幻想々話 - 雪月花 魂の行方 作:荒木田久仁緒
裁判を始める前から、十六夜咲夜の姿は、生前に近いかたちを現していた。
自分が死んだことを認めたくないが、亡霊にもなりそこなったような亡者は、よく人としての姿を保った幽霊になる。だが彼女の場合は、それとはまた違うもののようだった。
おそらくは、生前の行いへの、完全な肯定。
誰に何を言われようと、自分は揺らがぬという確信ゆえに。
実に、罪深い。
「では、次」
そして、その番が来る。
このような者の行く末が、果たしてどうなるものか────
ちらりと浮かんだその考えを、ゆっくり瞬きをして頭から追い出す。
その罪を映し出そうと、鏡を手にとった時。
法廷の端に、見覚えのある人影がふたつ。
「……なっ!?」
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。なぜ、彼女がここに。
その後ろには、紫のドレスに、扇子を携えた────お前の仕業かっ!
「うわっ!? なんだ、こいつらっ!?」
周囲から上がったどよめきの中を、ずぶ濡れの服から雫を飛ばしながら、吸血鬼の影が走った。
「咲夜っ!!」
その名の亡者に向かって、一直線に。
しかし。
「ぬぅん!!」
重く風を切る音が、左右からその影の上に振り下ろされる。
「ぐっ……!」
二人の警吏の金棒を、その細い腕一本ずつで受け止めて、レミリアの動きが止まった。
警吏はそのまま、力任せに押し潰そうとするが。
「ぬぬっ……こいつ」
ぎりぎりと、床をきしませながらも、吸血鬼は退がらない。そして。
「咲夜ぁっ!!」
歪んだ口が、なおその名を叫んだ。
「八雲紫! どういうつもりですか!」
力と力が激突している後ろで、ひらひらと警吏から逃げ回っているスキマ妖怪に、身を乗り出して問いただす。
確かに、何かが起きそうな予感はあった。それでも、おそらく巫女か、あるいは冥界の管理者あたりを介してだろうと思っていたのに。
まさか直接、本人を乗りこませてくるとは!
「いえいえ、お気になさらず。私たちはただ、裁判を傍聴しに来ただけ。どうぞ普段どおりに、お続けくださいな。裁きの邪魔は致しませんから」
「……っ……!」
────
彼女は、私の前では決して嘘を言わない。同時に、自分から全てを話すこともしない。
真と偽の境界を知りぬき、なおそれを飛び越えて、外から内から他者を動かす────厄介きわまる、相手だった。
私は悔悟棒を振りかぶり、平たく机に叩きつけた。
硬く乾いた音が、法廷に響き渡り、皆の動きが止まる。亡者も、警吏たちも、そして招かれざる者たちも。
「……なんと言おうと。特別の許可なき越境は、誰にも認められません。まして法廷に乱入など言語道断。よって……」
椅子に身を戻して、一度、息を吸い。
二人を取り囲んでいる、警吏の鬼たちに告げる。
「貴方たちは、その者らが裁判中おかしなことをしないよう、しっかり見張っていなさい」
「はい! 今すぐ引っとらえ……はっ?」
こっちを振り向いた顔が、ぽかんと口を開けた。
「幻想郷でもそれなりに力のある妖怪二匹。
今ここで
ひとまずは、この裁判の進行を優先します。
とにかく、そこから動かさないように」
「は、はぁ……」
気の抜けた返事を返しつつ、狼藉者の上からどけた金棒で、こちらとの間に柵を作る。
「何が、おかしなことだっ……お前たちこそ、咲夜に何かしてみろ、私がっ……!」
「おやめなさいな」
低く唸るような声に、後ろからやんわり声が被さる。
「紫っ……!」
「理性派、穏健派が多い司法庁とはいえ、ここは鬼の本拠地。
こちらが不利な状況下で、まともに戦うべきではない。
……わかっているでしょう? あなたなら」
唇を噛み、沈黙する吸血鬼。
その言葉に、間違いはない。たとえ幻想卿の巨頭であろうと、ここは是非曲直庁の領分。まともにやりあうなら、容易に鎮圧できる。
しかし……それは裏を返せば、
そして恐らく、その用意があるということ。
それが嫌なら、
単純な力ではなく、そういう手練手管こそが、この妖怪の本領だった。
忌々しい話だけれど、穏やかに済むならそれに越したことはない。ここは彼女の意に沿っておくのが無難だろう。
ともあれ、傍聴人は静かになり、それと入れ替わるように、声なき声が聞こえた。
────閻魔様────
十六夜咲夜の魂。それが私に訴えている。
自分の声を、主人に届けてほしい、と。
けれど、その訴え──いや、どちらかと言えば要求といった感じではあるが。まったく、どこまでも図太い亡者だ。とにかく、私はそれを無視した。
地獄では亡者に発言権はない。閻魔が亡者に便宜をはかることも、その情状を
「では、始めます」
私は、被告の罪を鏡に映し出す。
生まれてから、あの館に来るまでのこと、来た後のこと。そして────
「……殺生、妄語、邪見。本来あるべき道を捨て、妖怪の側に
読み上げるたびに、視界の端、金棒の向こうで、紅い悪魔の表情が動くのが見える。
顔を、口を歪め、震える手を握りしめ……なにか吐き出したい言葉を、こらえている様子で。
その一方で、十六夜咲夜は、揺らがない。
すべての罪を認め、すべての行いを肯定している。心から。
これでは、およそ救われようが無い。そう思えるほどに。
けれど。
「……そして、与した妖怪との交わりにより、彼らに自身の命を
その最後の罪を、読み上げた時。
かすかな後悔に、その魂が揺らいだ。
そのこと自体が、罪深さではあるけれど。
それでも、揺らぐ隙間があるのなら────いつか、
だから私は、普通の判決を下した。
「……よって、無間地獄に落とす。以上です」
「待てっ!!
……その裁き、私が代わりに受ける!
私を、咲夜の代わりに、地獄に落とせ!!」
傍聴人が、一歩踏み出し、大声で叫んだ。
おそらく言うだろうと思っていた、その言葉を。
「有り得ません。
貴女は地獄に落とされるべき存在ではない。
落ちるのは、
すなわち、そこの亡者だけです」
「そんなバカなことあるかっ!
咲夜に仕事を命じたのは私!
その供物を受け取ったのも私!
それなのに、なんで!!」
片手で顔を覆う、その隙間から、つと光るものが漏れ落ちた。
「咲夜だけが、地獄で罰に苦しまなきゃならないんだっ……!!」
「……よく誤解されていますが」
ひとつ、深い呼吸をしてから、私は口を開いた。
「地獄は、罰を与えるための場所ではありません」
「な……」
うつむいていた顔が振り仰がれ、乱れた眼差しが、私を見つめる。
「……何を……言って……」
「地獄は、魂の汚れを落とす場所。それに伴う苦しみが、罰でもあるに過ぎません。
罰とは、天地自然の
まっすぐに、悔悟棒を指す。その先にある、涙に歪んだ顔に向かって、私はゆっくり言葉を落とした。
「レミリア・スカーレット。貴女は今まさに、自らが犯した罪によって、深く苦しんでいるではないですか」
「……あ……」
半開きに固まった口から、かすれた声が漏れた。
「短い時を生きる魂は、短い地獄の苦しみを繰り返す。対して、貴女のような存在は、その永い時間の中で、より永く苦しみ続けることになるでしょう。罪が同じならば、罰の大きさも同じ。ただ、苦しみ方が違うだけです」
静かに言葉を注ぐ私を、見上げる濡れた紅玉の瞳。
それはやがて苦しげに、ひしゃげ、潰れて。
小さな手が、胸元をぎゅっと押さえる。
その中心に突き刺さった何かを、奥へ押しこもうとするように。
そして、かすかな嗚咽がその口から押し出され。
細い膝の落ちる音と共に、磨かれた法廷の床に響いた。
「……いずれにせよ、判決は先のとおりです。連れて行きなさい」
私はそう言って、護送の警吏を促した。
警吏は頷いて、罪人を曳いてゆく。
法廷の端、地獄の扉へと。
「待って! 咲夜っ!!」
制止する金棒の柵から身を乗り出し、罪人の
「咲夜! ごめんなさい、咲夜! 私がっ……私の、せいでっ……!!」
「それで、いいの?」
灰色の影から、声がした。
八雲、紫。
たった今まで、レミリアの背後に黙って佇んでいた、その少女が。
幼い吸血鬼の耳もとに、そっと唇を寄せて。
「本当に、その言葉で。
あなたが伝えたい言葉は……本当にそれで、よかったのかしら?」
そう囁く。そしてちらりと、その目が私を見上げた。
『閻魔さまでは、立場上、促せないでしょう?』
……そんな風に言いたげな顔で。
だから私は、その視線に、気がつかなかったふりをした。
ああ、まったくもって、厄介な相手だ。
「さく……咲夜っ……私……私はっ……」
声を、喉を震わせて、幼い吸血鬼は、その胸から言葉を吐きだす。
伝えたかった、伝えられなかった想いを。
「咲夜……私の、ためにっ……
本当に、ずっとっ……
ありが、とう……っ!!」
その言葉に、十六夜咲夜だったものの気質が、ふわりと揺らめく。
いずれ消え行く、はかない想い。
その声なき声は、主人に伝わったのだろうか。
「さく、や……っ!!」
見開いた目から、また涙が落ちる。
きっと、伝わったのだろう。
言葉ではなく、その笑顔だけで。
「……連れて行きなさい」
私は改めて、警吏を促す。
警吏は改めて、亡者を曳いてゆく。
「……咲夜……」
その背中に、声がかけられる。
「咲夜っ……」
背中は、遠ざかってゆく。
「咲夜ぁぁぁぁああああ!!!!」
扉が、ゆっくりと閉じられて。
低く、重い音と共に、メイドの姿は消えた。
「さく、や……ぁ……うっ……あ……ぁぁっ……」
床にくずおれた、小さな小さな影が、なおも小さな声を上げていた。
そんな彼女を横目に見ながら、ふと、それを言うべきかどうか、迷う。
いや。閻魔の裁きは絶対であり、それは常に正しい。よって、そこに迷いなどはないし、あってはならない。
「余談ですが」
私は視線を扉に戻し、そう口を開いた。
「貴女たちは、いつかまた巡り逢うでしょう」
「え……?」
伏していた顔を上げ、こちらを見上げる気配がする。
その表情にはきっと、驚きと、困惑と、そして希望が。
「縁がありますからね。共に罪を犯し、同じ業を背負ったものは、おのずから引かれあう定めにある。それでも人間同士ならば、地獄で業を祓うことで、その因縁を薄れさせ、断ち切ることもできますが……人ではない貴女の罪は、そう容易には消え去らない」
そう。だからこそ、人にあらざる者の罪は重い。
他でもない、私自身がよく知っている。
「罪が消え失せないかぎり、彼女との縁も切れることはない。
故に……貴女たちは再び巡り逢う。
そしてその時、また同じ罪を繰り返すかどうかは、貴女たち次第です────
────さて」
私は椅子を回し、正面に向き直る。
「以上で、この件は終わりです。では次の亡者を」
「ちょっ……ちょっとお待ちください四季様! この侵入者どもの処遇は……!」
さっきから待ちぼうけを食わせていた警吏が慌てた声を上げる。が、
「侵入者? 侵入者とは?」
彼の指差す先には、もう誰の姿もない。
「えっ!? あれ!?」
「用は済んだから、さっさと退散したのでしょう。そもそも越境事案への対処は入管部の仕事です。我々は滞りなく、我々の仕事を。いいから次を呼びなさい」
まあ多分、こっちに渡し済みの亡者は、そんなに溜まっていないだろうけど。在庫が尽きたら、また怠け者をひっぱたきに行くまでだ。
「……それもまた、新たな罪……か」
ため息と共に、つぶやきを宙に捨てる。
本当に、腐れ縁というものは。そう簡単には切れそうにない。