「架空の財閥を歴史に落とし込んでみる」外伝:大東京鉄道   作:あさかぜ

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12話 21世紀の大東京鉄道①

 21世紀に入っても、大東京鉄道は再建途上だった。2003年度時点でまだ約8000億円の負債が残っていた。これでも再建当初の半分以下に減ったのだが、それでも会社を吹き飛ばすには充分過ぎる額である。

 残った負債を処理する為、2006年に負債の株式化を負債と同額分を一気に行った。これにより、2007年に更生手続きが完了した。

 

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 再建中、行われたのは大規模リストラ以外には大きく2つだった。1つは「本業回帰」、もう1つは「新たな事業の核への経営資源の集中」である。

 バブル中、不動産への投資に熱中だった一方で、本業である鉄道への投資は抑えられていた。車輛の新造は行われておらず、小規模な体質改善工事に留まっていた。設備投資も最小限で、安全対策こそ重視していたものの、駅構内の省力化は進んでおらず、陳腐化も目立っていた。

 その為、2002年に車輛と設備の更新に合わせて、駅舎の改築に伴うバリアフリー設備の導入やトイレの改良などサービス面の向上も図られた。また、今まで分かりにくかった表示を分かり易いものへ変更したり、駅構内やホームに監視カメラを設置するなどの改良も加えられた。

 これにより、設計の古さや場当たり的な改良工事によって段差が目立っていた駅構内がスッキリとした空間になり、無駄が多かった柱や動線も改良された。何処か薄暗い印象が強かった駅構内が明るくなった事も合わさり、明るく開放的になった。

 

 合わせてダイヤ改正も行われ、優等列車の見直しが行われた。大東京鉄道の優等列車の歴史は、工員の素早い輸送を目的に1942年に急行列車を設定したのが始まりである。

 しかし、急行列車は工員輸送が目的の為、終戦直後には運転を終了し、以降20年近く各駅停車のみの運行となった。だが、貨物列車の運行が小規模ながら続いていた事、将来的な優等列車の復活を鑑み、下末吉や武蔵中原、荻窪、練馬、川口の退避設備は残しており、新たに川崎小倉や舎人、北綾瀬に退避設備が追加された。

 復活したのは1980年だった。この前年、千代田線の綾瀬車両基地への引き込み線が旅客化し、北綾瀬駅が設置されて乗換駅となった。また、沿線の開発の進行や他社路線との接続駅の拡大による利用者の増加によって遅れが慢性的になってきた事もあり、優等列車を設定して利用者の分散を図った。これにより、「急行」の名称が復活した。

 停車駅は、元住吉、武蔵中原、等々力、桜新町、経堂、桜上水、西永福、東田、荻窪、鷺ノ宮、練馬、平和台、練馬徳丸、蓮根、川口、川口元郷、竹ノ塚、保木間、北綾瀬であり、全て乗換駅である。後に、1985年の埼京線開業、1994年の東埼モノレール開業によって、浮間舟渡と舎人がそれぞれ追加された。

 急行の運行によって速達性の向上と、乗換駅における遅れの短縮に繋がった。その一方、各駅停車の本数を減らしての優等列車の設定の為、急行が停車しない駅では利便性が低下した。その為、何度かのダイヤ改正で各駅停車を増便したが、今度は退避設備の許容以上に本数を増やした事で平均速度が低下し、速達性が低下した。また、ダイヤのパターン化がされなかった事で、急行の運行間隔がバラバラだった事も問題視された。

 

 その為、2003年のダイヤ改正でパターンダイヤ化と優等列車の再編が行われた。変更点は以下の通りとなった。

 

・1時間当たりの運行本数は、通常時は16本(4分に1本)、ラッシュ時は24本(2.5分に1本)に固定する。

・優等列車の本数は、通常時は2本に1本、ラッシュ時は3本に1本に変更する。

・ラッシュ時の急行は廃止して、新たに「通勤急行」を設定する。

・通勤急行の停車駅は、急行の停車駅に加え、下末吉、木月大町、日本大学前、六町を追加したものとする。

 

 この改正によって、運行本数こそ変わらないものの、以前よりも分かり易いダイヤになった。また、ラッシュ時の各駅停車と急行の混雑の格差の是正、それに伴う停車駅での乗車時間の短縮と遅れの減少、速達性の改善などが見られた。駅構内の開発と合わせて、大東京鉄道が目に見えて変わった事を意識させるには充分だった。

 

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 また、もう一つの再建計画の柱である「新たな事業の核」とした近距離高速バス路線とビジネスホテルへの投資が強化された。再建計画初期から行われているがこれが好調で、その2つは順調に収益を上げている。

 

 前者は、不採算路線が多かった長距離路線を減らす一方、利益が出ていた近距離路線に投入した。

 今までは、男鹿高原や越後湯沢、菅平高原などのリゾート地、仙台や神戸、福井などの地方都市が多かったが、前者は季節毎の利用者の格差が大きい事、後者は新幹線や航空機との競争激化による利用者の低下が著しかった。その為、リゾート地への路線は夏季と冬季で運行本数を変えたり、遠距離の地方都市路線では内装を豪華にして差別化するなどの路線を取っていたが、それでも利用率は向上しなかった。

 それ処か、夏季と冬季で稼働車輛数が異なる事によって運行しない車輛が出たり、リゾート路線と都市間路線で車輛が異なって互換性が無くなるなどの不便の方が目立った。

 その為、再建直前の高速バス部門の赤字は酷く、一時は全面撤退すら検討された程だった。

 

 しかし、各路線の状況を洗い出してみると、赤字はリゾート路線や長距離路線が主であり、短距離路線は比較的利益を出しているのが判明した。特に、富士登山の玄関口となる富士吉田、同じく御殿場、成田空港など通年で集客性が高い場所への路線が好調だった。その為、赤字路線は廃止か他社に譲渡する一方、これらの路線に対して重点的に投資する方針となった。

 それが功を奏し、収益性を改善する事に成功した。それだけでなく、長距離路線が減った事で保有車輛数が減少した一方、運行距離が短くなった事で運行本数は増えており、維持費の減少と増便による増収もあった。

 

 後者は、バブル終息後の個人旅行の増加と旅行単価の下落、海外旅行者の増加が上手く合わさった事で利用者が増加した。また、駅前再開発に合わせての新規出店や地方都市の中心部にあるホテルを買収して地方進出するなど積極的な拡大を見せていた。

 これにより、2004年に首都圏・中京圏・京阪神圏に属する都府県に出店し、高い収益性を上げている。低価格でありながらサービスの質は高く、リピーターも多数付いた事が大きな要因だった。その為、10年以内に全都道府県に出店という計画が立てられたが、これについては「再建してから3年後に行う」という事で落ち着いた。

 

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 冒頭で述べたが、2007年に更生手続きが完了した事で再建した。それでも、事業の核は完全に育った訳では無く、本業への投資も続けている。今後は、事業の核である鉄道・高速バス・ビジネスホテルを中心に投資を行い、稼げる体制を築いていく事が求められる。


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