「架空の財閥を歴史に落とし込んでみる」外伝:大東京鉄道   作:あさかぜ

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9話 戦後の大東京鉄道④

 オイルショックによって、高度経済成長は終わりを迎えた。これ以降、日本は安定成長期を迎える事となる。

 安定成長に入った事で、鉄道政策にも変化が起きた。これまでの鉄道政策では、大都市圏の人口は増え続けるという前提に立っていた。その為に郊外にニュータウンを建設し、都心部への通勤客の輸送の為に鉄道を計画していた。

 しかし、オイルショックによる物価の高騰、全国総合開発計画(※1)による地価の高騰、大都市圏の人口増加の鈍化から、今までの様な計画の実現は難しくなった。また、経済成長が進んだ事で人の嗜好が変化し、今までの様な居住一辺倒では入居が進まなくなり、団地から一戸建て、居住スペースから田園都市や文教都市へ転換される事となった。

 

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 大東京鉄道もオイルショックによって輸送力の伸びが鈍化したが、沿線は既に開発が進んでおり、伸びは鈍化したとしても依然として混雑率は高かった。その為、引き続き輸送力強化は続けられる事となった。

 幸いだったのは、オイルショック前に駅や車庫の拡張工事、車輛増備が完了した事である。その為、土地の収容費や建設費など様々なコストを抑える事が出来た。

 しかし、オイルショックの影響によって数年間は大きく動く事は無かった。車輛増備の計画は先送りとなり、バス路線の新設計画や大東ストアの新規出店計画も数年間凍結されるか規模を縮小せざるを得なくなった。

 

 1978年、予定されていた8両化計画がスタートした。この数年前から6両編成では輸送力が限界に来ていたが、オイルショックによる物価の高騰と沿線人口の増加が鈍化した事による混雑の一時的緩和によって、輸送力増強は凍結していた。しかし、数年も経つと再び増加が見られる様になり、特に川口~金町での工場跡地の再開発が進み、多くのマンションが建設された。その為、輸送力強化が急務となり、以前から計画されていた増備計画がスタートした。

 今回の車輛増備では、単純に輸送力強化が目的の為、増備する車輛は電動車と付随車を同数であり、編成内に組み込む予定である。6両導入時の編成は3M3T(※2)であり、今回の増備によって4M4Tとなる。現在走行している形式は4つだが、増備車は製造コストを抑える為に1形式とする。製造元や側面の造りは異なるが、基本性能やドアと窓の配置は同じの為、大きな影響は無いと判断された。

 翌年には、現編成の製造元である日本車輛、東急車輛製造、西武建設、日本鉄道興業に発注を行い、年内には6編成分が納入された。翌年以降は年12編成を予定していたものの、1980年勃発のイラン・イラク戦争の影響で第二次オイルショックが発生した事(※3)で6編成しか納入されなかったが、翌年以降は当初の計画通りに製造・納入された。これにより、1986年までに当初予定数である168両の納入が完了し、翌年の4月までに全編成の8両化が完了した。

 

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 鉄道だけでなく、副業でも積極的な投資を行った。稼げる事業が多くなかった為、この頃に多くの事業に投資している。特に小売業、不動産、バス事業への投資に注力した。

 

 小売業では、大東デパートと大東ストアが沿線外に進出した。

 大東デパートは、1977年までに沿線の主要駅に進出しており、他の大手百貨店の存在もあり、これ以上の沿線への出店は望めなかった。その為、沿線から離れた地域に出店する計画が立てられた。

 1980年の大船店出店を皮切りに、淵野辺、熊谷、取手、佐倉、君津に出店した。これらは沿線の外側の地域であり、駅前開発に合わせて出店したのが多い。

 大東ストアも、既に沿線の駅付近に粗方出店した。他のスーパーとの競合もあり、拡大路線を取る事となった。その際、既存の小規模スーパーを買収するなどして出店コストを抑えたが、大東デパートの穴を埋める為に新規出店した例も多い。

 その後も、鉄道以外での収益力確保の為に積極的な店舗展開が進められ、その動きはバブル景気終焉後の1990年代中頃まで行われる事となった。

 

 不動産では、リゾート開発とホテル事業への進出が行われた。沿線には観光地が特に無い為、地方の観光地の開発が殆どだった。

 スキーブームやゴルフブーム、1987年に制定された総合保養地域整備法(通称・リゾート法)によって、関東・甲信越、静岡、東北、東北に進出した。その中で最大の目玉が、栃木県日光市の会津寄りに整備された「男鹿高原リゾートコンプレックス」、北海道の羽幌炭鉱跡地に建設された「羽幌スキー&リゾート」、同じく北海道の雄別炭鉱跡地に建設された「釧路雄別スキー&リゾート」である。羽幌と雄別の様に、元鉱山町に進出した事例が多い。これらの施設は1980年代後半から1990年代前半にかけて整備・開業した。

 ホテル事業は、リゾート開発の一環で設立されたが、リゾートホテル部門とビジネスホテル部門の2つ存在する。前者はリゾート施設に併設して整備されたが、後者は沿線とその近辺に整備された。現在のビジネスホテルが整備されてきたのが1980年代後半から1990年代の為、他の業者よりやや早い展開となった。当初はバブル景気の真っ只中という事、個人旅行が少ない事もあり利用者は少なかったが、出張や都心部での宿泊が出来なかった客が宿泊するなどして一定数のリピーターを獲得した。

 

 バス事業では、高速バスへの進出が行われた。これはリゾート開発の一環でもあり、多くが沿線及び都心部と大東京鉄道系のリゾート施設を結ぶ路線である。一部は名古屋や大阪発着だったり、沿線と地方都市を結ぶ路線も設定された。

 路線バスの方も拡充が行われ、主要路線の増便や共同運航路線の拡大、ニュータウンを結ぶ路線の新設などが進められた。




※1:その名の通り、日本全国の開発計画だが、主な目的は「大都市集中の緩和」と「それに伴う地方の工業化の促進」だった。その為、計画内容は産業、住宅、道路など多岐に亘る。1962年に最初に策定され、1998年の第5次まで策定された(オイルショック時は第2次計画)。現在は国土形成計画に移行し、目的も「開発」から「地域の自立」や「安全」、「環境保全」などに変更している。
※2:Mは「モーター」で電動車を、Tは「トレーラー」で付随車を意味する。制御車(運転台が付いている車輛)の場合、電動車ならMc、付随車ならTcと表記する(cは「コントローラー」の意味)。
※3:この世界のイランでは1979年のイラン革命が発生していない。その為、親米のパフレヴィー朝が続いている。第二次オイルショックそのものは発生するが、原因がイラン・イラク戦争であり一年遅れで発生。

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