたのだ。

 

「ホント、嫌になっちゃうよ。僕を殺すことに奴らは執心しているらしい。これまで一体何人刺客を送ってきたんだろう。諦めたらいいのにね。全部、この通りなんだから」

 

 レンは愛用の刃から丁寧に血をふき取った。そして踏みつけていた死体からそろそろと足を下ろす。むせ返るような鉄の匂い、目に焼き付く鮮血の赤、そしてその中央で平凡な茶色の髪の、非凡な青年がある意味、神聖に立っている。

 

 間違っても彼の容貌は天使ではない。天使がこのような惨劇を引き起こすものか。しかし、こんな場所でも欠片もかげることの無い、いっそ人ならざるように見えるその美貌には「神聖」か、真逆の「邪悪」が似合う。

 

 どこまでも禍々しく見えるその行い、魔物と同一とされる龍の使徒の討伐にも胸を痛めるその心、儚く揺れるその眼。あぁ、いつでもレンは、私を捕らえた日からちっとも変わることなく魔性だった。

 

 美貌の青年は、しかしどこまでも普通で、普通ではないのだ。

 

「……彼らになにかしたのですか?」

「あれ。エダンのことは知ってたのに知らないの? もしかして情報統制でもされてるのかなぁ」

「はい?」

「紅き王フェザーを殺したのは僕たちだからさ。その中で僕ばっかりこんな目に遭うのは……なんでだろね、まぁ、察しはつくけど……秘密かな。でもおおよそはそういうこと。親玉の仇ってわけなんだよ。フェザーを殺した僕より、下っ端が強いはずないのにね」

 

 征服王フェザー、レッドドラゴンフェザーのことだ。セントヘイブンに壊滅的な被害をもたらしたブラックドラゴンの再来でもある。

 

 次代の英雄たちの討伐がなされた、それは知っていた。しかし、やはり、共にパーティを共にすることが多いレンのことを身近な冒険者として見ていた私には討伐メンバーに名を連ねていたことに平然としているレンに密かに驚いていた。

 

 それならば、如何に強力な敵である龍の使徒に刺客を差し向けられてもこのように返り討ちにできるはずである。

 

 私の感情に気づかないレンはというと、無造作に壁に血で殴り書かれた文字に触れ、眺めた。

 

 筆跡は見慣れないが、状況からしてレンが書いたのだろう。そもそも私はレンが文字を書いているのを見たことがない。その字は、荒々しく、最低限読めるように体裁が整えられた庶民の字体だった。

 

「『吠える負け犬め、報いを受けろ』?」

「あー、そう書いてるんだ?」

「……レンさんが書いたんですよね?」

「まぁそうだけど、そうじゃないような。僕、活版印刷の綺麗な字以外、ちゃんと読めないから。こういう普通の書き言葉って書式が違うから分からないんだよね。字も名前くらいしか書けないし……今から見ると大昔の言葉ならともかく……」

 

 後半、何を言っているのかいまいち聞き取れなかったが、ともあれ書けないのだろう。メニュー表の戸惑いはそういうことだったのか。

 

 それは、文字教育を受けていなかった人間が大人になってから付け焼き刃で学んだ時に起こる現象だった。貴族階級と庶民では生活様式が異なるので、同じ文字といえども飾りやらなんやら、書式やらなんやらが違うとわからなくなる人間も結構いる。

 

 私は独学で学んだが、それは貧乏ゆえに暇だったからというか、必要にかられてというか、ともあれ庶民的な文字だけでなく、貴族的な書き方の文字も読めなければギルドの依頼の半分は読めずにもっと貧乏だっただろう。極貧とまで行かないのは文字が読めるおかげだった。

 

 しかしながら、レンの場合は実力がそもそも違うのだろう。貴族からの依頼だけを受ける傾向がある、と分析していたがそれにこんな理由があったとは。普通は、逆の方が多いのだ。字の教え主か、参考先は普通は同じ庶民だ。貴族の方を参考にするレンの方はあるにはあるが、珍しい。

 

 所作を見るにそう悪い生まれではないと思っていたが、字を知らないところを見ると私と同じで案外卑賎の出なのかもしれなかった。とはいえ、実力に天と地の差があるのだが。貴族を参考にしているところからますます混乱が進んでいく。

 

 しかし、そんなことはどうでもいい。冒険者である以上、貴族の出だろうが娼婦の子だろうが実力と信頼ある仕事っぷりがあれば問題は無いのだ。

 

 レンは私が読み上げた文言に苦笑いしながら、壁の文字を掌で擦った。どことなく、不本意そうな……いや、恥ずかしそうだった。確かに穏やかなレンさんが考えつきそうにない言葉である。

 

「……では、あの、狂気的なレンさんが書かれたのですか?」

「あぁ、まぁ、そうだよね、そう。そうだよ。あんなの僕じゃないって思ってるけど、客観的にはそうかな。あいつが書いたんだよ」

 

 レンはその時、二重人格を認めた。透き通るように青白い顔色を見るに、もはや貧血との戦いでやけくそなのだろう。

 

 己を「あいつ」呼ばわり。青白い顔色。同じ体を持ちながら、相容れぬレンにとってもう一人のレンは重い負担なのだろう。しかし、故に、その儚い姿を見られるわけである。

 

 私は密かにもう一人のレンに感謝した。あの昼下がりの穏やかなレンをもっと見て見たかったことは事実だが、手を震わせ、瞳を揺らすレンのことを熱に浮かされたように私は見ていたかった。つまり、どこをとっても良かったのだ。

 

 聖職者として以前に人としてどうかしているのだろう。だが、心の中は自由なものだから、足をふらつかせながら壁に寄りかかったレンさんに手を差し伸べ、微笑みかけた。

 

「レンさん、顔色が悪いですから、家まで送りますよ」

「……まぁ、僕が血塗れなことなんて、普通だし」

「そうですよ。ですから安心なさって、いつも通り休養してください」

「……」

 

 限界だったのか、レンは私の手を取ろうとして、たたらを踏み、血塗れの体をもたれかけさせた。しなやかな筋肉とて、弛緩していれば重かったが支えることくらいは造作もなかった。

 

 アサシンで、狂った戦闘を行い、冒険者として飯を食うレンはとても平和主義には見えないが、魔物を討伐したときだって手を震えさせ、顔色を悪くしているのだから、人間の形をした敵にこうなるのは当然といえる。

 

 本来この縋る手を握るのは私のような男ではなく、白く儚い美女だったらしい。だが彼女はもういない。レンは私が名も知らぬ彼女にすがることは出来ない。

 

 魔性だ、魅了された、と言い訳を連ねる私が、今、レンの手を握っているのだ。レンは一時的にとはいえ、私に縋っている。

 

 心地よかった。決して軽いとはいえない彼の体重が、むせかえる血の匂いが、レンの低い体温が。

 

「君は……とてもお人好しだね」

「いいえ?」

「じゃあすごく変わってる」

「それはそうかもしれませんね」

 

 色素の薄い目から、安堵か、それとも別の感情なのか、ぽろりとひとしずくだけ光る涙が落ちていった。

 

 そっと私は肩を貸し、血塗れの彼が現場で衛兵に見つかって騒がれる前に彼の家へ手早く向かった。血塗れであること自体は珍しくもなんともない、というのが彼にとって皮肉なことだったが、おかげで私が肩を貸して家に送り届けていてもなんとも不審な目で見られることは無かった。

 

 私の冬の相棒である古コートは、すっかり血まみれになってこびりつき、洗濯すら諦めて捨てざるを得なかったが、これを知られてレンに卒倒されることを思えば財布の紐は軽くなることだろう。

 

 さて、どこを切り詰めようか。

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 贔屓の安宿の扉を叩かれ、身支度を簡単に済ませて扉を開けると随分顔色が良くなったレンさんが、あの日の黒コートの姿で立っていた。そして、好ましい石鹸のいい匂いをさせながらほがらかに挨拶する。

 

 私の欲望が過ぎて夢でも見ているのだろうか。それともこれは一応現実で、夢想のあまり幻覚を見ていて、虚空に向かって喜んでいる狂人が私なのだろうか。レンの狂気よりもよほど質が悪い。

 

「おはよう、ジュード。良い朝だね」

「おはようございます。ところで、これは夢ですか?」

「疑われて心外だけど現実だよ。何、君、もしかして宿を知られてないと思ってたの」

「……普通は、知りませんよね」

「冒険者ギルドは僕のようなヤバそうな人間にはプライバシーを保持する気はないらしいね。聞いたらあっさり教えてくれたよ。まぁ、ここのことを名指しにしたんじゃなくて、君のねぐらの候補をいくつかね」

「……レンさんならいいか……」

「一応、名目は『お詫びのため』だから、そうギルドを責めないであげてね。ほら、昨日僕が君のコートを台無しにしたお詫びに」

「あんなの気にしてたんですか。ボロボロの古いコートに?」

「気にするさ。大切に着てたじゃないか、すぐに服を駄目にする僕よりもずっと」

 

 そしてレンは私の手に無理やり金の入った袋を握らせた。……随分と重い。全部シルバーであることを願う。レンの服の仕立ての良さから目を逸らしつつ、思う。

 

 王政府から一時的に、数の間に合わせ的に雇われるだけの私とは違い、正式な依頼を受け続け、女神神官や名だたる商人たちからも定期的に依頼を持ち込まれるレンと私の金銭感覚は違う。

 

 しかしながら、レンの縋るような表情を見て受け取りを拒否することは出来なかった。受け取らされた瞬間、ほっと安堵に染まったからだ。

 

「後腐れも、未練もなしにしたいからね。僕は明日セントヘイブンを経つ。だから、しばらくの別れを告げに来た。もう依頼で一緒になる日はない。もう……君みたいな変人に依頼の待ち伏せされる日も来ない」

「……もしかして、せいせいしますか?」

「いや、寂しくなるよ。知っての通り、僕が共に行く人たちは基本お堅いからね。こんな面白みのない男と依頼を被らせようと頑張るクレリックなんて、もう二度とお目にかかれないさ」

 

 全部気づかれていたらしく、レンは肩を竦めた。

 

 怒りも呆れもなく、そこにあるのは穏やかな親しみだった。

 

「君とは良き友だった。僕は、恐れていた。僕の中にいるあいつの狂気が君たちを襲いやしないか、親しくなった君が、僕のことを疎まないか。君はその、ちょっと鬱陶しく勘違いさせてくるくらい依頼をかぶらせてきたけど」

「……」

「もっと素直になればよかったかな。多分、なかなか戻れないから。戻ったら連絡するよ。忙しくても手紙をよこす。君は……得難い友だから」

「ありがとう、ございます。そんなに、貴方にこの想いが伝わっていたとは」

「いや伝わるでしょ」

 

 レンは私の醜い感情を知らない。レンは、この美しいひとは、何も知らずに笑いかけてくる。

 

「きっと君がいるアルテイアが、どうか健やかであるように」

 

 そしてレンは立ち去る間際、クレリックの私に向けてか、似合わない祈りのような言葉を口にした。しかし、それは真摯で、私よりもずっと祈りが込められた神聖な言葉だった。

 

「レンさんに、女神の御加護がありますよう」

「ははっ……」

 

 しかし、返答の言葉は乾いた笑いで流された。慌てて首を振りつつ、レンは言い訳した。

 

「い、いやね、僕はアサシンだよ、日陰者じゃないか。たくさん殺してきたし、魔物も、人も。どう考えても女神のご恩寵に与れないよね。だから、ちょっと現実的じゃないって」

「レンさん。女神はいつも私たちを見守っているのです。レンさんが試練を乗り越える時も、貴方が悪と思うことを為した時も。……レンさん、こちらに」

 

 これ以上の言葉は間違ってもほかの相手に聞かれては困る。レンさんの腕を掴んで、部屋に招き入れた。

 

 だいたい人を殺したと言っても相手は龍の使徒である。私の手は血に染っているが、私は悪ではない。であるなら、レンも悪ではないのだ。

 

「女神の御加護、そう私は言いますが。本心としては、そうですね……貴方に幸運を。女神にではなく、私はあなたの無事を個人として祈ります。……友に」

 

 穏やかなレンの薄い色素の瞳に一瞬赤がチラついたような気がした。

 

 レンは、どんな時でも魔性であり、どんな姿も好ましい。

 

「友に、祈ります」

 

 私の愛するひとは、口元に優しい笑みを浮かべた。心底嬉しそうに。

 

「ありがとう」

 

 細まった目が開かれる。その瞳が、狂気のレンの赤に染まっている。

 

 嗚呼。私はとうとう、禁断の引き金を引いてしまったのか。優しい笑みは、刺々しいものに変わる。穏やかそうな雰囲気は、今すぐ立ち去りたくなるほどの重苦しいものに変わる。

 

 魔物の、龍の使徒の、その命を無慈悲に刈り取るアサシンの降臨である。

 

「……貴方がもう一人のレンさんですか?」

「……」

 

 彼は答えもせずに、私の腕を捻りあげる。床に手早く取り押さえられ、そもそも抵抗しない私はいとも簡単にねじ伏せられた。

 

「私は勝手ながら、貴方の無事もお祈りしておりますし、貴方のことも友だとおもっているのです」

 

 首筋に刃を突きつけられた。彼は冷たい眼差しを隠そうともせず、嘲るように笑った。赤い眼光、透き通るように白い肌、まったく同じ顔だというのにこんなにも印象が違うのか。

 

 恐ろしいが、あぁ、それでも貴方は美しい。

 

「愚鈍な貴様には甘美なる死を与えてやろう」

 

 穏やかなレンが嫌いそうな言葉選びだな、と脳裏によぎったのは完全に現実逃避だった。ちりりと首筋に痛みが走る。私の身動ぎで刃が触れたらしい。

 

 しかし、彼の刃はカランと音をたてて地に落ちた。拘束が緩む。私は地面を転がるように抜け出し、座り込んだまま赤色が消えた瞳を見返した。

 

「……ジュード、僕、行くね」

「えぇ、レンさん。お元気で」

「ごめんね、ありがとう。君も、元気で」

 

 刃を素早く拾い上げたレンは、踵を返して足早に立ち去った。私に危害を加えようとしたもう一人の自分を恐れてのことだろう。

 

 私はと言うと、死の恐怖と興奮が混ざって腰を抜かしてしまったため、しばらく余韻に浸っていた。

 

 

 

 

 

 

 あれから日は経つが、レンからの便りはあれど、街で見かけることも無い。あの、優しく、甘い穏やかな人にも、凶暴で狂気的な男にも。美しくも悲しい、相対する人格を持つアサシンに、会える日はない。

 

 大衆雑誌に描かれた、若き英雄の姿図の切り抜きを、密かに私は持ち歩く。

 

 ジュード、そう私を呼ぶ彼の唇はまるでキスをしているようじゃないか。それは私にとっては愛で、しかし彼にとっては友でしかない。

 

 私は彼に想いを伝えない。なぜなら、彼はきっと友の私のところへまたあの笑みを見せてくれるだろうから、それ以上を望むことは無いのだ。

 

 この感情の名はなんだろう。愛か? 恋か? それとも狂気だろうか。



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