幻想々話 - 雪月花 魂の行方   作:荒木田久仁緒

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七 願はくは、花の下にて  


 

「むむっ、侵略ですか!? 令夢さんなら留守ですよ! 帰ってくるころにまた来てください! 私じゃ相手になりませんからね!」

 

  参道の真ん中に仁王立ちになって、頭のてっぺんに角の生えた少女が、情けないことを威勢よく叫んでいる。

  狛犬の化身、高麗野(こまの)あうん。博麗神社その他の守護者である。自称だが。

 

「なんじゃい物騒な。神社にも令夢にも、お前さんにも用はないわい。用があるのは、こっちじゃよ」

 

  のっそり石段を登って鳥居の下に現れたマミゾウは、くいと首をひねると境内のすみへ目をやった。

 

  ようやく暖かくなってきたものの、まだ冬の気配を残す風の中、すっかり葉を落とした木々が立ち並んでいる。さざめく枝のそこかしこに顔を出している芽は、膨らみつつもなお固そうで、ほころびるまでには今しばらく日が必要なようだった。

 

「あ、桜ですか? ここのはまだまだですねえ……いま満開なのは無縁塚でしたっけ」

 

「あそこで騒ぐと彼岸の石頭が口うるさくてのう。ま、知ったこっちゃないが……」

 

  そう言いながら木々を見上げる目線は、どこかもっと遠くを見ているようだった。

 

「前にも、こんなことありませんでした?」

 

「ん? そりゃあ……年ごとに微妙に違うし、遅咲きの年も何度もあるわな」

 

「そーじゃなくて、マミゾウさんがここに桜の様子を見にきたことですよ。っていうか毎年来てません?」

 

「はて、どうじゃったかな……気のせいじゃろ」

 

  うそぶいて、すいと目を細める。

  口元から白く湧き上がる息に、丸い眼鏡が僅かに曇っては、また風に吹かれて透明に戻るのを繰り返す。その向こうに見え隠れする桜の枝を、じっと見つめながら。

 

 

「……花は、変わらんよなあ」

「そりゃ、年が代わっても花は花ですからね。たまに異変とかありますけど」

 

  ぼそりと呟いたマミゾウに、生真面目に答えるあうん。

 

「そうじゃな。妖精も、妖怪も、神も変わらん。……人は、変わるか?」

「えー? そうですねえ……変わんないんじゃないですか、やっぱり」

 

  腕を組み、あごに拳を当てて、大きな丸い目をくりくりさせながら、マミゾウと同じ方向を見やる。木々の梢の背後に遠く、白い雲がゆっくりと空を流されていく。

 

「令夢さんも、魔理沙さんも……まあ、なんか大きくなったりシワが増えたり、変わってってる気はするかな。でも大体おんなじでしょう? 死んだって、子供はまた生えてきますし」

 

「そうか。それなら……」

 

  ――――儂のほうなんじゃろうな、変わったのは――――

 

  声には出さず、口の中でそっと独りごちる。

  ざざ、と音を立てて、乾いた風が吹き抜けた。風は梢を揺らし、髪を揺らし、唇を揺らして、唇から漏れた言葉を、遠く空の果てへと吹き流していく。

 

「……願はくは、花の下にて、春死なむ……か」

 

  こぼれ落ちたその(うた)が、かすかに空を震わせた。

 

「なんですか? それ」

 

「なに……昔むかしな。この世で最も美しい光景の中で死にたいと詩って、その望み通りに死んだ……」

 

  詩い手は、木々の梢を見上げたまま、御伽語りのように答える。

  枯れ木のような枝ぶりの向こうに見える、空と雲。

  そして、もう一つの空、もう一つの花が、はるか彼方を見つめる瞳の中に重なる。

 

「幸せな、男の話さ」

 

 

  風が光った。

 

  一陣の、暖かい春の風。

 

  渦巻く光と共に(はし)り抜ける風の中で、見る間に花が、葉が開く。

  満開の山桜。あの日と同じ。

 

  光を背に、男が立っている。

  色黒で背が高く、異国の風貌をまとって。

 

  男を見つめ、立ち尽くす彼女の五歩ほど先に。いや、三歩先、一歩先、もう目の前に、歩み寄る。その眼鏡のように丸く目を見開き、ぽかんと口を開けたままの彼女を、迷わずその両腕で抱きしめる。強く。そして、

 

 

「マミ」

 

 

  小さく叫ぶように、その名を呼んだ。

 

 

「……なんじゃ……また、来よったのか。しょうのない、やつじゃのう……」

 

  目じりと唇が、くしゃりと歪む。それは笑顔なのか、泣き顔なのか。

  細い腕が、男の背中をそっと包みこむ。

 

  幻のような光は雲の彼方に去り、ただ花と風だけが、二人を包んでざわめいていた。

 

 

 

 

 

「あーあ……やれやれ」

 

  そんな二人から遠く離れた、木の枝の上。

  大きな鎌を背負った人影が、独りぼやいた。懐から、二つに折りたたまれた細長い板を取り出し、ぱちりと開いてその端を耳と口に当てる。

 

「あーもしもし? ……ええ、やっぱり戻ってきちゃいましたよ。困ったもんですねえ……どうするんです? 是非曲直庁のツテで無理やり送還するんですか? それともまた転生の時に……え? それはどういう……」

 

  しばし、板の向こうの声に耳を傾ける。

 

「……はあ、なるほど……仙人にしてしまえば人里との関係はなくなるし、何か問題が起きたときに魂を取りたてる名分も立つと……。けど、それで上が納得……あ、もう先に話は決まってたんですか。しかしまー、そこまでして監視下に置くってのも、逆に面倒な気がしますけどねえ……。

 

 ……は!? それあたいがやるんですか!?

 ちょっと待ってくださいよ! なんでそんな……!

 似たもの同士ぃ!? いったい何の話、あっちょっ……四季様ー!?」

 

 

 

 

 

「が、が、外来人!? えーとえーと、どうしよ!? れ、令夢さんに知らせないと……」

 

「あー、そんな騒がんでもいいぞい。こいつはな……儂の知り合いじゃ」

 

  わたわた慌てるあうんを、ひらひらと片手を振って黙らせる。入れ替わるように、男が口を開いた。

 

「アナタ、ワタシノコト、シッテルデスカ」

「うん? おお……長いこと前からな」

 

「ワタシ、シラナイ。アナタノコト。コノバショノコト。デモ、シッテル。アナタノ、ナマエ」

 

  肩を抱く腕に、力がこもる。

 

「マミ。ワカラナイ。デモワカル。ワタシ、アナタ、サガシテタ。ズット」

 

「おう、おう。……まあ、ゆっくり語って聞かせてやるぞい。

 じゃが、とりあえずは……」

 

  肩と首をひねり、視線を横へ、上へと向ける。

  ひかれて男も見上げる空に、一面の桜色。輝く花の雲。

 

「見てみい、満開じゃ。……今宵は、宴じゃな」

 

  抱き合ったまま、からからと笑う。男も笑みを浮かべ、改めて彼女を抱きしめる。

 

  巡る季節、巡る宴。

  花も人も、変わらない。

 



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