幻想々話 - 雪月花 魂の行方 作:荒木田久仁緒
鳥居のわきで、二人の女が、
一人は着物に丸眼鏡の若い女。もう一人は黒いワンピースの、むしろ少女と呼べる年頃の娘。
境内のすみに並んでいる、幾本かの山桜が、弥生の空に咲き誇っていた。
「ほれ、次がくるぞい、ぬえ」
拝殿のほうから歩いてくる人影を目にした眼鏡の女が、そう黒服の娘に声をかける。
「わかってるって」
ぬえ、と呼ばれた娘は小声で返事をすると、二人のそばを通り過ぎて鳥居をくぐろうとしている人影──先ほど霊夢にチラシを落とされた女の背中に、得体の知れない何かを投げつけた。
すると、投げつけられた女の姿も、得体の知れない何かへと変わり、しかし当人はそれに気づきもせず、人里へと向かう石段を降りていく。
正体不明の種。
人でも物でも、仕込まれたものの姿を、なにやらよくわからないものへと変え、その正体を包み隠す力。
それが、
「よし、よし。まだしばらくは、バレなさそうじゃのう」
そう言って
幻想郷一円の化け狸を束ねる頭領、二ッ岩マミゾウ。木の葉のチラシを用意したのは、彼女であった。
「へへへ。やっぱり、こういう
にかりと笑って、ぬえは団子をひとつ頬張る。
「あ、これイケるね……人里で作ってるやつじゃないな、
「うむ、このあいだ里帰りしたついでの土産じゃよ」
マミゾウも同じ団子をつまみ、口に放りこんで顔をほころばせた。
「あー、それにしても……やっぱりこの季節はいいねぇ。
暖かい日差し、爽やかな風、咲き乱れる桜。
平安の都のころから……何も変わらない」
まだ、世界が混沌に満ち、人以外の多くのモノが未知の
それを知り、今もその力を宿す小さな大妖怪は、目を閉じ、木に背中を預けて、その遠い風景を思い出しているようだった。
「
「それ唐のオッサンの詩? けど、いかにも人間の詠む歌って感じ。私たちから見れば、人間だって大して変わりゃしないのにね」
「いかにも。とはいえ、花の色が少しずつ移ろうように、人も少しずつ変わるがな。じゃから儂らは……今、
言って、くいと
そんな彼女もまた、ぬえと同じ混沌の系譜に連なり、他の多くのケモノがただの動物となった後でも、なお奇怪なモノで在り続けた者の一人であった。
「あー、やなこと言うなぁ。まあ私たちは、まだ結構
「はは、やめとけ、やめとけ。いまさら人間に、喧嘩を売ったところで……」
「そぉぉぉおぉぉぉねぇぇぇ。神社に喧嘩を売るのも、なかなかいい度胸だけどねぇぇぇ」
響いた声に、ぬえはぴゃっと奇声を発して飛び上がると、一目散に姿を消した。
一方のマミゾウは、悠然と振り向いて、
「おや、霊夢。どうじゃな、お前さんも一杯」
「おや、じゃないでしょ! やっぱりあんたらか! わけわかんないデマ飛ばさないでよ!」
バシバシと、お祓い棒でマミゾウの頭をはたく。
「あ痛っ! 痛い痛い、わかった、わかったからやめい!
……まったく、ちょっとした冗談じゃろうに、心が狭いのう……」
「冗談だろうがなんだろうが、怪異は怪異! 余計な手間かけさせんな!」
「しかし、おかげで幾らか賽銭も入ったじゃろう?」
「う……そりゃ、まあ……。
でも、際限なく続くのは困るの! 今すぐやめさせなさい!」
「安心せい、もう新しいのは撒いとらん。
じゃが、すでに撒いたのが多分まだまだ……痛っ!」
再三、マミゾウを引っ叩いた霊夢の背後から、
「あのー、代替わりの儀って、どこで……」
「てぇーい!!」
声をかけた若い男が手にしたチラシを、振り向きざまに張り飛ばす。
「うわっ!?」
「そいつはデマ! 代替わりなんかしないから! 宴も祭りも屋台もナシ!」
噛みつくように叫びちらしてから、ずんずんと鳥居のほうへ歩いてゆく。
「おや、どこへ行くんじゃ?」
「まだ来るんでしょ!?
こっちから里へ向かって、道すがら追い返すの!
ついでにデマだってキッパリ宣言してくる!」
お祓い棒をぶんぶん振りながら、霊夢は早足で石段を下りていった。
「やれやれ、相変わらず
杯に口をつけなおしたマミゾウの視線が、すいと横へ流れる。
視線の先には、人影がひとつ。
つい今しがた、霊夢にチラシをはたき落とされた、若い男が。
突っ立ったまま、じっとマミゾウを見ていた。
「……なんじゃ、儂に何か用かの?」
「あ、いや、その……」
不意に、空を流れていた雲が切れ、さあと
陽光が二人の姿を輝かせ、くっきりとした影がふたつ、他に誰もいない境内に落ちる。
「……ちょっと、お願いが」
男の声が、静かに響く。
頭上を覆うのは、一面の花の雲。
あたりを包むのは、暖かい春の風。
ざわざわと枝を揺らす、満開の桜の下で────
「────を、教えてくれませんか」
そう唇が動き、その言葉が、マミゾウの耳に届いた。
そして。
「……は? 酔っとるのか? おぬし」
数秒の
「え? いえ、
「ふぅん……」
男を横目で見ながら、くいと杯をあおり、
「……つまり、儂を口説いとるんじゃな? それは」
半眼で、にやりと笑う。
「ええと……まあ、そういうことに、なりますか……ね?」
「そうか、そうか……ふん、なんとも物好きな。
ま、教えてやってもいいが……」
つと余っていた杯を拾い上げ、男に向けて投げ渡す。
「ただで教えるのも、つまらんからの。
ちょっと、儂と勝負をしてみんか?」