「架空の財閥を歴史に落とし込んでみる」外伝:大東京鉄道   作:あさかぜ

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8話 ここまでの大東京鉄道②

 内情が安定した大東京鉄道だが、私鉄各社の操り人形であるのは変わらなかった。そこに国も入ってきた為、自由な経営など行える筈が無かった。

 尤も、時は戦争へ一直線であり、国による統制が強くなっていた。鉄道も軍事輸送や工員輸送が優先となった為、自由な経営を行える状況では無かった。

 兎に角、大東京鉄道は終戦直後までは私鉄と国、正確には国主導の経営が行われる事となるが、国営になった訳では無く、民間色が強い半官半民企業という特殊な状況になった。

 

 戦後、日本はGHQによる一時的な統治な統治が行われた。詳しい内容は本編の『番外編:太平洋戦争の総決算と戦後の東アジアの混乱』に譲るが、戦後の改革の中で大東京鉄道の株主に大きな変化を齎した。

 陸上交通事業調整法(※1)によって、戦時中の大株主は大東急となり、1944年時点では3分の1以上の37%を保有していた。その後、大東急保有の株式の内の12%を政府に譲渡したが、それでも4分の1の25%を保有しており依然として筆頭株主だった。それ以外だと、西武が5%、京成が4%を保有した。

 それが、政治・経済の民主化とそれに伴う財閥解体、軍備の大幅縮小によって変わった。これにより、財閥は解体され、保有していた株式は市場に放出された。財閥解体とは関係無かったが、大東急も内部対立や復興費用の観点から解体される事となり、保有株式は各社に分配された。政府が保有していた株式も、全て市場に放出された。

 これにより、元大東急の内、東急に10%、小田急に8%、京王が3%、京急が1%と分配され、残り3%は市場に放出された。東武も5%を手放したが、東急と共に筆頭株主となっている。

 一方で、59%が市場に放出された為、グリーンメーラー(※2)によって大量に買い占められた。経営の乗っ取りすら考えられた為、株を持っていた他社がグリーンメーラーから株を買い戻して乗っ取りを防いだ。一部は自身で買い戻したが、その為に銀行や保険会社から借りる羽目となり、再び金融会社の影響力が強まった。

 この一件で、大東京鉄道の株式は東急・東武・西武がそれぞれ12.5%、小田急が10%、金融会社が計25%が保有する事となった。

 

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 朝鮮戦争後、輸送力の拡大や戦時中から放置されていた設備の抜本的修繕に追われたが、それを行うには経営規模が小さかった。資本金は戦前と同じく4000万円だが、これは1948年に独立した京王帝都電鉄の5000万円より小さかった(因みに、小田急は1億円、相鉄は1951年で6000万円)。これでは修繕と拡張は難しかった事、1949年から稼働したバス部門の拡充や新事業への進出から、1952年に2000万円の増資が計画された。

 しかし、この前年に修繕を目的に4行(※3)から大量に借り入れており、増資分の引き受け先は全て借り入れした銀行となった。この増資により、筆頭株主は東急・東武・西武であるのは変わりないが、新たに4行が主要株主に名を連ねる事となり既存株主の影響力が低下した。

 その後、復興と軍備再編、輸出振興によって日本経済は順調に回復した。それに伴い、沿線では宅地開発や工場の移転が相次ぎ、輸送量は年々増加した。その為、これ以降は輸送力増強やそれに合わせた施設強化を繰り返す事となった。

 また、1954年にタクシー事業に進出したが、現状の資本金では事業拡張が難しくなった。グループ企業の敵対的買収を防ぐ意味から、1956年に再度増資を行う事となったが、今回は4000万円の増資を予定した。今回は株主割り当てとした為、各社の影響力はそのままとなった。

 この増資によって、1958年に不動産事業、1960年に小売業へ進出した事が出来、その後も事業拡張の度に増資を行う事となる。

 

 流石に、増資や借入金を行っても、新線建設は不可能だった。1960年代には保有していた田端~越谷の建設再開を目論んだが、東武の反対や交通政策との調整もあったが、何より沿線の開発がある程度進んでいた事やそれに伴う地価の高騰、インフレによる資材費の高騰から建設費が跳ね上がった。

 その為、自力で建設する事は不可能となった。当時はまだ国や自治体からの助成金制度も確立していなかった為(※4)、建設は自力で行うしか無かったのだが、その為には多額の資金が必要となり、どうしても自力では限界があった。




※1:1938年に施行された法律。過当競争の防止や利便性の向上を目的に、交通事業者の統合を勧めた。対象地域は東京市とその周辺部、大阪市とその周辺部、富山県、香川県、福岡県の5つだった。この法律によって、大東急(東急・京急・小田急・京王)や大近鉄(近鉄・南海)、京阪神急行(阪急・京阪)、富山地鉄、琴電、西鉄が誕生した。この世界では、追加で大京成(京成・筑波)、讃岐急行(琴参・琴急)も誕生した。尚、この法律は現在でも有効である。
※2:株を大量に買い占め、経営陣に高値で引き取りを要求する投資家。合法性で言えばグレーゾーンだが、この時代はそういう人物が多く、陽和不動産(三菱本社の保有不動産の受け皿会社。1953年に三菱地所に合併)や白木屋(呉服屋が起源の百貨店。1958年に東急百貨店と合併するが、法人格は白木屋が存続した)など多くの企業がターゲットにされた。
※3:長期信用銀行の日本動産銀行と日本長期信用銀行、信託銀行の昭和信託銀行と日本信託銀行。
※4:日本鉄道建設公団(現・鉄道施設・運輸施設整備支援機構)による大都市圏(東京都、大阪市、名古屋市とその周辺部)の私鉄線建設という方法もあるが、この方法が行えるのは1972年以降。

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