『さとりさま、さとりさま! わたしね! ゆめがあるの!』
「どうしたのかしら空。そんなに慌てて」
さとりさまのお部屋のドアは空いていて、廊下からばさばさと飛んでわたしは、さとりさまのお膝の上に降りていた。
『あのね! あのね!』
「はいはい、慌てないの。ほら空、人化の術を使いなさい。術に慣れないと私の部下には出来ないのよ」
ぴょんぴょんと嬉しくてさとりさまのお膝の上を跳んでいたら私にそう言う。ギョロリと第三の目が私を睨みつけた。
『やだ! このままがいい!』
「またそんなこと言って。空のお話、人化しないと聞きませんよ。心の声が聞こえても答えませんよ。あなたの口で話しなさい」
むーと思いながらわたしは人化の術を使っていた。バキ……バキバキ……わたしの身体の骨が変わる音がする。この間は痛くて痛くて堪らない。なんでお燐はあんなに綺麗に使えるんだろう。
「ふっ……ううーん」
人に変わりきって、わたしは身体を伸ばす。地面に座ってさとりさまのお膝に腕と頭を乗せる。
「よく出来ました。それで話したいことは何かしら?」
さとりさまは頭を撫ででくれる。この手がとてもやわらかくて、やさしくて好き。
「えっと、えっとね……」
「もう、慌てなくていいのよ」
くすくすと笑うさとりさま。何がおかしかったんだろう?
「あのね、わたしね、ゆめがあるの!」
「空の夢はなにかしら?」
「わたしね、いつかね、■■を──」
#####
すぅ、と私の意識は浮上した。
「うにゅ……」
見えたのは天井。私のお気に入りの物を貼り付けた天井が見える。ごそごそと布団から身体を起こす。
「……何を見たんだっけ……」
ごしごしと目を擦ってもなにも思い出せない。ぼーっとする頭を振り払おうとして左右にぶんぶん回す。それでも頭の中は晴れなくて、ベッドに座り続けた。
「……く、お空! どうしたの、そんなにぼーっとして」
声が聞こえたと思ってハッと意識が戻るとベッドの傍にお燐が立っていた。こちらを不思議そうに見ている。
「お燐……おはよ……何見たかわかんないや。なんか頭が回らなくて」
「夢でも見たのかい? それにしても珍しいね、そんな風になるなんて。さ、着替えてさとり様と朝食だよ。早く来てね」
お燐は軽やかにタッタ、と私の部屋から出ていった。
ううん、さとり様の前でこんな顔してちゃダメだよね。ほっぺを叩いて気合いを入れた。
***
「ほらほら、遅いよお空! 久しぶりにこいし様もいるのにどうしたのさ」
「やっほー、お空久しぶりー」
やっとの事で着替えて食堂に行くと、入った所でお燐から大きな声で言われる。こいし様が何かを言ったような気がした。
「眠くて……」
「私が頭叩こうか?」
こいし様が言う。それにさとり様が少し笑う。
「こいし様のビンタ痛くて嫌だよ。本気で叩くから嫌……」
「ぶー楽しいのに」
「それ楽しいのはこいし様だけじゃないかなあ?」
そう言って三人で笑う。
「はいはい、朝食を食べますよ。お空、席に着いてくださいな」
さとり様の声で私は席に座る。さとり様とこいし様が隣でお燐と私がその反対の席に座っている。元から人型のさとり様とこいし様、人化の術を使えるお燐と私だけ座るところだから。だから四人机になっている。他のみんなは床で食べる。
「いただきます」
***
バサリ、と空を飛ぶ。空と言っても地霊殿の地下、灼熱地獄の縦穴を飛んでいる。剥き出しの壁の岩に当たらないようにゆっくりとバサッ、バサッと降りていく。地獄の跡からの熱はいつもの通りに熱い。周りは薄暗くて、下に降りていく度に光が強くなっていく。
ゴポッ、ゴポッ……ぐつぐつと煮え滾る赤い水。罪人たちをとらえて離さない光。すれすれの所まで私は近づいて熱の調整を始める。制御棒を掲げて、周りの温度を下げて行く。そこで私は違和感を感じた。
温度が下がらない。いつもなら制御を始めた時点で徐々に下がっていくはずなのに。むしろ制御出来ずに温度が上がっているかのように思う。
「……なにこれ! どうして下がらないのっ……!」
いつも出来ることが出来なくて分からなくなる。このっ!このっ! いくらやろうとしても温度は下がらなかった。
どうしよう。温度が下がらないと、この赤い水が溢れてきてしまう。
昔、さとり様に拾われる前、ただの地獄烏のときに、私は一度だけ灼熱地獄のこの水が溢れて旧地獄中が赤く、熱くなったことがあった。それに気が付かずに仲間がみんな水の中に入って燃えて死んでいった。飛べるものは宙に、飛べないものは針山地獄の高いところにしがみついて生きのびた。三日三晩、赤い水は引かなかった。そんなことになったらさとり様が……
悪い意識を振り払うように頭を勢いよく回す。だめ、そんなことはさせない。でも、さとり様には言えない。誰に言ったら良いんだろうか。焦る頭で考える。
……! 緑の巫女さんがいた! それが頭に思いつくやいなや、私は地上に向かうためにがむしゃらに空を駆けていた。
***
「赤い水が溢れてくる?」
後ろに凄いものをつけた大きな神様が言う。私がバタバタと神社に飛んできた時は緑の巫女さんに退治されそうになった所を神様が助けてくれた。そうしてさっきまでいた灼熱地獄の様子を慌てて伝えた。
「神奈子、それって……噴火じゃないの」
小さい方の神様がよく分からないことを言っている。
「しかし、妖怪の山は噴火したことあるだなんて聞いたことないぞ」
「そりゃ、私たちこの辺の詳しいことは知らないよ。何が起源か聞かないことには分からないよ」
何言ってるんだろう。温度が下がらなくても大丈夫なのだろうか。
「あの、私どうすればいいの……わかんないよ……」
「お空、少し落ち着け。今はまだ大丈夫だ。いま下がらないといって、上がり続ける訳じゃないだろう」
大きい方の神様が私にそう言う。
「でもっ! でも!」
仲間が苦しみながら死んでいったことを思い出す。そんなことしちゃいけない。苦しむさとり様は見たくない。
「ほら落ち着きな」
小さい方の神様が何かを言うと、身体全体に何かが這うような感覚あった。私は驚いた。身体を見ると白い蛇に縛られていた。
「なに!?」
ジタバタと私は暴れる。怖いもので、食われそうで、逃げたい! 嫌だ!
「チッ、ダメか! 早苗! こいつを気絶させろ!」
「わかりました! お空さん、ごめんなさいね!」
逃げようとしていた意識は真っ黒になっていた。
#####
「あのね、わたしね、ゆめがあるの!」
「空の夢はなにかしら?」
「わたしね、いつかね、そらをとびたいの!」
「あらあら、どうしてそう思ったのかしら?」
さとりさまの優しい手はわたしの頭を撫で続けている。
「いつかね、さとりさま、こいしさま、おりんとみんなでそらをとびたいの!」
さとりさまは驚いているらしい。
「さとりさまがね、まえにね、いってた、あおいそらをみてみたいの! さとりさま、かなしそうだったから、いっしょにみれたら、そらをとべたらいいなあって!」
精一杯の背伸びで、わたしは伝える。さとりさまが悲しそうだったから、元気づけたくて。
「ふふ、ありがとう、空。あなたはいつかきっと出来ると信じているわ」
その後、わたしが覚えているのはさとりさまが優しく撫でてくれる大きな手だった。
#####
身体を揺すられる感覚で私の意識は戻ってきた。
「ううん……?」
「起きたか。少しは落ち着いたか?」
上から覗き込んできたのは大きい方の神様だった。起き上がって私は周りを見た。
「あれ、私……」
大きい方の神様と小さい方の神様、それに緑の巫女さんが私を見ている。
「ごめんなさいね、お空さん。無理矢理気絶させちゃって」
困ったような顔で巫女さんは言っている。気絶させられて少しは頭は冷えた。私はこれからの事を考える。
温度が上がった赤い水。ゴポゴポと溢れそうな赤い水。みんなが死んだあの水……
「……神様。私はどうすればいいんでしょうか。溢れてきそうなあの水をどうしたらいいんでしょうか……」
もう、私は何をすればいいのか思いつかない。抑えることが出来るのか、それとも諦めろということなのだろうか。
「恐らくだが、まだあれは溢れて来ない。だからそれまでにどうにかするかは他のものに聞いたりするから今は、日常を過ごすといい。さとりには一応、話しなさい。いいね?」
念を押されるように私は言い聞かされて、帰るように言われた。
「送りましょうか?」
「うにゅ……大丈夫……一人で帰る」
緑の巫女さんの好意を断って私は神社の鳥居を潜り抜け、紅葉舞う、妖怪の山を羽ばたいて地底の穴に向かい空を駆けた。
~*~*~
気がつけば一週間、経っていた。
赤い水は徐々に地霊殿の方に上がってきて、ゴポゴポと煮え滾る音が酷くなっていた。私はひたすら温度を下げることをしてきたけれども、やっぱり下がらなかった。
ついにさとり様に聞かれた。
「お空、あなたは何を隠しているのです」
「お仕事のこと……大丈夫です」
言うことはしなかったけれども、さとり様はすべてお見通しなんだろう。けれども口には出さなかった。出したくなかった。悟られていたとしても絶対に、さとり様だけには……
灼熱地獄の中で考えてしまっていた。私は頭を振る。何故かもうむしゃくしゃして、旧都を飛び回ろうと思った。人化の術を解いて、ただの地獄鴉になった。
かァ、かァ……
バササ、と私は旧都の空を飛ぶ。
いつもの呑んだくれの街。もしくは鬼の街。あるいは嫌われ者たちの街。
旧都の空は安心する。生まれ育ったこの地底は私の故郷で、人間達がどれだけ嫌おうともここが良いところだと思うから。
カァ、カァ……
飛んでいる最中に見つけたのは勇儀だった。一人で屋台のご飯を食べてお酒を飲んでいるみたい。そこの近くに降りると勇儀は気がついた。
「おや、お空じゃないか。珍しいな、今日はそっちの姿なんて。話は聞かんが、とりあえず食うか?」
おつまみのきんぴらごぼうのお皿を勇儀が座っている椅子に置いている。私はぴょんぴょんと近づいて、軽く飛んで勇儀の隣に立った。
「好きなだけ食べな。私は酒飲んでるから」
置かれたきんぴらごぼうをつつく。味は濃いけど美味しい。そういえば、ずっと考えてばかりでご飯を食べていなかったな。それを自覚したらいきなりお腹が減ったような感覚がして私はがつがつと流し込むように食べた。
「とと、おいおい、そんなにがっついて大丈夫か?」
空になったお皿を見つつ私はコテりと座る。お腹いっぱいで幸せ。
「大丈夫ならいいけど。しかしお空、嬉しそうで何より」
さとり様より大きな手が私の身体を撫で回した。くすぐったようで嬉しくて。
カァ! カァ!
バササ、と私は勇儀の手の中から飛んだ。
「おーい! お空、またみんなで一杯やろうなー!」
かァ、カァ……
地底の縦穴の橋の前まで飛んできた。縦穴の側の橋に立つのはパルスィ。今日も嫉妬の緑に溢れていてとても元気そうだな。わたしから見てパルスィの反対側、左側の欄干に止まった。
「あら、お空じゃない。今日もその黒くて美しい羽根が妬ましいわね」
かぁ。
「仕事はどうしたのよ。しかもその姿になって」
嫉妬に渦巻く中でもパルスィはなんだかんだで心配してくれる。とても優しいと思う。人間を襲う時は容赦ないけど。
かぁ、かぁ。
翼を大きく広げる。パルスィ側の欄干に行こうと飛んだ……はずだった。いきなり身体を鷲掴みにされるような感覚がして驚く。かァ!? ガァ!? ジタバタと暴れる。
「こいしじゃないの。お空、いきなり掴まれて驚いてるから離してあげなさいな」
「ちぇー面白いのに」
ぱっと解放されて、体制を整えて飛んだ。少し橋の上の方に飛んだら、私が止まっていたところの近くにこいし様がいた。
それを確認出来たので、私はこいし様の近くの欄干にとまった。
「これから地上にいくのかしら?」
「行かないよ。お空に着いてきただけだし。鳥モードになって飛んでいくのが窓から見えたから面白そうだと思って見てただけだよ」
さとり様とはまた違う手で私の身体を撫でながら答えているこいし様。着いてきた? どうしてだろう。
「お空、お前は何をするのかな?」
こちらをギョロリと目が飛び出るような視線で私を見回すこいし様。撫でていた手は私の首に掛かる。
怖い。怖い。怖い! 時折、豹変するこいし様はとても怖くなる。
かぁ……かぁ……かぁ……
弱々しい声しか出せなくて情けない。
私の身体を隅々まで見た後、首に掛かった手は離された。
「お空が望むこと、出来たらいいね」
ふら、と身体が揺れて歩いていくこいし様の気配は消えていった。橋の途中からもう意識が出来なくて捕られられなかった。
「あんたも災難ね、とだけ言っておくわ」
パルスィは苦味のあるような笑いをしていた。
***
橋で少し休んだ後、パルスィとお別れして私は地底の縦穴を上がる。個人的に灼熱地獄の穴を彷彿とさせる。上に見えるのは青空だけれど。
「あー、お空だ。どしたの?」
声をかけられて縦穴の飛び出ている木に止まる。するすると下から上へと上がってきたのはキスメだった。
「あれー今日はそっちなんだね。骨投げして遊ばない?」
かぁ。私はバササとキスメの桶の縁に飛び移って止まる。桶はぐらぐら揺れる。軽くつんつんと髪留めをつついた。
「あはは。わかったよ、遊ぼっか。骨投げるから取ってきてね!」
桶の中から骨を出したキスメは小さめの骨をヒラヒラと私の前に掲げた。
「そーれっ!」
びゅん。私の横を通る骨。バササ、と落ちるように私は骨を追いかける。投げた速度と落ちていく速度が合わさって早そう……だが、それを捕まえてやる!
落ちて風を切るのが気持ちいい。少しだけ灼熱地獄のことを忘れることが出来たような気がした。
永遠に風を切れるような気がしたけれど、目の前に近づいた骨をくちばしで咥えた。加速された重さに身体ごと引き摺られるような感覚がしたが、それを引き上げる。やった! 取れた!
上の方にいるキスメに渡すため、縦穴の横に当たらないように戻る。桶の隅に乗って、骨を返した。
「凄かったよお空! あんなに早く飛べるなんて!」
パチパチと拍手をしてくれるキスメ。えっへんと私は胸を貼った。
「えへへ、お空は凄いなぁ」
ニコニコと笑いながらキスメは身体を撫でてくれる。さとり様より小さな手が私の身体を触ってくれた。
かあ! かあ!
褒められたこと、撫でてくれたことが嬉しくて、バサバサと大きく羽ばたく。
「あっ、お空、そんなに羽ばたいたら……うわぁ!?」
キスメの桶がひっくり返って私達は落ちる。咄嗟のことに私は反応出来なくて羽ばたけなかった。隣でキスメはうわーー!と叫んでいる。助けようにも助けられない。
「おいおい、何してるのさ! キスメ、お空!」
上から声がした。落ちながら見ると高速で降りてくるヤマメがいた。蜘蛛の糸を出したかと思えば、ぼふんとキスメと私は蜘蛛の巣に引っかかった。柔らかな受け止めでとても優しかった。羽に糸がくっついて取れないけれど。
「ヤマメ! ありがとーそれと糸、取ってくれない?」
「はいはい……それでなんで二人は落ちてたんだい……」
呆れたような声でヤマメは話す。私の身体についていた糸を取り、キスメの糸を取り始めている。
「お空と骨投げしてたら落ちちゃったの」
「次から気をつけなよ。それとお空、ちょっといいかい?」
かぁ。
なんだろうと思いつつ、私は返事をする。
「地上に守矢の巫女がいる。なんだか分からないけれどお空を呼んでこいって言われたんだ」
……緑の巫女さん? ああ、そういえば……なんだっけ?
「丁寧な言い方だったけど腹立って襲いかかろうとしたらボコボコにされたよ。本当に腹立つな」
ヤマメはニコニコと笑っている。けど顔だけで笑ってなかった。怖い怖い。ヤマメが怒って勇儀をボコボコにしたこともあったから怒らせちゃダメだ。
「とりあえず呼んでくるって言ったから行く気があるなら地上に行きなよ」
カァ、カァ。
ヤマメの周りを一周して、私は地上に向けて上がって行った。
***
バサバサと目が眩むような太陽の下に飛び出る。いつもいつも、眩しくなって、空を飛べなくて、地上に降りてから目的地に行く。
「あら……お空さん? 神奈子様がお呼びですから早く来てください!」
地面に降りて目を慣らしていたら緑の巫女さんは私を抱えた。へっ?なに?
「少し飛ばしますよ」
それを聞いたと思ったら、身体中に風が吹き付ける。
カァ!カァ!
抗議するように私は大きな声で鳴く。流石に暴れることはしなかったけど、せめて自分で飛ばせて欲しかった。
「早く着きますから待ってください」
緑の巫女さんは離す気はないらしい。不服だが従うことにした。巫女さんの風の流れを感じていると、自分に当たる風を全て脇に逸らして、その風をまた前に進むのに使っているらしい。合理的だな、と他人事のように思った。
巫女さんに抱えられて境内に連れられていると大きな神様が迎えてくれた。隣に小さな神様と髪の毛が空のような色で長くて、頭に四角の帽子を被っている人がいた。
「集まったから話したいが。服を渡すからお前は着替えてこい。その姿じゃあ、覚りでも無い限り話し合いは出来ないからな」
そう言うと大きい方の神様は本殿の奥に行ったみたいだった。
「その妖怪が八咫烏を取り込んだ霊烏路さんでいいのかな」
空の髪の人が話しかけてきた。
「ええ、そうですよ。今回の地獄が溢れてくると言っていた妖怪です」
巫女さんの言い方がなんか信じてないように聞こえる。
「ふむ……とりあえず霊烏路さんが着替えてから話そうか」
そう言うとその人は本殿に上がった。私も巫女さんに抱えられて上がらせられた。
「お空、服持ってきたからそこの奥で着替えなさい。見えないようにしているから」
大きな神様は私の服一式を持ってきて置いた場所を指さしながら言った。巫女さん手元からヒョイと降りて人化の術を使う。
バキ、バキバキと身体の変わる音がする。昔より痛くはないけれども、まだまだ下手なのかお燐みたいにスマートに変化出来ない。一度だけこいし様に「変化中のお空、おぞましいものに変わってる」って言われたことあったな。私はこれしか変化が出来ないから良いんだけども……
「いててて……着替えてきます」
巫女さんと空の髪の人の目線がよく飛んできていた。そんなに変なのかな。
***
「さて仕切り直しだが。早苗に里で妖怪の山の起源を知っている人を探してもらった。知ってる人に当たったからこうしてお空にも来てもらったわけだ」
座敷の机に五人で顔を合わせる。原因がわかったのだろうか? それなら早く聞いて私が出来ることをしたい。
「ここからは私が話そう。改めまして霊烏路空さん。私は上白沢慧音だ。よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
ぺこりと礼をし合う。
「さて、妖怪の山の起源についてだったな。どこから話せばいいのやら……」
「この山の起源だけでいい。簡潔に教えてくれ」
大きい神様は早く話を進めたいのだろうか。急かすように言っている。
「では。妖怪の山は時々、煙を上げているのはご存知ですか」
「……ああ! 時々出てますね。あれって河童の工場の煙じゃないんですか?」
巫女さんが理解したのか答えている。私は地底にずっといるのでそもそも知らない。
「あれは工場の煙じゃないんです。岩長姫の不尽の煙なのです」
いわ……?なんだそれ。
「イワナガ……それは木花咲耶姫の姉で合っているな?」
「もちろんです。この妖怪の山は八ヶ岳の本来の姿と言われています」
もう話を聞くだけでちんぷんかんぷんで分からない。ワタワタと話を聞くだけになってしまっている。
「おい、神奈子。一番聞かなきゃいけないやつが分からなくて白黒してるぞ」
小さな神様がほおずえを着きながら大きな神様に言う。
「ああ、お空大丈夫か?」
「もう分かんないです……」
考えることを放棄しそうになる。
「それならばまずは富士山と八ヶ岳のお話をしましょうか」
昔の話です。富士山と八ヶ岳は同じくらいの山でした。ある時、富士山の神と八ヶ岳の神は背比べをはじめました。それは喧嘩になってしまい、阿弥陀如来に仲裁を求めたのです。すると阿弥陀如来はこう言いました。「山の山頂にといをかけよう。真ん中から水を流せば低い方に流れる。それで決着をつけよう」と。
そうして、といに水を流すと富士山の方へ流れたのです。富士山の神は怒って八ヶ岳を砕いてしまいました。
「……これが富士山と八ヶ岳のお話です」
上白沢さんはそう締めくくりました。
「これが何に繋がるんですか……」
大まかな流れしか分からなかったけれども喧嘩して怒って壊したという所だけは分かった。
「この富士山の神はさっき言った木花咲耶姫のことなのです。岩長姫と姉妹揃って富士山に住んでいましたが、この喧嘩を見た岩長姫は妹に嫌気が差して八ヶ岳へと移り住んでしまいました。そこから富士山は噴火をしなくなったのです……」
「……ふんかってなんですか」
そもそも言っている言葉の意味すら分からない。こればっかりはどうしようも無かった。
「ああ……そうですね。簡単に言えば霊烏路さんが言っていた赤い水、マグマと言うんですが、それが山から溢れ出る事です」
……!?あの水が溢れてくること……仲間を、皆を殺した水が……
「あの水の温度を下げる方法を教えてください、私は、私は……!」
机に頭をぶつける。痛みはあったけれど今はそんなことはどうでもいいのだ。ただただ、水の温度を下げることだけが先にしなければ行けないことなのだ……
「ごめんなさい、霊烏路さん。私に懇願されてもそれをどうするとかは出来ません」
「どうしてですか! 知っているなら何か出来るはずなのに!」
「それを知っているからこそ私は何も出来ないのですよ。噴火が起きたとしてもただの獣人や人間に何か出来る訳でもないのですから」
くそ、くそっ! 何で!
私は立ち上がり、部屋から出ていく。とても悔しかった。私に何も出来ないと言われているようで。
「おい! お空! 戻ってこい!」
大きな神様の声が聞こえたが私は空を飛んだ。
地霊殿に着いたけれど私は話しかけてくる皆を無視して部屋に行った。本当はさとり様に挨拶をしなければいけないのだけれどこの心で会えるわけが無い。もう何も考えたくなくて、部屋の布団に潜り込んだ。
私は一体何をすればいいのだろう……
#####
地底の岩と人間の死体がずっと先が見えないくらいに転がっている。私が立つ前に黒の四角のものがある。そこに何が動いている。
“「さとりさま! さとりさま!」”
そこに私がいる。さとり様もいる。私が何かを言っている。あ、人型になった。何か話している。
“「わたしね、いつかね、そらをとびたいの!」”
ああ、そうだったな。私は空飛びたいんだったな。そんな夢を持っていたように思う。今こうして見て思い出したけれど。
「おやおや、貴女の夢の心象は荒廃してますね。しかも置いてあるのがブラウン管テレビですか。古いですね」
黒の四角を見ていたら後ろから声がかかって、振り向く。服に沢山のぽんぽんがついていて長い髪の毛で、頭にはサンタ帽子を被っている。
「……サンタさん?」
「誰がサンタですか。自己紹介がまだでしたね。私は夢の支配者のドレミー・スイートです。お気軽にドレミーと呼んでください」
スマートなお辞儀をこちらにする。それにつられて私もぺこりと礼をした。
「ええっと、ドレミーさん? なんで私はここにいるんだろう」
夢の中?に私はいるんだろうか。よく分からない。
「さあ、どうしてでしょうね? 貴女のそのちっぽけな頭で考えてみたらどうです」
とぼけたような笑いでドレミーさんは両手を広げる。そうして岩と人間の山はパッと消えた。その景色の変化に私は右に左に見る。味気のないまっさらな部屋に私とドレミーさんが佇むのみだった。
「今何をしたの……?」
いきなり変わったことが理解が追いつかない。
「夢の支配者としての能力を使っただけですが。とりあえずそこに座ったらどうです」
指をさされて気がついて、椅子に座る。私に続いてドレミーさんは前に座った。
「さて……貴女は悩んでいるようですね。それはどのように解決できるのか考えてみましたか?」
「……あの。なんでそれを知ってるんですか。私はドレミーさんに会ったことないし、そもそも話すのもはじめてですよ」
初めて会った人に悩みとか話すことは出来ない。しかもいきなり言われて警戒してしまう。
「ああ、警戒しないで。貴女の主人と同期に言われたのですよ」
「……さとり様に?」
ふっと警戒は溶ける。ドレミーさんは笑いつづけて、右手を中に揺らした。ポンッと分厚い黒色っぽい本が出てきた。それをドレミーさんは取る。
「それではお話を続けましょう。貴女の悩み事を出来ないと言われたのでしょう。しかし諦めてはいけません。貴女にはそれを乗り越えられる力がある……」
目を閉じて本を開いている。紙の表面をなぞっている。何をしているんだろうか。
「貴女は地獄鴉です。古明地さとりのペットとなり、八坂神奈子から八咫烏の力を受け取りました。さて、その受け取った力はどのような能力でしたか? 答えてください」
そんなことを言われので面食らった。私は答える。
「ええっと……核融合を操れる能力だけど……」
大きく頷いている。にこにことしていて少し怖い。
「そう、その通りです。核融合を操れることは何が出来ますか?」
「温度を操れたりする……はず」
ガタンとドレミーさんは本を持ったまま椅子から立ち上がる。見ていると本からピンクの水のような弾力がありそうな何かが出てきた。
「そうです。そのはずなのです。貴女は何を見て、使ってきたのか。それならばアレの温度は下げられたはずでしょう」
ピンクの何かに乗りながら話している。こちらに目線を合わせながら私の座る椅子のまわりをくるくると回っている。
一体何を。何を私に求めているのか。私に何をしろと言うのか……!遠回しな言い方に私はイライラする。いままでの出来なかったこと、出来ないと言われたこと、そうしてドレミーさんの言い方。それらが薪だとして、私が出来ないと思うのが火となり心に怒りになる。ゴウッと髪が舞い上がる。体の底から熱が湧き上がる。
「おお、熱い熱い。怒りをおさめてくださいな。まだ言わないといけないことがあるのですから……」
ピンクのそれからおりてコホンと軽く咳き込むドレミーさん。
「なんですか」
声が物凄く低くなった。今すぐドレミーさんをぶっ飛ばしたかった。
「これだけは言っておきましょう。貴女の夢を忘れずに。それと貴女は何を守りたいのか、それだけを思えば良いです。さっきの能力の話は頭に入れて置いてくださいね……」
ゴゴ……
「おや……時間切れですか」
「なんの音なの……これ……」
世界が揺れているような感覚を受ける。怒りは萎んでどうでも良くなった。今の揺れの方が気になる。
「今、向こうが揺れています。噴火が始まりました。ではそちらの扉から出れば貴女は起きることが出来るでしょう」
なんだって!?
ドレミーさんが指を向ける方に私は立って走った。ダメ、私が守るんだ……!
両開きの大きな扉を開け放って私は飛び込んで行った。
「どうか、ご武運を。死なない程度に頑張ってください」
#####
揺れる中で私は目が覚める。ガバッと起き上がり空を飛べる最速の速さで飛んだ。地面が揺れていて、地霊殿は壁から瓦礫が落ちてきていたりして、崩れそうになっている。他のペット達は逃げている。落ちてくる瓦礫を避けて、中庭に着いた。
いつもは閉まっているはずの灼熱地獄の扉は、溢れそうな赤い水の温度によって既に開いていた。夜の暗さの中、そこだけが揺れながら光っている。私は飛び込んでいく。さっきのドレミーさん──あの夢の話を思い出す。
『貴女の守りたいものはなんですか……』
私の守りたいもの。それは。たださとり様を──こいし様、お燐、地底のみんな。
人間なんでどうでもいい。妖怪なんてどうでもいい。神様だってどうでもいい。幻想郷だってどうでもいい……
ただ、私の、好きを守りたいだけなんだ!
水がどんどん上がってきている。岩に当たりそうになりながら宙を飛ぶ。地の底に向かって叫ぶ。
「私についてこい! 神だとか岩長姫とかそんなの知らない! そんなちっぽけな熱なんて全て持って行ってやる!」
吹き上がる赤い水は意志を持ったかのように私に襲いかかってくる。大きく覆い被さるよう上がってきて避ける。壁の岩に大きく当たる。大きく羽ばたいて私は、水の中に身体を突っ込んだ。熱を制御棒に集めていく。全ての水を消さんとばかりに私はがむしゃらに集める。
熱い。熱い。熱い!
熱さに叫ぶ喉を焼かれ、水に触れる肌を焼かれ。前を見るための目も焼かれ。私の全てを焼かれてなお、熱を受け止められない。
ふざけるな! 私は絶対にさとり様を守るんだ! 私がどうなってもいい、さとり様を、皆を守るだけの力を!
熱に翻弄されながら私は焼かれた喉から声が漏れる。
「がァああァァああぁぁああァああぁ!!!!」
叫ぶ。羽ばたく。奪った熱を抱えて飛ぶ。がむしゃらに、ただただ、ここじゃないどこかへと行くために飛ぶ。前が見えない真っ白な世界で私は飛ぶ。
声が聞こえた気がした。勇儀、パルスィ、ヤマメ、キスメ。
叫ぶような声が聞こえた。お燐、こいし様、さとり様……
がむしゃらに駆けた先はびゅうびゅうと風が吹き付ける音だけが響いていた。
~*~*~
秋の夜の空に輝く地底の太陽を。煌々と光を放つ“それ”を。
地震に叩き起されて避難しようとした博麗の巫女は見た。
ものに押し潰されそうになった魔法使いは見た。
ティータイムを楽しんでいた吸血鬼は見た。
仕事をさぼって散歩に出かけていた死神は見た。
地震に動じない不老不死たちは見た。
光り輝く中で驚きとともに天狗たちは見た。
ため息をつきながら守矢の神と巫女は見た。
里避難を誘導していた寺の僧侶たちは見た。
地震に混乱した人間たちは見た。
慌ててお空の様子を来たさとりとお燐は見た。
幻想郷の全ての人妖は見た。
地底から出てきた謎の光が光るのを。空を染める光を、まるで太陽のようなものを見たのだ。夜の静寂は塗り替えられ、空で光るものを。地震を忘れるかのように食い入るように空を見ているものがいた。夜だとは思えないほどの光は人間達に畏怖を与えた。
どのぐらい経ったのだろうか。光はフッと消えた。
「お空ーーーー!! おくうーーー!!」
燃え尽きたお空が落ちていくのを叫び、懸命に空を飛ぶお燐がいる。
地震はいつの間にか止んでいた。
~*~*~
お空が倒れてから一ヶ月経った。秋の紅葉は終わって雪がちらつく冬になっていた。あたいは仕事をしながら永遠亭に入院しているお空のお見舞いに行ったりしていた。まだお空の目は覚めていない。
この一ヶ月とても大変だった。何かの異変と見なされて霊夢さんが復旧作業中の地霊殿に突撃してきてあたいとさとり様はボコボコにされた。訳を説明しろと言われてもあたいは知らないので困惑していたら、さとり様が霊夢さんに対して守矢の神に聞けと言っていた。どうしてなのだろうか……
それはともかくあたいはこの一ヶ月、お空を殴り飛ばしたくて仕方がなかった。お空が何を思っていたのか知らない。それでも一人で勝手にして、また何も言ってくれなかった。それで目も見えなくなって、綺麗な羽を全部燃やして……バカ野郎。何であたいには言ってくれなかったんだ。バカお空。
さとり様は何か知っているのかも知れないけどいつもの通りに「お空が目覚めたら聞きなさい」と言って話す気は無いようだった。
ザク、ザク……雪がまた降って凍った上を音を立てて歩いていく。はあ、と吐く息は真っ白になっていて寒い。あの熱い灼熱地獄に戻りたい……竹林の入口に着くとさらに寒かった。
「なんで今日はこんなに寒いんだい……」
雪が降り始めていた。地底にも最近降り始めた雪。地上ほど寒くはないけれども、白いのを見てるだけもとても憂鬱だった。
「そりゃあ雪が降ってるからさ。あんたも燃やして暖かくしてやろうか?」
「おねーさん、そりゃ無いよ。あたいも炎を出せるんだから自分で温まるさ。それで聞きたいんだけど? なんでそんなにボロボロなの」
一人ボヤいていると、竹林の入口からボロボロになって出てきたのは白く長い髪を持つ人間、いいや蓬莱人の藤原妹紅だった。上のシャツは血塗れになっていて破れている。聞かなくても分かるけど……あの姫さまと喧嘩したのかな。
「いやー久しぶりに輝夜に奇襲したらぼっこぼこに殺されたよ。驚いた顔が面白かったからいいけどな!」
「おねーさんを私の車に乗せられないのが残念。持って行きたいのになあ。生き返るんなら乗せられないや」
蓬莱人たちの死に様はとてもそそる。だから車に乗せて地底に持って帰りたいのに生き返るんだから乗せられない。くそぉ、何か方法があればいいのに。
「おお、怖い怖い。死にゃしないけど乗せられるのは怖いな。そんで話が変わるがお燐はお見舞いか?」
「そうだよ。道案内してもらいたんだけど……」
そう言うと妹紅は歩き出した。あたいはそれについて行く。
「案内するからついてきなよ」
「一ヶ月してもらってたらそれぐらいわかるよ」
竹林の雪の中をザクザクと二人で歩く音が響いていた。
「こんにちは」
案内されてあたいは一人で戸を開ける。妹紅は玄関前で帰るって言って歩いていった。本当に何回来てもこの竹林は迷う。
「こんにちは……ってお燐さんですか。いつもの部屋に入ってくれてて大丈夫ですよ」
バタバタと洗濯物の籠を持ちながら月の兎、鈴仙がそう言って走って行った。鈴仙はよくバタバタしているなと思う。
「うわあああ!?」
あ、落ちてった。家の中に落とし穴なんかよく作るな。あたいは浮いてお空が寝ている部屋に行った。
「おーい、お空大丈夫かい?」
いつもの台詞で戸を開けた。お空の方を見たら、信じられないものを見た。
「……その声は、お燐……? ここどこ? 薄暗いよ……」
お空がベッドから起き上がっていた。あたいがいる方向に、顔を向けている。燃えた髪の毛は短く、真っ赤な火傷の跡、全身に包帯を巻かれた状態で……
「お……お、おくう……? お空!」
あたいは駆け寄った。起きているのが信じられなくて、半分泣いていた。
「お燐、なんで泣いてるの……」
「バカ、バカおくう! 心配かけやがって! なんで……なんで!」
「あわわ、泣かないでお燐……」
殴ってやりたかったのに頭の中で処理出来なくてあたいはわんわんと泣いた。永遠亭に響くような声だった。
「お空さん起きたんですか!? 師匠!師匠ーー!」
あたいの泣き声に気がついた鈴仙はバタバタとうるさい足音をたてて入ってきた。医者呼びに行ったのかまたうるさく出ていった。お空が起きたのが嬉しくて、信じられなくてあたいはさらに泣いてしまった。
あたいは診察室に連れていかれ、お空は医者に詳細な診察を受けていた。診察が終わったのか部屋の戸が空いた。
「落ち着いたかしら。診断した結果を言うわよ」
医者、八意永琳は書いた紙を見ながら告げる。
「結果から言うと少しづつ良くなってるわ。見えないと思っていた目は、薄暗くても周りの情報を受け取ってるみたいだし、身体の火傷も治り始めてる。後は様子を見ながらリハビリをすれば元に戻るでしょう。この回復力は神の力でしょうね……」
ふーん、そうなのか。わたしはとりあえずお空が起きてくれたことだけで良い。無事ならそれでいいのだから。
「……お空に会ってきても大丈夫ですか?」
「ええ、良いわよ。ただし手荒なことはしないでね。起きたばっかりだし、もう少し休養がいるから」
お礼をして部屋から出た。さっきは殴れなかったけれど今なら……
「お燐ーやっと来たぁ」
入る音で気がついたのだろう、こちらを見ていた。
「あたいじゃなかったらどうするんだよ……」
「お燐の足音だったもん。目が見にくいから耳が良く聞こえるの」
にこにこと笑っていて楽しそうなお空。タッとあたいはお空のベッドの傍に立つ。
「なあ……お空。聞きたいんだけど」
「なに? お燐」
無邪気のように笑うお空。私は今からそれを壊す。
「どうして、どうしてあんな無茶をしたんだい?」
問いかける。お空がどう思っていたのか知りたくて。あたいははさとり様みたいに全部分かるわけじゃないし、表情に騙されたりもする。だから聞きたいんだ。
「無茶ってなに? 私は何もしてないよ」
「馬鹿言え! 今こうやってお空は入院してるじゃないか! そんな怪我をして、一ヶ月も起きなくて! どの口が無茶をしてないって言うんだい!」
お空の言うことがあたいの怒りに触れる。怒鳴る、怒る、やるせなくなる……
「……私はさとり様やお燐が無事ならそれでいいの。だから無茶してない」
「ふざけるな! 心配したのに! お空と話せなくなるって考えたらとても嫌だったのに!」
この鴉は。自分のことを考えていない!
「私は! 地底のみんなが無事ならそれでいい! 私が燃え尽きたってそれでいい!」
はっきりと、お空はあたいに叫ぶ。両手を握りしめて、有無を言わさないような雰囲気で。そんなのに従わない。
「バカ野郎!!」
私は思い切り振り上げてお空をグーで殴り飛ばした。
ガンっとお空はベッドから落ちて床に転がる。
「いっつ……」
起きたばかりのお空には痛いだろう。それでも殴ってやった。その思いが身勝手すぎて、守られた方がどう思うかだなんて!
「バカ野郎……お空が消えたらどうするんだよ! あたいは消えて欲しくはないんだ! 死んだら怨霊にでもなってくれるならそれでもいい。だけど絶対にお空は霊になんかならないだろ……身勝手だ! 気持ちも知らないでそんなこと言うな!」
溢れ出る感情を叫んでいく。あたいは抑えられなかった。
「何してるんですか!?」
バタバタと音を聞き付けてバンと入ってきたのは鈴仙だった。気持ちが高ぶってあたいはもう一発入れようとしたところで鈴仙に組み伏せられた。
「離せ! 離せ鈴仙!」
「患者に対して暴力を振るうなら離しません! お空さん絶対安静なんですから!」
バタバタと暴れてもがっちりと捕まってしまっていて逃げられなかった。
「いてて……お燐のパンチ効いたよ……鈴仙さん、お燐を離してあげて……もう少し話したい」
ゆっくりと立ち上がったお空はギシッと音をたててベッドに座った。あたいは鈴仙から解放された。解けた包帯をお空は巻いている。その隣に座った。
「お燐、こっち向いて……」
言われるがままにあたいはそちらを向いたら、身体に柔らかい感覚が包む。
「お、お空……何……」
お空に抱きしめられていた。ごわごわとした包帯、その隙間から見える火傷……それでもお空は強く、強く抱きしめてきた。
「良かった……みんな、燃え尽きなくて……良かった……」
困惑しながら抱きしめ返す。お空はうわ言のように呟いている。
「えへへ、お燐、暖かいね……」
「まだ生きてるからさ」
当たり前のことを当たり前に言う。あたいは暖かい腕の中で思う。こうやって抱きしめたのはいつだったんだろう。それも覚えてない。
「ねえ、お燐……」
「なんだいお空」
キュッと強く、腕に力が入っている。
「好きだよ」
「……知ってる」
それは友愛なのか。あたいには分からない。だけど好きなのは知ってる……それだけでいい。
***
「じゃあね、さとり様に報告しとく。元気になってから帰ってくるんだよ。あたいはまた来るから」
「ええ〜もう少しいてよ。ひとりじゃやだよ」
ぶーぶーと口を尖らせて文句を言うお空。あたいも仕事があるから……それとさとり様に言わないといけないし。
「また来るからそれまで待ってて。さとり様も連れてこれたら行くから」
「あっ、いや。さとり様に会うのはまだ……」
ハッキリせずにモゴモゴと黙り込むお空。まだ会いたくないんだろうな。喝を入れるために大きく声を出す。
「ほらハッキリ言って!」
「治ってから会う! 綺麗になってからの方がいい!」
「分かったよ。そう言っとく」
あたいは永遠亭から出て、急いで地底に向かった。さとり様は顔には出してなかったけれども、ふとしたところでお空の場所や物を見ていたから心配していたのだと思う。早く伝えるために急いだ。
***
「さとり様! さとり様! お空が目覚めました!」
地底に着いたところであたいは我慢出来なくなって最速で空を飛んで、その勢いのままさとり様の部屋に飛び込んだ。
何かを飲んでいたさとり様は持っていたティーカップを落としていた。ガシャンと破片が散らばっていた。
「……そう、元気そうで良かったわ。そう……」
さとり様は立ち上がって部屋から出ていってしまった。何故かとても魂が抜けたかのように廊下を歩いていくのを見た。
「さとり様……」
あたいは不安になってしまった。ずっとさとり様はお空のことを心配していたから。どうして何も言わなかったんだろう。あたいは割れたティーカップを拾って集めて捨てた。
~*~*~
私はやっと退院することが出来た。目が覚めてから身体の火傷はみるみる治り、背中の羽は少しづつ生えてきている。周りが薄暗く見えていた視界も疲れて時々休まなくちゃいけないけれどもしっかりと見えるようになっていた。
お燐に迎えに来てもらっている。私は永遠亭の玄関で座って待っている。永琳先生はもう少しだけ休養が必要だと言われたけれど怪我の治り具合から退院しても大丈夫だって。やっとさとり様に会える。さとり様にごめんなさいって言うんだ。許してもらえるのかな。少し怖い。ぼうっと扉を見る。誰か来たのか影が出来た。
「お空を迎えに来ま……てうわぁっ!?」
ガラガラと戸が開いたと思えばお燐だった。いるとは思ってなかったのだろう、猫の耳がピンと立っていた。
「あ、やほーお燐。迎えに来てくれてありがとう」
ひらひらと手を振ったらお燐は怒った。
「もう! お空、びっくりさせないでよ! 心臓止まるかと思ったじゃないか!」
「あはは、ごめんごめん。さとり様なんか言ってた?」
「無事に帰ってきてって。それと待ってるって」
お燐は手を伸ばしてきて、私はそれを取る。引き上げてくれる勢いで立ち上がる。
「そっか。さとり様に謝らないと……」
「はは、それはあたいは知らない。おおーい、帰りますねー!さ、行こうお空」
お燐が私の手を取って引っ張っていく。玄関を出て、竹林に入ったところでお燐は飛ぼうとした。
「ちょっと待って。今飛べなくて……」
燃えた羽は背中の骨だけが残って、やっと産毛が生え揃ったばかりでまだ風を切れない。飛べないことは無いのだけれど、コントロールが上手くいかない。
「あー、そっか。どうやって帰ろうかな。あたいがおんぶしようか?」
「う、うん。お願いしようかな……」
少し恥ずかしくて頬をかく。お燐が私を背負う。
「だ、大丈夫? 重くない?」
「大丈夫! ほら、飛ぶよお空!」
タンッと軽そうに地面から跳んで、すぐに当たるのは笹だった。ガサガサガサと鋭いような葉がたくさんあって地味に痛い。ザザ、と竹林から空に飛び出した。目の前に大きく広がるは、青だった。
「わあっ……空ってこんなに綺麗だったかな……」
「何言うのさお空! 空は綺麗だよ!」
「そっか、そっかあ……」
私は空を高く飛べたのかな。空の青さに圧倒されながらそんなことを思った。
***
地底に帰ってきた。入口から縦穴を下って、旧地獄に繋がる橋へ。パルスィが橋にいないのが気にかかった。そういえば縦穴でもヤマメとキスメを見ていなくて疑問に思った。お燐に聞こうかと思ったけどやめた。地霊殿が近くなってきて怖くなってから。さとり様は怒ってないかな。ああ、怖くて冷や汗が出てきた。
「お空、そろそろ着くよ? すぐにさとり様の部屋に行くから。そう言われてるからさ」
「う、うん。分かった……」
逃げたかったけどもう無理だった。玄関で下ろされて、手を引かれて歩いて、考えているうちにさとり様の部屋の前に着いていた。
「二人とも入りなさい」
「失礼しまーす」
「し、失礼します」
扉を開けたら、さとり様はいつもの様に難しそうな資料を積んだ机に座っている。いつも以上にボサボサになっていて、少しクマがあるのが気になった。
「お空、前の椅子に座りなさい。お燐、貴女は部屋から出てくれるかしら」
「りょーかいです。お空、話し終わったらリビングに来てね」
そう言ってお燐は出ていった。ああ、どうしよう。
「お空」
「は、はひっ!」
驚いて飛び上がる。さとり様はじいっとこちらを見ていた。
「とりあえず座りなさいな。まだ立っているのは辛いでしょう?」
「ありがとうございます……」
さとり様の前に置かれた椅子に座る。どうすればいいのか分からなくて頭がぐるぐる回る。
「それでお空。怪我の方は大丈夫ですか」
「目覚めてからある程度治りました。けど少しだけ火傷の跡は残るって……」
「そうですか」
ほぼ綺麗に治ってはいるけれど、火傷の跡はまだある。別に残ってもいい。言い方を変えれば勲章みたいなものだから。
「勲章ですか。そういう風には言って欲しくないですね。私は貴女がどれだけ悩んでいたのかを欠片を覗いただけですが。守りたいと思ってくれたことは嬉しかったですよ、お空」
こちらを見続けたままさとり様は言う。
「あっ、あのっ」
ごめんなさい、ごめんなさいさとり様。
「ごめんなさい、ですか」
「ごめんなさい! 私が勝手なことしたから、さとり様が笑顔じゃないから……」
「こら、それ以上謝るのはやめなさい。自分を責めるのはやめなさい。お空は頑張ったのですから。そうやって責められると私は悲しいです」
え、あ、私……わたし……
「お空、ありがとう」
そう言ってさとり様は笑いかけてくれた。
「さとりさま……さとりさまぁ……!」
立ち上がって私はさとり様に突撃して抱きしめる。
「ちょ、お空、待って苦し……」
私は嬉しくて、さとり様がここにいて……ぎゅううと抱きしめる。
「お空! 離して! 苦しい!」
肩を叩かれて私は離れた。さとり様は私の手を握る。
「リビングに行きましょうか。待っていますよ」
なんだろう。さとり様は楽しそうに笑って、一緒にリビングへと行った。
「開けますよ」
リビングの戸をさとり様は開けた。
パンパンパァン!
いきなり音が鳴って色とりどりの紙が舞っている。びっくりした。みんながいた。キスメにヤマメに、パルスィ、勇儀、お燐、こいし様……
「お空、退院おめでとう!」
こいし様が大きな声で言う。
「……へぁ?」
びっくりしすぎて反応しきれなかった。
「プッ、あっははは! お空なにその顔! マヌケだよ!」
おははは、と大声で笑いだしたのはヤマメだった。それに続いてみんなが笑った。
「えっ、なに……」
「お空の退院祝いさ。みんな心配してたんだからさ。さぁ飲むぞー!」
盃を掲げて勇儀は私の肩を組んだ。 それに続いてみんなが私を囲う。
「あいたたた!? えっ、ちょっと、うわぁ!?」
「ほら、お空も飲めよ!」
ヤマメはお酒を進めてくる。
「お空、本当に怪我大丈夫?」
キスメは桶の中から心配そうに見てくる。
「無茶ばっかして。本当にお空はあたいが見てないとダメだね」
お燐は私の頭を撫でながら言う。
「……愛されていて妬ましいわ。けどあんたは無茶しすぎなのよ」
パルスィは素直じゃないけど心配してくれている。
「おまえさんはやる前になにか言わないとな。だから心配かけるんだぞ」
勇儀はコツンと私の頭を小突いた。
「お空、自分の成すことを出来て良かったね!」
こいし様は満面の笑みで嬉しそうだ。
「貴女は愛されているのですから。何より私のペットなのですから。勝手なことして心配させないでください」
さとり様はそう言ってくれた。
「みんな……ありがとう……」
私はそんな簡単なことしか言えなかった。けれどもみんながとても楽しそうにしていたのが嬉しかった。ちっぽけだけど、守れたんだって。私は大切な人たちと笑えたのが本当に嬉しかった。
こじんまりとした宴会は話も尽きないで朝まで飲み通した。みんなが潰れるまで続いた……
***
帰ってきて、私は思う。たくさん無茶して、大好きな人たちを守ることが出来て。それで良かったのだと。神様に逆らったかもしれない、それで呪われてもいい。だけれど、大好きな人たちには手を出させない。その決意を。さとり様が聞いたらまた怒るかな。何度も言われても懲りない意地の汚さがこの私、霊烏路空だ。何度だって挑んでやる……
もう一度、高く高く、空を飛べたとしても。
私はこの地の底に良続ける。
大好きなさとり様、こいし様、お燐に地底のみんな。
ここには私の大好きがいっぱいだから。
たとえ高く飛べたとしても、ここに、私は、ずっといる。