このテーマはずっと書きたかったものなんですが。ざっと書いたものなので薄味かもしれません。
時系列な所はちょっと気にしないでください。衝動のままに書いたので。
アルバスさんはちょっとだけ出ます。だんだん情けなくなっていくような
ロンドンの冬は寒い。いや、寒いという言葉では足りないだろう。
雪のちらつく冬のロンドンは極寒という言葉がよく似合う。
そんな冬は誰だって家の中で、暖炉を前に暖かな紅茶を啜るものだ。
もちろん、それは普通の人の話で。
そんな温度の恩恵にあずかれないものは少なからず存在した。
ノクターン横丁の入り口、そこにはまるで痩せた猫のようにぼろぼろの男が蹲っていた。
男といっても、未だ少年の域を出来っていない。
そのやせ細った男には雪が積もり、それにがたがたと震えていた。
それもまた魔法族の端くれ、小さいとはいえ確かに魔法の恩恵を得た男の外套は確かにそれを温めていた。
けれど、そんなもの焼け石に水で、男の命は風前の灯といえた。
(・・・・寒い。)
考えられることなどその程度だ。少しでも寒さをしのぐために出来るだけ体をちぢこませはしてもそれだけで耐えられることなどたかが知れている。
男はぼんやりとした頭で自分がどうしてこんなことになっているのか漠然と考える。
父や母のこと、思い浮かぶのなんてそれぐらいだ。
碌な友人もいなかった。
不幸な人生だった、惨めな人生だった、下らない人生だった。
だというのに、やってくるらしい最期はなんだかひどく優しい。そう思って、男は諦めのために最期を受け入れる様に瞳を閉じた。
その時、まるで夏の昼に響く獣の鳴き声のような騒々しい声がした。
「おいおい、死んでるのか?」
自分に話しかけてきているらしいそれに、少しだけ目を開けた。視界の中に、どこか心配そうな顔をした、翠の瞳を持った人がいた。
その眼は、不思議なことに、汚らしい浮浪者に向ける目にしてはあんまりにも透明な目をしていた。
温かくて、フカフカとしたものに包まれている。腹の部分にはずっしりとしているが、心地のいい重みが乗っかっている。
かすかに、耳がコトコトと何かが微かに揺れる様な音を拾う。くんと、香ったそれは温かくて優しい匂いがした。
ゆっくりと、夢心地で目を開けると、男は己の腹の上に乗っかったニーズルと対面した。
ニーズルは、金の瞳でじっと男を見つめていた。
「なんだ、美人さんだな。」
寝ぼけた頭の中、男はゆったりと微笑んだ。柔らかな布団から手を取り出し、その頭を撫でた。フカフカとした毛並みは、そのニーズルが丁寧に飼育されていることが察せられた。
ニーズルは男の言葉に、一言鳴くと腹の上から地面に降りた。そうして、部屋の唯一の出入り口であるらしい扉に向かった。そうして、そこに取り付けられた専用の小さな扉を潜って部屋を出ていく。
そこでようやく男は、自分が何処にいるのかを理解した。
びくりと、男は慌ててベッドから這い出す。
男がいた部屋は、ベッドと簡単な机、そうしてタンスがある程度の簡素なものだ。けれど、手入れはしっかりとされており埃は見受けられない。古びてはいるものの、居心地のいい部屋だ。
(・・・・ここはどこだ!?)
男が覚えている限り、最後の記憶は自分を見つけた、おそらく女が自分を覗き込む瞬間だ。
攫われたのかと一瞬考えるが、それにしては待遇がよく、何よりも自分に攫う様な価値がないことを思い出し、男は自嘲する様に笑った。
きい、と扉が開く。
男は警戒するように視線を向けた。
「よし、起きたな。」
そこに立っていたのは、一人の女だった。
腰まで伸びた真っ黒な髪を三つ編みにし一つにまとめている。人種特有の白い肌をしていた。女はすたすたと男に近づいてくる。
女にしては珍しいことに白いシャツに黒いズボンというシンプルな格好をしており、その仕草はどこかさっそうとしていた。
その顔立ちは女性的というには鋭く、男にしては優しい。
色味の少ない見目において、唯一、その緑の瞳が色彩を放っていた。
「ラピス、ご苦労さん。」
女は労わる様にそう言って、足元に侍ったニーズルを撫でた。それにラピスと呼ばれたニーズルは応える様に一声鳴いてさっさと部屋を出ていく。
状況はわからない男に、女はくいっと親指で扉の外を示した。
「飯が出来てる。温かいうちに食べるぞ。」
そう言い放つと、女はさっさと部屋を出ていく。まるで嵐のように過ぎ去った女を男は茫然と見送った。
逃げるわけにもいかず、ともかく自分の状況というものを知りたくて男は女の後を追う。部屋を出ると短い廊下があり、幾つかのドアがあった。一番奥の扉が開いており、中から灯りが漏れていた。
その部屋に入ると、鼻を柔らかで暖かな匂いが刺激した。
部屋はどうもリビングの様で赤々と燃える暖炉に、古びているが手入れをされているらしい大きなテーブルが目を引いた。
女は、部屋の隅にあったキッチンからお盆を持ってテーブルに歩み寄った。お盆の上には湯気を立てたスープとパンが乗っている。
女はそれをおもむろにテーブルに置いた。そうして、椅子の一つを指さした。
「座れ。」
従う義理も無い。何よりも、目の前の存在が安全かどうかも分からない。逃げた方がいいかもしれない。
そんな思考が頭を襲う。
けれど、男はまるで誘われるようにその椅子に座った。
女はそれに穏やかに微笑んだ。
「まあ、話をする前にまずは腹ごしらえだな。」
その眼には、男が、アーガス・フィルチが当たり前のように向けられ続けた憐れみも、同情も、一欠片だって存在しなかったから。
アーガス・フィルチの人生において、彼が己の人生は不幸なものであると知ったのは十を過ぎたころのことだった。
彼はマグル出身の父親と魔法族出身の母親の間に生まれた混血であった。
どこの家庭にも例に漏れず、彼ら二人は生まれて来た息子を一心に愛した。きっと、この子も素敵な魔法使いになるであろうと。
少年はその柔らかな愛を受け、すくすくと成長した。両親はそれを温かく見守った。
少年に魔法使いとして、魔力が備わっているという兆候は表れなかったが彼らは気にしなかった。きっと、いつかは現れるだろうと。
けれど、少年が十を過ぎても魔力のある兆候というものは現れなかった。両親は、それに病気を疑い、聖マンゴ病院に相談した。
結果として、少年は病気ではなかった。彼は単純に魔力がなかった。
「お子さんは、スクイブになります。」
癒者から言われたその発言に、両親の目が絶望に染まる。けれど、幼い少年にはその言葉の意味なんて分かるはずもなかつた。
それを何よりも嘆いたのは、母親だった。
魔法というものが生まれたころより世界の中心であり、それと友のように親しんだ彼女からすればそれを持たぬ己が子はどれほど哀れであっただろう。
この子は、永遠の友となる杖を持てぬのだ、あの美しい力を使うことはないのだ。
ああ、この子は、あの偉大なる学校に通うことはないのだ。
女は、そう言っては息子を抱いて、その顔を撫でて涙をこぼした。
少年は、アーガスは自分がひどく悪い子なのだと思った。自分を愛してくれる母をこれだけ嘆かせる自分は、それほどまでに悪い子なのだと。
それとは変わって、父親は違った。元より彼はマグル生まれであり、魔法がないことは当たり前のことであったのだ。ならば、いったい何に絶望することがある。
父は息子が魔法を使わずとも生きていける術を見つけようとした。
が、母親はそれを赦さなかった。
魔法族として生まれたこの子がどうしてマグルのように生きて行かねばならないのだと。
それは、マグルであった父親にとって侮辱に等しかったのかもしれない。
少なくとも、幼いアーガスにとって両親の諍いの理由が自分であること。それだけを理解した。
それから、転がり落ちる様に少年の家庭は崩れていった。
二人はアーガスには優しかったが彼の見えるところで諍いを起こしていることに変わりはなかった。
母親はいつだってアーガスがいつか魔力を発現しないかと見ていたし、父親はアーガスにマグルの学校に編成するようにと進めた。
二人は互いの行動を見つけるたびに怒り狂った。
アーガスは自分がほとほと不幸の原因であるようにしか思えなかった。
そうして、両親はとうとう離婚した。
アーガスは最後まで父親に一緒にマグルの世界で暮らす様にといわれていたが、一人残される弱々しい母親を放っておけるはずもなかった。
そうやって共に過ごした母親もまた、アーガスが成人してまもなく病で亡くなった。
彼女の最期の言葉は、ごめんねというアーガスという存在への謝罪であった。
可愛そうなアーガス。優しいアーガス。ごめんね、ちゃんと産んであげられなくて。
その時、アーガスは思ったのだ。自分は、不幸で、可哀そうで、哀れでしかないのだと。
庇護者を失った彼は働きにでるという選択肢しかなかった。けれど、読み書きは出来ても魔力を持たない青年を雇ってくれる存在もいない。
彼が最終的に行きついたのは夜の闇横丁であった。そこは、闇の魔法使いから人外までありとあらゆる脛に傷のある存在が寄せ集まる場所だ。
スクイブの青年が一人紛れ込んだ程度ならば誰とて気にはしなかった。
彼は幸いなことに仕事にありつくことが出来た。雑用のようなものではあったが、魔力に触れれば作動する道具もあったためその管理の上で重宝されていた。
彼は食うに困ることのない生活を送っていた。
夜の闇横丁はよくも悪くも無力な青年に無関心であり、そうして冷たかった。
無力な彼を魔法使いたちは食い物にした。
給金を奪われることもしょっちゅうで、魔法で痛めつけられる日もあった。
そんなものだった。
彼がスクイブであると知れると、魔法使いたちは二通りの行動をした。
蔑みか、そうして憐れみ。
アーガスは、憐れみがことさらに嫌いだった。
その、アーガスという存在を否定する、憐憫よ!
見るな、みないでくれ。
そんな眼で、そんな、色を持って。
魔力を持たぬ自分を見ないでくれ。
蔑まれる方がずっとよかった。暴力を振るわれる方がまだよかった。
憐れみの中にある、湿った、仄かな優越感と否定が苦手であった。
(どうしてだ。)
どうして、どうして。
自分は魔法が使えないんだ。母は使えた、父は使えた。
周りの人間を見ろ。
当たり前のように、魔法が使える。自分と、彼らのいったい何が違うんだろうか。
悲しんだ母のことを思いだす。背を向けて去った父を思い出す。
孤独な己を想う。
父の使った、母の使った、美しい力を思い出す。
どうして、それは自分の手には入らなかったのだろうか。
アーガス・フィルチは
その冬は不幸なことに一つの仕事も得ることが出来なかった。魔法を持たぬ青年には生きていく術などなく、真冬の中、その寒さに耐えることしか出来なかった。
死ぬことに対して、大した感慨は持てなかった。感慨を持てるほどの人生を持たなかったから。
「よしよし、よく食べたなあ。いやあ、助かった。今日は家の奴が帰ってこないのを忘れて作りすぎてしまってなあ。」
スープとパンをたらふく食べ、アーガスは暖炉で温められた部屋の中でニーズルを膝に置きぼんやりと片づけをする女を眺めていた。
女は空になった器を見てゆるゆると笑っていた。
それを見ていたアーガスは、ずっと考えていた疑問を口にする。
「どうして、俺に飯まで食わせてくれたんだ?」
その言葉に女はふむと頷き、食器を片付けながら答えた。
「腹減っていたんじゃないのか?」
「減ってはいたが。理由がないだろう。」
アーガスはそう言って、ニーズルの頭を撫でた。アーガスはこれでも悪意には敏感だ。けれど、女からはやっぱりその気配は欠片だってなかった。
アーガスは、女のことを処理しきれていなかった。
女にはアーガスのことを助ける理由なんてない。けれど、女はアーガスを助けた。汚い、ぼろぼろの存在をいったいどうして助けたのだろうか。
だからといって、ここを出てどこに行けるというのか。
もう少し前ならばさっさと出ていっただろうが、寒さで疲れ切ったアーガスにはその温かさは惜しかった。
「お前さん、スクイブだろう。」
それに動揺を隠しきれずアーガスは机を揺らした。
女はその音に振りかえる。視線の先にいたどうしてという顔をした青年に苦笑する。
「簡単な推理だ。夜の闇横丁にいる時点で君はマグルではない。けれど、魔法使いであるならば例え金がなくても留守のマグルの家に忍び込んで過ごすことも出来た。けれど、それをしていない君は魔法族でも魔法を使えない、スクイブである。」
アーガスは思わずそれに立ち上がる。それに伴ってニーズルが地面に飛び降りた。警戒する様に固まった青年に、女はやっぱり苦笑する。
「そんな顔をするな、とは言えないか。今んとこ、めちゃくちゃ怪しいもんな。」
「・・・・どうして、俺を助けた。」
重ねられた言葉に女はのんびりと言い切った。
「いやあ、あそこで見捨ててたら後で罪悪感に襲われるしなあ。」
それは、アーガスの考えたどれでもなく、ただ苦笑交じりの穏やかさがあるだけだった。
女はそう言うと、出入り口を指さした。
「さて、もう夜も遅いから寝なさい。さっきの部屋をもう一度使っていいから。」
くるりと自分に背を向けたそれにアーガスは理解の追いつかない頭で再度問いかけた。
「どうしてだ?」
その言葉に女は聞かん坊の子どもを宥める様な仕草でやっぱり苦笑して。そうして首を傾げた。
「そりゃあ、お前さんにだって分からないことはあるだろう。私にだって分からないことがある様に。」
この世界には吐き捨てたくなるような気まぐれもあれば、泣きたくなるほど優しい気まぐれだってあるだろう。
そう言って微笑んだ、その瞳はやっぱり何にも浮かんでいない、どこまでも透き通った目をしていた。
そこには、自分の知る憐れみも蔑みだってなければ、女の言う優しさも無かった。
そう言えば、名乗っていなかったね。私の名はニゲルだ。行くところがないなら、しばらくここにいるといい。
それを促す様にニーズルが鳴いた。
アーガス・フィルチは結局のところ、ニゲルの元に留まった。
それは、行ける場所などなかったということもあった。
けれど、それと同時にその女の浮かべる透明な目に安堵していたから。
何よりも、ニゲルの家はなんだかひどく不思議な家だったということもある。
アーガスはニゲルの家にて、彼女の仕事としている薬草の育成を手伝うことになった。仕事自体は水をやるだとか特定の薬とやるだとか、間引きをするだとか。そんなことだ。幸いなことに、それらの作業には魔力は必要なかった。
彼女はよくよくアーガスに仕事を教えてくれた。物覚えが悪いわけではない彼はすぐに仕事に馴染んだ。
その時間は、ひどく穏やかで、静かだった。
接する人間はニゲルぐらいで、近所の人間は彼女が対応するため気楽なものだった。
そこでは、アーガスは本当にただの、どこにでもいる存在の様であった。
ニゲルが元々あまり魔法を使う人ではなかったというのもある。
彼女の心象として、杖を態々振るよりも自分の手でした方が早いこともあるらしい。だからこそ、だろうか。
ニゲルと生活していると、時折魔法という存在を忘れそうになる。
それは、言いようのない、穏やかな生活であった。
そうして、何よりも不思議な心地になったのは家に住んでいるわけではないが、通う三
「君がアーガス君かな?」
アーガスが一夜を明かした後、リビングに出た彼を出迎えたのは滅多に見ないような麗しい男だった。
鳶色の髪に、キラキラとした青い瞳の男。
男は、どんな人間でも魅了されてしまいそうな柔らかな笑みを浮かべていた。
「やあ、おはよう。」
滅多にないような爽やかな挨拶に、アーガスは同じようにかすれた声でおはようと返した。
「君がアーガス君だね?」
「は、はい。」
「私の名はアルバス・ダンブルドアというんだが。君をここに招き入れたニゲルのいとこなんだがね。」
アルバスと名乗った青年は妙に威圧感のある笑みを浮かべてアーガスに微笑んだ。アーガスはそれに怯えつつ、ぎくしゃくと頷いた。
「そうか。まあ、君の事情としては色々と大変なこともあるだろうが。ここにしばらくいるといい。」
「は、はい。」
にこやかに微笑んでいるというのに、なんだろうかその威圧感といえるのは。
今まで受けた、悪意ではないのだが。
「・・・・ところでなんだが。」
「は、はい?」
「ニゲルは優しい。人がいいというのはあるんだがね。」
「はい?」
「ある程度のことは強要してしまうわけで。見ず知らずの人間にもそれを強要されてしまうんだ。まあ、昔から、それこそ子どものころからそうなんだが。だから君に優しいのもひどく自然のことで。」
「はあ。」
「まあ、私はニゲルと長い付き合いでそこらへんは分かっている・・・」
どす、という音がした後にアルバスの体がゆっくりと沈んだ。いきなり床に蹲った男にアーガスが目を瞬かせると丁度男の後ろにニゲルが立っていた。彼女からは良い匂いがしていた。どうやら朝食の準備をしていたのだろう。
拳を握っているところからしてどうみてもアルバスの背を殴ったように見えた。
「ガキ虐めてんじゃねよ。」
プルプル震えるアルバスにニゲルが吐き捨てる様に言い捨てた。アーガスがその光景に固まっている中、ニゲルはその蔑みに満ちた目を柔らかく細めた。
「ああ、アーガス。おはようさん。」
「は、はい。おはようございます。」
「はははは、敬語なんて使わなくていいぞ。それよりも、朝飯だ。まだ若いんだからたくさん食うだろ?たんと食えよ。」
「ええっと。」
この目の前で蹲る存在にどう扱えばいいのか分からない。無視してもいいのだろうか。
ニゲルは平然と去っていく。アーガスはおろおろと辺りを伺う。
そこでアルバスがよろよろと立ち上がりニゲルに追いすがる。
「・・・・ニゲル、殴らなくともいいだろう?」
「・・・・夕食のリクエストしときながら仕事で帰ってこずに連絡も寄越さずに。おまけに自分よりも年下に威圧感振り撒いてる奴に慈悲はない。」
それにアルバスは一気にしょげた様子で顔を下に向けた。
「それについては悪かったと思っている。連絡しなかったのも、その、すまないと。」
「お前さんがいなくて作りすぎたスープの処理を手伝ってくれたのはそいつだし。連絡とれねえからわざわざ魔法省に行って?その後にお前さんが案件の処理に忙殺されたことに安心して。その帰りに拾ったんだ。お前さんに何か言われる筋合いはないぞ。何よりも、ラピスだって懐いてる。悪意はないだろ。」
「その、連絡取れなかったことに関しては、本当にすまないと。時間がなくてね。」
「一言伝言頼んで梟飛ばすぐらいはできただろ。」
「・・・・その。」
すたすたと先に行くニゲルを慌ててアルバスが追っていく。そうして、ふと気づいた様にニゲルはアーガスに振り向いた。
「ほら、食事だ。お前さんも、席につけ。」
アーガスは、本当に不思議な事だと思った。
何故なら、ダンブルドア家の人間というのは、アーガスに対して憐れみでも侮蔑でもなく、不思議なことに嫉妬を向けて来るからだ。
長男であるらしいアルバスは、それが顕著であった。
アーガスはそれを不思議な気持ちで眺める。
はっきりいってアーガスにはアルバスという男が嫉妬する要素など一欠片だってない。
アルバスのように、見目が麗しいわけでも、優秀なわけでもない。闇祓いである、魔法使いとして優秀な彼にいったいどうしてそんな目を向けられるのか。
いや、分かるのだ。
分かってしまうのだ。
アーガスが、彼女に贔屓されているからだ。
仕事を教えるために近しい位置にいるのは仕方がないのだが、それでも彼らは執拗にアーガスのことを羨ましいという目で見る。
正直な話、ニゲルという存在にそこまでの価値があるようには思えなかった。
確かにアーガスにとっては滅多に会えない貴重な、彼をひどく透明な澄んだ目は珍しくはあっても、魔法使いとしてエリートといえるアルバスがそこまで執着する理由が見えなかった。
見目が麗しいわけでも、賢しいわけでも。
魔法使いとして優れているわけでもない。探そうと思えば幾らでも探せるような人であった。
ただ、彼女は優しい人なのだとは思う。
彼女はアーガスという存在の不出来さを気にしなかった。出来ないことを、出来ることを選別し、彼を下に見るのではなくやれることを渡して対等としてくれた。
人と付き合うことのなかった彼でも、憐れみと蔑みだけを背負い続けた彼には、それがどれほど優しいことなのか理解できた。
「・・・・あの。」
「うん、どうした?サンドイッチまずいか?」
「いや!これはものすごくおいしいです!でも、その、聞きたいことがあって。」
「うーん、仕事のことか?」
昼下がりの畑で、彼らは昼食にと持って来たサンドイッチを食べていた。
簡易に作ったベンチに腰掛け、汗を拭いながらアーガスは口を開いた。
「・・・・どうして、俺の事助けてくれたんですか?」
それは、ずっと、ずっと、そんな穏やかな生活の中で抱えていた青年の疑問であった。
それに、ニゲルはうーんと悩むように首を傾げた。
「そりゃあ、そうしたかったから。じゃあ、納得できないか?」
「・・・・はい。」
「そうだな。あのな、私がそうしたいと思ったのは、ただそれだけのことだったんだがなあ。」
「でも、それだけで終わるほど簡単な事じゃなかったと思います。」
少なくとも、女が一人の家に男を一人同居させ、生活の面倒を見るというのは簡単なことはないはずだ。
そこでニゲルは考えた末に、指を一本を立てた。
「例えばの話なんだがな。お前さん、砂漠って知ってるか?」
「あの、一面砂だらけだっていう?」
「そうそう、私たちは水一杯にそこまでの価値は付けないだろう?けれど、例えば砂漠ではそのたった一杯の水でさえ、同じ重さの金と同等の価値を持つ。人にとって、何を価値として何を優先するのか。私にとって、お前さんがあったかい場所で、腹いっぱいになってゆっくり眠らせてやりたいっていうのは私にとってあの時何よりも優先したかったことだったんだ。」
苦笑交じりにそう言った女の顔は、やっぱり蔑みだって同情だってない。ただ、柔らかな優しさが少しだけ加わった目をしていた。
「自分にとって・・・・」
「そうだ。誰にだって自分だけの価値観がある。そうしたいと思えること、そうありたいと思えること。難しいことだよ。自分にとっての価値あること、他人にとっての価値あることが違うっていうのは。誰にだって、己の幸福がある。それを理解するのも、理解されるのも。」
幸福、という言葉にアーガスは反応した。
その耳について離れない言葉に、思わず口を開いた。
「自分にとっての幸福?」
「ああ、そうだ。自分にとっての当たり前が他人にとってはたまらなく羨ましいことだったり。他人にとって幸福なことが自分にとって憐れむべきことだったり。誰にだって己だけの幸福がある。」
それにアーガスは彼にとって一番にずっと、ずっと、誰かに対して問いたいことがあった。
アーガスは、それを誰かに問う気はなかった。
問うたとして、無駄でしかなくて。それに思いをはせること自体が虚しくて。
だから、ずっとアーガスはそれを考えようとは思っていなかった。
けれど、けれど、けれど。
その女にだけは、その、下らない問いをしてみたかった。
その女にだけは、その問いへの答えを求めたかった。
その、何にも染まっていない透明な瞳に。
「あの。」
「うん?」
アーガスはおどおどとしながら、そうして恐る恐るニゲルに問いかけた。
「
その言葉にニゲルは目をこぼれんばかりに見開き、そうして困り果てたように額を掻いた。うーんと、唸った後に空を見上げた。
アーガスは伏し目がちにニゲルを見た。
「そりゃあなあ。お前さん、お前にとってそれは不幸なのか?」
問い返されたそれに、アーガスは困ったような顔をする。分からないからこそ聞いたのだから。けれど、何故だろうか。ひどく、ひどく、気楽であった。何故、だろうか。
今までずっと、聞けなかったこと、聞きたくなかったこと。
きっと、それを聞けば、それを問えば、きっと人はアーガス・フィルチを憐れむだろう。
けれど、その女にはそんな色はない。そこにあるのは、微かな戸惑いだけで。
その透明な目は濁ることなく、澄んだままだ。
それは、確かな安堵であった。自分と彼女は、確かに同じ場所にいるのだと。
ニゲルはそれを察して肩を竦めた。
「私は、お前の納得のいく答えを出せないかもしれないぞ?」
それでもいいのかと言外に問われたが、アーガスはそれでも頷いた。
「・・・・・そうだな。私の答えは簡単で。魔法が使えないっていうのは不運であって不幸ではないな。」
「どうして、ですか?」
「当たり前を持たないことで不幸であるかが決まるというのは、少し残酷が過ぎると思うから。」
ニゲルはそう言うと、立ち上がりぐっと背伸びをした。ニゲルの前には、清々しい青空が広がっている。ずっと見つめていればそれこそ吸い込まれるような色だ。
「当たり前って複雑でな。例えばな、私はあんまり友達ってものがいないんだ。」
唐突な言葉にアーガスは、はあと気のない返事を返した。それにニゲルはふふふと笑う。
「まあ、学校でそういうのがいなかったわけじゃないんだが。ただ、大人になって疎遠になった。私も連絡する気はない。でも、平気で、私は友人というものにあまり関心がない。だってなあ、私には家族がいるから。私にとって彼らは世界の中心で。愛おしい全てでなあ。だから、私は幸福だ。だが、人によってはその在り方を不幸というものもいるかもしれない。」
私には、世界の言う、いることが幸福である友人がいなくても平気だ。それは、私の幸福には必要がないから。
ニゲルはそう言い放つと、アーガスを柔らかい微笑みを湛えたまま見下ろした。
「まあ、昔は私も真実の愛なんてものが必要だとは思っていたけど。でも、そうではないんだろうな。そんなものがなくたって。人は幸福になれる。幸せだと、笑い合える。勇気がなくても、知恵がなくても、誠実さがなくても、狡猾でなくても。欠けていたって、それでいいんだろうなあ。いいんだ、特別が無くたって。きっと。」
朗らかな、春風のような声だった。
「アーガス。なあ、お前さんはマグル全員が不幸だと思うか?」
「え、いや、そんなことはないと思います。」
「お前と同じように魔法使いではないのに?」
それにどきりと、何かをするりと剥がされたかのような心地だった。それは、それは、何となく分かるのだ。
アーガスの疑問の何かを抉る様な気がした。
言葉を失ったアーガスに、ニゲルはやっぱり苦笑する。そうして、彼女は彼と目線を合わせる様に屈みこんだ。
「あのな、アーガス。幸福であることが何なのか。それは自分で決めていいんだよ。」
「自分で?」
それは、ひどく、ひどく、意味の分からない異国の言葉のように聞こえた。
「ああ、そうだ。」
ニゲルはまるで教えを説く聖者のごとく緩やかな言葉であった。
人はなあ、寂しいから誰かに肯定してほしいんだ。誰もが認めることを幸運として、誰かの思いを肯定したり、否定したりしてしまう。
でもな、誰もが憐れんでも、誰もが否定しても、誰もが悲しんだとしても。
それでもな、自分が幸福なのだと笑ってもいいんだよ。
例え、泥にまみれた人生だとしても、例え、暗闇に包まれた人生だとしても、例え、誰にも知られぬ無為なる人生だとしても。
それでも、その生を君だけが祝福できるのだから。
ニゲルはそっと、その痩せた青年の頭を撫でた。まるで、祝福を謳う使いのように、祈る様な手つきだった。
「なあ、アーガス。たった一つだけ、忘れないで。」
逃げたいのなら逃げていいんだよ。
それにアーガスは、涙でゆらゆらと揺れる水面のような瞳をニゲルに向けた。
ニゲルはその目をじっと見て、流れる様に言い放った。
「アーガス・フィルチ。君を幸福だと、不幸であるのだと見せつけ続ける世界なら、背を向けて君が幸福になれる世界にお逃げ。君にはそれが赦される。君には、自分を幸せにする権利がある。」
それに、アーガスは、ぼたりと零れた涙をそのままに、掠れた声で呟いた。
「・・・・かあさんととうさんと、ふこうにしたおれでも、ですか?」
「いいんだよ。」
断言するような声だった。
「・・・・私は、運命だと、そういう生まれて来た意味を信じない。でも、人は幸せになるために生きるのだと信じている。誰かの不幸の上にいたとして、それでもいったいお前さんの何が悪いってんだ?そこに、お前の悪意があるか?」
アーガス・フィルチ。お前がこの言葉で救われるかは分からない。でも、私はこう思うから、言葉を綴る。
幸福の前にある当たり前でないことが不幸に続くわけじゃない。お前の人生はお前だけのものだ。自分を救うために生きなさい。お前を否定する全てから背を向けて、お前はお前の幸福を定義しろ。
魔法使いでないことは、不運であった。それは、例えば、四肢が欠けたマグルのように、それは、貧しい場所に生まれた者のように、不運である。だが、不幸でしかないわけじゃない。
お前は、ちゃんと幸福になれる。
お前は、スクイブだ。でもな、お前が己を幸福だというのなら、それでいいんだ。
アーガス・フィルチはぼたぼたと流れる涙をそのままに、鼻水を啜ってとうとう泣きじゃくった。
ずっと、ずっと、アーガス・フィルチは幸福であった。
自分を愛してくれる父と母がいた。愛されていた、優しくされていた。
あの、小さな家で暖炉の前で母が読んでくれた絵本を思い出す。
あの、小さな家で父が自分に子どもの頃の話をしてくれたことを思い出す。
どうしてだろうか、それだけで、それだけを抱えて生きていくことを幸福といってはいけないのだろうか。
誰もが、アーガス・フィルチを可哀想という。哀れだという。
違うのだと、そう言いたかった。けれど、両親が、アーガスの幸福の象徴は、彼の人生を誰よりも真っ先に否定した。
彼が幸せだと笑う姿に首を振って、無理をしていると首を振る。
違う、違う、違うのだ。
アーガス・フィルチは確かに、ちゃんと、幸福であったから。
その頭を撫でる温かさに、アーガス・フィルチはようやく己を赦せたのだ。
アーガス・フィルチは、
スクイブは不幸であるかという話は、ハリポタでは一回は書いてみたかったんです。
当たり前でないことは罪であるのか、不幸であるのか。でも、叶うなら、そこから逃げ出して、自分だけの幸福を抱えて生きていくことも赦されていいのかと。