「ごめん、待ったかな」
スカートが揺れる。羽沢つぐみはこちらに駆け寄ってきた。走ってきたせいか、彼女の顔には汗が薄っすらと張り付く。
「ちょうど今来たところだからそんなに待ってないぞ」
俺は答えつつ、もたれていた学校の門から身体を起こした。
「本当に?」
「本当本当」
実際は30分ぐらい待ったのだが、そんな細かいことは言う必要ない。大したことではない。
「むぅ……」
しかし俺の言うことなど信じていないのか、疑いの目でこちらを見る。
正直言って可愛い。疑ってる表情すら可愛い。天使。ずっと見ていたい。
とはいえずっとここに居るわけにもいかない。身体は冷えるし、何よりイチャイチャできない。
「ともかく行こうぜ」
「誤魔化した」
ありがとう、と小さな声が聞こえたような気がしたが気のせいだ。
土曜の昼。休みの日ということもあって校舎はどうも活気がないように見える。そんな校舎を後にして歩き出した。
「お疲れ。大変だな休日まで学校なんて」
つぐみは生徒会の用事で学校に来ていた。俺はそんな彼女を迎えに来ていた。目的地は俺の家。いわゆるおうちデートってやつだ。
「ううん、そんなことないよ」
つぐみは控えめに否定した。すっごくやりがいがあるよ、なんて楽しげに語る。
ちょっと心配ではある。つぐみは頑張っちゃう子だから。だけどつぐみの楽しげな表情を見たら、止めろだなんて言えない。
「……ま、無理はするなよ」
俺はそう言うに留めた。
「もうっ、大丈夫だよ」
心配しすぎだよ、なんてつぐみは言うけどどうしても心配してしまう。ただあんまり心配しすぎもよくない。だからとりあえずは彼女を信じることにして、やばそうなら助けよう。
そんな決意を密かにして、話を変えることにした。
「そういえば、みんなで買い物に行ったって言ってたけど何か買ったのか?」
みんなっていうのはつぐみの幼馴染であるAfterglowの面々のことだ。そのみんなで前の休みにショッピングに行くっていうのは聞いていた。しかし、何を見たのか、そして買ったのか、その内容については何も聞いてなかった。
「え゛っ……そ、それは……ええっと……そのぉ……」
なんだか言いにくそうに口ごもるつぐみ。一体どんなショッピングだったんだ。
「聞いちゃダメだったか?」
「…………ダ、ダメっ」
つぐみは恥ずかしそうに頬を紅潮させ、問いかけに強く拒絶した。……本当にどんなショッピングだったの。
「なんでだよ?」
「……えっと……その……うぅ……い、言えないよぉっ!」
恥ずかしさが限界まで達したのか、あまり迫力のない罵倒を俺に浴びせ、つぐみは逃げるように駆け出した。
……そんなに恥ずかしがるようなものを見てきたのか。
「あっ、おい、つぐみ!」
俺はそんなつぐみを慌てて追いかけた。相手は女の子。運動能力は俺に分がある。徐々に距離を縮めて、もうあと少しというところまで近づいた。
そんな時、突然強い風が俺たちを襲う。あまりの強さに俺たちは足を止めてしまう。
「きゃっ!?」
つぐみが驚きのあまり短い悲鳴を上げる。そしてそれは起きた。
つぐみの制服のスカートが強風に煽られ、ふわっと宙に舞う。隠されていた三角地帯が一瞬だけ露わになる。ラッキースケベというやつだ。
多分、黒。本当に一瞬だけの光景にまず思ったのがそれだった。多分とつけたのは見えた布の面積があまりにも小さかったからだ。ノーパンと見間違えてしまいそうなほどに。
つぐみの下着は大事な部分は隠れていたが、それ以外は丸見えだった。彼女の小ぶりで張りのある柔らかそうな臀部――つまりお尻もしっかり見えた。これはいわゆるTバックというものではないだろうか。
つぐみはお尻に手を当てて、スカートを抑えようとしたが、既に時遅し。
「…………」
「…………」
つぐみは再び走り出すことはなく、顔を俯かせ立ち尽くす。俺もそんなつぐみに近づくことができず立ち尽くす。
二人の間を沈黙が支配する。何を話したらいいかわからない。
「…………見た?」
沈黙を破ったのはつぐみの言葉。その言葉はいつものつぐみを装っているように聞こえて、肝が冷える。
俺からはつぐみの顔は見ることができない。だからどんな表情をしているかわからない。そのことが余計に恐ろしい。
返答次第では俺は死ぬんじゃないだろうか。どう答えるべきなんだ。
「見てない見てない」
俺は嘘をつくことにした。仕方ないんだ。正直に答えたらどうなるかわかったもんじゃない。
「本当?」
「ほんとほんと。あの風のせいで目にゴミが入っちゃって目瞑ってた」
「そっかぁ……はぁー、よかった」
つぐみは振り向いて、安堵した顔を見せた。その顔を見てこっちまで安堵した。
咄嗟の判断だったがこれで正解みたいだ。あとはボロを出さないように気をつけないと。
「……帰ろっか」
「……だな」
俺たちはさっきと同じように並んで歩く出した。
どんなショッピングをしたのかはうやむやになった。だがそれでいいと思う。突いたら蛇が出そうだ。
「強い風だったね」
「だな。またスカートが捲れないように早く帰るか」
「……えっち」
俺が茶化していうと彼女は少し拗ねた顔でそう呟いた。可愛すぎかよ。
つぐみの可愛さに俺は気が緩んでしまう。
「それはエロい下着履いてるつぐみの方……あ」
そのせいでうっかり口を滑らせてしまった。せっかく誤魔化したのに、僅か1、2分寿命が延びただけになってしまった。
というか、すぐさまボロを出す俺はなんなの。アホなの。馬鹿なの。いやつぐみが可愛すぎて和んでしまったからつぐみが悪い(責任転嫁)。
そんなどうしようもないことを俺が考えている間、つぐみの顔はすぐさま真っ赤に染まる。口をぱくぱくと開いては閉じるを繰り返していた。悲鳴を上げてもおかしくなさそうだ。
そんなつぐみに対して俺がやることは一つ。
「すみませんでしたっ!」
誠心誠意を込めた土下座だけである。もちろん頭は地面に擦りつけて。
「…………見たんだ」
つぐみの声は落ち着いているように聞こえた。コンクリートに額をくっつけているからつぐみがどんな顔してるかはわからないけど。
「はい、すみません」
「……とりあえず、土下座止めてほしいな」
「はい」
俺は言われたとおり土下座を止め、立ち上がる。真っ赤な顔したつぐみはプルプル震えていた。爆発しそうなのを堪えているように見えた。
「……聞いてもいいかな?」
「なんでしょうか」
聞きにくそうに話を切り出してきたつぐみに俺は不安になりながら答える。
「その、どうだった?」
「どう、とは?」
「…………私の、下着?」
「はぁっ!?」
言ってることがよくわからない。理解が追いつかない。なんて言った。つぐみの下着――黒Tバックについての感想を求められているのか。
「……興奮、した?」
つぐみの追撃。具体的になった問いかけに対し答えに窮する俺。
「……えーっと、その…………はい、興奮しました」
躊躇った末に結局つぐみの問いかけに俺は素直に答えてしまった。だって仕方ないじゃないか。興奮したんだから。
つぐみがあんな扇情的な下着を履いてる。それを目撃して興奮せずにいられるか? 答えは否である。
「あぅ」
つぐみは恥ずかしそうに呻き声を上げた。心なしか湯気がつぐみの頭から出てるような気がする。
「本当にごめんなさい」
男の子の本音を包み隠さずぶつけちゃって本当すみません。俺は頭を垂れる。
「……顔を上げてよ」
「うん」
恐る恐る顔を上げる。羞恥で真っ赤なのは相変わらずだが、想像とは違い、つぐみの顔に怒りはなかった。
「……許して、あげます」
「ほっ」
「あなたのせいじゃないもんね……。えっちな風だなぁ、もうっ」
無事お許しを頂けた。一安心して思わず息が零れる。
安心するとある疑問が湧いてくる。つぐみが何故あんな過激な下着を履いていたのか。そもそも何故あんな過激な下着を持っていたのか。
「……なんであんな下着を着てたんだ?」
俺はちょっと躊躇いがちに尋ねてみた。
「それは……」
「いや言いたくなかったら言わなくていいから。ああいう下着が趣味でも引かないから」
むしろご褒美です。
「ち、違うのっ!」
つぐみにしては大きな声で否定した。そして下着を買った理由を、履いている理由を語り始めた。
「えっと、これはね、この前みんなで買い物に行ったときに『男の人はこういう下着が好きだ、これを着て迫ればメロメロ』ってみんなに押されちゃって……」
「それってさっき言ってたショッピングのこと?」
「……うん」
なんと、謎が一つ解けてしまった。そりゃ言いたがらないはずだ。Tバック(黒)を見に行ったよ、なんて異性には言いにくいだろう。
「そ、それで今日会うって約束して、す、すごい恥ずかしいけど、あなたともっと深い仲になりたかったから……っ」
『深い仲』という言葉を聴いて、身体が熱くなる。きっと今の俺の顔はつぐみと同じ色をしているに違いない。
「きょ今日だけだからっ。い、いつもこんな下着じゃないからっ」
「わかってるわかってるから」
「本当はあなたにだけ、あなたの部屋だけで見せるつもりだったのっ。今日はお休みだから他の誰かに見られることないって思ってたのっ。こんな強い風が吹くとは思わなかったのっ!」
近い。つぐみの顔が迫ってくる。彼女は俺に弁解することに夢中でそのことに気付いていない。
そもそも発言内容が過激すぎることにも気付いていなさそうだ。聞いているこっちまで恥ずかしくなる。耳を塞ぎたいし、つぐみから顔を逸らしたい。顔が熱くて仕方ない。
「だからね、だからねっ……私はえっちな子じゃないからっ!」
言いたいことを言いきったのか、つぐみは肩を上下に動かし呼吸を整える。
「……落ち着いた?」
肩の動きが収まったのを見計らって俺は声をかけた。
「うん……ごめんね」
「うんまあ、それはいいんだけど……少し離れてもらっていいか?」
ほんの少し顔を前に動かせば、彼女にキスできる距離。さっきから心臓がうるさい。
「あっ、ごめんっ!」
言われて気付いたのか、つぐみは慌てて後ろに身を引いた。
「あぅ……」
顔を真っ赤にしているつぐみ。おそらく恥ずかしさでいっぱいなんだろう。きっと俺と同じで。
「……帰るか」
「……うん」
気まずい空気を変えようと俺がした提案につぐみも乗ってくれた。
二人並んで歩き出す。つぐみとの距離は拳一個分ぐらい。すぐに触れることのできる距離。
直接触れ合っているわけでもないのに身体が熱い。もっと熱くなるのがわかっていながらつぐみに触れたいと思ってしまう。
「……ねぇ、今日泊まってもいいかな?」
「俺は大歓迎だけど……両親は許してくれるのか」
「あはは、大丈夫だと思うよ」
あなたのことはお父さんもお母さんも気に入ってるしね、とつぐみは言った。今度羽沢珈琲店に行くのが怖くなる。色々な意味で大変なことになりそうだ。
「あ……」
「どうしたの?」
一つ言わなくてはいけない大事なことを思い出した。
「……今日さ、家に親がいないんだ」
「え……」
「仕事が忙しくて帰って来れないんだって」
「……じゃあ、二人っきりなんだね」
「まあ」
少し震えたつぐみの言葉に相槌を打つことしかできない。その言葉はそれぐらい刺激的だった。
そう、二人っきりなんだ。こういう関係になってハジメテの。それに加えて今のつぐみはある意味核兵器みたいなものを着ている。
そう考えるだけで心拍数が高くなった気がする。
二人の手が宙を彷徨って、時折お互いの手の甲が触れ合う。そんなことを何回も繰り返して、どちらともなく手を握り締める。指を絡め握り合う、恋人つなぎだ。
小さくて柔らかい、自分とは違う女の子の手。触れてるだけでどこか落ち着かない。だけどどこか落ち着くような温かさも感じる。
つぐみの顔も赤い。恥ずかしそうな顔。今日何度も見た、そして今日これから何度も見るであろう、表情。
「楽しみだなぁ」
彼女がぽつりと呟いたその言葉に握り締める手の力を少し強くすることで同意した。