『恐るべき事態です。合州国の至るところに連邦のスパイが多数入り込んでいました。政府職員だけでなく、それは上下院の議員にも及び……』
『共産主義の脅威について、連邦政府は――』
『臨時ニュースです! FBIが財務次官補のハリー・ホワイト氏をスパイ容疑で逮捕しました!』
『冤罪の可能性について、FBIによりますと明確な証拠があるとの発表が……』
合州国のラジオニュースはこのような話題ばかりだった。
今、合州国はレッドパージの最中にある。
全ては2ヶ月程前、連邦の実態と共産主義の脅威が各国の朝刊一面に載ったことから始まった。
最初こそ、連邦の人達が可哀相という感想しか世論は抱かなかったのだが、まさか自国にまでその脅威が忍び寄っていたとは誰も予想していなかった。
記事に対して帝国による工作活動だ、という批判がすぐさま巻き起こり、批判まではいかなくとも、冷静な対応をするべきだ、と過激な論調を諌める意見も多数あった。
問題はそれを発言した人物達――社会的地位が高かったり、有識者として知られている者達――が、一瞬で連邦との繋がりを新聞やラジオで暴露されたことから始まった。
でっち上げだ、捏造だ、と反論するのも虚しく、彼らはFBIに証拠を突きつけられて、続々と逮捕され、それもすぐに報道された。
これらが合州国の世論に与えた衝撃は大きかった。
また連邦に対するレンドリースは債務弁済が不透明という理由で4月には打ち切られているが、こうした国内の動きを受けたものであることは明白だ。
だが、まだ決定的ではなく、合州国の世論を一気に反連邦、反共との戦いへと傾けるものが必要だ。
そのような情勢の中で、在合州国のルーシー連邦大使館職員が数人、行方知れずとなった。
FBIのマークは厳しかったのだが、彼らの方が
そして、事件は起こる。
1926年5月15日午前10時過ぎのこと。
この日、ニューヨークのマンハッタンにあるエンパイア・ステートビルを武装集団が占拠した。
彼らはビル内にいた多数の民間人を容赦なく殺害し、ルーシー連邦国旗をビルの屋上や窓など至るところに掲げたのだ。
そして、宣言した。
合州国は共産主義国家として本日、新たな独立を成し遂げる――
資本主義の象徴たるこのビルは共産主義の象徴として生まれ変わるのだ――
当然ながら、ルーシー連邦は知らぬ存ぜぬを貫き、この武装集団は48時間にも及ぶにらみ合いの末、全員が射殺された。
そして、遺体の身元を調査していたとき、行方不明となっていた連邦の大使館職員達がその中にいたのだ。
また事件後に彼らの住居を捜索した際に発見された文書などから、彼らはルーシー連邦の内務人民委員部――NKVDに所属する諜報員であることが判明した。
彼らが本国から受けていた指令は合州国内部に諜報網を張り巡らせることであり、最終的には世論を動かして合州国を連邦の側に立たせることだった。
追い詰められた共産主義者達が最後の博打に出たようにしか大衆には見えなかった。
しかし、不審な点が幾つか出てくる。
FBIがマークしているのに、どうやって大使館職員達は行方をくらませることができたのか?
連邦の支援も望めず、失敗することが分かりきっているのになぜ実行に移したのか?
民間人を傷つけなければまだ心証は良かったのになぜ、殺害したのか?
どうして機密文書を実行前に破棄しなかったのか?
当然ながら、諜報員にはバカではなれない。
指揮を執ったと思われる諜報員達がそういうことを想像できないわけがない。
連邦を
何よりも不審な点は銃撃戦後、生きているかどうか確認した時のとある警察官が周囲に漏らした言葉だ。
大使館職員達は他の死体に比べて異様に冷たく、
しかし、FBIはそのような不審点には全く触れず、連邦の諜報員と彼らに率いられた合州国における隠れた共産主義者達の犯行であると発表した。
この事件とFBIの発表は合州国国内だけでなく、全世界に向けて
そして、合州国の世論はルーシー連邦との戦争へと一気に傾いていった。
「さすがはMI6といったところかな」
「帝国の
ヴェルナーの称賛にチャーブルはそう返す。
一連の工作が無事に終わり、2人はヴェルナーの屋敷で祝杯を上げていた。
チャーブルは告げる。
「合州国もようやくやる気になった。だが、彼らにあちこち荒らされるのは良くない。ほどほどのところで、お引取りを願わねばな」
「つい数ヶ月前まで、連合王国はもうおしまいだ、お前達のせいで、と嘆いていた人物の言葉とは思えないな」
チャーブルの強気な発言にヴェルナーはそう言って、肩を竦めてみせる。
「事実だろう。全く、お前達がさっさと負けてくれないから……」
「その言葉はそっくり返そう。ともあれ、連邦を叩き潰して、皆で仲良く儲けることで話が纏まって良かったものだ」
共和国、イルドア、協商連合までも一連の流れに乗ってきた。
自分達から殴りかかって負けたという汚名をどうにかしたい、というのはどこも同じことだった。
要するに自分達――政府や軍が悪いんじゃなくて、連邦が唆してきたせいであり、事実、連邦が最初に帝国に対して宣戦布告した、という責任転嫁である。
そんな事実はなかったが言ったもの勝ちで、連邦ならそういうことをしてもおかしくはないと合州国の事件から国民に思わせるには十分だ。
謀略に引っかかってしまった間抜けという汚名は被るが、自分達の意志で戦争に負ける為に宣戦布告したという汚名よりはマシだろう。
そして、帝国と亡命ルーシー帝国政府からは戦後に利益をほどほどにくれるという確約を貰っているのだから、まさしく棚からぼた餅だ。
幸いにも反共、反連邦という風潮は世界的なもので、各国政府の決定を世論は後押しした。
ついこの間まで戦っていた敵と手を組むことについては各国とも世論は複雑であった。
だが、合州国での惨劇を見る限りそんなことは言ってられないとして、好意的ではないが嫌悪するというわけでもない微妙なものになっている。
とはいえ、大軍を派遣する余裕などどこの国にもない。
陸軍としては共和国が3個師団、イルドアや協商連合は1個師団ずつ、他にも空軍や魔導師なども派遣してくれるが、それが精一杯だった。
しかし、彼らの装備――特に陸軍の装備――では到底連邦軍には太刀打ちできない。
また他国の装備で兵站に負担が掛かることは勘弁してほしい帝国軍の思惑もあって、人員だけを派遣してもらったら、あとは帝国軍と同じ装備を供与して訓練するということになっていた。
もっとも、帝国がこれらの国々に期待する役割は食料をはじめとした、軍需物資以外のものの供給だ。
少しくらいは貿易で優遇してくれ、という魂胆である。
なお、協商連合は国境を連邦と直接接していることもあって、宣戦布告だけはしないが、そこは各国との了解を得ていた。
「そういえばスコットランドとアイルランドは3個師団ずつ派遣してくれるそうだ。ウェールズは1個師団と聞いている」
「独立した連中など知らん」
チャーブルの言葉にヴェルナーは苦笑する。
イングランドはともかく、他の3カ国は帝国という後ろ盾があってこそ成立し得たもので、彼らは4月に相次いで独立を果たしていた。
彼らには連邦との戦いで戦果を上げることで、帝国の心証を良くしておきたいという思惑がある。
なおアイルランドは連邦との戦いに加わる予定はなかったのだが、世論に押される形となった。
そしてアイルランドは完全に帝国の勢力圏であるが、スコットランドとウェールズはイングランドと陸続きであることもあって、帝国との友好を強く保ちつつ、イングランドともそれなりに友好的な関係を続けていくらしい。
ちなみにレンドリースの代金に関してはイングランドに全て請求がいったのだが、連邦へのレンドリースが打ち切りになった前後で、合州国とイングランドとの交渉により支払いの猶予がなされている。
連合王国は幾つかの国に分かれたが、アイルランドとの関係以外はあんまり変わらないんじゃないか、というのが帝国内における認識だ。
「そういえば、秋津島皇国が欧州情勢は複雑怪奇とかいう声明を出していたが……敵味方がころころ変わるのは普通だよな?」
秋津島皇国からするとよく分からないうちに、つい最近まで帝国と戦争をしていた国々が帝国と組んで連邦と戦うという認識だった。
どうしてそうなったんだ、と皇国政府の高官達が頭を抱えたらしいとヴェルナーは聞いていた。
彼の問いにチャーブルは当然とばかりに頷き、答える。
「昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵。いつもの欧州だろう」
そして、1926年6月4日。
合州国はルーシー連邦に対して宣戦布告し、帝国側に立って参戦した。
また合州国から少し遅れて、共和国、イルドア、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、イングランド、秋津島皇国が次々と連邦に対して宣戦布告し、帝国側に立って参戦したのだった。
「勝ったな」
合州国参戦の一報を聞いたターニャ・フォン・デグレチャフの言葉。