アリスがオネエじゃなくてお姉さんキャラだった話。

※性転換タグ付いていますが、心の性別は変わっていません。

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サブタイトルのセリフ、それ貴女のことなんだよなぁって話。
17巻でもアリスの出番がなかったので書きました。
性転換してますが、割と原作ままなような気がします。
一輝×ステラ絶対主義の方には向きません。
カットされている部分は原作を読み直しつつ、妄想で保管してください。
一話完結、コミック版ラストまでです。





いつか貴方にも気付けないような心の悲鳴を、貴方の代わりに聞いてくれる人に出会えるといいわね

 黒鉄一輝が『彼女』と初めて顔を合わせたのは、妹の珠雫と映画を見に行くと約束した日の朝だった。

 

「遅いわね。何やってるのかしら」

 

 ルームメイトのステラ・ヴァーミリオンと共に学校の正門で、一輝は本日一緒に出掛ける予定の妹とそのルームメイトを待っていた。

 待ち合わせの時間が過ぎても現れない二人に、ステラの声はやや苛立ち気味。皇女であるステラを待たせる者なんて、そうそういなかったのだろう。

 

「同じ寮なら一緒に出てこられたんだけどね」

 

 一輝とステラの寮は第一学生寮。それに対して、珠雫の部屋は本校舎を挟んで反対側の位置の第二学生寮。

 破軍学園は広大な敷地を持っているため、二つの寮の間に在る距離は結構なものだ。

 

「あっちから誘って来たくせに待たせるなんていい度胸じゃない」

「ステラは誘われてなかったけどね……。でも意外だったな、ステラがあんなに映画が好きだったなんて」

 

 本日の外出のきっかけは、昼休みの時間つぶしの雑談で、珠雫から映画を見に行こうと誘われたことにある。

 そのとき一緒にいたステラが『アタシも行く! 絶対行く!』と言い出し、『あなたに用はありません、離れ離れだった兄妹の時間を潰すような真似は控えてくださいませんか?』ととても嫌味な口調で『空気を読む』ことを要求。しかしそれにステラは『呼ばれなくても勝手について行くから! アタシがたまたま映画を見に行きたくなって、それがたまたま一輝と同じだけなら問題ないでしょ?』などと返してひと騒動。

 なんやかんやで結局、一輝とステラと珠雫、それから珠雫のルームメイトである有栖院凪の四人で出かけることになったのだ。

 

 ステラから『シスコン』だの『妹に見蕩れる変態』などと罵倒されながら待つことしばし、ようやく待ち人の一人がやってきた。

 

「お待たせしました。お兄様」

 

 ぺこりと頭を下げて待たせたことを詫びる珠雫。休日のお出かけということでゴシックロリータな装いの妹は、とても上手な化粧を施されていて、一輝はさきほどステラから罵倒された内容を忘れて実の妹に見蕩れそうになってしまう。

 そのことに気付いたステラが珠雫に喰ってかかり、最近恒例となりつつある炎と冷気の渦巻く女性二人の言葉と魔力のドッジボール大会が開催。

 一輝はそれを苦笑いで見守る。仲裁しようと間に入ると余計に拗れるなんて、学びたくも学ぶつもりもなかった知識だ。

 そうして、ステラと珠雫の話題がメイクについての話になり、珠雫に化粧をしたのが彼女のルームメイトの『お姉さんみたいな人』だと分かったところで、もう一人の待ち人がやって来た。

 

「んもー、急ぎ過ぎよ珠雫。そんなに走って転んだりしたら折角のメイクが台無しでしょ?」

 

『彼女』を見た途端、一輝とステラは石のように固まった。

 なぜなら──彼女が()()()()()()()()()()()()()()

 

「うふふ。初めまして。今日は誘ってくれてありがとう。あたしが珠雫のルームメイトの有栖院凪よ。親しみを込めてアリスって呼んでくれると嬉しいわ♪」

 

 背の高さは一輝と同じくらいか、女性としては長身の彼女は、細身の身体をヴィジュアル系の男物の装いで包んでいて、それがとてもよく似合っていた。

 詩人でもない一輝の語彙力では、絶世の美女としか表現できそうにない彼女は、かぶっていたボーラーハットを脱いで恭しく一礼。それから人好きのする爽やかな笑顔を浮かべながら、一輝とステラに握手を求めてきた。

 

「えっと、うん、よろしく」

 

 若干頬を紅く染めながら、まずはステラがそれに応じた。次いで一輝。

 

「あっ……、その」

 

 バクバクする心臓を必死に抑え込み、一輝は動揺を隠そうとしながらなんとか握手に応じる。

 白い手袋に包まれたピアニストのような長く細い指の感触にどうにもドギマギしてしまう。

 

「やっぱりびっくりしましたか?」

 

 問いかける珠雫に一輝はコクコクと頷いた。『顔だけで生きていけそう』なんて表現を思いついてしまったが、失礼なので口にはしない。

 動揺していることを妹に見透かされたようでなんだか情けない気持ちになるけれど、女性のステラでさえ戸惑っているのだ、男の一輝がこうなってしまうのは仕方がないことだろう。

 

(ちょっとアンタ、なんて(ひと)をつれてくんのよ?)

(なんて……と言いますと?)

(なんなのよ、あの美人。見なさいよ一輝のあの顔!)

(ステラさんのような蛮族相手にデレデレされるよりずっとマシです。アリスは貴女とは違いますからね)

(なんですってー!)

 

 ステラと珠雫の小声のやり取りが耳に入らないくらい、一輝はアリスに見蕩れていた。

 握手を交わした手から熱が発してして、それが身体中を駆け巡っているみたいだ。

 

 

 ◆

 

 

 その後、珠雫が一輝の隣に並んで手を繋いできて、それに反応したステラが騒ぎ出し、やいのやいのと騒ぎながら目的地へと向かう。

 道中、一輝は終始上の空で、アリスはそんな三人の騒ぎを一歩離れて微笑ましそうに見つめていた。

 

「ここのフードコートのクレープはクリームが濃厚なのよ♪ でも、アイス系はイマイチなのよね。そっちを攻めるなら三階にあるサーティンアイスクリームの方がいいわ」

 

 映画の上映までの待ち時間、アリスのお勧めで購入したクレープは絶品だった。

 ステラも珠雫も「ん~~このクレープ美味(おい)しい~っ」「コレはいけますね」と絶賛。

 

「アンタっていろいろと詳しいのね」

「食べ歩いて調べたのよ。お菓子は女子の生き甲斐ですもの♪」

 

 美味しいお菓子とファッションについてなら、アリスに聞けば間違いない。そう言ってルームメイトのことで胸を張る珠雫。

 そんな珠雫の姿を見た一輝は、人嫌いを公言している妹が入学からの短い期間でこんなに懐くなんて、アリスはすごいなと感心しきりだった。

 女性三人の会話の内容にはとんと疎くて入っていけないけれど、眺めているだけだけれど。苦手なのだ、こういった女子特有のテンションは。

 そうやってボーっとしながら食べていたのがいけなかったのだろう。

 

「ねぇ、一輝」

「えっ? なにアリス」

 

 気付いたら頬にアリスの手にしたハンカチが触れていた。ハンカチは一輝の頬、唇のすぐ横をぬぐっていき。

 

「クリームがついてたわよ? それじゃ折角の二枚目が台無しじゃない」

「っっ~~~~~!」

 

 顔から火を噴きそうだ。一輝の顔面が《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)》。

 恥ずかし過ぎる失態に、一輝は片手で顔を覆う。

 

「ご、ごめん……ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

 

 顔を覆っていた一輝は、珠雫がアリスからそのハンカチを無言で奪い取るシーンを目にしてしまうことは無かった。

 

「そういえばイッキ、今日はどんな映画を見るの?」

「それは僕もまだ知らないんだよね」

 

 四年ぶりに会った可愛い妹からの映画のお誘いに、一輝は何も聞かずに即座にオーケー。ホイホイついて来てしまったので内容は何も知らないのだ。

 

「何しに来たのよ、アンタ」

「映画好きなステラは聞いてないの?」

「ア、アタシは見張りに来ただけだからいいの!」

 

 ステラと一輝のやり取りにアリスは口もとをゆるめ、珠雫にたずねる。

 

「あらあら……。ねぇ、珠雫。そういえばあたしも聞いてなかったのだけれど、どんな映画を見るの?」

「ごく普通のラブストーリーですよ」

 

 続けて珠雫の出した映画のタイトルは『私は妹に恋をした。※Rー15』。

 その答えにアリスは「仕方ない子ね」と苦笑い。ステラは大声で吠え猛り、一輝は困ったように頭をかく。

 そうしてまたもや始まる珠雫とステラの喧々諤々丁々発止の罵り合い。

 集まる周囲の人々の視線に、ヒートアップしていない一輝とアリスは困り顔。

 

「二人ともワガママねぇ。それなら……一輝はどの映画を見たいの?」

「え……ここで僕に振るの!?」

 

 珠雫とステラがもめているのは一輝を取り合ってのこと、ならばその原因に聞けばいい。

 そう判断したらしいアリスの問いかけを聞き、口喧嘩をピタリとやめて一輝の答えを待つ珠雫とステラ。

 

「『砂漠の王女カルナ』がいいわよね、イッキ」

「お兄様は『私は妹に恋をした』を選びますよね?」

 

 ステラ一押しの映画『砂漠の王女カルナ』は、盗賊団に攫われたカルナ姫と若き盗賊のリーダーのロマンスを描いたアニメ映画だ。高貴な姫と、庶民どころか底辺の犯罪者の恋愛に皇女さまは興味津々らしい。

 珠雫の方はタイトルから察するに、確実にそういう内容なのだろう。

 

(なにこのプレッシャー……。一体、僕にどうしろと)

 

「ちなみに、あたしはこのアクション映画をオススメするわ。上映作品が少ないから二人の選んだ物を除くとこれしかないから消去法だけれど」

 

 ここに来てさらなる選択肢の追加。だが、ここまで一輝のアリスに対する印象はかなり良い。

 きっと助けになってくれるはず。アリスSOS。縋りつくような思いで一輝は、アリスにたずねた。

 

「アリス……その映画のタイトルは?」

「『ガンジー 怒りの解脱』 キャッチコピーは、『許すことは強さの証と言ったな。あれは嘘だ』ですって」

「「「なにそれすごい気になる」」」

 

 アリス以外の全員の興味を引いたその映画の推薦。さらに追撃するアリス。

 

「他には『男たちの失楽園。※Rー15』って手もあるけれど……一輝はこれが見たいかしら?」

 

 もちろん一輝は無難に『ガンジー』を選んだ。他に選択肢がなかったとも言えるし、単純に興味も沸いていたからだ。

 決してステラと珠雫の口論にうんざりしかけていたからではない……はずだ。

 話が纏まったところで、四人は一階のフードコートから四階のシネマランドへと移動した。

 そこで一輝はふと、長丁場の前にトイレを済ませておこうと思い立った。

 

「あら、それならあたしもそうしておこうかしら。珠雫、お願いしてもいい?」

 

 珠雫に映画のチケット代を渡すアリスを見て、一輝も珠雫に頼んでおく。

 

「では、買って待っていますが、上映までの時間はあまりありませんからね」

「うん。なるべく急いで戻るよ」

「一輝、トイレは三階みたいよ」

 

 ここで階下に逆戻りとなり、一輝はアリスに続いてエスカレーターに乗った。

 

「あっちみたいね」

 

 三階に降りアリスが指さした先には、男と女のトイレのマーク。

 ちょっと急いで二人はトイレに向かう。

 その途中で、一輝は不意に手を掴まれた。手を引かれ、トイレまでの道のりの途中の脇道に連れ込まれる。

 

「ど、どうしたのアリス?」

 

 心臓がバクバクしていた。アリスのような美女からこんな不意打ちを受けたのだ、若い一輝がドキドキしてしまうのも無理のないところ。 

 

「うふふ♪ やっと二人きりになれたわね」

「それはど、どういう……」

「ふふ。そんなに緊張しないで」

「ご、ごめん。アリスみたいな美人とこんな風に話すのは初めてだから、緊張しちゃって」

「あら、ステラちゃんに聞かれたら怒られちゃいそうなセリフね」

「あ、いや、それは……」

 

 同室のステラももちろん美少女だが、アリスはなんだか雰囲気が大人っぽい。

 本当に珠雫と同い年の年下なのだろうかなんて、ちょっと失礼な考えが浮かんでしまう。

 

「でも安心して。あたしのはステラちゃんや珠雫みたいな色っぽい話じゃないから」

「あ、うん……」

 

 会ったばかりの相手にそう言われて、残念だと思ってしまう自分に一輝は少し自己嫌悪。

 珠雫から分かりやすい好意を受け、自惚れでなければステラからも嫌われてはいない。

 

(それでちょっと自意識過剰になってたのかな。恥ずかしい) 

 

 羞恥に染まる一輝の手を放すと、アリスは通路の照明の関係で()()()()()()()()()()に背を預けた。仕草で一輝にもそうするように促してくる。

 

「貴方と一度二人で話をしてみたかったのよ。珠雫から色々話を聞いて、どんな人なのか気になっていたから」

「それは……僕もかな」

「あら? あたしに惚れるとちょっとの火傷じゃすまないわよ?」

「ち、違うから。もうからかわないで欲しいな」

「うふふ、ごめんなさい。反応がいちいちカワイイからって悪ノリが過ぎたわね」

 

 蠱惑的な唇に指をあてて、微笑みながら謝るアリス。

 

(そういうところなんだよなぁ)

 

 そんな彼女と並んで壁に背を預けている一輝は、自分を保つのに苦労した。

 

「気になってたのは……珠雫の態度かな。珠雫は人見知りがかなり激しくて他人にそうそう懐くような子じゃないんだよ。だから、そんな妹があんなに頼りにしてる人はどんな人なんだろうって」

「そうねぇ、どんな人って言われても自分のことを『私はこういう人間です』ってなかなか答え辛いわねよね。付き合っていく中でお互いに分かることはあるでしょうけど」

 

 それもそうだと思った一輝は、話しを先に進めることにした。上映時間は今も迫ってきているのだ。

 

「それより、僕のことを珠雫から色々聞いたってことだけど……」

「あの子が教えてくれた黒鉄一輝という人はとても強くて素敵な男性だったわ。その人と今日会ってこうして話してみて、たしかにその話通りの人だと感じたわ」

「珠雫の言うことは話半分で聞いて欲しいな」

 

 再会してからの妹の態度から考えると、凄まじい美化が入っていそうな予感がする。300%くらい。

 

「でもね、だからこそ気になってしまうことがあるのだけど、聞いていいかしら?」

「なにかな?」

「貴方って、小さな頃から家で迫害されていて、その家からの妨害で去年は一戦もできずに落第させられたのよね?」

「う、うん。そうだけど……」

 

 黒鉄家と一輝の間にある軋轢は、家の恥だ。珠雫も黒鉄家の人間である以上、それはとてもデリケートな話題で──。

 出会って間もないはずのアリスに妹がそんなことまで話しているという事実に、一輝は驚愕した。

 珠雫がそんなことまで話しているとなると、アリスに向けられる信頼と信用は相当なものだ。

 

「ねぇ、一輝。貴方は七星剣武祭で優勝しないと卒業できない。ずっと目指してきた魔導騎士にもなれない。それは本当のことなの?」

 

 それはあまりにも厳しい条件。普通の学生騎士ならばカリキュラムをこなすだけで良いというのに、黒鉄一輝は日本一強い学生騎士にならなければ卒業すら許されない。

 現理事長・新宮寺黒乃が一輝に()()()()()()そのチャンスを、アリスの声音は批判しているように聞こえた。

 

「そうだよ。でも、去年まではそのチャンスすらなかった。新しい理事長が方針を変えてくれたから、魔導騎士になる道が拓けたんだ」

 

 黒乃は一輝にとって恩人だ。機会すら奪われていた自分を評価し、細くとも道を示してくれた人物だ。

 だから、その黒乃を批判するようなアリスの質問に対する一輝の答えは少し機嫌の悪いものになってしまった。

 アリスは一輝のことを案じて言ってくれたと思われるのに。

 

「ごめんなさい。理事長を批判したかったわけじゃないの」

「僕の方こそ、ごめん」

「……でも、今年理事長が変わって、学校の方針に変更があったのは運が良かっただけでしょう? もしも去年までと同じだったら、貴方はどうするつもりだったの?」

 

 そう聞かれた一輝の答えは、『何年かかってでも強くなって、学校側に《七星剣王》に成れるだけの器だと認めさせ、自分を欲しいと思わせるだけ』というものだった。

 どれだけ疎まれようと、不当に機会を奪われ続けようとも。

 

「よく分かったわ……。やっぱり、貴方はあたしが危惧した通りの人だった」

「アリス……?」

 

 アリスの瞳には一輝に対する憐憫が宿っていた。それを見て取って、どうしてそんな目で見られるのだろうかと一輝は悩む。

 

「一輝……貴方は、傷つけられることに慣れすぎている。だから、痛みを痛みとして認識できないし、自分が苦しんでいることにも気付けない」

「何を言って……」

「これはあたしの()()()()話すことだから、貴方もそうとは限らないけれど──」

 

 そう前置きして、アリスは一輝に『強さ』と『我慢』についての自論を語った。

 それは、痛いのなら痛いと言わなければいけない。苦しい時には苦しいとわめくべきだ。

 心は悲鳴をあげているのだから。

 その心の悲鳴を無視して、いつまでも溜め込み過ぎていると負荷に耐えきれなくなって、ふとした瞬間に爆ぜてしまう。

 それなのに、黒鉄一輝という人間は、痛みや苦しみを許容しすぎてしまっている。

 このままではそう遠くない日に、一輝の心は壊れてしまうだろう。

 

「あたしはね、それが心配なのよ」

「…………そんなこと、ないと、思うけど」

 

 首を振り視線から逃れようとする一輝の顔を掴み、じっと心の中を探るようにアリスが見つめてくる。

 

「いいえ。貴方は自分の心の悲鳴が聞こえていない。もしも聞こえているのなら、そんなに穏やかでいられるはずがない。優しい笑顔なんて浮かべられるはずもない」

「そんなの、アリスの考えすぎだよ! 会ったばかりの君に、僕のことが分かるはずないだろ!」

 

 真剣に語り掛けてくるアリスの手を、一輝は振り払った。自分でも驚くほど乱暴に。

 アリス自身がさっき口にしたことだ、『相手がどんな人かだなんてすぐに分かるはずがない。付き合っていく中で分かることはあるだろうけれど』と。

 

「そうね……今日会ったばかりの他人の言葉なんて信じられないわよね。急におかしなことを言って悪かったわ」 

 

 首に下げたシルバーのロザリオをいじる彼女の姿を見ていると、罪悪感が湧き上がってくる。

 謝るべきだろうか。一輝がそう悩んでいる間に、彼女はロザリオに口づけて、

 

「貴方には聞こえない心の悲鳴。それを貴方の代わりに聞いてくれる人と出会えるといいわね。早くその日が来ることを祈っておいたわ」

 

 そのアリスの言葉は、一輝の心の中に何故か強く響いた。不思議な、でも確かな言葉にし難い啓示のイメージのように。

 

「えっと……ありがとう?」

 

 だからか、謝罪は感謝の言葉に変わった。

 ワケが分からないけれど、でもアリスが一輝を心配してくれたことだけは間違いないのだから。これでいいのだろうと。

 

「行こうか。きっと二人が『遅い!』って怒ってるよ」

 

 そう切り出して当初の予定──トイレだ──を済まそうと一輝は壁から背を離そうとした。

 しかし、それは叶わなかった。一輝が動く寸前にアリスの表情が険しくなり、次の瞬間、一輝の背中が壁に呑み込まれたからだ。

 

「一輝。あたしに任せて」

 

 アリスの手が壁の中から一輝の背を掴んで引いていた。その力に身を任せた一輝が()()()()倒れ込んでいく途中、トイレの方から銃声が聞こえてきた。

 遠くからの、多数の人々の悲鳴と一緒に。

 

 

 ◆

 

 

 状況が急変。楽しい休日の映画鑑賞は、突然のテロリスト集団の襲撃でぶち壊された。

 武装した集団が通り過ぎた後、ついさっきまで一輝とアリスが並んで立っていた場所には誰の姿もない。

 

「ふぅ。どうやら行ったようね」

 

 声と共に、壁に出来た『影』の中からアリスと一輝が現れた。

 

「『影』を操る能力だったんだね」

「便利だけれど、照明が多くて、障害物もない試合会場だとあまり役に立たないのが難点なのよね」

 

 それは確かに、と一輝も思った。

 日の光の下で戦うには向かないかもしれない。

()()()なら向いているかな──などという感想が頭に浮かんで来たけれど、一輝はそれを口にはしなかった。

 なんとなく、アリスの動きがそんな感想を一輝に抱かせたのだ。

 

「とりあえず、理事長に連絡して状況を伝えるね」

 

 アリスの()()により、襲撃してきたテロリスト集団が《解放軍》であることが分かった。彼女が()()()()()()()()では、よく見かけた連中らしい。

 そいつからが襲って来て、人質を取っていることを理事長に伝え、一輝は校外での霊装と能力の使用許可を得た。

 

「それじゃあ行きましょうか」

「ああ、行こう」

 

 解放軍は五十名ほどの人質をフードコートに集め、身代金を要求している模様。

 理事長から指示を受けた二人は、これを解決するためにアリスの能力で『影の道』を通って現場に向かった。

 

 

 ◆

 

 

 人質にされた客たちが集められているフードコート。

 隠れて状況を見守り機会をうかがうアリスと一輝。その二人の視線の先で、ステラがストリップショーをさせられていた。

 人質を殺すと脅し、女性の尊厳を踏みにじろうとする解放軍の伐刀者ビショウの卑怯で下劣な要求によるものだ。

 

「ヒャッハーたまんねぇなオイ!」

「さっすがビショウさん、最初はオレでいいっすかぁ?」

 

 聞くに堪えない下卑た連中の目と声。

 ルームメイトがそれに晒されている。そのことにはらわたが煮えくり返っているのだろう。

 状況を理解しているはずの一輝の理性は暴発寸前の様子。

 分かりやすいその表情を確認し、アリスは霊装を握る手を確かめる。

 ステラが悔しさから流した涙の粒。それに一輝が反応し飛び出そうとして──。

 

「落ち着きなさい」

 

 アリスは伐刀絶技《影縫い(シャドウバインド)》で、一輝の影を突き刺す。

 相手の影を縫い留めることで、影の主の動きまでも止める。一撃で状況変えられる強力な伐刀絶技。本当は()()()()()あまり使うべきではない技だ。

 その後、アリスが珠雫が人質を守るための準備をしていることを教え、一輝はそれではやる気持ちを抑え込めたようで機を窺い続ける。

 

(珠雫からのメールがもう少し早ければ、手札を晒さずに済んだのにね)

 

 人質たちを覆い包む珠雫の伐刀絶技が発動すると、状況は一気動き出す。

 飛び出す一輝。

 武装手段を斬り捨て、リーダー格の伐刀者ビショウの腕を斬り落とす。

 降伏を迫る一輝たち。

 そこで人質に紛れていたテロリストが現れて、一転窮地に──。

 

「人の痛みには敏感なのね……貴方は」

 

 その混迷の中、アリスはほどほどに活躍し、ほどほどに手を抜いて立ち回っていた。

 怪しまれず、それでいて《解放軍》相手にやり過ぎないように。人質を抑えている連中とは別にいたモール内の金品を回収していた連中、フードコートの騒ぎを聞きつけ集まって来たそいつらを片付けて行く。 

 

「あっちも終わったみたいね」

 

 肌も露な格好ながら、自分の羞恥よりもまずは敵をぶちのめすことを優先した皇女。そんな彼女にフードコートの残りは任せてきたのだ。

 そうして他の連中を拘束してからフードコートにアリスが戻ると、一輝、珠雫、ステラと破軍学園二年生《狩人》桐原静矢が相対していた。

 会話を聞く限りでは、どうやら桐原の助成によって一輝たちは窮地を切り抜けたらしいが……。

 

「今日は本当に助かったよ。桐原君。ありがとう」

「お礼なんていらないよ。()()を助けるのは強者の義務だからね」

 

 どうやら一輝と桐原の仲はとても良好とは言い難いらしい。

 嫌味な言葉を繰り返し一輝へとぶつける桐原に、ステラがブチ切れた。

 そうして売り言葉に買い言葉で、

 

「ヴァーミリオン君。ボクが黒鉄に勝ったら……ボクのガールフレンドの一人になってよ」

「いいわ。その賭け、受けてあげる」

 

《七星剣武祭》への切符をかけた校内選抜戦、その第一試合に一輝は自身の夢だけでなくルームメイトの操まで背負うことになったのだった。

 

「難儀な人ね……」

 

 本人が既に大量に背負い込んでいるのに、さらに周りからも重りが増えていく。

 黒鉄一輝のその運命に、アリスはため息を抑えられなかった。

 その後、ことの顛末を調書にしたためたいとの警察の事情聴取に応じるながら、アリスは自分が見ていないところでの一輝の行動を知った。

 

(彼は間違いなく今年の破軍のキープレイヤーになるわね)

 

 ビショウは決して弱い伐刀者ではなかった。初見殺しではあるが、あの《紅蓮の皇女》を打ち倒すだけのものを持っていたのだから間違いない。

 そのビショウの腕を瞬時に落として制圧。一刀修羅という扱いの難しい伐刀絶技も、狭いリングで行われる試合形式の中でならかなりの札になる。

 一対一の決闘ならば、一撃一殺さえ出来れば事足りるのだから。

 

(そうなると黒鉄珠雫と兄妹というのは運が良かったわね)

 

 アリスは《解放軍》から自身へと与えられている任務の内容を考え、一輝とも距離を詰めておくことに決めた。

 人知れず、自分と他人を等しく嘲る冷たい笑みを浮かべながら。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 休み明けの月曜日に行われた選抜戦第一回戦。

 アリスはステラや珠雫と共に危なげなく勝利を飾った。

 

「やあ、アリス。おめでとう」

「あら、ありがとう」

 

 珠雫にくっついていれば、一輝とはよく遭遇する。

 黒鉄珠雫は兄が大好きで、何かと近くに行こうとするのだから当然だ。

 そして、珠雫はこれまた大概一輝の近くにいるステラと衝突し始める。

 

「これから、この騒ぎが日常になっていくのかしらね。恒例行事として」

「それは嫌すぎる」

「でも、時間の問題じゃない? ちょっと学校の噂を聞いて回ってけれど、みんなそう言っていたわよ」

「ああ……参ったなぁ」

 

 少し離れたところで相変わらずのやり取りを繰り返すステラと珠雫を眺めながら、アリスは一輝と話す。

 

「ところで一輝、少しいいかしら?」

「え? なに?」

 

 お互いを貶めることに夢中になっている仲の良い皇女と妹を残し、アリスと一輝は校内にある階段のように水の流れる場所へと向かった。

 

「聞いた話なのだけれど。一輝、貴方……去年桐原静矢との間で流血沙汰の騒ぎがあったって本当なの?」

「……本当だよ」

「大丈夫なの?」

「えっと……何が?」

「明日の貴方の対戦よ。その桐原静矢でしょう、相手は」

「問題ないさ。攻略法はもう見えているんだ。僕は、必ず勝つよ」

 

 自分自身に言い聞かせるような一輝の強い言葉。

 

(ああ、やっぱり大丈夫じゃないのね)

 

 その口調と表情を見て、アリスは彼の口がことこれに関してまったく信用ならないことを悟った。

 

「攻略法ねぇ。あたしには《狩人》の能力と貴方の戦い方、相性は最悪としか思えないのだけれど」

「そうだね。桐原君は僕にとっては天敵みたいな能力の持ち主だ」

「……それでも、()()()勝てると?」

「勝つしか、ないからね」

「そう、その攻略法って……開幕早々真っ直ぐに行って、一刀で斬り伏せる。とかかしら?」

「いや……そうだね」

 

 口ごもる一輝。そんな彼に、アリスは首から下げていた銀のロザリオを外して渡した。

 

「これ貸してあげるわ」

「え──」

「祈っておいたって言ったでしょう? 貴方が今抱えている緊張と恐怖、それを理解して支えてくれる人に会えますようにって」

 

 手の中に押し込まれたロザリオを見て、戸惑う一輝。

 

「それじゃあ、また明日。試合、応援しているわ」

 

 そんな彼に片手を挙げて別れを告げ、アリスは寮へと帰って行った。

 

 翌日行われた《狩人》vs《落第騎士》の選抜戦。

 結論から言うと、一輝はこれに勝利した。

 やはり緊張していたのだろう、有利にことを進められるはずの開始早々の機会を逃し、散々《狩人》に攻められ、透明の矢でハリネズミのようにされたが。

 血まみれで意識も朦朧とする中、一輝の心臓を狙って飛来した矢が()()に当たって威力を弱めた。

 それが何か気付いた一輝は、胸をかきむしるような仕草をしたかと思うと《一刀修羅》を使用、対戦相手のすべてを掌握する絶技《完全掌握》で桐原の行動を読み切って勝利を収めた。

 そして──

 

「ありがとう、アリス。それからごめん……これ……」

 

 カプセルでの治療を終え、医務室に横たわる一輝。そんな彼を見舞ったアリスに、一輝はボロボロになったロザリオを見せた。

 アリスが昔世話になっていた場所の影響もあって、持っていただけのただの銀のロザリオだ。

 伐刀者の放つ矢を受けてはひとたまりもない。それに、とても強く握りしめられでもしたのか、指が食い込んだ跡らしきものまで出来ていて、もはや元型を留めていない。

 

「別にいいわよ」

「あの、アリス……良かったら、これ、もらってもいいかな? 代わりは僕が買うから」

「それは別に構わないけれど……。別にいいのよ? そんなに高いものでもないから。それに、もうアクセサリーになりそうな見た目じゃないでしょ」

「いいんだ、これが……。アリスが祈ってくれたこと、僕はあの日から、その人に会っていたんだって分かったから。その証……みたいなものだから」

「そう? それじゃあ、期待しているわね。代わりのプレゼント♪」

「あ、ごめん。僕ってあんまりお金持っていないから、高い物は無理だけど……」

 

 気持ちで十分よとそれに返したアリスは、くるりと一輝に背を向け、病室のドアに手をかける。

 

「ああ、言い忘れてたわ。おめでとう、一輝。よく頑張ったわね」

 

 パタンと閉まったドアを一輝は長い事見つめていた。ボロボロになったロザリオを手にして。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 その後の選抜戦、アリスとステラは全戦全勝して《七星剣武祭》代表の一人となった。

 そして、それは黒鉄一輝も同じだった。ヴァーミリオン皇国の第二皇女とのスキャンダラスな報道もなく、彼はそのまま学園がランダムに定めた対戦相手と戦い続け全ての試合に危なげなく勝利を収めたのだ。

 あの日一緒に出かけた四人中でただ一人、珠雫だけが運悪く学園最強の生徒会長《雷切》東堂刀華とぶつかって負けてしまったけれど。

 

『ここに並ぶ五人に有栖院凪を加えた六名を、正式に我が破軍学園の七星剣武祭代表と認める!』

 

 体育館に集められた全校生徒の前で、一輝は代表の一人として拍手を受けていた。

 これでようやく《七星剣王》となるための舞台に足を乗せることを許されたのだ。その晴れがましい気持ちに僅かな影を落とすのは、アリスが所用の為に欠席していることか。

 

『団長は、三年Bランク。東堂刀華』

 

 

 ※※※

 

 

 破軍学園で任命式が行われている頃、アリスは人気のない高速道路の高架下にいた。

 アリスが上司から受けた任務は破軍学園に潜入し、自身が七星剣武祭代表となることとと、他の代表生徒との間に信頼関係を築いておくこと。

 そのどちらもある程度は達成できた。

 有力候補として近付いた黒鉄珠雫が消えてしまったことは意外だったが、想定を大きく外れるものではない。代わりにその兄の一輝とはかなり親しくなれたのだから、問題ないだろう。

 彼に近づくのは簡単だった。あくびが出るほどに。

 珠雫と一緒に行動していればまず出会える。そして女慣れしていない一輝は少し優しく接していただけで、簡単に心を許してきた。

 一旦心を許せば、あとはもう──。

 

「バカな男……」

 

 この任務では、他の六校にも潜入している面子がいる。

 その中の取りまとめ役である《道化師》との連絡を終えたアリスは、いつかのような冷たい表情を浮かべる。

 

「でもあたしは、もっとバカなのかもね……昔から」

 

 繊細なガラス細工の先端ような、危うい美しさ。

 そこに浮かんだ笑みは、やはりいつかのような自身を嘲るものだった。

 

 

 ※※※

 

 

 黒鉄一輝は嬉しかったのだ。

 あの時、《七星剣武祭》に向けて行われた合宿所からの帰り道。そのバスの中でアリスから受けた告白が。

 彼女が闇の世界の住人で、人殺しの《暗殺者》だったことはどうでもよかった。なんとなくではあるけれど、それは前からもしかしてと考えていたから。

 ただ、彼女がその組織を裏切って破軍学園についてくれると言った時のその理由──それがとても嬉しかったのだ。

 

 それがどうしてこうなったのか。

 

 アリスが破軍学園の代表生徒たちを奇襲すると信じて襲ってくる暁学園。それを逆にアリスの不意打ちで仕留めて一網打尽にする。

 一旦は上手く行ったと思われたそれは、敵の中に居た予言者と思われる少年・紫乃宮天音に見破られていて──。

 逆に天音の投擲剣を受けたアリスは昏倒。彼女は暁学園の一人《道化師》に攫われてしまった。

 

 どうする。この場にはまだ敵の戦力が大勢残っている。アリスの話していた以上に、彼らの放つプレッシャーは強い。

 

「お兄様、行ってください!!」

「珠雫……」

「大兄さまは私が止めます! だから、お願いします! アリスを助けて!!」

「でも……ここが……」

「怒りますよ!! いくらお兄様でも! いいからとっととアリスを抱えて帰って来て下さい!」

 

 王馬を睨みつけながら叫ぶ珠雫の声に背を押され、一輝は駆けだした。アリスを追いかけて。

 珠雫の目配りにうなずき返す、《雷切》、《紅蓮の皇女》、《紅の貴婦人》、その他生徒会役員。

 葉暮姉妹は既に逃がした、これからの戦いについてこれそうにないから。

 

 密かに建造されていた暁学園の校舎。

 人気のないその場所には、しかし千人の生徒よりも強大な、エーデルワイスという名の番人がいた。

 世界最強の剣士《比翼》のエーデルワイス。一晩の宿とご飯の義理があると、ハレンチな格好で一輝に襲い掛かって来たその《魔人》は、『貴方が助けようとしている彼女は、元々闇の世界の住人。命をかけてまで助ける価値などない』と言う。

 そんなもの、黒鉄一輝には関係ない。一輝には、まだ彼女に伝えていない言葉があった。

 それを伝えられずにこんなことで会えなくなるなんて、そんなことは認められない。

 たとえ《世界最悪の犯罪者》が立ちはだかったとしても。

 

「言葉だけでは、何も変えられません」

 

 エーデルワイスは強かった。

 一輝が磨いてきた剣技、絶やすことなく鍛え続けてきた肉体。

 それらのことごとくが通用しない。

 一日一回限りの切り札《一刀修羅》を使ってようやく、()()()()()()()()()()()()()()

 最強でいられる一分が過ぎ去れば、どうしようもない。それだけの差が一輝とエーデルワイスの間にはあった。

 そして、どうにもできないままに一分間は過ぎ去ってしまった。 

 

「終わりですね。もう抗う力もないはずです。悪いことは言いません、今すぐ帰りなさい。去る者を追いかけまではしませんから」

 

 見逃してくれるとエーデルワイスは言った。ここで逃げかえれば、死なずに済むと優しささえ見せて。

 

「それでも、僕は引けない」

「仕方ありませんね」

 

《魔人》の《引力》が一輝を襲う。それは生まれた時に世界から与えられた運命を踏み越えた者だけが持つ因果への干渉力。

 死ぬ。あと一歩でも《比翼》に向かって踏み込めば、絶対に死ぬ。

 それが一輝には分かった。分かってしまった。

 自分ではアリスを助けられない。どうしようもない。それが確定していることであると、思い知らされる。

 魂がへし折れた。ただのひと睨みで、一輝の心が屈服した。足が後ろに下がる。

 アリスなんて見捨てて、尻尾を巻いて逃げ帰ろ、自分の声が頭の中で何度も何度も繰り返す。

 

「それでも……」

 

 エーデルワイスはただ視線を向けてきているだけ。それなのに、下がった一歩を踏み出そうとした一輝の全身が斬り刻まれた。

 剣で斬られたわけではない。運命が、一輝ではどうしようもないからやめろと警告しているのだ。

 流れ出る血を踏み越えて、一刀修羅ですべての魔力と体力の大半を出し切った死に体を前へ──

 

「なん、だ……」

 

 鎖が一輝の動きを阻む。手に、足に、身体中に、どこからか伸びる鎖が絡みついて、一歩たりとも前に進むことを許してくれない。

 それは世界の護り。死に向かう一輝を守ろうと、世界が助けてくれているのだ。『行くな。行けば死ぬぞ』と。

 それでも、それでも伝えたい想いがある。

 だから──

 

「まさか……。どうやら、貴方は……」

 

 エーデルワイスのつぶやき、それは一輝の耳には届いていない。

 余計な感覚はいらない。世界に色彩は必要ない。《比翼》と、その向こうにいる彼女さえ見えていればいい。

 だから──

 

「貴女なんかに用はない。僕が行くのはその先だ!」

 

 鎖が千切れる音が、聴覚を切っている一輝に聞こえてきた。鼓膜ではなく魂に響くその音は、黒鉄一輝の魂が世界から見放された音。

 一輝はこの先の運命を自己の覚悟だけで生き抜かなければならない。それが決定した瞬間。

 

 迫って来るエーデルワイスの剣が何故か遅く見える。

 さっきまで、眼で追うことすら難しかったのに。

 何故か魔力がある。もう一度《一刀修羅》を発動できるだけの魔力が湧いてきている。魂の瓶の中に、力の水が満ちている。

 身体の動き、目の前の世界最強から盗んだ剣技。

 魔力の滾り、一分も必要ない。ただこの一振りに。

 最強の剣技と打ち合っては勝てない。ならば、先に斬り捨てるしかない。

 

模倣剣技(ブレイドスティール)》、《比翼の剣》。

《一刀修羅》を圧縮、《一刀羅刹》。

(アリス)》を追いかけるためのこの一振り、《追影》。 

 

 一刀。

 

 

 ◆

 

 

 一輝とエーデルワイスが交戦を開始したころ、天音の《幻想形態》から受けたダメージから目覚めたアリスは、自らを《解放軍》に導いた師・《隻腕の剣聖》ヴァレンシュタインから激しい暴行を受けていた。

 暁学園の地下に設けられた空間に、鈍い打撃音が幾度も響く。

 

「この屑がッ! 何故だ、何故! 何故、この私の期待を裏切ったッ!! 信じ続けていたというのに、このゴミがッ!!」

「がっ! ぐっ! ガハッ!!」

 

 言葉の一区切りごとに蹴りが叩き込まれる。腹に、足に、腕に、背に、顔に。

 何度も何度も執拗に、憤怒に顔を歪めたヴァレンシュタインは怒りにまかせて蹴り続ける。

 このまま殺してしまっても構わない。いや、嬲り殺しにするつもりの加虐だ。

 

「お前は知っていたはずだ! 理解していたはずだろう! この偽りだらけの世界で、何かを愛するなど虚しいだけだとッ! それが何故、こんなザマを晒している! 世界の真実、お前はそれに気付いていたはずだろうがッ!!」

 

 アリスは口から黒く染まった血を吐いた。内臓がイカレタのだろう。骨はもうどれだけ折れたのか分からない。

 でも、こんな状態でも、アリスは反抗しようという気になれなかった。

 拘束されているから? 

 抗っても勝てないから? 

 たしかにアリスに怒りをぶつけるこの男は、解放軍最高幹部《十二使徒》の一人。《摩擦》を操作する強大な伐刀者。

 

 だけど、そんなことは立ち向かわない理由にならない。

 

 ただ、アリスの心に戦う気概がないだけだ。

 もういいと思ってしまっている。これで、ここで、死んでいく。

 自分のような薄汚れたゴミは、こんなところで、こんな男に殺されていくのがお似合いだと。

 

「言えッ! 何故だッ!?」

 

 詰問はアリスの腕の骨が踏み潰される音と一緒にやって来た。

 ヴァレンシュタインは軍靴を捻じるようにしながら、荒い息と共に問いかける。

 

「結局──あたしは捨てられなかった。きっと、ただそれだけのことね」

 

 孤児だった頃、アリスには仲間がいた。守るべき年下の子供たちが居て、ひもじくても、それでもほんのちょっとの幸せを噛みしめて生きていられた。

 それがゴロツキどもに踏み潰されて、そのゴロツキ共もオリンピックのために町のゴミ掃除をしていた市長に踏み潰されて、その市長はヴァレンシュタインに踏み潰された。

 幸せとか、繋がりとか、愛情とか、そんなものは『力』の前には何にもならないと思い知らされて。

 アリスはやさぐれて、ひねくれて、他人を真っすぐに見られなくなった。自分自身を解放軍なんてものに売り払い、街の人々から嫌悪される浮浪児から、人殺しを仕事にする本当の屑になった。

 

「それでも、どれほど傷つけられても、それが重なり過ぎて、自分が痛いことすらわからなくなっているのに……それでも他人を信じられる人が……眩しく──ッ! が、ッ……!」

「よく分かった。つまり、ターゲットに情をうつしたわけか」

 

 だがな、とヴァレンシュタインは続けた。

 

「そいつは死ぬぞ。《道化師》からの伝言だ。男が一人、お前を追ってこちらに向かったとな。名は……黒鉄一輝だったか」

「一輝が……死ぬ?」

「今夜、ここにはエーデルワイスが来ている。世界最強の剣士がなッ!」

「なっ……、うあぁっ!!」

 

 その時、凄まじい剣気が襲って来て、ヴァレンシュタインから受けた痛みよりも強くアリスを震わせた。

 おそらくは地下の閉鎖空間だろうここまで届くその、途轍もない気迫。

 それはヴァレンシュタインの言葉が真実であると、アリスに確信を抱かせるに十分なもの。

 

「丁度始まったか……。すぐに終わるだろうがな」

 

 ヴァレンシュタインすらかすかに震えている。

 そんな剣気の中、アリスは拘束を外しよろめきながら立ち上がる。この程度の拘束、アリスならいつだって外せた。

 肩に霊装の大剣を担ぎ、その様子を眺めるヴァレンシュタイン。

 

「一輝が……なら……」

「どうした? 何故立ち上がる? 諦めて死のうとしていたのではないのか?」

 

 今までアリスがされるがままになっていたのは、諦めによるもの。自分自身の生というものへの、諦めだ。

 どうせ綺麗になんて生きられない。それでも憧れを捨てられない、どうしようもない自分への諦め。

 

「あたしは……構わないのよ。でも、彼は……ダメ、なのよ」

「それでどうする? 立ち上がって何をする? この私がそれを許すとでも思っているのか? 愚か者がッ!」

「許すとか、許さないとか……そうい「があっ!?」……そういうことじゃないのよ、ヴァレンシュタイン先生」

 

 言葉の途中に挟み込んだ伐刀絶技の発動。それがヴァレンシュタインの行動を縫い留めた。

 アリスは《暗殺者》だ、《剣聖》と正面から戦うなど選択肢にない。狙うは一瞬、一撃での決着。それ以外にない。

 

「伐刀者の戦いで重要なのは……能力の相性。いつもそう言っていた、わよね」

 

 むろん、ヴァレンシュタインとて裏の世界で生きてきた男。警戒は怠っていなかった。

 アリスが霊装のナイフをいくら振りかざそうと、《摩擦》を操るヴァレンシュタインには届かない。打撃も斬撃も刺突も、この世界のほとんどの作用には摩擦が関係している。それを操るヴァレンシュタインの能力は非常に強力だ。

 ヴァレンシュタインが知るアリスの能力で、注意すべきは《影縫い(シャドウバインド)》くらい。

 そして、仮にも《剣聖》と呼ばれるヴァレンシュタインであれば、その出がかりを潰すことなど容易いこと。

 それがどうして不意を突いたとは言えアリスの《影縫い》が通ったのか──。

 

「心に影のない人間なんて、いないのよ……。ヴァレンシュタイン先生」

 

 自分の影から標的の影へ、心を突き刺す影の刃を通す。

『思考』を縫い留められたヴァレンシュタインはもう何も考えられない。アリスが魔術を解除するまで、呆けたままだ。

 たとえバランスを崩して床に身体を打ち付けようと、その衝撃で手を離れた大剣が大きな音を立てようと、睡眠とは違うのだから起き上がることは無い。

 

 アリスは這うようにして、先ほどの剣気の方角を目指した。壁に、床に血の跡を残しながらよたよたと、しかし決して止まることなく。

 そうするうちに、《比翼》の剣気が消え去った。

 

(戦闘が、終わった……の? 一輝が……)

 

 死んだ。ヴァレンシュタインの言葉に偽りがなければ、一輝と対峙したのはエーデルワイス。

 ならばその決着の形はひとつしかない。

 

「あ……あぁぁぁぁぁ……」

 

 間に合わなかった。

 嘆きながらアリスは床に倒れ込んだ。

 

「ぐっ……」呻く。

 

 こんなことなら、そのまま《解放軍》の仕事を全うしていれば良かった。

 少なくとも依頼者には破軍学園の生徒の生命までも奪うつもりはなかったのだから。襲撃だって、《幻想形態》で行うよう指定されていた。

 ただ何も考えず、想わず任務を全うする。そうしていれば、一輝の魔導騎士になる夢は断たれたかもしれないけれど、命だけは助かったのに。

 自分が余計なことをしたばかりに……アリスの嘆きは、己の愚かさへのものだった。

 ヴァレンシュタインの言う通りだった。

 

 廊下に倒れ、静かにすすり泣くアリス。その耳に遠くから、何者かの足音が聞こえてきた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 エーデルワイスは、自身へと向かって来る強い魔力の持ち主のもとへと走っていた。

 駆ける《比翼》の左手には握られているのは剣ではなく、自身の右腕。

 斬り落とされたのだ、先ほど出会った若き剣士に。

 次に立ち会うことがあったとしたら、もうあの技はエーデルワイスには通用しない。

 しかし、実戦の多くはほぼ初見。

 

「慢心していたつもりはなかったのですが」

 

 倒れ伏した剣士に止めを刺すことは容易かった。でも見逃した。

 世界最強と呼ばれている自分に、これだけの手傷を負わせたのだ。殺してしまうのは、惜しい。

 好敵手に成り得る少年だ。

 敵として相対したのだ。手当までする義理はないが、でも少しくらいはいいだろう。

 そう思い、おそらく彼らの救援であろう人物のところへとエーデルワイスは向かっていた。

 

「エーデルワイスッ! やはりあの剣気はお前かッ!」

 

 新宮寺黒乃。暁学園が今回の襲撃の為に遠ざけておいた相手。彼女が間に合わなければ、彼は『その先』で死ぬことになるだろう。

 

「貴様……その腕は……!?」

「貴女の生徒にやられてしまいました。強かったですよ、彼は」

 

 過去形。それに反応して激高する黒乃。

 

「殺したのか!?」

「いえ、ですがそう長くはないでしょう。あそこにはまだ《隻腕の剣聖》がいますから」

「なっ! 《十二使徒(ナンバーズ)》がッ!?」

 

十二使徒(ナンバーズ)》。世界最大のテロリスト組織《解放軍》の最高幹部。

 その一人が来ている! 

 驚愕する黒乃に背を向け、エーデルワイスは音もなく跳躍。付近の建物の屋上へと飛び乗る。

 

「どこへ!?」

「一宿一飯の恩義と手を貸しましたが、貸した手を斬られてしまいました。義理は十分果たしたので帰らせてもらいますよ」

 

 深手を負った世界最悪の犯罪者。魔導騎士としては捕えたいところだが──。

 

「今の私は教師だ」

「急いだほうがいいですよ」

「言われなくとも」

 

 黒乃は跳び去るエーデルワイスに背を向け、能力を酷使して走る。

 

(くそっ! 間に合ってくれ!)

 

 

 ◆

 

 

 一輝は目を覚ました。

 いつの間に倒れていた? 

 今は何時だ? 

 エーデルワイスと対峙してからどれだけ経った? 

 

 分からないままに、一輝はふらつく身体を無理矢理動かして暁学園の校舎の中へと向かう。

 どこに向かえばいいのか、アリスはどこだ。

 魔力も体力も底をついている。朦朧とする頭を無理矢理働かせ、一輝は廊下を這いずった。

 

 そうして、自分とそう変わらない満身創痍のアリスの姿を見つけた。

 

「アリス……良かった」

「一輝……生きて……」

「なんとか、ね」

 

 人気のない暁学園の片隅で、アリスは全身打撲だらけで内臓破裂、一輝は全身に裂傷を負い伐刀絶技の反動であちこちの血管が爆ぜていて。

 それでも二人は痛みを忘れたようにお互いに向かって、ゆっくりと進んでいく。

 そうして、ようやくその手が触れ合った。あのバスを降りてからたった数時間、それだけだというのに何年も会っていなかったかのように長く感じられた。

 

「アリス……僕は君が──」

「言わないで」

 

 何事かを告げようとした一輝の口を、アリスは手で押さえた。

 

「言ったでしょう。あたしはこれまで何人も殺してきた人殺しよ。それも恨みがあるわけでもない人を、仕事としてそうしてきた屑なのよ。それに、あたしはそのために何だって使って来た……」

 

 一輝の口を押さえている手とは逆の手で、アリスは自分の胸を撫でて見せた。

 その意味は一輝にも分かる。でも、そんなこと一輝にはどうでもよかった。

 

「たとえアリスの過去がどうであってとしても、今の僕には関係ない」

 

 アリスの手を掴んで避けて、一輝は彼女の頬に触れる。

 

「どうして……」

「言わないと分からない? いや……僕はそれが言いたくて、ここまで来たんだ。だから、聞いて欲しい」

 

 顔を背けようとするアリスを捕まえて離さない。

 

「アリス……僕は君が──」 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 暁学園校舎に駆け付けた黒乃は、その廊下で寄り添うように倒れ伏す二人を見つけた。

 

「どちらもまだ息がある……。間に合ったか」

 

 二人の時を止めて応急処置とし、各所へ連絡。あと少し発見が遅れていたら、どちらもそのまま死んでしまうところだった。

 そして、数日後。

 

「《隻腕の剣聖》にも逃げられていたか……。いや、有栖院、お前はよくやったよ。術者が気絶すれば大概の伐刀絶技は効果を失ってしまうからな」

 

 二人から報告を受けた黒乃は、煙と共に賞賛を吐き出す。

 

「いやはや大した奴等だよお前らは、片や《十二使徒》を戦闘不能に、片や《比翼》の片腕を奪う。まったく、私もとんでもない生徒を持ったものだ」

 

 黒鉄一輝の《七星剣武祭》への挑戦はこれから始まる。

 

 




途中からザクザクしているのは、一万文字辺りで力尽きたからです。
二巻は綾辻センパイが17巻で露骨な読者サービスをしていたのでカットしました。
三巻は東堂センパイが17巻で主人公そっちのけで主人公してたのでカットしました。

王馬くんは妹相手に《雷切》同様の舐めプ(不器用な優しさ)かまして、容赦なく筋肉中の水分を絞り出されてガリガリ君になりました。
凛奈ちゃんはステラに焼かれました。
多々良ちゃんは泡沫くんと鬼ごっこしました。
サラはやる気がありません。
天音君は一人で残りを片付けて、みんなを連れて撤退しました(苦労人)

エーデルワイスは赤座さんの代わりに馬に蹴られる役どころですが、強すぎるので原作パワーアップイベント全部盛りで初見一発ということで勘弁してください
《剣聖》()さんは伝統

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