まさか、妖怪襲名なるシステムが出てくるとは……砂かけババア、子泣き爺、一反木綿。おまけに黒幕がぬらりひょんだなんて……流石に目玉おやじの名前は最後まで出せなかったようだが、もうこれ鬼太郎だろ!!
感想サイトなどでも、鬼太郎や『ぬらりひょんの孫』の名前まで出てきて何だか嬉しくなってしまった!!
さらには、刑部姫の妹とされる亀姫まで登場!!
この小説を読んでくれている読者は知ってるかもだけど、この小説内でもfgoの刑部姫との絡みで亀姫を出したんですよ。
あの頃はまだキャラ造形を想像するだけしか出来なかったけど、まさかここまで生首を推してくるキャラだったとは……。
ピックアップ召喚もあって、ようやく自分のカルデアにも刑部姫が来てくれました!!
あとは、亀姫が霊衣で来てくれれば言うことないんですけど…………運営さん、実装はまだですか?
さて、今回で『すずめの戸締り』も其の③です。
四話構成で終わらせたいこともあり、今回はかなり長めの文章になっています。
これまではあまり鈴芽と鬼太郎たちとの絡みがありませんでしたが、ここからはがっつり絡んでいきますのでよろしくお願いします!!
「おお……!! こ、ここが東京か……」
岩戸鈴芽が宮崎の地を飛び出してから、丸三日ほど経過していた。
鈴芽はダイジンがいるとされる東京都へ急ぐため、新神戸駅から東京駅までの新幹線へと乗り込んだ。
電車の乗り継ぎや、自動車でのヒッチハイクといったこれまでの移動手段とは異なり、新幹線での旅路は快適そのもの。
僅か二時間半という時間で、近畿地方の兵庫から関東地方の東京まで迷うことなく辿り着くことが出来たわけだが。
「人多っ!? ど、どの電車に乗ればいいのっ!?」
到着した東京駅にて、鈴芽は眼前に広がる人の多さ、混雑さに目を丸くする。
これまでの人生で体験することもなかった、人口密度の高さ。視界いっぱいに広がる人々が、駅構内を忙しなく動き回る光景に目が回る感じだ。
ここからどのような道順を辿って行けばいいかなど、鈴芽一人では右も左も分からない。
「鈴芽さん、あっち! そこ昇って、左の電車乗るよ! 次で降りるよ!」
「えっ……えっ……えええ……!?」
そんなお上りさんな鈴芽に、スポーツバックに入った子供椅子の草太が矢継ぎ早に指示を出す。
東京在住の彼にとって、この程度の人混み日常の風景に過ぎない。鈴芽が人波に呑まれないようにと、彼女を目的地に向かって的確に誘導していく。
「なんか……馬にされてる気分なんですけど……」
草太の指示通りに動かされる鈴芽は、自分が馬にでもなったような気分でとても落ち着かないと不満を口にする。
そんな彼女の愚痴に「ははは……」と軽く笑みを溢しながら、草太は今向かっている行き先について軽く話をしていく。
「ダイジンを探す前に、ちょっと寄っておきたい場所があるんだ……」
「さあ、入って……」
「わあ……ここが、草太さんの部屋……」
草太に促されるまま、鈴芽はとあるアパートの敷居を跨いだ。
そこは宗像草太という青年の住まい。彼が普段生活をしている、彼のプライベート空間だ。
部屋に入ってすぐに感じたのは石鹸や洗剤といった生活感の匂い、そして学校の図書館のような匂いだった。
八畳ほどの狭い部屋の大部分は『本』によって覆われていた。目新しい参考書から、古めかしい古文書など。まさに研究者といった感じの部屋。たくさんのもので溢れかえっていたが、そこに乱雑とした印象は感じられなかった。
「鈴芽さん、その本棚の上のダンボールを取ってくれないか?」
「う、うん」
初めてお目に掛かったかもしれない男性のお部屋に鈴芽は見入っていたが、そんな彼女に草太は本棚の上にある資料を取ってくれと指示を出していた。
言われたとおり、本棚に向かって手を伸ばす鈴芽だが、彼女の身長ではほんの少しばかり手が届かない。
「よいしょっと……」
「————」
鈴芽は何の気もなく、足りない分の身長を補おうと椅子である草太の上に乗った。
一瞬、草太から驚くような気配があったが、彼は不安定な三本脚ながらもしっかりと鈴芽を支える。その甲斐もあり、鈴芽は無事に資料の入った箱を取ることが出来た。
「……ふふっ!」
ふと、鈴芽はちょっとした悪戯心から椅子の上で足踏みをする。
「草太さん、踏んでもいい?」
「乗る前に行ってよ!!」
当然ながら、怒りを露わにばたばたと椅子は暴れる。それに鈴芽は「きゃー!」と楽しそうに声を上げて笑うのであった。
「これ……ここに描かれてるのって……ミミズ?」
肝心の資料。
その古文書を広げるや、見開きで描かれていた画の迫力に鈴芽の全身が総毛立つ。
最初に目にしたその画には『噴火の様子』が描かれている。山の頂上付近から噴き出すその炎は、まるで生き物のようにクネクネと蠢いているように描かれていた。
鈴芽は、その画が昔の人から見た『ミミズ』の姿を描いたものだと直感的に悟る。
次のページを捲ると、今度は『龍の絵図』が描かれていた。
それもまた、ミミズというものを抽象的に描いたものなのだろう。注目すべき点は、龍の頭と尾のそれぞれに『巨大な剣』のようなものが突き刺さっているところだ。
「これが要石だ。西の柱と、東の柱……」
「えっ……要石って……」
「そう、二つあるんだ」
草太はその剣で表現されたものこそが、自分たちの追っているダイジン——要石だという。それが二つ描かれているという事実に、鈴芽は要石が『二つ』存在することをここで知る。
「後ろ戸を閉めるだけでは抑えきれない災いを、人は要石で封じてきた。その位置は時代によって変わるんだ」
草太が言うに、要石の場所は時代ごとで違うらしい。
それは後ろ戸を閉じるだけでは防げないような大災害が、この国では定期的に起こってしまうからだ。
百年前にも、この関東一帯を未曾有の大震災が襲った。十万人以上の死者・行方不明者を出したとされるそれも、当時の閉じ師たちがミミズを食い止めたからこそ、それほどの被害で済んだという話だ。
その際の名残、ミミズを突き刺して抑え込んだとされる要石の片割れ。
古い日記の記述によれば、それが今もこの東京の地にて。ミミズの頭を抑える役割を果たしているとのことだった。
「俺が知りたいのはその具体的な場所だ。覚えている限りではどこにも書かれてなかったし、誰も教えてくれなかった」
ただその要石が東京のどこにあるのか。具体的なことは草太の知識の中にも、書物の記述の中にもない。
「東京の要石がある場所には、巨大な後ろ戸もあるという。もしかしたら……ダイジンはその扉を開けようとしているのかもしれない」
要石の近くには『特別な後ろ戸』があるらしく。ダイジンが扉を開けてまわっているのなら、次はその扉が狙われるだろうというのが草太の予想だ。
ダイジンの動きを先回りするためにも、それがどこにあるのかを知るためにもと詳しく資料を読み解いていく。
×
「——駄目だ!!」
数時間ほど経過した。
後ろ戸やミミズに関する資料を片っ端から読み漁った草太であったが、残念ながらそれらしい情報は何も記載されていなかった。
というのも、それらしい記述自体はあったのだが、それら全てが黒い墨によって塗り潰されていたのである。
「なんで……場所は秘密ってこと?」
鈴芽は何でそんなことをするのかとも思ったが、すぐにそれがその存在を護るためだということに気付く。
下手に余人に知られて不用意に扉が開かれたり、要石を抜かれないようにするために隠し通している、ということなのだろう。
「爺ちゃんに訊くしかないか……」
資料から有力な情報を得られなかったこともあり、草太は落ち込んだような溜息を吐きながら——爺ちゃんなる人物について呟いた。
「えっ……おじいさん?」
「俺の育ての親だよ。近くの病院に入院してるんだ」
草太の祖父。その人物も閉じ師ということなのだろう。
「失望させたくなかったな……こんな姿で……」
自分の呪われた姿を見られたくないという理由から、会うことを避けていたようだ。
しかし背に腹は変えられないと。祖父から直接後ろ戸の場所を訊いてみようと、重い腰を上げる草太であったが。
「——おい、草太!! いるのか? いるんだろ!?」
ふいに、ドアを激しく叩く音と共に若い男性らしき声が扉の向こうから響いてくる。
「ひっ! だ、誰……?」
「芹澤だ。参ったな、こんなときに……」
突然のことで驚く鈴芽だが、草太の方はまるで動揺した様子もなく、やれやれといった調子でため息を吐いていく。
「知り合い、適当に誤魔化してくれる?」
「え、ええっ!?」
「大丈夫、悪い奴じゃないから……」
どうやら友人らしい。しかしこんな姿で会うわけにもいかないと、あとのことを鈴芽に任せ、草太は部屋の隅っこでただの椅子になってやり過ごすことにする。
「おおい、草太! 開けていい? 開けるぞ? 開けるからな?」
そうこうしているうち、業を煮やしたのか芹澤なる人物がドアを開けた。
そうして鈴芽と対面することになったその相手は——金髪に近い明るい茶髪、洒落た眼鏡に胸元が開けたシャツを纏った、いかにも輩然とした若い男性であった。
「あの……こ、こんにちはっ!!」
「おわっ!? ……え、あんた誰?」
とりあえず挨拶をする鈴芽であったが、知人の部屋にいた初対面の相手に驚き、警戒心を抱くように芹澤は鈴芽を睨め付ける。
「あ、あの……芹澤さんですよね? 草太さんから、お名前聞いています!」
「あん……? ああ、そうだけど……」
そんな芹澤の警戒を解くためにも、鈴芽は草太の名前を出す。それにより僅かだが、芹澤の瞳から険が抜けていくのであった。
「えっ……教員採用試験?」
「ああ、昨日が二次試験だったのに……あいつ会場に来なくて、あり得ねぇよ」
この芹澤という男性は草太と同じ大学四年生とのこと。昨日は彼や草太が『教師』としての進路を進むために必要となる、教員採用試験の日だったというのだ。
「馬鹿すぎるぜ、これじゃ四年間の努力がパアじゃねぇか。あいつが来ねぇのが気になって、俺まで試験の調子が狂っちまったぜ」
そんな大事な日にも関わらず、それをすっぽかした草太に対し、芹澤は怒りを滲ませるように毒を吐いていく。
部屋に上がり込んだ彼の視線の先には本棚があり、そこには参考書の数々がズラリと並んでいた。『教員試験対策』『過去問集』『教員目指す人の本』といったそれらの本の背表紙を見れば、どれだけその部屋の人物がその日のため、勉学に打ち込んでいたかが窺い知れる。
「…………」
それらの事実を知った鈴芽は返す言葉もなく、部屋の端っこでじっとしている草太へと視線を向ける。動くわけにもいかない草太は、ただ静かに芹澤の言葉に耳を傾けるしかないでいる。
「キミさあ! スズメちゃん、だっけ?」
「は、はいっ!?」
語っているうち、さらにイライラが募ってきたのか。
先ほど自己紹介を終えたばかりの鈴芽に向かい、芹澤は怒りをぶつけるように愚痴を溢していく。
「草太に会ったらさあ、ムカつくから二度と顔を見せるなって言っといてよ」
「え……」
「ああ、でも二万……二万円貸してるな、そっちは早く返せって」
「え……?」
「なんか家業が大変だってのは聞いてたけどさ……」
言いたいことを一方的に捲し立てる芹澤に、やはり鈴芽は何も言えないでいる。
「あいつは自分の扱いが雑なんだよ……腹が立つ……何があったにせよ、連絡くらい出来ねぇのか……子供かよ。常識ねぇのかよ……」
それからもぶつぶつと文句を口にし続けながら、もう用は済んだとばかりにその場を後にしようと玄関の扉に手を掛ける。
「じゃあね」
そう言って、芹澤は何の気もなくドアを開けた。
「うわっ!」
「地震速報……? え、揺れるか……?」
するとそのタイミングで、鈴芽と芹澤の携帯電話が同時に不協和音を鳴らした。芹澤は自身のスマホを取り出し、画面に表示された『地震速報』という単語に眉を顰める。
現時点で体感的に揺れなど感じていないのか、これといって慌てた様子はない。
「————」
だが——玄関先の景色を見る鈴芽の顔色からは、完全に血の気が引いていた。
「……ちょっと、あんた大丈夫?」
様子がおかしい鈴芽を心配して声を掛ける芹澤だが、そんな彼の言葉も今の鈴芽の耳には届いていない。
「…………近い」
鈴芽は、目の前に広がる光景。
ここからそう遠くない場所、住宅と雑居ビルが建ち並ぶ中に出現した——『赤黒い胴体』が蠢くその異様に視線を釘付けにされる。
「うわっ、すげぇ鳥!」
芹澤の視線も、その周辺をギャアギャアと飛び回る鳥の群れに向けられていたが——肝心のものが彼には見えていない。
ミミズだ。
鈴芽たちが後ろ戸の場所を見つける前に扉が開き、常世から災いとして噴き出してしまった。
「鈴芽さん、行こう」
「っ……!!」
唯一、鈴芽と同じものが見えている草太がこっそりと彼女の足元まで来ていた。鈴芽は彼の言葉に頷き、椅子である彼を持ち上げる。
「えっ……? おい、ちょっと……あんた!?」
芹澤が何事かと呼び止めるが説明などしている暇もなく、鈴芽はその場を駆け出していた。
「私、知らなかった!! 草太さんの試験のことっ!!」
住宅地を走りながら、鈴芽は部屋で芹澤が話してくれたことに関して草太に言及していく。
閉じ師である草太だが、それは正式な職業ではない。それだけでは食っていけないという、割とドライな環境なのだ。
そのため草太は教師という目標を抱いていることを、ここまでの旅路の中でそれとなく話題にしてくれていた。
「昨日だったなんて、どうしよう!! 私のせいで……!!」
しかしその夢を実現させるための大事な日、それがもう過ぎてしまったということは初耳である。これも自分が要石を抜いてしまったせいだと、ミミズの元まで走りながら鈴芽は苦しそうに声を上げる。
「キミのせいじゃない」
それでも、草太は鈴芽を一切責めはしなかった。
「大丈夫だ。今日こそ全てを終わらせよう。後ろ戸を閉じ、ダイジンを要石に戻して、俺は元の姿に戻るんだ!!」
草太は教員採用試験のことは掘り返さず、すぐに目の前の現実を直視する。
長々と続いた要石との追いかけっこだったが、それも今日まで。今日で全ての決着を付けると、草太は自らの決意を力強く宣言していくのであった。
×
鈴芽たちがミミズの出現に動き出していた頃、同じようにその存在を察知していたものたちがいた。
「父さん、先ほどの地震……もしやミミズが!?」
「うむ……どうやら、恐れていた事態が起きてしまったようじゃ!!」
東京のどこかにあるとされる要石の場所を探ろうと、鬼太郎たちは街中へと繰り出していた。
鬼太郎自身は携帯を所持していなかったが、道行く通行人たちのスマホが不協和音を鳴らしていたこともあり、それがミミズ出現の前兆だと察する。
「鬼太郎しゃん!! あっちの方からミミズが出てきとうよ!!」
案の定、東京の上空をパトロールしていた一反木綿がミミズの姿を見たと、鬼太郎の元まで慌てて飛んでくる。
「急いで向かおう!! 一反木綿!!」
「コットン承知!!」
そのまま一反木綿へと飛び乗り、ミミズの元まで超特急で向かっていく。
「これは……!?」
そうして、出来るだけ早くミミズが噴き出すその根本まで駆け付けたい鬼太郎たちであったが、そこで思いがけない事態に直面する。
鬼太郎の目の前には川があり、その土手に電車用のトンネルが大きく口を開けていた。赤黒い奔流——ミミズは、そのトンネルの奥から噴き出していたのである。
「まさか、あの奥に……あんなところに後ろ戸が開くとは……」
これには、目玉おやじも驚きを隠せない。
ミミズが出てくる後ろ戸は、間違いなくあのトンネルの奥にあるのだろう。だがあれではトンネルのどこに扉があるのか、実際に入って見なければ何も分からないのだ。
「……行くしかないか……一反木綿、頼む!!」
暫しの間、どうすべきかと悩んでいた鬼太郎であったが、ここで呆然としていても事態が好転するわけでもない。
とにかく後ろ戸の元まで向かおうと、一反木綿にトンネルの奥まで突っ込むようにと頼み込んでいく。
「わ、分かったばい!! しっかり掴まっときんしゃい!!」
若干、及び腰になりながらも一反木綿も覚悟を決めてトンネルに向かって飛翔していく。
「ぐっ……!」
ミミズが絶えず溢れ出してくる狭いトンネル内を飛行するのは、濁流に身を投じるようなものであった。荒れ狂う奔流に呑まれまいと、必死に堪えながらトンネル内を突き進んでいくが——。
それはミミズを感じ取ることが出来る、鬼太郎たちの視点だ。
ミミズが見えていないものたち。電車やその運転士は、ミミズの影響を全く受けていないのか。通常通り運行する電車が赤黒い濁流の中を平然と突き進んできて、一反木綿と危うく正面衝突仕掛ける。
「うおっ!? 危なか……!!」
向かってくる電車をなんとか回避し、トンネル内を進み続ける一反木綿だったが——次の瞬間、あれだけ激しく蠢いていたミミズの動きがピタリと止まった。
「と、止まった……?」
「これは……閉じ師が扉を、閉じてくれたのか……?」
いきなりのことで鬼太郎も警戒して動きを止める。
目玉おやじも何が起きているか分からず戸惑うが、これも『閉じ師』が役目を果たしてくれたおかげなのではと納得しかける。
だが、それにしてはおかしい。
扉を閉じて鍵を掛けたのなら、ミミズは消滅する筈。にもかかわらず、動きこそ停滞したものの、ミミズは未だ現世を留まっている。
何かある。まだ何か起こる筈だと油断なく身構える鬼太郎。
刹那、大地が鳴動する。
トンネルが崩れるのではと思うほどの振動に、鬼太郎も緊張で身を固くしたその直後——。
凄まじい勢いで再びミミズが噴き出す。瞬間的に爆発力を高めたその勢いに押し出され、鬼太郎たちの身が、一気にトンネル外まで弾き飛ばされてしまった。
「うおおおお!?」
「っ……!! いったい、何が……?」
弾き飛ばされながらも、空中で態勢を整える一反木綿。一反木綿にしっかりとしがみついていたため、鬼太郎もなんとか投げ出されずに済んだ。
今の一瞬に何が起きたのかと、鬼太郎はその視線を改めてミミズの方へと向け——。
「なっ……なんだ、あれは……?」
そのあまりの光景に絶句する。
「さっきの地震……ちょっと凄かったね!」
「ああ、震度4くらいか? まあ、結構デカかった方かな?」
「ねえ、さっき川に飛び込もうとした女の子が……なんか、宙に飛び上がって……」
「見間違いだろ? それより早く遊びに行こうぜ!!」
東京の街を行き交う人間たちのほとんどが、いつも通りの日常を謳歌していた。
先ほど起こった短い地震も、女の子が橋から飛び降りたように見えたことも。あくまで日常の延長線上の出来事でしかなく、その程度のことで自身の生活の歩みを止めることはない。
「——うおおおおお!? なんじゃありゃ!?」
だが、『それ』が見えるもの——たまたま路上で小銭拾いをしていた、ねずみ男など。視線の先に広がっていた光景に、恐れ慄いたように悲鳴を上げている。
「何騒いでんだ……あの小汚ねぇおっさん?」
「頭でもやっちゃったんじゃない? いいからほっとけって……」
だがねずみ男のボロっちい外見もあってか、彼が何を叫ぼうが誰も真剣には取り合わない。
「な、なんだよ!! お前ら……あれが見えてねぇのかよ!?」
「ウルセェな……なにもねぇじゃねぇか?」
それも仕方がない。なにせ、彼らには見えていないのだ。
たとえ霊感が強く、妖怪や幽霊といったものが日常的に見えるような人間だったとしても、それの姿を視認するにはかなり『特殊な素質』が必要になってくる。
だが妖怪や半妖、そして野生の烏たちの瞳には『それ』の姿が鮮明に映し出されていた。
東京の上空に広がる——『赤黒い巨大な渦』が。
ミミズと呼ばれるそれは、先ほどまで確かに環形動物であるミミズを巨大化したような姿形をしていた。
しかし今のミミズは、もはや生き物に例えられるような存在ではない。
例えるなら、それは海面に浮かぶ巨大な渦潮だ。近づくもの全てを呑み込まんとする大渦が、街全体を覆い尽くさんとする勢いでさらなる広がりを見せていく。
「これが、あのミミズなのか!? 九州で見たときとは……まるで別物じゃないか!?」
上空からその全貌を目の当たりにすることになった鬼太郎は、それが本当にミミズなのかと驚愕していた。
九州で遭遇したミミズも相当に大きかったが、今目の前で拡大を続ける赤黒い渦はその比ではない。いったい何故、東京に出没したミミズがこんなにも巨大化しているのだろうか。
「要石じゃ……もう一つの要石が抜けてしまったんじゃ!! ミミズを抑えるものが何もなくなったことで……ミミズの全身が常世から出てきてしまったんじゃ!!」
ここで目玉おやじは驚きながらも、ミミズがどうしてそのように巨大なのかその理由を理解する。
そう、要石だ。
西と東、それぞれミミズの尾と頭を抑えつけていた筈の要石。その両方が抜けてしまったせいで、束縛から解放されたミミズが常世からこの現世へと解き放たれてしまったのだと。
つまりこれこそ、ミミズという厄災本来の姿なのだ。九州で鬼太郎たちが目撃したそれは、あくまでミミズの一部分に過ぎなかったのである。
「それにしても……なんたる異様!!」
それを理解出来て尚、目玉おやじは眼前のミミズの巨大さ、その異様さに戦慄するしかないでいる。
だがそうして驚愕している間にも、肥大化を続けるミミズがゆっくりとだが、東京の街に向かって降下を始めていく。
「ちょっ……!? お、落ち始めたばい!!」
「まずい!! このままでは……」
これに慌てて対処しようとする鬼太郎たちであったが——いったい、どうすればいいというのだ。
九州のときのよう、鬼太郎の指鉄砲で押し返せる規模ではない。
鬼太郎がどれだけ力を振り絞ろうと、この巨体を消し飛ばせるほどの出力を一人で出せるわけがないのだ。
どうにかしなければならないのに、どうにも出来ない。
そんな絶望感が鬼太郎を襲うが、それでもなんとかしなければと、指鉄砲を放とうと指先に妖力を集中していく。
「……っ!? ま、待て!! 鬼太郎っ!!」
「と、父さん……?」
ところが、ここで目玉おやじが静止の言葉を投げ掛ける。
彼は信じられないようなものを見る目で、赤黒い渦であるミミズの中心点——そこにある筈のないものがあると叫び、その言葉に鬼太郎も目を見開いていく。
「ミミズの上に……誰か乗っておるぞ!?」
「——!?」
「ダイジン!!」「要石!!」
赤黒い渦となったミミズの中心にて、鈴芽と草太の二人が白い子猫——ダイジンと対峙していた。
ミミズの出現を確認するや、早く後ろ戸を閉じようと街中を駆けていく鈴芽であったが——その道中で、彼女はダイジンと遭遇した。
『すーずめ あそぼ!』
『要石!!』
鈴芽に構ってくれと言わんばかりに近づいてくるダイジンを、草太が追いかけ回す。
白い子猫と子供椅子の取っ組み合いは、通行人たちの目にも留まり軽く混乱が起きるが、この好機を逃すまいと草太はダイジンを追い詰めていく。
だがあと一歩といったところで、ダイジンの姿を見失ってしまった。
いったいどこにと、周囲を見渡す草太と鈴芽であったが——そうこうしているうちに、もう一つの要石が抜けてしまったのか、ミミズの全身が解き放たれてしまったのである。
『ダイジン!!』
しかも上空へと勢いよく昇っていく赤黒いミミズの胴体の上に、ダイジンがちょこんと乗り込んでいたではないか。
このままではダイジンを取り逃し、さらには東京にミミズが落ちて——震災がこの街を襲うことになるだろう。
『大震災は絶対に防ぐ、鈴芽さん——行ってくる!!』
そんなことはさせまいと。草太はダイジンを追うべく、ミミズの上へと飛び乗った。
『草太さん!! 待って!!』
さらにはその後を追って、鈴芽も橋から飛び降りてミミズへと乗り込んだのである。赤黒い濁流に呑み込まれ、二人の体が東京の上空まで運ばれていく。
『鈴芽さん!! キミは、なんて無茶をっ!!』
『だって、一人で行っちゃうなんてっ!!』
ミミズの上にまで付いてきた鈴芽の無茶を叱るように叫ぶ草太であったが、それはお互い様だとこんなときでありながらも、鈴芽は強気に笑みを浮かべてみせる。
ここまで来た以上、最後まで付き合うという覚悟がその笑みに現れていた。
『……ミミズの表面は不安定だ。俺たちは離れない方がいい』
『うん!!』
草太も鈴芽の覚悟を読み取ったのか、このまま二人で一緒に行こうと。共にミミズの上を駆け昇っていった。
「みみずがおちて じしんがおきるよ」
そうして遥か上空。
もう逃げ場もないだろう、大渦たるミミズの中心点でついにダイジンと向かい合うことになった鈴芽たち。
「いまからたくさん ひとがしぬ」
ミミズの上で寛ぎながら、ダイジンは子供のように無邪気で嬉しそうな笑みを浮かべていた。
これから起きるであろう惨劇を待ち侘びるかのような——少なくとも、鈴芽にはそのように見えた。
「どうしてそんなことするのっ!? いい加減、要石に戻ってよ!!」
そんなダイジンの思考が理解出来ず、大震災を食いとめるためにも早く要石に戻ってくれと、鈴芽は悲痛な叫び声を上げる。
「むり」
「え……?」
「だいじんは もう かなめいしじゃない」
だがダイジンは——『自分はもう要石ではない』ため、その役目を果たせないことを告げた。
ならばいったい誰が、要石としての役目を与えられているのか。
「——すまない、鈴芽さん」
その答えを、当人はとっくに理解していた。
「ようやく分かった……今まで気付かなかった……気づきたくなかった……」
「そ、草太さん……!? 体が……体が冷たいよ!?」
突然動きを止めてしまった草太を鈴芽が持ち上げると、椅子である彼の表面をうっすらと霜が覆っていくではないか。
「今は——俺が要石なんだ」
「えっ……?」
その冷たさに戸惑う鈴芽に、草太は自分こそが——『新しい要石』であることを告白する。
「椅子に変えられたあの時から……要石の役割も、俺に移っていたんだ……」
「そ、そんなっ……!?」
まさかの事実に、鈴芽の表情がみるみるうちに青ざめていく。
つまりミミズを鎮めるためには、大震災を防ぐためには今この場で——宗像草太を犠牲にしなければならないということだ。
「ああ……これで終わりか……こんなところで……」
草太本人も、自分が要石にならなければならないことを無念に感じ、弱々しい言葉を吐いていく。
「でも俺は……キミに……キミに会えたから——」
だがそれでも、草太は彼女に——岩戸鈴芽という少女に会えた。
短いながらも彼女と旅をした時間は、草太にとってもかけがえのない想い出として、その胸に刻まれた。
故に彼女を守るためにも、今ここで己の役目を果たさなければならないと。全てを受け入れるかのよう、宗像草太は完全に凍りつき——その身が『要石』と化す。
「草太さん!? 草太さん!! 草太さん!! 草太さん——!!」
一方で、未だに現実を受け止めきれない鈴芽は、凍りついた草太の名を縋るように叫び続ける。もう返事をすることはないと頭では分かっているのに、心が理解することを拒んでいる。
「もうそれ そうたじゃないよ」
そうやって現実から目を背ける鈴芽に、ダイジンは彼女へと歩み寄りながら平然と事実を突きつける。
「ダイジン、アンタは!!」
鈴芽は諸悪の根源であるダイジンを睨みつける。
睨みつけながらも、その目には涙が溜まっていた。瞳から涙を溢し続ける鈴芽に、ダイジンは首を傾げながら問う。
「かなめいし みみずにささないの?」
「そんなこと——」
「みみずがおちるよ? じしんがおきるよ?」
「——!!」
ダイジンの言うとおり。限界まで質量を大きくし終えたのか、ミミズがゆっくりと降下を始めていく。
もはや一刻の猶予もない。早く要石で封をしなければ、東京を『大震災』が襲うだろう。
「ひとが いっぱいしぬねぇ」
一千万人もの都民が暮らすこの大都市でそんな大災害が起きれば、きっとたくさんの人が死ぬだろうと、ダイジンはただただ事実だけを述べていく。
「くりかえすねぇ」
——人が死ぬ……?
——あんなことが……繰り返されるの?
ダイジンの言葉にハッとなる鈴芽。
これから起こるであろう厄災を想像し、鈴芽は過去に自分が体験した出来事について思い返す。
岩戸鈴芽は『震災孤児』である。
鈴芽が四歳のときに起こった震災は、彼女から唯一の家族を——母親を奪い去った。
あれから十年以上の年月が経ち、暗い記憶など感じさせないよう日常を過ごしている鈴芽だが——傷跡は決して消えることなく、今も彼女の心に残り続けている。
母を失い、その事実を受け入れられず、たった一人で見知らぬ荒野を彷徨い続けたあの記憶。
あのときの寂しさ、苦しみ、悲しみ。今も昨日のことのように思い出される。
このまま大震災を止めることが出来なければ。
数百、数千、数万という人々が、鈴芽と同じような気持ちを味わうことになるのだ。
「もうやだよ……もうっ!!」
そんなことを、鈴芽は決して見過ごせなかった。
だからこそ——泣きじゃくりながらも、彼女は決断を下すしかなかった。
「うあああああぁぁぁぁ!!」
絶叫を上げながら、鈴芽は要石となった草太を両手で振り上げる。
瞬間、彼女の意思に呼応するかのよう、子供椅子の三本脚が一体化して一本の氷の槍と化す。
鈴芽は残る力の全てを振り絞り、ミミズに向かって要石を突き刺した。
赤黒い大渦の中心を、青い閃光が貫く。
刹那——東京全体を覆うほどの大きさだったミミズが、一瞬で消し飛んだ。
「まさか、こんなことが起きるなんて……」
あれだけの質量のものが一瞬で消え去る光景に、それが見えていた鬼太郎は唖然となる。
ミミズが見えない地上の人たちでは、その奇跡のような光景を目撃することも叶わなかっただろうが。ミミズ消滅の余波はオーロラのような波紋として夜空に伝わり、それが人々の間でちょっとした話題になった。
その一方で、夜空を落下する少女の存在に気づいたものなどほとんどいない。
「いかん!! あのままでは地上に落下して……!!」
「むむっ……可愛い子の予感がするばい! 今助けるとねっ!!」
だが、上空にいた目玉おやじはそれに気付き、あのままではまずいと声を上げる。
一反木綿も、遠目ながらも落ちていく人物が可愛い女の子だと、目ざとく勘づいて駆け寄ろうとする。
「……!? 父さん、あれは……!?」
ところがだ。
鬼太郎が落下するその人物の付近に目を向けるともう一人——いや、もう一匹。地面に向けて自由落下しているものがいることに気づく。
小動物らしきそれは、空中でじたばたと手足を動かし、なんとか落下する人物へと取り付く。
そして、いよいよ地表へと近づいたそのときだ。子猫ほどのそれが、巨大な熊ほどの大きさとなってその人物を守るように抱きかかえた。
「——!!」
瞬間、鬼太郎の妖怪アンテナが反応を示す。
いきなり大きくなったことを含め、それがただの動物でないことは明白。
しかし、それがなんであるかを確かめる間もなく。
それは大きな水飛沫を上げながら水面へと落下。鬼太郎たちにもその姿が見えなくなっていく。
×
『——お誕生日おめでとう、鈴芽!!』
『——うわあぁ!! すずめせんようだ!!』
光いっぱいに溢れた小さな庭で、四歳の誕生日を迎えた鈴芽が母親からの祝福を受けていた。
誕生日プレゼントは、母である椿芽が一から手作りしてくれた子供椅子である。
『おかあさん、ありがとう!! ぜーったい、ずっと、いっしょうだいじにするからね!!』
『一生!? それはお母さん、作った甲斐があったわ!!』
鈴芽のためだけに作られたそれを、彼女は母への感謝の抱擁と共に一生大事にすると宣言する。
そこまで喜んで貰えるなら作った甲斐もあったと、椿芽も嬉しくなって娘を力一杯に抱きしめた。
今でも鮮明に思い出せる、鈴芽が母と共に光に包まれていた時代の想い出。鈴芽はそんな日々がいつまでも続くと、何一つ疑うことなく信じていた——。
「……うっ……ううん……?」
暖かな光に包まれていた夢から一変、鈴芽は真っ暗な闇の中で目を覚ました。
「ここ……どこ……?」
見覚えのない場所に鈴芽は不安を覚えながらも、周囲を見渡しながら状況を確認する。
そこは切り立った崖底のような場所で、すぐ近くにはちょろちょろと水の流れる音が聞こえてきた。
「川の……下?」
鈴芽はポケットから無事だったスマホを取り出し、位置情報を確認する。
地図アプリには、現在位置が川の下であると表示されていた。もっと詳しく調べてみたかったが、生憎とそこでスマホのバッテリーが切れたのか、ディスプレイは何も映さなくなる。
「…………?」
手掛かりになりそうなものがなくなり、肩をガックリと落とす鈴芽であったが——ふと、遠くの方から青く淡い光が差し込んでくることに気付く。
「草太さん……?」
もう手元にもいない彼の名を呟きながら、ゆっくりとだが確かな足取りで光の方に向かって歩いていく。
「……ここって!!」
そうして歩いた先、目の前に広がっていた光景に鈴芽は息を呑む。
地下空間と思しきその場所にあったのは、人々から忘れられた時代の建物たちが朽ち果てた光景——即ち、廃墟であった。
それらの建物のほとんどが原型らしきものを留めていなかったが、その中で一つだけ。ひときわ『巨大な城門』だけが、崩れた廃墟の中で唯一形を保っていた。
両開きに開門されていた、その入り口の向こうには星空——常世の光景が映し出されている。
「東京の後ろ戸!?」
草太も、東京には『大きな後ろ戸』があると言っていた。おそらくこの門がその後ろ戸で間違いないだろう。
鈴芽はその向こう側に見える星空。その下に聳える丘。その頂上に突き刺さった要石。
ミミズにしっかりと突き刺さった子供椅子——宗像草太の変わり果てた姿に視線を釘付けにされる。
「草太さん!? 草太さっ……ええっ!?」
鈴芽は咄嗟に草太に駆け寄ろうと門を潜ったが——やはり門を通り抜けるだけで、常世へと入ることは出来ない。
「そこに見えるのに……どうして、入れないの!?」
草太が要石となってミミズを封じている場所は常世。現世にいる鈴芽では、どうあっても干渉することが出来ないのだ。
見えるのに、触れることが出来ない。夜空の星に手を伸ばしても届かない、そんなどうしようもないもどかしさに鈴芽は力なく項垂れるしかなく。
「草太さん!! 草太さん!! 草太さん……草太さん……」
草太の名を叫ぶように呼んでいたその声、徐々に弱々しいものへと変わり果てていく。
「——すずめ」
「——っ!!」
と、鈴芽の心が無力感に打ちのめされていたときだ。
暗闇の奥から嬉しそうに声を弾ませながら、一匹の子猫が鈴芽へと近づいてくる。
「すずめ やっとふたりきり」
「ダイジン!!」
要石としての役目を草太へと移し、のうのうと自由を満喫している白い子猫——ダイジン。
尻尾をピンと立て、撫でてくれとばかりに自身の頭を膝立ちになっていた鈴芽の太腿へと押し付けてくる。親しいものにしか見せないであろう、猫特有のコミュニーケーション。
そんな子猫の愛らしい仕草に、当然鈴芽の心が癒される筈もなく。
「アンタのせいで……!!」
鈴芽は怒りのまま、両手でダイジンを掴み上げる。
鈴芽に持ち上げられたことに「わあ!」と、ダイジンは楽しそうな声を上げる。遊んでもらっていると思ったのだろう。しかし、鈴芽にとってこれは遊びでもなんでもない。
「草太さんを返して!!」
「むり もうひとじゃないし」
「!! 草太さんを戻してよ!!」
「すずめぇ いたいよぉ」
「戻しなさい!!」
「いたいってばー すずめー」
怒鳴り声を上げる鈴芽。その一方で、ダイジンは甘えた声を上げ続けていたが、鈴芽が掴む手に力を込めるたび、その口から苦しそうな悲鳴が溢れる。
鈴芽はそのまま、いっそダイジンを握り潰そうかとも思った。女の子である鈴芽でも容易く折れてしまいそうなほどに、ダイジンの身はあまりにも華奢に感じた。
「すきじゃないのぉ? だいじんのこと?」
「はぁっ?」
鈴芽があまりに力を込めるからか、ダイジンは彼女に自分への好意の有無を問い掛ける。
最初に餌付けをしたためか、ダイジンは鈴芽に懐いているようであったが——。
「すきだよねえ?」
「大っ嫌い——!!」
草太のこともあってか、当然鈴芽のダイジンへの好感度など皆無に等しい。それを分からせるように、鈴芽は躊躇うことなく否定の言葉を吐き捨てた。
「…………どっか行って……二度と、話しかけないで……」
怒りに身を任せるまま、鈴芽はダイジンを思いっきり地面にでも叩きつけてやろうかとも思ったが——流石に出来なかった。
どんなに憎い相手でも、その命を奪うなんてこと——命の価値を知るからこそ、出来るわけがなかったのだ。
鈴芽に出来たのは、ダイジンにもう二度と話しかけるなと拒絶の意思を示すことだけだ。
「すずめ だいじんのこと すきじゃなかった」
鈴芽の手から離されるダイジン。彼は鈴芽への好意が自分の一方的なものでしかなかったことを思い知る。
すると子猫のように愛らしかったダイジンの体が、みるみるうちに痩せ細り、まるで老猫のようにみすぼらしい姿へと変わってしまった。鈴芽と出逢う前、彼女に餌を与えられる前の姿だ。
しかしあのときのように、その身を心配してくれる人ももういない。
「————」
失意のまま、ダイジンは鈴芽に言われてたとおり、彼女の前から姿を消そうと歩き出した。
とぼとぼと立ち去るダイジンの足音が聞こえても、鈴芽は後ろを振り返りもしない。
立ち去る間際、未練がましくもダイジンが鈴芽の方を振り返った——その瞬間。
「!! すずめ あぶない——!!」
「えっ……?」
突然、ダイジンが声を上げながら走り出した。鬼気迫るその叫びに、思わず後ろを振り返る鈴芽。
刹那——暗闇の中に一筋の光が走ったと思いきや、ダイジンの体が鋭利な刃物によって切り裂かれる。
「うっ!!」
ダイジンの肉体から真っ赤な鮮血が舞い、その華奢な体が地面に横たわる。
「えっ……な、なに……ダイジン? なんで……?」
鈴芽は、自分がダイジンによって『庇われた』という事実を一寸遅れで理解する。
何故、ダイジンが自分を庇ったのかという疑問も当然あったが——。
「あ……あなた……誰?」
「…………」
それ以上に、その困惑は見知らぬ人物——刀らしきものを手にした小柄な老人へと向けられていた。
×
「——おやおや……まさか、その人間を庇うとは……」
どこからともなく姿を現した、謎の人物。
それは着物を纏った古風な老人と、一見すれば普通の人間のようであったが、その割には妙に後頭部が大きい。
「なんとも健気なものですね……あれだけ酷い言葉を吐かれたというのに……」
「……!」
老人は鈴芽の問いになど答えず、ダイジンが鈴芽を庇ったその健気さを皮肉げに称えた。酷い言葉を吐いた自覚があるのか、鈴芽は老人の言葉に何も言い返せないでいる。
「それにしても、貴方には困ったものですね、ダイジン……」
さらに地面に転がるダイジンへと不敵な笑みを浮かべながら、老人はやれやれとため息を吐き——。
「せっかく、要石としての役割から解放されたのに……わざわざ私が開けた扉の前まで、人間たちを誘導するとは……」
そんな言葉を独り言のように呟く。
「…………えっ?」
鈴芽は、老人の口から放たれた言葉の意味をすぐには理解できなかった。
しかし、その言葉がどのような意味合いを持つか、それを徐々に理解していくことで鈴芽の脳裏にとある考えが浮かび上がってくる。
「あ、あなたが扉を開けたって……? 後ろ戸は……ダイジンが開けてたんじゃ……?」
鈴芽は、ずっとダイジンが元凶だと思っていた。
ダイジンは自分を追いかける草太や鈴芽を翻弄するため、あるいは遊び感覚で後ろ戸を開き——ミミズを常世から現世へと呼び込み、『大震災』を起こそうとしていたのだと。
だから、そうではなかったという可能性。
ダイジンではない——第三者。
明確な『悪意』を持って扉を開いていたものがいたなどと、全く考えてすらいなかったのである。
「いいえ、扉を開けていたのは……この私です」
ここでようやく、老人の視線が鈴芽へと向けられる。老人はどこか愉悦に満ちた、それでいて冷淡な瞳で鈴芽を射抜きながら、彼女の疑問を氷解させる答えを返した。
「!! な、なんでそんなこと……ミミズのせいで、いったいどれだけの人に被害がっ……!!」
老人の鋭い眼光に怯みつつも、鈴芽は何故そんなことをと叫ばずにはいられなかった。
後ろ戸を開けば、ミミズが出てくる。ミミズが倒れれば震災が起き——それがどれだけの人々に被害をもたらすか。
失う痛みを知るからこその鈴芽の必死な叫び。それに対し、老人は全く心動かされた様子もなく平然と答えていく。
「それは当然、邪魔な人間たちを排除するためですよ。まあ、他にも目的はありますが……それを貴方に話したところで意味はありません」
「はっ……? 人間をって……あなた、何を言って……?」
老人の予想外過ぎる返答にフリーズする鈴芽。
いったい相手が何を言っているのか、その思考を理解することすら彼女には出来なかった。
「ですがお嬢さん。貴方には感謝しているのですよ? 貴方が要石を抜く手間を省いてくれたからこそ、こうして後ろ戸が開きやすい状態になってくれたのですからね、くっくっく……」
「!?」
だがそこで老人は、予想外な方向から鈴芽への礼を口にしていた。
鈴芽が不用意にも要石を抜いてしまったこと。それを知っているということは、この老人もあのとき、あの後ろ戸の側にいたということになる。
「開きかけの扉を開けることは私にも出来ますが……要石を抜くのも、突き刺すのも人の手でなければなりませんからね……貴方のおかげで、計画を前倒しで進めることが出来ました。ありがとうございます」
「………………」
どうやら、この老人に要石は抜けないらしい。
それは老人が『人間ではない』からなのだが、生憎と今の鈴芽にそこまで思案を巡らせる余裕もなく。
「お礼と言ってはなんですが、その鍵を大人しくこちらに渡して頂けませんか? そうすれば、貴方に危害を加えるつもりはありませんので……」
「っ!?」
戸惑う鈴芽が冷静さを取り戻す暇もなく、老人はさらなる要求で彼女を追い詰めていく。
『鍵』——おそらく閉じ師が後ろ戸を閉じる際に用いる、鍵のことだろう。
草太から託されたそれを、今も鈴芽は大事に所持している。後ろ戸を開けてまわっていたという老人から、それを渡せという要求。
当然、それに鈴芽が頷くことなどない。
「……っ」
「そうですか、それは残念です」
言葉にせずとも、鈴芽の拒絶の意思を察したのか。ちっとも残念と思っていない口調で、老人は刀を握る手に力をこめていく。
「すずめに てだしはさせない!」
「だ、ダイジンっ!?」
そんな老人の凶行から鈴芽を守ろうと、傷を負っている筈のダイジンが体を起こす。
よろよろとよろめきながら、尚も自分を庇おうとする姿を前にすれば、鈴芽もダイジンを心配するような悲鳴を上げるしかない。
「あくまで、その人間を庇おうというのですか……ならば、諸共にここで切り捨てて差し上げましょう」
そんな相手の抵抗を嘲笑するよう、老人は鈴芽とダイジンの両者をまとめて切り捨てようと刀を振りかぶろうとする。
「むっ……!?」
しかし、老人がその凶刃を振り下ろすよりも先に——暗闇の奥から、なんらかの飛来物が老人に向かって襲い掛かる。
「——危ない!! ぬらりひょん様!!」
だが飛んできたそれは、老人を守るように現れた——『真っ赤な顔をした大柄の人物』によって弾き飛ばされた。
「なっ……なに!? いったい、なんなの……!?」
弾丸のような速度で飛んできた飛来物も、それを容易く素手で払い除けて見せる人物も。
どれもこれもが、鈴芽の理解の範疇外の存在であり、彼女は戸惑うしかないでいる。
「今のは……」
一方で、自分を狙って飛来してきたものがなんなのか、老人——ぬらりひょんと呼ばれた彼は、それを正しく認識していた。
その視線が暗闇の向こう側——カランコロン、と下駄の音と共に歩み寄ってくるものへと油断なく向けられていく。
「——まさか、こんなところでお前と出くわすことになるとはな……ぬらりひょん」
そうして、鈴芽やぬらりひょんの前に現れたのは——黄色と黒のちゃんちゃんこを纏った少年。
「あなたは……!?」
状況にさっぱり付いていけない鈴芽であったが、そんな彼女でもその少年のことは知っていた。
奇しくも、数日前にもネットの画像にアップされていた。九州で鈴芽たちが後ろ戸を閉じるまでの間、ミミズを抑えてくれていたと思しき——妖怪の少年。
「これはこれは……こんなところで会うとは、奇遇ですね……鬼太郎くん」
老人・ぬらりひょんも、その少年と顔見知りなのか。
彼——ゲゲゲの鬼太郎の名を親しげに、それでいて忌々しげに吐き捨てていく。
「鬼太郎よ、あの子……どうやら無事であったようじゃな……」
「ええ……とりあえず、一安心といったところでしょうけど……」
ぬらりひょんを油断なく見据えるその一方で、目玉おやじや鬼太郎は彼女——鈴芽が五体無事な姿でいたことにホッと息を吐いた。
鬼太郎がその場所——東京の地下。
人工的に造られた思われるその洞窟を訪れたのは、決して偶然ではなかった。
鬼太郎ですらどうにも出来なかった、ミミズを鎮めた閉じ師——少なくとも、鬼太郎は鈴芽のことをそのように認識した。
ミミズという足場を失い、あわや地上へと激突するかに思われた彼女だが——小さな、それでいて大きくもなれる妖怪らしき何かに抱きかかえられ、そのまま川へと落ちていった。
鬼太郎たちは彼女の無事を確認しようと、ずっとその行方を追っていたのである。
川の勢いが激しく、流される先がどこに繋がっているかまでは分からなかったが、少女を庇ったと思われるものの妖気は妖怪アンテナで追うことが出来た。
そうして妖気を辿った先で見つけたのが、自動車用のトンネルであった。
まさかと思い、そのトンネルを汲まなく調べたところ——鬼太郎はこの地下へと至るための入り口を見つけたのである。
そのようにして辿り着いた、その先で——鬼太郎はあの少女が、ぬらりひょんに刀を向けられている現場に遭遇した。
咄嗟にリモコン下駄を放ち、それ自体は朱の盆によって弾かれてしまったが、ぬらりひょんの注意を鬼太郎へと引きつけることは出来た。
もうあの少女のことは心配いるまいと、鬼太郎は眼前のぬらりひょんへと意識を集中させていく。
「——へっへっへ!! どうだ、鬼太郎!! 驚いただろ!?」
襲撃者の正体を鬼太郎だと知るや、朱の盆は彼に向かって得意げな表情を浮かべて見せる。
「ぬらりひょん様だ!! この朱の盆様ですら死んだと思っていたぬらりひょん様が生きておられたのだ!! どうだ!! 恐れ入っただろ!?」
朱の盆はぬらりひょん——先の大戦で死んだと思われていた彼が、実は生きていたという衝撃の事実をこの場でカミングアウトする。
きっと鬼太郎も仰天するだろう。無様に動揺する様を笑ってやるとばかりに、相手方のリアクションをワクワクと待ち構える。
「ああ、そうだな……」
「えっ、反応薄っ……」
しかし、鬼太郎はこの場所にぬらりひょんがいたことに驚いてはいたが、彼が『生きていた』という事実に対して、そこまで動揺した様子を見せなかった。
鬼太郎があまりに冷静過ぎたためか、逆に朱の盆が呆気に取られている。
「意外ですね。もう少し驚かれると思っていたんですが……」
これにはぬらりひょんも意外そうな顔をする。
「少し前に、お前が生きているかもしれないという話を聞かされたからな……」
勿論、鬼太郎も驚いてないわけではない。
だが鬼太郎は前回のとある事件にて、そこで会合した『ぬらりひょんと因縁深い相手』から、奴が生存しているかもしれない可能性に付いて語られていた。
その話を事前に聞き、心構えをしていたからこそ。今この瞬間、ぬらりひょんが目の前にいても平常心を保つことが出来ていたのである。
「ぬらりひょんよ!! お主、先の戦争で同志を無駄に死なせた責任を取ると、自ら命を絶った筈ではなかったのか!?」
とはいえ、何故ぬらりひょんがこうして生きているのか。それに対する疑問をぶつけないわけにはいかないだろう。
鬼太郎の頭からひょっこりと顔を出した目玉おやじは、ぬらりひょん自身が口にしたケジメ——『潔く自ら死を選ぶ』と自爆して自害したことについて言及していく。
「ええ……無論、責任は取りますとも。ですがそれは、生きていればこそ果たせるもの……」
だが、ぬらりひょんは一切悪びれた様子もなく、いけしゃあしゃあと言ってのける。
ここにきて、あれが『偽装自殺』であったことをもはや隠す気はないらしい。
「妖怪の復権……そしてこの国を、日本を護るためにもね……」
「なんだと……?」
ぬらりひょんの目的が『妖怪の復権』であることは今も昔も変わらない。だが鬼太郎はぬらりひょんが、あえて『この国を護る』と口にしたことに眉を顰める。
「に、日本を護るって……だったら、どうしてこんなことをっ!?」
鈴芽の方も、ぬらりひょんの言動に矛盾を感じたのだろう声を荒げた。
この国を護る気があるなら、どうして後ろ戸を開けてまわっていたのか。ミミズを解き放つことは、この国を護るどころか破壊してしまう。真逆の行動なのではないかと。
「大震災の対応に揺れ動く日本政府……その隙を突き、同志たちを一斉蜂起させ、政府機関を潰す。それにより、この国の主導権を我々妖怪が握る……その手筈になっていたんですがね……」
その疑問に対し、ぬらりひょんは今回の事件を起こした理由を淡々と語った。
つまるところ、ぬらりひょんは東京という首都で大震災を起こし、その対応に四苦八苦する日本政府の混乱に乗じての——『クーデター』を画策したのである。
そうすることが、この日本を護ることにも繋がるのだと。ぬらりひょんは何一つ、自身の行動に後ろめたさを抱いていない。
「しゃが、それもここまでじゃ!! その子がミミズを封じてくれたおかげで、大震災は未然に防がれた!! もう諦めよ、ぬらりひょん!!」
「…………」
もっとも、震災が起きなければその計略も机上の空論に過ぎない。
鈴芽が決死の想いと共にミミズを要石に突き刺したことで、図らずともぬらりひょんの計画は頓挫した。
これ以上は何をしても無駄だと、素直に諦めるよう目玉おやじが声を上げる。
「いいえ、まだです」
「……!!」
しかし、ぬらりひょんはまだ諦めていなかった。
「要石は二つ揃わねば、ミミズを完全に抑え込むことなど出来ません。いずれは抑えが効かなくなり、再び後ろ戸からミミズが噴き出してくるでしょう」
「っ……!!」
ぬらりひょんは要石が二つあることもしっかりと把握しており、もう一つの要石が抜けたままであれば、いずれまた後ろ戸からミミズが出てくると。
まだチャンスはあると、不敵な笑みを崩しはしなかった。
「とはいえ……ここで貴方と戦ったところで益はなさそうですからね。朱の盆、ここは一旦引き下がりますよ」
「は……はい!!」
だが、ここで鬼太郎とぶつかり合うリスクは冒すまいと。
あっさりと撤退を決める。朱の盆と共に、闇に溶けるようにその姿を眩ましていく。
「ふぅ〜……まさか本当にぬらりひょんが生きていたとは……」
「そうじゃな……今後の対策を皆で考えねばなるまい……」
ぬらりひょんが去ったところで、鬼太郎はようやく緊張感から解放されたのか表情を緩める。
一応、ポーカーフェイスを装ってはいたが、奴の生存が驚愕すべき事態であることは確か。この情報はさっそく仲間たちとも共有すべきだろうと、目玉おやじも対応策に関して今から思案を巡らしていく。
「さて……キミが閉じ師ということでいいのかな、お嬢ちゃん?」
それはそれとして、今は彼女を保護するのが先だと——目玉おやじは東京を救ってくれた閉じ師と思しき少女・岩戸鈴芽へと声を掛ける。
「……違います。私は、閉じ師じゃありません。閉じ師は……みんなのためにいつも頑張ってくれていたのは……」
ただ、自分が閉じ師かという問いに対し、鈴芽は真っ先に否定の意思を示した。
自分は違う。閉じ師という、誰に感謝されずともこの国を陰ながら護る活動をしてきた人は自分ではないと。
大きく開いたままの後ろ戸——その向こうにある常世を、ミミズに突き刺さった要石を、草太を見つめる鈴芽。
「ふむ……どうやら事情を訊いておく必要がありそうじゃな……」
そんな鈴芽の並々なら様子に何かあると感じたのか。
「とりあえず、傷の手当てをせねばなるまい……キミも、その猫もな……」
まずは怪我の手当も必要だろうと。
服もボロボロで、ところどころ擦り傷もある鈴芽と——ぬらりひょんに切られた子猫・ダイジンの身を気遣っていく。
「ダイジン……」
目玉おやじの言葉に、鈴芽もダイジンへと気遣いの視線を向けた。
未だ複雑な思いはあれど、自分を庇ってくれたその小さな体を、優しく抱きかかえていくのであった。
×
「——なるほど、事情は分かった。キミも九州から……本当に大変な道のりを歩んできたんだね」
「いえ……私は別に……」
あれから、巨大な後ろ戸にしっかりと鍵を掛けた後。
地下から地上へと場所を移した鬼太郎たちと鈴芽は、とりあえず人気の少ない公園のベンチを訪れ、そこで互いが持っている情報を擦り合わせていた。
「ほら、まだ動かないで……ガーゼ貼るから、足あげてちょうだい……」
「あ、ありがとうございます……ええっと、猫娘さん?」
その際、手当のために救急箱を持ってきてくれた猫娘が鈴芽の傷の処置をしていく。
自分より少しお姉さんな猫娘の手当てを大人しく受け入れながらも、鈴芽は他のことが気になるのか不安げな表情で尋ねる。
「あの……ダイジンの容体は……?」
そう、鈴芽は自分を庇って負傷したダイジンの怪我の具合を気に掛けていた。
「大丈夫よ、あの子猫は砂かけババア……仲間が手当てしてくれてるから。見た目ほど、そう大した傷でもないって話だしね」
「そう、ですか……」
ただそれに関しては心配無用と、他の仲間が手当てをしてくれているという猫娘の言葉に鈴芽も安堵の息を吐いていく。
「しかし、そうか……閉じ師の、その草太という青年が要石に……ふぅむ……」
鈴芽の手当てが終わった頃。目玉おやじは鈴芽から話を聞いた、宗像草太という閉じ師の青年のことを考えた。
ダイジンから要石としての役割を押し付けられたという彼だが、それでもミミズを食い止めるためにと、その役目を受け入れたことで東京の大震災は未然に防がれた。
彼のその覚悟がなければ、ぬらりひょんの策略が実行に移されていただろうと。目玉おやじたちも彼に対する感謝の念を抱かずにはいられない。
「あの……私、草太さんを助けたいんです!! 彼がいる常世への行き方、何か知りませんか?」
そして鈴芽は、そんな草太を助けたいという自身の正直な気持ちを鬼太郎たちにぶつけていく。
「…………常世への行き方か。わしらの方でも色々と調べてみたが……それに関する記述は、残念ながらどこにもなかったのう……」
鈴芽の問い掛けに、目玉おやじは一瞬何かを考えたが——自分たちも常世に関して詳しくは分からないと首を横に振る。
数日ほど前から、鬼太郎たちは常世を始め、後ろ戸やミミズ、要石などに関する資料を色々と漁ってみたが、鈴芽が知りたがるような情報を掴むことは出来ていない。
「そう……ですか……」
目玉おやじの返答に、鈴芽は目に見えて落ち込む。
「他に誰か詳しい人がいれば……閉じ師というのは、その草太という青年が一人でやっているんでしょうか?」
がっくりと肩を落とす鈴芽を見かねてか、鬼太郎は他に手掛かりがないかと話を振る。
そもそもな話、鬼太郎が気になっていたのは『閉じ師』が草太一人しかいないのかという点だ。彼以外に、閉じ師と呼ばれるものがいるのなら、そのものから詳しい話が聞けそうだが——。
「あっ……そ、それなら……!!」
すると心当たりでもあるのか、その表情に僅かな希望を宿しながら鈴芽は——とある人物について、鬼太郎たちにも話をしていく。
「だいぶ落ち着きましたね、宗像さん」
「ああ、昨日はちょっと酷かったからね……」
とある病院。
看護師と医師の二人が、とある患者の容体を話し込みながら廊下を歩いていた。
「…………」
そんな病院関係者に見つからないようにと、息を潜めながら鈴芽はその患者の病室へと向かう。
本来なら正式に手続きを踏まえた上で面会を申請すべきなのだろうが、朝早くまだ受付をしておらず、また時間も惜しいため、仕方なく忍び込むような形でここまで来てしまったのだ。
「宗像……ここだ……」
そうして、鈴芽は目的の病室。
「…………」
病室独特の消毒液などが匂ってくる中、その老人は眠るように窓際のベッドに横たわっていた。
——似てる……草太さんに……。
鈴芽は一目見て、それが宗像草太の育ての親。
話に聞いていた草太の祖父だと、彼と似通った部分をその老人の容姿から見出す。
しかし、若く逞しい生命力に溢れていた草太とは異なり、その老人からはほとんど生気というものを感じられなかった。
顔中に刻まれた深い皺、血の気を感じさせない肌、髪も眉も全てが雪のように真っ白。また右腕も、肩から先がすっぱりと失われていた。
ピ、ピ、と。規則的な電子音を響かせるバイタルモニターが、老人が今も確かに生きているのだということを教えてくれている。
そんな死に体の老人へと、不安げな表情を浮かべながらも一歩、その側へと近づく鈴芽。
「——草太は、しくじったんだな?」
刹那——老人・宗像羊郎は目を閉じたまま、全てを悟ったかのように言葉を発した。
「す、すみません……勝手に入って!!」
声を掛ける前に気付かれるとは思ってなかったのか、鈴芽は慌てて謝罪を口にする。
「あの……私、草太さんからお爺さんが入院されてるって聞いて、それで……」
鈴芽は自分が怪しいものではないと、自分が草太の知り合いであることを伝えようとどうにか言葉を紡いでいく。
「ああ……あなたは、巻き込まれたのかい?」
だが羊郎は細かい説明は不要だとばかりに、ゆっくりと目を開きながらその視線を鈴芽へと向ける。
「私の孫はどうなった?」
そして単刀直入、自分の孫がどうなったかを問う。
「……要石になって……常世に……」
その問いに鈴芽が答える。
彼女からすれば断腸の思い。彼を犠牲にするしかなかった己の無力感に苛まれながらも、どうにかして絞り出した返答であった。
「そうか……」
されど、羊郎は感情がないような声で呟くばかりだ。
「昨日、この窓からミミズが見えた。私も駆け付けたかったが、この老体がどうしても言うことを聞かなくてね」
彼も閉じ師である以上、ミミズの姿を見ることが出来るのだろう。
しかし見えていても、それに立ち向かうだけの体力がないと、老人は己の不甲斐なさを嘆いていた。
「あの、だから……!! 私、常世に入る方法を知りたいんです!!」
草太のことを伝え終えた鈴芽は、そのまま羊郎に『常世への行き方』について尋ねる。
草太が頼りにするほどの人だ。きっと常世へ行く方法にも心当たりがあるだろうと、鈴芽は僅かな希望をその問いに託す。
「……何故だね?」
「え……?」
しかし、老人から返ってきた答えは疑問だった。
「だって、草太さんを助けないと!!」
「いらぬ手出しだよ」
鈴芽は草太を助けるためだと必死に訴えるが、それに羊郎は毅然とした態度で答えていく。
「草太はこれから何十年もかけ、神を宿した要石となっていく。貴女には分からんだろうが、それは人の身には望み得ぬほどの誉なのだよ」
「文献を読み解くに……要石は、資格を持った人間がその身に神を宿すことで、この現世に現れるとされておる……」
「それは……そのものが人柱になる、ということでしょうか?」
「…………」
鈴芽と羊郎の会話は病室の外で待機していた目玉おやじと鬼太郎、猫娘の耳にも届いていた。
彼らもまた、羊郎に聞きたいことがあると鈴芽に着いてきたのだが、大勢で押しかけては病人の負担になるだろうと、今は聞き役に徹していた。
「うむ……おそらく、閉じ師の資格を持ったものたちの中から、さらに選ばれたものがその役目を背負うことになるのじゃろう……」
目玉おやじは小声で、要石の成り立ちについて鬼太郎たちに語った。
それは要石が代々、閉じ師の一族の中から選ばれた人間が『成った』ものだということ。
これは文献にはっきりとそのような記述があるわけではなかったが、羊郎の『人の身では望み得ぬほどの誉』という言葉からも、そのように推察することが出来る。
「それじゃあ、あのダイジンって猫も……」
その話に、猫娘はあの小さな子猫——ダイジンの境遇に思いを馳せる。
もしかしたらだが、要石であるダイジンにも『神』ではなく『人』として生きることの出来た未来があったのかもしれないのだと。
「何かを犠牲にしなければ生きていけぬ。これも人の……いや、生きとし生けるもの全ての業なのかもしれん……」
そういった事情の上でしか成り立たない平和に、妖怪である目玉おやじも自分たちの業の深さを感じずにいられなかった。
「でも、何か方法が!!」
それでも、鈴芽はどうにか草太を助けられないかと悲鳴のように叫ぶ。しかしそんな彼女の叫びにも、羊郎は動じることなく静かに問いを投げ掛ける。
「貴方は孫の想いを無にしたいのか?」
「え……」
「要石を刺したのは誰だい?」
「え、ええっと……」
「貴方が草太を刺したのかい?」
「あ、あの……でも……」
続け様の問い掛け。
それに対し、しどろもどろな返答しか返せない鈴芽に——瞬間、老人の怒号が飛ぶ。
「——答えなさい!!」
「——私です!!」
「そうか、それで良いのだ!! 貴方が刺さなければ、百万人が死んでいた!! 貴方はそれを防いだのだ!! そのことを一生の誇りとして胸に刻み、口を閉じ……元いた世界に帰れ!!」
鈴芽の確かな返答に、羊郎は息を荒げながらも満足げに頷く。
鈴芽のやったことに何一つ間違いなどなかった。彼女の決断によって救われた命はきっと百万人を越えるだろう。
「只人に関われることではないのだよ。全て、忘れなさい」
故に、鈴芽は十分に己の役目を全うしたと。
これ以上は関わるべきではないと、羊郎は彼女に元の世界——いつもの日常へと帰るようにと言い付ける。
「…………」
「…………」
部屋の外で老人の叫びを聞いていた鬼太郎たちも、鈴芽がこれ以上この件に関わるべきではないと思っていた。
ここから先は自分たちがなんとかすると、羊郎が言わずともそのように説得するつもりだったのだから。
「——忘られるわけがない……」
ところが羊郎の怒号に鈴芽は怯むどころか、逆に腹がすわったのか。怒りすら感じられるような、確かな決意を感じさせる表情で静かに呟く。
「——私、地下の後ろ戸をもう一度開けます」
「——!?」
「——!?」
この発言に羊郎は当然ながら、鬼太郎たちですら動揺を隠せない。
「な、何を言う!?」
「どうにかして中に入ります」
「無理だ、そこからは入れん!! 後ろ戸を開けてはいかん!!」
羊郎の必死の忠告にも構わず、鈴芽は聞く耳を持たんとばかりにその場から立ち去ろうとする。
鈴芽を止めようと羊郎は起きあがろうとするが、やはり体が言うことを効かず。「ごほっ!! ごほっ!!」と激しく咳き込み、体が苦しそうに痙攣を起こす。
「だ、大丈夫ですか……?」
「はぁはぁ……ああ……」
流石に鈴芽も足を止め、老人の身を心配して駆け寄る。羊郎はなんとか呼吸を整えつつ、鈴芽の瞳を見据えながら再び言葉を紡いでいく。
「……常世は美しいが死者の場所だ……」
常世。
死者の世界とされるその場所に、生者が入り込んで戻って来れるという保証はどこにもない。
「——貴方は怖くないのか?」
それでも行くのか、死ぬのが怖くないのかと老人が少女に問うた。
その問いに彼女は答える。
「怖くなんてありません。生きるか死ぬかなんてただの運なんだって、小さい頃からずっと思ってきた……」
「……っ!?」
鈴芽の返答に鬼太郎は驚いていた。
強がりなどではない。鈴芽は死など心の底から恐れていないということが、その言葉の端々から感じ取れたのだ。
いったいどういう体験、経験をすれば高校生の少女にそのような死生観が身に付くというのだろうか。
だがそんな少女にも、恐ろしいと思えることがある。
「でも……!! 草太さんのいない世界が、私は怖いんです!!」
「……っ!!」
続け様のその言葉に、今度は猫娘が驚く。
だが驚きながらも、彼女の胸のうちは鈴芽という少女への共感で埋め尽くされていた。
その人がいない世界。それを想像するだけで、恐ろしいほどの孤独感に襲われて夜も眠れない。
そう思えるほどに大切な人が猫娘にもいると、チラリとどこぞの朴念仁の少年を盗み見ていく。
「ハッ! ハッハッハ!! ハッハッハッハッ!!」
すると鈴芽の答えに、何が可笑しいのか羊郎は愉快そうな笑い声を上げた。
「ふっふっふ……」
「と、父さん? どうかしましたか?」
その笑い声に誰もが呆気に取られる中、ただ一人、目玉おやじだけが共感するかのよう小さな笑みを溢す。
きっと鈴芽や鬼太郎、猫娘にはまだ分からないだろう。
自分の孫、息子に——『そのような相手』が見つかったときの愉快さ、込み上げてくる嬉しさ。
老いた自分に代わる、次世代へと希望を託せるという喜び。
こればかりは、そういう立場になってみないと分からないものである。
「ハッハッハッ、ハッ、ハアァ……」
笑い声はそのまま苦しいそうな呼吸音に変わっていくが、それでも羊郎は嬉しそうな余韻を残しつつ、鈴芽にとある事実を告げていく。
「人の潜れる後ろ戸は生涯に一つだけ……おおかた、貴方は幼い頃に常世にでも迷い込んでしまったのだろう……」
常世と現世の行き来など、本来なら不可能だ。
しかしふとした拍子に、人はそういった『異なる世界』へと迷い込んでしまうことがある。これを『神隠し』と呼ぶものもいる。
特に人間の子供などは『魂が安定していない』らしく、そういった場所に迷い込みやすいとのことだ。
「あっ……」
思い当たる節があったのか、鈴芽の表情に希望が宿る。
岩戸鈴芽という人間の潜ることのできる後ろ戸。それはきっと、幼い頃に彼女が扉を開けてしまった、あの後ろ戸に違いないと。
鈴芽の脳裏に『雪が激しく降る夜』『瓦礫の中に真っ直ぐに立つ扉』『その扉の奥に広がる眩いばかりの星空』といった情景が思い起こされていく。
「…………!!」
鈴芽は大切なことを思い出させてくれた老人に向かい深々と頭を下げ、病室を後にしていった。
「猫娘、彼女を頼む……」
そのまま部屋の外で待機していた鬼太郎たちを一瞥もせず、鈴芽は急ぎどこかへと駆け出してしまった。鬼太郎は猫娘に鈴芽のことを頼むと声を掛ける。
「それはいいけど、鬼太郎はどうするのよ?」
その頼みを引き受ける猫娘であったが、肝心の鬼太郎は何をするつもりだろうと疑問を抱く。
「ボクは……」
その疑問に、鬼太郎はその視線を宗像羊郎の病室へと向けていた。
「……? どちら様かな……」
話し疲れているのか、視線を天井に向けたままの姿勢で羊郎は鈴芽ではない別の訪問者——カランコロンと下駄を鳴らす何者かに声を掛けた。
「初めまして、ゲゲゲの鬼太郎と言います……」
鬼太郎は軽く頭を下げながら、羊郎に自分が何者かを名乗っていく。
「ほう、キミが噂の……キミも、あの子に着いていかれるのかな?」
閉じ師というだけあって、羊郎も鬼太郎という妖怪の存在を驚くことなく受け入れる。
そして、鬼太郎『も』鈴芽の手助けをしてくれるつもりなのかと、そのように問う。
「そちらは……?」
「————」
だが老人のその問いにすぐには答えず、鬼太郎の視線は病室の窓——外から老人を覗き込むように座り込んでいた、黒い子猫の方へと注がれていた。
いつからいたのか。一見するとただの猫だが、鬼太郎の妖怪アンテナが反応を示していることから、それがただの猫でないことは明白だった。
「ええ、とうとう抜けてしまわれたようで……」
老人は、その猫への敬意が感じられるような言葉遣いで話す。
「そうか、キミ……いえ、貴方がもう一柱の要石……」
羊郎の言葉で鬼太郎も察したのだろう。
そこにいた猫が、あの白い子猫——ダイジンの対となる存在。
つい先日まで、ミミズの頭を抑え込んでいた東の要石——現世における、その仮初の姿であるということを。
×
「草太さん……」
病院を勢いよく出た鈴芽は、そのまま草太のアパートへと向かった。
宗像草太という青年の匂いが染みつく場所。その部屋の中心で一呼吸入れ、すぐに次なる目的地に向かう準備を進めていく。
まずはボロボロになった服を脱ぎ、そのまま洗面所で身体を隅々まで洗う。
先ほどの手当てで貼られたガーゼなどを引っぺがし、新しいものを貼り直す。
そしてバッグから別の服——九州を飛び出す際に着用していた制服を取り出し、袖を通していく。
「靴を借りるね、草太さん……」
そうして身支度を整えた鈴芽は、最後に玄関にあった草太のものであろう、丈夫な作業靴を取り出す。
ミミズとの激闘の最中、両靴とも失っていた鈴芽はそれまでずっと何も履いていなかった。
少しぶかぶかのブーツの紐をキツめに締め、足に縛りつけるようにその靴を身に付けていく。
「……よし!!」
そうして、全ての準備を終えるや気合を入れながら、鈴芽は玄関の扉を開け放つ。
「——どこへ行くつもり?」
だが部屋を出たところで、鈴芽を呼び止める声が響く。
先ほど、鈴芽の手当てをしてくれた猫娘という女性だ。病室の外で自分と羊郎との会話を聞いていたであろう彼女に、鈴芽は手短に己の目的を話していく。
「草太さんを助けに後ろ戸を探しに行きます」
彼女の言葉には、隠しきれない怒気のようなものが込められていた。
鈴芽のやろうとしていることを知れば、きっと鬼太郎たちも自分を止めるだろうと。だがなんと言われようと自分の邪魔はさせないという、静かな決意がその瞳に秘められている。
「そっ……なら、私も付き合うわ……」
「え……?」
ところが、猫娘は鈴芽を止めるどころか手を貸すと言ってくれる。
「あ、あの……止めないんですか? 私、草太さんを……要石を抜こうとしてるんですよ?」
これに、心の底から意外そうに鈴芽が尋ねる。
鈴芽は草太を助けるために常世へと足を踏み入れ、要石である彼を引き抜くつもりである。
要石が抜けてしまえば、当然ミミズが噴き出し、この現世に災いを呼び起こしてしまうだろう。
鈴芽としても震災など絶対に起こしたくはないが、正直草太を助ける後のことに関しては完全にノープランだ。
そんな向こう見ずに無茶なことをする鈴芽を、てっきり止めるために着いてきたのかと思ったが、猫娘にその気はなさそうである。
「それでも助けたいんでしょう? その人のこと……だったら、私に止める理由……ううん、権利なんてないわよ」
それというのも。猫娘も同じ立場なら、きっと鈴芽と同じことをするだろうという確信があったからに他ならない。
たった一人のために大勢を危険に晒すなど、傍から見ればとんでもないことだ。
だがそれでも、そうまでしても助けたい、もう一度会いたいと想えるだけの相手が猫娘にもいる。
同じような想いを抱えるものとして、鈴芽を止めるなどという無粋な真似。猫娘に出来るわけもなかったのである。
「……ありがとうございます」
猫娘の気持ちが伝わったのだろう。
頭を下げると共に、鈴芽は猫娘へと感謝の言葉を告げていた。
「……それで、具体的にどこへ向かえばいいのかしら?」
とはいえだ。
ここから先、どのような手順を踏んでいくか。具体的なプランがあるのかと、人混みで溢れる街中を歩きながら、猫娘は鈴芽にこれからのことを尋ねていた。
流石に常世に行くため、闇雲に後ろ戸を開けて回るなどという話であれば、猫娘も止めていただろう。
「はい。実はこの場所まで行こうと思ってて……」
そんな猫娘の疑問に鈴芽は明確な答えを提示するため、充電を終えて再起動していたスマホを取り出す。
「どれどれ……?」
猫娘はその『目的地』——スマホの地図アプリに表示された座標を確認しようと、鈴芽の方へと顔を寄せていく。
「——おい、ちょっと……あんた、鈴芽ちゃん!!」
「え!?」
「ん?」
そのときだった。鈴芽の名前を呼ぶ、何者かの声に二人が揃って振り返る。
「芹澤さん!?」
「……知り合い?」
「え、ええ……一応……」
街中で鈴芽に声を掛けてきたのは——金髪に近い明るい茶髪、お洒落な丸眼鏡を掛け、胸元に銀のアクセサリーをじゃらじゃらとぶら下げた、見るからにチャラチャラとした男であった。
鈴芽とは顔見知りとのことだが、真っ赤なオープンカーに乗っていたりと、猫娘の視点から見ても決していい印象の男性ではない。
「あんた、どこに行くんだよ? もしかして、草太のところか?」
ただ一見感じる軟派な印象とは裏腹に、芹澤は真面目な調子で鈴芽へと詰め寄ってきた。
彼はずっと連絡の取れない友人——宗像草太の居場所を鈴芽なら知っているかもと、彼女に声を掛けたのである。
「扉を探しに行かないと……」
「あ?」
「ごめんなさい、急いでいますから……」
そんな芹澤に構っている暇はないと、鈴芽は彼に背を向けてその場を立ち去ろうとする。
「おい、待てよ!! あんたのこと、どんだけ探したか!!」
だが、芹澤は強引に鈴芽の腕を掴んだ。
「ちょっと、アンタ……その手を離しなさいよ!」
「えっ? うぇええええええ!?」
これに鈴芽がその手を振り解くよりも早く、猫娘が化け猫の表情となって伸ばした爪の切先を芹澤へと向ける。
いきなりのことで驚愕の声を上げる芹澤だったが、彼は鈴芽の腕を掴んだ手を決して離しはしなかった。
「の、乗れよ!!」
それどころか、及び腰になりながらも鈴芽に車に乗るようにと告げてきたのだ。
「はぁ? どうして私が……」
「あんた、草太のところに行くんだろ? どこだろうと俺が連れてってやるよ!!」
鈴芽は警戒心を露わにするが、芹澤はあくまで草太のところ——鈴芽が望む場所に彼女を連れてってやると言い出す。
「なんで、あなたが……」
そんなことして芹澤に何のメリットがあるんだと、鈴芽は本気で分からないようだったが——。
「友達の心配しちゃ悪いのかよ!?」
「——!!」
芹澤は真剣な表情で叫ぶ。
正直なところ、鈴芽も猫娘も芹澤という青年の人となりを、第一印象だけで判断していたところがあっただろう。
だが彼のその叫びからは、草太という友人のことを心の底から心配している真摯な響きが感じられた。
「……信じてもいいと思うけど、どうする?」
猫娘は芹澤が本気で友達のために動くことができる人間だと。大人しく爪を収め、鈴芽にも彼に手伝ってもらっても良いのではないかと提案する。
「…………」
これに鈴芽はどうすべきかと思案を巡らせる。
鈴芽がこれから向かおうとしている場所。そこへ車という移動手段を用いられるのなら、それに越したことはないが——。
「——ああっ、いた!? 鈴芽!!」
ところがタイミング悪く、さらなる乱入者がやって来ることで事態はさらにややこしい方向へと転がっていく。
「——え……ええ!? た、環さん!? なんで!?」
再び自分を呼び止める声に振り返ってみれば、そこに鈴芽にとっては馴染みの顔。
彼女の育ての親ともいうべき相手——叔母である環の姿があったのである。
「ああ、良かった!! アンタのこと、どんげ探したか!」
岩戸環。
宮崎にいる筈の彼女がどうして東京にいるのかというと、それは当然鈴芽を心配して追ってきたからである。
家出のような形で九州を飛び出した鈴芽も、最初の頃は電話やメールで自身の無事を環に伝えていた。
しかし、途中からそんな暇もなくなったのか、メッセージが来てもほとんど既読スルーで、碌に返事もしなくなっていたのである。
これにとうとう堪忍袋の緒が切れたのか。環は自分から、鈴芽を迎えに行くことを決意する。
鈴芽は旅の中での買い物をスマホ決済で済ませていた。その購入履歴などを辿れば、鈴芽がどこで何を買ったかなど、その全てが保護者である環に分かるようになっていたのだ。
それにより、環は鈴芽が神戸市に滞在し、そこから東京まで向かったことを把握。
急いでその後を追うため、最短で東京に行くまでのルートを確保。
そうして東京へと辿り着き、そこから鈴芽を探そうとちょうど駅を出たところ——幸先良くも、見慣れた制服姿の鈴芽を見つけることが出来た、というわけである。
だが、安心したのも束の間。
あれほど心配していた鈴芽が、チャラチャラした男に言い寄られて(傍から見たら)いるではないか。しかも女連れで(猫娘のこと)。
「アンタら、これ以上こん子に近づかんで!! 警察呼ぶわよ!!」
「え? 誰っ!? 親!?」
「……なんか、酷い誤解を受けてる気がするんだけど……」
いきなりの保護者登場、しかも警察を呼ぶとまで言われて訳も分からず困惑する芹澤。
猫娘の方も芹澤と一緒くたにされて、心外だとものすごく顔を顰めている。
「鈴芽、アンタ騙されちょっとよ!! さっ、帰りましょ!!」
しかし、環は誰のどんな反応もお構いなしで、鈴芽を連れ帰ろうと彼女の腕を引っ張っていく。
「ごめん、環さん。私、まだ帰れない」
だが鈴芽も鈴芽で、環がどれだけ自分を心配していたかなどお構いなしにその手を振り払う。
「行きましょう、猫娘さん。芹澤さんも、出してください」
「ちょっ……大丈夫なの?」
「え? あ、お、おう!」
そのまま鈴芽はオープンカーへと乗り込み、猫娘にも芹澤にも急ぐようにと声を掛けていく。
猫娘はそれで良いのかと思いつつも、オープンカーの後部座席へと乗り込む。芹澤も草太のところに向かえるのならと、運転席に座り自動車のエンジンを掛けていく。
「ちょ、ちょっと鈴芽、待たんね!!」
当然ながらそれで良いわけもなく、鈴芽を行かせまいと環までもがオープンカーへと乗り込んでくる。
「一人じゃ行かせんから!」
「ちょっと環さん、降りて!!」
「鈴芽、アンタどんげつもり!? これじゃ家出やない!!」
「ちゃんとメールしてたでしょ!!」
「既読スルーばっかやがね!!」
助手席の位置を取り合うように、環と鈴芽の二人が言い合いを始める。
「おい、ちょっと落ちつこうぜ……」
そんな二人を芹澤が宥めようとするのだが、その光景が余計に——周りの人たちからは『三角関係』のもつれに見えたのか。
「痴話喧嘩?」
「ホストと客かな?」
「修羅場えぐいわ……」
「二股……いや、三股だな」
「男最低!!」
などと、通行人たちがそんなことをひそひそと小声で話していく。
「まったく……どうしたもんかしらね……」
これにどう収拾を付けるべきかと、自分までもが修羅場の一員にされていることに猫娘はこめかみを抑えていく。
「もう うるさい」
そのときだった。猫娘の隣から子供の声が響いてくる。
「ダイジン!?」
「アンタ、いつの間に……!?」
助手席にいた鈴芽もそちらを振り返ると、後部座席の真ん中に白い子猫——ダイジンがちょこんと座り込んでいたではないか。
げっそりと痩せ細り、その体には包帯が巻かれている。その怪我を手当てしたであろう、砂かけババアの元から抜け出してきたのかと、猫娘が驚いて目を見張る。
「ね、猫が……」
「喋った!?」
一方で、芹澤と環の二人は猫であるダイジンが喋ったことに驚き、その動きをピタリと止めた。
「……別に、猫が喋るくらい驚くことじゃないと思うけど?」
これに猫娘が——猫が喋るくらい今時は当然だと開き直って見せる。
「いやいや、おかしかよ!! 猫が喋るなんて!?」
「いやまあ……そりゃそうなんだけど……」
これに両極端な反応を見せる、環と芹澤。
環が暮らす宮崎の港町などは比較的平和だったのだろうが、東京にいれば嫌でも妖怪騒動を目にする機会があるからか、芹澤は言われてみればと冷静になっていく。
「そんなことより……芹澤さん、ここまで行ってください!!」
いずれにせよ、二人がダイジンに気を取られている隙をつき、鈴芽は車のカーナビに目的地を設定していた。
「ええっ、遠っ!?」
「えっ、アンタ……ここって……!!」
カーナビが示した座標に芹澤も環も驚いているが、ここまできた以上、二人にもそこまで付いてきてもらうしかないだろう。
鈴芽は猫娘の隣の後部座席へと移動し、しっかりとシートベルトを締めていく。
「ダイジン……」
その際、包帯を巻いた痛々しいダイジンの姿に目を向けるが、それ以上は何と声を掛けるべきか分からず、すぐに目を逸らすしかなかった。
「こりゃあ、今日中には帰れねぇな……」
「…………」
鈴芽が向かおうとしている場所について、芹澤と環がそれぞれ思案を巡らせる。
芹澤は単純に距離が遠いと。かなりの強行軍になるだろうと、覚悟を決めた上で車を走らせた。
環はそこが、鈴芽という少女にとってどのような意味を持つ場所か。それを理解しているからか、安易に帰ろうなどと言えなくなってしまった。
未だに納得しきれない部分もあったが、とりあえず四人と一匹の猫を乗せて。
真っ赤なオープンカーが、カーナビに設定された目的地。
過去に鈴芽が迷い込んだとされる、後ろ戸があるであろう場所。
岩戸鈴芽の生まれ故郷——東北へと出発するのであった。
人物紹介
芹澤朋也
草太の友人。教育学部に通う大学四年生。
柄の悪そうな見た目とは裏腹に、友達思いで義理堅い。
東北に向かってくれという鈴芽の頼みにも律儀に付き合ってくれる。
彼がいなければ、鈴芽は目的地までに辿り着けなかったかもしれない。
宗像羊郎
宗像草太の実の祖父であり、閉じ師としての師匠。
作中の時点で既に入院生活を送っており、自由に動くことができないでいる。
閉じ師であることを誇りとしているのか、草太の犠牲も仕方ないものとして受け入れていた。
それでも草太を助けようとする鈴芽に、進むべき道を示す。
次回で『すずめの戸締り』とのクロス、そして『日本復興編』完結予定です。
最後までしっかりと話を書き切り、『中国妖怪編』へバトンを渡していきたいと思っています。