俺とモノズの物語   作:三丁目の木村さんの親戚の息子

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第四話

「……」

「……がぁ?」

 

 モノズが無事に生まれたのを見届けた二人が満足げに家を去ってから数十分。俺は何とも言えない空気の中モノズと見つめあっていた。

 ついさっき、生まれた瞬間はテンションが上がったというか生命の神秘に立ち会ってハイになっていたというか。とにかく恐怖を忘れてこの子に触れることができたのだが、時間が経ち冷静になった今は沸々と恐怖感が心の底から湧き上がってきたのである。

 

 モノズ。そぼうポケモン。目が見えないので手当たり次第に体当たりしたり噛みついたりして周りの様子を把握する。食べられるものは何でも食べて、おいしかったものは匂いを覚える習性がある。動くものにかみつくのでうかつに近寄ると危険とされている。

 

 図鑑を読んだ時の一連の説明文がふっと脳裏をよぎる。そぼうポケモンとはなんなのか。図鑑に粗暴とか言われるポケモンは人里にいていい代物なのか。そもそもうかつに近寄ると危険とはっきり明記してあるではないか。あの馬鹿(ユウリ)は何を思ってポケモンが苦手な男にこんな危険なポケモンを差し向けたのか。やはりあいつは鬼畜の気があるのか。

 

 そんな思考が脳内をぐるぐると駆け回る。ちょっとしたパニック状態だ。俺がここから逃げ出さないでいられるのは、ここが俺の家でここから逃げ出したとしても逃げ込む先がないという事と、流石にいい年してポケモンにビビって逃げ出すのはいかがなものかと俺のわずかな理性が訴えているからだろう。

 しかし、しかしだ。このままというわけにはいかない。いかないのだ。生まれたばかりのあの子の体を洗って、ミルクを飲ませて、温かくして布団にでも入れてあげなければならない。これは飼い主として当然果たすべき責任だ。

 だというのに情けない俺はモノズに近づけずにいた。怖いのだ。幼いころ、ポケモンに噛まれたときの恐怖が脳にこびりついて離れてくれない。その恐怖がねっとりと体にまとわりついて、俺の意思を鈍らせた。

 情けない。本当に情けない。でも仕方がないじゃないか。十数年かけてどうにもならなかったんだ。それがこんなことでどうにかなるんなら俺はこんなに苦労はしていない。

 

 そんなことを考えているうちにモノズはぐぐ…と体を持ち上げた。よたよたと覚束ない様子だったが、ふらふらしながらも何とか四足で立ち上がり、あたりを伺うようにきょろきょろと首をふって、一歩踏み出そうとして―――こけた。

 

「……ぴぇ」

 

 ぇえええん、と。小さなのどから引き絞るような鳴き声がした。こけていたかったから、というような声ではない。もっと切実な、胸の内に訴えるような、悲痛な声。その様子を見て、俺はハッとして息をのんだ。

 

 そうだ、モノズは目が見えないのだ。

 

 殻を破って生まれて、目も見えず、冷たい床の上に一人。どれほど恐ろしかっただろう。どれほど心細かっただろう。

 ああ、嫌になる。こうしてはっきりと突き付けられなければ、こんな簡単なことにも気づけず自分に言い訳ばかり聞かせている自分が嫌いだ。

 

 あの子には俺しかいないのに。あの子を抱きしめてやれるのも、あの子の不安を拭い去ってやれるのも、ここには俺しかしないというのに。

 

「……ッモノズ!」

 

 俺はたまらず駆けよって、震える小さな命を抱き上げた。

 

「ごめんな…ごめんな…そうだよな…お前も怖いよな…俺なんかよりお前の方がよっぽど怖かったよな…」

「ぴ?」

 

 ぎゅうっと抱きしめて、俺は縋るようにつぶやいた。

 モノズは、突然触れられてびっくりしたのか、少しじたばたともがいて、俺の指にかぷりとかみついた。

 

「はは……くすぐったいな」

 

 ぎゅむ、ぎゅむと甘噛みされる指先は、記憶にこびりつくあの痛みではなく、ほのかな力強さと、確かな温かさを伝えていて……。

 

「うん、もう怖くないよ。大丈夫。平気さ。怖くない……」

 

 俺は言い聞かせるようにそう独り言ちてモノズの頭を撫でた。

 この言葉は、モノズに向けての言葉だったか、それとも。


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