偽りの強打
『あの人が来てる、どうやら間違いはねえみたいだ』
果たして、自分の中でどれだけの時間が経っていたのだろうか。
『本当にいいのですか?貴方には医者と言う仕事があるはず』
『いいんです、先生との約束を僕は果たしたいだけですから』
『先生は貴方ですよ?中野君。何かあったときは頼みますよ』
『初めまして、今日からキミ達の親になる』
僕が中野という姓を覚悟して受け入れたときのことを思い出す。
病院で中野先生と会話したとき。あの子達と初めて面識したときのことも……。
その目をしっかりとこの記憶にある。中野先生だけを親として見ていた目。
当然のはず。あの子達は存在を知らなかった。
知る必要はなかったことだった。あの男は実の手でありながらも、父親として逃げ出した。
上杉君やあの子達に比べれば、僕も微々たるものでしかないだろう。だが、それはあまりにも暴挙。自分がしたことを棚に上げて、こうして戻って来たのであれば、気まぐれなどではない。
このタイミングで来た謎も頷ける。
「恐らくは、一花君が女優として仕事をしていることが、きっかけ……」
私としても、一花君がそのことを知るようになったのは、つい最近。
テレビで彼女の姿を見て実際に女優をやっていることを確かめることはできた。あの男の視界に入るということも増える可能性は確実に高い。
「中野先生……」
机の中に潜ませていた。
たった一枚の写真。高校時代の写真。
そこに載せられているものは中野先生の教師時代を彩るもの……。この裏でもしかしたら、影が潜んでいたと考えるならば、僕も取り除かなくてはならないものだ。
「院長、こちらの資料に確認を──」
「ああ、すまないね……」
扉が開く音がしていた、資料が目の前に置かれてある。
僕には僕のやるべきこともある。時計の針を見れば、学園祭の初日はもう終わりを告げようとしている。
動くならば、明日からだろう……。
僕は僕の役目を果たす為に……。
◆◆◆◆◆◆
学園祭、二日目……。
みんな一日目よりも慣れてる。
「今日も頑張らなくちゃ……!」
気合は十分。
今日の仕事もしっかりと頭に叩き込んでることだし……。
学級委員の一人としてやれることを全力でやらなくちゃ……。
「あまり気負い過ぎちゃダメだよ、四葉」
後ろから声がする……。
最近聞いたばかりなのに、何処か遠い昔のように……。
「一花……」
硬そうな校門の前にいる。
声を掛けてくれてる……。
『私はちゃんと好きって言えたから』
『四葉として……!』
一花の声と同時に、自分の中で昨日の記憶が浮かび上がってしまう。
「昨日ぶりなのに、久しぶりって感じだね」
「そう……だね」
辛かったから、忘れようとなんてしてたんじゃないよ。
少なくとも、私は口にしたかった。口にしたかったのに、出せなかった。
自分が一番分かってるから。
『私を妹だと、過去の私を認めてくれて……』
三玖に正直な気持ちを打ち明けたとき。
抑え切れなくて気持ちを涙に変えてしまったこと。
「これが武者震いなんだよね、風太郎……」
前に教えてくれた。
震えるのは、ビビってるからだって。テストで不安になるのは、怖がってるからだって。あれは、勉強のために教えてくれたこと。あれと、近い形で出てるんだ……。
「一花、やったことに意味があるよなんて、自己肯定したら多分自分に嘘をつくことになる。あのとき、泣きそうだったのは本当のことだよ。私が風太郎に振られて、悲しかったことも消えない」
「証拠に私は自分の感情を整理できないでいるから、一花と向き合うことも怖いよ?怖いけど、私は一花に……」
「恨みはないよ」
「私はやれることをやりきったから」
口から流したものは消えることはないよ。
姉妹よりも優れたとか、誰かにとっての助けになってる自分が正しいと信じてた私が消えるわけじゃない。選ばれなかった私が消えるわけじゃない。
「四葉、ありがとう」
握った感覚がある。
自分の指先だと気づくのにはそう時間はかからなかったから。
確かめたかったんだ、自分の感覚が何処にあるのかを……。
「うん、一花こそ最後まで戦ってくれてありがとう」
自分がここにいること。
現実だってことを……。なによりも……。
『嘘をつきたくないんです、自分のことで』
自分で選んだことも……。
自分でしたことも消えてくれないからこそ……。
今の自分が好きなんだ。
一花──。
◆◆◆◆◆◆
四葉の去って行く姿が見える。
「風太郎、今日はよろしくね!」
「あ、ああ……そ、そうだな。ところで四葉、さっきの武者震いだが使い方間違ってるぞ」
「え!?そ、そうなんですか!!?」
フータロー君はぎこちなさが消えてないのに、いつも通りみたいだった。
ぎこちないのは当然だよね、昨日の今日だし同じ学級委員長ならどうしても顔を合わせる必要がある。
なのに、四葉は全く気にしてない。
壁の近くで二人の背中を見つめてる、私としては……。
「変な気分って奴でしょ?一花」
「二乃……待ってくれたんだね。急に話しかけて来るのは怖いけど」
校門のところで私の方を確認していたのを知っていた。
背中を押したのは自分だと認識してるのか、それとも情けない姿を見に来たのか……。多分、後者だろうけど。
「急にって……アンタが出たゾンビ映画でもないんだし、そんなわけないでしょ」
「見てくれたんだ?あれ」
「暇だったから、サブスクで見ただけよ。見てくれだけじゃないあの映画、アンタの姿と一緒ね」
「結構言うね、二乃は……」
二乃は「分かるでしょ」なんて視線を向けてるだけだった。
私が頑張ってたのだけは認めてあげるみたいな感じだった……。
「アンタはあれでいいの?委員会だからって自分の彼氏が他の女といるの嫌じゃないの?私だったら嫌よ」
「それはソラ君が誰かに取られるのがってことかな?」
「うるさいわね、アンタはどうなのよ?」
自分だったらどうか……。
去って行くフータロー君の名残を感じ取る……。
「答えるまでもないよ、私も嫌かな」
私だけを選んでくれた。
好きだと教えてくれた。二人だけで学園祭を楽しんだ時間があるからこそ……。
私はフータロー君の浮気を簡単に目を瞑るのは難しいよ。
「っそ、ガキ大将だった頃のアンタと変わらないわね」
フータロー君が姉妹の誰かだろうと。
知ってる人であろうと、知らない人であろうと他の女の子といるところなんて見たいわけがないよ。
「ううん、フータロー君が私の彼氏だからこそだよ。二乃だって、嫌なんでしょ?」
「ええ、嫌よ?昔の幼馴染だとか理由を付けられても、私は嫌なものは嫌よ。あいつそういうところはちゃんと伝えて来るくせに……」
「へぇ、ソラ君に幼馴染か。ライバル登場だね、二乃」
「……そんなんじゃないわよ」
ご立腹の様子でもない。
二乃の場合、ソラ君をちゃんと受け入れてる。私も、私もフータロー君の彼女として自分のしたいことを……。
『フータロー君もやっぱり年頃の男の子なんだねー』
いや、違うよね私……。
私も少なくとも、上杉風太郎に対して。
『刺されたら困るもんね、フータロー君も』
許せてるところもある。
二乃と違う理由でも……。
◆◆◆◆◆◆
「ごめんね空、彼女いるのに」
「いや、あいつにはちゃんと話してあるから大丈夫だ。ありがとうな、昨日は……」
「よかった……」
息のように私の声が消えて行く……。
昨日、空と二乃の間で溝が出来ていたみたいだったから。私はそんなことか、と笑ってたけど。不安だったから、自分のときみたいになるのが……。
「二日も居てよかったのか?こっちに」
「うん、家族には連絡してるし空には話しておきたいことがあるから」
初日のときには、言えなかった。
そんなタイミングじゃなかったし、二乃のことをあのときは優先するべきだったから。
「それでどうしたんだ?」
「うん、実はね」
学校の校門近くからは楽しそうな声がする。
私達がいる外廊下の方はほとんど人の声が聞こえてこない。
「えっと……そのね」
こういう場所だからこそ全部を語れる。
自分の覚悟を過信し過ぎた。此処に来れば、全部を吐き出せる。同時に、空を傷つけるかもしれない。あのときのことで”また”。
「ゆっくりでいいぞ」
胸に手を置いて、喋ろうとするのがやっと。
頷くことしかできない。きっと、空は待ってくれてる。
時間の流れだけが進んで行く、風が靡いていく……。
思えば、私は空を傷つけてからずっと時間を無駄にしてきた。
空から会いに来てくれなければ、何も語ることはなかった。あのときだって、そう。今だってそう。もう、あのときの気持ちをずっと抱えたくない。
そのために私はここにきたんだ。
だったら、迷ってるわけにはいかない。
「空、実はねあの人が──「いやぁ、久しぶりだね」」
喉元から出そうになっていたものが一気に引っこ抜かれる。
聞いちゃいけない声。入れちゃいけないもの。そんなものが耳を通過して行く……。
ああ、来たんだ。あの人が……。恐れていた事態が起きてしまう。
「優莉ちゃん、それに……脇城君」
「特に脇城君、脇城先生はご健在かな?」
軽いノリを体現したかのような言葉遣い。
不快を通り越して、優しく語りかけて来た、相談に乗ってくれたものが全部嘘だったと知ってるからこそ……。そして、零奈という教師がどのような結末を迎えたのか?ということも、私は噂で知っていた。
「あーその反応、脇城君は覚えて無さそうだね。無理もない、僕がキミと関わっていたのはたった一年。こうして、また青春をエンジョイしてくれてるのは嬉しい限りだよ」
白々しいことを喋らないで。
やめて、空に言葉の手品を見せないで。
「私はキミに謝らなくてはならない」
「謝る?」
「私はキミが高校一年生の頃、教師として着任していたが「空聴かないで!!行こう!!」」
「お、おい!!待てよ、まだ無堂先生から何も……!」
「聞かなくていいから!!」
ダメだ、これ以上聴かせたら空の中にノイズが走ることになる。
空の手を無理矢理握って、私がその場から走り去ろうとしたときだった。
何かに強く当たった音がしていた。地面に何かがぶつかった音……。
「謝っても謝っても許されることではない……!私は二人の件で、間接的に加害者になってしまった!」
「なによりも、私は五月ちゃん達の本当の親でありながらも偽物の親と比べても罪深いことをしてしまった。ああ、なんたることだろう!キミに分不相応の役目を与え、トラウマを刺激してしまったことだろう!なんとお詫びしたらいいことだろうか!!?」
「本当に申し訳なかった……!!」
何処にも嘘はない。
"嘘"はない。空虚なものじゃない。傷までつけてるからこそ、迫真なんだ。
空も足を止めてしまうほど。終わった、全部が終わった。
「一つ聞いてもいいですか?貴方があいつらの親だってなら貴方はそのとき何をしてたんですか?」
「逃げたよ、私は親としての責務を──「ふざけんな!」」
「このクソ野郎!!」
もう時計の針は止まってしまう。
目を瞑ることしか出来ないまま、祈ることしかできなくても私は空の手を握って走り出すことしかできなかった……。
「おい、離せ優莉!なんでお前止めた!!」
景色が変わっていく、視線を感じる。当たり前だよ、走ってるんだから。
「待って!整理してるから!」
「なにをだ!?」
「全部だよ!!」
あの場に留まり続けたら、まずかった。
きっと空は殴ってたから……。