アイルランド島にあるコナハト州スライゴ郡イースキー村。
イースキー川に隣接し、ケルト海にも程近いこの村はサーフィンエリアとしてサーファーの間ではそれなりに有名であったが、戦時中――特に連合王国が劣勢――である為に今は訪れる者は皆無に等しかった。
また早朝ということもあり、村は静寂に包まれていた。
そして、そのような静寂を破るかのように、イースキー川を5隻の船外機付きゴムボートが遡上していた。
ターニャはヴィーシャら3名と共に先頭のボートに乗り込み、周囲を警戒する。
しかし、その内心はウッキウキだ。
潜水艦から発進したゴムボートに乗りながら、SEALsみたいな敵地潜入をできるなんて――!
オタク気質は今もなお健在であったが、顔には出さない。
今回、第203航空魔導大隊に与えられた任務はブランデンブルク師団、
聞いた話によれば、彼ら特殊部隊はそのままアイルランド島内に潜伏し、IRAへ協力するとのこと。
今回使用される潜水艦は人員・物資輸送型として建造されたものであり、通常の潜水艦よりも多い量を輸送できるが、輸送船や揚陸艦と比べれば遥かに少ない量だ。
とはいえ、こういう隠密作戦にはまさしくうってつけの存在だった。
遡上を開始して数分程で、ターニャはイースキー川の岸辺に立つ、数人の男達を見つけた。
IRAの連絡員だ。
「発見した!」
ターニャが告げれば、すぐさま操縦手が船外機を操り、ボートの進路を変えた。
彼らは無事に岸辺へと到着した。
乗っていたブランデンブルク師団所属の隊員達がすぐさま降りて周囲の警戒を行いつつ、積み込んできた物資をIRAの連絡員達へと渡す。
ゴムボートに積める量などたかが知れている為、何回も往復せねばならない。
幸いであるのはこの日の為に空軍がアルビオン本土で今日も頑張ってくれており、また対岸に陸軍が上陸用の部隊を集結させていることもあって、連合王国の目はそちらへ向いているとターニャは信じたい。
まあ、アイルランドには開戦しても一切攻撃をしていないし、そもそもアイルランドよりもアルビオン本土の方が大陸から近いしなぁ――
アイルランドに重要な拠点などがあれば話は別であったが、そういうものはない。
IRAに狙われる危険性が高いところに、そういったものを設置するのは得策ではないと判断したのだ。
更に連合王国もIRAの活動には苦慮しているが、IRAに属していない一般のアイルランド人の感情にもまた配慮する必要があった。
アルビオン軍の大規模な部隊を駐屯させるのは、一般のアイルランド人の感情によろしくない。
何よりも、戦況が劣勢であり、本土防衛の為、アイルランドに部隊を配備する余裕がないという事情もあるだろう。
もっとも、連合王国らしい手も打っている。
彼らは合州国から派遣されてきた義勇軍――実質的には合州国の地上部隊や航空部隊そのもの――をアイルランド島に配備しているのだ。
アイルランド人の悪い感情を受け止めるのは植民地人であるお前達だ――
そんな思惑が透けて見えた。
「少佐、全てのボートで荷降ろしが完了しました」
ヴィーシャの声にターニャは思考を現実へと戻し、告げる。
「分かった。戻るぞ」
IRAの連絡員達からは「幼女が少佐?」とか「うちの娘と同じくらいだぞ」とか聞こえてきたが、ブランデンブルクの隊員が説明でもしたのだろう。
しかし、ターニャは聞かなかったことにした。
やがて5隻のゴムボートは岸辺を離れ、イースキー川を下っていった。
しかし、まだまだ潜水艦に積まれている物資や人員は多く、作業終了は昼前の予定だった。
そして、この輸送作戦は今回で終わりではない。
この潜水艦が終わったら、また別の潜水艦が入れ替わりにやってくる。
地味であるが、神経を使う任務だ。
しかも、完了に要する期間は2週間。
途中に邪魔が入ればこの期間は伸びる。
もっとも、ターニャはそれだけで終わりとは思っていない。
全ての人員と物資を送り込むのが完了した後、そのままアイルランドに進出することになると予想していた。
帝国はアイルランド島を一気に占領するつもりだろう。
それも現地住民の大歓迎を受けながら。
アイルランド島全体がアイルランドとして独立するのは、アイルランド人の悲願だった。
「例の作戦は順調だ」
ゼートゥーアはルーデルドルフにそう告げた。
「まどろっこしい……というのはご法度なんだろうな」
「仕方がないだろう」
参謀本部の晩餐室にて、2人は昼食を取っている。
既に第一便は人員と物資の輸送を終え、帰途についており、第203航空魔導大隊は第二便に乗り換えたとの報告もきていた。
「輸送機や船舶では目立ちすぎる」
「分かっているとも。しかし、完了まで2週間か……長いな」
人員と物資の送り込み、それが完了した後、第203航空魔導大隊はアイルランド島南部に位置するコーク空港制圧任務に取り掛かる。
これにはIRAとブランデンブルク師団、
航空魔導大隊は潜水艦から出撃すれば問題はないが、地上部隊は事前にイースキーからコークまで、330km近い距離を2週間で移動しておく必要があった。
とはいえ、現地住民の協力が得られているのは大きく、連合王国の治安組織や治安維持部隊は追いきれない。
IRAや住民達の協力に対する見返りはアイルランドの独立だ。
アイルランドが独立したところで、帝国の懐が痛んだり領土が減ったりするわけではなく、また国境を接することもない為、領土の帰属を巡って揉めることもない。
帝国にとっても、アイルランドにとっても、互いにWin-Winの関係になれる。
この案を出して、内々に軍に相談してきたのはヒトラーだった。
他国の領土を自国の都合で勝手に切り取って独立させる、というのは中々えげつないことだった。
「コーク空港を制圧後、迅速に輸送機で物資と兵員を送り込む。空軍からは?」
「輸送機と護衛の戦闘機、近接支援機を大量に揃えているそうだ」
「ならば問題はないな。海路は怪しいところだが……」
港を確保したならば、迅速に輸送船で師団を一気に送り込みたいところだが、さすがにそこまでくると連合王国軍――特に海軍が黙っていないだろう。
また陸上戦力には不安な面もある。
輸送機では戦車は流石に送り込めない。
そのため、空軍と海軍の護衛付きの大規模な海上輸送作戦も予定されていた。
ルーデルドルフは問いかける。
「例の義勇軍はどうだ?」
「帝国駐在の合州国大使だけでなく、合州国駐在の帝国大使も国務省に確認してある。どちらの返答も、彼らは民間人で、合州国政府は一切関知していない、民間人の行動は制限できないというものだ」
「ここでラジオ放送が活きてくるというわけか」
帝国が継続して行っているラジオ放送、それは最近、内容が少し変化している。
連合王国に滞在している合州国人をはじめとした外国人や連合王国の民間人に対して、戦闘に巻き込まれる可能性がある為、国外への退避を執拗に呼びかけているのだ。
また合州国国内向けには、家族、友人、恋人が連合王国に旅行している場合はただちに帰国するよう、伝えてください、とこちらもしつこいくらいに呼びかけている。
勿論、合州国連邦政府の見解もそれらに合わせて繰り返し放送していた。
彼らが応じようとも応じなくても、帝国は民間人や関係のない外国人に対して最大限の注意を払っているというアピールだ。
「展開している合州国義勇軍は3個師団程度。また航空部隊もいるが、どちらも各地に分散している……問題ない」
「うむ、各個撃破できるだろう」
あとは人員と物資の送り込みが無事に完了することを祈りつつ、2週間後を待つだけだった。
そして、アイルランド島を抑えたら、いよいよアルビオン本土上陸作戦が開始される。
ゼーレーヴェと名付けられたその作戦の為に、多数の船舶、膨大な物資が既に確保され、上陸部隊もまた集結しつつあった。
アルビオン・フランソワ海峡の沿岸部にいる部隊は囮であり、上陸部隊の集結地はキールだった。