霊夢が唐突に溢すようになった言葉は魔理沙の心を掻き乱すことになる。冬、雪掻きをする彼女の後ろ姿を見ながらついに魔理沙は──。
※クリスマスっぽいものをと思い書いたもの。
極甘ではないです。
恋人が欲しい。
丁度初雪が降り始めた頃のことだった。霊夢は日本茶の出がらしを飽きたように見て、そう言った。魔理沙はその彼女にゆっくり視線を向け、それからまた急須に手を伸ばした。
「珍しいな」
魔理沙は言いながらもそれほど驚いていなかった。それは、うら若き少女たちにとって大して非凡な願いでもなかったし、むしろ健全な願いであったから。珍しいのは霊夢だからで、それにしたって分かりやすい、ただの女の子であるから。そして、冬だから。
「寂しい季節だな、冬って」
魔理沙の呟きに霊夢は茶を口に含んだ。
「そうね、寒いもの」
夏は暑いけど、と付け加えた霊夢はぼんやりと目を据えて肩で息をした。それからまた恋人が欲しい、と呟いた。魔理沙は突っ伏して答えない。冬は、静かだ。
定型句の病
四日程前からそれは口癖のように霊夢の口から溢れた。最初、魔理沙はそれなりに反応した。それもおざなりだったが、最近では霊夢がそう言う度に黙る。彼女の元には他にも人妖が訪れたが、その者たちには霊夢は一度もその口癖を溢さなかった。
魔理沙はその様子を見ると少しずつ嫌な予感に取り憑かれ、考え込むようになった。距離を空け、霊夢が来そうな場所は出来るだけ行かないようにした。彼女自身、考えすぎだと思ったが逃げるように霊夢の前から姿を消した。ほとんど家から出なかった。
そしてノック。現実。訪問者。
「魔理沙、いるんでしょー」
魔理沙は書き物から顔を上げた。
この声は霊夢ではなかった。聞き覚えのある声、咲夜だ。珍しい客だ、と思い、腰を上げて玄関の扉を開けようとして止まった。この数日で高まった不信感が邪魔をしたのだ。「……お前一人か?」
「え?」
間抜けな声を聞いて正気に戻った魔理沙はああ別に何でもない、と言って扉を開けてやった。咲夜は一人で立っていた。魔理沙は久しぶりに空いた扉に外の空気を感じて咲夜の後ろを覗き込んだ。
ああ、寒、と自然に口から溢れる。咲夜は不思議そうに首をかしげ、持っていた風呂敷を差し出した。
「なんだ、これ」
「新しいメニューを考案中なんだけど、試作品が余ったのよ。霊夢のとこにも持っていったけど、魔理沙が居ないから」
「わざわざ持ってきたのか」
「そ」
「ふうん」
魔理沙は風呂敷を広げ、箱に入っていた洋菓子の一つを取って食べた。甘い。簡潔にそう言って飲み込む。
「じゃ、戻るわ」
咲夜がそう言って背中を向けた途端、魔理沙は勢い込んで彼女の腕を掴んだ。咲夜は少々驚いたような顔をしていた。と言ってもつるんとした完璧な表情は崩れない。
「……何か?」
「……お茶、飲んでかないか?」
魔理沙はいつものように笑顔だったが、少し知っている者が見れば寂しそうにも見えたのだった。霊夢を避けることすなわち人を避けることを冬に行うとは人として生きるのならば危険な行為とも言えるだろう。
暖炉の薪が燃えるにおいに人恋しさを覚えて、魔理沙は顔を曇らせていた。咲夜は眉を寄せ皺を作るとため息を吐いた。
咲夜は魔理沙が最近博麗神社に来ていないということは知っていた。ただその理由がなんなのかは知らなかった。霊夢は風邪でもひいたのかしらね、と噂するように言っていた。彼女は魔理沙の第一声を聞いて、何かを察した。
「恋人が欲しい?」
「そうなんだ、私に言うんだよ」
霊夢が。咲夜は出された紅茶をなんとなく飲まずにいた。へえ、と言って見せたが霊夢が、と心の中で反復して消化出来なかったのだ。そんなイメージは彼女になかったからである。確かに、年頃だけど、と思った。
「あんまり私にばっかり言うから、なんか、怖くなって……霊夢に会いづらいと思ってな」
「もしかして、魔理沙が付き合えって言われてるように思ったの? だから逃げてるの?」
「……この考えが本当だったら怖いだろ」
「馬鹿ね」
「お前に言われたくないな」
「霊夢は女で、魔理沙も女じゃない」
「霊夢は“恋人”が欲しいって言ったんだぜ」
「女同士でも構わないって?」
魔理沙は目を逸らした。そこまで言ってないけど、と小声で言う。咲夜はぬるさも通り過ぎた紅茶を飲む。それって、と考える。それって、魔理沙が意識しているからじゃないのかしら。そうでなければこんなこと考えないのだ。
咲夜は少々顔を赤くした魔理沙に言ってみることにした。
「ねぇ、霊夢のことが好きなんでしょう」
とても直球な質問だった。魔理沙はほんの一瞬目を見開いて耳まで赤くして見せたが、すぐに取り直した。
「好きだよ。でも、お前だって好きだろう、霊夢のことは誰だって好きだよ」
「……友人として好きってこと?」
「当たり前だろ」
「ふうん、なら、私も好きよ」
「ほら」
ほら、って、なんだ。咲夜はまた紅茶を飲んで考えた。魔理沙は恥ずかしそうにしていた。好きだとあれほど堂々と言って見せたのに、どうしてそんなに恥ずかしそうにしているのか彼女には分からなかった。
そのうちに魔理沙は勝手に赤くなったり平静を取り戻したりを繰り返した。
「あー」
「何」
「冷えるな、今日は」
「……そうね。日に日に寒くなってるわよ」
「雪、降りそうだな」
「……そうね」
魔理沙は急に冷めたように窓の外を見て息を吐いた。咲夜はその様子を眺めて自分も別のことを考えていた。そろそろ帰らなければならない時間だった。
「帰るわ」
「もうか」
「暇なら霊夢の所に行けばいいのよ」
「ま、いずれ行くさ」
二人は立って玄関に移動した。咲夜は手を一度上げるとそのまま飛んで行った。魔理沙はそうするとむっつりと黙って暖炉の火の様子を見に行った。いいな、と呟いてから何がだ、と自問した。
明日は今年一番の冷え込みになるらしい。
霊夢は人里で聞いた話を思い出した。今年一番の冷え込みは毎日更新されている。だから毎日が今年一番の冷え込み。白い息を吐きながら、雪掻きを続けた。魔理沙が居ればもう少し楽なんだけど。考えて、ばつが悪そうにする。
最近魔理沙が来ない。顔も合わせない。何かしたかもしれない、と考えたが心当たりはなかった。風邪かもしれない、と考えたが先日咲夜が顔を合わせたという話だからそれも違った。
手を止めているとくしゅんっ、とくしゃみが出た。鼻水を啜り、寒い、と呟く。そして、ついでのように恋人が欲しい、などと言ったのだった。
霊夢はそればかり言っていたが、最近はあまり言うこともなかった。そもそも、彼女は恋人というのがどういうものかよく知らなかった。人里で男女の二人を見掛けたりするとちらと見たり、目を逸らしたりする。どっち付かずで、しかし霊夢は大人しい方だった。
同年代の女の子たちは内緒話をして顔を赤らめたり、男の子と楽しそうに話をしている。昔はそれほど気にならなかったのに、最近はそれを見ては霊夢は自分の心が熱を帯びてざわめき立つのを感じた。
霊夢はスコップを雪の中に突っ込んでは、考え事をした。男の子と話をすること、手を繋ぐこと、隣を歩くこと……またスコップを突っ込んで一息吐く。
「魔理沙が居ればいいのに」
もの寂しい気分になって霊夢はそう呟いた。冬は寒い。当たり前のようなことだった。それを繰り返し言いながら、何か違うことを言おうとしているのは明白だった。
それから霊夢は数日前のことを思い出していた。前にも同じように魔理沙と話をしたのだった。どういう話をしたかしら、と考えてみたがはっきりとは思い出せなかった。
「霊夢さーん!」
遠くから霊夢を呼ぶ声がした。彼女がその方向を見ると、早苗が軽やかに空から降りてくるところだった。霊夢は少し嫌そうな顔をした。早苗の方では気がつかずにこんにちは、と挨拶する。
「分社の掃除?」
「ええまあ」
「そ、ならとっととやっちゃってよ」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない」
「なんとなく嫌な気分なのよ」
「酷いわね」
早苗はあっけからんとして言った。言われた通りにすぐに掃除に取り掛かるようだった。霊夢も霊夢で考え事はやめて雪掻きに集中した。
少しすると掃除を終えた早苗が霊夢を見ていた。
「なに。帰らないの」
「まあまあ。少しくらい相手してくれてもいいじゃないですか」
「そんな暇ないわよ」
「手」
雪に刺さったままのスコップを指差されて、霊夢は仕方なく雪掻きを続ける。
「もう年末ですねえ、何か用意してますか?」
「巫女なんだからそれなりにね」
「巫女って、人様の恋を神様にお願いするのに自分の恋は後回しにして損な役目よね。神無月に全て決まるんだから、今頃ほくほくですよ、年末なんてくそ食らえだわ」
「……何かあったの」
「……別に何も。何もないからこそ憤ってるんですけど」
早苗は目を細めて雪に目を落とした。外の世界にはクリスマスというイベントがある。クリスマスを喜ぶのは子供か恋人のいる者だと相場が決まっている。よって独り者は僻んだりするのだ。
なにより、外に出ると街が光り輝き、少し外れた道さえその明るさと相対的に暗く見える。一人だと尚更。
「霊夢さんは、誰かいい人、居ないんですか」
「い、いい人って何よ」
「一緒になりたいって……恋人になりたいって思う人ですよ」
「……別に。居ないわ」
「……最近じゃ、女性同士でもそういう関係になるらしいですよ」
「何が言いたいのよ」
「いえ……魔理沙さん、とかそういうふうに思わないのかな、なんて」
「まりさ」
霊夢は驚いたように早苗を見るとすぐに背中を向けて雪掻きをした。自分の顔が熱くなるのを感じたからだった。
「魔理沙は、違うわ。あの子は……」
言いかけて、霊夢は口を閉じる。魔理沙に、会いたかった。急激に高まるその気持ちがどうにも収まりがつかず、霊夢は胸を焦がした。いたい、さむい……と胸を押さえて蹲る霊夢に、早苗は驚いて背中を擦った。
「え? え、霊夢、さん? どうしちゃったんですか? 寒い? どこか、悪いんですか」
霊夢は涙目になってほとんど泣いていた。「さむい、さむい」とだけ繰り返す霊夢になんとも返すことが出来ずに、早苗は背中を擦り続けた。
博麗霊夢がなにか病気らしい、という噂が人妖の間であった。ただし、見た目には彼女は健康そのもので、食事も腹が空けばそれなりに摂っているようなのでなんの病気なのか分からなかった。霊夢はふとすると「さむい、さむい」と言ってひどいと泣いた。その場にいた者は皆慌てて彼女を気遣った。
医者の代わりに呼ばれた薬売りはめんどくさそうな顔をして「心の病なんじゃないの」と言った。霊夢の元に集まった者たちは一様に顔を見合わせた。
「霊夢、寒いの」
「いや……別に、寒くないわ」
「なら、なんで寒いなんて言うの」
「言ってる時は、寒いのよ。凍えそうなの」
「それ、って……」
薬売りは言いかけて、周りの人妖を見回した。
「魔理沙は居ないの」
「居ない。最近、会わないわ」
「風邪?」
「さあ。知らない」
「会いに行かないの」
「どうして?」
「友達でしょう」
「えっ」
霊夢は不意に赤くなった。薬売りは微妙に眉を上げたが見ていないふりをした。
「そ、そう、なのかな」
「そう、なんじゃないの」
「そう」
「好きじゃ、ないの」
そう言われて、霊夢は周りを見た。皆見ていないふりをしていたが、なにやら興味津々といった様子で聞いていた。霊夢はむっつりとして立ち上がるとぶっきらぼうに「出掛けてくる」とだけ言って飛んでいった。
皆は文句を言ったが、薬売りはそのまま帰っていった。
今日は今年一番の冷え込みになった。
霊夢は人里で買い物をした後、吹雪の中を飛ぶわけにもいかず、歩いて帰っていくことにした。あー寒い寒い、と口癖のように言って、足跡が瞬く間に消えていく雪の表面を眺める。
ふと、人の気配を感じて顔を上げると魔理沙がいた。思いがけない相手に、霊夢は立ち止まった。
「よう」
「……久し、ぶり」
「病気なんだって?」
「……そうみたい」
「そうは見えないけどな」
「心の病だって」
「お前が?」
魔理沙は可笑しそうに笑った。霊夢も実のところ、そうではないだろうと思っていたから可笑しくなって笑った。吹雪いて、二人の足は少し埋まったけれど、霊夢は寒い、と言わなかった。
「うち、来る? 今年一番の寒さなんだって。夕飯は鍋よ、今日は」
「明日は?」
「明日も、鍋」
魔理沙は嬉しそうに笑った。
「行く」
あんなに沢山居たはずの人妖は消え去っていて、霊夢と魔理沙はいつものように二人で夕飯の用意をした。白菜と葱が多くて、肉は鶏肉が少し。二人は煮えるのを待ちながら、炬燵に入ってぼんやりとしていた。
「……そういえば霊夢、恋人はできたか」
「……ううん」
「欲しかったんじゃないのか」
「分からないわ。恋人ってなんなのかよく分からない。でも、恋人って、羨ましいの」
「なら、私がなろうか」
霊夢はその言葉に驚いて魔理沙を見た。魔理沙は至って平常なようだった。だからか、霊夢も照れることはなかった。鍋がぐつぐつという。二人はじっと見合って、それから霊夢が口を開いた。
「愛の、告白ってやつ?」
「雰囲気壊すな」
「なら、そうなんだ」
「ちげーよ、違うだろうが」
「なら、何?」
「別に。お前、羨ましいんだろ」
「うん」
「また新しいもん見つけて、欲しい欲しいって言ってるんだ」
「いつもとわけが違うわよ。人だし」
「おんなじだよ」
魔理沙が訳知り顔で言った。
「私もさ、ちょっと羨ましいんだよ。恋人って、なんだ? 好きなだけじゃ、だめなのか。私、霊夢のこと、好きだよ」
「このタイミングで言う?」
「お前だって、好きだろう」
誰のことかは言わなかった。霊夢は少し黙って、うん、と頷いた。
「うん、好き。あんたが居ないと、寂しい」
そこまで言われるとは思わなくて魔理沙は慌てたように耳を赤くした。鍋がぐつぐつと激しさを増す。霊夢は火を止めて、鍋を居間まで持ってきた。
「そ、そこまで言うか普通」
「でも、そうなのよ。いつもいるやつが居ないと鍋も食べられないし」
「……ま、鍋は一人じゃあんまり食べないけど」
「でしょう。だから、冷えてしょうがないわ」
目の前に置かれた鍋は部屋中ににおいを充満させて、これが冬のにおいだとばかりに主張していた。魔理沙は悩んでいたことが馬鹿みたいに思えてため息を吐いた。ようするに、霊夢は今はただ友人として自分のことを好きなのだ。そして、他の女の子と同じように恋人が欲しいと気の置けない友人に溢して見せたのだった。
霊夢が寂しいと素直に言ってみせたが、それは実際の寂しさに比べたら淡白な物言いで、彼女が寂しい冬にもっと空しくなるほど堪えたのは言うまでもない。魔理沙は一人出遅れて閉口した。
霊夢は鍋を注ぎ分けた。魔理沙のものには鶏肉が少しだけ入っていた。
「魔理沙、食べないの」
「食べるよ」
「はい」
渡された器を受け取って魔理沙は鍋を食べた。冬には鍋が美味くなる。寒いから。あったかいものを食べると、嬉しいのだ。
「寂しい季節だな、冬って」
「そうね、寒いもの」
「寂しかったか? 私が居なくて」
「そうね、寒かった」
「私も」
それから霊夢は恋人が欲しいとは言わなくなった。他の女の子のように恋人に憧れはしたが、恋人というよりも恋に憧れるようになった。魔理沙は霊夢のところへ遊びに行く度に霊夢の言ったことを反芻した。その度に彼女は眉を寄せて目をちらつかせた。
恋をすると、人は皆気持ち悪くて、見ていられなくて、なんだか可笑しい。不器用に生きているのがいとおしくて、たまにぼさぼさの髪の毛を見て、好きだと思うのだ。
魔理沙は雪掻きをする霊夢を眺めながら不服に思った。そして恋がしたい、と少女特有の言葉を霊夢横目に言ってみせたのだった。