太宰治の「駆込み訴え」を「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」に登場するヒロイン、リリルカ=アーデに当てはめて書いたトレース作品です。
原作を十分に読み、ストーリーは逸脱してもキャラの性格は逸脱しないよう心掛けて書いたつもりですが、自身の文章力・読解力の無さゆえ原作とのキャラ的、心理的な乖離などがあると思われます。この作品におけるリリルカの心情と思いは、間違いなく原作のものとは大きく異なるでしょうが、それでもよろしければぜひ、最後まで見ていただけると幸いです。

1 / 1
こんなリリルカ=アーデもいたかもしれません。

(二〇一九年一一月二八日、太宰治「駆け込み訴え」より)
(二〇二一年一二月一〇日 展開修正) 


背信の徒

 申し上げます。申し上げます。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な人です、悪い人です。ああ、もう、我慢ならない。

 はい。はい。落ち着いて申し上げます。どうか、今すぐにでも出陣し、あの人を殺してください。自分は、あんな怪物どもが生きようが死のうがどうでもいい。ただ、あの人の傍に居たい。あの人の願いを叶えたい。ただそれだけの理由しかありませんでした。あの人があの怪物どもと手を取りあいたいというから、惰性であの人に力を貸していただけなのです。しかし、もはやあの人を生かしておいてはいけません。人類の敵です。はい。何もかもすっかりお話し申し上げます。異端児(ゼノス)と呼ばれる怪物の居所も、その統率者も、総ての作戦も、全て包み隠さずお話し致します。

あの人は、私を絶望の淵から救ってくださった、私にとって英雄とも言うべき人物です。言い伝えられているどんな物語の英雄よりも力はなく、万の魔物の群れを殲滅するような華々しい魔法は放てず、物語の英雄と比べて決して何か優れたものを持たぬとはいえ、その時持てるすべてを出し切り、強大な敵へと立ち向かう勇気を持っているお方です。小人族(パルゥム)にとって憧れを抱かないものはいない心を持ったお方です。そして私も、とても弱く、卑しいサポーターという立場ではありますが、あの人と共に、持てるだけの力を総動員して戦う、あの人の仲間の一人なのです。それなのに、今日まで私は、どれだけあの人に意地悪く扱き使われてきたことか。どんなにもてあそばれたことか。あぁ、もう、厭だ。私が今までにあの人のことを、どんなにこっそり庇ってあげたか。どんなにあの人のために尽くしてきたのか。皆、気づいていないのです。ましてやあの人は、とても純粋なお方ですから、当然のことながら、気が付いていないのです。

 いえ、もしかしたら、あの人はとっくに気づいているのかもしれません。いや、きっと心のどこかでは薄々気が付いていらっしゃるのでしょう。ちゃんと気が付いているから、猶更あの人は私に意地悪くするのです。あの人は偽善者だ。剣姫のような高嶺の花にならともかく、私のような下賤の者にさえ初心に振舞うくせに、一旦鉄火場に入っては、自分の仲間を、あくどい同業者を、はては多少知恵を持った怪物どもに至るまで、全てを自分で守ろうとして、英雄になろうと必死に藻掻くのです。

しかし、自分は知っています。あの人は、あの九階層で大剣を持った猛牛と対面してから、剣姫に再び助けられ、生死を賭した冒険を決心するその時まで、ただただ過去のトラウマに心から怯えていました。また、中層で遭難した時には、自分の下した選択が私達の命の生き死にを握っているという重責を背負いきれずにいました。他にも、上げきれないくらいの苦心惨憺を抱えなさり、ただ一人、ほんの少しでも均衡が崩れれば今にも押し潰されそうな重圧に必死に耐えなさっているのです。なんと馬鹿馬鹿しいことだ。ふざけている。世界最速兎(レコードホルダー)と呼ばれる様になり、理不尽に吹っ掛けられた中堅ファミリアとの戦争遊戯で勝利し、準英雄級冒険者(レベル4)まで駆け上がって、やっとこさ人々から認められるようになったのに、訳のわからない怪物なんかにに情をかけ、人類の敵を救い、世間に怪物趣味と罵られる。これを滑稽と言わずして何と言いましょう。そうです。あの人は傲慢なのだ。自惚れ屋だ。総て、努力すれば、諦めなければいつかは叶うと思っている盆暗だ。世の中はそんなものではないのです。努力が出来ない者もいれば、陰口を叩き、自分より弱い者を嬲ることしか能が無い奴もいる。才能が無く、何もしないままに日を過ごしているにもかかわらず、他人の才能を持つ者を妬む者もいるというのに、あの人は、全て自分の才を基準に考えていなさるのです。私からすれば、あの人を嵌めるのはとても容易いのです。そうしたら、あの人に一体、何が出来ましょうか。もし、私が居なかったら、きっとあの人は、遅かれ速かれ、迷宮内であの人を嫉む冒険者様に殺されていたに違いない。ヴェルフ様に命様、春姫様、英雄の器に足らない男神の眷属の方々など。あの方々に一体何が出来ましょうか。ゾロゾロあの人について回って、私のような日陰者が聞けば背筋が寒くなるような理想論をお言いになったり、馬鹿げたことを叫んで熱狂するくせに、いざ厳しい現実が目の前に現れたら、あの方らが真っ先にする事はただの右往左往。今回の異端児(ゼノス)の一件だって、正攻法では歯が立たないことは全くもって明らかなのだから、私が作戦立て、指示を出し、切り札たる魔道具を調達し、総ての知恵を出し尽くすまでには、愚かにも机上の空論ばかりを語っていなさっていたではないか。この私が勇者(ブレイバー)に変装して、どうにか本陣にいる超凡夫(ハイノービス)を騙し、上手く優位に戦況を操っていなければ、皆討ち死にしていたのではないのか。これを決行するまでに身を切るような資金繰りをし、装備、道具を揃え、文字通り身を削り、おおよそ出来る限りのことをしてあげたというのに、あの人は元より他の皆まで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わないだけならまだしも、あの人は、私のこんな隠れた労苦をも知らぬふりをして、いつでも無理難題を申しつけになるのです。あの時もそうでした。初の中層攻略に挑もうとするときに、危なげなく上層を踏破し、いざ中層に挑もうとしたときのことです。前方にいた男神の眷属のパーティーが怪物の大群に追われ、命からがら危急を乗り越えられるかどうかもわからず、負傷した仲間の治療を諦め、無慈悲に撤退しなければ全滅やむなしといったところで、つい先ほど中層攻略の一歩を切ったばっかりで、道具も体力も決して無駄にできないような時でさえ、自分たちはまだまだ大丈夫だと、異常事態(イレギュラー)のことを考えもせずに怪物贈呈(パス・パレード)を引き受けたりしなさって、私は影でとても苦しく知恵を回し、怪物除けの道具を効率よく使用し、また強化種の発見状況などの情報を集めておいて、どうにか、その命じられた通りのことを無事に遂行出来たのです。謂わば、私はあの人の行いの裏方を、あの人の望む滑稽な喜劇のキャストを、此まで幾度となく務めていたのです。

私は今、あの人を害しようとしておりますが、こう見えても、私は決して恩知らずなのではありません。それどころか、私はよっぽど義理堅いのだと考えております。私はあの人を、美しい人だと思っています。神々から見れば、あの方は幼子のように慾がなく、その魂はきっとガラスのように透き通っているのでしょう。私はもともと、冒険者様のおこぼれを頂く賤しい物乞いではありますが、それでも人の情というものを理解していると思っております。あの人は純粋なお方ですから、あの人が私に苦労をかけるのも、私は苦にも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも労いの言葉の一つや二つくらいくれてくれても良さそうなのに、あの人はいつでも私に意地悪く仕向けるのです。一度、昔の話です、戦争遊戯(ウォーゲーム)の前のことですが、あの人と二人っきりで上層を探索していたとき、ふと、あの人が私の名を呼び、「リリ、いつも僕のことを支えてくれてありがとう。いや、前々からずっと言わなきゃ駄目だなって思ってたんだ。僕、いろいろとリリに頼りっぱなしだしね。大丈夫だよ。リリは僕がずっと守るから。それに、お金を貯めて、そして頑張ってお願いすれば、きっと、ソーマ様も解ってくれるよ。」

 そうおっしゃってくれて、私はなぜだか声を出して泣きたくなり、滅相もありません、今まで誰からも愛されてこなかったこの身を愛してくれたあなたに身も心も捧げたいと、心の中でただ叫びました。私はソーマ様、ましてやヘスティア様に解ってくれなくとも、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さっていたら、それでもういいのです。私はあの人を愛しています。他の者達がどんなにあなたを愛していたって、それとは比べものにならないくらいに愛しています。誰よりも愛しています。あの人がいなくなったら、私もすぐに後を追いたいと思うほど愛しているのです。私には、こっそり考えていることがあるのです。それはあなたが、オラリオを出て、仲間たちや悪辣な神様などと縁を切り、また、物語で語られるような英雄を目指すこともお止めになり、二人で慎ましく、私と静かな一生を、永く暮らして行くことであります。以前のお話の中であの方が、オラリオの真北のベオル山地に小さな集落があると仰っておりました。そこはこのオラリオとは異なり、悪意に満ちた人間はおらず、とてものどかな暮らしをしているのだと聞いたのです。ですので、そこで、村の皆様と交流し、時に畑を耕し、時に祭りを楽しみ、時にモンスターの襲撃を退け、余生をそこで過ごしませんか。私がずっと奉公させて頂きます。一生、安楽にお暮らし出来ます。そう私が言ったら、あの人は、苦笑いを浮かべ、「僕はヘスティア・ファミリアの団長なんだ。だから、僕を拾ってくれたヘスティア様や皆を捨てることなんて出来ないよ。それに、僕には目指したい憧憬(ひと)がいるから。リリにはきっと迷惑をいっぱいかけると思うけど、これからも僕たちのことを支えてくれると嬉しいな」と、恥ずかしいのかだんだんとその白い顔を赤く染めながら、ただ、そうお話ししてその日は終わったのですが、後にも先にも、あの人と二人でゆっくりとお話出来たのは、その時だけでした。

私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰の物でもない。他人に渡すくらいなら、その前に、私があの人を殺してあげる。今まで、金も居場所も、何もかもを奪われてきて、さらにあの人まで奪われるなんてもう耐えられない。私はあの人が英雄だなんて信じない。なんであの人が、英雄なものか。あの『ゼウス・ファミリア』の超級英雄でさえ、黒竜に一矢報いることも出来ずに全滅しているのです。どうしてそれより弱いあの人がそれ以上を為すことができるでしょう。あの道楽の旅行神なんかは、あの人を『最後の英雄』だと信じていて、ダンジョンの制覇だとか、黒竜の討伐だとか、ただあり得もしないことを夢想しては、愚かにも欣喜雀躍している。ましてあの馬鹿な仲間たちは、あの人を英雄と信じて、そのお零れに預かろうとしている。今にがっかりするのが、目に見えています。事実は小説より奇なりとは言いますが、世の中、そんなに上手くいってたまるものですか。あの人は嘘つきだ。あの人の話すことは、一から十まで非現実的だ。私はてんで信じていない。けれども私は、あの人の美しさだけは信じています。あんなにお優しく、水のように純粋な人はこの世に無い。私はあの美しさを純粋に愛している。ただ、それだけです。私は、何の報酬も考えていない。私はただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の奉仕をし、あの人の姿を眺めていられればそれでいいのだ。そうして、出来ればあの人に英雄を目指すことなどをよしてもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。ああぁ、そうなったのなら!私はどんなに仕合せだろう。あの人はどうして、私のこの無報酬の、純粋な愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。こうなってしまっては、もはやこれしか道は無い。

ああ、あの人を殺してください。私は、嫌われております。私はあの人と、その仲間達の戦い方の癖、弱点、それを補う戦術考案とその指揮の総てを引き受け、迷宮だけでなく街中でも仕掛けてくる悪意有る冒険者様の難癖など、日々の危険から目を光らせ、口を酸っぱくして救ってあげているのに、どうして、あんなに意地悪くなさるのでしょう。お聞き下さい。数日前のことでした。あの日、ダンジョンで人語を話す、怯えた目をした、そして絶望の入り混じった眼をしたボロボロの竜女(ウィーグル)を見つけた時のことです。その竜女(ウィーグル)をお救いになると決めたときのことです。今となってはもはやわからないことなのですが、その竜女(ウィーグル)は回復薬の使い方を本能的に知っていたのでしょう、あの方が私から回復薬を受け取る前に、あの人のレッグホルスターから、緊急の時のために用意していた高純度の高級回復薬を取り出し、半分ほど自分の体に染みこませ、その残りを口に含み、そこでようやく、あの竜女(ウィーグル)はあの人が連戦で傷を負っているということに気付いたのでしょうか、口に含んでいた薬をあの方に口移しで飲ませたのです。周りの方々はそのことに頭が追いつかないのか、楽しんでいるのか、そこまではわかり得ませんでしたが、赤面する者、揶揄する者など居る中、怪物と人間が交流し、あまつさえスキンシップをとっているという現実を前にして、また、あの人の隣に怪物なんぞが立っているの光景を前にして、その雰囲気はまことに異様な光景でしたので、私は何だか無性に恐ろしく、また腹立たしい気分になって、なんてことをしておられるのですか!と、怒鳴ってしまいました。すると、あの人は私の方を向いて、「この娘を怒っちゃ駄目だよ。確かに恥ずかしかったかもだけど、この娘も僕も怪我してたし、それにこの娘だって悪気はないんだし……ないよね?」と、そう言い結んではいましたが、あの後、あの人がいつの間にか眼の怯えがなくなったあの竜女(ウィーグル)と会話をしているとき、あの人の白い御顔は若干上気しておられました。私はあの人の言葉を信じません。その時は、私のサポーターとしての荷物整理の仕事があったので聞き流していましたが、それよりもその時、あの人の声、そしてチラリと見えたあの人のルベライトの瞳に、いままで私にすら向けられたことのない異様な物が感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人の幽かに赤らんだ頬と、うすく涙に潤んでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。あの瞳は、あの人が毎朝早朝の訓練をしているとき、もっといえば、剣姫と朝の密会をしていた時、剣を持った猛牛(ミノタウロス)に襲われた時にあの人のしていた、恋慕の眼ざしと同じようなものでした。ああ、忌まわしい。あんな怪物に恋、ではないが、まさか、そんなことは絶対にありえないのですが、もしかすると、それに似たような感情を抱いたのではないか?あの人とあろう者が。あんな薄汚い怪物なんかに、そよとでも特別な感情を抱いたとあらば、それは、まさしく怪物趣味(世界の敵)。なんたる失態。後戻りできぬ醜聞であります。

 私は、生まれつきから、他人の顔色を伺いながら生きてきた者であります。そのため人の感情の機敏を嗅ぎ取るのが巧みなのであります。あの人に救われてからというもの、そのような嗅覚は私の穢れた過去を象徴するような、あまりにも品のないものだと思っており、とても恥じているのですが、誰であろうとチラリと一目見ただけで、人の弱点を感じ取る鋭敏な才能を鍛え持っております。あの人が、たとえ微弱にでも、あの穢らわしい怪物女に特別な感情を動かしたというのは、やはり間違いではございません。私の嗅覚に狂いはないはずだ。まことにそうに違いない。あの人は私には何の優しい言葉も下さらず、かえってあんな薄汚い怪物なんかのことを、御頬を染めて護っておやりになられた。ああ、何と言うことだ。物語に描かれている英雄というものは、民に好かれ、悪を打ち倒し、ただ一人の、薄幸とは限りませんが、美姫と生涯を幸せに暮らす、というものが定番でありましょう。少なくとも私の知っている限りでは、そのように言い伝えられております。それなのに、もはや、あの人は万人に対する英雄はおろか、私にとっての英雄でさえ無くなってしまった。凡夫だ。それを理解したとき、私はあの人に、感じていた純真さは失われ、ついに憐憫の情しか思うことが出来なくなってしまいました。なんと哀れな。英雄の素質を持ちえたあの人は、もはやいなくなってしまったと思いました。こんな体たらくでは、もはや駄目だ。落ち目だ。そう思うようになって、私は、ふいと恐ろしいことを考えるようになりました。悪神に唆かされてしまったのかも知れません。

その時以来、そのような醜態をさらすあの人をいっそ私の手で殺してあげようと思いました。花は、しぼまぬ内こそ、花である。冒険者として生きるならば、いずれどこかで殺されるのだ。だが、あの人が見ず知らずの者の手で殺されることほど、私にとって辛い物は無い。それくらいの忠誠心は持ち合わせているのだ。いっそ、私の手で殺してあげよう。あの人を殺して私も死ぬ。あの人を、一番愛しているのは私だ。どのように恨まれてもいい。死後の審判で神々の玩具にされてもかまわない。とにかく早くあの人を殺してあげなくてはならない。あの人を殺して私も死ぬというこの辛い決心は、私の中で段々固まっていくだけでありました。

ヘスティア・ファミリアは民衆に疎まれ、もはや道ですら大手を振って歩くことも出来なくなり、路傍で井戸端会議をする者、遊んでいる子供にまで心無い蔑みと嘲りの視線をかけられておりました。最も、あの人とその仲間たちの中に、異端児(ゼノス)たちのために闘う意志を無くしてしまった者はおらず、物資資材を集めたり、何かに抗うように自己鍛錬に励んだりなどしておりましたが、皆の中に、もはや人々からの誹りを改善しつつ、異端児(ゼノス)を救う方法などあるのだろうかという、絶望にも似た疑問を浮かべているのを感じ取れました。

 しかしあの人だけは変わらず、団長として皆を鼓舞していたのですが、それ以来、迷宮内であの人が怪物と戦う時、特に亜人型の怪物と戦う時ですが、あの人の戦い方にどことなく迷いがあることを感じ取りました。その時はあの人の高い能力値でもって、強引に何とか乗り切っていたのですが、その後もそのような戦い方が続き、とても心配になりましたので、休憩を取った時にそれとなくあの人に聞いてみると、あの人が答えるには、「異端児(ゼノス)の皆さんと出会ってから、目の前の怪物がリドさんたちみたいに話し出すんじゃないかと思うと、一瞬ためらっちゃうんだ」ということだったので、それを聞いていた私以外の人たちは、「まぁ、ベルだったらあり得るかもな」と笑い飛ばしていたのですが、私はその言葉を聞いて、あまりの物言いに頭が真っ白になるような感覚を味わいました。あの人のやさしさを考えるときっとそう言うだろうというのは薄々予想はしておりましたが、いざそのように申されると、これまで私があの人に付き従っていた理由をすべてぶち壊しにされたような気分でした。なんて滑稽な言葉なのでしょうか。かつて、どこぞの旅行神(ヘルメス)が、あの人は英雄の器だと言っていたのを聞いたことがありますが、目の前のあの人の言葉を聞けば、そんなものはあり得ない、絵空事の話だと思わざるを得ませんでした。まさか。英雄が怪物との共存を望むとは。貴方は物語に出てくるような英雄になろうとして、民を襲う怪物を打ち倒し、万人を救う英雄になろうとしていたのではないのですか。と、私は憫笑してお尋ねしたいと思いました。それと同時に、これまであの人の思いに打たれ、あの人を愛し、あの人が英雄となるための道を陰から支えようとしていた私の滑稽さをも、笑うことが出来ました。

 我々のホームの周りを、怪しげな人影や使い魔が闊歩していることに、最近気がつきました。また、私が情報収集のために利用している酒場の人々の噂で、「あの人を監視し、何かあれば殺すように」と、ギルド上層部が一部のファミリアらに依頼しているのだと言うことも、昨日聞きました。もはや、猶予の時はない。あの人は、どうせ死ぬのだ。他の人の手で、あの人に引導を引き渡すくらいなら、私が、それを為そう。今日まで私があの人に捧げてきた、一途な愛の終わりを告げる鐘を、今、私が突くのだ。幸せを享受した灰被り姫(シンダーエラ)の、魔法を終わらせる鐘だ。私の義務です。後生に、私のこのひたむきな愛情は決して正当に理解されないでしょう。いえ、誰に理解されずともよいのです。私の愛は純粋の愛だ。混じりけの無いあの人の純粋さが誰にも理解されないように、私の愛もまた、他人に理解されるものではないのです。もし簡単に理解されるのなら、この世に文学はありえません。まして悲恋の話ならばなおさらです。私は永遠に、世の人々に、神々に誤解されたままになるでしょう。けれど、私はあの人のように、私の行き方を貫く。そう、決意しました。

飛び立つ矢の如く時は過ぎ去り、ついに今日の日を迎えました。その日の朝、ヘスティア様が皆に、これを決行する前に何やら話したいことがあるとお申しになり、私達はホームの食堂に集まり、この決行の前祝いとしてちょっとした宴会を行うことになりました。私たちが言われた時間に食堂に来た時、ヘスティア様とあの方はまだいらしておりませんでしたので、皆皆食卓について、雑談をしながらお二人を待っていました。しばらくしてあの方が、ヘスティア様はもうしばらくしてから来るから先に食べ始めていいということを皆に伝えになり、では、と食事を各々が始めようと席に着きました。しかし、あの方だけは椅子に座らず立ったまま、黙りこくっておりました。私たちは一体どうしたのだろうと不審に思い、しかし、下を向くあの方の暗い表情になんと声をかけていいのかわからず、唯一あの方のそのような機敏を満足に理解していなかったヴェルフ様は、あの方の肩を軽く叩き、「おい、ベル。いったいどうしたんだ?」と聞くと、あの方はその問いに答えず、そのままヴェルフ様の胸に頭を預けました。ヴェルフ様も、他の者たちも、あの方が何を思ってこのような行動を取ったのかわからず、オロオロとしていたのですが、私だけは、あの人がどのような思いでこのような行動に出ているのかを、薄々感づくことが出来ました。あぁ、あの人は不安なのだ。今まで善意に囲まれて暮らしてきたあの人にとって、同業者達からの悪意と誹りの視線はともかく、今までともに過ごしてきた町の人々や、あの剣姫から拒絶されたことがどれほど辛いのだろうか。また、これから行う自分のエゴで、目の前の仲間や街の人々がどれだけ傷つくのだろうか、という甚大なる不安に押しつぶされそうになっているのだ。と思いました。そのようなあの方を見ているうちに、私の眼から一筋の涙がこぼれ落ちそうになり、あぁ、あの方のなんと純粋に綺麗な事か。ということが頭から離れず、あの方と抱き合ってこのまま共に泣いてしまいたいような衝動に駆られました。ああ、そうであった。すっかり忘れてしまっていたのです。あなたは、私を救っていただいた時も、あの怪物を庇いなさったときでさえ、いつだってあなたは優しかった。強きを挫き、弱きを守るために剣を取る。貴方は、まさしく英雄です。違いない。あの神の眼に狂いはなかったのだ。お許しください。私は貴方の寝首を掻こうと、ここ数日、機会をうかがっていたのです。もう嫌だ。なんて愚かなことを考えてしまっていたのでしょう。ご安心ください。もし今、この本拠地がギルドの犬どもに襲撃されたとしても、貴方に触れさせることは決してしない。直ぐ、ここから逃げましょう。貴方は、今、付け狙われているのです。ヴェルフ様も、命様も、春姫様も。みんな一緒に。一人は皆のために、皆は一人のために。そう。そう。それだ。皆でわれらの慈悲深い神と団長を皆でお守りし、一生静かに、末永く暮らしていこう、という心の底からの愛の言葉が、口にはできませんでしたけれども、この小さな胸に沸き起こっておりました。やがてあの方は私とも厚い抱擁を交わしになり、私の背中に回ったあの方の腕がきつく締まり、ああ、その時の感触は!はい。私はあの時、天に召されて敬愛なる神に抱かれるのにも似た幸福を味わったのです。私の次には命様、その次には春姫様にも、同じように抱擁を成されたのですが、春姫様は極度のあがり症でありますので、あの方がほかの方々と、特に命様と抱擁を成されていた時、春姫様は絹のように白い顔を真っ赤に染め上げ、両手を目にやって覗き見るようにしてみていたのです。そしていざ、春姫様の順番になりあの方が近づくと、春姫様は詮方なくなったのでしょう、綺麗な尾をバタバタとさせながらあの方の胸をめがけて気絶してしまい、皆はそれを見て、慌てたり、からかったりと、これほど笑ったのはいつぶりだろうか。と、何だか部屋の中がいつもよりも明るくなった気がしました。

あの方が皆と抱擁を交わしたそのすぐ後、ヘスティア様が息せき切ったご様子で食堂に入ってきました。そうして我が主神は食堂で抱き合っていたあの方と春姫様を見て、「な、なんてことをしているんだいベル君!僕はそんな節操のない子に育てた覚えはないぞ!プンプン!」と、あざとく言いなさり、事の次第をお聞きになった後、「なんだ、そうだったのか。って、それは神である僕の仕事だと思うんだけどなぁ!」と、そしてその舌が乾かぬうちに「じゃあ、ベル君、僕とも抱き合おうぜ!」と申して抱擁を交わし、その後先ほどのあの方と同じように順に抱擁を交わしになりました。命様、春姫に様との抱擁を終え、遂に私の番となり、主神様との抱擁を交わしました。しかし、何故だかはわかりませんが、本物の女神様に抱擁されているのにも関わらず、何故だか先ほどあの方と抱擁を交わした時の、あの天にも昇るような感覚は得られないように思えました。それから抱擁を終えたヘスティア様は「待たせてしまって悪かったね。明日は皆が団結して異端児(ゼノス)クンのために自分の仕事をこなせれば上手くいくさ」と、さも意味深に発し、ご自身の少し遅い食事をゆっくりと取り始めました。我々は皆、明日のための最終準備として各自作業を開始しようとしたのですが、食堂を出ていこうとしたその瞬間、ヘスティア様があの人に、後から少し話があるという旨をお伝えになりました。それに対してあの人が何やら返事をなさっていましたが、その時私は、あの人のお声すらも聞く余裕すら失うほどの、背筋が凍る感覚を味わいました。油の切れた機械のように後ろを振り向くと、あの人と言葉を交わしているヘスティア様の両眼は、完全に私の背中を凝視しておりました。私は何やら居た堪れない形になり、少し買い物に行ってきます、と言ってその場を去るほかありませんでした。

やがて真夜中になりました。明日起こるであろう鉄火場にむけて興奮冷めやらぬ雰囲気の中、私は明日に備えて早く床に就こうと廊下を歩いておりました。そんな時、私は、いつもよりやや薄暗い、もっとも、神の恩恵を受けている身ならば十分明るいはずの廊下の先で、あの人が自室ではない部屋に入っていくのを見ました。初めは、明日の要であるあのお方がこんな時間まで起きているとは、と思いましたが、よくよく見返してみると、そこはヘスティア様のお部屋であり、そういえば、食堂であの人が呼ばれていたなと思い出し、ならば仕方あるまいと思いました。私は明日、皆を指揮する役割でありましたので、一刻も早くその場所を通り過ぎ、部屋に戻ろうとしましたが、ヘスティア様のお部屋の前を通ったその時、ふと、ヘスティア様が食堂でしていた、私を刺すようなあの視線を思い出してしまい、私の弱い心では、あの時のヘスティア様のご視線が頭から離れず、早く寝ること聞き耳を立てることも忘れて、どうしてもそのお部屋の前から足を動かすことが出来ませんでした。それから少し経ったくらいでしょうか、部屋の中からあの人が声を荒らげて何かを言うのが聞こえ、私はハッと正気に戻りました。それと同時に、私が今ここにいたことがバレてはいけない。一刻もここから離れなくては。と思い、あの方の鳴らす床の軋みを耳にしながら、できるだけ静かに廊下から去りましたが、なぜ温和なあの人があそこまでヘスティア様に声を上げたのかは、その夜、いくら考えてもわかりませんでした。

そして、とうとう夜が明けました。ヘスティア様と黒衣のローブを深く着こなした元賢者、そして私が最後の打ち合わせをするために少し早起きをして集まり、今回の作戦について確認をし、日の出とともに、いざ、迷宮都市すべてを巻き込んだこの作戦が決行されました。あの人や疾風(リオン)女豪傑(アンティアイラ)らが【ロキ・ファミリア】の幹部を攪乱・足止めし、ヴェルフ様の魔剣で有象無象の障害を突き倒し、私の魔法で指揮系統を混乱させ、戦況は、どちらかといえば我々の有利に傾いておりました。

そんな中で、私は剣姫の追跡を辛くも撒いたあの人と竜女(ウィーグル)のペアと合流しました。どうやら、格上との連戦の末に、通信機を用いて上手く迂回しながら、辛くもここにたどり着いたとのことで、立っているだけで精一杯なほどお疲れのようでしたので、私は、あの人と互いに抱き合うような形で肩を貸し、若干の役得を感じながら、【ロキ・ファミリア】の超凡夫(ハイ・ノービス)に伝えた内容と、事前にあの黒衣の賢者と打ち合わせをしていた通りの内容に、あの人の今の体力で踏破できるであろう迂回ルートを加えてお伝えになったのですが、それを聞いた途端、いえ、よくよく思い返せば作戦開始前からだったのでしょうか。あの人の凛々しいルベライトの瞳がキッと私を刺すように貫きました。

「……リリは僕たちの味方(背教者)……だよね」。

その言葉の裏に隠された意味を理解するのに、数秒の時間を要しました。そしてその後、ハッと思ったのです。昨日の夜の話は、それだったのだ!ヘスティア様は、少し前までの私の暗い気持ちに気づいていたのだ。私があの人を害そうという黒い気持ちを、見抜いていたのだ。けれども、今は違います。私は昨日、清くなったのだ!私は、清くなったのです。私の心には、もはや一片の曇りなどないのです。あぁ、ヘスティア様も、ましてやあの人も、それを知らない。知らない。知らない。私は清くなったのだ。あの頃とは違う。【ソーマ・ファミリア】に居た時とは違う。【ソーマ・ファミリア】の極悪非道な冒険者らとは違う。清いのだ。清い。清い。あぁ、私は違います!喉まで出かかった言葉は、あの人が私の体から離れる反作用のように、倒れていく私の体と共に、また、喉の奥へと戻っていきました。あの人にそう言われれば、次代の英雄と神の観察眼をもってすれば、所詮自分の本性はそうだったのかもしれないと気弱く肯定する弱い私の考えが頭に浮かび、その姿を見たあの人がとても悲しげにこちらを一瞥したと思うと、行こう。と隣の竜女(ウィーグル)に一声かけて、私に背を向けて歩いていきました。

それを見ても私は、あの人に嫌われたせいで、その場から一歩も動けずにいました。もう二度とあの人の隣にいることは許されない。あの人と歩み続けることは許されない。もはやどうしようもない。と思い、透明になる魔道具を使ったのでしょう。あの人がいつの間にか視界から消えていくのを眺めることしか出来ませんでした。

そうして少し経ったくらいでしょうか、怪物どもの咆哮と誰かが魔法を放った音が若干遠ざかった時、透明になる魔道具を纏ったヘスティア様が、左手に何やら地図のような皮用紙を持って、たった一人で私の前に忽然と現れました。ヘスティア様は神意を以て何やら、問い詰めるように私に話しかけているようでしたが、もはや私には何も答える気にはならず、ただ下を向いて、朽ちていく枯木のようにへたり込んでおりました。ヘスティア様はしばらく何かを語っておりましたが、私になんの反応も見られないことに苛立ったのか、私の頬に向けて一発、張り手を打ちました。普段ならば、一般人と同等の力しか持ちえない神の平手などは蚊に刺された程度の者ですが、今回は、神の恩恵を受けているはずのこの身へ強い衝撃を感じ、ハッと顔を上げ、眼下の小さな神に視線を向けると、あの時の、昨日の食堂で私を見据えていた時と同じ、凍てついた瞳が、私をしっかりと射抜いておりました。

その凍るような瞳を見ていると、何故だか、私の中に言いようのないどす黒い感情が急速に沸き起こってきました。目の前の幼神が「ほら、やっぱりな。」と口にした瞬間、私はふと、あの人が私にかけてくれた言葉と、ヘスティア様の呟く声とが、私の頭の中でぐるぐると反芻しだし、それと共に、出所のわからない活力が体の中にみなぎってきたというのを感じました。そして私は、この黒い感情に身を任せ、これまで出したことのない力で目の前の神を突き飛ばし、持っていた地図を奪い、薄暗い裏路地を走りに走り、只今ここに、訴え出たという所存です。私の話はこれでおしまいです。さあ。今すぐ出陣してください。出陣して、あの人を殺してください。そうして、人類の敵として晒してください。あの人は今、鈍足の竜女(ウィーグル)と共にあそこの路地を走っております。彼らが掴んでいた地図はおそらく偽の地図です。あの旅行神(ヘルメス)の飄々とした性格と、これまでのあなた方の配置から推測すると、奴らは袋小路に居るでしょう。今、怪物どもは袋の鼠です。今ならば、難なく怪物どもを根絶やしにできます。その代わり、出来ればで構いません。一つお願いをお聞きください。あの竜女(ウィーグル)は最優先で、あの人の目の前で殺してください。あの怪物を、薄汚い灰に戻してやってください。どうしても私は、あの竜女(ウィーグル)だけは許すことが出来ないのです。あの竜女(ウィーグル)が、あんな怪物があの人の隣にいることだけは、絶対に許せないのです。英雄と謳われたお方の隣に、賤しい怪物がいることだけは、絶対に許せないのです。これは嫉妬かと問われれば、私は否定できないでしょう。ですが、一時は私の英雄であった人物が、そのような終わり方をして後世に言い伝えられるのだけは、どうしても許せないのです。きっと、私はまだ、あの人を愛しているのでしょう。はははははは。あの人に命も魂も救われ、あの人の傍を金魚の糞のようについて回って、そのお零れをもらいながら今まで生きていたくせに、土壇場であの人を裏切って。いつのまにかあの唾棄すべき【ソーマ・ファミリア】(下種の極み)の連中と同じ犬畜生に成り下がって!なんて清々しいのだ。私をキラーアントの群れに放り投げたあの連中(冒険者)もきっとこんな気分だったのでしょう!この私が、才能の無いこの私が、英雄たるあの人を射殺そうとしている!お見届け下さい。私があの人と同じ土俵に立っているこの姿を!この賤しい私が!……私は、泣いてなどいません。仮に泣いていたとしても、これは嬉し涙でございます。私とあの人が、初めて対等になれたことへの涙でございます。何が英雄の器だ。ざまあみろ。私の勝ちだ!……はい。申し訳ありません、少しばかり昂ってしまいました。それと、訂正をお願いします。私は元々、あの人を愛しておりません。私はこの通り、嘘つきの賤しい盗賊でございますので、私の言葉は決して信用しないで下さい。あの人についていたのは、単に、いかにも田舎者臭漂うあの人から、身ぐるみを剥いで打ち捨てようと思い近づいただけなのです。しかし以外にも隙を見せてくれませんでしたので、厄介ごとに巻き込まれる前に清算してしまおうと、今回こうして訴え出たのです。そうでした。決して、あの人の仲間などではありません。はい。おお、神ロキ様。ご機嫌麗しゅうございます。随分と遅いご登場で。ええ。私は嘘など申し上げておりませんよ。……ああ、申し遅れました。申し訳ございません。私は元【ソーマ・ファミリア】所属。現在【無所属】(フリー)のサポーター、『リリルカ=アーデ』で御座います。




(二〇一九年一一月二八日、太宰治「駆け込み訴え」より)
(二〇二一年一二月一〇日 展開修正)
(二〇二二年六月六日 細部微修正) 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。