「架空の財閥を歴史に落とし込んでみる」外伝:大東京鉄道   作:あさかぜ

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1話 戦前の大東京鉄道

 大東京鉄道は、鶴見から荻窪、練馬、川口を経由して金町に至る約59㎞の鉄道である。山手線の更に外側を通る路線であり、東京外環状線の役割を担っている。規格は直流1500V、1067㎜、全線複線となっている。

 環状線の為、多くの路線と交差している。以下が大東京鉄道の駅である。前についている「◎」が乗り換え路線がある駅、「・」が大東京鉄道単独の駅となる。

 尚、一部の駅では乗り入れている路線が史実とは異なっている。

 

◎鶴見:JR(京浜東北線、鶴見線)、京急(本線、やや離れた京急鶴見)

・下末吉

・上末吉

・川崎小倉

・南加瀬

・矢上

◎元住吉:東急(東横線、目黒線)

・木月大町

◎武蔵中原:JR(南武線)

・宮内

◎等々力:東急(大井町線)

・深沢

◎桜新町:東急(田園都市線)

・弦巻

◎経堂:小田急(小田原線)

・日本大学前

◎桜上水:京王(京王線)

◎西永福:京王(井の頭線)

◎東田:京王(京王新線)

・南荻窪

◎荻窪:JR(中央線快速、中央・総武緩行線)、京王(荻窪線)

・天沼

◎鷺ノ宮:西武(新宿線)

・中村

◎練馬:西武(池袋線、豊島線、西武有楽町線)、東京メトロ(白金線)

◎平和台:東京メトロ(有楽町線、副都心線)

◎練馬徳丸(史実の東武練馬):東武(東上本線)

・志村西台町

◎蓮根:都営地下鉄(三田線)

◎浮間舟渡:JR(埼京線)

・川口原町

◎川口:JR(京浜東北線)

◎川口元郷:東武(赤羽線)

・弥平町

・入谷

・舎人

・伊興

◎竹ノ塚:東武(伊勢崎線)

◎保木間:京成(筑波線)

・六町

◎北綾瀬:東京メトロ(千代田線支線)

・東淵江

・中川

◎金町:JR(常磐緩行線、城東線)、京成(金町線)

 

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 史実では、鶴見~荻窪~金町と荻窪~大宮の免許を「金町電気鉄道」が申請して1928年に認可されたものの、1935年に全ての免許を失効している。時期的に鉄道大臣が小川平吉の頃であり、この時期は鉄道行政が最も混乱していた。この時期に認可された路線は軒並み利権目的で内容も現実離れしたものが多く、真面目に建設する気があったのかは疑問である。何せ、免許を出せばほぼ通った時代だった為である。

 尚、大東京鉄道は金町電気鉄道だけでなく、日暮里~越谷~野田町(現・野田市)の「北武電気鉄道」と巣鴨~大宮の「東京大宮電気鉄道」の免許をそれぞれ保有していた。だが、どの路線も開業する事は無く1935年中に軒並み失効したが、何故か日暮里~越谷だけは1967年まで存在し続けた。

 

 この世界では、環状線の部分を建設するのに十分な資金が集まった事で1936年に開業した。規格は直流1500V、1067㎜、全線複線とかなり高規格であった。

 だが、集まった資金が投機目的が多かった為、開業までは混乱が多かった。資金が不安定で工事が度々中止になったり、東北や満州の開発の影響で各種資材が高騰したりなどして、開業に時間が掛かった。また、資金不足から一部の規格を下げて建設され、レールや橋梁などは各社の中古品や廃線からの転用が使用された。

 開業後も、沿線にある森永製菓関係の貨物輸送以外の収入が少なく、沿線人口の少なさ(沿線の宅地化が本格的に進むのは戦後)や建設費の償還で赤字が続き、元々投機目的だった事から赤字を理由に保有株式を沿線の私鉄に放出した。

 その為、株式を京浜(京急)、東横、目蒲(以上、東急)、小田急、京王、帝都(以上、京王)、西武、武蔵野(以上、西武)、東武、筑波、京成(以上、京成)の11社に過半数を握られる事態となった。鉄道会社だけでなく、鶴見の後背地の開発を目的に浅野財閥、沿線に影響力があった大室財閥や日鉄財閥などの財閥にも株が渡り、最終的に8割近くが鉄道会社と財閥に握られる事となった。

 一方で、財閥に株を握られたのは悪い事では無かった。浅野財閥が大東京鉄道の株を引き受けた代わりとして、鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)の未成線である鶴見~矢向の一部流用を認め、鶴見~下末吉の土地の買収を容易にしてくれた。大室と日鉄も、筑波高速度電気鉄道(現・京成筑波線、京成宇都宮線)と武州鉄道(現・東武赤羽線)の交差部の工事を一部請け負ってくれた。

 

 私鉄各社に株を握られている事から、各社が傘下に収めようとした。その為、社内では私鉄からの出向者や内通者による内紛が相次ぎ、健全な運営が出来ていなかった。大きな事故こそ起きなかったものの定時性は低く、沿線の開発も進んでいなかった事もあり、利用者は常に低かった。

 この動きが変化するのは1938年の事である。この前年、盧溝橋事件を発端に日中の武力衝突が本格化し、北京と中国沿岸の主要都市を占領した。これに伴い、国内では準戦時体制に移ろうとしており、軍需関係の伸びが大きくなった。

 その様な状況で、沿線の農村地帯に多くの軍需工場が設立され、それに釣られる様に宅地も増加した。これにより大量の乗客が発生したが、前述の通り内紛状態であり運営状況は悪かった。また、資金不足から車輛の増備もままならなかった。その様な状態では、工員や貨物の輸送に悪影響が出て、生産体制に大きな影響を及ぼすと見られた為、国(政府と軍部の双方からの為、文字通り「国」)から「内情を安定させろ」という至上命令が出された。

 これにより、警察と鉄道省の介入、上層部が全員逮捕されるという非常事態になったが(横領や贈収賄が理由)、漸く内紛が収まった。また、新しい上層部は鉄道省OBと警察OBが1人ずつ入り、東横、武蔵野、東武、京成、浅野、大室、日鉄から優秀な人材が送り込まれた事で経営の健全化が進められる事となった(社長は浅野出身者が、副社長は大室出身者がそれぞれ就任)。

 

 上層部の刷新が終わった後に行われた事は、車輛の増備と定時性の確保だった。兎に角、運行頻度を増やさなければ工場の稼働率は安定しない為、車輛の増備が急務だった。また、ダイヤを安定させなければ車輛の増備も効果が薄れる為、両方を同時に行う必要があった。

 後者は各社から輸送部門が派遣された事で改称したが、前者が大変だった。当時は準戦時体制という事で物資の不足が目立ってきており、車輛の増備も簡単には出来なかった。

 それでも、鉄道省OBや大手私鉄の出身者がいる事で便宜が図れ、国鉄の中古客車や各私鉄の中古電車が多数譲渡され、新造車輛も10両程認可された。これにより輸送力不足は解消されたが、雑多な車輛が集まった為、今度は性能の不一致や輸送量のバラつきなどの問題が生じた。だが、この問題は輸送量の確保の方が優先された為、後回しとなった。

 兎に角、1940年には輸送量の拡大を行えた事で、国が心配する事は無くなった。その後、沿線には多くの重工や電機メーカーの工場が誘致され、合わせて住宅地も整備される事となった。


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