サブタイトルのところ『すずめの戸締まり』が正しいのにずっと『すずめの戸締り』と表記しちゃってました。
既に修正しましたが、これは致命的でものすごく反省しています……。
fgoのハロウィンイベント『くたばれ! パンプキンファーム・スローター』。
ついに実装されたダイダロスに興奮冷めやらぬ中、なんかいきなり人狼ゲームやることになりましたが……時間が戻ってることもあってか、これ『グノーシア』じゃねぇ?と思ったのは私一人ではない筈や!!
ちょうど舞台もやってたし……なんてタイムリーなんだ……。
一応、本小説でも『人狼ゲーム』的な話はいつかやってみたいなと思ってはいます。
さて、今回の話ですずめの戸締まりとのクロス、尚且つ『日本復興編』が完結となりますが、いかがでしたでしょうか?
今話でも、最後まで『復興』というワードに向き合いつつ……次章の『中国妖怪編』へと繋げていきたいと思います。
「〜〜♪ 〜〜♪」
高速道路を走る、真っ赤なオープンカー。
車内に流れるその曲は、何十年も前に流行った日本の古いポップスとのこと。軽快なメロディーにハンドルを握る指先でリズムを取りながら、運転手である芹澤朋也は声を合わせていく。
「歌がうるさいが……」
そんな芹澤に喧しいと物申すのが——隣の助手席に座ることになった、岩戸環である。
彼女は未だに正体がよく分かっていない、芹澤というホスト風の男への警戒心を滲ませていた。
「ええ、旅立ちにはこの曲でしょ!? 猫もいるし……」
「鈴芽は聞いちょらんよ……」
芹澤は旅立ち、猫というワードからこの曲をチョイスしたようだ。しかしせっかくの曲も、鈴芽には届いていないと環が愚痴を溢す。
「…………」
今現在、岩戸鈴芽は深い眠りの中にいた。
これまでずっと気を張っていたのだろうが、車の後部座席というようやく一息吐くことが出来る空間に安堵してか、疲れた体を休めるように寝入っていた。
「ねぇ、キミ……今のうちに東京に戻ってくれん? したら、この子もいい加減諦めるかもしれん……」
そこで鈴芽が眠っているその隙に、環は東京に引き返せないかと芹澤にこっそりと声を忍ばせて提案する。
「——聞こえてるわよ? 悪いけど、このまま東北まで向かってもらうから」
しかしそれに対し、鈴芽の隣に座る女性——猫娘が釘を刺すように声を上げた。環や芹澤が余計なことをしないようにと、見張るように目を光らせている。
「……そもそもあんた誰ね? 鈴芽とはどういう関係?」
これに環が不機嫌そうに、猫娘が何者なのかと彼女の素性も怪しんでいく。
「……あんた、猫娘だろ? 鬼太郎の仲間だっていう妖怪の……」
すると、環の疑問に芹澤の方が猫娘の素性に関して思い当たる節を口にしていた。
昨今の情勢もあり、人々の妖怪への関心や認知度は高い。
特にゲゲゲの鬼太郎などは『人間に味方する妖怪』として名が知られており、その仲間である猫娘も、鬼太郎ほどではないがそれなりに知名度があったりするのだ。
「よ、妖怪って……アンタ、鈴芽を何に巻き込もうと!?」
その話に環が心穏やかでいられるわけもなく。
妖怪の事情に鈴芽が巻き込まれているのではないかと、環の責めるような視線が猫娘へと向けられる。
「……言っとくけど、私もこの子に付き合ってるだけだから。この子には……行かなきゃならない理由があるのよ」
もっとも、これに限っては猫娘の方が鈴芽に付き添っているといった側面の方が大きい。
今回の件、ミミズが常世から出てこれないようにするためだけなら——正直、鈴芽の『草太を助けたい』という願いに協力する必要はない。
草太という要石と、もう一方の要石。その二つの要石をミミズに突き刺してしまえば、それで事態は解決となるのだから。
それでも猫娘が鈴芽に手を貸すのは、『大切な人を助ける』という想いに共感したからだ。
きっと自分も、鬼太郎がそのような危機に陥ったら、全てを投げ打ってでも助けに行くだろうと、そう思ったからである。
「過保護になるのもわかるけど……もう少し自分の娘を信じてあげたら?」
そういった鈴芽の想いは、きっと彼女自身の口から語らなければならないことだろうと、猫娘も決して多くは話さない。
それでも、母親であれば娘のそういった気持ちを察してやれと、環に言うのだが——。
「……娘やなくて鈴芽は……姪なのよ」
「……!」
環はどこか寂しそうな目をしながら、自分が鈴芽の『本当の親』ではないことを語った。
岩戸鈴芽が四歳の頃だ。
環は彼女の母親であり、自身の実の姉である岩戸椿芽の訃報を聞き、急いで独りぼっちになった姪の元まで飛んで行ったという。
椿芽の死は、仕事中の事故——震災の中で起こった悲劇の一つとして数えられた。
母子家庭だったということもあり、鈴芽には他に身寄りもなく、環が彼女を引き取ることになったわけだが——。
「あの子……急にいなくなった母親のこと理解出来んで……探しに出たまま、迷子になったことがあったとよ……」
いざ、鈴芽を九州まで連れ帰ろうと思っていたところで——彼女は亡くなった母親を探しに雪が降る夜の中を、一人飛び出してしまったというのだ。
「ようやく見つけたとき……鈴芽、雪の積もった野原でうずくまっちょってね。お母さんに作ってもらった、宝物の子供椅子を抱きかかえちょってね……私、それがたまらなく切なくて……」
必死の思いで鈴芽を探し出した先で環が見たものは——凍える寒空の下、母親からの誕生日プレゼントの子供椅子を抱きかかえたまま眠る幼子の姿だった。
もうどこにもいない母親の温もりを求めるようなその光景に、胸の奥が切なくなった環。
彼女はすぐに鈴芽へと駆け寄り、彼女を力一杯に抱きしめながら言ったのだ。
『——うちの子になろう』と。
「————」
その言葉に、鈴芽と猫娘の間に挟まれた位置で眠るように丸まっていたダイジンがピクリと耳を動かす。
環が鈴芽に言ったその言葉は、まさに鈴芽がダイジンに言った言葉でもある。
環にとっても、鈴芽にとっても、ダイジンにとっても。その言葉が決して忘れられないものとして、その胸の奥底に刻まれているのだろう。
「十二年……あれから、九州に連れてって……ずっと二人で暮らしちょったのに……」
「…………」
環の身の上話に、猫娘は静かに耳を傾けていた。
軽々と口を挟んでいい話でもなく、かといって聞き流していい内容でもなく。車内の空気が重苦しいものへと変わっていくのを、猫娘はその肌で感じ取っていく。
「っ……ちょっと、アンタ……!」
「あっ、煙嫌すか?」
ところがそんな空気もお構いなしで、芹澤は自然な調子で煙草に火を付けて煙を美味しそうに吐いていた。
真後ろの席にいる猫娘は風で流れてくる副流煙をもろに受け、不快感にたっぷりに芹澤を睨み付ける。
「君の車やからね……」
芹澤の態度——人の重苦しい身の上話を聞きながらも、マイペースに煙草を吹かす彼に環も苦笑を浮かべるが、そこに嫌悪感はなかった。
他者の苦悩や苦痛を、自分のことのように受け止めてくれる。
それはそれで嬉しいのだろうが、生憎とそうされるのを重荷と感じる人間もいる。
寧ろ、どうせ他人なのだからと割り切ってくれる方が気を遣わなくて済むと。それを気軽に感じるときもあるのだ。
少なくとも、環にとって芹澤のこちら側の事情に深く踏み込んでこない、そういった態度は素直に好感が持てるものであった。
「んで……今から鈴芽ちゃんの地元に帰ると。そこに草太がいるんすか?」
そもそも、芹澤にとって重要なのはこれから向かうであろう鈴芽の故郷とやらに、本当に彼——宗像草太がいるのかという一点に限られる。
鈴芽がそうであるように、芹澤にも草太に会いたいという気持ちがあるのだ。
「でもあそこには、もう何もないとよ……」
一方で、環はその草太という人物のことを全く知らない。
震災の影響で何にもなくなってしまったような土地に、どうしてそんな見も知らぬ人物がいるのか、皆目見当も付かない様子であった。
「…………」
芹澤と環が各々疑問を抱く一方。
要石やミミズ、常世といった事情を知る猫娘はこれから向かう鈴芽の故郷に、彼女が幼い頃に迷い込んだとされる『後ろ戸』があることを既に本人から聞かされていた。
——その扉からなら、この子が常世に入って……草太って人を助けられるって話だけど……。
——問題は、その人を助けた……要石を抜いた後よね……。
猫娘の思考は、要石である草太を引き抜いて彼を助けられた——『その後』にどうするかという方向に向けられていた。
要石を抜けば、束縛から解き放たれたミミズが噴き出し、現世に厄災を引き起こすであろうことは容易に想像出来る。
それを良しとしていないのは、鈴芽も猫娘も同じだが、それをどう食い止めるか具体的な案は今のところない。
——オババには一応メールしといたけど、鬼太郎は……どうするつもりなのかしらね。
自身のスマホに目を落としながら、猫娘はここにはいない彼——ゲゲゲの鬼太郎のことを考える。
宗像羊郎の病室から別れて以降、猫娘は携帯を所持していない鬼太郎とは直接連絡が取れていない。それでも、砂かけババアにメールはしておいたため、東北に向かっているこちらの動向は鬼太郎にも伝わっている筈だ。
鈴芽が要石を抜こうとしていることを知って、鬼太郎がどんな反応をするだろうか。彼の迷惑にならないかが、猫娘としては悩みの種であった。
「……ん?」
と、そこまで考えたところで猫娘の携帯が振動する。
猫娘はそっとスマホを開き——砂かけババアから送られてきた、そのメールの内容へと目を通していく。
×
東京から東北——鈴芽の故郷まで、軽く見積もっても車で七時間以上は掛かる。
最初の三~四時間は、これといって目立ったトラブルもなく順調に進むことが出来たのだが、目的地まであと半分以上を過ぎたところで、ちょっとした問題が発生する。
それまでずっと晴天の下を走っていたオープンカーの頭上に、文字通り暗雲が立ち込め始めたのだ。灰色に覆われた雲から、勢いよく雨が降り注いでくる。
「こりゃマズいな……」
「何が? 屋根あるっちゃろ、早く閉めんね」
これに困ったような声を溢す芹沢だったが、それなら屋根を閉めてしまえばいいだろうと環が言う。オープンカーでも折りたたみ式で屋根などが収納されており、ボタンひとつで普通の車のようになる筈である。
「あー……まあ……やってみますか……」
だが、芹澤は何故か不安げな呟きを溢しながら、渋々といった調子でスイッチへと手を伸ばす。
雨から搭乗者を守ろうと、収納されていたオープンカーの屋根が展開されていくのだが——その動作が途中でピタリと止まった。
「やっぱり直ってないや、はは……」
「はは……じゃないやろ!! ちょっと、どうするとよこれ!?」
どうやら故障していたらしい。
中途半端なところで止まった屋根のせいで、後部座席にいる鈴芽と猫娘はともかく、前のシートに座っていた芹沢と環は揃ってびしょ濡れになってしまった。
「大丈夫! すぐに次の休憩所ですって!!」
このままでは風邪を引く。芹沢は雨が止むの待とうと。
急ぎ、近くのサービスエリアへと車を駆け込ませるのであった。
「ふぅ〜……いただきますっと!!」
そうして、海沿いの道の駅へと辿り着くや芹澤と環は、トイレなどを借りてびしょ濡れになった体を拭き、服を着替えた。
そのついでにと、レストランで食事も済ませようと芹澤はご当地メニューに舌鼓を打っている。
朝早くに東京を出発し、既に正午は過ぎている。長時間運転の疲れを癒すためにも、これは必要な工程であっただろう。
『——ええっ! ホストの男とですか!?』
「いや……実際にホストってわけやなくて、雰囲気が貧乏ホストっぽいちゅうか……」
その間、先に手早く食事を済ませていた環は、芹澤とも離れた席から九州で自分が勤める会社の同僚に電話を掛けていた。
環は会社を休んでまで、鈴芽を追いかけてここまで来た。いきなりの休みで会社に迷惑を掛けている以上、連絡はしておかなければと。その電話には稔という同僚が対応していた。
実はこの
稔は環がホスト風の男——芹澤と一緒にいることに危機感を抱き、彼女や鈴芽を守るためにも自分に出来ることはないかと奔走していく。
『環さん! 今、宮城のどちらですか? 道の駅……大谷海岸……了解です! ちょっと待っちょてください!!』
カチャカチャと、稔が猛然とキーボードを叩く音が電話越しにも聞こえてくる。
これほど必死になるのも環への恋心によるものなのだが、生憎と本人にその想いは伝わっていない。
『ちょうどそこの駐車場に、東京行きの高速バスが停まっとります。座席も全然空いてます。ワシの方で予約出来ますから……』
「ちょっ……ちょっと待ってよ、稔くん! もう随分来ちょるし、今更……」
稔はすぐにでも帰れるようにと、バスの手配までしてくれるという。しかしここで引き返すくらいなら、いっそ目的の場所まで行ってから帰宅した方がいいと。
それで気が済むのならと、この時点では環も鈴芽の好きにさせるつもりでいた。
「…………」
鈴芽は屋根付きの駐車場に停車したオープンカーにずっと留まっていた。食事などとる気も起きず、ただただ目的地までのルート、到着時間などをスマホで確認し続けている。
目的地まで、あと一時間半ほど。ようやくここまで来たと、安堵の息を吐くのも束の間——。
「——!!」
手にしていたスマホから、地震情報の知らせが届く。
震度三と、未だに小規模な揺れで済んでおり、後ろ戸からミミズが出てくるような事態にも発展していないが——それも要石になった草太が抑えてくれているからなのだろう。
「草太さん……草太さん……草太さん!!」
地鳴りが響く度、鈴芽は草太に託された鍵を握りしめながら、彼のことを想ってその名を口にするしかない。
今の自分には何も出来ないという無力感から、ただただ焦燥感だけが募っていく。
「————」
その呟きを、彼女の傍でダイジンが静かに聞いているが、決して自分から声を掛けようとはしない。東京の地下、大きな後ろ戸の前で『二度と、話し掛けないで……』と、言われたことを忠実に守っているからか。
鈴芽も、そんなダイジンへの距離感や態度を測りかねている様子だ。
また、先ほどまで一緒だった猫娘は『ちょっと電話してくる』と席を外していた。雨が激しく降り注いでいることもあり、周囲に人影などもない。
「鈴芽!!」
そこへ休憩を終えた環が戻って来る。
「アンタは……本当に、食事せんでいいと?」
「うん……お腹……空いてないの……」
環は東京から出発して以降、何も食べていないであろう鈴芽の体調を心配していた。しかし鈴芽は食欲がないと、環の心配に素っ気なく応じる。
「…………」
「…………」
二人の間に漂う気まずい空気。お互い、何を話せばいいか分からずに黙り込んでいた。
「……ねぇ、鈴芽……やっぱり、ちゃんと話してほしいっちゃけど……」
やがて、意を決したように環が話を切り出す。
「なに……?」
「なして、そんげ実家に行きたいと?」
環からすれば、鈴芽は自分の実家——かつての生まれ故郷に帰りたがっているように見えているのだろう。しかし今はもう何もないあのような場所で、鈴芽が何をしようとしているのか環にはさっぱり見えてこない。
「扉を…………ごめん。上手く話せない……」
鈴芽も一応は説明しようと口を開くが、やはりどう言葉にすべきか分からないでいる。仮に今この場に猫娘がいてくれれば、なんとかフォローを入れてくれたかもしれないが。
「なによ、それ……アンタ、こんげに人様に迷惑かけちょっとに!!」
「迷惑って……話しても分からないことだから、環さんには……」
「!!」
これに、環が怒り心頭といった様子で真正面から鈴芽を睨み付ける。
ここまで仕方なく付いては来たが、流石にそんなことを言われては、これ以上黙っているわけにもいかなくなる。
「帰るわよ!! バスがあるから!!」
「え……?」
「ちゃんと説明出来んで、そんげ青い顔して、これみよがしに何も食べんで!!」
環は先ほど稔から伝えられたルートで帰宅しようと、鈴芽を無理にでも引っ張って行こうとする。
「離してよ!! 環さんこそ、帰って!! 付いてきてなんて頼んでない!!」
これに鈴芽も必死になって抵抗する。
そもそも、鈴芽は環に付いてきて欲しいなど言っていないのだから、帰るのなら一人で帰ればいいという態度である。
「アンタ分からんと!! 私がどんげ心配してきたか!!」
当然、保護者としてそんなことが出来るわけもないと。環は自分がどれだけ鈴芽を心配しているかを、その言葉の熱量で伝えようとするのだが——。
「——それが私には重いの!!」
「——!!」
それが返ってプレッシャーになっていると。鈴芽は長年溜め込んできた本音を吐き出すように叫ぶ。
その言葉に、環の中で張り詰めていた何かが——『切れた』。
「…………もう、私……しんどいわ……」
先ほどまでと打って変わり、環は生気を感じさせない幽鬼のような様子で、鈴芽への愚痴をポツリポツリと溢していく。
「鈴芽を引き取らんといかんようになって、もう十年もアンタのために尽くして……馬鹿みたいやわ、私……」
実の姉の子である鈴芽を引き取って十二年。
環はずっと鈴芽のためにと。育児、家事、仕事と忙しい日々を送り——いったい、どれだけのものを犠牲にしてきたことか。
「アンタがいたから、人を家に呼べんかったし……こぶ付きじゃ、婚活だって上手くいきっこないし。こんげ人生……お姉ちゃんのお金があったって、全然割が合わん!!」
環自身の幸せ、あり得たかもしれない未来が『鈴芽』というファクターによって失われたと。
鈴芽を引き取ることで得た、姉の財産などもあっただろうが、そんなものでは到底釣り合う筈もないと——環は心の奥底にずっと溜め込んでいた、『負の感情』を涙声で吐き出していく。
「そう……だったの……?」
ぶつけられた本音に愕然となる鈴芽。
環の過干渉を鈴芽が『重い』と思っていたように、環にだって鈴芽を『重荷』に感じていたこともあったのだ。
「でも、私だって……いたくて一緒にいたんじゃない!! 環さんが言ったんだよ、うちの子になろうって……!!」
しかしそれならと、鈴芽も心の内を曝け出すように叫ぶ——叫ばずにはいられなかった。
そもそも、当時四歳だった鈴芽に引き取られる以外の選択肢などあるわけもなく。
それでも、環の——『うちの子になろう』という言葉に心動かされたからこそ、今日まで彼女との暮らしを続けてこれたのだと。
「そんなの覚えちょらん!! アンタ、もううちから出ていきんさい!! 私の人生返しんさい!!」
だがそんな大切な記憶でさえ、環は覚えてないと突っぱねる。
それほどまでに、今の環の心は怒りと悲しみによって支配されていた。それは確かに彼女自身の本音ではあったのだろうが——。
「あなた…………誰?」
それ以上に、それを言わせているものがいると。
鈴芽の視線は環——その後方にいる『何者』かに向けられていた。
「「——サダイジン」」
鈴芽の問いに答えるよう、環と——その後方に立っていた『黒猫』の言葉が重なる。
巨大な、車よりも大きなその黒猫は自らをサダイジンと名乗った。その名の響きからも、ダイジンと何かしらの関わりがあることが分かる。
「————!!」
実際、サダイジンに向かい唸り声を上げながら、ダイジンが飛び掛かった。
小さな白猫と大きな黒猫が、ドタバタと揉みくちゃになりながら取っ組み合いを始めていく。
「うっ…………」
「環さん!?」
瞬間、棒立ちになっていた環は吊っていた糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。うつ伏せのまま動かない彼女に、鈴芽が慌てて駆け寄る。
「環さん!! 環さん!! 大丈夫!?」
「す、鈴芽……? !! わ、わたし……何を言って……」
鈴芽に助け起こされた環は、自分が何を言ったのかを遅れて理解したのか。
咄嗟に起き上がるや、鈴芽から逃げるように半歩後ずさる。鈴芽も、そんな環になんと声を掛けるべきか分からず呆然と立ち尽くしていく。
『——グォオオオオオオオオオオ!!』
「——!?」
「——!!」
だが——二人が感傷に浸る暇などなく、事態は新たな局面を迎えていた。
『グルルゥウウ……』
突如、唸り声を上げながらその場に現れたのは——巨大な牛のような怪物であった。
鋭い牙に、血走ったような真っ赤な眼。紫色の体毛に覆われている巨体が、駐車場に停められている自動車を一台一台、その鋭く尖った前足のカギ爪で串刺しにしながらゆっくり歩み寄ってくる。
鈴芽たちが知るような既存の生物の枠組みを越えた、明らかに常軌を逸した怪物だ。
「な、なんなのこいつ!?」
「ば、化け物!?」
突然の襲来に揃って声を上げる鈴芽たち。
戸惑う彼女たちに構わず、駐車場を思うがままに蹂躙しながらその怪物はキョロキョロと何かを探すように周囲を見渡している。
『!! ガァアアアアアッ!!』
すると鈴芽たち——より正確に言えば、鈴芽のすぐ横でダイジンと取っ組み合いをしていた巨大な黒猫であるサダイジンの姿を瞳に捉えるや、ものすごい勢いでこちらへと突っ込んできた。
「!!」
「!!」
これに二匹の猫も動きを止め、突撃してくる怪物に向かって威嚇するように毛を逆立てていく。
『グォオオオオオ!!』
「ひぃっ!?」
「環さん!!」
怪物の巨体がすぐ間近まで迫る。悲鳴を上げる環を反射的に庇おうとする鈴芽。非力な女性二人だけであれば、ここで成す術もなく蹂躙されていたであろう。
「——ニャアアアア!!」
『——グガッ!?』
そこへ颯爽と駆けつけたのが——猫娘であった。
化け猫としての表情を剥き出しにしながら、限界まで伸ばした爪の一撃で巨大な怪異を退けていく。
「ね、猫娘さん……! こ、これはいったい……?」
猫娘のおかげで助かりはしたものの、鈴芽は目の前のそれがいったいなんであるかなど、事態を把握しきれずにいる。
「こいつは、わいらって妖怪よ。ぬらりひょんの奴……まだ諦めてなかったようね!!」
「っ!?」
猫娘が手短に伝えたのは、目の前の妖怪がわいらという、妖怪の一種であること。
そしてこの襲撃が、あの狡猾な老人——ぬらりひょんの差金であるということだった。
わいら。
一応はゲゲゲの森に棲んでいた獣妖怪ではあるが、かなり凶暴な一面があり、先の第二次妖怪大戦争でも率先して人間を襲っていた。
大戦以降、一見すると大人しくしているように見えたのだが、どうやら密かにぬらりひょんの配下に加わっていたらしい。
彼の命を受け、要石——つまりは、サダイジンを追ってきたとのことだ。
「鬼太郎の予想どおりになったわね……」
そうしたぬらりひょん側の動きを、鬼太郎はあらかじめ予測して猫娘に伝えていたらしい。
猫娘が車での旅の道中でも警戒を解いていなかったのは、そうした襲撃者に備えてのことだったのだ。
「ちょっ!? おいおい!! どういう状況だよ、これっ!?」
騒ぎを聞きつけてきたのか、ここで芹澤も合流してくる。食後のソフトクリームを手にしていることから、それなりに休憩時間を満喫していたようだが。
「こいつは私に任せて、アンタたちは先を急ぎなさい!!」
「えっ……で、でも……」
そんな穏やかな時間も終わりだと。わいらの相手をしながら、猫娘は自分をおいて先を急ぐようにと叫んでいた。
これに鈴芽が僅かに躊躇いを見せる。全ての事情を承知の上で付いてきてくれていた猫娘を置き去りにするのは、流石に忍びなかったのだろう。
「助けたい人がいるんでしょ!? こんなところで、足踏みしている暇はない筈よ!!」
「……っ!!」
だが猫娘に本来の目的を思い出させてもらうことで、鈴芽はその瞳に覚悟の意思を宿らせる。
そうだ、鈴芽には絶対に助けたい人がいる。その人のためにここまで来たのだ。今更、こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
「行きましょう、芹澤さん……車、出してください! 環さんも、乗って……」
「え? はっ? ええええ!?」
「あ……え、ええ……」
いきなりのことで戸惑ってはいたが、芹澤も車の発進準備を進める。
環も、鈴芽との気まずい空気を感じながらも、今はそれどころではないと助手席へと乗り込む。
「————」
そこにサダイジンも、いつの間にか大型犬ほどのサイズへとその身を小さくし、子猫サイズのダイジンの首根っこをくわえ、二匹が揃って後部座席へと乗り込んでいく。
「出すぞ!! しっかり掴まってろよ!!」
そうして、真っ赤なオープンカーが急発進。
わいらと猫娘がぶつかり合う、その横をすり抜けるよう走り抜けていく。
×
「ふぅ〜……ここまで来れば……」
真っ赤なオープンカーが再び高速道路を走る。
なんとか窮地を脱したと一息吐く芹澤だが、ハンドルを握るその手には未だに冷や汗が伝っている。
「……それで? ホント、なんだったんださっきのは化け物は……? なんか、猫も一匹増えてるし……」
安全圏に脱したところで芹澤はあれがいったいなんであったか、事情を知ってそうな鈴芽に問いを投げ掛けていた。
猫娘ともあそこでお別れとなってしまったが、入れ替わる形で付いてくることになった黒い猫——サダイジンに関する疑問も尽きない。
「……ごめんなさい、私も正直……何から話せばいいか……」
「…………」
しかし襲撃してきたあの妖怪に関しては、詳しい説明などは難しいと。鈴芽も言葉を濁すしかなく、環の方も心ここに在らずといった様子で茫然自失となっている。
「空気重た……えっ、二人ともなんかあった?」
「…………」
「…………」
二人の間に漂う気まずい空気を察し、芹澤が軽めな問いを投げ掛けるが、それに対する返答もない。
先ほどのやり取り——サダイジンの能力によるものか。
環の引き出された本音をぶつけられた鈴芽も、それを口にしてしまった当人も。互いにどんな顔をすればいいか分からないでいる。
「まあ……空も晴れてきたし、このまま一気に目的地まで……」
しかし芹澤にとってそれも、深く踏み込むべきではない他人事だ。
どうせもうすぐ目的地に付くのだから、それまでの間は昭和歌謡でも流してその場の空気を取り成そうと——。
「……んん? なんだ……ありゃ?」
「えっ?」
「……?」
だが、音楽でも流そうとスマホにまで伸びた芹澤の手が止まる。
彼は後方——バックミラー越しにチラリと見えた光景に何事かと、その意識を向けていく。芹澤の呟きに釣られるよう、鈴芽と環も後ろを振り返った。
「——ヒャッハ!!」
「——どけどけ!! チンタラ走ってんじゃねぇぞ!!」
「——パラリラパラリラ〜」
それは、台詞だけ聞けば『暴走族が爆走している』としか表現しようのないものであった。問題があるとすれば、それらの集団が——明らかに『人間ではなかった』ということだろうか。
「なんだありゃ!? 車に……顔が引っ付いてやがるぞ!?」
芹澤が改めて後ろを振り返る。
見れば数メートル後方から四、五台の車らしき物体が猛スピードでこちらへと向かってきているではないか。
それらは近代的な自動車などはなく、古めかしい木製の箱車——所謂、牛車と呼ばれるものに鬼のように大きくて厳つい顔面が付着しているというものであった。
その妖怪、名を
平安時代に貴族が乗っていたとされる牛車。それらに怨念が取り憑くことで動き出したとされる、付喪神の一種だ。
月がほのかに霞んで見える夜、朧夜と言われるタイミングでの目撃情報が多いことから、そのような名前が付いたとされている。
「おい、あの猫……あれがそうなんじゃねぇか?」
「ああ、間違いねぇ!! 話に聞いた、要石とやらだ!!」
そんな朧車の暴走族集団とでも言うべきか。彼らは芹澤のオープンカーにまで幅寄せしてくるや、車内に座り込んでいた黒猫・サダイジンの姿を見つけ歓喜の声を上げていく。
「ぬらりひょんが言っていた!! 要石とやらがなくなっちまえば……!!」
「ああ……人間共が困るって寸法よ!! ヒャッハハハ!!」
「——!!」
その口ぶりからも分かるよう、彼らもわいら同様、あのぬらりひょんという老人から差し向けられた刺客ということだろう。
「芹澤さん!! もっとスピード上げてください!!」
さらなる追手の追跡。
鈴芽はもっと急ぐようにと運転手である芹澤を急かすが、そうもいかない事情がある。
「くそっ!! ただでさえオンボロ車だってのに……!!」
先刻、屋根が完全に閉まらなかったことからも分かるよう、芹澤のスポーツカーはかなり年季の入った中古品とのことで、色んなところにガタがきていた。
一応、速度を目一杯まで上げてみるが——朧車たちを突き放せるほどのスピードは出せないでいる。
「逃すか!!」
「誰も俺らの前を走らせねぇぜ!!」
スポーツカーのすぐ後方を、朧車たちがピッタリと張り付いてくる。
このままではいずれ追い付かれ、そのまま数の暴力によって轢き潰されてしまっていたかもしれない。
「なっ……!?」
「なんだぁああ!?」
そのときだった。前方に突如として『壁』が出現する。
その壁が自分たちの進路を塞ぐように現れたことから、鈴芽たちはそれもぬらりひょんの差し向けた刺客かもと身構える。
「——ぬりかべっ!!」
「なんじゃあああ!?」
「ぶぎゃっ!?」
ところが、その壁らしき何かは鈴芽たちの乗るスポーツカーの素通りを許す一方、朧車たちは通さぬとばかりに彼らの眼前へと立ち塞がった。
その壁のとおせんぼうに二、三台の朧車たちが正面から激突し、その動きが止まっていく。
「ちくしょう、ふざけやがって……!!」
「舐めんじゃねぇぞ、オラァああ!!」
それでも、残りの朧車たちはなんとか壁を回避し、再びスポーツカーへと迫っていく。
「おぎゃ!! おぎゃ!!」
「こ、子供の……鳴き声?」
すると今度は赤ん坊の鳴き声、それが上空から響いてきた。
環が思わず空を見上げれば、そこに無数のカラスたちが群れを成しており、そこから赤子——いや、赤ん坊の鳴き声を上げながら一人の老人が飛び降りてきたのだ。
「おっぎゃ!!」
「ぐぎゃっ!? お、重た……っ!!」
次の瞬間にも、老人の全身が『石』へと変化し、朧車一台をその重みで押し潰していく。
「それ、毒砂じゃ!!」
「ぶべっ!! な、なんじゃこりゃ!?」
続け様、その老人を援護するよう老婆がもう一人、『砂』を撒き散らしながら地上へと降りてきた。砂をふりかけられた朧車が、咳き込みながらその動きを止めていく。
「……な、なんなんだ……こいつら……?」
突如として現れた救援者に、芹澤は思わず車を停めて見入っていく。
牛車の化け物に追われ始めたかと思いきや、瞬く間に現れてそれらを撃退、足止めした謎の人物たち。
巨大な壁のお化けはともかく、老人と老婆は一見すると人間にしか見えなかったこともあり、いったい彼らが何者なのかと、余計に疑問が湧いてくる。
「——お前さんが岩戸鈴芽かな? 話は猫娘から聞いとるよ」
そのように一行が戸惑っていると、朧車に砂をかけていた老婆が鈴芽の名を呼びながら歩み寄ってきた。
そう、彼らは妖怪——ぬりかべ、子泣き爺、砂かけババアだ。
先ほどまで鈴芽に同行していた猫娘同様、鈴芽の旅路を助けるために遠路遥々駆け付けてきたのである。
ぬらりひょんが自身の手下をけしかけ、鈴芽たちの旅路を妨害しようというのなら。
猫娘の、鬼太郎の仲間である彼らが一丸となって、その妨害から鈴芽たちを守らんと立ち上がったのである。
「こやつらの相手はわしらがしよう……お前さんは先を急ぐがいい!!」
「……あ、ありがとうございます!! 芹澤さん!!」
「お、おお!!」
砂かけババアたちはそのまま、そこで朧車たちの足を止める役割を引き受けると言ってくれた。
彼女たちの心意気に感極まる鈴芽。心からの感謝を述べながらも先を急ごうと、芹澤もすぐに運転を再開していく。
×
「やれやれ……ここまで来たらもう何が出ても驚かねぇぞ、俺は……」
朧車たちの追手も振り切り、芹澤の運転するスポーツカーは高速道路を降り、防潮堤と畑に挟まれた田舎道を走っていた。
ここまで来れば、目的地まであと少しだ。妖怪たちの襲撃も流石にそろそろネタ切れかと、ようやく落ち着いた車内で芹澤は鈴芽に話を振っていく。
「ねぇ、鈴芽ちゃん。さっきの妖怪たちはともかく……そっちの白と黒の猫たちは、なんで鈴芽ちゃんに付いてくるんだろうな……」
「えっ……?」
「…………」
芹澤が質問したのは、旅の同行者として付いてきている黒猫と白猫——サダイジンとダイジンのことだ。
先ほどの妖怪たちのこともあり、芹澤も環も既にそれらがただの猫でないことは何となく察していた。
「猫は理由もなく人間に付いてなんか来ないよ、犬じゃないんだから。その白と黒……きっと鈴芽ちゃんにしてほしいことでもあるんじゃない?」
芹澤は自分なりに、ダイジンとサダイジンが鈴芽に引っ付いている理由を考えていた。
彼らは鈴芽にして欲しいことがあるからこそ、ずっと彼女の側を離れようとしないのではないかと。
「そのとおり」
「え……?」
事実として——芹澤の予想を肯定するよう、サダイジンが口を開く。
「ひとのてで もとにもどして」
ダイジンのものと似通った、子供のような声がその場に響き渡る。
元に戻す。要石である、サダイジンを再びミミズに突き刺してほしいということだろう。
「喋った!? ……って、今更か……」
「……そ、そやね、今更っちゃね……」
サダイジンの発言に——本来なら驚くべきなのだろう。
しかし、度重なる化け物の襲撃で不可思議なことに対する耐性が付いたのか。芹澤も環も、そこまで動揺することではないのだろうと開き直る。
だが、そんな心の余裕を保っていた彼らの元へと——迫り来る巨大な影があった。
「……ん、雨か……?」
ふいに、走行中のスポーツカーを覆うほどに大きな影が射す。
芹澤は既に止んでいた雨がまた降り始めようとしているのか、その程度の認識でしかなかったのだが。
『——キュエエアアアアアア!!』
「——!?」
刹那、頭上からまともな生物の鳴き声と思えぬほどに耳障りな絶叫が轟いてくる。
反射的に耳を塞ぐ一同。誰もが何事かと上空に目を向ければ——。
「なっ……と、鳥!? 鳥……なの?」
驚愕する鈴芽の視界に飛び込んできたそれは——全長十メートルはあるだろう、鳥らしき巨大な怪異であった。
だが第一印象、鈴芽はそれを鳥だと断言出来なかった。それは、その巨大な怪鳥の体を構成する『パーツ』があまりにも歪なものだらけだったからだ。
目の部分は茶碗、
翼のように広がっているのは
それらの品々が集まって、鳥のようなシルエットを形作っていたのである。
『キュエエエアアアアアアアアア!!』
明らかに生物として異常な在り様なのに、その怪鳥の雄叫びには恨みや憎しみといった感情が込められているように感じられる。
その強烈な感情に身を任せるよう——巨大な怪鳥が、芹澤のスポーツカーへと真っ直ぐ突っ込んでくる。
「おいおいおいおい!!」
怪鳥から逃れようと、芹澤が慌ててハンドルを切る。だが、あまりに性急過ぎる方向転換にコントロールを失った車は道を外れ。
草に覆われた急斜面を滑り落ち——がしゃんと、鈍い衝撃音を立てながら地面へとぶつかる。
「いてて……だ、大丈夫っすか……?」
「え、ええ……何とか……」
エアバッグが正常に作動し、芹澤も環も目立った怪我を負わずに済んだ。
「二人とも!!」
しかしそれどころではないと、同じく怪我のなかった鈴芽が大声で叫ぶ。
『キシュアアアアアアアアアア!!』
見上げれば、あの怪鳥が鈴芽たちのすぐ目前まで迫っていた。シートベルトのおかげで怪我はなかったものの、そのせいで咄嗟に逃げることも出来ない。
まさに絶体絶命というべき状況——。
「——霊毛ちゃんちゃんこおぉおおお!」
『——ギュアッ!?』
そんな鈴芽たちの危機に、飛び込んでくる影があった。
その叫びと、怪鳥を殴り飛ばせるほどの一撃。それが誰の仕業なのかは——その勇姿を見れば分かることだ。
「鬼太郎くん!?」
そう、鈴芽たちの救援に駆け付けたのは——ゲゲゲの鬼太郎。
猫娘や砂かけババアといった仲間たちに声を掛けた上、彼自身も鈴芽たちの元へと駆け付けてきてくれたのだ。
「間に合ったようじゃな!!」
目玉おやじもひょっこりと顔を出し、鈴芽たちの無事に安堵しつつも、すぐに巨大な怪鳥の方へと目を向ける。
『ギュアアアアアアアアア!!』
怪鳥は鬼太郎の一撃を受けて尚、未だ健在な姿を維持していた。
寧ろ、不意打ち気味な一撃を食らわされ、ますます憎悪を滾らせるよう唸り声を上げていく。
「父さん、この妖怪は!?」
「うむ……こやつは、おそらく難儀鳥じゃろう……」
鬼太郎は眼前の妖怪が何なのかを、目玉おやじに問う。
その問いに、目玉おやじは自身の知識からそれが何と呼ばれている妖怪なのかを推測していく。
目玉おやじの予想どおり、その巨大な怪鳥は
難儀鳥は江戸時代、作者不詳の『鯰絵』に描かれた怪鳥である。鯰絵とは1855年に江戸で起きた『安政大地震』の震災直後に版行された、『地震は鯰が起こすもの』という民間信仰をモチーフにした戯画のことである。
難儀鳥の体は、震災で職を失い難儀したものたちの仕事道具で構成されているとされ、その身は震災の復興景気のおかげで繁盛した、大工や左官屋たちへの恨みに満ちているとされている。
『カカカ……シ、シゴトガナクナッタ、ナンデコンコトニ』
『コレカラ、ドウヤッテ……イキテイケバイインダ』
『モウタベルモノガナイ、ヒモジイ……キュアアアアアアアアアアアア!!』
よくよく耳を澄ませば聞こえてくるようだ。
震災で職を失い、明日からどうやって生きていけばいいんだと、嘆くような職人たちの恨み節が怪鳥の怒れる唸り声と共に——。
「……っ」
その声は鈴芽の耳にも届いていた。震災によって失ったものを嘆く声。それは彼女にとっても決して他人事とは思えない、悲痛な訴えである。
「私、走っていく!! ここまでありがとう、芹澤さん!! 環さん!!」
「ちょっ……鈴芽ちゃん!?」
「鈴芽っ!?」
それでも——いや、だからこそか。
鈴芽はここまでの道中、世話になった人たちへのお礼を口にしながら、ここからは自力で進もうと動かなくなった車から飛び降りていく。
震災という災厄に、もうこれ以上何も奪わせない。また奪われたものを取り返しにいくと。
鈴芽の決意に応えるよう、サダイジンとダイジンも揃って彼女の後を付いていく。
「こっちだ、難儀鳥!! 髪の毛針!!」
『ギュエアアアア!!』
鈴芽のやろうとしていることは、鬼太郎も猫娘から聞かされている。鬼太郎は難儀鳥の注意を引き付けるように動き、彼女の進むべき道を切り開いていく。
「——はぁっ、はぁっ!!」
鈴芽は走る。後ろを振り返ることなくひたすら走り続ける。
しかしながら、鈴芽が目指す場所まであと二十キロはあり、どれだけ全力疾走で走り続けても辿り着く頃には夜になっていただろう。
「鈴芽、乗りんさい!!」
「た、環さん!?」
すると、そこへ後方から環が追いついてくる。
彼女は道端に投棄されていた自転車を引きずり上げ、錆びついたペダルを力任せに漕いできた。
「う、うん……」
鈴芽は少し迷ったが、大人しく自転車後部の荷台に座ることにした。サダイジンとダイジンも、自転車の前カゴの中へとスッポリと収まっていく。
「はぁはぁはぁはぁ……」
「…………」
環が激しく息切れを起こしながら全力で自転車を濃いでいく背中を、鈴芽は黙って見つめていた。
立て続けの妖怪襲撃であやふやになってしまっていたが、先の駐車場でのやり取りがあってか、なかなか声も掛けづらい。
「……環さん?」
「——もうええわ」
それでも、鈴芽は小さい声で呼び掛けるのだが、環はどこか諦めが混じるように息を吐く。
「要するに、アンタ……好きな人のところに行きたいっちゃろ? なんか色々全然分からんけど、要するに恋しちょるんやろ?」
「え……ええ!? い、いや……れ、恋愛とか、そういうんじゃないしっ!!」
環の予想外過ぎる言葉に、鈴芽は顔を真っ赤にしながら否定の意思を示す。
確かに鈴芽は草太を助けたいと思っているが、彼女はそれを恋などと思っていない。共にミミズという脅威と戦ってきた、戦友である草太の犠牲を見過ごすことなど出来ないという、友情に近いものだと——鈴芽自身は思っている。
もっとも、鈴芽が草太をどう思っているかなど、耳まで真っ赤にするその顔を見れば分かろうものだと、年頃の娘らしい姪の姿に自然と環の口から笑みが溢れていく。
「ふふっ……ねぇ鈴芽、こん猫たちって……?」
ふいに、今更ながらも環はカゴの中で大人しくしている猫たちが何であるかを問う。
先ほどまでなら「説明したところで……」と何も話さなかっただろう鈴芽だが、今は特に気負うこともなく平然とその問いに答える。
「ああ……ええっと、なんか神様なんだって……」
「神様!? 妖怪の次は神様って……あっはっはっ!!」
まさかの答えに環は大きく笑い声を上げ、鈴芽もそれに釣られるように笑みを溢していく。
旅の道中、ずっとギスギスしていた彼女たちが初めて気持ちよさそうに笑い合っている。
「あのね……駐車場で私が言ったことだけど……」
ふと、環は駐車場でのことを蒸し返す。
しかしその顔に悲壮感はなく、どこか清々しささえ感じさせる、穏やかな言葉遣いで語る。
「胸の中で思っちょったことはあるよ。…………でも、それだけでもないとよ」
環が鈴芽に対して抱いていた、負の感情。憤りやわずわらしさは確かにあった。
鈴芽にぶつけた暴言、あれも彼女の本音であることに間違いはない。
「全然……それだけじゃないとよ……」
しかしそれだけが、環が抱く鈴芽への感情の全てではない。
仮にそれが全てだというのなら、二人での生活などとっくの昔に破綻していたのだ。
姉の忘れ形見である鈴芽を大切に、愛しく、慈しんで育ててきた。それもまた確かな事実なのだ。
「……私もごめんね、環さん」
そんな環の愛情は、言葉にせずともちゃんと鈴芽にも伝わっている。
それを分かっていながら、鈴芽も自分勝手が過ぎたと。環の肩に手を掛けながら、その背中に自身の顔を寄せていく。
鈴芽と環との間で長年溜め込んできた何かが、スッキリと解けていった瞬間であったかもしれない。
「十二年ぶりの里帰りやね……」
日が暮れていく中、気が付けば目指していた場所がすぐ眼前に広がっていた。
環の言葉どおり、十二年という歳月を経て——鈴芽は自身の生まれ故郷へと戻ってきたのであった。
×
「ただいま、お母さん……」
今は亡き母へ、故郷への帰還を告げる鈴芽。
彼女の目の前に広がるのは、草に覆われた荒地だ。かつては鈴芽の家も含め、多くの住宅が建ち並んでいた場所だが、その全てが津波によって洗い流されてしまい、今やただの廃墟となった。
かつての教訓から巨大な防潮堤が築かれているが、そこに守るべき人間など人っこ一人住んでいない。
「…………」
そういった光景に痛ましい表情を浮かべる環。彼女にとっても、そこは実の姉が亡くなった因縁の土地だ。
しかしここまで来た以上、今はただ鈴芽のやろうとしていることを見届けようと、静かに姪の動向を見守っていく。
「確か……この辺りに……」
鈴芽は実家——かつての住まいがあった敷地内へと足を踏み入れた。
当然そこも廃墟であり、残っているのはコンクリートの基礎部分くらいなものだ。他に残っているものなど何もない筈だが。
「よいしょっ……!」
だがおもむろに、鈴芽はその辺に転がっていた錆びついたスコップを手に取り、地面を掘り返し始めた。
明らかにそこに『何か』が埋まっているという迷いのない手つきに、環は勿論、ダイジンやサダイジンも首を傾げていく。
「……あった!」
やがて、ガチンという音と共に鈴芽の手が止まる。
鈴芽が土の中から掘り当てたもの——それは小さな『クッキー缶』であった。蓋の真ん中には幼い子供の文字で『すずめのだいじ』と書かれている。
「これって……日記帳?」
鈴芽がそのクッキー缶の蓋を開けるのを、環が横から覗き込む。
その缶は、鈴芽が九州へと旅立つ前にこの地へと埋めておいた、いわばタイムカプセルである。
缶の中にはビーズで作ったアクセサリーや、折り紙なども詰め込まれていたが、今重要なのは幼い鈴芽が描いたとされる絵日記の方である。
「私、あの頃のことちゃんと覚えてなくて……」
鈴芽がその絵日記を探していた理由——それは自身の記憶を思い返すためであった。
幼い頃に後ろ戸に迷い込んだ鈴芽。羊郎はその後ろ戸こそ、鈴芽が唯一常世への出入りが出来る扉だと教えてくれた。
草太を助けるためにも、その後ろ戸を潜る必要があるわけだが、その具体的な場所が分からないでいた。
「私、扉に迷い込んだことがあった筈なの……きっと日記にそのことが……」
確信があるわけではない。だが、扉に迷い込んだ出来事を特別なこととして胸に刻んでいたのなら、子供の頃の自分は絶対にこの絵日記に何かを描いただろうと。
期待と予感、二つの感情に胸をドキドキさせながら絵日記のページを捲っていく。
絵日記には、子供らしい絵と共にその日あったであろう楽しかったことが、下手っぴながらも元気な文字で書かれていた。
ところが——とある日を境に、絵日記のページが『真っ黒なクレヨン』によって塗り潰されていた。
そう、震災が起きた日だ。
その日からの鈴芽の絵日記に、楽しかったことなど何一つ描かれていなかった。ただただ真っ黒に塗り潰されたページが、その頃の鈴芽の気持ちを表しているようだ。
ページを捲れど、捲れど。全てが黒、黒、黒。これから先の将来、何一つ希望がないことを暗示しているかのようで、見ているだけで心が病みそうである。
「…………」
それでも、鈴芽はひたすらページを捲り続ける。
その真っ暗な闇の中に、僅かな希望があると信じて。
ページをめくり、めくり、めくり。そして——。
「!!」
絵日記の最後のページに、それは描かれていた。
扉の絵。その向こうには綺麗な星空。さらに隣のページには草原に立つ二人の人物。
子供時代の幼い鈴芽と、白衣を纏った大人の女性。二人ともにっこりと笑顔を浮かべている。
「夢じゃ、なかった……!」
その絵を見るや、鈴芽の目から自然と涙が零れ落ちた。
鈴芽が常世の向こう側に見ていた景色は、彼女が子供時代に見たと思っていたものであり、時々夢で見る情景でもあった。
鈴芽はそれがただの空想、妄想でないことが嬉しかった。鈴芽は確かにあの日、後ろ戸から常世へと迷い込み——そこで白衣を纏った女性に、母親にあったのだと。
「そうだ……月が出てた!! あの日、あの電波塔に月がかかってた!!」
さらに後ろ戸の絵の隣には月や、細い塔のようなものが描かれており、それが呼び水となって鈴芽の記憶が鮮明に思い出されていく。
鈴芽は顔を上げ、周囲の景観へと目を配る。既に辺り一帯が夕闇に沈みつつあったが、視界の向こう側では絵日記にあった電波塔が変わらず聳え立っていた。
あそこだ。あの塔の付近に必ず後ろ戸がある筈だと、鈴芽は居ても立っても居られず駆け出す。
「ちょ、ちょっと鈴芽!? 扉を探すって……十二年前の瓦礫なんて、もうないわね!!」
鈴芽が『扉』を探していることを知った環は、仮にそのような扉があったとしても、十二年前なら残っていないだろうと叫ぶ。
しかしその制止に振り返ることなく、鈴芽は電波塔に向かってまっすぐ走っていく。
「はぁ、はぁ……どこに……?」
鈴芽は、絵日記に描かれていた構図を元に扉の場所を探す。だがやはり十二年前のことで記憶がうろ覚えなこともあり、なかなかどうして見つからない。
「すーずめ」
そんな鈴芽に幼い子供の声が囁く。
ダイジンだ。旅の道中、決して自分から声を掛けようとしなかった子猫が、鈴芽に何かを訴えかけるように彼女を見つめてくる。
「ダイジン……もしかして!?」
ダイジンの呼び掛けに鈴芽はすぐに彼の元へと駆け寄り、サダイジンもその後ろからピッタリと付いてくる。
「これって……」
そうしてダイジンに導かれるまま、鈴芽は蔦に埋もれた板のようなもの発見する。
その板を立てかけ、覆っていた蔓を両手でむしり取っていくことで——それがドアであることが判明する。
まさに、鈴芽が探し求めていた『後ろ戸』で間違いない。
表面がボロボロと崩れていたり、ドアノブが錆びついたりなどしているが、それは確かな原型を保ったまま、十二年という年月をこの地で過ごし——鈴芽を待っていてくれた。
「ダイジン……こうやって、私を後ろ戸の元まで案内してくれてたんだよね……」
その後ろ戸も、きっとダイジンがいなければこうも早くは見つからなかっただろう。
あのぬらりひょんという老人も言っていた。ダイジンは鈴芽に扉を閉じて欲しくて、ずっと彼女を導いてくれていたのだと。
実際に後ろ戸まで案内して貰えたことで、鈴芽はそれを実感として理解する。
「ありがとう、ダイジン……私を、助けてくれて!!」
ぬらりひょんに斬られそうになったときも、ダイジンは身を挺して鈴芽を庇ってくれた。そのことも含めて、鈴芽の口から自然と感謝の言葉が紡がれていく。
「!!」
鈴芽に心からありがとうを送られ、ダイジンに変化が生じる。
一度彼女から拒絶されてからというもの、ずっと痩せていた体がぷっくらと膨らみ、見窄らしかったその顔にも生気を取り戻していく。
「いこう すずめ!」
「うん!!」
嬉しそうに声を弾ませながら、鈴芽に一緒に行こうと言ってくれる。
鈴芽も一人ではない、ダイジンやサダイジンが付いてきてくれることを頼もしいと感じながら——扉を開け放っていく。
開いた扉の、後ろ戸の向こうには——眩いばかりの星空が広がっていた。
常世だ。他の後ろ戸のように景色が見えるだけではない。どこか懐かしい匂いと共に吹いてくる風が、肌を優しく撫でるような感覚がある。
きっとこの後ろ戸からなら、常世へ行くことが出来るという確信が持てた。
「鈴芽!!」
ふと、後方から環が鈴芽の元へと駆け寄ろうとしている。
「環さん、私……行ってくる!!」
「ええっ!? どこにっ!?」
鈴芽は振り返りながら、環に行ってきますと大声で叫んだ。
事情が分からない環は、鈴芽がどこに行くのかを聞くしかなく。
その問いに、鈴芽は清々しい笑顔で答える。
「——好きな人のところ!!」
もう迷いはない。
鈴芽は彼の、宗像草太の元へ行こうと。勢いよく後ろ戸を潜り——常世へと足を踏み入れたのであった。
「鈴芽……」
後ろ戸へと飛び込み、鈴芽は常世へと旅立った。
しかし常世を見ることの出来ない環には、なんでもない扉を潜った瞬間、鈴芽がいきなり消えたようにしか見えなかっただろう。
だがそこで必要以上に狼狽えることはなく。環はきっと鈴芽が帰ってくると信じて、その場で待つことにした。
既に完全に日は沈んでおり、辺り一帯は闇夜によって覆われている。
「…………」
その闇に紛れるよう——忍び寄る影があった。
ぬらりくらりと近づいてくるその人影に、環はまるで気付いていない。
その影は後ろ戸へと一歩一歩近づいてきており、その進路上に立っていた環という存在を目障りのものと判断し、懐から刀を取り出した。
そのまま、何の気もなく振り下ろされんとする凶刃。環は最後まで、その刃の存在に気付くことが出来ず——。
「ひらりっと!!」
「きゃっ!?」
間一髪といったところで、横合いから凄まじい速度で飛んできた白い何かが、環の身を掻っ攫いその凶刃から庇っていく。
「美人には手出しせんとよ!!」
「えっ? だ、誰よアンタ!?」
颯爽と環の危機に駆け付けたのは、宙にヒラヒラと浮く反物・一反木綿であった。
多少歳はいっているが、環が美人であったことで張り切って彼女を助けたようだが、助けられた側は困惑している。
いったい何から自分を助けたというのかと、環が先ほどまで自分のいた場所に目を向ければ——そこに一人の老人が佇んでいたではないか。
「えっ……い、いつの間に?」
「…………」
その老人が刀を手にしていたことから、自分がまさに斬られようとしていたことを遅れて理解し、背筋をゾクリとさせる。
一方で、老人は感情を感じさせない冷徹な瞳で環や一反木綿へと視線を送っている。
「やっぱり現れおったね、ぬらりひょん!! 鬼太郎しゃんの予想どおりばい!!」
その老人・ぬらりひょんの襲撃をゲゲゲの鬼太郎は予期していたと。まるで自分の手柄のように、一反木綿が自信満々に胸を張っていた。
そう、ミミズを解き放つことで人間社会を混沌とさせるという、ぬらりひょんの企み。
その企みをまだ諦めていないだろうと、鬼太郎はずっとぬらりひょんの襲撃を警戒していたのである。
その用心のおかげで、ぬらりひょんが差し向けてきた刺客から鈴芽やサダイジンを守ったり、ぬらりひょん自身の襲撃から環を救うことが出来たのだ。
いかにぬらりひょんが狡猾に立ち回ろうが、警戒していれば対処することも可能だということだ。
「ほう……ですが、その鬼太郎くんの姿が見えませんが……」
ぬらりひょんは自分の行動を先読みした鬼太郎に感心するような声を溢しつつ、肝心の鬼太郎がどこにいったのかと周囲を見渡す。
「——指鉄砲!!」
そのとき、どこからか鬼太郎の怒号が響いてきた。
見上げれば上空に青白い輝きが、鬼太郎の放った指鉄砲の一撃が巨大な怪鳥・難儀鳥へと炸裂していた。
『——キシェェエエエエエエエエエエエエエ!?』
零距離から放たれたと思しきその一撃に、断末魔の悲鳴を上げながら難儀鳥の巨体が爆散四散していく。消滅した肉体から魂が解き放たれ、いずこへと姿を晦ます。
「おおっ!! 流石ばい、鬼太郎しゃん!!」
そのまま、無事に地上へと着地する鬼太郎に一反木綿が喝采を上げる。
「ぬらりひょん……」
だが鬼太郎自身は喜ぶ暇などなく、難儀鳥という強敵を倒した後も戦意を緩めることなく。
因縁の相手、ぬらりひょんと向かい合う。
「ぬらりひょん様!!」
ここでぬらりひょんの元にも、朱の盆が駆け付けてくる。
迂闊に手出しが出来ない状態。互いに次の一手を決めかねるように睨み合っていく。
「やれやれ……またも同志たちを失ってしまいましたか……」
そうした緊張感が続く中、先に口を開いたのはぬらりひょんであった。
「いったい、どれだけの同胞をその手に掛ければ気が済むのです、鬼太郎くん……」
「ぬらりひょん、お主っ!!」
ぬらりひょんは同志の死を悼むようなことを口にしながらも、その責任の矛先を鬼太郎へと向けていく。
息子を責めるような言動に目玉おやじが憤りを露わにするが、それを無視してぬらりひょんは続ける。
「人間のためになど力を尽くし、仲間である妖怪に手を掛けるなど……それが愚かなことだと、いまだに理解出来ないでいるとは……」
妖怪でありながら人間の味方をし、数多くの妖怪たちを葬り去ってきたゲゲゲの鬼太郎。
それがどれだけ愚かな行為なのかを、ぬらりひょんは口元に笑みを浮かべながら語っていく。
「ぬらりひょん……」
しかしそんなぬらりひょんの言葉に、鬼太郎は表情を崩さずに——こう切り返していた。
「——お前、何をそんなに焦っているんだ?」
「…………」
瞬間、ぬらりひょんの口元から笑みが消える。
×
「はっ!?」
後ろ戸を潜り、常世へと飛び込んだ瞬間——鈴芽が感じたのは、自分が落下しているという浮遊感だった。
後ろ戸の扉は、常世の遥か上空に繋がっていた。鈴芽の両隣には白と黒のダイジンとサダイジンもいる。眩いばかりの星空を背に、一人と二匹が地表へと落下していく。
「地面が……燃えてる!?」
落下しながらも、鈴芽は地表へと目を向けた。
綺麗な星空とは対照的に、常世の大地はまるで地獄のような業火に包まれていた。真っ暗な地面の上を、ドロドロと真っ赤な溶岩のようなものが流れているのが見える。
よくよく見れば、その溶岩のようなものがゆっくりと盛り上がろうとしているのが分かる。
「ミミズだ!! 後ろ戸から出るつもりっ!?」
その溶岩のような物体こそが、常世に潜むとされる『ミミズ』だった。
現世で見るよりも色濃く、その存在感を増した形ある厄災。
そのミミズが天に向かって昇ろうとしている。
鈴芽が潜ってきた後ろ戸から、外へ出ようとしているのは明白だった。
「!!」
そのときだ。突然、獣のような唸り声が鈴芽の隣から響いてきた。
黒い猫・サダイジンがミミズに向かって一声吠えたかと思いきや、次の瞬間にもその身が虎よりも、熊よりも、さらに巨大な怪獣の如き大きさまで膨らんでいく。
黒かった毛も純白へと変わり、尾と髭が長く伸びたその姿に神獣のような威厳、風格が漂い始める。
それこそが、要石たるサダイジンの真の姿ということなのか。
その巨体でミミズを食い止めようと、上空から地表にいるミミズの頭に向かって襲い掛かっていく。
「きゃああっ!?」
ミミズとサダイジンの激突の余波に巻き込まれ、鈴芽が悲鳴を上げる。それでも、彼女はサダイジンの髭に掴まることで体勢を整えようとするが。
次の瞬間、堪えきれずに手を離してしまった鈴芽の体が、地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。
「!!」
それを間一髪で救ったのが、ダイジンであった。
地表にぶつかる間際、その身が熊ほどの大きさとなり鈴芽の華奢な体を包み込んでいく。
「ダイジン!? お前、また私を守って!!」
「すずめ だいじょうぶ?」
結果として、鈴芽は軽傷で済んだ。だが落下の衝撃を一人で引き受けることになったダイジンは、すぐに元の子猫に戻ってしまう。
幸い、なんとか体を起こすことが出来たようで、鈴芽もホッと安堵の息を溢し——すぐに周囲の状況へと目を向けていく。
「ここが常世なの……?」
上空から見えていたように、そこは延々と燃え続ける地獄のような場所であった。
ふと、そんな燃え続ける大地の中、孤独に輝く一番星のような輝きが鈴芽の目に留まった。
「草太さんだ!!」
固まった溶岩が寄り集まって形成されたような真っ黒い丘、その頂上に——子供椅子が突き刺さっている。
要石となり、今この瞬間もミミズが常世から出て行こうとするのを防いでくれている、宗像草太である。
「草太さん!」
弾かれたように走り出す鈴芽。その際、彼女の肩の上にダイジンがちょこんと乗っかっていく。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
草太のいる丘の上を目指す鈴芽だが、彼女の歩みを阻むかのように炎が道を遮っていた。
迂回を続け、なんとか通れる道を探して走り回るのだが、炎の熱さや——『燃やされているもの』の数々に、鈴芽の表情が自然と険しくなっていく。
常世の大地では『町』が燃えていた。
誰かの家や電柱、信号機や自動車。陸に打ち上げられた漁船。
食器棚やテーブル、カーテンやタオル、シャツなど。
人々が生活する上で必要なそれらが、全て炎に包まれては消えていく。
人々が生きていた証そのものを、厄災は容赦なく全て呑み込んでいく。
「うっ……!」
大事なものが燃やされていくその光景や、咽せるような匂いに鈴芽の目にいっぱいの涙が溜まっていく。常世にいる筈なのに、まるで自分の見知った町が焦土と化していくような気持ちである。
だがそれでも、鈴芽はただ一心に黒い丘を目指して燃える町の中を駆け抜けていく。
やがて炎を抜けていった先にて、鈴芽は黒い丘の目の前へと辿り着く。
そこからサダイジンとミミズがぶつかり合っている光景が遠目に見えるが、鈴芽は振り返ることなく丘の斜面を駆け上っていった。
「草太さん!!」
ついに辿り着いた丘の頂上で、鈴芽は草太の変わり果てた姿を改めてその目に焼き付ける。
要石となった子供椅子の草太は、凍りついたように冷たくなって黒い丘——ミミズの体に突き刺さっていた。
「草太さん!! 草太さん!! 草太さん!!」
鈴芽は草太の名を叫びながら、抱きつくように椅子へと駆け寄るが、草太からの返事はない。
しかしその子供椅子、鈴芽のために母が作ってくれたその椅子の奥底に、きっと草太の意識が眠っている筈なのだ。
鈴芽は彼への呼び掛けを続けながら、椅子をミミズから引き抜こうと力を振り絞っていく。
「すずめ いしをぬいたら みみず そとにでちゃうよ」
だが鈴芽のやろうとしていることに、肩に乗ったダイジンが警告を促す。
決して意地悪で言っているのではない。要石である草太を抜けば、ミミズの封印が完全に解かれてしまうと。
たとえ要石としての役割を放棄していても、ダイジンはミミズが災厄を振り撒くことを良しとはしていない。
そんなダイジンの忠告に対し、鈴芽は躊躇うことなく叫んでいた。
「——私が要石になるからっ!!」
「————!?」
これにはダイジンも絶句するしかなかった。
草太を助けたい、けれどミミズを解き放ちたくはない。ならばどうすればいいかを、鈴芽はずっと考えていた。
考えて、考え抜いた結果として——彼女は、自分自身が要石になるという結論に至ったのだ。
決して他の人に迷惑を掛けたりしない、それが最善の手段だと鈴芽は心から信じてその選択を選び取っていく。
「だからお願い、目を覚まして……草太さん!!」
だから、自分が代わりになるから。その代わりに草太を返してくださいと。祈るような思いで、鈴芽は椅子を引っ張り上げる腕にさらに力を込めていく。
「えっ……ダイジン?」
「————」
その決意に応えるような形で、鈴芽の肩から飛び降りたダイジンが大きく開いた口で椅子の脚をくわえる。
鈴芽と一緒になって椅子を引き抜こうとしているのだ。ダイジンの助力に感謝しつつ、さらなる力を込めていく。
「草太さん。私、こんなところまで来たんだよ!! お願いだから、答えてっ!!」
冷たい氷のような椅子の感触が、鈴芽の体から体温を奪っていく。
既に腕の感覚などなかったが、それでも諦めることなく椅子を引っ張りながら、鈴芽は草太への呼び掛けを続けていた。
——ねぇ、キミ。
ふと、草太の声が聞こえてきた。
気のせいではない。確かに彼の声が、鈴芽の内側に響いてきた感覚があった。
——この辺りに、廃墟はない?
——廃墟?
草太だけではない。鈴芽自身の声までもが、走馬灯のように浮かび上がる映像と共に響いてくる。
——キミは、死ぬのが怖くないのか!?
——怖くない!!
——ねぇ、私たちってすごくない!?
——うん、きっと大事なことをしてる!!
——ねっ、草太さんも一緒に!!
それらはこれまでの道中、草太と旅をしてきた間の思い出の断片だった。
決して長い間一緒にいたわけではないが、もはやそれはかけがえのない記憶となって、鈴芽と草太の胸の奥底に刻み込まれていた。
——ああ、これで終わりか……こんなところで……!
——でも俺はキミに会えたから……キミに会えたのに……!!
しかしそんな心温まるような思い出も、最後には草太の悲痛な叫びで締め括られていた。
こんなところで終わりたくないという、心からの絶叫。
——消えたくない……もっと生きたい……生きていたい。
——死ぬのが怖い……生きたい、生きたい、生きたい……もっと……。
「——私だってそうだよ!!」
草太のその気持ちに寄り添うよう、鈴芽は声を張り上げていた。
「私だって、もっと生きたい! 声を聞きたい。一人は怖い。死ぬのは怖いよ……草太さん!!」
『死ぬのなんて怖くない』
そう言い放ったこともある鈴芽だが、心の奥底では死を恐れている——恐れている筈なのだ。
だって死んだら、草太にもう会えない。
環とも。芹澤や千果、ミキ、猫娘といった、この旅でお世話になった人たちにお礼を言うことも出来ないのだ。
死んだら独りぼっちだ。大切な人たちが誰もいない世界など、きっと鈴芽は耐えられない。
草太のいない世界で生きていくなど、怖くてたまらない。
——だからお願い、目を覚まして!!
草太も同じ想いだということが、先ほどの心の叫びからも伝わってきた。
ならばあとは呼び掛けるだけだと、草太にも自分のこの想いが届いて欲しいと。
そう強く願いながら、鈴芽は椅子にそっと口づけをする。
刹那——ガコっという音を立てながら椅子が動いた。
まるで椅子自身が、引き抜かれることを望むようにミミズの体から離れようとしている。
「草太さん!!」
鈴芽はその勢いに乗り、渾身の力で一気に椅子を引っ張る。ダイジンも全力で鈴芽の手助けをしてくれる。
鈴芽とダイジン、そして草太と。
三人の意思が一つとなり——次の瞬間、要石がミミズの体から爆ぜるように引き抜かれた。
「っ……!!」
あまりに勢いがあり過ぎたせいか、鈴芽は引っこ抜かれた椅子を持ったまま後方へと弾き飛ばされ、丘の斜面をごろごろと転がり落ちていく。
ドンと、背中に強い衝撃を受けたところでようやく止まる。一瞬、意識が遠のきそうな感覚があったが——目の前に『彼』がいたことで、鈴芽の目がはっと見開かれる。
「草太さん……」
「うっ……す、鈴芽さん?」
そこには、横たわる宗像草太の姿があった。彼は要石の束縛から解放され、元の人としての姿を取り戻していた。
「俺は……」
草太は夢から覚めたばかりのような顔で、ゆっくりと体を起こしていく。鈴芽は目の前に草太がいることが嬉しくて微笑みを浮かべる。
「っ!! ダイジン!?」
だがそこで、草太の肩越しにダイジンが横たわっている姿が鈴芽の視界に入り込んだ。
鈴芽はダイジンへと駆け寄り、その小さな体を両手ですくい上げた。白い子猫の体は氷のように冷たい。
「だいじんはね すずめの子には なれなかった」
「えっ?」
息も絶え絶えといったダイジンは、鈴芽を見つめながら——『うちの子になろう』という言葉に、どれだけ心動かされたかを伝えようと言葉を紡ぐ。
要石としての役割を与えられていただけのダイジンにとって、まさにその言葉だけが自分と鈴芽とを繋ぐ絆そのものだったのだ。
「すずめのてで もとにもどして」
「——!!」
だからこそ、戻るなら鈴芽の手でと。ダイジンは自らの意思で——再び要石となった。
鈴芽が犠牲になるより、自分の方が適任だとばかりに。ダイジンは己が使命を全うする。
「ダイジン……」
草太を人に戻し、ダイジンを要石に戻す。
在るべきものを、在るべき姿に。それは鈴芽もずっと望んでいたこと——望んでいたことの筈なのに、涙が止まらない。
もっと、ダイジンにしてあげられたことがあったのではないかと。今になって後悔の気持ちが押し寄せてくる。
「鈴芽さん……っ!! あれは、二つ目の要石と……ミミズ!?」
悲しむ鈴芽に声を掛けようとする草太だったが、彼はサダイジンとミミズ——二体の強大な存在が激闘を繰り広げている光景を目の当たりにする。
一見すると拮抗しているようなその戦いも、急に勢いを増したミミズがサダイジンを押し除け、その巨体が空に昇っていこうとしていた。
「ミミズの尾が自由になったんだ……! 後ろ戸から、全身が出てしまう!!」
草太は素早く状況を理解する。
ミミズの勢いが増したのは、自分という要石を抜いてしまったせいだと。このままではミミズが現世へと飛び出し、震災という形で地上に災いがもたらされてしまう。
それを防ごうと、サダイジンがミミズへと果敢に立ち向かってくれているが、あれでは時間稼ぎにしかならない。
「草太さん!!」
現世に危機が迫っていることは、鈴芽にも理解出来た。
彼女は涙を拭い顔を上げ、要石に戻ったダイジンを大切そうに抱えながら、これからどうするべきかを草太に向かって問い掛けていく。
「声を聴き、聴いてもらう!!」
「えっ?」
「付いてきて!!」
草太は説明している時間も惜しいとばかりに、鈴芽の手を引いて駆け出す。
二人は黒い丘——ミミズの尾が動き出したことで、不安定となった足場から急いで離れ、燃え盛る町の方へと向かっていく。
炎の中を二人で協力しながら駆け抜けていき、ひときわ小高い瓦礫の山の上を目指して登っていく。瓦礫の頂上からは、燃え盛る町が一同に見渡せる。
「かけまくもかしこき日不見の神よ! 遠つ御祖の産土よ。久しく拝領つかまつったこの山河、かしこみかしこみ、謹んでお返し申す!!」
草太は燃え盛る町を見渡しながら、大声で叫ぶように祝詞を唱えた。
後ろ戸を閉じるための儀式、言葉を紡ぎながら彼は祈るように手を合わせる。
「——!!」
刹那、鈴芽が所持していた後ろ戸を閉めるための鍵が輝きを放ち始める。
その輝きに呼応するよう、鈴芽が目にする眼前の光景が燃え盛る町から——かつてその地の現世にあったであろう、朝日に照らされる港町へと変化していく。
その情景に鈴芽が見とれていると、風に運ばれるようにいくつもの『声』が彼女の耳元まで届いてくる。
『おはよう』『おはよう』『いってきます』『いってらっしゃい』
『はやく帰って来てね』『いってくるね』『気をつけていっておいで』
『いってらっしゃい』『いってきます』『いってきます』『いってきます』
それは様々な人たちの、行ってきますの朝の声だった。
いつもの日常を過ごそうと家を出ていった彼らの声には——『ただいま』がなかった。
震災により、それを言う機会を永遠に失ってしまった人々の想い。
その想いが今この瞬間、鈴芽たちの下へと集まってくる。
「命がかりそめだとは知っています!! 死は常に隣にあると分かっています!!」
草太はさらに大声で訴えかける。
理不尽な災害、大自然からすれば人の命など吹けば飛ぶようなもの。
妖怪や神様からすれば、人の一生など瞬きの間に消えてしまう、短い生涯なのだろう。
「それでも私たちは願ってしまう!! いま一年、いま一日、いま一時だけでも、私たちは永らえたい!!」
それでも、人は生きたいと願うのだ。
たとえ短い一生だったとしても、たとえ何も成せなくても、たとえどんなに苦しくても。
ほんの少しでも、大切な人たちと共にこの世界を生きていきたいと、そう願わずにはいられない。
「猛き
だからどうか、この想いを聞き届けてくれと。草太はより一層大きな声で呼び掛け——。
「————!!」
その切なる祈りに『神』が応えた。
ミミズと死闘を繰り広げていた、巨大な猫・サダイジン——要石に選ばれた神様として、閉じ師である草太の想いに応えようと、まっすぐこちらへと突っ込んでくる。
「っ!!」
「大丈夫、身を委ねて……」
迫りくるサダイジンに思わず身を固くする鈴芽。草太は鈴芽の手を取りながら、大丈夫だと優しく囁く。
サダイジンは、そのまま大きく口を開き——鈴芽と草太の二人を飲み込んでしまう。
「——えっ!?」
その次の瞬間にも、鈴芽は空の上を落ちていた。
彼女の手には要石であるダイジンが握られており、ちょうど反対側の上空では同じように空中を落下する草太が、同じく要石に戻っていたサダイジンを握り締めていた。
二人の降下先には、後ろ戸から這い上がろうと天へと昇るミミズの『頭』と『尾』があった。
何をすべきかを、鈴芽は既に知っていた。
「——お返しします!!」
鈴芽は万感の思いを乗せて、振り上げた要石をミミズの尾に向かって振り下ろした。
同時に、草太もミミズの頭に向かって要石を振り下ろす。
二体の要石・二本の光の槍がほとんど同時にミミズの体を貫いた。
瞬間、長大なミミズの体が弾け飛び、光の雨となって地表へと降り注ぐ。キラキラと光り輝く虹色の雨は地上の炎を一瞬で消し去っていく。
残っていたミミズの体も大地へと還り、緑豊かな草花がみるみるうちに芽吹いていく。
晴れ渡る空が、眩いばかりの星空が優しく常世を照らしていく。
×
「鈴芽さん……」
「草太さん……」
鈴芽と草太が目覚めたとき、そこは静寂な緑に包まれた廃墟であった。
町を覆い尽くしていた炎こそ消えてなくなったが、燃えてしまったものが元に戻るわけではない。
二人は周囲を見渡しながら立ち上がり、ふいに草太が自身の纏っていた白いロングシャツを鈴芽の肩へと掛ける。度重なる無茶で、鈴芽の制服がすっかりボロボロになってしまったための配慮である。
「あ、ありがとう…………あれ?」
草太の気遣いに礼を述べつつ、ふと鈴芽は足元に目をやった。
彼女のすぐ側に、鈴芽専用の子供椅子が転がっていた。本来なら草太が人に戻った瞬間、この世に一つしかないその椅子も役目を終えて消滅した筈である。
しかし椅子はそこにあり、よくよく見れば明らかに新しかった。三本脚であるところは同じだが、ペンキの色は鮮やかで傷などもほとんどない。
「あの日……津波に流された椅子を……ここで拾った……?」
鈴芽は自身の記憶を掘り返す。
そもそもその椅子は、震災で起きた津波によって流された筈なのだ。しかし幼い頃の自分はその椅子を持って九州へと渡り、今日に至るまで大切に扱ってきた。
その椅子が、どうして今自分の手の中にあるのか。鈴芽の中で——その疑問に対する答えがぼんやりとだが、浮かんできたような気がした。
「!? 鈴芽さん、誰かいる!!」
「えっ!?」
そのときだ。草太が驚いたように声を上げた。
この常世に、自分たち以外に何者かがいるというのだ。
草太の指し示すその先に視線を向ければ——確かにそこに、小さな人影があるではないか。
「子供……?」
「!! 私……行かなきゃ!!」
どうしてこんなところに子供がと、草太が驚く一方。
鈴芽は居ても立っても居られず——その子の元へと駆け出していた。
「そうか……そうだったんだ……」
その子の元へ向かう間にも、鈴芽は自身の中に渦巻いていた長年の疑問に答えを出していた。
幼い頃、鈴芽は常世へと迷い込んだ。絵日記によれば、鈴芽はそこで大好きなお母さんに会っていた——会っていたと思い込んでいた。
だが今の自分の背格好。普段のポニーテールがいつの間にか解けてロングヘアになっていたり、草太に着せてもらった白いロングシャツを纏っていたりと。
その姿形が絵日記に描かれていた、お母さんらしき大人の女性と同じであったことから、鈴芽は全てを悟った。
その子の元へと辿り着いた鈴芽は、泥だらけのダウンジャケットを纏った小さなその背中に優しく声を掛ける。
「——すずめ」
「——えっ?」
そう、そこにいたのは——十二年前に後ろ戸へと迷い込んでいた、岩戸鈴芽。
四歳の頃の自分自身であった。
文献によれば、常世は『死者が赴く場所』とされているが、もう一つの解釈として『全ての時間が同時にある場所』ともされていた。
それがどういう意味を持つか、よく分かっていなかった鈴芽だが——目の前に幼い頃の自分自身を見つけたことで、その意味をようやく理解した。
つまるところ、こういうこともあるのだと。
きっと自分もこうやって、大きくなった自分と出会っていたのだと。あの頃の思い出をなぞるように、鈴芽は子供時代の自分と向き合っていく。
「……おかあさん?」
「ううん……」
案の定、幼いすずめは大人になった鈴芽を母親と見間違えたようだ。
鈴芽は自分自身の思いを汲み取りつつ、静かに首を横に振る。
「——すずめのおかあさん知りませんか?」
母親ではなかった。
そのことを理解した後も、すずめは涙を堪えながら大人の自分に母の行方を尋ねていた。
「おかあさんもすずめをさがしてて、きっとすごく心配してるから! すずめ、おかあさんのところに行かなきゃいけないんです!!」
「すずめ……」
「すずめのおかあさんは、病院のお仕事をしています。お料理と工作がじょうずで、いつもすずめの好きなものをなんでも作ってくれて——」
「すずめ、あのね……」
「すずめのお家が……お家がなくなっちゃったから……おかあさん、すずめのいる場所が分かんなくなっちゃってるだけだから——」
子供ながらに必死に母親の特徴を伝えようとしているが、徐々に堪えきれずにその目からは涙が溢れ出していた。
「もういいの!! 私、本当はもう分かってたんだ……」
その姿があまりにも傷ましくて、鈴芽は幼い自分自身を抱きしめていた。
そのときからすずめは、自分の母親がもう戻って来ないことを理解していたのだ。しかし頭で理解していても、それを感情で納得させるのは難しいことで。
「なんでっ!? おかあさんいるよ!! すずめを探してるんだってば!!」
「すずめ!!」
すずめは逃げるように大人の自分から遠ざかり、母の温もりを求めて叫んでいた。
「おかあさーん!! どこーっ!? おかあさぁあああああーん!!」
まるでこの世の全てを責めるように、大声で泣きじゃくるすずめ。
「お母さん……!」
子供の頃の自分の悲しみに当てられるよう、気が付けば鈴芽自身も涙を流していた。
「どうすればいいの……?」
自分自身の悲しみだからこそ、それが簡単に癒えないことを鈴芽は理解していた。
このままでは、この子は永遠に闇の中——あの真っ黒に塗り潰された絵日記のよう、全てに絶望しながら生きていくことになってしまうだろう。
「っ!!」
しかし他でもない、自分自身がその闇を乗り越えてきたからか。ここからどうすればいいか、鈴芽は自然と答えを導き出していた。
「……ねぇ、すずめ、ほら!」
「え……? すずめの椅子だ……え? あれ?」
涙を拭った鈴芽は、未だ泣きじゃくるすずめに先ほど拾った椅子を見せてあげる。
すずめは自分専用の椅子をどうしてこの人が持っているんだろうと、不思議そうに首を傾げた。
「なんて言えばいいのかな……あのね、すずめ……今はどんなに悲しくてもね、すずめはこの先、ちゃんと大きくなるの」
鈴芽は慎重に言葉を選びながら、幼い自分自身にエールを送っていく。
「だから心配しないで、未来なんて怖くない!! あなたはこれからも誰かを大好きになるし、大好きになってくれる誰かとも、たくさん出会う。今は真っ暗闇に思えるかもしれないけど、いつか必ず朝が来る。あなたは光の中で大人になっていくの!!」
それはもう決まっていること。他でもない、鈴芽自身が保証する。
「おねえちゃん、だれ?」
泣き止んだすずめは、目の前の女性がいったい何者なのかを訊ねていた。
「私はね……」
その問いに少し迷いながらも、鈴芽はすずめに椅子を差し出しながら答えていた。
「すずめの、明日っ!!」
「…………」
四歳のすずめは受け取った自分専用の子供椅子を大切に抱えながら、現世に繋がっている扉を開いていく。その扉を潜って帰ろうとしたが、一度だけすずめは後ろを振り返る。
小高い丘の上から自分を見つめていたのは、白衣を纏った女性と、彼女より少し背の高い男性だった。
常世という幻想的な場所で、二人が並んでいるその光景は絵画のように美しく、すずめという幼い少女の記憶の奥底に刻まれていく。
いつか、どこかで二人と出逢うことになるかもしれないと。
そんな予感を抱いたまま、すずめは扉を潜り——明日へと向かって歩き出していく。
「私、忘れてた……大事なものはもう全部、ずっと前にもらってたんだって……」
幼い自分自身を見送る、ちょっぴり大人な鈴芽。
あの子はもう大丈夫だ。あの子にもこの先、いろんな試練が待ち構えているだろうが、きっと乗り越えられるだろうと。
実際にそれらを乗り越え、この場所まで辿り着いた鈴芽だからこそ、胸を張ってそう言えるのだ。
「帰ろう、草太さん……私たちも……」
「ああ、帰ろう……」
これで、この常世で自分たちに出来ることは全てやり終えた。
自分たちも在るべき場所へ帰ろうと、鈴芽は自分の後ろ戸から、草太と共に現世への帰還を果たしていく。
「おーい、環さん!!」
「鈴芽!?」
現世に戻った頃には、もう日が昇り朝を迎えていた。
何もない原っぱでずっと待っていてくれた環に向かい、鈴芽は清々しくも大きな声で手を振る。
「よお、草太」
「芹澤?」
環だけではなく、そこには芹澤の姿もあった。
鈴芽たちをこの地まで送り届けてくれたのが彼とは知らなかった草太は、ちょっぴり驚いたような顔で友人である彼と向かい合う。
「あれ……? 鬼太郎くんは……猫娘さんとかは?」
ふと、待っていてくれた人の中にゲゲゲの鬼太郎や猫娘の姿がなく、鈴芽は少しだけ困惑するように訊ねる。
「それが……いつの間にかおらんようになってしまって……」
環によれば、暫くの間はここにいたらしいが、いつの間にかどこかに消えてしまったとのことだ。
「そっか……ちゃんとお礼、言っておきたかったんだけどな……」
鈴芽はちょっぴり残念に思いながらも、その口元に笑みを浮かべる。
彼らともいつかどこかで会えるかもしれない。そのときになって、改めて礼を言えばいいのだ。
鈴芽はその日がいつか来るのを楽しみに、今日という日を一生懸命に生きていこうと前を向いていくのであった。
「無事に戻ってきたようじゃな……これで、鈴芽ちゃんたちの方は問題なかろう……」
「そうですね、父さん……」
鈴芽が愛しい人々と和気藹々とする光景を、高台から目玉おやじや鬼太郎が見つめていた。
彼らはこれ以上、自分たちが彼女らに関わる必要はあるまいと、静かにその場を立ち去る。
挨拶くらいすべきだったのかもしれないが——そうも言っていられない事情が鬼太郎たちにもあった。
「それにしても……ぬらりひょんめ!! いったいどういうつもりで、あんなことを……」
「…………」
目玉おやじと鬼太郎は、ぬらりひょんと直接対峙した際に、彼が口にしていたことについて、思案を巡らせていく。
『——焦っている……この私が? 何を根拠にそのような……』
鬼太郎の指摘に、ぬらりひょんは一瞬その口元から笑みを消した。
だがすぐに笑みを浮かべ直し、鬼太郎の言葉が誤りであることを不敵に否定しようとする。
『ああ、今回の件……お前にしては、明らかに精細さを欠いている』
『…………』
だが、鬼太郎のさらなる指摘にその虚勢も崩れていく。
それは、幾度となくぬらりひょんの策略に苦しめられてきた鬼太郎だからこそ言えることだった。
ぬらりひょんという妖怪のやり口を、嫌というほど痛感しているからこそ、鬼太郎は今回の彼の策略を『らしくない』と感じていた。
『いつものお前なら、東京の後ろ戸を閉じられた時点で……今回の件から大人しく手を引いていた筈だ……』
今回の企みの肝——それは『ミミズによる大震災を起こし、その混乱に乗じて妖怪たちによる日本政府へのクーデターを起こす』というものであった。
しかしこの企ても、東京という大都市で起こしてこそ、最大限の効力を発揮する。
その一番重要な部分を鈴芽によって阻止された時点で、この計画に見切りを付け『次の策略』に注力してもおかしくない流れであった。
それなのに、ぬらりひょんはミミズで地震を起こすことにこだわり、戦力を割いてまで鈴芽や要石たちを追いかけ回した。
『もう、あとがないんじゃないか? 流石のお前でも、これ以上は……」
それこそ、ぬらりひょんの焦りの表れだと。鬼太郎は彼の『手詰まり感』を指摘していく。
ぬらりひょんはこれまでも、『大逆の四将の脱獄』『妖怪大同盟の結成』『妖対法設立による人間と妖怪の対立』などといった企てを実行に移してきた。
きっと鬼太郎たちが把握しきれていないだけで、他にも大小様々な陰謀を張り巡らせてきたのであろう。
しかしそれら全ての策略が悉く、鬼太郎や彼の仲間たちの手によって阻止されたのだ。
いかにぬらりひょんといえども、手数が無限にあるわけではない。
切れる手札に限界が来たのではと。
鬼太郎はぬらりひょんの策略が、とっくに『種切れ』なのではと指摘していく。
『…………成程、そのとおりかもしれませんね……確かに私は焦っています』
『ぬ、ぬらりひょん様!?』
僅かな間の後、ぬらりひょんはあっさりと鬼太郎の言い分を認める。これにぬらりひょんに全幅の信頼を置く朱の盆ですらも驚いていた。
『ですがそれは、貴方にしてやられたことに対する焦りではありませんよ、鬼太郎くん』
『——!?』
だがその焦りも、鬼太郎が要因ではないと——深い笑みを浮かべながら、ぬらりひょんは語る。
『大陸から……この日本を侵略しようと、奴がやってくる……」
『大陸? バックベアードならもう……』
ぬらりひょんの危惧していること。『大陸からの侵略』という言葉に目玉おやじは西洋妖怪を束ねていたバックベアードのことを思い浮かべる。
しかし、バックベアードであれば先の大戦で完全に肉体が消滅し、いまやその魂も地獄の閻魔の元に送られたと聞く。
『あのような単純な輩ではありません。もっと厄介な奴がこの国に目を付けているのですよ」
実際、ぬらりひょんが警戒しているのはバックベアードなどではない。
ぬらりひょんからすれば、バックベアードなど強大な妖気を誇るだけの輩で、口八丁手八丁でどうにでも出来る相手だった。
だが、そんなバックベアードとは異なる脅威。ぬらりひょんですら警戒するほどの相手が——この日本に狙いを定めているというのだ。
『奴に対抗するためにも、この国の主導権は我々妖怪が手にすべきだったんですがね……』
その相手に対抗するためにもと、ぬらりひょんはこの国の主導権を握ろうとしていた。
しかしその計略も失敗し、同志——手駒の妖怪たちを無為に消費する結果となってしまったのだ。
『鬼太郎くん。貴方が奴相手にどうやってこの国を護るのか……お手並み拝見とさせていただきましょう』
ぬらりひょんは、自身の計画を邪魔した責任を取れと言わんばかりに、鬼太郎に『奴』の相手を任せることにした。
当然、協力などするつもりはない。あくまで高みの見物といった傲慢な態度を崩すことなく——ぬらりくらりと、その姿を眩ましていく。
「大陸からの侵略……新たな敵、か……」
ぬらりひょんの言葉を全て鵜呑みにするわけではないが、彼があそこまで言うのであれば油断ならない相手なのだろうと。
まだ見ぬ『大陸からの脅威』に備えるべく、鬼太郎も急ぎゲゲゲの森へと戻っていくのであった。
人物紹介
岡部稔
鈴芽の地元の漁業協同組合で働いている、髭面の男性。
素朴な雰囲気、裏表のない清々しい性格とのこと。
長年、環に好意を抱いているが、気づかれておらずひたすら空回ってるとのこと。
果たして彼の恋の行方は!? 公式でも特に続きは書かれていない……。
サダイジン
東京でミミズの頭を抑えていた、もう一つの要石。
ダイジンと対をなすような名と、黒猫姿。
ダイジンより先輩なのか、力関係では上をいっているような感じ。
一応、公式設定だとサダイジンをミミズに突き刺したのは羊朗らしい。
わいら
ゲゲゲの鬼太郎、6期アニメでも登場した妖怪。
日本復興編ラストということもあり、中ボスラッシュがしたくて出演してもらった。
一応、猫娘との激闘の末に撤退。
10年後、大人になったまなちゃんを襲い……それを鬼太郎が助けたことで記憶を取り戻すきっかけになる、といった流れが原作通りです。
朧車
中ボスラッシュ、二番手。
結構メジャーな妖怪だけど、鬼太郎のアニメだと意外と主役回少なめ。
4期『古都の妖怪・おぼろ車』が有名らしいけど……残念ながら、作者は見る手段がない。
難儀鳥
中ボスラッシュ、三番手。かなりマイナーな妖怪。
震災関連で何かいないかと探したところ……初めてその存在を知りました。
かなり特徴的な見た目、映像化すればインパクトあるだろうな……。
次回予告
「父さん! 日本各地で次々と妖怪たちが行方不明に……!!
ぬらりひょんの言っていた、大陸からの侵略者がついに動き出したということでしょうか?
次回——ゲゲゲの鬼太郎 『妖怪反物・中国妖怪チー襲来!』見えない世界の扉が開く」
次回から始まる中国妖怪編ですが……予告にあるとおり初っ端からチーが出てきます!!
ただ、クロス先に関しては久しぶりに秘密形式にしておきます。
一応ヒントとしましては——『日本国民なら聞いたことがある』『中国的な要素が結構ある』ような作品とだけ明言しておきます。
ちなみに、次回のお話や中国妖怪編全体の流れなどを考える時間が必要なため……次の更新は結構間を置きたいと思っています。
一応、今年中には更新します。少しお待たせしてしまうことになると思いますが……どうかよろしくお願いいたします。