我らが帝国に栄光を!   作:やがみ0821

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とある家族の幸福、ターニャの休暇先での一コマ

 アンソン・スーは朝刊を読みながら、溜息を吐いた。

 思った通りの展開になったからだ。

 

「パパ、どうかしたの?」

「ああ、うん、いやまあな……」

 

 娘のメアリーからの問いに彼は曖昧な返事をする。

 

 

 協商連合政府、帝国政府との和平交渉開始――

 

 

 そんな見出しが新聞の一面に踊っている。

 前回の越境で敗れ去ったとき、参加した全ての軍人が警告していたにも関わらず、今回、ノルデン奪還戦争だと威勢の良い言葉とともに帝国に殴りかかった協商連合。

 

 

 以前よりも多数の兵力を注ぎ込めば帝国軍に勝利できると政府は考え、軍も共和国や連合王国から供与された大量の装備に気を大きくしたのか、それにのってしまう。

 動員して揃えた10を超える陸軍師団、多数の魔導師部隊、連合王国と共和国から贈られた数百機の航空機。

 

 それらが開戦1ヶ月程で壊滅するという、酷い結果となってしまった。

 

 それ以後、戦力再建に努め、国境地帯の防備に全力を注いだものの、その間に共和国が一瞬で帝国軍に飲み込まれ、連合王国の本国艦隊もスカパ・フローで壊滅した。

 

 事前の予想――多数で殴れば帝国は倒れる――は既に覆り、政府も軍も腰砕けとなっていた。

 

 アンソンはもはや軍人ではないので、政府や軍の思惑を気にする必要は微塵もない。

 捕虜となったが、無事に帰ってきた彼は惜しまれたものの、除隊したのだ。

 その決断をした理由は家族の為だった。

 

 妻と娘を置いて、一人で逝くわけにはいかない――

 

 その思いに彼は突き動かされた。

 無論、それには当時、帰ってきたアンソンに泣きながら縋り付いたメアリーの存在も大きい。 

 

 パパが帰ってきて良かった――!

 

 その一言とともに涙を流しながら、微笑んだメアリーの顔がアンソンには忘れられない。

 

 もう十分、国に対する義務は果たした、だからもういいだろう――

 

 部隊で生き残ったのが彼だけだったら、そうは思わなかったかもしれない。

 だが、彼以外にも3人の生き残りがいた。

 

 彼らはアンソンよりも若い者達だったが、彼らもまた除隊し、新しい人生を歩み始めている。

 

 

「あなた、そろそろ出発しないと……メアリーも」

「ああ、そうだな。今日も昨日と同じくらいの時間に帰ってくる」

 

 アンソンは今、材木会社で現場作業員として働いている。

 メアリーも同じ会社に事務員として就職できたので、父娘一緒に出勤し、一緒に帰ってくるという生活だ。

 

 帝国との和平が成立すれば、会社も帝国向けの輸出で忙しくなる――

 

 アンソンはそう思いながら、忙しくなる前に提案する。

 

「今度の週末、皆でどこか出かけよう」

「賛成!」

「あら、いいわね」

 

 娘と妻はすぐに賛成してくれた。

 軍人時代には中々できなかったことをやらなければならない、とアンソンは心に決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ブラチ島のビーチでターニャはのんびりとしていた。

 既にこの島に来て3日が経過し、思う存分休暇を満喫している。

 

 彼女が休暇にあたって悩んだのは、水着である。 

 サーフィンのときはウェットスーツで良かったのだが、泳ぐときはそうもいかない。

 店員にあれこれ勧められる中、苦心惨憺し、彼女はワンピースタイプのものを選んでいた。

 

 ともあれ、そんな辛い過去も遠い昔のことに思える。

 

 パラソルの下、デッキチェアでくつろぎながら、適当な雑誌や本を読む。

 必要ならばボーイに頼んで、飲食物を持ってきてもらう。

 

 ターニャは自分の休暇の為にはカネを惜しんでいない。

 だからこそ彼女は一番評判の良いホテルに泊まっており、そのホテルの宿泊客のみが利用できるのがこのビーチだ。

 

 無論、彼女が泊まっている部屋はスイートルーム。

 社畜時代ならば色んな考え――公共料金支払いとか各種税金の支払いとか貯金とか――が邪魔をして、決してできなかっただろう贅沢だ。

 ここは帝国領土であり、なおかつ陸路で来れるので旅費が安い。

 たとえそれが鉄道の一等車に乗ったとしても。

 

 率直に言って、ターニャは社畜時代よりも良い給料を貰っていた。

 階級と役職、何よりも魔導師という希少性。

 これにより基礎となる給与は高く、更に色んな手当がついて、このくらい贅沢をしても全く問題がなかった。

 

「ふふふ、これぞまさしく、理想的な休暇だ」

 

 雑誌を読む手を休め、ターニャは呟く。

 目の前に広がるアドリア海の色は北海とはまた違ったものだ。

 

 地中海にも行きたいな――

 

 共和国の地中海に面した地域――マルセイユあたりに行くのもいいかもしれない、とターニャは思う。

 

 共和国との講和はスカパ・フロー攻撃から数日後に纏まり、パリースィイにて講和条約が締結された。

 内容は共和国に対して恩情あふれるものになっているが、係争地域が帝国に帰属することや、ニューカレドニア島やマダガスカル、インドシナを割譲させたりしている。

 これらを得る代わりに、係争地域以外の本国領土は手つかずで、賠償金の額もかなり抑えめだ。

 とはいえ、連合王国との戦争が終わるまでの間、一時的に沿岸部を帝国領土とするということで合意している。

 地図上で見た場合、史実のヴィシー・フランス領土にパリなどの内陸部を加えた代わりに、沿岸部――勿論、地中海沿岸部だけでなく英仏海峡沿岸部も――を帝国に一時的に渡した形となっている。

 その為、マルセイユもまた一時的に帝国領だ。

 

 地中海の青(メディテラニアンブルー)は美しいと評判で、ターニャとしても実際に見てみたい。

 

 そう思いながら、彼女は読書を再開する。

 その雑誌は軍関係のものではなく、就職に関連したものだ。

 

 戦後の身の振り方を彼女は考えている。

 軍人のままでもいいが、民間企業に就職するのも悪くはない。

 

 帝国における民間企業はターニャが調べてみた限りでは、良い企業ばかりだ。

 

 ヴェルナーとかいうとんでも事例がある為か、若かろうが実績がなかろうが、成果を出せば昇進・昇給はすぐに行われる。

 年功序列のようなものもあるが、成果を出した者を邪魔するものではない。

 

 そして、上司からの評価は働いた時間ではなく、出した成果によって決まる。

 単純な比較はできないが、ターニャが今いる職場――即応軍航空魔導大隊もそれに通じるところがある。

 

 スカパ・フローにおける現地での戦闘時間は1時間程度。

 無論、日々の訓練とか作戦実施に伴った特別訓練などもあるが、それでも戦場での実働時間は非常に少ない。

 

 しかし、そんな短時間でも赫々たる大戦果を挙げたことで、ターニャの評価は鰻登りだ。

 

「RFWを狙いたいが、あそこはヤバい」

 

 最高の環境で、色んな人材と切磋琢磨できる上、給料も福利厚生も抜群だ。

 だが、求人倍率がエグい。

 

 研究・技術系としてなら、多く採用しているが、日本で言うところの文系総合職は非常に狭き門だ。

 おまけに魔導技術部門には手を出していない、というターニャにとっては不利な要素もある。

 

「まあ、しばらくは軍でいいか。せっかく得たキャリアを捨てるのももったいないし」

 

 佐官なんぞ、普通はまずなれない。

 できれば大佐まで昇進して、定年まで過ごす――これが一番堅実だ。

 

 ターニャはそう確信する。

 

 

 そのときだった。

 横から声が掛けられる。

 

「おや? もしかして、デグレチャフ少佐では?」

 

 島に来てから初めてそう呼ばれた為、ターニャは驚きながらも、そちらへと視線をやる。

 すると、そこには画材道具一式を持った男が立っており――

 

 ターニャは彼の顔を見て固まった。

 

 アドルフ・ヒトラー!?

 何でこんなところに!?

 

 ターニャも存在は知っていた。

 新聞にもよく取り上げられ、新進気鋭の政治家と帝国内では評判の人物だ。

 彼女から見ても、彼の政策や提言は真っ当なもので、綺麗なヒトラーか、と知った当初は驚いたものだ。

 

「ああ、すまない。驚かせてしまったか? 私はアドルフ・ヒトラーで、画家兼政治家をやっている。私も休暇でね」

「えっと、あの、はい、いえ、こちらこそ……ターニャ・フォン・デグレチャフです」

 

 ターニャは立ち上がって会釈する。

 しどろもどろになる彼女に彼は微笑みながら、告げる。

 

「せっかくの機会だ、描かせてもらえないか? 1時間程で終わるから」

「あっはい……」

 

 これは地味に凄いことでは、と彼女は思いながらも、そう返事をした。

 

 

 

 

 

 

「戦後はどうするかね?」

 

 ヒトラーの指示通りの位置にターニャが立ち、彼が描き始めて数分後のことだった。

 彼の問いかけにターニャは逡巡したものの、告げる。

 

「悩んでおります。軍にいるか、民間企業に行くかで……」

「君ならどこでも通用するだろう。君の評価を聞いているぞ。勿論、良い意味でだ」

 

 ヒトラーからそう言われると、何だか変な気分にターニャはなった。

 この世界の彼は史実の彼とは全く違うにも関わらず。

 

「将来の希望とかは?」

「正直に申し上げますが……平和なところで文明的かつ経済的な生活を送ることができれば幸いです」

 

 ターニャの言葉にヒトラーは苦笑する。

 

「今回の戦争は政治の失敗ではあるが、正直、向こう側がやる気になってしまってはどうにもならなかったと言い訳をさせてくれ」

「帝国に侵略の意図が無かったのは内外に示されていると、小官は思います」

 

 ヒトラーの言う通りに、ターニャから見ても帝国は当時、内外へ対話での解決というアピールを欠かしていなかった。

 そもそもどんなに平和を唱えようと、相手から殴りかかってきたら、やらざるを得ない。

 

「国同士の付き合いというのは難しいものだ。だが、いつまでも戦時のままでは経済的に破綻する」

「同意します。その、小官が口を出す分野ではないのですが、戦時統制制度は非常にうまくいっていると個人的には思っています」

「ありがとう。だが、問題は戦後だ。どれだけの反動があるか、想像もしたくない」

 

 ヒトラーの言葉にターニャは頷く。

 勝利したが、経済的に破綻した――というのはあり得る可能性だ。

 

「共和国との講和は君達のおかげだ。スカパ・フロー攻撃で共和国は腰砕けになった。協商連合もだ」

 

 協商連合という単語にターニャはすぐさま察する。

 

「向こう側が和平を申し出たというのは確定ですか? 確かに今朝の新聞では出ていましたが……」

「ああ。新聞の通りだ。講和の内容は、まあ、抑えめになるだろうな。莫大な要求をして、後々に暴発されても困る」

 

 ヒトラーの言葉に同意し、ターニャは頷いた。

 しかし、と彼女は思う。

 喋りながらも、ヒトラーの筆は淀みなく、そして素早く動いている。

 

 器用なものだ、と思いつつ、もしも彼は美大に受かっていたら、紛れもなく歴史は変わっていただろうな、とも感じる。

 

「君の意見を聞いてみたい。どのような講和を協商連合とすべきか? 何、単なる世間話の一環で、遠慮なく言ってくれ」

 

 その言葉にターニャは少しの間、思考し、考えを纏める。

 そして、毅然として告げる。

 

「率直に申し上げて、帝国が以前より主張しているノルデン以外の領土は得るべきではなく、賠償金も最低限に抑えた方がいいでしょう」

「ではどこから利益を得る? 向こうの国民感情を考慮すればそれは良い提案だが、帝国の世論は面倒くさいことになるぞ」

「帝国の企業を協商連合へと進出させる為の経済的な協定を結ぶ、というのはどうでしょうか?」

 

 ヒトラーの筆が止まった。

 

「ほう? だが、それは向こうの経済界から反発を食らうだろう」

 

 その言葉を待っていたと言わんばかりに、ターニャは笑みを深める。

 

「ええ、ですから、向こうがやっていないことをやるというのはどうでしょうか? 向こうの企業も一枚噛ませることで文句を封じ込めて。浅はかな考えですが、もしかしたら北海に資源が眠っているかも……」

 

 ターニャの頭にあったのは北海における油田だ。

 探査費用やプラントの建設費用などは莫大だが、そこらは進出する企業が考えることであり、彼女はただ提案をしたに過ぎない。

 

「ふむ……資源で一枚噛ませるというのは奴と同じやり方だな」

 

 奴という単語にターニャは何だか嫌な予感がする。

 

「……奴とは?」

「ヴェルナーのことだ。奴とは長い付き合い(・・・・・・)でな。最初は敬語を使ったりもしたが、途中からやめた」

 

 もしや、とターニャは思う。

 ヒトラーもまた転生者なのでは、と。

 

 そして、前世からヒトラーとヴェルナーはドイツに貢献していたのではないか、と。

 直感によるものだが、彼女にはそれが正解に思えて仕方がない。

 

 そんな彼女の胸の内を察したのか、ヒトラーは告げる。

 

君の経歴(・・・・)もまたそうかもしれないが、秘密は秘密のままにしておこう。ただ、ヴェルナーも私と同じことを感じている。というよりも、向こうから相談してきた」

 

 バレてる、とターニャは冷や汗が出て、更に顔が強張っているのを感じた。

 そんな彼女の様子にヒトラーは朗らかに笑う。

 

「我々は互いに帝国の国民で、政治家と軍人という違いはあれど、帝国の発展と繁栄、そこに加えて個人的にも平和で文明的かつ経済的な生活を求めている。それで問題はないだろう?」

「は、はい! 全く問題ありません!」

 

 うむ、とヒトラーは鷹揚に頷き、再度筆を動かし始めつつ、問いかける。

 

「ところで、君が良ければ私の相談役にならないか?」

「相談役……ですか?」

「ああ、そうだ。要するに社会における様々な問題を拾い上げて、案を出したり、あるいは私の考えている案について、君の考えを聞いたりとそういうものだ……無論、給料は出すぞ」

 

 アドルフ・ヒトラーのブレーンになる、とかいうとんでもないチャンスがターニャの元に転がり込んできた。

 流石の彼女も即答できない。

 

 それを彼も予期していたのか、言葉を続ける。

 

「無論、戦争が終わってからで構わない。ただ、私や奴は色々と承知の上で、君の能力を高く評価している……いつでもここに連絡をしてくれ」

 

 ヒトラーは筆を止め、そしてそれを置いた。

 代わりにターニャに名刺を差し出してきた。

 

 頂戴します、と彼女はサラリーマン時代と同じようにそれを受け取った。

 

「それとこっちは個人的な君への贈り物だ。白銀の休日とでも名付けよう。そのまんまだがな」

 

 そして、ヒトラーが差し出してきたスケッチブックにはアドリア海を背にして、砂浜に佇む水着姿のターニャが描かれていた。

 

 史実での彼の画家としての評価はあまり良いものではなかった。

 ターニャは芸術に関しては全くの素人であったが、少なくとも彼女には巧みであるように思える。

 

 芸術の先生とかだと、目のつけどころが違うんだろうな、と思いつつ、ターニャは素直にヒトラーに感謝したのだった。

 


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