箒は一夏から週末に一緒に出掛けようと誘われる。
デートと思わせておいて他の女子もいるいつものパターンだろうと思っていたら、どうやら箒と二人だけでないとダメらしい。
いつもと違う一夏に期待して浮かれ気分になる箒。
しかし、彼の様子は箒の期待とは違う方向でおかしかった。

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彼が“ここ”にいた“ヒト”である証

「――今週末、俺と一緒に出かけないか?」

 

 放課後になり、箒の元へ一夏がやってきての一言はあまりにも意外だった。不意打ちだったために箒が咄嗟に返した言葉は不本意なものとなってしまう。

 

「…………は?」

 

 いや、いくらなんでもこれはひどい。デートかどうかは定かでなくとも折角一夏が誘ってくれているのに否定するような物言いだ。箒自身も言ってしまってから後悔しているが、一度口に出した言葉を訂正することもできずに内心で凹んでいる。

 

「行き先を言わずに誘っても返事できないよな。簡単に言うと帰省するつもりなんだけど、箒も一緒にどうかなと思ってさ」

「実家に帰るだけなのか?」

 

 一夏が気を悪くしてないだけでホッと胸を撫で下ろしているのだが一切態度には出さない。流石は素直になれないことに定評のある箒。この辺りは慣れたものである。

 自分の失態を気にしなくてよくなり、冷静になって考える。

 一夏が実家に帰る。それに箒も誘われた。その意図は一体、何だろうか?

 

 箒の脳裏を一夏の家でエプロン姿で調理する自分の姿が過ぎった。

 

 しかしすぐに首を横に振る。

 そんなはずがない。一夏が自宅デートに誘うだなどあり得ない。きっと裏があるはず。例えば、他の女子にも声を掛けているとかだ。

 

「家には帰るけど、行きたい場所は別にあるんだ」

「行きたい場所?」

「ああ。行き先はちょっと今は言いたくないんだけど、箒がいてくれないと行けない場所なんだ」

 

 やたらと意味深な返答だったのだが、箒の耳には一部しか届いていない。

 

「私とだけなのか?」

 

 本人はいつもの冷静で大人な自分のつもりで返答しているのだが、口元には笑みが浮かんでいるし声も上擦っていた。むしろ一夏にとっては箒の平常運転なので違和感などない。

 

「ああ。これは箒にしか頼めないことなんだ。頼めるか?」

 

 箒にしか頼めない。こうまで言われてしまっては――いや、そうでなくとも一夏の頼みならば箒の返事は決まっている。

 

「仕方ないな。付き合おう」

「よし! じゃ、土曜日に篠ノ之神社で待ち合わせな!」

 

 待ち合わせ場所は箒の実家に決まり。一夏がさっさといなくなっても気づかないくらいに箒は浮かれていた。

 

 

  ***

 

 

 少し肌寒い朝だった。金曜日のうちに実家に帰ってきた箒は一夏との待ち合わせ場所――篠ノ之神社の鳥居の下で待っている。

 今日はこれから何が待っているんだろう。

 一夏の行きたい場所とはどこなのだろうか。

 予定を聞いていなかった箒にはこれからの自分を妄想(そうぞう)することしかできない。

 周辺に遊びに行くような場所はない。だとすればやはり自宅デート。一夏が企画しているのだから当然のように織斑家へと招かれるはずだ。

 長い間、織斑家は留守が続いていたはず。そうなると冷蔵庫の中はほぼ空である。だったら家に向かう前にスーパーに寄って買い物をしておきたい。一夏も家庭的なところがある男子だ。二人で食材を選ぶ姿を想像して、箒はうんうんと満足げに頷く。

 

「シミュレーションは完璧だ。いつでもかかってこい、一夏」

 

 まるで勝負事の前のような独り言を漏らす。

 ちょうど一夏の名前を口に出したときだった。

 

「おーい、箒!」

 

 手を振りながら近づいてくる一夏の姿が見えてきた。間違いなく1人だ。

 ここで急に箒は不安に襲われる。こうも上手く二人きりになれるわけなどない。誰かしら(特にラウラあたり)がこっそりついてきているのがいつものパターンではないのか?

 耳を澄ませる。周囲の茂みからは人がいるほどの雑音は聞こえてこない。少なくとも箒は尾行されていない。

 尾行されるとすれば一夏の方だ。一夏が近くまで来ても箒は一夏の後方にばかり目を向ける。電柱の影などを重点的にチェックするが、顔を出しているような間抜けは見つからない。

 

「箒、俺の話を聞いてるか?」

「あ、ああ。すまない。少々気になることがあって聞いていなかった」

「気になること……?」

「いや、なんでもない。些細なことだ。気にするな」

「ならいいけどよ」

 

 すると一夏はごく自然と当たり前のように箒の右手を掴んだ。そのまま背中を見せて歩き始めたので、箒はやや引っ張られながらもついていく。

 向かう先は一夏の家とは逆方向。むしろ箒の家の方である。

 

「どこへ行くんだ?」

「とりあえず道場に行く。他にも行きたい場所はあるからちょっと急ぐけどいいか?」

 

 同意を得ようとしているようだが、既に一夏はやや早足で移動している。意外と緻密なスケジュールを組んでいるのだろうか。少なくとものんびり自宅デートという雰囲気ではないので、箒のシミュレーションは崩壊している。

 

「道場? 篠ノ之道場ならば父上がまだ戻っていないから建物しかないぞ?」

「それでいい。下手に誰かがいると支障が出る」

 

 部外者がいると困る。そんな場所へ一夏は箒を連れて行こうとしている。

 つまり、率先して二人きりになろうとしている。

 なぜ人気のない場所で二人きりになる必要があるのか?

 箒には1つしか思い当たらなかった。

 

「い、一夏が求めるなら、私も(やぶさ)かではない」

 

 顔から火が出るとはこのことか。そう実感するほどの熱を自分で感じながら頑張って一夏にYESらしき返答をした。

 もっとも、当たり前のように一夏には通じていないのであるが。そもそも箒が一夏の意図を誤解しているのだから当然の帰結とも言える。

 

 道場に到着した。柵の鍵は箒が持っており、一夏は遠慮なく道場内へ足を踏み入れる。箒もその後ろに続いた。一夏が辺りを見回しながら歩いていくので、箒も釣られてキョロキョロと懐かしの道場の様子を眺めていく。

 ……こんなにも低い屋根だったか?

 思えば、箒がこの道場に足を踏み入れるのも小学生以来である。あの頃とは背丈が違う。走り回れるほど広く感じていたのに、今見るとすぐに壁にぶつかりそうに感じられる。

 

「ジャンプして竹刀で突いたら届きそうだな」

 

 一夏は天井を指さしながら笑いかけてきた。きっと箒と同じものを見て、同じように昔と比べて、自分たちの身体の成長を感じてくれていたんだろう。自分の価値観を共有できたような気がした箒は胸が温かくなった。ニヤニヤするのを隠そうとすらしない。

 

「天井に穴を開けたら父上の説教が待っているぞ?」

「あー、思い出した! たしか俺、走りながら突きをする技にハマってて、普通に障子を貫いたことあったな!」

「覚えているぞ。何かのアニメの影響だったか。父上がすごい剣幕で怒っていた」

「あれは怖かった! 『障子破ってごめんなさい』って何度謝っても聞く耳持たないんだよ、あの人!」

「ふふふ、それもそのはずだ。父上の説教の内容は『どこの流派かもわからん型を使うな! 突きの型を知りたいのならば徹底的に叩き込んでやる!』だったからな。篠ノ之流を一夏に教えたくて仕方なかったのだろう」

「そうそう! それで色々と『奥義を教えてやる』とか言われて、『零拍子』みたいな妙にカッコイイ名前だけついた基礎ばかり教えられたんだよ。俺も名前がカッコイイからノリノリで教わってたし」

「今だから裏話を話してやろう。その妙にカッコイイ技名は篠ノ之流に最初からあるものもあるが、一夏に教える基礎にはなかった。だから父上と千冬さんの2人で悩んで名付けてたんだぞ?」

「マジか。それは意外だ」

 

 話していて箒も昔のことを思い出してきた。

 この道場では父親である柳韻と箒、あとは織斑姉弟で技を磨いていた。他に門下生はいたのだが、箒と一夏は門下生たちとは別に稽古を受けていたため、どんな人がいたのか箒の記憶にはあまり残っていない。

 

「あ、まだ障子の補修痕が残ってる。俺、背が低かったんだな。今だったらこの高さを突くのは逆に難しい」

 

 腰ぐらいの高さにある、幼い自分の過ちの痕跡を指先で撫でて、一夏はハハハッと乾いた笑いをする。その目は優しくも寂しさを感じさせるもので、いつもの一夏らしくない。少なくとも箒にはそう思えた。

 

「……ちゃんと今に繋がってるんだな」

 

 小声だった。けれど、二人きりの静かな道場でのこと。喧噪の中では絶対に聞き取れないほどの一夏の独り言は箒の耳にハッキリと届いた。

 

「当たり前だ。一夏の失敗がこうして残っている。それだけじゃない。一夏が今までやってきたことは、たとえ形に残らないものでもたしかに残っているのだ」

 

 そう言って箒は自らの胸に手を当てた。

 孤独だった箒の心に一夏は土足で踏み込んできた。

 引っかき回されて、混乱している箒の手を握って外へと連れ出した。

 もっと胸を張れ、と。

 お前は可愛いんだからもっと自信を持て、と。

 俺より強いお前が剣を捨てる必要はない、と。

 道場師範の娘として生まれ、女として生まれたことに嫌気が差していた箒を変えたのは間違いなく一夏だった。

 女としても剣士としても一夏は肯定してくれた。彼とともに汗を流した道場の日々は今でも大切な思い出として胸に残っている。

 

 原点に立ち帰れた気がした。

 やはり気の迷いでも何でもない。

 篠ノ之箒は織斑一夏に対して男として特別な感情を抱いている。

 

「ありがとう、箒。じゃ、ちょっと次の場所に移動しようか」

「次?」

「……小学校だ」

 

 

  ***

 

 

 箒にとって、小学校はあまりいい思い出がない。話が合う人間は誰もいなかった。女子たちに好かれず孤立して、孤立したから男子たちに馬鹿にされる。心ない言葉を投げられてばかりの毎日は一夏がいなかったら苦しいだけのものだったに違いない。

 一夏は小学校の敷地内に遠慮なく入っていく。休日の今日は職員室に1人だけ教員がいるのみで、一夏が窓の外から手を振ると会釈で返答があった。

 

「校舎の中を見せてくれって昨日のうちに頼んでおいたんだ」

「いつになく根回しがいいな」

 

 前もって問題なく中に入れるように手配済みだった。準備の周到さから考えて、この帰省は一夏の気まぐれでなく何かしらの目的があるだろうことは容易に想像がつく。

 道場で一線を越えるのではないかと浮かれていた箒も考えを改めた。懐かしい場所を巡るこの旅に臨む一夏の態度は単なる帰省でも旅行でもない。ISで戦場に出るのではないかと思うほどの覚悟のようなものが感じられる。

 

「ここ。覚えてるか?」

 

 校舎内に入り、2階へと上がる階段の踊り場で一夏は立ち止まった。

 特徴的なところは何もない。しかし目を閉じると、箒には当時の光景が鮮明に思い出される。

 

「一夏が階段の上から跳び蹴りをした場所だ。私のランドセルを奪った男子に向かって情け容赦のない一撃だった」

「あの頃は無茶ばかりしてたもんだ」

「無茶をしているのは今も大して変わっていないだろう?」

「……そっか。うん、たしかにそうだ」

 

 箒が踊り場に立ってみて思う。高校生の箒から見ても階段の踊り場はそれなりの高さがある。さらに跳び蹴りともなれば、着地が安定する保証がない。

 

「よくもあんな真似ができたものだ。怖くなかったのか?」

「怖かったさ。でも不思議と躊躇はしなかった。というより、怖いと思ってからブレーキをかける感覚が俺にはよくわかんなくてな」

 

 それは箒も気になっていたこと。ISの操縦者になってから一夏は何回か死線をくぐっている。その多くを箒は見てきたのだが、一夏が自分の身を危険に晒すまでに葛藤していたような時間は一切ない。

 

「だって、立ち止まってたら何も出来ないだろ? だったら早く動かないと大事なものを失っちまうかもしれないじゃないか」

 

 そんなことは誰だってわかっている。しかしわかっていても動けるとは限らない。危険から身を遠ざけようとする本能が働いて、頭も身体も麻痺したかのように動けなくなるのが人の常だ。

 幼い頃から武道に通じてきた箒とて例外ではない。むしろ一般人よりも命の危険を感じ取る能力に長けている。ISを使っていても、怯んで足を止めることが何回もあった。

 模擬戦で箒は一夏に勝ち越している。しかし実戦においては一夏の勝率が圧倒的に高い。その理由を一夏の思い切りの良さだと思っていた箒だったが、ここにきて勘違いだったことに気づいた。

 一夏の言っていることは合理的だ。合理的すぎるのだ。

 

「一夏……お前の言う大事なものとは何なんだ?」

 

 これ以上、この話を続けてはいけない。そんな禁忌(タブー)を感じ取りながらも、箒は一歩踏み込む決意をした。

 きっと、箒自身も覚悟を決めなければ一夏に言葉が届かない。

 今の関係が壊れてしまう覚悟を……

 

「決まってる。千冬姉や箒たち、仲間だ」

「それ以外は?」

「あとは弾とか数馬とか? 中学時代に仲良かった連中は大事だ」

「他には?」

「大事な皆の家族とかも大事だろ? 俺の大事な人が悲しむ姿は見たくないし」

「私が悲しむ姿を想像したことはあるか?」

 

 一夏は何かを言おうとして口を開いたが、何も言わなかった。否、言えなかった。箒の言いたいことが理解できたためだ。

 箒は重ねて語る。仮定の話ではない。過去に実際起きたことを。

 

「一夏は一度、福音にやられた。あのときもお前は躊躇いなく自分の身体を盾として、大事な仲間どころか密漁船を守っていた。あのとき、お前は私に対して『死んでいい命なんてない』と叱りつけてきた。その命にお前自身がちゃんと入っているのか?」

「俺……は……」

 

 一夏から答えが全く出てこない。身の危険を顧みず反射的に動ける男が、この程度の問答に対して反射的に答えることすらできていない。

 認めているも同然だ。

 織斑一夏は自分自身の命を軽視しているのだと。

 

「なあ、箒……俺はさ……」

 

 静かに。静かに一夏は語り出す。

 今日、この場にきた本当の理由。

 

「俺は“ここ”にいるのか?」

 

 自分は“ここ”にいていいのか、と。

 “ここ”にいる自分は何者なのか、と。

 過去に残されている、織斑一夏が生きてきた証を探していた。

 自分の頭に残っている記憶が造られたものでないという証を探していた。

 

 箒は一夏の右手をとる。そして自らの胸に手を当てさせた。

 

「私は“ここ”にいる。私と一夏は繋がっている。今日、十分に確認できたのだろう?」

 

 一夏の手からぬくもりが伝わってくる。少し躊躇いがちで、おっかなびっくりとした不安だらけの手から一夏の鼓動を感じられる。

 

「私を否定するなよ、一夏」

 

 瞬間、一夏はその場で泣き崩れた。

 箒は一夏に胸を貸し、落ち着くまでずっと背中を撫で続けた。

 まるで赤子をあやすように。

 

 

  ***

 

 

「悪かった。それに、格好悪いところを見せた」

 

 落ち着きを取り戻した一夏は箒に謝った。

 それに対して箒はデコピンで返す。

 

「誰も一夏を完璧超人だなんて思っていない。私は一夏の格好いいところを知っている。他に格好悪いところがあっても当然のことだ。“ヒト”なのだから」

「……だな。ありがとう」

 

 二人は帰路に就く。

 もう夕暮れ時だったため、今からIS学園に戻るのには無理があった。

 一夏は箒に「送っていく」と提案したが箒は却下する。

 

「スーパーで買い物だ。その後、一夏の家で食事としよう」

 

 有無を言わせずに決定し、鼻歌交じりの箒が先に歩いていく。

 「やれやれ」と言いながらついていく一夏の足取りは今日一番に軽かった。

 



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