「架空の財閥を歴史に落とし込んでみる」外伝:大東京鉄道   作:あさかぜ

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13話 21世紀の大東京鉄道②

 再建終了後、今まで滞っていた高架化や地下化などの連続立体交差事業が進められた。

 大東京鉄道の建設前の計画では、全線を高架や掘割で建設し、全ての鉄道と道路と立体交差する予定だった。計画当時、沿線の開発は進んでいなかった為、この様な大規模計画を立てる事が出来た。

 しかし、国鉄線との接続駅周辺の開発が予想以上に進んだ事、昭和恐慌による資金不足から、当初の予定の建設は不可能となった。建設費の圧縮と沿線の開発が進んでいなかった事から、多くの区間が地上線に変更された。高架化した区間は鶴見駅や他社線と交差する区間程度となった。

 

 開業当初は沿線の開発が進んでいなかった事からそれで良かったが、戦後は問題になった。沿線の発展とモータリゼーションの進行で自動車の数が急増し、主要道路との踏切の多くが開かずの踏切となった。ラッシュ時にもなれば1時間中45分は閉じている事は日常茶飯事であり、混雑による小規模な遅延も日常茶飯事であり、1時間ずっと閉じっぱなしという事態になった事も一度や二度では無かった。

 開かずの踏切解消の為、1970年代には全線の立体化計画が立てられていた。しかし、資材費・地代の高騰、沿線住民による反対運動、多角化による本業軽視から、一部の土地を買収しただけとなった。その土地は一時的な駐車場や駐輪場として利用されたが、その状態が20年以上続いた。

 再建中も、計画そのものは存続しており、土地も手放さなかった。「駐車場からの収入がある」というのが理由だったが、手放すと高架化を進める際に再度買収する必要があるから、その面倒を避ける為にそのままにされた。

 

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 再建が完了した翌年の2008年、長年塩漬けされていた全線の立体交差化計画が立ち上がった。計画そのものは既に出来上がっていた為(基本的に高架、他社線との交差は地下の予定)、土地の収容が完了し建設工事が認可され次第取り掛かる予定となっていた。

 しかし、沿線の殆どが住宅地と商店街の為、土地の収容には時間と費用が掛かった。工事への反対意見も強く、当初予定していた2013年の全区間での工事開始は不可能だった。最終的に、反対が強かった場所の土地の収容が完了したのは2012年だった。

 

 工事そのものは2010年から始まり、最初は鶴見~武蔵中原と金町~竹ノ塚となった。この区間は多くが地上で沿線の宅地化も進んでおり踏切が多く、それでいて細い道路が多い為(多くが2車線、場所によっては1車線)、多くの踏切で渋滞が頻発していた。これによりこの区間の道路状況は悪く、遮断桿の破損や電車との接触事故などの発生件数も他の場所と比較すると多かった。

 その為、この区間の立体化は急務であり、2008年から1年で工事に必要な場所の土地の収容を完了させた。沿線も道路状況の悪さから工事には理解を示しており、収容は比較的スムーズに進んだ。

 工事は2010年から始まり、2020年を目処に完了する予定となっているが、工事区間が長い事、2011年の東日本大震災を始めとする大規模災害の復興と重なり、建設業での労働力不足や資材費の高騰もあり、当初予定より最長3年は延びると見込まれている。

 

 鶴見側の計画では、鶴見~下末吉が現在の高架から地下になり、鶴見駅がJRと京急の中間に移転する。その後、下末吉を出て元住吉の手前まで高架、元住吉手前で地下に入り、武蔵中原を出た所まで地下化する予定となっている。

 鶴見駅の地下化と移転は、JR・京急・大東京の3社の鶴見駅の一体化を目的としたものであり、JRの鶴見駅と京急鶴見を繋ぐ様に大東京の鶴見駅が設置される。森永の鶴見工場への貨物輸送も1970年代に終了した為、機関区の再開発も兼ねて行われる。

 元住吉~武蔵中原の地下化は、高架だと東急とJR南武線を超える為にかなり高く建設する必要があり、景観の問題がある為、地下化が選択された。小川が通っている地域の為、地盤の緩さが問題視されたが、東急グループが工事に全面的に協力してくれる事を約束してくれた。

 金町側の計画は、金町~中川が高架で、中川を出たら現路線の地下を通る事になっている。この区間は地盤が緩い事から高架も検討されたが、北綾瀬周辺が地下化されている事から(※)、それを活用する為に地下化となった。六町~保木間で地上に出て現在線に繋がり、保木間~竹ノ塚も全線高架となる。

 

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 立体化工事は進められ、2015年に金町~中川が最初に切り替わった。金町と中川を渡る区間については1980年代に高架化した為、工事区間と期間が短かった。

 続いて、2017年に鶴見~川崎小倉と中川~六町が切り替わった。鶴見側はロータリー部分に駅が移転する為、その場所の建設工事に多少時間を要したが、横浜市の協力もあった為、比較的早く完成した。金町側も、住宅地での工事に時間が掛かり、当初予定より1年遅れることとなった。

 残る川崎小倉~武蔵中原と六町~竹ノ塚の工事も行われているが、地盤の緩さから来る難工事や復興への注力、2020年の東京オリンピックなどで人手や資材が不足気味となり、当初の計画より1~2年の遅れが見込まれている。

 

 立体交差化の完了によって、既存区間は廃止となった。廃止区間の活用方法については既に決められており、鶴見駅周辺は駅前再開発によって駅ビルに、下末吉跡地には商業施設とビジネスホテルが建設される予定であり、鶴見~下末吉の跡地は公園に、下末吉~川崎小倉の高架下には倉庫や駐車場、学生用の賃貸住宅が建設される事になっている。中川跡地には保育施設の誘致が、東淵江と六町の跡地は公園と商業施設が建設される。

 また、これらの整備に合わせて、駅周辺の道路の整備も進められることになる。道路の拡張やロータリーの設置、特に踏切の廃止によって渋滞が大きく緩和された。




※:営団地下鉄の綾瀬車両基地を建設の際、大東京鉄道を移転させるか立体化させる必要があった。移転は出来なかった為、立体化となった。高架は部品が落ちる可能性がある為、地下化となった。大東京鉄道が車両基地の地下を通る為、営団の北綾瀬駅も車両基地に隣接する形で設置された(史実では車両基地の手前に設置)。

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